エピローグ 忘れじの花
今までありがとうございました
━━それから、5年の月日が流れた。
世界は、争いの記憶も薄れるほどの平和を保ち続け、人々は戦火に脅かされる事のない日々を過ごしていた。
ランティスは城内地下の、牢屋へと続く階段を降りていた。そこに収監されている、少年に会うためである。
階段を下り、1番手前の檻の前に足を止めると、鍵を開け鉄格子を開けた。
「出ろ、エンカ」
名前を呼ぶと、膝を抱えて俯いていた少年が顔をあげる。
亜麻色の髪がふわりと動き、青い瞳はまばたきを繰り返した。
状況を飲み込めていないのか、座ったまま動かない旗手に、ランティスは顎をクイと動かして立つよう促す。
それを見て、エンカはようやく立ち上がる。5年間投獄されていたと思えないほど、よく整えられた格好をしていた。
「オレが出れるって事は、そういう事だね?」
ランティスは表情を崩す事なく頷く。
その返答に、エンカは目元を緩ませた。
「クインヘルは、ほんとに王様になれたんだね……」
嬉しくて、泣きそうな声の、心からの呟きがもれた。
エンカが収監されたのは、クインヘルが旅立ってから数日後の事であった。
結局、エンカとラシュタードが別行動を起こし、さらにエンカが戦線に加わったことが露呈してしまい、ぶちギレたランティスが王に進言。
ローダの国王ヴァーメランが、旗手をこれ以上余計な危機に晒させないために、地下牢への投獄を命じたのである。
それからの牢屋生活は罪人と変わらない。毎日監視がつき、1日3回の食事が淡々と出される日々が続いた。
けれども、エンカは旗手。この国の存続を司る守護神である事に変わりは無い。
罪人と同じ扱いでも、清潔は保たれ、体調管理にもよく気を配られていたのである。
━━しかし、期間は一生ではない。一応、期限が設けられていた。
その期限とは「クインヘルが女王となるまで」……クインヘルが女王にならなければずっと牢屋生活を強いられる事を意味し、そして今回、牢から出られるという事は……。
「今からアナゼル王国へ向かう。……クインヘルに会いに行くぞ」
先ほどまでの冷酷な表情がコロリと変わり、ランティスが微笑む。
先王の子、クインヘルが新王として即位したという正式な報せが、アナゼル王国から届いたのだ。
じめじめした地下牢から脱出し、5年ぶりに自由の身となるエンカは声を出しながら背伸びをする。
2人は出発の準備をすべく、城内を歩き始めた。
「ところで、ラシュタードは元気?」
「よくやっていると聞く。あそこではサボるにサボれないだろうし、あいつにはいい薬だろ」
ラシュタードは投獄されない代わりに、旗手正護衛の任を外され、帝政にいるアインスタベルト本家当主であるローズクローネのところへ行かされていた。
間諜としてそれなりに忙しくしているようで、よくも悪くも非情な一面を現場で発揮しているようであった。
「ひとまずこれに着替えろ。急ぎはしないが、準備ができ次第アナゼルへ出発する」
渡されたのは白の軍服。旗手専用の、エンカにのみ着衣が許された特別な衣服であった。
「わあ、懐かしいね」
「そうだな……。着替えならそこの部屋を使え」
ランティスは適当な部屋を指差す。
エンカはその一室で軍服に袖を通しながら、あの子の姿を想像した。
17歳の少女から女王となったクインヘルは、どのような人になっているのだろうか。きっと目を見張るような、呼吸も忘れさせるほどの美貌を持つ女性になっていることだろう……。
本当に嬉しかった。牢から出れた事ではなく、またクインヘルに会える事が、何よりも嬉しかった。……妻にする事はさすがにまだ無理だろうが。
楽しみな反面……緊張も徐々に高まっていく。着替え終えたエンカは胸に手をあて深呼吸した。
(クインヘル……)
今、君に、会いに行く━━エンカは旗を握った。
◇
数日かけて、エンカ達を乗せた荷馬車がアナゼル王国へ到着した。
積んでいる荷物は新女王への献上品であり、ローダ製の織物や貴金属、宝剣などが詰め込まれている。
手土産の運び込みは同乗した騎士達に任せると、エンカとランティスは王城へと足を踏み入れた。
案内役であるアナゼル兵の後ろを歩き、2人は女王が待っているという謁見の間へと通される。中へ入ると、中央には女王と思われる人物が座って待っていたが、エンカは緊張で前をまともに見れなかった。
結局、エンカは俯きがちな状態で前に進み、玉座の前で膝を折る。そして、旗を掲げて口を開いた。
「ローダ・ハヴィリアが旗手、ならびに王弟が拝謁します。此度のご即位、謹んでお喜び申し上げます。クインヘル女王陛下」
震えそうな声を堪え、祝いの言葉を述べると、平伏を続ける。
しばらく沈黙が続き、瞬く間に緊張が満ちていった。
「ようこそおいでくださいました。使者の方々。……頭をあげていただいて結構です」
唐突に懐かしい声が降ってきて、エンカとランティスは顔をあげる。
そこにいる姿に、エンカはついに震えた。
細い腰部をさらにコルセットで締め上げた、きらびやかで柔らかな風合いのドレス。
数多の装飾品が彩る金色の長髪は美しく波打ち、唇には薄く紅が引かれている。紫の瞳は冷たさも感じるが、それが凛々しく彼女らしい……。
多くの人に跪かれて輝く、美しい女王が目の前にいた。
これにて完全完結となります
ありがとうございました
また別の作品を始めましたら、見ていただけると嬉しいです




