45話 最愛へ駆けつけろ ~1~
場面かわってエンカバトルです
「それでねお姉様、お庭の薔薇もすっかり元気になって……」
「そうなのか。見るのが楽しみだな」
「ええ是非! 戻ったら1番に見に行きましょう!」
ガタゴトと揺れる馬車から、仲睦まじい姉妹の会話が溢れる。
御者として手綱を握るホーデュもまた、微笑ましい気持ちで姉妹の邪魔しないようにとゆっくり進めていた。
王女2人を乗せた馬車は、何事もなく順調に、アナゼル王国への帰路についていた。
クインヘルは妹の声に耳を傾けながら、ふと視線を外へ向ける。森の中を進行しているようで、届いてくる木漏れ日が心地よかった。
路面は整えられてはいないが、草が踏まれた轍の跡がある事から、商人なども利用している道なのだと推測した。
クインヘルはそのあと、座面に立てかけるように置いた長剣を見遣った。
特に飾り気の無い鞘付きのそれは、クインヘルの私物ではない。出発する時にラシュタードから受け取った剣であり、彼はどうしてか、国に戻るまでは剣を持ち続けろと言ってきたのである。
ただ国に帰るだけの道中。何の危険も無いように思えるも、彼の忠告は不思議なほど心に留まり続け、クインヘルに影を落としていた。
「━━様? 聞いてます?」
「え? ああ、うん……」
妹の声で我に返り、返事も違う事を考えていたがゆえの歯切れの悪さだったが、アイシェルは気にも止めず続けた。
「もう……大変だったんですよ。探そうにも誰もお姉様の行き先を知らなくて……」
「ああ……そうだな……」
アイシェルの話は、いつの間にかクインヘル出奔の件へと移っていたようである。
後継が妹に決まった時から始めた、国外逃亡への算段。
出奔も、知っているのはごく一部の人のみである。
色々協力してもらった貴族の友人。城から出るため、買収した夜間の護衛騎士……。
特に、友人の父上である騎士分隊長には防具の調達をしてもらったので、会ったら改めてお礼を言いたい。
そんな思いを胸に、アイシェルへ聞いた。
「わたしの行き先は、隊長から聞いたのか?」
アイシェルはにこやかに頷いた。
「ええ。あと、お姉様のご友人と我が軍の騎士にも。再会されたらよくお話するといいですわ。きっとあの方達も……あの世で心待ちにしていますわ」
瞬間、アイシェルの右手が翻り━━手には錐のような、鋭利な刃物が握られていた。
木漏れ日のわずかな光に反射する細く鋭い先端が、クインヘルの首へと迫る。
クインヘルは咄嗟に傍らにある剣を取ると、鞘も抜かずにそのまま錐を受け止め、攻撃を押し返した。
「きゃ……」
アイシェルの小さい悲鳴を聞きながら、クインヘルは剣を握ったまま遮二無二馬車から飛び出た。ごろごろ転がり、長い髪が乱れ、服には土埃がつく。
まもなくして馬車が止まり、アイシェルが中から降りてくる。悠々と近付いてくる様子に、クインヘルは睨みながら立ち上がった。
「どういう事だ……。こ、殺したのか……」
嫌な汗が額に浮かび上がる。自分のために協力してくれた友人達が殺害された事実に……声の震えが抑えられない。
対し、アイシェルは愛らしい顔を冷酷に変えて迫った。
「だって、王家に仕えておきながら黙っていたなんて……許されるものではないでしょう? ……勘違いされないで。これも全部、お姉様のせいなんだから」
貴女が逃げるから……と冷たく言い放つ。
「わたしは……なりたくもない王太子に選ばれた。おまけに媚びて外交をしろなんて言われて……。反対に、お姉様は自由になって結婚して幸せになってたなんて、許せないわ」
アイシェルは握り拳を作り、憎々しげに顔を歪める。
クインヘルもまた、ギリ……と奥歯を噛み締めた。
━━自分だって、悲しかった。
味方がいなくなって、立場がなくなって……。他国への供物にされるくらいならとつらい思いで国を飛び出てきた。
━━自分も、妹を羨ましく思っていた。
次代の王に必要とされた愛嬌。血を分けた姉妹なのに、自分にそれは備わらなかったのだ。
互いに、持ち得ぬものを妬んでいたという事実がクインヘルに影を落とす。
話し合えなかった事に後悔すら感じていたが、そんな姉の心情を知らぬアイシェルは、懐から笛を取り出した。
「ま、いいですけど。お姉様とはここでおさらばです」
そう言うと、アイシェルは笛を咥え、息を吹き込んだ。
ピィーという高い音が森に木霊する。
その瞬間、人があちこちから現れた。
一体どこに潜んでいたのだろうか。わらわらと沸き出るように、あっという間にクインヘルとアイシェルを囲んだ。
総勢30人ほどで、身なりは皆一様に薄汚い……商人を襲撃し荷を奪う、賊であった。
「なんだこいつら……っ」
クインヘルは剣を抜き警戒する。対するアイシェルは優雅に笑むと、賊の横を通り抜けて馬車へと戻った。
「……っ、アイシェル! どういうつもりだッ」
問うも、彼女は愛らしく微笑んだまま答えない。
「ではさようなら、わたしのお姉様」
そう言い残し素早く乗り込むと、馬車は走り去ってしまう。
「アイシェル……っ、アイシェル!」
馬車に向かって叫ぶも、止まる事は2度となかった。
1人取り残されたクインヘルは、賊との対峙を続けざるを得なくなる。周囲を睨みながら、剣を握り直した。
賊はじりじりと距離は詰めてくるものの、襲いかかってくる様子は無い。目標は女1人……弄んでやろうという下劣な意図が感じられた。
以前のクインヘルなら、いたずらになぶり殺されて終わりだっただろう。……しかし、今は違う。
賊の1人が、クインヘルへ襲いかかる。
手には剣が握られているが、錆に覆われていて剣というより鈍器のようなものであった。
しかし、まともに食らえば無事では済まないとおぼしきものを、クインヘルは冷静に見遣る。
真上に振り上げられた鈍器。頭をかち割らんとする暴力的な一撃を、クインヘルは剣1本で受け止めた。
真横に受けた瞬間に、斜めに返し力を逃がす。
「くぅぅ……っ」
苦悶の声が口からもれる。その重さは尋常ではなかった。
けれども、まだやれる。
「だって……」
呟きが、口からついて出る。
賊が2撃目を振り上げると同時に、クインヘルは眦を吊り上げた。
「あの男には到底及ばない!」
叫びながら、賊の一太刀を力強く受け止めた。
仮師匠、シンレスは生ぬるい男ではなかった。
かつてあった、旅の最中。ごくわずかな期間とはいえ、鍛練と称した彼の厳しい太刀に晒されてきた。
彼が教えたクインヘルの剣は打倒ではなく、防御。もしくは耐久である。素人に等しかったクインヘルは、まず握り方から学び、やがて防戦特化の訓練を受けた。
敵の数など関係無い━━増援や救護が来るまでひたすら耐え忍ぶ、そうなるべく鍛えられた女であった。
その後も2撃食らい、合計4撃もの襲撃を耐えきったクインヘルは再び剣を正眼に構える。
賊の方も、これは予想外だと狼狽えていた。
楽な仕事だと思っていた王女の殺害。しかし、その王女は非力ではなかったのだ。
大丈夫、まだ戦える━━
縦に下ろされる剣を受け止め、横に払われる剣を屈んで回避する。
2人、3人……同時にいなさなければならない場面も多くなっていく。それでもクインヘルは勇気を振り絞り、剣を握り続けた。
しかし、それでもなお、覆せぬものがあった。
恐怖心と疲労である。
耐えるたびに、最初はなめてかかっていた賊の太刀筋が、より鋭利なものに変わっていく。
加えて、慣れぬ戦闘により疲労が蓄積され、徐々に息があがる。しだいに、冷静な対峙が出来なくなっていった。
怖い、怖い、怖い━━
口の中が渇いて、心臓がどくどくと脈打つ。嫌な動悸を自覚してしまい、何も考えられなくなって……脳ではなく、体に染み着いた動きで、どうにか対処出来ているような状態に陥っていた。
それからも、絶えずやって来る四方八方からの賊の凶刃を受け続ける。
やがて、何のために我慢しているのか、分からなくなってしまった。
━━もう無理だ。諦めたい。
次の瞬間にも剣を下ろせば、終われる。
━━つらい、耐えるのがつらい。
抵抗をやめればいい、何もかも全部。
━━祖国には帰れず、ローダにも戻れない。
父にも母にも、エンカにも捨てられたわたしに、価値があるのか。
━━ここで終わるのが1番いい。
わたしは、誰にも必要とされない子だ。
じゃあ、わたしは、なんの、ために。
今まで、生きようと……?
急に、目の前が真っ暗になった。
敵はきっとまだ前にいる。しかしこれではどうする事も出来ない……クインヘルは闇の中で呆然と立ち尽くす。
今の自分はいわばノーガード状態。
じきに終われる……そう、思っていた。
その時。
「クインヘルゥゥゥゥゥゥーーーーーー!!」
死のうとしていた心の中に……。
つい最近まで聞いていた、懐かしい声が染み込んできた。
クインヘルは急に光を取り戻し、ハッと顔をあげる。そこに、大きな影が目の前で踊っていた。
男の呻きと、血が宙を舞う。
突如現れた馬に乗った銀髪の青年が、賊のうち3人を斬り伏せていたのだ。
その正体がラシュタードだと気付くのに時間はかからず、同じく馬で駆けつけたエンカがクインヘルへ近寄った。
「クインヘ━━」
エンカは慌てて馬から降りたせいで、勢いあまって抱きついてしまう。
「無事かい? クインヘル」
「え、エンカ、エンカ……」
喘ぐような浅い息を繰り返し、目の前にいる彼の名を呼ぶ。
エンカはにこりと笑って、震える彼女の頭を撫でた。
「シンレスの教えを忘れる事なく……よく、頑張ったな」
優しく労われ、クインヘルは目を潤ませながら頷いた。
彼女の無事を確認できたエンカは安堵の息を吐くと、視線を彼女の手元へ移す。
そして、懐かしむように目を細めた。
「クインヘル、その剣、貸してくれる?」
「え……」
困惑したが、早くといわんばかりに手を出され、クインヘルは言われるがまま剣を渡す。
受け取ったエンカは、よく研がれた鉄の、スラリとした剣身を撫でた。
「……うん。前に使ったまんまだ」
そしてそのまま、おもむろにクインヘルの前に立つ。新手の登場に、対峙する賊も殺気立ち、じりじりと近寄って来た。
賊に向け、クインヘルに向け、エンカは口を開いた。
「オレは戦う事が嫌いだ。今でも大嫌い。でもね、必要なら……そうせざるを得ないなら、剣でも何でも執ってみせるよ」
剣でも何でも……。その証左に。
手には旗手の証たる軍旗は無く、ただの剣が握られていた。
最終話が近付いてきました。
あと3~4話程度かと。




