第2話 二人だけの楽園
衝撃の出会いから一夜明けても、マリエッタにかかった魔法は解けることがなかった。息も絶え絶えだったマリエッタの前に颯爽と現れた男装の令嬢。サーシャ・パウエルと名乗った少女は、この近くの屋敷に住んでいると言った。一体どこに住んでいるのか。パウエル家とはどんな家なのか。辺境からやってきて、休みなく働きづめだったマリエッタは、外の世界のことが何も分からない。しかし、この時初めて、今日一日を生き延びる以外の希望が持てるようになった。
「マリエッタ! なにぼんやりしてるの? 早くお皿を並べなさい! 食事の時間までもうすぐよ!」
叱責は慣れっこになっているが、夢心地のマリエッタは、以前にも増して叱られることが増えた。でもそんなこと全く気にならない。サーシャのことを思い出せば、嫌なことなんて吹っ飛んでしまう。もう一度彼女に会いたい。すっかりサーシャに魅了されたマリエッタは、そのことで頭がいっぱいになった。
(でも、どうしたらまた会えるのだろう? 泉で会ったのは全くの偶然だったし、藪から棒にお屋敷を訪ねるなんてとてもできない。でも会いたい。友達なんて恐れ多いけど、私のことを覚えて欲しい)
ここ、フェリシア大聖堂は、病気や怪我を治癒できる魔力を持った15歳から19歳の少女が集められ、厳しい修行に日々明け暮れている。基本的には年長者の方が先輩だが、魔力が強いと序列が高くなる傾向にある。それに加え、家柄や身分が高い者が大事にされるという、別の評価軸も存在する。マリエッタのような、魔力の弱い田舎の下位貴族は、最も低いヒエラルキーに属する。16歳なので後輩もいるにはいるが、みな彼女より家柄がいいので、誰もが嫌がるような雑用はマリエッタ一人に任されていた。
そういうわけで、何かと仲間から軽んじられがちなマリエッタだが、一個上の先輩ケイトは例外だった。口は悪いが、無視したり馬鹿にしたりせず相手してくれるだけでも御の字だ。しかも、身分の高い家出身のため、聖堂を訪れる貴族の応対役が多い。よって、マリエッタが欲しい情報を握っている可能性が高いと判断した。
「パウエル? ああ、知ってるわよ? 王都でも有名な名家の一つ。そこの令嬢ですって? さあ、そんな人いたかしら?」
マリエッタがやけに熱心に聞くので、ケイトは不審に思い、眉をひそめた。
「一体どうしたの? なんか怪しいわね?」
「いいえ、なんでもないです」
仕事中に聖なる泉で会ったなんて知られたら大変なことになる。ケイトに深掘りされる前に、マリエッタは慌てて自分から話を終わらせた。
しかし、ケイトはそのことを覚えていたらしく、数日後、再びマリエッタを呼び止めた。
「パウエル家の貴族令嬢について調べてやったわよ。知りたい?」
「ええっ! サーシャ様のことが分かったんですか?」
我を忘れて食いついたマリエッタに、ケイトは手をかざして制止した。
「まさかタダで教えてもらおうなんて思ってないわよね? この私があなたのために骨を折っったなんて、屈辱以外の何者でもないのは分かってる?」
「分かってます! 先輩の仕事を肩代わりするので、教えてください!」
期待通りの答えを引き出せたケイトは、にやっと笑った。
「ようし。じゃ、明日大聖女さまの部屋に洗面用具を持っていく仕事お願いね」
「それより、サーシャさまのこと!」
「わ、分かったってばーー」
ケイトは、マリエッタの気迫に押される形で教えてくれた。
「サーシャ・パウエルは、今のパウエル伯爵と前妻の間に生まれた長女で17歳。変わり者で有名らしいよ。ここには来たことないから知らなかったけど、教会の類は嫌いみたい。小さい頃に母親が亡くなって後妻とは折り合い悪くて、変な格好で外を歩くから、周りから腫れ物扱いをされてるんだって」
「変な格好だなんてそんな!」
マリエッタはたまらず声を上げた。男物の服を着ていることを指すのならば、確かに風変わりではあるが、彼女にはとても似合っていた。
「身分の高いお嬢さまだから、みんなおいそれと進言できないのよ。しかも、母親は心の病を患ってたらしく、その血を引いてるんじゃなんて声もある。両親は、サーシャに手を焼いて、最近では好き勝手にやらせてるらしいよ。そんなんだから学校は退学になるし、ピアノや絵画もやらずに剣術を習ってるんですって」
とんでもない。マリエッタから見たサーシャは女神のように光り輝いていた。それが巷では、こんなひどい言われようだなんて。やるせなさと義憤で心がいっぱいになったが、非力な自分は何もできない。それがまた情けなくて、涙が出そうになった。
ケイトから話を聞いて、マリエッタは落ち込む一方だった。憧れの人がひどく言われていると自分まで傷つく。せめて自分はサーシャの味方でありたい。そんな思いが募って、ますます彼女に会いたくなった。
(でも……、どうすればまた会えるのだろう。次会う約束もしなかったし、連絡する手立てもない。このまますれ違ったままなのかな?)
そんなことを考えながら悶々とするうちに三週間ほどの時間が経過した。相変わらず変わり映えしない毎日。唯一の希望がサーシャと再会することである。マリエッタは、蜘蛛の糸でつながった希望にすがって毎日を生き延びていた。
そんなある日、また大聖堂で公的な儀式を執り行うことになった。雨乞いをしたり、無病息災を祈ったり、何かにつけて神に祈る儀式は頻繁に執り行われる。そこで、また裏手の森にある泉に水を汲みに行く必要が出てきた。
「誰か行ってくれる子いないーー」
「はい! 私行きます!」
いつも覇気がないマリエッタが、珍しく鼻息を荒くして志願してきたので、上司の聖女はびっくりしてしまった。元々マリエッタには雑用をよく頼んでいたので、本人から名乗り出なくてもお願いしようとは思っていたのだが。
マリエッタは、泉に行けばサーシャと再会できるという一縷の望みをかけて水を汲みに行った。そう思えば自然と足も早くなる。足場の悪い道に苦労しながらも、泉を取り囲む鉄の柵が見えると、さらに歩幅を広げて進んだ。
(あれ、誰かいる……?)
ふと人影を見たような気がして、マリエッタの心臓は早鐘を打つように鳴った。前の時はぎょっとしたのに、今回は真逆の反応である。もしサーシャ以外の人間がいたらなんて疑う暇もなかった。緊張と興奮のなか近づくと、前見た時と同じく男装したサーシャが立っていた。
「サーシャさま! お会いできて嬉しいです!」
マリエッタは喜びのあまり、木の桶も放り出してサーシャに駆け寄った。それを見たサーシャは苦笑いを浮かべる。青緑のコートに優雅にクラバットをなびかせ佇む姿は、今日も美しかった。どうしてこんなに優雅に着こなせるのだろう。
「ここに来れば会えると思った。今日大聖堂でそこそこ大きな儀式を行うって聞いたんだ。それなら、マリエッタが来る可能性が高いんじゃないかと思って。見事当たったね」
なんと。サーシャも自分に会いたがっていたのだ。しかも、儀式がある日をわざわざ調べて、彼女の方から会いに来てくれた。マリエッタは、幸せが一気に押し寄せてきて、嬉しさのあまり呆然としてしまった。
「もしもし!? もしかして泣いてる?」
「だって……、サーシャさまのような方から私なんかに会いに来てくれるなんて夢みたいで。こんなことってある? 私もすごくお会いしたかった……、幸せすぎて、明日死んじゃうのかしら?」
マリエッタがぽろぽろ涙を流すのを見て、サーシャは大袈裟だよと笑ったが、ちっとも誇張じゃない。ここ最近、サーシャに会いたい一心で、辛い仕事を頑張って生き延びてきたのだ。
「友達なんだからサーシャでいいよ。敬語もやめて。あなただって貴族の出なんでしょ?」
「それでも地方の下っ端貴族で、聖女の才能があったと言えば聞こえはいいですけど、ほとんど口減しのために出されたようなものです。一度も実家に帰ったことはないし、すでに私の居場所はありません」
「へえーそうなんだ。奇遇だね、僕も一緒。家に居場所がないんだ」
サーシャは一人称を僕と言った。一瞬、マリエッタは目を見張ったが、この姿ならさもありなんとすぐに納得する。一人称がどうであれ、彼女自身の魅力には関係ない。
「ねえ、僕のこと聞いてる? 結構有名みたいなんだけど」
「サーシャさ……のこと調べている時に少しだけ」
それを聞いたサーシャは苦笑しながら、自ら教えてくれた。
「なんて聞いてる? 女学校を放校になった不良? 親にも見捨てられた憐れな子供? 男の格好で闊歩する変人? どれも本当だから申し開きができないや。マリエッタは僕を見た時よく引かなかったね。見るからにおかしいと思わなかった?」
「まさか! こんなきれいな人が実際にいたんだとしか思わなかった……。格好とか関係ない。あなたはあなただもの」
真剣な顔で話すマリエッタに、サーシャは驚きを隠せなかった。このように言われたのは初めてだったらしい。
「君変わってるね……。男の格好をする女なんて普通いないじゃないか?」
「だって、その格好が好きだからしただけでしょう? それくらいどうってことないと思う。なにがいけないの?」
サーシャは目を丸くしていたが、急に力が抜けたようにふふっと笑った。力の抜けた飾らない笑みだ。
「ありがとう……。君に会えてよかったよ。こんな人に出会えるなんて思ってもみなかった」
そう言うと、紫色の瞳でまっすぐマリエッタを見つめた。そんなに真剣に見られたら胸が苦しくなって死んでしまう。マリエッタはそんなことを思った。
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