ポリコレ映画はなぜ売れない? ~創作にポリコレは必要なのか~
(注意)
・論述の一部に実在する作品の名前等が登場します。
・この文章は特定の団体を中傷する等の意図はございません。
以上の点を予めご了承ください。
こんばんはこんばんは。
夏といえばサマーウォーズ党の水母すいです。
サマーウォーズと心霊番組のやらない夏なんて夏じゃねぇ!!
……くだらない作者のこだわりの話はさておき、本題に入りましょう。
水母すいの独りごとシリーズ、第4作目のテーマは『ポリコレ』です。
映画やゲームなど、最近は創作の界隈でよく話題に上がるこのワードですが、一体何が問題なのでしょうか。今回は創作者の端くれとしての観点をもって、真面目に考察していければと思います。
1.そもそもポリコレって何?
昨今、世間ではよくポリコレポリコレと騒がれていますが……
そもそもの話、ポリコレって何? っていう人もいるかとは思います。
ここではそんな「実はまだよくわからないぜ!」という人向けに軽く初歩的な解説を入れますので、ポリコレを熟知したポリコレマスターの方々は、本題の見出し2まで読み飛ばしてもらって構いません。
かのウィキペディア大先生によればポリコレとは、
「『ポリティカル・コレクトネス(英: political correctness、略称:PC、ポリコレ)とは、社会の特定のグループのメンバーに不快感や不利益を与えないように意図された政策(または対策)などを表す言葉の総称であり[1][2][3][4][5]、人種、信条、性別、体型などの違いによる偏見や差別を含まない中立的な表現や用語を使用すること[6]を指す。「政治的正しさ」「政治的妥当性」とも言われる[要出典]。(Wikipedia『ポリティカル・コレクトネス』より引用)」
……だそうです。さすが大先生、わかるようでわからないですね。
まあこれは要約するならば、「政治的な正しさ」に配慮した表現や言葉遣いのことです。もっと極端に言えば「できるだけ多くの人のことを考えて行動しろ」っていう思想のことですね。
日本でも身近な例をあげると、今まで「看護婦」「看護士」と呼んでいたのを「看護師」に統合したり、「障害者」の「害」の字がよくないからと「障がい者」や「障碍者」に変更したり……といった感じになるでしょうか。
こんな風にポリコレは本来、性別や障がいの有無による差別を生まないために使われる対策・政策なわけです。この程度の使われ方であれば、おそらく文句を言う人はごく少数だったでしょう。ただ、この対策が行き過ぎたために、「ポリコレ」にはよくないイメージがついてしまったんです。
次の項では、その原因と現状について取り上げます。
2.昨今のポリコレ事情
さて、ここからが本当の本題、このエッセイの要点になります。
ここではあくまで客観的なデータをもとに進めていきますので、その点はご了承ください。
はじめに、なぜ最近はこれほどまでにポリコレが話題に上がるようになったのか。
それはずばり言ってしまえば、ポリコレに露骨に配慮した作品をポリコレ反対派が叩きまくっているから、ということに他ならないでしょう。より丁寧に言い換えるなら、ポリコレという表現上の「正義」を振りかざす企業や作品にヘイトが集まっているということです。
ためしに創作界隈での例を挙げると(作品名は伏せますが)、
・人種差別への配慮で、一部キャラクターを黒人・黄色人化する
・ルッキズムへの配慮で、主要キャラをあえてブサイク系にする
・LGBT等への配慮で、無理やり同性愛者のキャラを登場させる
・女性への性的搾取に配慮し、美人な女性キャラを登場させない
私の書き方の問題もありますが、ざっとこんな感じにはなっています。
これらは最近の作品に限った話ではないですし、フェミニズムなど別の問題も絡んでしまっているところもあります。ですがやはり、こういった点は受け取る側の目にもつきやすく、そのあまりの露骨さに批判を受けることも少なくありません。
いくら一部への配慮とは言っても、ここまで露骨となれば気になるのも無理はないです。それで作品全体の評価が下がっているともなれば、尚更。
3.なぜポリコレで叩かれる?
先ほど、ポリコレへの配慮で「作品全体の評価が下がっている」と述べました。
ですが実際、過剰なポリコレという点で評価を落としている事例はあるのでしょうか?
そこで私が片手間で調べてみた中で目についたのが、ここ最近のディズニー映画における問題です。いくつかの記事によれば「最近のディズニーの映画はポリコレに配慮しすぎて売上が落ちている」とのこと。普段アニメ映画以外をあまり観ない私ですが、これを機に少し調べてみようと思いました。
ディズニー映画における失敗としてまず挙げられるのが、2022年公開の『ストレンジ・ワールド/もう一つの世界』。この作品はディズニー映画としては珍しく、赤字額がなんと1億9740万ドル(日本円で200億円以上)と、2022年公開映画の中で最大の大コケ作品となっています。
あらすじや内容については割愛させていただきますが、問題点として挙げられるのはやはり、ポリコレへの過剰な配慮と、作品内での必然性の無さ。
具体的には、メインキャラのイーサンはゲイで黒人と白人のハーフ、飼い犬には脚が一本ない、大統領がアジア系の女性……などなど、ポリコレ詰め合わせセットと揶揄されても仕方のない配慮ぶりです。
まさにポリコレそのものを体現したような今作ですが、顧客側の我々が不満に思う理由の一つには、先ほども述べた通りその「必然性の無さ」があると私は思っています。他の人のレビューを見た上での意見にはなってしまいますが、メインキャラたちが前述のポリコレ的特徴を持っている必然性は、物語において全くと言っていいほどありません。というか、当然のことのように言及すらされません。
入れる必要のない要素として見られている、これはポリコレが批判にさらされている理由の一つでしょう。絵画で例えるなら、一部少数の意見を取り入れて太陽を白で塗ったり、人物の肌色を理由もなく変更したりするようなものです。そんな変な絵を描いて一体誰が喜ぶんでしょうか。
一方、ポリコレ要素が作品そのものを破壊している場合もあります。
実写版『ピノキオ』では金髪白人のブルーフェアリーが黒人に、実写版『リトル・マーメイド』では赤毛白人のアリエルが黒人少女に……といった具合です。これらは明らかに原作からの改変が行われており、原作ファンの気持ちには配慮できていません。実写版リトル・マーメイドに至っては、公開後の現在でも未だアリエルのキャストへの批判が多く見られます。
不要な要素としての見方と、原作のイメージ破壊。
これらが、ポリコレに否定的な意見を生む要因ではないでしょうか。
4.ポリコレは創作活動に必要なのか?
それでは最後に、創作におけるポリコレの必要性に関してです。
私も小説を書いている創作者の身として、ポリコレの話題が上がるたびに「自分もポリコレを意識して書かないとそのうち叩かれたりするのかな?」などと思ってしまうことがあります。ポリコレを擁護する方々も、世の中には少なからずいるわけですし(小説にまで言ってくるかどうかは疑問ですが)。
それでも、私は創作物におけるポリコレに関しては否定派です。
ここまで語ってきて今更かよ、と思われるかもしれませんが。
理由としては、創作物なんだから好きに作らせろ、というのもあります。
でも一番は、「ポリコレに配慮していないからといって、別に否定しているわけではない」という理由です。
男女間の恋愛だけを描いているからといって、必ずしも同性愛を否定しているわけではありません。白人しか出てこないからといって、黒人を差別しているわけでもありません。男が主人公だからといって、女性の権利を軽視しているわけでもありません。
ポリコレへの無配慮=差別の助長、という式は必ずしも成り立たないんです。
作者が悪意をもってその要素を排除していない限りは。
というか、そういう要素の入った作品が見たいなら探せば他にいくらでもあるはずですし、ポリコレを強要されて出来た作品が成功した例は、今現在ほとんどありません。すべての創作物にポリコレへの配慮を期待すること自体、無駄ってことです。
創作物はそれぞれ、作者たちの自由な思想をもって作られています。
その中に無理やり特定の思想を入れ込むことを強要することは、それらを冒涜することと同義です。
人類の娯楽の一つである創作において、作者たちの自由な表現を規制し、ある種の縛りを設けるポリコレを強要する仕組みができてしまったら、創作の世界はおしまいでしょう。
様々な人たちへの配慮は、確かに大切です。
ですが、創作物における自由を守ることは、人類の娯楽を守る上でも大切である。私はそう思っています。
5.さいごに
ここまで、ポリコレという一つの社会問題について語ってきました。
いかがでしたでしょうか。
私自身も改めて創作と向き合う機会にもなりましたし、すべての人々が喜ぶような作品を創るのは難しいことであると思わされました。先ほど述べた「創作における自由」についても、ポリコレ等の問題を無視していいとは完全には言い切れないですし、線引きが難しいところです。
しかし、線引きが難しいからこそ議論を呼んでいるのも事実なわけで。
こういった難しい問題ともうまく付き合いながら、“生み出す側”の者たちは創作に励む必要があるのではないかと、私は思っています。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
感想くださった方には一応返信していくつもりです。
追記:7/5、ジャンル別ランキング入賞感謝!