第10話 新しい戦場
本邸に移ってからの最初の大仕事が婚約披露パーティーだ。貴族社会の中でも幅を利かすパウエル家とヘンダーソン家が縁戚となったことで、この新しいカップルは大いに注目の的となった。
「パウエル家のご令嬢にお会いするのは初めてだけどこんなに綺麗な方だったのね。ヘンダーソン家はますます安泰だわ」
そもそもサーシャが人々の前に姿を現さなかったのは、社交界に興味がなかった上に普段が男装姿だったからだ。社交界デビューしなければ顔を知られることもない。デビュッタントでさえ、当然のごとく「そんなもんクソ食らえ!」と言って憚らなかった。
どうせ男装のじゃじゃ馬娘が矯正されたのを見たいだけなんでしょという予感はそれなりに当たっているようだ。おめでとうというお祝いの言葉の中に隠しきれない好奇心と嘲笑が見え隠れする。もっとも、自分の心が卑屈だから幻影を見ているだけなのかもしれないが、それでもなおムカムカが治まらなかった。
「サーシャきれいだね。お姫様みたいだ」
そこへノーランが声をかけてきた。彼もこのパーティーに参加しているらしい。よく動く子供が正装姿をしていると少し窮屈そうに見える。サーシャは、ノーランを目にしてふっと気が軽くなった。
「あなたも出席しているのね。大人ばかりでつまらなくない?」
「うん。でも、みんなの前に姿を見せるように兄上が言うものだから」
きっと本家の息子であることを周囲に知らしめる意味があるのだろう。これ以上次男のノーランの影が薄くなることをアドルファスは避けたい思惑があると見える。
「子供なのに大変ね。私が相手してやりたいけどあいにく今日は主役だから、今日はモリーのところにいてちょうだい。後でたっぷり遊びましょうね」
「うん! 約束だよ!」
ノーランはニコニコ顔でサーシャとハイタッチすると、人ごみの中に去っていった。サーシャが心を入れ替えるきっかけになったのがノーランだ。こんな小さな子でも大人の思惑の中で健気に頑張っているのに、年上の自分が好き放題しているのはいかがなものかと反省したのだ。この子に恥ずかしくない姿を見せていたい。
今やってることだって本意ではないが、自分の与えられた使命をきっちり果たしてから我を通せと言うアドルファスの言葉ももっともだ。実家を離れてから自分自身が少しずつ変化しているのが分かる。
サーシャは、ニコニコと笑顔を振りまきながら来客に対応していた。心の中では何を思っていても、上辺では笑顔を見せるのが貴族社会である。うまくできているか自信はないが、周りの反応を見るとボロは出していないようだ。
そんな中、ふと数人が固まって何やら話している現場に遭遇した。何も珍しいことではない。しかし、会話の内容が気になった。
「車椅子の人、来ているのね。誰だっけ、モリーと言ったかしら?」
「そりゃアドルファスの叔母だもの、いてもおかしくないけど、よくみんなの前に姿を現せるわね」
「何でも、事故に遭う前は引く手あまただったらしいよ。確かに顔はいいからね。それなのに事故に遭うなんて」
「いくら何でもあれじゃ嫁の貰い手はないわ。可哀想だけどそれが現実よ。実家のお荷物になってる生活も惨めでしょうね」
話を聞いているうちに、サーシャは腹が立ってきた。モリーの苦労も知らないで好き勝手なことを。確かにモリーは性格がきついし、いつまでも「僕」という一人称が抜けないサーシャには厳しい先生だった。あまりに癖が抜けないものだから、「僕」と言ったらおやつを抜かされてしまい、悲しい思いもしてきた。それでも、サーシャがここまで漕ぎ着けたのは、彼女の尽力あってのことだ。それに、厳しいながらも面倒見がよく、本当は優しい人だというのも知っている。勝気な性格をしているのも、陰で色々言われた影響もあるのでは、ちょうど今みたいに。
「サーシャ疲れてないかい? どうしたの、そんなに怖い顔をして?」
そこへアドルファスがサーシャのところにやって来た。思わず緊張が緩んで笑みが漏れる。一瞬のち慌てて表情を引き締めるが、アドルファスはばっちりそれを見ており、愉快そうに目を踊らせた。
「べ、別に。何でもないわ」
何事もなかったかのように慌てて言い繕う。しかし、嘘をつくのが下手なので、敏感なアドルファスは何かを察したかもしれない。そう思っているところに義母のパティがやってきた。先代伯爵の後妻で、アドルファスとノーランからは義理の母親に当たる。思わぬ助け舟が来たとその時は思った。
「お二人とも美男美女でお似合いのカップルね。アドルファスはいいお嫁さんを見つけたわ」
先代の後妻と言うからにはもう少し年長者を想像していたが、パティはモリーと同年代くらいの女性だった。産後間もないと言うのに、女ざかりのアピールに余念がないセクシーなドレス姿だ。これではモリーとソリが合わなそうだ。ノーランと一緒に本邸に戻らない理由が分かったような気がした。
「ジュリアは乳母に預けているのかい? そろそろ行ってやらなくて大丈夫?」
ジュリアとは新しく生まれた子供の名前である。
「平民じゃあるまいし、貴族が自分で子供を見るわけないじゃない。あなたも分かっているくせに」
パティはそう言うと、サーシャが見ている前でアドルファスにしなだれかかった。そのあまりに自然な仕草に反射的に目を剥いてしまう。一方、アドルファスはさりげなくパティをいなした。
「でも、大事な子なんだろう? あんなにノーランを叱っていたじゃないか」
「やあね。ノーランは今ここにいるから平気よ。それより、夫が今いないの。一緒に踊らない?」
婚約者がいる前でよくそんなことを言えるものだ。これは、サーシャに見せつけるためにわざとやっているのだろう。アドルファスだってパティに気がある素振りはなく、むしろ迷惑している風なのに、それすら気づかないとは。なんて浅はかなと思うと共に、パティに大きな顔をしてほしくないというアドルファスの気持ちも分かった。サーシャにも彼女を牽制する役割を期待しているのだろう。その時、あることを思いついた。
「あら、踊るなら私が先よ。カルテットも退屈してそうだからダンス曲に変えるように言ってくるわ」
サーシャは、アドルファスとパティが目を丸くするのもお構いなしに、本当にカルテットのところへ曲の変更を言いつけに行った。そして、彼の手を引いて部屋の中央に連れて行く。何が始まるんだという周囲の好奇の視線に晒される中、二人は向き合った。
「びっくりした。お義母さんから救い出してくれたのかい?」
「さっきのお返しよ。今は一時休戦といきましょう。みんなが見てるわ。ダンスはできる?」
「バカにしてもらっちゃ困るな。君こそやってたの?」
「学校で習ったし、最近もノーランと練習したわ。基本的なステップなら覚えた」
そんな会話をしている間に音楽が始まった。手を取り合い一緒にステップを踏む。最初は恐る恐るだったのが、踊るうちにだんだん要領が飲み込めてきた。少し振りを大きくすると彼がすぐに着いて来てくれる。コツを覚えたサーシャは、ふと顔を上げアドルファスと目を合わせた。彼が向けたのは、どこか不敵な笑みだった。恋人というよりバディのような、そんな結びつきを一瞬覚える。この先に踏み込むのが怖い感じもしたが、一時休戦と言ったのは自分の方だ。せめて音楽が終わるまでは楽しんでいよう。
音楽が終わり、周りから拍手されたところで我に返る。現実に戻ったのだ。今まで自分が夢見心地だったことも意識してなかった。アドルファスを見ると、彼もにやっとした笑みを浮かべる。それから辺りを見渡すと、みな、若いカップルを祝福するように賞賛の拍手を送っていた。それを見たサーシャはあることを思いつき、口を開く。
「ここにお集まりの皆さまにお話したいことがあります。私、サーシャ・パウエルはアドルファス・ヘンダーソン氏と婚約いたしました。しかし、ここに至るまで順風満帆というわけにはいきませんでした。なぜなら、私は、お世辞にも淑女とは言い難かったからです。ご存知の方も多いでしょうが、もっと、その……やんちゃでした。そんな私を導いてくれたのは、アドルファスの叔母のモリーです。それはもう、劣等生の辛抱強く導いてくれました。今回のパーティーの立役者として、彼女に感謝の言葉を贈ります。ありがとう、モリー。末長くよろしくね」
そう言って、モリーのいる方向にお辞儀をすると、それに呼応するかのように周りも拍手をした。意趣返しにもならないが、少しでも彼女の名誉を称えておきたかった。モリーはびっくりした表情をしている。どうしてこうなったか理解できていない様子だが、これでいい。そう思っていると、となりにいたアドルファスがこそっと耳打ちした。
「さっき、君が怒っていた理由何となく分かった気がする。ちょっとバルコニーへ来てくれない?」
そして、サーシャの手を取り、人気のないバルコニーへと誘った。通りがけに花瓶に刺さっていたバラの花を一輪抜き取るのも忘れず。
「一体どうしたの? 主役が二人ともいなくなったらお客様が困るじゃない?」
ただならぬ雰囲気を感じ取ったサーシャが平静を装って言うが、アドルファスはお構いなしだ。
「ちょっとくらい大丈夫だよ。さっきのお礼を言いたくて。あそこでモリーの顔を立てたの、何か理由があるんでしょ」
「まあね。モリーの悪口を言う人がいたから何となく仕返ししてやりたくなって。勝手なことしてごめんなさい。やっぱりじゃじゃ馬気質が抜けないわね」
「そんな君が気に入ったんだよ。牙までは抜いてほしくない。分かる、この意味?」
分かるような、分からないような。サーシャは黙って肩をすくめた。
「それより、そろそろ戻らなくて平気?」
「大丈夫。まだ本題に入ってないもの」
「もったいぶらずに早く教えてよ」
「周りがうるさいとプロポーズしにくいだろう? 機会は逃さず、場所は選んでと思って」
「一体どういうこと?」
アドルファスは手に持った一輪のバラをサーシャに差し出してこう言った。
「どうか私と結婚してほしい」
「え? だってそれを前提として婚約してるんじゃない。どうして改めて言う必要が?」
「こういうのはなし崩しにしたくないんだ。ダンスしてみて思った。それだけじゃない、さっきのこともひっくるめて全部だ。私は君を愛する。今はそうじゃなくても、そのうち君も私を愛するようにしてみせる」
サーシャは笑ってごまかそうとしたが、アドルファスの表情が真剣なのを見て思いとどまった。彼は本気だ。本気には本気で返してやらないといけない。
「ダンスして気分が盛り上がるなんて、あなたにもロマンチックなところがあるのね」
「なんとでも言うがいいさ。圧倒的優位な立場を利用すれば、私はあなたになんでもできる。でも同意を取っておきたいんだ。同意してくれるなら、このバラを受け取ってほしい」
急ごしらえの舞台とはいえ、これはふざけちゃいけないやつだ。サーシャはごくりと唾を飲んだ。彼の熱っぽい視線に囚われて身動き取れない。でも雰囲気に流されてはいけない。じっと考えてから口を開く。
「私、愛というものが分からないの。人を愛するってどういうこと?」
「愛はなくても結婚はできるよ。現にそういうカップルはごまんといる」
「あなたは私を愛すると言ったけど、あなたは愛を知っているの?」
「今知った」
「なーんだ」
「そんなもんだよ。なにも身構えるもんじゃない。君だっていつかきっと分かる日が来る」
サーシャは更に考えた。バラを受け取ったら後戻りはできない。それは分かっていたが、それより愛を知りたいという好奇心が勝った。この賭けに乗ってみよう。そう思いやっとバラを受け取る。彼女の手にバラが渡った時、アドルファスの全身から力がふっと抜けた感じがした。
「じゃあ、あなたが愛を教えてくれるのね。愛ってどんな感じなの?」
そう言った時の自分は、蠱惑的な笑みを浮かべていたと思う。こんな芸当ができたのかと自分でも驚いているうちに、アドルファスはサーシャの顎を持ってそっと上げ、触れるか触れないかのキスをした。
最後までお読みいただきありがとうございます。
「この先どうなるの?」「面白かった!」「続きが読みたい!」という場合は、☆の評価をしてくださると幸いです。
☆5~☆1までどれでもいいので、ご自由にお願いします。
更にブックマーク、いいね、感想もいただけたら恐悦至極に存じます。