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第12話 こんなの聞いてない!

 キリアンが優柔不断だったのは、二人の関係においては却っていい方向に作用したのかもしれない。そのお陰で、マリエッタは今後のことについて十分考える猶予ができたし、キリアンの人となりをじっくり評価することもできた。


 問題は、今の仕事をやめなければいけないということだ。自分が結婚するとは思わなかったから、一生聖女を続けているだろうと漠然と考えていた。4年以上も続けるとさすがに里心めいた感情も生じてくる。とは言え、長年いても出世できる見込みは全くと言っていいほどなかった。


 マリエッタの聖女としての能力は、言うならば中の下くらいだ。それより低いとそもそも大聖堂には入れないので、ここでは最低ランクということになる。病や怪我を治す奇跡のような力を有している聖女は引く手あまただが、マリエッタは、魔力がなくてもできる啓蒙活動と、少しの魔力をこめた簡単な医療行為くらいしかできない。つまり、魔力があってもなくてもやれることはそれほど変わりないのだ。


 それでも、ケイトが昔言った「魔力だけがものを言うわけではない」という言葉を心の支えに頑張ってきたが、それも最近限界が見えてきた。


 正直、聖女という職業に対して使命感めいたものは持っていない。最初の頃よりはマシとは言え、上司と部下の板挟みになるなど、中間管理職ならではの苦労も絶えない。自分が味わった苦労は後輩にはさせたくないと思い部下に優しくすると、新人を甘やかすなと上司に怒られる。上司が新人にひどい仕打ちをしたら自分がフォローに回らないといけない。このまま後輩に追い抜かされて、窓際族として持て余されるよりは、この機会に出て行った方がいいのかもしれない。


 こんな時、サーシャならなんと言ってくれるだろう? だが、人生の重大な決断をするのに、他人に頼ってはいけないような気がした。そもそもサーシャはキリアンを知らないのだから助言しようがない。彼女は彼女で社交界で活躍しているらしいという話を聞くと、こんなことで友の手を煩わせるわけにはいかなかった。


 散々悩んだ末、マリエッタはキリアンとの結婚を決めた。第一印象の通りキリアンは温和な人で、結婚前にも足繁く通ったり贈り物を届けてくれたりとマメだった。これなら幸せな暮らしを望めそうな気がする。


 聖女の修行をやめ、大聖堂を後にした時は、さすがに涙が込み上げてきた。先輩聖女のケイトなどは、歯に衣着せぬ餞別の言葉を送ってよこした。


「まさかあんたが私より先に出ていくなんて思いもしなかったわよ。でも離婚したらいつでも帰ってきていいからね!」


「離婚するのが前提みたいなこと言わないでくださいよ!」


「あんたに先越されるのが悔しいだけよ! いいじゃない、これくらい言わせてよ!」


 これがケイト流のお祝いの言葉なのは分かっている。他にも、別れを惜しむ仲間たちから口々におめでとうと言われた。結婚を機に聖堂を去る者は珍しくないが、それでも名残惜しい気持ちがないわけではない。


 サーシャにも手紙で報告したところ、お祝いの手紙と共に高価な贈り物をくれた。自分は大したものはあげられてないのに恐縮するばかりだ。文面を読む限りでは、サーシャも忙しい生活を送っているらしい。


 結婚式は、サーシャほど華々しいものではなかったが、それでも田舎らしい派手な式だった。マリエッタは、自分が場の中心になったことがないので恐縮しきりだったが、親戚たちが嬉しそうにしてるのを見てこれでよかったのかなという気になる。横を見るとキリアンも恥ずかしそうに身を縮めているので、似たもの夫婦なのかもしれない。


 慌ただしく結婚式が終わり、マリエッタはゴートン家に入った。全てがひと段落してから、キリアンはようこそと両手を広げて出迎えてくれる。マリエッタも笑顔で彼の胸に飛び込んだ。


「ようこそ。今日からマリエッタ・ゴートンだ。末長くよろしくね」


 彼に手を引かれ家の中に入る。キリアンは父がすでに亡くなり、年老いた母との二人暮らしだった。母のゾフィーとは前にも会ったことがある。少し神経質そうだが物静かな人だと思った。そのゾフィーが二人の前に立ちはだかってきた。


「ゴートン家の嫁として恥じぬ働きを期待してますよ。あなたの代で家の格式を落とすことないよう、しっかり励みなさい」

 

 突然言われたこの言葉にマリエッタは面食らった。家の格式? 嫁として励む? 一体何のこと?


「母さん、いきなりそんなことを言っちゃマリエッタがびっくりするだろう? もう少し優しくしてよ」


「こういうのは始めが肝心なんです。私もその前のお義母さまもこうしてしつけられたのですから。長年守られた伝統をこの代で絶やすことはまかりなりません。聖女として花嫁修行もしたんでしょう?」


「は、花嫁修行ですか!?」


 聖女が花嫁修行だという考えはマリエッタにはなかった。別にそんなつもりで働いてきたのではない。元より、結婚自体に興味がなかったのだから。


「マリエッタ、母さんはこんなこと言ってるけど気にすることないよ。僕は君の味方だから」


 キリアンは、驚愕のあまり固まるマリエッタの肩を優しく抱いて甘く囁いた。しかし、これがまた罠だったと後になって思い知ることになる。


**********


「早く起きなさい! なにやってるの!?」


 翌朝、マリエッタは朝の五時に起こされた。一体何事かと思い、上着を羽織って部屋を出ると、すでに着替えたゾフィーが仁王立ちしていた。


「どうしました? 一体なにがあったんですか?」


「時計見なさいよ! 何時だと思ってるの?」


「……5時ですが」


「家畜は人間の事情なんて知ったこっちゃないのよ! そうと分かったら早く着替えて仕事を始めなさい! 最初は教えてあげるから!」


 ちょっと待ってほしい。使用人も多く抱えているはずなのに、家長の嫁自ら朝の5時に現場に出ないといけないものなのか。おまけに昨日結婚式を挙げたばかりである。もう少し手心というものは……。


「そんなものありません! 嫁だからと甘えないの! 上に立つ者が手本を示さなければ、下の者に示しがつかないでしょう!」


 フェリシア大聖堂でも早朝に起きていたから、早起きするのはそんなに苦ではない。しかし、馬や羊の世話は今までにしたことがなかった。ゾフィーだってそれなりにお年を召していそうなのに、毎日早起きして仕事をしているのだろうか。マリエッタは、疑問を挟む余地も与えられないまま、ゾフィーが教えることに着いていくのに必死だった。


 慣れない仕事なので時間がかかるし骨も折れる。それでもやっと一通り終わって、太陽が高く昇るようになったころ一息つけるようになった。しかし、マリエッタがぐったりと腰を下ろしていると、またもやゾフィーが発破をかけてきた。


「まだ若いのにこれしきのことで疲れているのですか? 次は農園に行きますよ!」


 なんだって? マリエッタは開いた口が塞がらなかった。これで終わりではないのか? こんなに嫁を酷使する家だとは今日までなに一つ知らされなかった。これは詐欺と言ってもいいのではないか? 農園を一回りして異常がないのを確認してから家に戻ってきたころには、一日の仕事を終えたようにぐったりしていた。それでもまだ一日が始まったばかりである。これからどうなるんだろうと途方に暮れていたところに、キリアンが姿を現した。どうやら彼はさっき起きたらしい。


「寝床に姿がないからどうしたのかと心配したよ。まさか、母さんにしごかれたの?」


「その通りよ! 家畜の世話に農場の見回りをしてきたわ。一体どういうこと? なにも話してくれなかったじゃない!」


 マリエッタに詰め寄られて、キリアンは困った表情を浮かべた。


「ごめん……、こんなことになるとは思ってなかったんだ。母さんなにも言ってなかったし。僕も甘かった。反省している」


「ねえ、気になることがあるんだけど……」


 マリエッタは、さっきからある違和感を新しく夫になったこの人にぶつけないわけにはいかなかった。


「あなたは一体今までなにをしていたの?」


「僕? 前にも言っただろう? 僕は小説を書いているって……」


「そうじゃなくて、私たちが働いている間にあなたはどんな仕事をしているの?」


「だから小説書き……」


 それを聞いたマリエッタは、だんだん顔が青ざめていった。もしやそれって……。


「あなたは家の仕事をしないの? 家畜の世話も農業も?」


 マリエッタの意図するところを察して、キリアンもバツの悪そうな顔をする。そういえば、初めて会った時も都会育ちのような印象を受けたっけ。この辺の風習として、家長自ら力仕事に関わるのは珍しくないのに、手がやけにすべすべしているのが気になっていた。まさか、キリアンは……。


「働いたことがないのね!? それなのに私には家の仕事をしろと?」


「僕はそんなこと言ってないじゃないか! それは母さんがしたことで……」


「でもあなたは、母親が朝から汗水流して働いているのを尻目に、のうのうと小説を書いてたんでしょう? それどうなの? 道義的にどうなの?」


「あ、ああ……。そうだね。言われてみればまずかったね」


「言われてみればじゃない! 最初から気付け! このスカポンタン!」


 そこへ、ゾフィーがやってきた。どうやら会話を聞かれてしまったらしい。


「ちょっと、今のなに? あなた夫に向かってスカポンタンって言ったの?」


「お義母さんもお義母さんです! どうしてキリアンには仕事をしろと言わなかったんですか?」


 ゾフィーは一瞬気まずそうな顔になって言葉に詰まったが、すぐに立ち直って反論してきた。


「だってしょうがないじゃない。何度やらせようとしても逃げてばかりいるんですもの。それよりスカーー」


「息子がやらないことを私には強要するんですか? それってあんまりじゃないですか!」


 マリエッタは、感情が爆発するのを抑えきれなかった。いつからこんなに大胆になったんだろうと自分でも思う。元々内気で表に出たがらない性格だ。大聖堂に来たころは見くびられて、雑用を押し付けられてばかりいた。それが人前で堂々と言いたいことを言えるようになったのだから、人は変わるものである。


「まずは自分の息子をちゃんとしつけてくださいよ。私はよそ者だから甘くしろとは言わないけれど、基本的なことをおろそかにして、あれこれ要求するのはやめてください! 脅かすわけじゃないけど、離婚したらいつでも戻ってきていいと大聖堂には言われてますので。だからなにも怖くありません。言いたいことは言わせてもらいます!」


 ゾフィーもキリアンも雷に打たれたように呆然としたまま立ち尽くしていた。マリエッタの剣幕に圧倒されたらしい。しばらく沈黙が続いていたが、最終的にそれを破ったのはキリアンだった。


「マリエッタの言う通りだ。母さんすまない。僕が悪かった。母さんは歳をとっても毎日働きづめなのに、僕はすっかり甘えていた。今日から家の仕事をするよ。小説は空き時間に書けばいいから」


 ゾフィーは目を丸くしてキリアンを見つめた。まさか彼が折れるとは思ってなかったのだろう。


「今度こそ本当にやるの? 今までどれだけしつこく言っても聞かなかったじゃない?」


「本当だよ。だって、嘘をついたらマリエッタに逃げられてしまうだろう? せっかく結婚したのに自分から駄目にしたくない」


 それを聞いたマリエッタはほっとしかけたが、慌てて気持ちを引き締めた。安心するのはまだ早い。どうやらキリアンは見た目以上に癖がありそうだ。彼が有言実行するところを見届けなければ。

 

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