第11話 もう一つの結婚
日々の人々の営みなど吹き飛びそうな勢いで月日は無常に過ぎていく。マリエッタがフェリシア大聖堂で修行をしている間に、サーシャはアドルファスと結婚式を挙げ、マリエッタ自身もまた少し位が上がって、後輩を指導する立場になった。二人が別れて2年の歳月が経ったが、定期的に手紙のやり取りを続け近況を報告し合い、変わりない友情を維持していた。
そんなある日、面倒を見ている後輩の聖女が、マリエッタに来客があると告げに来た。
「えっ? 実家の両親が? 今になって一体なぜ!?」
びっくりして思わず立ち上がる。ここに来て4年以上経つが、実家の家族が会いに来たことは一度もない。田舎の貧乏貴族の末っ子として生まれたマリエッタは、微量ながら魔力が検出されたのをいいことに、半ば口減しのためフェリシア大聖堂に預けられた。実家からは縁切りされたも同然だと思っていたのにどうして今更?
マリエッタは、首をひねりながらも実家の両親と家を継いだ長兄に会った。久しぶりに見る両親は、なんだか小さく見える。歳をとったせいだろうが、たった4年なのにこんなに老けていたっけと不思議な気がする。一方、30を一つ二つ越えた長兄は、家長らしい貫禄が備わっていた。名実ともに彼が家を取り仕切っているのだろう。
「久しぶりだな、マリエッタ。しばらく見ないうちに立派になった」
「みんなも元気そうね。今日はどうして来たの? 突然すぎてびっくりしちゃった」
「お前にいい縁談話を持って来たんだよ」
縁談? 思ってもみなかった言葉に、マリエッタは目を丸くした。
「結婚なんて考えたこともなかったわ! 聖女なんて一生独身の人も珍しくないし」
「まさか一生ここにいるつもりじゃないだろう? 結婚して聖職者を辞める人も少なくない。お前もその方がいいだろう?」
家族は、マリエッタが聖女を辞めたがっているものだと勝手に思っているらしい。結婚に興味がない女はいないと固く信じているのだ。マリエッタは、その思い込みが誤解であると説得しようとしたが、なかなか聞き入れてもらえなかった。
「相手は、隣の郡に住むゴートン家だ。知っているだろう? 豊穣祭の羊レースで一等を取ったところ」
そんなことを言われても覚えているはずがない。子供の頃家族と一緒に行った豊穣祭は、屋台の食べ物が珍しくてそればかり注意が向いていた。
結局、家族に押し切られる形で、見合いの場が設けられた。このために、マリエッタは久しぶりに実家に戻った。たった4年の歳月と思っていたが、家を出ていった兄弟がいたり長兄に子供が産まれたりと、前とはすっかり様子が変わっている。自分の部屋だったところは別の用途に使われており、実家滞在中は客間を使用するようにと言われた。もうここに自分の居場所はないんだなと改めて思い知らされる。
お見合いは相手の家で行われることになった。隣の郡ではそこそこ大きな家のようだ。広い土地を利用して農場を経営したり、牛や馬などの牧畜もしているらしい。木組みの梁が剥き出しになった広間に長兄と二人通され、珍しくおめかしした彼女は身を固くして待っていた。
「お待たせいたしました。あなたがマリエッタさんですね。キリアン・ゴートンです。はじめまして」
入って来たのは柔和な感じの若い青年だった。まだ20代前半だが、年齢よりも若々しく見える。育ちの良さそうな好青年で、都会の貴族のようにつるりとした印象だ。この辺の田舎では、家長自ら家業に携わる者が珍しくないので、もっといかつい人だと思っていたから、肩透かしを食らった。
お見合いは和やかな雰囲気のまま終了した。キリアンは穏やかで優しそうで、特に気になる欠点も見当たらない。しかし、帰り道で兄に感想を聞かれ正直に伝えると、「じゃあこのまま進めて大丈夫そうだな」と念押しされ不安な気分になった。悪い人ではなさそうだが、マリエッタは結婚願望が強いわけではない。結婚そのものに乗り気じゃないのに、キリアンがどういう人かは関係ない。その辺の微妙な気持ちは兄には伝わらないようだ。
結局、あいまいな態度のままはっきりした答えを出さず、休暇が終わるからと逃げるように大聖堂へと戻った。いつもの自分の部屋に入った時、ここが私の帰る場所なんだとほっと一息つく。入った当初は雑用ばかり押し付けられて辛い毎日だったが、年月を経て自分の居場所を作ることができたんだとやっと実感が湧いてきた。
その後も、実家から催促の手紙が届いたが、のらりくらりとかわしていた。そのうち有耶無耶になるだろうと見越して。しかしそれは甘い見込みだった。ある日、来客があるというので行ってみると、なんとキリアンが目の前に立っていたのだ。
「キリアン・ゴートンさん! 一体どうしたんです?」
「よかった。僕の名前を覚えていてくれたんですね。わざわざこんなところまで押しかけてしまい申し訳ありません。フェリシア大聖堂に行けば会えると教えてもらったものですから。こんな立派な大聖堂で働いてらっしゃるんですね。知らなかった」
返事を無視していればそのうち立ち消えになるだろうと見込んでいたマリエッタは、バツが悪くて顔が赤くなった。でも一体どうして来たのだろう? そこまでマリエッタが気に入ったのだろうか? キリアンを見ると、彼もまたもじもじした態度で、言葉が出てこない様子だ。ここまで押しかけてきたくせに、何を怖気付いているのだろう?
「あのう……、キリアンさん?」
「ごめんなさい、あの、びっくりしましたよね。あらかじめ手紙を出しとくべきでした」
「いえ、そうじゃなくて。なにかお話したいことがあっていらしたんですよね?」
「ああ、そうでした! いえあの、その、お時間いただける暇があるならば王都を案内してもらいたいなと思って」
マリエッタは、はあ? と言いそうになるのをぐっとこらえた。これでも忙しい身の上だ。日々修行に明け暮れる聖女はただでさえ休みが少ない。ふらっと来た訪問者と簡単に街を歩けるほど暇じゃないのだ。そんな気持ちを読み取ったかのようにキリアンは言い訳がましく弁解した。
「すいません! お仕事中なのは分かっていたつもりなんですけど! 迷惑でしたよね、忘れてください!」
彼の顔を立てるために、一応上司に相談してみることにした。当然ダメと言われるのを想定していたのだが、意外にも「いいわよ、少しなら」とあっさり許可が出たので拍子抜けしてしまった。一体どんな風の吹き回しだろう? いつもは厳しいのに?
「こないだ休みを取って実家に帰ったと聞いたけど、本当はお見合いしたんでしょう? 家族以外の男性が訪ねたのも初めてだしね。結婚してここを出る聖女は大体このパターンだから察しがつくの。そういうことなら行ってきなさい」
これにはマリエッタの方が面食らった。自分も結婚してここを出ていくものだと思われているのだろうか。まだそこまで決めていないのに、周囲から外堀を埋められている気分だ。
釈然としないまま、マリエッタはキリアンと一緒に王都の街並みを歩いた。田舎者のマリエッタも、王都に来て5年目ともなれば大体のところは行っている。サーシャと出会ってから王都の街を歩くことも増えてきた。
「王都はやっぱりすごいですね。うちの田舎なんか目じゃない。時の流れが早く感じる」
「王都は初めてですか?」
「いや……、実は今までに何度か来てるんです。でもいつも一人だったから。誰かと歩くのは初めてす」
しばらく間が空き、二人は無言で歩いた。共通の話題が見つからない。一度お見合いしただけの相手だから何を話せばいいのかお互い分からないのだ。
そんな時、小さな店の前を通りかかった。見覚えのある景色に懐かしくなってふと足を止める。
「ここそのままだったんだ。全然知らなかった」
「ん? どうしました?」
無意識に呟いたことに気づき赤面する。ここはかつてサーシャと来た店だ。王都名物のお菓子を食べ歩きするのが二人の間でブームになったことがある。薄いパンケーキにジャムを塗ってくるくる巻いたものが当時人気だった。サーシャが一緒に行こうと言うので着いて行ったら、屋台のようなこぢんまりした店だったのでなかなか見つからなかった覚えがある。
サーシャは甘いものと新しいものに目がない。こうして新たな店を開拓しに、休日のたびに彼女と歩き回ったっけ。店の外のベンチに腰掛け、ワクワクしながら包みをほどいたのを思い出し、ふふっと笑みがこぼれる。
「この店、前に友人と来たことがあるんですよ」
「へえ。おいしいんですか?」
「ええ、おいしかったけど、友達と一緒にいる方が楽しかった記憶があります。唯一の友達でしたから」
「その方は今どこに?」
「彼女が結婚してから会ってません。でも定期的に手紙のやり取りはしてます。会いたいけど忙しそうだから難しいかなあ」
キリアンは、マリエッタがうっとりした表情で当時を振り返るのを黙って見ていたが、ふと店の中に入って前と同じお菓子を買ってきてくれた。彼の意外な行動力に目を丸くする。
「これ、思い出の味なんでしょう? 一緒に食べませんか? でもせっかくの美しい思い出を上書きしちゃ悪いかな?」
「いえ、そんなことないです……。そこにベンチがあるから座って食べましょう!」
マリエッタは、かつてサーシャと座ったベンチを指差した。こうして違う人と昔の思い出の追体験をするのは奇妙な感じがする。
「友達がいるっていいですね。僕は誰もいないから」
「私だって一人しかいませんよ? それにもうずっと会ってないし」
「会わなくても友達であることには変わりませんよ。僕もかつてはいたんですけど、周りはみんな出世しちゃって……。気付けば一人になってました」
マリエッタは、えっと小さな声を出して固まった。キリアンが自分の話をするとは思わなかったのだ。彼は地面に視線を落としたまま、独り言のように話した。
「実はね、小説を書いてるんです。学生時代の友人同士でサークルみたいのを作ってお互いの作品を論評しあってた。そのうち一人が出版社に目をかけてもらうようになって、そしたらまた一人。僕は情熱だけはあるけど、全く芽が出なかった。そのうち夢が叶った友人と距離が開いてしまって……。嫉妬みたいな感情は正直あったし、向こうも作家仲間とつるむ方が楽しいみたいで自然と疎遠になりました。結局、利害関係のある友情は成立しないんだなあと。その点あなたが羨ましいです。ぜひ、ご友人との縁は大切にしてください」
マリエッタは、キリアンの横顔を見つめたまま書ける言葉が見つからなかった。彼が寂しそうに自嘲気味に笑うのを見ると、なんとかしてやりたい気持ちが湧いてくる。でも自分では力不足だ。
「本当はね、今日もあなたに会いに来たんじゃないんです。王都には何度か来たことあると言ったでしょう。出版社に原稿を見せに行ったんですよ。撃沈でしたけどね。やっぱり才能ないんだなあって思い知らされました。その後、あなたが同じ街にいるのに気付いて、連絡もせずに押しかけたという次第です。誠に申し訳ありませんでした」
そう言うと、キリアンは深々と頭を下げた。マリエッタは慌てて彼を制する。
「そんな謝らないでください。別に理由なんてどうでもいいです。黙っていれば分からないのに正直に言ってくださるとは思いませんでした」
「あなたは正直な人だからこちらも正直にならないとと思ったんです。最初は自分の話もしないつもりでした。でも、あなたには話しておきたいと思って」
それはマリエッタを気に入ってくれたと言うことか。なんと言ってよいやら迷っていると、キリアンが意を決したように話し出した。
「よければ、次は直接あなたに会いに来てもいいですか? 男女問わず、落ち着いて自分の胸の内を話せる相手は貴重なので……、もしご迷惑でなければ」
「あ……えっ、も、もちろんいいですわ。私でよければ」
ぎごちないやり取りが交わされた後、キリアンは宣言通りマリエッタの元に通った。彼の家から王都まではそれなりに遠いはずなのに、旅の疲れを見せることはなかった。この意味が分からぬほどマリエッタも鈍感ではない。しかし、キリアンも奥手な性格なので、なかなか直接的なプロポーズの言葉をかけるには至らなかった。そのうち、マリエッタの方がしびれを切らすようになってきた。
「ねえ、キリアン。私になにか打ち明けたいことない?」
「えっ? あなたに秘密にしてることなんてなにもないよ?」
「そうじゃなくて! 私期待してもいいのよね?」
「えっ、なにを?」
「もう知らない!」
こんなやり取りを何度も繰り返したが、結局キリアンはマリエッタにプロポーズ、二人は結婚することになった。
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