第八話「約束」
後日、barフェリーチェにあるイルミナティカンパニー隠しアジトにて。
「……それで、結局レオス=パルパは無罪放免、評議会議長の汚職スキャンダルスクープで、この事件は幕引き……ですか」
ティターニアが新聞から目を離して、独り言のようにベアトリーチェに話す。
当のベアトリーチェはいつもの席で、膝の上に居る飼い猫のチピを撫でまわしながら「不満?」とだけ答えた。
首を横に振ったティターニアは、新聞の内容を再び読み始める。
「法的な処罰はありませんでしたけれど、組織的な処罰は”騎士爵の剥奪”ですか、実質貴族からの追放とは随分と重くなったものですね」
「レオス自身としてはその処遇になんら不満はないみたいよ。兄様から聞いただけだけどね」
「ゼファー皇太子殿下ですか。彼が動くとは珍しいこともあるものですね」
爪を手入れしていたアンジェリカがそんな風に言うと、ベアトリーチェは小さく頷いた。
「そうね、兄様が評議会連中相手に真向から潰しにかかるのは初めてかもしれないわ」
それもこれも、イルミナティカンパニーによる資金創造により、評議会と皇帝家のパワーバランスが崩れたことに他ならないのだが、ただ一人、ベアトリーチェだけは皇帝家の人間なのにそのことを知る由もない。
「ロア様、落ち込んでないと良いのですが……」
ティターニアが口にする。
その言葉を聞いてベアトリーチェは「確かにね」と答えた。
実際、ベアトリーチェも少々、彼が落ち込んでいないかは気にかけていた。
「心配ないのではないでしょうか」
アンジェリカはいつものように微笑みながら答えた。
「ベアトリーチェがここにいますからね」
どういう意味なのだろうと、ベアトリーチェは首を傾げた。
ティターニアもそれに続いて「それもそうですね」と明るく返すと、ベアトリーチェの首の傾斜が更に傾くのだった。
「……で、その件のロアはどこに行ったのかしら」
妙に顔が熱くなったのを感じたベアトリーチェが話題を反らすために聞くと、アンジェリカが「さぁ?」と答え、ティターニアが代わりに答える。
「”野暮用がある”とだけ言っていましたよ?」
「ふーん」
ティターニアの答えに、そっけなく生返事すると、ベアトリーチェは呑気に欠伸をする飼い猫を再び撫でまわし始めるのだった。
一方、貴族街のパルパ邸の前、二人の男女がかつて自分たちが住んでいた屋敷を眺めて立っていた。
「このお屋敷ともお別れなのですね……」
「あぁ、そうだな」
レオス=パルパは自分が手に入れた屋敷を眺めて、感慨深そうに言う。
「……後悔、していませんでしょうか?」
「ないさ」
心配そうに言うララに、レオスは間髪入れずにそう答えた。
驚いたララは目を白黒とさせる。
どこかすっきりとした顔をしたレオスは、もう一度確信するように言う。
「あるはずもない」
相も変わらず不愛想な顔をしているものの、ララはそこに確かな愛情のようなものを感じて、顔が熱くなる。
気を取り直すようにしてララが咳払いをする。
「あ、貴方様は今日は随分と素直でございますね」
「そうだろうか? まぁ、そうか……」
レオスの中で劇的に何かが変化したわけではない。だがしかし、他人からすれば大きな変化があるのだろう。
自分の心が成長していく様子というのは、かくもレオスにとっては多少なりとも嬉しいと思ってしまう。
ふと、レオスの頭に、あの仮面姿のいけ好かない男の顔が思い浮かぶ。
「貴族としてのパルパ家は取り潰され、仕えてくれていた使用人達の次の就職先の保障などにも金を使い、財も投げ売った。もはや、私には家族以外に持っているものはない……」
もはや空っぽになってしまった屋敷を眺める。
「だが、それでいいのだろう。きっと」
ララの肩を抱き寄せてレオスは心底愛おしそうに言うと、ララもレオスの胸に頭を預けた。
寄り添ってくれる家族が居れば、心を許せる誰かが居れば、案外何だってやれるのかも知れないと、レオスは感じていた。
「さて、もう一人の家族も迎えに行かねばな」
「ザイード領……ここからかなりの遠出となりますね」
ララが地図を広げる。メイドのマーサに託したジョンの亡命先のザイード領という場所は、ロナン帝国帝都ロナフィードから西に一か月は要する場所にある。
レオスの背中には、そのための必要なモノがぎっしりと詰まったバッグがあり、二人はこれからしばらく帝都を離れる予定だった。
子飼いにしていた飛竜も、貴族へと売り払ってしまったため、二人の旅路は自然と馬車と徒歩になる。
「そうだな。追いつくのにも……ん?」
ふと、レオスは背後に誰かの気配を感じた。
振り返ると、そこには旅装の姿をした年若い女性が居た。
「マーサ…?」
「旦那様、奥方様……」
ララが驚いて名前を呼ぶ。腕には赤子を抱いており、二人にとってはここに居るはずがないと思っていた人物、マーサがそこに居た。
「何故、まだここに……?」
「いえ、ザイード領へと行く道中、飛竜に乗った方が迎えに来てくださったんです」
「飛竜で……?」
「はい、仮面をしていたので怪しいとは思ってはいたのですが……」
仮面と飛竜、それだけでレオスは誰か察せてしまう。
「まさか、ロアが?」
「そんな名前でしたかね。それで、新聞の記事を読んで戻るのを決意したんです」
旅路になることを勇んでいたレオスはなんとも肩透かしを食らったような気分になる。
すると隣に居たララが、感極まったようにジョンごとマーサに抱擁した。
「……よく無事に戻ってきてくださいました」
「奥方様……」
マーサは少しだけララの目に溢れていた涙を拭きとると、抱えていたジョンをララに抱かせる。
ジョンは空気を読んでいるのか読んでいないのか分からないが、すやすやと呑気に眠り込んでいた。
「ふふ、本当にかわいらしい子ですね」
「そうだな」
夫婦で息子の顔を覗き込んで、安心したように笑顔が溢れ出た。
「……? あれは?」
ふと、二人が笑い合っていると遠くの方から飛竜が飛び立つのが、ララから見えた。
見覚えのある赤い体躯の飛竜で、背中には誰かを乗せていた。
「……サラマンダー?」
それは、ロナン帝国ではなかなか目にすることのない飛竜だった。
気質も多少荒く、本来であれば乗り手を選ぶような気高さが特徴である、その飛竜は、どこか懐かしさを感じさせた。
その疑問をララは心中で、何故かを探していくと、一つ、答えに辿り着いた。
「あ……」
過去に、その飛竜の背に乗ったことがあった。
とても幼い時の記憶。
その中で、ひときわ異彩を放つ才能を持った少年との思い出が、脳裏を過ぎった。
彼はこう言ったことがある
”僕は、何があっても貴女の味方になる”
古い約束だと思っていた。
自分自身、忘れ去っていたし、今更だと思っていた。
だけど、彼は本気だった。
裏切られても、他人の女となっても、祖国から裏切者と罵られても。
彼は、結局、ララに味方した。
「なんて……私はなんて……」
思わず涙が溢れてきてしまい、息子を抱えてその場にうずくまってしまうララ。
傍にいたレオスが心配そうに手を差し伸べると、ララはその手を強く握った。
顔を上げると、彼女の顔は嬉しさと涙でぐしゃぐしゃになっていた。
「私はなんて、幸せな女なのでしょう」
その涙が、その言葉が、飛竜の背中に乗っている彼に見えていない。
だがしかし、遠くから響いてくる飛竜の嘶きは、彼がとても満足していることを伝えているように思えたのだった。




