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第16話 やっと会えた

 マリエッタの手紙に書いてあった住所は、王都の中でも中産階級が多く住むエリアだった。彼女の嫁ぎ先ならもっといい場所に住めるはずなのに。確かに治安は悪くないが、どうしてここを選んだのだろう。もしかしたら、客のターゲット層がこの辺りなのかもしれないとサーシャは考えながら歩いていた。


 いても立ってもいられず家を飛び出したが、しばらく伏せっていたので、久しぶりに外を歩いただけで疲れてしまう。でも、久しぶりの一人の外出はとても清々しい。侍女もつけずに自由に街を歩ける楽しさをやっと思い出した。


 マリエッタの店は、大通りから一本入った道沿いにあった。元は住宅だったところを、一階だけ店に改装してあり看板も真新しい。ドアの前に立ち、深呼吸をしてたかぶる気持ちを鎮める。実際に会うのは何年ぶりだろう。前の時は引き裂かれるような別れだったので平静な気持ちではいられない。相手の家族もいることだし、落ち着いた対応をしなければと自分を戒める。


 そうしているうちに、店の中で先に気配を察知したらしく、突然ドアが開きマリエッタが姿を現した。しばらく見ないうちに落ち着いた雰囲気の女性になっている。でも、優しげな目元やくるくる変わる表情はそのままだ。あんなに冷静にと思っていたのに、気づくと彼女の首に飛びついていた。


**********


「サーシャ!? サーシャなのね! わざわざ来てくれたの?」


 マリエッタは驚きのあまり声がうわずっていた。颯爽とした男装令嬢は、見違えるような美しい貴婦人へと変貌していた。それでもサーシャはサーシャだ。見間違えるはずがない。言葉にならない思いが込み上げたが、それは相手も同様のようだ。しばらく二人は、その場で固く抱き合った。やがて、マリエッタは涙に濡れた顔を上げ、サーシャを店の中に招き入れた。サーシャは物珍しそうにキョロキョロしながら、おずおずと足を踏み入れる。


「連絡もせずにごめんなさい。今までたくさんチャンスがあったのに。手紙を読んだら急に会いたくなって」、


「私の方こそ、忙しさにかまけて会いに行けなかった。あなたから来てくれるなんて、こんな嬉しいことはないわ」


 キリアンが気を利かせて、二人の元にお茶とお菓子を持ってきてくれる。マリエッタは、夫が引っ込む前に一度呼び止め、サーシャに彼を紹介した。


「夫のキリアンよ。こちら親友のサーシャ。今はヘンダーソン伯爵夫人なの。すっかり雲の上の人になっちゃった。元々そうだったけどね」


「やめてよ。立場は変わっても私たち……あなたの前で『私』なんて変な感じがするわね。あんなになりたくなかったものに今の自分がなっている。この姿を見て失望した?」


「失望? なぜ? とっても綺麗じゃない!」


「だって、あの頃の私は成熟した女性になるのを拒否していた。亡くなった母が夫の愛が得られないのを嘆いて壊れてしまったから、自分はそうはなりたくなかった。でも今の私は母そっくり。本当に嫌んなっちゃう」


 やつれた顔で自嘲するサーシャをマリエッタはじっと見つめた。きっと、大きな悩みを抱えてここに来たのだろう。マリエッタに何かを相談したくて。


「サーシャ。話したいことがあって来たんでしょう? 何があったの?」


 サーシャは、ぽつぽつと自分の身の上にあったことを説明した。夫アドルファスのこと。妊娠したが流産したこと。一番会いたい時に夫がいないこと。話すうちに涙がポロポロとあふれ、ぬぐってもぬぐっても次々に出てくる。もう涙は枯れ果てたと思ったのに止まるところを知らない。


「何一つ証拠がないのに、彼を信じきれない自分が一番嫌い! 今でも嫉妬でどうにかなりそうなの! でも妊娠すれば彼の心を繋ぎ止められると思った。そんなひどいことを考えたからバチが当たったんだわ」


「そんなわけないよ! 気持ちだけで現実が変えられるはずないじゃない! 嫉妬は醜いと言ってるけど、それだって愛情の形だよ? 別に恥ずかしくない。妻なら当たり前の感情よ!」


「そうなの……? 私本当に夫を愛しているのかな? だって、愛ってもっと崇高なものでしょう? あなたと一緒にいる時はきれいな心だったのに、今は醜いドロドロした感情ばかりが出てくるの。これが愛のはずないじゃない」


「それも愛なんだよ。愛って色んな形をとるものなんだよ。どんないい人でも醜い感情は持っている。それは思いが強い証拠でもあるんだよ」


 サーシャは涙に濡れた顔をあげ、まぶしそうに友を見た。しばらく会わないうちに、マリエッタは頼もしくたくましく成長していた。二人の空白の時間に何を学んだのだろう。


「それに、ご主人に会えないから疑心暗鬼になっているだけかもしれないよ。一度落ち着いて話をするべきだと思う。周りの噂なんて当てにならないし。ああいうのは面白半分がほとんどだと思う」


 確かにマリエッタの言う通りだ。結局夫と直接話し合うしかないのだ。真実を知るのが怖くて、今まで彼から逃げていたことにサーシャは気づいた。ここに来て、やっと胸につかえていた物の正体が分かった気がする。


「ありがとう、マリエッタ。ここに来てよかった。あなたの顔を見たら安心した」


 そう言ってふっと微笑む。一体何日ぶりに笑っただろう。しばらく使ってない顔の筋肉がこわばっているのが分かる。まことに自分勝手ではあるが、安心したら眠くなってきた。マリエッタが長椅子に横になるように言ってくれたので、お言葉に甘えてサーシャは横たわり、気付くと寝息を立てていた。


(今まで相当我慢したんだろうな……。かわいそうに。こんなことになるのなら、ずっとそばについてあげたかった)


 マリエッタは、サーシャの安らかな寝顔を見ながらそんなことを考えていた。実のところは、つい最近まで自分も嵐の真っ只中にいて他人を気遣う余裕もなかったが。でも、サーシャのことになると話は別だ。彼女の苦境を知っていれば何より優先して飛んで行ったのに。


「お友達寝ちゃったね。マリエッタに会えて安心したんだね、きっと」


 いつの間にかキリアンが二階から降りてきていた。マリエッタもほっとして彼に微笑む。


「サーシャはね、私が一番大変だった時に生きる希望をくれた友達なの。初めて会った時は白馬に乗った王子様かと思った。今はきれいで女性らしいけど、昔は本当にかっこよかったのよ。結婚なんてせずに彼女と暮らせたらなあなんて考えたこともあったくらい」


「前に言ってた友達って彼女のこと? ほら、結婚前のデートで甘いもの食べに行ったじゃない」


「よく覚えているわね、その通りよ」


「あの時、友達は大事にしてって言ったの覚えてる? 僕は友人を失ってしまったから、君の話を聞いて羨ましいと思ったんだ」


 マリエッタは懐かしくなって、当時の記憶を思い出す。キリアンと一緒に王都を歩いた時に寄ったお菓子屋さん。まだあの店は残っているだろうか。


「今度のお店の休みの日に、昔行ったお店が残っているか確かめてみない?」


「いいね。行ってみよう」


 二人がそんな会話をしていると、入り口のドアの方が再び騒がしくなった。なんだろう? と思い、そっとドアを開ける。目の前に、長身の容姿端麗な男性が立っていた。つややかな銀髪と見覚えある顔にマリエッタははっとする。サーシャと別れた直後に会った妖精王みたいな人だ。


「突然すまない。妻は、サーシャはここにいるか?」


 切羽詰まった表情と声でアドルファスは言った。長旅の時に着るインバネスコート姿を見ると、旅先から慌てて駆けつけたのだろうか。分からないことだらけだが、マリエッタは彼を中に通した。


「サーシャ! こんなにやつれて……。すまなかった」


 アドルファスはそれだけ言うと、サーシャの寝ているソファにひざまずき、彼女の顔をじっと見つめた。


「流産したと聞いて慌てて戻ってきた。一番心細い時にそばにいてやれなくてすまなかった。辛かっただろう?」


 サーシャの意識がないにもかかわらず、細長い指で彼女の髪を梳きながら、半ば自分に言い聞かせるように呟く。そして、やっとマリエッタとキリアンがいることに気がついて、微かに頬を赤らめた。


「す、すいません。突然押しかけてしまって。どうか無礼をお許しください」


 我に返ったアドルファスは立ち上がると、二人に向き合い自己紹介した。爵位持ちの貴族なんてもっと尊大に振る舞っても不思議ではないのに、彼は、見た目に似合わず低姿勢で謙虚な態度を崩さなかった。


「無礼だなんてそんな。むしろ安心しました。サーシャはあなたのこととても愛しています。後はお二人でよく話し合ってください」


 その時、マリエッタの顔を見たアドルファスが、何かを思い出したように尋ねた。


「もしかして前に会ったことがありますか?」


「ええ、一度だけ。あなたは私の手紙を彼女に届けてくれました。あの時の御恩は忘れません」


 マリエッタが柔らかな笑みをたたえて言うと、アドルファスも当時の記憶がよみがえったらしく口元を緩ませた。そしてサーシャを壊れ物のようにそっと抱き抱え、丁重な礼を言って去って行った。


最後までお読みいただきありがとうございます。

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