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この作品には 〔ガールズラブ要素〕〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

『勇者様と結婚することになったので』と言われて王太子との婚約を破棄された令嬢が、魔王候補生のお姉さんと魔王を目指すことになる話

作者: 湖柳小凪

 お立ち寄り頂きありがとうございます。少し長いですが、最後までお付き合いいただけると幸いです。

「こんな酷いことってないだろ……」


 真夜中の王城の一室。カーテンが開け放たれた窓からは一筋の月光が差し込み、涙の伝ったユリウスの頬を照らしていた。


 ――自分のことに対して自分よりも感情的になってくれる人がいると、かえって自分は冷静になる、って本当なのね。まあ、ちょっぴり嬉しいけど。


 そんなことを思いながら、わたしは最愛の人――ユリウスの美しい金髪を優しく撫でる。その眩い金髪は、彼がこの国の正統な王位継承権者であることの証だった。


「わたしのためにそこまで泣いてくれてありがとう、ユリウス。でも、いいのよ。もともとわたしとあなたの婚約だって、親が決めた政略結婚なんだもの。それがもっと優先課題の高い政略――魔族領との戦いのために婚約相手を換えなくちゃいけないなら、甘んじて受け入れなくちゃいけない身分だってことは弁えてるわ。それに、国の事情での婚約破棄なんだもの。王太子妃になれなくなっただけでそんなに酷い待遇を受けることなんてないって」


「確かに僕達は最初は親の言いなりで婚約した。でも! 一緒に時を重ねていくうちに僕は本気で君のことが……」


 ユリウスの言いかけた言葉を、わたしは彼に対する恐らく最後の接吻で黙らせる。恐らくこれが最後になるだろう殿下とのキスは、伝ってきた涙の味で少しだけしょっぱかった。


 するとユリウスの頬がほんのりと紅く色づいて、そんなユリウスの反応につい微笑んでしまう。


 ユリウスはわたしよりも2歳だけ年下の男の子。婚約し始めた頃は弟みたいだな、って思ってた。最近は彼の男らしさにはっととすることも増えてきたけれど、今でも不意打ちに垣間見せる弟みたいなところは変わらない。そんなところも含めてユリウスのことをいつしか異性として好きになっていたのはわたしも変わらないよ。でも。


「わたしもあなたのことが大好きになっちゃったからこそ、あなたには自分が幸せになる道を選んでほしいの。あなたがわたしのことを思い続けたら、きっとあなたは幸せになれない。国をほっぽりだして、国全体を敵に回すなんて、馬鹿けてる。だから――あなたはわたしのことを忘れて。そして、新たな婚約者のことを好きになってあげて。それが、きっとユリウスが、殿下が一番幸せになれる道だから」


 言い終わるとわたしは殿下の返事を待たずに踵を返す。これ以上わたしがいると殿下の判断が鈍りそうだったから。


 そうして、わたしは5年間の間自分の部屋だった王太子妃用の一室を後にした。



◇◇◇◇◇◇◇◇



 わたしが侯爵令嬢として生まれたクラリゼナ王国は、有史以前から、魔王の支配する魔族領との外交に頭を悩ませていた。人間の世界を侵略しようと襲い来る魔王軍と、それに対抗しようとする人類側最大戦力の勇者パーティー。その戦いは、200年前に魔王が封印されてすこし落ち着いてきたとはいえ、完全に幕引きとなる気配は一向になかった。


 と、いっても、最近のクラリゼナ王国では小康しつつある魔族との関係よりも、有力貴族との関係に重点が移っていたのもまた事実。有力貴族の令嬢として生まれたわたしは、物心ついた時から、貴族と王のバランスを保つためにわたしより2歳年下の王太子殿下と結婚することを決められていた。それから、わたしはこの歳になるまで王妃になるべく厳しい教育を受けてきた。


 そんな日々に嫌気がさしたことがないと言えば嘘になる。幼い頃は、なんでこんな年下の子と結婚しなくちゃいけないんだ、って思ってた。それは多分、殿下も同じだったと思う。でも。


 婚約者として一緒に時を過ごし、一緒に成長していく中で、いつしかわたし達はお互いのことが本当に好きになってしまった。少し肌が触れる度にどきどきし、ふとした時に見せる婚約相手の笑顔を見れる瞬間がたまらなく嬉しかった。そんな、相思相愛になったわたし達の関係は順風満帆かと思われた、そんな時だった。


 突如、王国で最も偉大な預言者が、今から10年後に起きる魔王復活を予言した。そうすると王家としては勇者パーティー、とりわけ当代勇者との関係を密にせざるを得ない。そして需要が高まった当代勇者の女の子は、これまでよりもだいぶ態度が大きくなっていった。そしてその果てに――魔王軍に対処する代償として、自分と王太子殿下ユリウスの結婚を求めてきた。


 その勇者の破天荒な提案に、王家は従わざるを得なかった。魔王がもし復活したら、対抗できるのは恐らく勇者だけ。国王は2つ返事で承諾し、即日、わたしと殿下に婚約破棄を命じた。そんな大きな政治上の力によって、元々政略結婚だったわたしと殿下の十数年間育んできた関係はグラグラのトランプタワーのように呆気なく吹き飛んだ。


 そして。新たな王太子妃を迎え入れするために後腐れがないように、ということでわたしと殿下の婚約破棄は国中の貴族の集まる大きなパーティーで、性悪なわたしに殿下が堪えきれなくなったから婚約破棄される、というストーリーに従ってわたしは婚約破棄されることが決まった。


 現実にどうだったかとか関係ない。全ての責任をわたしに押し付けて、殿下が新たな婚約相手である勇者様とスムーズに婚約しはじめられるように宰相たちが決めた虚構。


 それに対して殿下は最後まで抗議し、抵抗してくれた。でも、他でもないわたしがそのシナリオを受け入れたこと、そしてそもそも子供でしかないわたし達には何の決定権もないことから、わたし達の婚約破棄は特に変更なく進むことになった。


 そして、ついに明日がわたしが婚約破棄されるパーティーの日。今日はわたしと殿下が最後に2人きりで会える夜だった。



◇◇◇◇◇◇◇◇



「え……」


 国中の貴族の前でこっぴどく婚約破棄され、パーティーの途中で王城を抜け出してから1時間後。わたしは何故か、侯爵家の馬車で森の中に連れてこられていたわたしは素っ頓狂な声を出しちゃった。


 王国の北東部、魔族との国境をまたがって広がるラルカの森。そんな森の真ん中、楠の巨木の前で、なぜかわたしは馬車を下ろされる。


 ――婚約破棄っていっても、わたしが悪いわけじゃない。だからほとぼりが冷めたら妻をなくした老いぼれ田舎領主かどこかに嫁がされると思ってたけれど……。


 内心でそんなことを思っていると。


「申し訳ありません、お嬢様。ですが、御主人様から『皇太子に婚約破棄された傷物令嬢など、我が侯爵家にはいてはならない』とのことですので……我々も大変心苦しいのですが、ここでお別れです」


 これまでずっとわたしの面倒を見てくれた執事が無表情で言う。その時、やっと自分が全てを喪って森の中に捨てられるんだ、っていうことに気付いた。


 王太子との婚約破棄。それは、自分が思っていた以上に大変なことだったんだ、ということに手遅れになってからようやく気付いた。その瞬間、絶望と諦めが心の中を満たしていく。


 それでも一瞬、わたしはものわかりのいい子供でいようと思った。きっと執事たちもわたしを捨てるのが本当は心苦しいはず。殿下にかけたように、「気にしないで」って言ってあげなくちゃ。


 そう思って執事たちの顔を見上げるけれど、その表情には何の未練も見られなかった。わたしのことなんてどうだっていい、主人であるわたしの父上の命令に疑うことなく従うだけ。そんな考えが表情から読み取れてしまって、わたしは何も言えなくなっちゃった。


 それを見て執事たちは捨てられたショックのあまり口を開けなくなっているとでも思ったのか、一瞥しただけで憐みの表情すら浮かべずに馬車で走り去っていった。最後に残されたのは着の身着のままのわたしだけ。それ以外はなにも、誰も、残してくれなかった。


「……これが婚約破棄、か」


 自嘲気味に呟いて力なく空を見上げると、その時ようやく今日は曇天なのに気づいた。こんなに空が真っ黒だと雨が降りそうだな、と思った傍から桶をひっくり返した雨がわたしの身体を濡らし、冷やしていく。


 ――このままだと髪が傷んじゃう。いや、それ以上に風邪を引くか。


 そんなことを頭は考えるけれど、雨宿りのために動く気力が湧かなかった。最愛の人と引き裂かれ、家族から捨てられたって、それで人生ゲームオーバーじゃないことは知識としては知っている。生まれ育った王国ではない他国で、庶民としてなら今後の努力次第でどうとでもやり直せることは知識としては知っている。でも、今のわたしにはそもそも生きようという気力がなかった。そこではじめて、どれだけユリウス――殿下の隣にいることがわたしにとって生きる支えだったのかということに気付かされる。


 物心ついた時にははじまっていた花嫁修業・未来の王太子妃としての教育。それがわたしの十数年の人生の全てで、殿下だけがわたしの生きる意味だった。それを全て喪ったんだから、生きている意味なんてないよね。だったら……このまま衰弱死するのも悪くないかな。


 それから。わたしは避けることなく三日三晩、降り続いた長雨に打たれ続けた。水も食料も摂ってなくて、「動きたい」と思ってももう一歩も動けない。着ていたドレスはもうボロボロで原型をとどめていない。


 ――わたしが死に絶えて、この森の一部になるまであと少しかな。


 そんな時だった。


「君、こんなところで何してるの? ――って、しっかりしなさいよ、ねえ、ねえ! 」


 遠くから誰かの声が聞こえてくる。でも、その意味を理解するほど頭が回ってない。


 ――もう、限、界……。


 そこで、わたしの意識はぷつりと途切れた。






 目を覚ますと、そこには丸太で組まれた見慣れぬ天井があった。それからゆっくりと視線を動かすとエプロンを纏った水色髪碧眼の女の子がキッチンで料理をしているのが目にとびこんでくる。背丈からして、わたしよりもちょっと年上くらいかな。そっちから漂ってくる香り的に今調理されてるのはクリームシチュー、かな。


 わたしとしてはガン見してるつもりはなかったけど、不意に彼女と目が合い、ウインクしてくる。


「気がついたんだね。クリームシチューできたんだけど、食べられそう? 」


「あ、えっと……」


答えに窮しているうちにお腹が大きく音を立てる。


 貴族なのにはしたない、そう思うと顔が火照っちゃう。水色髪の少女も小さく笑ってるし。


「ごめんごめん。でも、別にいいんじゃないかな。お腹が空く、ってのは生きてるからこその感覚だし、今の君は貴族令嬢でも王太子の婚約者でもないんだから。自分に正直になってもいいんじゃないかな」


 そこでわたしは思い出す。そうだ、今のわたしって王太子の婚約相手でもなければ侯爵令嬢でもなんでもなかったんだ。


 そう言いながら少女は湯気の立ったクリームシチューを盛り付けてわたしが横になってるベッドまで持ってきてくれる。


 わたしはしばらくの間、前に出されたシチューに視線を落としていた。でも結局、我慢できずに銀の匙で一すくいし、口に運ぶ。


 口いっぱいに広がるクリームシチューの味わいは、これまで仮にも侯爵令嬢・なんだったら皇太子の婚約者としての料理しか口にしてこなかったわたしからすると雑な印象を受けた。素材そのもののの味を濃い味付けで上書きしてしまったような気さえする。なのに。


「なんでだろう、心にまで染みわたるような、優しくて温かい味わい……な気がする」


 そう言いながら、わたしの頬には温かい目のが伝った。なんでわたしは泣いちゃってるんだろう。そう疑問に思いながら、わたしは必死に涙を拭う。でも、一度流れ出した涙はそう簡単にやんでくれない。


「それは君のことを思って作ったから……だといいな。少なくとも、今の君に必要なスパイスは他人からの優しさだよ。それを我慢しないで受け取っていいんだよ」


 そう言いながら水色髪の少女は、銀の匙を握ったまま泣きじゃくるわたしの背中を優しくさすってくれた。


 ――こんな風に誰かの優しさを感じるのはいつ振りかな。王太子婚約者だった時だって、こんな温かい気持ちを注いでくれる人なんて殆どいなかった。唯一いるとしたら殿下だけど、殿下は婚約相手だし、年下だったし、むしろわたしがしてあげる方だった。そう思うと、こんな風に優しくされるのは初めてかも。


 そう思うと心の中に人割と温かいものが広がって、ますます涙が込み上げてきた。



 涙を流しながらもシチューを完食した後。わたしは自分の身の上に起こったことを少女に自然と語り始めていた。改めて考えるとつい感情が昂ったり、涙交じりになって所々聴いてられなかった話のはずなのに、水色髪の少女は真摯に聞いてくれた。


 一通り聞き終えると。


「すっごく頑張って、いろんなことを積み上げてきたのに、その全てがちょっとした変化で崩されちゃったんだ。辛かったね、なんて陳腐な言葉じゃとでもとてもいい表せない」


 しみじみとした様子で言う彼女に、わたしははっとする。これまで求められる自分であることは当たり前で、『頑張ったね』なんて言う言葉をかけてくれた人は初めてだったから。


「で、君はこれからどうしたいの? 」


 深く青い瞳で覗き込まれるように聞かれて、わたしは答えに窮しちゃう。


「例えば、自分を捨てた王国に滅んで欲しいとか思う? わたしを不幸にした世界なんて無くなってしまえ、って思う? そして王国の政治に振り回されて捨てられたわけだし」


「それは……」


そんな発想自体がこれまではなかった。じゃあ、そんな選択肢がもしあるとして、わたしはそれを望むのかな。


 胸に手を当てて少し考えてみる。そうなったら少しは気持ちが晴れるかな? ――うんうん。


 わたしは首を横に振る。


「いくら自分が酷い目に遭ったからって、やっぱりそんなことは望めないよ。国王陛下の気持ちも、父上の考えも理解できないわけじゃないし」


 そう諦めたように言うわたしに、水色髪の少女は一瞬何かを言いかけ、それから小さくため息をつく。


「君は物分かりがよすぎるね。周りから求められることばかりを気にして、自分の本当の感情を押し殺して。そんな君は、あたしから見たらすごく脆く見える。これまでだって、誰にも相談できなかったんじゃない? だから雨の降る森の中で誰にも助けを求められずに、1人で潰れちゃったんじゃない? 」


 そう言いながら、水色髪の少女はベッドについたわたしの右手に自分の掌を重ねてくる。じんわりと伝わってくる人の熱。こんな感覚も久しぶりすぎて、わたしはまた泣きそうになっちゃう。


 ――ほんと今のわたしはダメだな。1回ボロボロになったせいで、ほんのちょっとした人の温もり・人のやさしさに触れただけで、泣きたくなっちゃう。


 そんなことを思って涙を拭おうとすると。


 次の瞬間。少女はわたしのことを抱き寄せてきて、突然のことにわたしは一瞬、何が起こったのか理解できなかった。


「確かに君は生まれながらにして婚約相手のお姉ちゃんであることを求められていたのかもしれない。でも、今は王太子婚約者でも何でもないんだから、無理をする必要なんてどこにもないんだよ。嬉しかったら思いっきり泣けばいいし、あたしに対して思いっきり甘えたいなら思いっきり甘えていい。あたしの前では、どんなに我儘になったっていい。深く傷ついた君には、その権利があるんだよ。あたしには、それをこういう形で埋め合わせることぐらいしかできないけど」


 優しい言葉に、わたしの涙腺はあっけなく崩壊する。そんなわたしのことを、水色髪の女の子はいつまでも優しく抱きしめてくれた。



 わたしがひとしきり泣き終えた後。


「あのさ。もしやりたいことがないんだったら、ここであたしと一緒に暮らしなよ 」


 さも何でもないことのようにさらっと、女の子は言う。


「いいの……? 」


「うん。あたしもちょっと1人は寂しいな、って思ってたところだし。あたしがあげられるものなんてあんまりないけど、少なくとも君が自分に素直になれる場所は提供してあげるから。だから、あたしの前だったらもう涙を隠したりなんてしなくてもいいんだよ? 」


 それ、わたしが泣き虫キャラだと思われてる? それはちょっぴり心外だな。でも……。


「ありがとう。わたしも、あなたともっと一緒にいたい」


 この十数年間、いろいろなことを諦めて、押し隠し続けてきたわたしが口にした久しぶりの、心からの本音。そんなわたしの本音に、女の子も微笑を浮かべて頷いてくれた。


「そう言えば、まだあたしの名前を言ってなかったね。あたしはメロン。君の名前は? 」


「わたしは……キャロ」


「へぇっ、可愛い名前だね」


 そう言って金髪の女性――メロンは向日葵が咲いたかのような満面の笑みを浮かべてくる。


 そうして、全てを失ったわたしは、生まれてはじめてであった自分が素直になれる女の子との共同生活を始めたのだった。




 わたしとメロンが住む森での生活は基本、自給自足。畑で野菜と穀物を育てて、狩りや山菜を収集して、木材を切り出して。必要なものは殆ど自分達で調達する。そして本当に時々、森の外の冒険者ギルドに素材を卸して通貨を手に入れ、森ではどうしても手に入らないものを買ってくる。


 王太子の婚約者だった頃とは比べるまでもなく慎ましやかな毎日。でも、わたしにとってはメロンといられるだけで毎日が幸せで、楽しかった。貴族だった頃はどうしてもいろんなしがらみに囚われて、大好きな殿下と同じ時間を過ごせる機会なんて1週間の内でもほんの一握りしかなかったから。でも、ここには日々の追い立てられるような公務もなければ、花嫁修業もない。のんびりと時間が過ぎていく。それでいて、本心を隠したりする必要はない。そんな生活の中で、わたしは大分素直になれた気がする。逆に本心を隠してむるをしようとすると毎回、メロンに見抜かれてふくれっ面をされちゃった。


 何気ない日常。でもそんな日々が、わたしにとっては何よりもかけがえのない宝物のように思えた。今度はこんな宝物みたいな日々がずっと続くといいな、いや、今度はきっと、死ぬまでずっと続くんだ。わたしはそう、信じて疑わなかった。でも。



 わたしとメロンが出会ってから3年後。その日常は音を立てて壊れ始めた。



 最初の予兆はメロンが眩暈でもするかのように頭を押さえる日が増えたことだった。当然わたしは心配になって何度か声をかけたけれど、メロンは「平気平気」と言うばかりで、真面目に取り合ってくれなかった。だからわたしからも特に何か言うことがなくなって、そんな日々が当たり前にりかけた矢先。メロンが突然倒れた。


 ――神様はまた、わたしから大切なものを奪っていくの……?


身を引き裂かれるような不安を抱えながらも、わたしは倒れたメロンを必死に看病した、そしてメロンが目を覚ましたのは倒れてから実に3日後。


「ごめんね、いきなり倒れたりしちゃって」


 いつものように、はにかみながらメロンが言う。でもその笑顔はいつもと違って無理をしているように感じた。


「わたしの前でそんな取り繕った笑いなんて浮かべないでよ。だってわたしに素直になれ、って言ってくれたのは他ならないメロンでしょ。メロンだって、わたしの前では素直になってよ! 苦しいなら苦しいって、悩んでることがあるなら悩んでる、って言ってよ! わたし達、もうそう言う関係でしょ……? 」


 いつになく強い調子でいうわたしにメロンは暫く逡巡していた。でも結局。意を決したかのようにメロンは口を開く。


「そうだね、いつまでもキャロに黙っているわけにもいかないか――実はあたし、魔王候補の1人だったんだ」


 そして、メロンは自嘲したような笑みを浮かべながら話し始めた。



 メロンの話によると、魔族領にはとりわけ強大な力を持った名門貴族が7つ存在するらしい。その7つの魔貴族は千年以上の前から代々、それぞれ【強化】・【再生】・【時空】・【幻想】・【創造】・【崩壊】・【原素】という、概念そのものに干渉し、定義し直す強力な魔法を受け継ぎ続けてきて、その魔法を受け継いだものこそが、それぞれの一族の当主となる運命を背負っていた。しかし、この7つの貴族家は単に魔族側最強と言うだけの役割に留まらなかった。7大貴族の最も大きな役割、それは7大貴族の中から魔王を選出することだった。


 7大貴族の当主は数十年に一度、その強大な力を互いにぶつけ合い、7大貴族の中の最強を決める”継承戦争”と呼ばれる儀式を行う。その過酷な殺し合いで最後まで立っていた、真の意味の最強の魔族こそが、魔族全体を治める魔王となるのだった。しかし、ここ200年間、7大貴族は存続しながらも魔王空位の時代は続いた。その理由は人間側が魔王復活を阻止していたわけじゃない。単に概念魔法同士のぶつかり合いの継承戦争が熾烈を極め、200年間の間に数度行われた戦いで誰一人生き残れなかったという事態が続いたというだけの話だった。


「今から5年前のこと。数十年ぶりに7大貴族の真の意味での当主――つまり概念魔法を受け継いだ当主7人が揃うことになった。そしてあたしはそのうちの1人――概念魔法【原素】を受け継ぐ魔王候補の1人だった。そんなあたし達に課せられたのは最後の1人――『魔王』が決まるまで殺し合いを続けること。そんなデスゲームを、一族も、魔族領全体もあたしに強制してきた。そりゃそうだよね、一族にとって自分達の中から魔王を輩出するのはすごく名誉なことだし、一般市民としても、いつ再開されるかわからない人間との戦いに備えて絶対的なリーダー、つまり魔王がいてくれたらどんなに心強いか。自分以外の全てがあたし達の殺し合いを望んだ。それはあたし以外の魔王候補達も。そんな中――あたしは1人、戦いが怖くなって逃げ出しちゃった」


 そこでメロンは乾いた笑いをまた漏らす。


「同族同士で殺し合うなんて間違ってる、そもそも魔王なんか即位しちゃったらこの世界のバランスが崩れちゃう。そんな風に逃げた自分を納得させていたけれど、本当は役目から、一族の仲間から逃げた自分を肯定したいだけ。本当のあたしは臆病で、弱虫なだけ。全てを逃げ出したあたしは他の魔王候補から見つからないように森の中に身を隠した。そして、森の中に棄てられた”元貴族”の君と出会うことになる」


 元貴族。あえてその言葉を使ったメロンにわたしははっとする。


「もしかして、メロンがわたしを助けてくれたのって……」


 わたしの言葉にメロンは自嘲気味な表情のままうなずく。


「その通り。あたしは君に、自分を重ね合わせていたのかもしれない。棄てられ、全てを失くした君を肯定して、自分から貴族と言う立場も役目も棄てた自分の選択が正しかったと、そう思わせたかったのかもしれない。あたしは最初から、君のことを、自己肯定感を高めるために利用していただけなんだよ。君に優しくしたその全てが、本当は自分のためだったんだ。ほんと、魔王候補と言う立場から逃げ出しておきながら、すること成すこと本当に最低だよね、あたしって」


「……」


「最近の体調不良はそんな風に役目を放棄して逃げ出したあたしに対する天罰なんだよ。魔王候補の証でもある概念魔法はそれ自体に疑似的な意思のようなものが組み込まれている。所有者を魔王候補としての役割に縛り付け、魔王候補同士の殺し合いを促すような意思が、ね。戦いを拒んだあたしは、そう遠くないうちに概念魔法【原素】に込められた意思によって殺される。まあ深く傷ついた君を3年間も利用してきたことを考えたら、当然の報いかな」


 言い終えたメロンはどこか諦めたような表情をしていた。そんなメロンにわたしは無性にむかついて


「……ふざけないでよ」


と漏らしちゃう。その言葉にメロンは目を丸くする。


「えっ? 」


 そんなメロンを見てると、一旦零れ落ち始めた言葉は留まるところを知らない。わたしは感情をぶちまけちゃう。


「ふざけないでよっ! 勝手に人に悪いと思って、勝手に天罰を受けて楽になろうなんてしてるんじゃないわよ! 確かにメロンにとって、わたしに優しくしてくれたのは自己満足だったかもしれない。でも、その自己満足で他ならないわたしは救われたの! その優しさが真にわたしに向けられたものじゃないとしても、それがわたしは嬉しくてたまらなかったの! 全てを失って、誰からも愛を注がれなかったわたしにとって、その優しさがどんなにありがたかったかわかる? だから、勝手に責任感じて消えようなんてしないでよ! わたしを、もう独りぼっちになんてしないでよ……」


 そう話している間に涙が溢れてきて、最後の方は嗚咽交じりで言葉にすらなってなかった。そんなわたしに、メロンは困った顔をしながらひたすらわたしの背中を優しく撫でてくれた。


 ――理不尽な目に遭って泣きたいのはメロンの方なはずなのに、わたしって、メロンの前じゃほんと泣き虫で、脆い女の子だな。


 そう思ったけれど、流れ出した涙はそう簡単に止まってくれなかった。




 その後。ようやく泣き止んでメロンの部屋を出てから、わたしはずっと、どうやったらメロンと一緒にいられるのかについて考えていた。3年前のわたしだったら殿下との婚約破棄を受け入れてしまっていたかもしれない。でも、今度はどうしても「仕方がない」なんて諦めたくなかった。泥臭くたっていい、悪あがきに見えてもいい、わたしにできることならどんな手段を使ってでも、わたしはメロンとの時間を守りたかった。わたしに生き場所をくれた恩人と、はなればなれになるのは絶対に嫌だった。


 それから3日間。考えに考え抜いた末。


「ねえメロン。あなたの概念魔法、わたしにくれない? 」


 何でもないことのようにきりだしたわたしに、メロンは固まる。そんなメロンの答えを待たず、わたしは言葉を畳みかける。


「ずっと考えてたんだ。どうしたらメロンと一緒にいられるんだろう、って。それで辿り着いたのが、わたしがメロンの【原素】をもらって、メロンの代わりに戦う、ってこと。だって魔王候補の戦いに参加さえすれば、その魔法がメロンのことを殺すことはないんでしょ。だったら、わたしがその力を使ってメロンの代わりに戦う。メロンのためなら魔王にでもなんにでもなってや」


「……キャロ、それ、ふざけて言ってる? 」


 いつにないメロンの剣幕に気圧されて、わたしは口を噤んじゃう。そんなわたしにお構いなくメロンは話を続ける。


「……概念魔法を引き継ぐっていうことがどういうことだか、キャロはわかってないよ。概念魔法を持ってるってことは、それだけで殺し合いに巻き込まれるってことなんだよ。概念魔法と言う一撃で都市機能を容易く麻痺させるだけの過剰な暴力を、キャロみたいな、か弱くて小さな体1つに向けられることだって幾らでもあるんだよ? そんな理不尽な戦いに、最後の1人になるか殺されるまで巻き込まれる。いくらクズで君のことを利用し続けたあたしだって、そんなのに大切なあなたを自分の身代わりに巻き込むなんてイヤだ! 」


 話しているうちに段々とヒートアップしてきたのか声を荒げて言うメロン。でもそのおかげで、わたしは冷静になることができた。


 ――『大切なあなた』って、わたしのことを利用する利用するなんて言っておきながらメロンもわたしのことを思ってくれてるんじゃん。だったら、わたしが今ここで引く理由はなくなった。


 そう確信して、わたしは言葉を続ける。


「それもこれも全部全部、わかってるつもりだよ。概念魔法をもらい受けたら最後、想像を絶する戦いがわたしのことを待ち受けてるんだと思う。ただの貴族令嬢だったわたしなんかじゃ、序盤であっさりと死んじゃうかもね。でも……自分が死んじゃうことより、メロンを失って1人で無駄に生かされ続ける方がわたしには辛くて、耐えられないの。今のわたしはメロンなしじゃ生きていけないんだよぉ。わたしをこんな体にしたの、メロンのせいなんだからね? 責任取ってよ! 」


 我ながら滅茶苦茶な理屈だと思う。それに自分が一人残されるのが嫌だと言いながら、相手には一人残されるかもしれない可能性を押し付けてる。でも、わたしはメロンの前だけではどこまでもわがままでどこまでも自分の意見を素直に言える。それが、メロンがくれた今のわたしだから。


 それは他ならないメロンだってよくわかっていた。メロンの瞳はしばらく悩んでいるかのように揺れていた。でも結局。


「わかった。キャロにはお手上げだよ。でも、絶対に1人で戦わせたりなんてしない。もしキャロがあたしの力を手に入れて魔王継承戦争に挑むっていうなら――【原素】の力はあたしと半分こだけ。あたし達は2人で1人。概念魔法を2人でシェアして、そして、この狂った戦いに2人で勝ち残ろう? 」


 そこでメロンは本当に久しぶりに、ウインクして見せた。その横顔は不安のためか儚げで、それなのに強くあろうと必死に努力している色が見える。そんなメロンの横顔をわたしは不覚にも、美しいと感じちゃった。




 それから。メロンはわたしに【原素】の一部――【炎】と【風】の力を移植した。【力】を無理やり移植される時は滅茶苦茶痛かったはずなのに、「メロンの一部がわたしの中に流れ込んできてる」と考えると、不思議に痛みは消えていった。そしてそれから。森を抜け、魔族領に攻め込んだわたし達と他の魔王候補生の戦いの火蓋が切って落とされた。


 その戦いはわたしが覚悟していたものよりも遥かに過酷なものだった。概念魔法と言うのはともすればこの世の理さえも捻じ曲げてしまえる力。戦いの中で村が一つ消え、湖が1つ干上がり、積み上げられていたはずの歴史が1ページ白紙になることなんてざらにあった。それなのに、わたし達1人あたりはそんな破格の力の僅か半分しか持っていない。わたし達は常に個人としては格上相手と戦わざるを得なかった。それでも、わたしとメロンは互いを信じて無謀と思われる戦いに挑んだ。その中で何度死にかけたかわからない。でも、その度に互いを思い合う力でわたし達は強敵を撃ち滅ぼしてきた。


 そして森を出てから7年後。


「これが6人目……! 」


 呼吸を乱しながらも地面に転がった敵の魔王候補の心臓に氷の剣をとどめとばかりに突き刺して、メロンは宣言する。そう、森を出てからの7年間でわたし達は他の全ての魔王候補を殺しつくしたのだった。ここまで本当に長く、辛い旅路だった。でも。


 もうわたし達の命を狙ってくる奴なんていない。概念魔法そのものに戦いを急き立てられることなんてない。そう思うと放心して、わたしはその場に大の字になって寝転がっちゃう。

 するとメロンもわたしの隣に寝っ転がってくる。


「長い長い戦いが終わったね」


 しみじみとした口調でメロンが言ってくるので、わたしはちょっとお茶らけて


「うん。すっかり手は血で染まっちゃった」


と、口にしてみる。これまでに手にかけた人の数を考えると、とてもお嫁にいけないな。でも、それでいいか、って思った。今からどこかの男のお嫁さんになるなんてどんなに頼み込まれたって応じる気なんてないし、そもそもわたしの永久就職先は最初から決まっている。ただ決定事項を受け入れるだけのお姫様は、もうここにはいないし、要らない。


「今日からメロンは魔王様、か。即位の抱負は? 」


「そんなのあるわけないよ。だって最初っから魔王なんかになりたくて戦ってたわけじゃないもん。ただ、大好きな人と添い遂げたい一心で、邪魔する人たちを倒してきただけだもん。――これからは、あたし達のことを放っておいて、自由に生きさせてほしい」


 メロンのその言葉にわたしがつい顔を綻ばせると。


「ちょっと、なに笑ってるのよぉ! 」


と、すぐさま魔王様からのお叱りが入る。


「ごめんごめん。でも、メロンも7年前に比べたら素直になったなぁ、って。7年前だったら絶対、わたしのことを『大好き』なんて素直に言ってくれなかったでしょ」


「そりゃ、死線を何度も一緒に潜り抜けてきたんだもん、それぐらい素直にはなるよ」


 ちょっと不貞腐れたような表情になるメロン。でも。すぐにメロンの表情は微笑みを浮かべる。


「これからは、いくらでもお互いの愛を素直に伝え合おう? そのための時間はたっぷりあるんだから。2人で思いっきり愛し合う時間を、あたし達は勝ち取ったんだから」


 そう言ってウインクするメロンは、7年前とは違うけれど、これはこれで綺麗だった。




 次の日。わたしと魔王様――メロンは、もう幾度となく見慣れた木漏れ日の中を歩いていた。温かな日差しがさす、静かな森の中を、わたし達は互いの指を絡ませて繋いだまま、ゆっくりと歩いていく。


「戦いが終わってから初めてのデートなんだから、もっとお洒落な場所をねだってくれても良かったのに」


 そう言うメロンの言葉に、わたしはゆっくりと首を横に振る。


「うんうん、わたしがここが良かったの。だってこの7年間、こうしてゆっくりと一緒に散歩することなんてなかったし。それに、これからだってずっと一緒にいるんだもん。世界中のお洒落なところ、楽しい所はこれから一緒に巡り歩けばいいよ」


 わたしのことばにメロンは瞼を閉じてゆっくりと頷く。


「うん、それもそうだね」


 そう話しているうちに、わたし達は楠の大きな巨木の前にやってくる。それは、わたしにとって思い入れのある特別な場所だった。


「メロンは覚えてる? 10年くらい前、この場所でメロンが、全てを失って絶望の淵にいたわたしに手を差し伸べてくれた日のこと」


 そう。ここは全てを失ったわたしが「始まった」場所。そんなわたしの言葉に、メロンもしみじみとした様子で頷く。


「忘れるわけないよ。あたしにとってもここは、羽根の引きちぎられた天使と巡り合った大事な場所だもの」


「羽根の引きちぎられた天使? 」


 はじめて聞く言葉にわたしは反復すると、メロンは明らかに「しまった」と言った表情になる。でも結局、観念したように話しはじめる。


「照れ臭かったからこれまで言えなかったんだけどさ……あたし、キャロを見かけた最初の第一印象が『羽根の引きちぎられた天使様みたい』だったんだよね。天使のような美貌を持ちながら、それでいて最も美しい部分を強引に千切られて傷ついてる。そんなあなたの美貌に、最初からあたしは一目惚れしちゃってたのかもね」


 そ、そんな恥ずかしいこと言わないでよ。照れくさくなったわたしは赤くなった頬を誤魔化すように、衝動的にメロンの唇に自分の唇を触れさせる。


 そんなわたしの行動に、メロンは暫く何が起こったのかわからずに呆然としていた。でも、数秒してからあわててわたしの体を引き離す。


「な、なにやってるのキャロ。外でキスをするなんてはしたないよ」


 頬を上気させながら言うメロンの反応は初心で可愛い。そんなメロンをちょっとからかいたくなってわたしはいたずらっぽい笑みを浮かべる。


「この数年間でわたしは誰かさんのせいで堕天使に堕とされちゃったもんね。イケナイことだってしちゃうよ。――ってのは半分冗談で」


 そこでわたしは一呼吸おいてから、言葉を続ける。


「別に外でキスぐらいしたっていいでしょ。わたし達はもうとっくに両想いだってわかってるんだし、メロンは魔族で一番えらい魔王様になったんだよ? もう誰にもわたし達の時間を邪魔することなんてできないし、邪魔させない」


 わたしの言葉にメロンはふっと微笑む。


「それもそうだね」


 木漏れ日の差し込む静かな森の奥。わたしとメロンはそれから、どちらからともなく互いに何度も、接吻を交わした。




 そしてわたし達が思う存分キスをし終えて、そろそろどちらともなくキスをやめようとした時だった。


「! 」


 いきなりメロンがバランスを崩してわたしは慌てて受け止める。するとメロンの背中には銀色のナイフが突き刺さり、血でべっとりと濡れていた。


 ――戦いは終わったはずじゃないの? って、そんなことより突き刺さったナイフを抜いてすぐに治療しなくちゃ。


 そう判断して、銀色のナイフに触れたその瞬間。


 触れた先から電撃が走るような感覚に、わたしは顔を顰めて思わず手を放しちゃう。そのナイフに、わたしの中にある【原素】が拒絶反応を示す。何なのよ、これ……。


 いよいよパニックになったわたし。そんなわたしの手を、メロンは力を振り絞って包み込んでくれる。


「ごめん、キャロ。ずっと一緒にいる、って約束したのに、あたし、もう無理そう……」


「無理だなんて言わないでよ! メロンが死んじゃうなら、なんのためにこれまで苦しみながらも戦い抜いてきたかわからないじゃん! メロンが死んじゃうなら、わたしもそれを追って……」


 わたしがそう言うと、メロンは握ってくる手の力をぎゅっと強めてくる。


「それはダメ。生きられるなら、キャロには生きていてほしい」


「そ、そんなの我が儘だよ! 」


 いつの間にかわたしの頬には温かいものが伝っていた。そんなわたしとは裏腹に、メロンはあははは、と力ない笑い声を漏らす。


「そうだね。でも、キャロに対して素直になれ、我が儘になれ、って言ったのは他ならないキャロだよ。なのに、あたしはあんまりキャロに我が儘を言ってこなかったじゃん。だから、最後にあたしの我が儘を聞いて。あたし、キャロのことが大好きだから、キャロにはもっと生きていてほしい。そしてこれからの人生、人間としてのあたしは消えちゃうけど……あたしの中に宿っていた【原素】と、その残り香はきっとキャロのもとに残ると思うの。それをあたしだと思って、ずっと一緒にいてほしい」


「魔法が、残り香がメロン? そんなこと思えるはずがないよ……」


 泣きじゃくりながら言うわたし。そんなわたしをなだめすかすかのようにメロンは言葉を続ける。


「そうだとしても、あたしはそうお願いしたいの。そうすると、いつまでもあたしはキャロと一緒に過ごせるような気がするから。キャロと一緒に2人ではいけなかった場所に行って、見れなかったはずの景色を見て、生きられなかったはずの新しい時代を生きる。そうできたら、凄く素敵で、嬉しいな、って思うんだ。だから、そんなあたしの願い事、聞いてもらえないかな」


 そう言いながらも、メロンの体はまばゆい光に包まれていく。


「なにこれ……お別れなんてイヤだよぉ! 」


 そうわたしが叫んでもメロンの身体を飲み込む光は止まらない。そして――完全に光がメロンの身体を覆った次の瞬間、わたしの手にはずっしりとした感触があった。わたしの手の中には、蒼く光る弓があった。それがメロンの言っていた残り香で、その中に【氷】と【土】の力が宿っていることが、何故かわたしには伝わってきた。


 ――こんなのだけ残してわたしを独りぼっちにするなんて、酷いよ。


 そう思いながらも弓をぎゅっと抱き締める。抱き締めた弓は当然だけど無機物で人のような温もりはなく、ひんやりとした感触があるだけだった。と、その時。


「10年前に預言されていた魔王の復活が実現しただけでも驚きだったのに、まさか王太子殿下に婚約破棄されたあなたが腹いせに魔王に力を貸してるなんて……ほんと番狂わせもいい所ですね。まあ、魔王はもう死んだんですし、もしキャロさんが今投降してくれるなら、キャロさんは魔族に傷心の所を付け込まれたんだ、って証言してあげますよ」


 聞き覚えのある声がした方を、わたしは怒りに満ちた目で睨みつける。そこにいたのは見覚えのある銀髪の少女――クラリゼナ王国が擁する女勇者にして王太子妃でもあるレイだった。そこでわたしは納得する。魔王になったメロンを一撃で仕留めた武器。あれは、勇者の使う聖武器だからメロンでさえも一撃で絶命してしまったんだ。そう思うと、沸々とした怒りがわたしの中でさらに強く、強く渦巻く。


 そんなわたしの心情を知らずに、レイは耳障りな声で言葉を続ける。


「返事はどうしたんですか、元王太子婚約者さん」


「……うるさい。お前なんか、死んじゃぇぇ! 」


 激情に駆られたわたしは蒼穹を例に向かって構え、その弓を引く。それを見て、レイは鼻で笑っただけだった。


「矢がない弓を引いて見せるなんて、婚約破棄されてから頭でもおかしくな……」


 レイはその言葉を言い終えることができなかった。矢が装填されていないはずの蒼穹。でもわたしがそれを引いた途端、【炎】【氷】【土】【風】の魔法で生成された無数の矢がレイを一斉に狙い、彼女のことを串刺しにし、絶命へと追いやったのだから。


 レイが後ろ向きに鈍い音を立てて倒れた瞬間。わたしはふっと我に帰る。


「ああ、やったよ、メロン。ちゃんとわたし、メロンの仇を討てたよ」


 そう語りかけても、人ならざる蒼穹は答えてくれることなんてない。そんなことわかってた。分かってたけど……わたしは話しかけずにはいられなかった。


「……キャロ」


 これまた聞き覚えのある声がした。


 鬱陶しいな。今めちゃくちゃムカついてるんだけど。そう思って面倒くさいのを隠そうともせずに顔を上げると、わたしの目に甲冑に身を包んだ殿下――ユリウスが映りこんでくる。実に10年ぶりの、かつての最愛の人との再会。そのはずなのに、わたしの心はびっくりするほど動かなかった。それ以上に今の最愛の人を喪った悲しみに暮れる邪魔をされたくない、と言う感情の方が圧倒的に強かった。


 でも、ユリウスの方は違ったみたい。わたしの姿を認めた瞬間、ユリウスの表情はぱっとあかるくなる。でもすぐに、状況を認識したユリウスの表情は一変する。


「……僕は父上から君と婚約破棄されてからもずっと君のことを思い続けてきた。王になり、ボクが誰からも束縛されなくなったらいつかは君を正妻として迎え直したいと、そう密かに決意していた。だから君が魔王に囚われていると報告を最初に受けた時、気が気じゃなかった。一刻も早く君を救い出したい、そう思って無理に魔王討伐に出かけた冒険者パーティーに参加させてもらった! なのに他ならない君が勇者様を手にかけるなんて……何かの間違いだよな! 間違いだって言ってくれよ。君は人殺しなんかできる人じゃないだろ」


 懇願するように言いながらその場に崩れ落ちるユリウス。そんなユリウスに、わたしは反感に近いものを感じていた。


 ――今のわたしのことを何も知らないくせに、わかったことを言われるのはメロンと過ごした10年間を否定されているようで、不快だな。


 そう思ったけれど、それ以上ユリウスが何も言わなければその思いは抑えこめたかもしれない。だけど。


「……こんなの、まるでキャロ自身が魔王みたいじゃないか」


 その言葉が、わたしのとって最後のトリガーとなってしまった。


 ――そっか。今回の魔王継承戦争で生き残ったのは結局わたし1人だけ。勇者さえも殺したわたしは……ユリウスの言う通り、魔王なんだ。


 そう思うと、おかしくって高笑いが漏れちゃう。そんなわたしを気味悪がるかのようにユリウスは一歩後ずさる。でも、そんなのわたしは少しも気にならなかった。


「魔王、か。あはは、なら、それでいいや。わたしは魔王。あなた達の敵。そうわかったら、さっさと逃げるなりなんなりしてくれない? そうしないと――殺しちゃうよ? 」


 そう言ってギロッと睨みつけると、ユリウスの体は小刻みに震え、それから、回れ右してレイの遺品すらも回収することなく、王子様は一目散に逃げだした。そんなユリウスを追いかけようなんて言う気はわたしにはさらさらない。今はとにかく、1人きりでメロンを失った悲しみに浸らせてほしかった。




 その後。1人きりになって行き場所を失ったわたしは、魔族領へと戻った。そんなわたしを、魔族たちは『魔王』として祝福を持って迎えられた。でも、だれから祝われても、わたしの心はちっとも動かなかった。そしてわたしは即位から数か月も経たないうちに、彼らに担ぎ上げられるまま、人間側の領地を蹂躙し、支配下に置いていった。


 200年ぶりに即位した魔王の力は自分で言うのもあれだけど、とても人間に叶うレベルではなかった。その上、今の人類側は勇者を失っている。わたしは1年も経たないうちに世界全土をその手中に収めた。世界中の人間が、魔族が、わたしに向かって跪く。その中にはかつての婚約相手――ユリウスの苦渋に満ちた表情もあった。でも、幼い頃はあんなにも好きだった彼をそんな表情にしても、わたしの心は全く動かなかった。そんなわたしのことを、いつしか人々は『無情の王』『不動の王』と陰口をたたくようになったけれど、それに対して怒りや悲しみを感じる感性さえ、その時のわたしからは抜け落ちてしまっていた。


「メロンを失ったあの日からわたしの心はどんな刺激にも動かなくなっちゃった。あなたを失ったあの日から世界は色を、香りを、匂いを失った。こんな世界でも、わたしはあなたと一緒に生き続けなくちゃいけないのかな。それが6人の魔王候補を殺し、元婚約者を裏切った、わたしに課せられた罰なのかな」


 誰もいない魔王の執務室。わたしの独り言に、蒼穹は何も答えてくれなかった。

 ここまでお読みいただきありがとうございます。本作はもともと、『【連載版】「百合の間に挟まる女騎士は要らない」と言われて勇者パーティーを追い出されたぼくが辺境伯令嬢に拾われる話』に登場する蒼穹の魔女というキャラクターが主人公のスピンオフとして企画が始まりました。なので途中までは本編の第35話・36話と殆ど同じ話となっていますが、本連載を書いているうちに最低を超えた最低のバッドエンドを思いついてしまったので独立させて設定を整理し直して独立した短編に仕上げたのが本作になります。なので本作だけでも楽しめるように作ったつもりですが、キャロにもう少し救いがある本編の方も、気になったら読んでいただけると嬉しいです。


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[良い点] ありえたかもしれない未来か… おもしろさだけで言うと、正直本編でもよかったレベル! 三作の短編を読ませてもらいましたが、好みでいうと間違いなくこちらです! [一言] いい百合をあり…
[良い点] これはすごい。 ストーリーの筋道がはっきりしていながらも、そのうねりのなかで変化していく人間模様、怒り。自分を救ってくれた、愛するものを失った主人公が復讐に燃える展開はとてもアツいものでし…
[一言] このまま幸せな日々を過ごしてほしい……そう思った矢先の悲しい現実に胸を締め付けられる心地でした。殿下とのすれ違いも、仕方ないこととはいえ切ないものです。本編ではヒロインにも少しだけでも救いが…
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