第18話 聖女の力
時間の経過と共にサーシャの身辺はだんだん落ち着いてきた。流産のショックも、アドルファスがそばに着いてくれたおかげで少しずつ癒され、普段通りの生活を取り戻しつつある。そんなある日、いつものように家に届くたくさんの招待状を分けていた時のこと、一通の書面が目に入った。
「アドルファス、これ」
この日は休日で、アドルファスも自分の書斎で事務仕事をしていた。サーシャは一通の招待状を夫のところに持って行く。
「いいじゃないか。お披露目する舞台として申し分ないし、時期もちょうどいい。これにしよう」
「本当にやるの?」
サーシャは少し不安げにアドルファスの目を覗き込む。そんな妻を、アドルファスは愛おしそうに後ろから抱き抱え、座っている自分の膝の上に乗せて言った。
「君も賛成しただろう? 新生サーシャ・ヘンダーソンのお披露目だ。せっかくの晴れ舞台だから美しく飾り立てよう」
そう言って彼女の頬に軽くキスをしたのだった。
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公爵未亡人から手紙が届いたのは、それから一週間近く経ったころだった。アドルファスは、サーシャにも手紙の内容を教えてくれた。
「夫婦の間で隠し事をしないとは言ったけど、仕事の手紙まで見せてくれなくていいのよ。こないだみたいに機密事項だってあるでしょ?」
「これは仕事の手紙じゃないから大丈夫。それに、ぜひとも知恵を拝借したい案件なんだ」
アドルファスに言われて手紙を覗き込むと、先日会ったリデル王女について書かれている。最後まで読んだサーシャは、意外そうな声を上げた。
「王女殿下が祖国に戻りたがらず困っているということ?」
「ああ、祖国の内紛に巻き込まれた時、嫌な思い出がしみついてしまって、帰国が決定してから悪夢にうなされたり、寝つきが悪くなったりしてるらしい。このままでは帰すに帰せず困っていると」
「それは確かに困ったわね。でも私が役に立てることなんてある?」
「君、聖女の友達がいただろう? こないだ久しぶりに会った」
マリエッタのことだ。彼の言わんとしていることを察して、サーシャもあっと声をあげた。
「確かにマリエッタなら適任かも。彼女ならリデル王女に寄り添った丁寧な対応をしてくれそう」
これならサーシャも異論ない。本人は謙遜するだろうが、マリエッタの聖女としての手腕は王侯貴族相手にも通用する気がする。確かに魔力は強くないが、今回のようなケースにはうってつけだろう。人の心の懐に入るのが上手なマリエッタ向きの内容と言えた。
それに、またマリエッタに会いに行ける口実ができて嬉しいというのもある。サーシャは手紙で済むものを、わざわざ足を運んで直接伝えに行った。マリエッタは、元気を取り戻したサーシャを見て、自分のことのように喜んでくれたが、依頼の内容を聞いて、驚きのあまり文字通り椅子からひっくり返ってしまった。
「一体どういうこと!? 私が外国の王女様を……? そんな大役無理よ! 私よりもっと優秀な聖女ならたくさんいるわ!」
「決してえこ贔屓で推薦してるのではないの。夫が勝手にあなたの店の状況を調べたんだけど、開店して間もないのに上々な滑り出しで、腕が認められている証拠だと分析していたわ。差し出がましいことをしてごめんなさい」
「相場に比べて施術料を抑えているからよ! 安いから来てるだけで、決して私の腕が認められたわけではない……と思う」
自信なさげに床に目を落とすマリエッタに、仕事の後片付けをしていた夫のキリアンが一瞬手を止めて声をかけた。
「せっかくのチャンスだしお受けしてみなよ。思ったより魔力を消費しそうな話なら後で断ればいいし」
「キリアン、あなたまで……! 分かった。じゃあ条件として、サーシャたちも一緒に来てね。一人じゃ不安だから」
「もちろん、私たち夫婦も同席するわ。引き受けてくれてありがとう!」
「あと、キリアンも一緒よ。あなたが背中を押したんですからね」
「ええ! 僕もなの?」
こうして、数日後、マリエッタ夫妻、サーシャ夫妻揃って公爵未亡人の邸宅に足を運んだ。総勢4人を出迎えた未亡人は、少し驚いた反応を示した。
「ちょっと大袈裟になってしまい申し訳ない。大の大人が4人揃うと威圧感が出てしまうかな?」
「いいえ、マリエッタさんは初対面になりますし、アドルファスとサーシャ殿も入ってくれた方が、王女殿下も安心すると思います」
「じゃあ、僕は別室で待っ……」
「ダメよ、キリアンも一緒。約束したでしょ」
マリエッタは、逃げられないように、ガシッとキリアンの腕をつかんだ。結局全員でリデル王女の元へ向かう。
「リデル王女殿下。はじめまして。聖女のマリエッタと申します」
部屋に通されたマリエッタはかしこまって挨拶をした。何せ、自国の王族にも会ったことないのに、一足とびで外国の王族に面会するなんて、つい最近まで想像もできなかった。緊張するなという方が無理である。
リデル王女は、利発そうな少女だが、先日見た時より少し元気がないように見えた。やはり、故郷へ帰国しなければならないことに悩んでいる様子だ。
マリエッタは、初対面にも関わらず言葉巧みに誘導して、リデル王女から必要な情報を聞き取った。隣に座り目線を合わせて、威圧感や警戒心を生じさせないようにさりげなく配慮をする。
そんなマリエッタを見て、サーシャは人選が正しかったと確信した。王侯貴族相手の位の高い聖女の中には、自身の能力を鼻にかけて尊大な振る舞いをする者もいる。それならマリエッタの方が信頼を寄せられるという判断は正しかったのだ。
マリエッタは、リデル王女の話を否定することなく辛抱強く聞いた。その上で、王女自身いつまでもこの国にいるわけにはいかないことは自覚しているというのも確認した。その上で、マリエッタはある提案をした。
「ここにヘンダーソンさんもいらっしゃるので確認したいのですが、王女を早く帰国させる必要はありますか? できればゆっくり時間をかけて行いたいのですが?」
「もちろん、こちらとしては急かす理由はない。焦ってこじれることもあるだろうから、じっくり取り組んでくれて構わない」
アドルファスから言質を取り付けたマリエッタは、にっこり笑って王女に向き直った。
「とのことですので、リデル様、まずは今一番困ってることから治していきましょう。夜眠れないのは気になりますよね? それを改善するだけでも気持ちが明るくなるのでは。私が睡眠に効くハーブティーを調合しますので、寝る前にそれを飲んでください」
「あの、ちょっといいですか?」
それまで黙って聞いていた未亡人が口を開いた。
「実は、リデル殿下は寝る前に本を読んでとせがむんです。何でも、小さい頃に乳母が読み聞かせをしてくれたみたいで。今のところ、できる限り私がやっているんですが、どうもしっくり来ないというか、子供向けの本もあらかた読んでしまって……」
「それならここに適任者がいるわ、キリアン!」
「ひいっ! いきなり呼ばれてびっくりするじゃないか!」
すっかり蚊帳の外だと安心して窓に目を向けていたキリアンは、びっくりして背筋を伸ばした。
「彼は作家なんです。最近活動してないけど、リデル殿下のために素敵なお話が書けます。ねえ、いいでしょ?」
目を輝かせて話すマリエッタに、キリアンはたじたじしながら反論する。
「ちょっと待ってよ! 僕が書いてきたのは大人向けだし、それに最近は書いてないし……。何より、僕が書いたものなんてつまらないよ……」
キリアンはガックリと肩を落としたが、マリエッタは構わず説得を続けた。
「そんなことないわよ! 私あなたの作品読んだことあるけど十分面白かったわ。それに、リデル殿下のためだけに書くお話なんて素敵じゃない! 私ならそれだけで喜んじゃうな!」
「マリエッタ殿のご主人は作家だったのか。それは興味あるな。私にも読ませて欲しいのだが?」
「ちょっと! ヘンダーソンさんまで!」
「私も! 本は好きだから、マリエッタからご主人が作家だと聞いてずっと興味あったの」
「サーシャならそう言うと思ったわ!」
「もう! 勘弁してよ!」
途方に暮れるキリアンを中心にみんながわいわいする様子を見て、リデル王女がこらえきれずにクスクスと笑い出した。
「私たちだけで盛り上がっちゃったけど、リデル様にちゃんと確認しなければ。殿下、いかがなさいますか?」
「ぜひお願い。楽しみにしてるわ」
リデル王女の返事を聞いて、キリアンが青い顔になった以外はみな喜んだ。こうして、マリエッタが睡眠に効くハーブティーを処方すると同時に、キリアンが寝しなに読み聞かせするお話を考えることになった。
「何と、初回に訪問した直後からぐんとよくなったらしいよ」
「きっとこわばっていた心がほぐれたのよ。マリエッタのお陰だわ。彼女は天性の明るさを持っているの」
アドルファスは、その後の経過をサーシャに報告した。店が休みの日に、マリエッタはリデル王女のところに度々訪問して、二人はすっかり仲良しになったと言う。マリエッタが生来持っている光に救われたのは、サーシャも同じだ。聖なる泉で初めて会った時から彼女と仲良くなりたいと思った。それは、暗い道を照らす一筋の光だった。
「本当に仲がいいんだね。私と出会う前からの親友だものね」
「そういえば、随分前にマリエッタに会っていたのね? こないだ彼女から教えてもらったわ。初めて見たあなたは妖精王みたいだったって言ってた」
「ええ? 何だって!? そんなの初めて言われた!」
妖精王とは、アドルファスも予想してなかったようで目を丸くしていた。それがまた面白くて、サーシャは朗らかに笑った。
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