第13話 努力の成れの果て
キリアンから言質をとったマリエッタは、夫に仕事を教える係をゾフィーにお願いすることにした。
「彼もやる気でいますので、お義母さんお願いしますね」
「何あなた偉そうに私に指図してるのよ! 息子に任せて自分はサボろうという魂胆じゃないでしょうね!」
「彼がやるなら私も仕事をします。でもまずは、家長にお手本を示してもらいたいんです。いいでしょう?」
マリエッタにすごまれ、キリアンもこくこくと頷くしかない。結局、ゾフィーの下でキリアンとマリエッタは一緒に仕事を覚えることになった。使用人も多く抱えているため、全て一人でやる必要はないのだが、指示をするにも全体を把握する必要が出てくる。こうして、二人は毎日くたくたになるまで働いた。
まさか、大聖堂で下働きとしてこき使われた時の経験がここで役立つなんて。聖女の修行をしていたころは、最初の数年は雑用係として身を粉にして働いていた。姑のゾフィーはかなり厳しい人だが、マリエッタの辛抱強さには一定の評価をしているようだ。口が減らない生意気な嫁、とは思っているようだが、実際の働きぶりには不満がないらしい。
問題はキリアンだ。今まで働いたことがなく、母親にきつい仕事を押し付けて小説ばかり書いていたというのは誇張ではないらしい。一緒に始めたマリエッタにも抜かされ、なかなか仕事を覚えることができなかった。ゾフィーも、自分の息子とあって手加減していたが、業を煮やして声を上げる場面も出てきた。
「マリエッタはすごいな。飲み込みが早くて臨機応変に動くことができて。自分が情けないよ」
「私は、前の職場でもこき使われていたから慣れてるだけよ。それより、最近小説は書けてる? 見たところ疲れてぐったりしてるけど?」
「う、うん。最近はお休みしている。とりあえず新しい仕事を覚えるのが先かと思って。今までずっと執筆にかかりきりだったから、たまには他のことをして息抜きしたほうがいいんだよ」
キリアンのいいところは、引け目を感じても決して卑屈にならないことだ。マリエッタに賞賛の言葉をかけても、自分を変に貶めることはしない。そういう素直なところが、マリエッタは嫌いになれなかった。
マリエッタは、彼から執筆を奪ったことに密かに負い目を感じていた。自分の言動は間違いではないと思うが、夫が何一つ文句を言わず、毎日叱責されながら慣れない仕事を頑張っているところを見ると、言いすぎたかなと迷うことがある。ゾフィーも、今までに散々言ってきたが駄目だったところを見ると、本来この仕事はキリアンには向いてないのだろう。
それでも一年くらい経ってくると、それなりに仕事を軌道に乗せることができるようになってきた。ゾフィーがしていた仕事を若い夫婦が肩代わりするようになり、姑の肩の荷も降りたようで、ここ最近はツンケンしたところが取れてきている。何事も継続していれば形になるものだと思った矢先のことだった。事態が急展開したのは。
体を動かすのがどうしても苦手なキリアンには財務処理を任せていた。実際の書類仕事は元からいる使用人がやっているからそれを監督する業務に就けたのである。だがある日、マリエッタが偶然帳簿を見たらおかしなことに気づいた。
「あれ? キリアン、これ変じゃない?」
「え? ほんとだ。気づかなかった」
それは簡単なミスでは済まないレベルの大チョンボだった。多額の金が引き出されているのをごまかした形跡がある。担当の者を呼びつけて問いただしたところ、しどろもどろな返答しか返ってこなかったが、ところどころ「ギャンブルで」「負けがこんで」など聞こえてきた。監督する立場のキリアンがなぜ気づけなかったのか、それを尋ねる前に、彼はガクガク震えるあまり椅子からひっくり返った。
「ごめん……、僕の責任だ。僕がしっかりしていれば……」
「責任論は後ででいいから、まずは被害状況の把握をしましょう」
だが、調べれば調べるほど全身から血の気が引く結果となった。いわゆる「手を付けちゃいけない金」にまで被害は及んでいたのだ。そうでなくても今年の農作物は日照り続きで不作だったというのに。これでは使用人の給金まで滞ってしまう。ゾフィーがこれを知ったらひっくり返るに違いない。どうしよう。マリエッタまで体の震えが止められなくなった。
悪いことは続くものだ。ある夜、マリエッタは誰かの叫び声で目を覚ました。
「大変だ! 家畜小屋が火事になってるぞ」
マリエッタはガバッと飛び起き、慌ててランプを付け、ベッドサイトの時計を見た。時刻は午前2時を過ぎた頃。そして隣で寝ているキリアンを揺り起こす。
「あなた! 大変よ! 火事ですって!」
キリアンは最近の心労がたたって、ぐっすりと眠り込んでいた。そのため起こすのに苦労したがやっと目を覚まし、二人で外に飛び出し家畜小屋の方へ向かう。着いた頃はすでに火は燃え盛っており、羊小屋から隣の馬小屋に飛び火していた。使用人たちが必死で家畜を逃げさせるがとても間に合いそうにない。空気が乾燥して晴れの日が続いていたため火の回りが早いのだ。
「馬が! 羊が! うちの財産が!」
後ろを振り返ると、ゾフィーが半狂乱になって叫んでいた。その場に崩れ落ちて泣き叫ぶ彼女を、マリエッタとキリアンが抱きしめ慰める。先日の横領事件からまだ立ち直れていないのに、これではゾフィーが参ってしまうだろう。しかし、誰にもどうすることもできなかった。
結果的に、家畜小屋は全焼、助けられた家畜もほんの少し。火事の原因は、近くで野焼きしていた火が風で飛び移ったせいと聞いたが、うまく頭が回らずぼんやりとしか覚えてない。
横領事件から立ち直っておらず、経営を続ける体力もないため土地を切り売りして再建費用を捻出するしかない。しかし、マリエッタとキリアンはまだひよっこ、唯一頼れるのはゾフィーだが、すっかり憔悴しきって寝たきりの状態だ。現時点でこの難局を乗り切れる者がいない。使用人を多数抱えている以上、宙ぶらりんのままではいられなかった。
「ここを、売りましょう。経営能力のある人に」
マリエッタは何日も何日も散々考えた末に重々しく口を開いた。
「あなた何を言ってるの? 何代も続いたゴードン家の家業をここで潰す気? つい最近来たばかりだからそんなことを軽々しく言えるのよ! あなたには愛着もプライドも備わってないでしょう!」
やせ衰えたゾフィーが、どこにそんな力が残っていたのかと思うような剣幕で当たり散らす。確かに彼女の言う通りだ。この農場に対する愛着は薄い。代々のゴードン一族が汗水垂らしてこの土地で格闘してきた歴史をマリエッタは知らない。だから簡単に放棄しようなどと言えるのだ。でも、このままでは人間が先に潰れてしまう。生きるために働いているはずなのに、働くことを優先して人間が潰れたら本末転倒だ。これでもかなり葛藤して決めたのだ。
「それは百も承知です! でもこのままじゃ、私たちみんな駄目になってしまう!」
マリエッタも涙目になりながら声を絞り出して訴えた。この家に来て早々、ゾフィーに喝を入れられたことを思い出す。彼女のこの家に対する想いの強さを知っているから最後まで選択したくなかった。でも何度考えても同じ結論に達してしまう。
「あなたがこの家に来たから駄目になったのよ! この疫病神! あんたのせいで、何百年も続いたこの家が……」
「もうやめてくれ!」
その時キリアンが叫んだ。普段おとなしくて穏やかな彼から出たとは思えない切羽詰まった叫び声だった。
「マリエッタは悪くない。悪いのは僕だ。ちゃんと目を光らせていれば横領されずに済んだのに……。横領されなければ火事が起きてもここまで困窮することはなかった」
そしてゾフィーに向き直り、声を落として言った。
「不甲斐ない息子で本当に申し訳ない。でもここから立ち直って再建するのは僕には無理だ。こんなこと言いたくないけど、もう限界なんだよ、元々向いてた仕事じゃないし。母さんがこの農場を大事にしているのは分かっている。僕も身を切られるより辛い。でも生き残る可能性がある方を選ばないといけない。このままじゃみんな共倒れになってしまう。お願い、分かって」
キリアンの必死の説得により、ゾフィーはついに折れた。彼女の咽び泣く声がいつまでも響いていたが、マリエッタもキリアンもどうすることもできなかった。
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