表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/20

第17話 人を愛する能力

 毛布らしきものにくるまれ、ガタンゴトンと馬車に揺られている。布越しに感じる人の温もりが温かい。どうやら誰かの懐の中に体が収まっているらしい。こんなことをする間柄は夫しかいないが、今は遠い外国にいるはずである。サーシャはまどろみながら、これは夢かしらなどと考えていた。


 やがて揺れが止まり、遠くで馬のいななく声が聞こえたような気がする。しばらくして毛布ごと抱き抱えられ移動しているのが分かった。この頃になるとだんだん覚醒してきてうっすらと目を開ける。あれ? 家だ。マリエッタのところに行ったはずなのにどうして戻って来ているのだろう? ぼんやりした頭をなんとか働かせて考える。そして、自分を大事そうに抱き抱えている人の顔を見た。


「アドルファス……、どうして……」


「知らせを聞いて戻ってきた。君がなかなか帰ってこないから迎えに行ったんだ。どうしても待ちきれなくて」


 別に予定を大幅に超えて長居したつもりはないが、少しの間も待てなかったということだろうか。滅多なことで慌てない夫の意外な行動に、サーシャは驚きを隠せなかった。


「そんな……。別に心配するようなことはないのに」


「あとでゆっくり話そう。今日はゆっくりお休み。夜もずっとそばにいるから」


 気づくと、いつの間にか二人の寝室に着いていた。アドルファスは、宝物を扱うかのように丁寧にベッドの上にサーシャを下ろす。でもサーシャは、すぐにでもアドルファスと話をしたかった。自分の体調を気遣ってくれるのだろうが、それより彼としっかり向き合いたい。サーシャは、ベッドの上に腰掛けて夫に話しかけた。


「私なら大丈夫。それよりあなたと話をしたいの。今までずっと逃げてばかりいたから」


「ずっと家に戻れずすまなかった。逃げていたわけじゃないんだ」


「いいえ、逃げていたのは私。真実を知るのが怖かったの。あなたが別の人を愛していると聞いて、怖くて何も聞けなかった」


 アドルファスは驚いて目を見開いた。いつも冷静な彼がこんな表情をするのは珍しい。


「どうしてそんなことを? 私には君しかいないよ、昔も今も?」


「そんな気がしたの。しばらく家に帰って来ない日が続いたし、その……あなたが公爵未亡人の家に出入りしていると聞いて」


 アドルファスは呆気にとられたまま、しばらくそのまま固まっていたが、やがてぷっと吹き出す。それを見たサーシャはきょとんとした。


「なるほど、そういうことか。それなら今度会ってみるかい、本人に? 直接会えば疑いが晴れるだろう?」


「えっ、会って大丈夫なの……」


「もちろん。その家に出入りしていたのは本当だが、君が考えるような理由じゃない。外交絡みの仕事を抱えると、家族にすら秘密にしないといけない事柄が増えるんだ。国内に潜んでいるスパイが家族に接触して情報を抜き取る恐れがあるからね。公爵の未亡人の家を使っていたのもその関係だ。そうか、男女の仲だと噂されていたのか。それなら本当の理由は悟られずに済んだのかな。いや、君には申し訳ないことをした」


 アドルファスは途中まで笑みを浮かべていたが、表情を改めてサーシャに向き直った。もしかして勘違い……? サーシャは、急に恥ずかしくなり思わず布団を被る。


「いえ……私こそなんだか勘違いしてみたい……」


「そう思うのも無理はない。しばらくじっくり顔を合わせる時間が取れなかったね。おまけに1ヶ月も国を離れていた。その間に一人ぼっちで辛い思いをさせてしまった」


「そうじゃないの……。私、妊娠した時にこれはチャンスだと思ったの。子供ができれば、離れかけたあなたの心が戻ると思って。こんな打算的な母親の子供にはなりたくないって赤ちゃんが逃げたんだと思う」


 自嘲気味に話すサーシャを、アドルファスは、口を塞ぐ代わりに胸に押しつけるように抱きしめた。


「バカなことを言うもんじゃない。でもそんな気持ちにさせたのも私の責任だ。もうそばを離れないよ。仕事の方は九分九厘終わっているし、後処理は他の者に任せた。もう君専属だ」


「それは嬉しいけど、私のせいで仕事をないがしろにしてほしくない。あなたの足を引っ張りたくない。今回うまくいかなかったのは、一人で気持ちを抱え込んで相談しなかったのが原因だから」


「分かってる。でも本当に無理してないから大丈夫だよ。いいから今はおやすみ。ずっと着いているから大丈夫」


 彼の言葉がこんなに心に染みるなんて、今まで考えたこともなかった。いつも皮肉を混ぜながら気取った態度をとっていた彼が、こんなに素直になるなんて今までなかったことだ。そこまで彼を心配させてしまったということだろう。サーシャは、ほっと一安心すると、再び眠気が襲ってきた。


「よかった……、私、人を愛することができたんだわ」


 薄れゆく意識の中そう呟くと、アドルファスがうん? と聞き返した。


「私は最初から君を愛していたよ?」


「私もあなたのことを前から愛していたみたい。やっと実感が湧いてきた……」


 そしていつの間にか、静かに寝息を立てていた。


**********


 数日後、二人は一緒に公爵未亡人の邸宅に来ていた。公爵家と言えば、王家とも縁の深い家系であり、サーシャでも少し緊張する。こんなお城のような家にアドルファスは何のために通っていたのだろう。彼に手を引かれて、おずおずと家の中に足を踏み入れる。


 公爵未亡人は40代というが、年齢よりも若く見えるきれいな人だった。しかし、サーシャが注意を引かれたのは未亡人ではなく、彼女が連れてきた10歳くらいの少女の方だった。普通の子供用のドレスを着ているが、肌の色と顔つきがこの国のものではない。明らかに外国の血を引いている。


「リデル姫だ。こないだまで私が出張していた国の王女だ。ここに通い詰めた本当の理由だよ」


「なぜ隣国の姫君が公爵家に? 私が会ってもいい方なの?」


「今はね。ついこないだまでは機密扱いになっていたが、無事事態が収束して問題なくなった。もうすぐ祖国へ戻られる」


 サーシャは、目を丸くして目の前の王女を見つめた。何でも、隣国が政情不安に陥り、王女の身が危険にさらされたためここに避難したらしい。それが一件落着したということは、アドルファスの任務も終わったと考えてよいのだろう。そんなことになっていたとはつゆ知らずだった。


「最近は社交界もご無沙汰だから、まさかそんな噂が立っているとは知らなかったわ。こんな若くてハンサムな男性と噂になるなんて悪い気はしないけど、奥様には辛い思いをさせてしまったわね。心配かけてごめんなさい」


「いいえ、滅相もございません。私の思い込みだったようでお恥ずかしい限りです……」


 サーシャが恥ずかしそうに身を縮めると、公爵未亡人は、コロコロと無邪気に笑った。裏表のない鷹揚な人のらしい。リデル姫とも少し会話をしたが、アドルファスの説明と矛盾するところはなかった。ここまで来れば、彼の言っていることが本当だと確信できるようになった。二人は丁重に礼を言って、また帰りの馬車に乗り込んだ。


「そうだ。この際だから私たちの仲睦まじさをみんなに知らしめてやろうか?」


 揺れる馬車の中で、アドルファスは悪戯ぽく目を輝かせながら、こんなことを言い出した。


「え? 何言い出すの?」


「だって、君にあることないこと吹き込む輩がいっぱいいたんだろう? それって私たちが仲違いしたら面白いと思う愉快犯も含まれていると思うんだよ。そんな不穏な噂を一掃してやろうと思ってさ」


 そして、馬車の中だから誰にも聞かれる心配がないのに、アドルファスはサーシャの耳元に顔を近づけて何やら囁いた。


「ね、面白そうじゃない? 君だって久しぶりだろう?」


「確かに久しぶりだけど……。却ってまた変なことを言われやしないかしら?」


「みんなに嫌われたくないと言うならそれでもいいけど、でも私は最初君に会った時、天をも恐れぬ反骨心が気に入ったんだけどな?」


「それ婚約披露パーティーの時も言ってた気がするけど、本当なの? 私を自分好みに矯正したかっただけなんじゃないの?」


「生憎他人を自分の思い通りに操作する趣味は私にはない。確かに、道理を通すなら一旦型を覚えた方がいいとは言ったけど、一通りの型は身につけたからそろそろハメを外してもいいんじゃない? もう『型なし』じゃない、これは『型破り』だ」


 アドルファスにじっと見つめられ、サーシャはごくりと唾を飲んだ。今が、今がその時なのだろうか。


「分かったわ。やってやろうじゃないの」


 サーシャの答えを聞いたアドルファスはにやっと笑った。それは共犯者の笑みだった。


最後までお読みいただきありがとうございます。

「この先どうなるの?」「面白かった!」「続きが読みたい!」という場合は、☆の評価、ブクマ、いいねをしてくださると幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ