第15話 どん底からの再起
マリエッタは、忙しさで文字通り目が回りそうになっていた。頑固に抵抗するゾフィーをなだめ、家と土地を売却するのに面倒な手続きを行い、商売をするために人口が多い王都に引っ越し(ここでもゾフィーに猛反対された)、転居先で自分の店を開く準備をしている。伝統と格式あるゴートン家の農場と邸宅は高く売ることができた。従業員たちへ支払いしてもかなりの額が残ったが、それを元手に新しい商売を始めることにしたのだ。
とは言え、キリアンの小説では食べていくことができない。唯一お金に変えられそうなのは、マリエッタの聖女としての技能だった。能力そのものは大したものではないが、魔力の要らない分野なら貢献することができる。前に先輩のケイトが「聖女は魔力が全てではない」と言ったことが心の支えだ。
王都の郊外に、程よい広さの二階建ての家を見つけた。二階が住居部分で一階は仕事場に改造する。事業に必要な道具や設備は、売却したお金から捻出した。
やはり、姑のゾフィーがあれこれ言ってきたが、マリエッタが大黒柱になったので発言力は弱くなった。ゾフィーの体調は相変わらず優れず、一日の半分以上をベッドで過ごし、たまに起きたかと思うとマリエッタに小言と嫌味を言う、そんな日課だった。
そんな中、キリアンはと言うと、まるで自分の存在そのものが罪だとでも言わんばかりに存在感を消していた。火事になる前に横領事件が起きてなければ、最悪の事態にはならなかっただろうとさいなまれているらしい。そこまで自分を責めなくてもいいのに。マリエッタは何度も彼に言おうとしたが、傍目にも分かるくらい打ちひしがれる背中を見たら、かける言葉が見つからなかった。
聖女マリエッタの医院は、それから間もなく開院した。しかし、十分予想できたことだが、ぽっと出のよそ者が開院したところで周囲の住民の信頼度はゼロだ。巷にはニセ医療で荒稼ぎする悪徳業者もはびこっているため、すぐに信用してもらうのは至難の業だった。
(まあ、元々名の知れた聖女でもないし。私が医院を開いたところでこんなものか)
元々自己評価が高くないので、現実に抗う気力もなくすんなり受け入れてしまう。そんな矢先、二階からゾフィーが降りてきて、閑古鳥の鳴く院内を見回した。
「あんなに張り切って準備したくせに客の一人も来ないわね。あなたごときを頼ってくる人間なんていないと分かっていたけど、ここまで求められていないとは。聖女の修行を4年間もやったらしいけど、一体何を覚えてきたの?」
ゾフィーは嫌味たっぷりに言ったが、本当にその通りなのでぐうの音も出ない。マリエッタが黙ってうつむいていると、そこにキリアンが現れた。
「母さん、またマリエッタになにか言ってるの?」
「本当のことを言ったまでよ。こんな無名の聖女じゃ客なんて来ないって」
キリアンは、自分が言われたかのように絶句して立ち尽くしていた、そして、思い詰めたような表情のまま外に飛び出して行った。
「キリアン! いきなりどうしたの?」
マリエッタが止める声も届かず、キリアンの姿はあっという間に見えなくなった。一体どうしたんだろう? 思い詰めて変なことしなけりゃいいけど……。その場でおろおろと心配しながら待っていたが、キリアンはしばらく戻ってこなかった。このままでは埒があかない、探しに行こうと決意した時、知らない人を伴って夫が帰ってきた。
「キリアン! どこ行ってたの? その人は誰?」
「遅くなってごめん。客を探しに行ってた」
「お客さん!?」
キリアンの横には初老の女性が立っていた。身なりを見るとあまり裕福そうではない。マリエッタは女性をじっと見た。
「ここで待っていても誰もこないから、こっちから探しに行ったんだ。なんでもいいから具合悪いところを教えてくれって。そしたらこの人が最近寝つきが悪いと言ってきて。確か、寝つきを良くするハーブティー作れたよね? ただちょっと問題があって……」
キリアンは少し声を落とした。
「この人お金を持ってないんだって。だから利用したくてもできないって。そこで提案なんだけど、初回限り無料で提供するのはダメかな? 宣伝してもらうのと引き換えに。そうすれば、宣伝費をかけなくてもここを知ってもらういい機会になるんじゃないかと――」
マリエッタは呆気に取られて言葉が出てこなかった。キリアンがそんなことを考えていたなんて。彼女のやることに文句や余計な口出しはしてこなかったものの、関心も薄いのだろうと単純に考えていた。
「相談しないで勝手に決めてきちゃってごめんなさい。まず許可を取るのが先だよね。また同じ失敗を繰り返してしまった……」
「いいわ、やってみましょう。それいいかもしれない」
キリアンはえっと言ってマリエッタの顔を見つめた。
「確かにこのまま何もしなかったら事態は変わらないもの。私のために動いてくれてありがとう。でも、今度からは事前に相談してね、突然飛び出していったからどうしたのかと不安になっちゃった」
ここまで言うと、今度は女性に向き直り、口調もがらっと変えてこう言った。
「さて、あなたが第一号のお客様です。開店記念として、初回のみ無料で施術します。その代わり、気に入ったらうちの店を宣伝してください!」
話を聞いたところ、女性自身は労働者階級だが、彼女の仕えている家がそこそこ裕福な家らしい。これならお金を落としてくれる上客に売り込めるかもしれない。マリエッタはそう考えた。
「今からお話をうかがい、不眠の種類ごとに適したハーブティーを調合します。一口に不眠と言っても色んなタイプがあるんですよ」
そう言ってマリエッタは、女性に椅子を勧めた。ケイトが以前言っていた「聖女は魔力だけが物を言うわけではない」というのはここでも関係してくる。人の話をじっくり聞いて、本当の問題点を洗い出すのもスキルの一つなのだ。マリエッタはその点に注意して、時間をかけて話を聞いた。
そして、調合室に行ってその人に合ったハーブティーを調合する。初回サービスとして数回分渡してやると、相手はとても喜んでお礼を言って帰っていった。
儲けはゼロだが、それでもお客さん第一号だ。一仕事終えた気分になり、ふーっと一息つく。そこへ、キリアンがこんなことを言ってきた。
「さっきの様子を見てたけど僕にも手伝えそうなことないかな? 客引きをするとか、単に話を聞くとか、薬の調合もやり方を教えてくれればできそうなんだけど……」
確かに、もし仕事が軌道に乗ってくれば人手が足りなくなるだろう。魔力が必要ないところで他人に手伝ってもらうのもありかもしれない。そしてなにより、これまでずっと塞ぎ込んでいたキリアンが自ら提案してくれたことが嬉しかった。
マリエッタから許可を取り付けたキリアンは、それから積極的に外に出て街の人々に声をかけて回った。柔和で穏やかな彼は人好きのするタイプらしい。その場で話が弾んでそのまま店に連れてくる場合が増えてきた。マリエッタが対応する頃には、既に場が温まっているので話もスムーズに通る。結果、サービスも満足度が高いものとなる。
こうして、マリエッタの店は少しずつ客が入るようになった。初回のサービス目当てではなく、継続して施術を受けたいという客が増えてきたのだ。元々地元住民に手が届きやすい価格帯を設定しているのが追い風になったし、噂を聞きつけて支配階級の貴族も訪ねることがあった。こうして数ヶ月かけて新しい商売は軌道に乗っていった。
そんなある日、一日の営業が終わり店じまいをしているところにキリアンがやって来た。彼は、今ではマリエッタの仕事の補助に入り、一緒になって精力的に働いてくれている。前の家に住んでいたころよりも生き生きして見える。
「マリエッタ、仕事もひと段落したし、ちょっといいかな?」
二人は客と話をする時に使う、座り心地のいいソファに腰を下ろした。キリアンが二人分のお茶を用意してから口を開く。
「君には世話になりっぱなしで……、何とお礼を言ったらよいか分からない。僕一人だったら完全に潰れてた。命の恩人と言っても過言じゃない」
面と向かって言われるとこそばゆい。マリエッタは、顔を赤くしてもじもじと体を動かした。キリアンの気持ちは普段一緒に暮らしていれば自然に分かるから、改めて言わなくてもいいのに。
「今だから言うけど、ずっと自分なんかいなくなればいいと思ってたんだ。具体的な方法も色々考えてた。でも、本当にやったらマリエッタを悲しませると思って最後の最後で思いとどまった。変な気を起こさなくてよかったとやっと思える」
さらっと深刻なことを言うキリアンを、マリエッタはまじまじと見つめた。まさか、そこまで思い詰めていたなんて。みるみるうちに涙が込み上げあふれだす。
「そんな……。まさかそこまでだったとは思わなかった。ごめんなさい。あなたのこと考えてあげられなくて。私もずっと申し訳ない気持ちだった。あなたには向いてないのを知りながら、無理やり家の仕事をさせた張本人だもの」
「謝るのは僕の方だよ。何もかも君に頼ってしまって、役立たずの僕に不平一つ言わず着いてきてくれて。母さんにどれだけ言われようが我慢してくれて」
「別に我慢はしてないわ。お義母さんに対しては私も言いたい放題だし。お陰でストレスはたまってないわ」
冗談めかしてマリエッタは言ったが、キリアンは笑わなかった。
「ずっとマリエッタに甘えてばかりだった。今でもそうだ。そんな自分が嫌で嫌で仕方なかったけど、こんな僕でも少しでも役に立てることがあるなら、どうか、そばにいてほしい……」
「何言ってるの? 私はあなたの妻でしょ? 今までも、これからも」
そう言うと、キリアンの体に腕を回しぎゅっと抱きしめた。キリアンも固く抱きしめ返す。お互いの体温が伝わり、温もりと優しさに包まれる。苦労もたくさんしたが、キリアンを選んだことを後悔したことはない。これからもずっとこの人がいい。心の底からそう思う。
「あれ? 今、ドアの方から音がしなかった?」
ふと、キリアンが体を離し、注意をドアの方に向けた。マリエッタもつられて、同じ方向を見やる。閉店の看板は出してあるはずなのに、また客が来たのだろうか? 不思議に思いながらドアを開けるとそこには、身なりのいい一人の貴婦人が立っていた。
「もしかして、サーシャ!? サーシャなのね!」
真っ白な顔をしたサーシャは黙って首を縦に振った。そして何も言わずマリエッタの首に抱きついた。
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