44話 罪の無い人:終幕
血塗れの2人の男が静かに倒れる空間。
そこへ、1人の女性が歩み寄っていた。
魔女国シーリングの魔女筆頭、レイカ。それと、彼女に付き従う使い魔の銀猫ヒュウ。
彼女は冷えた視線で悠々と、血にまみれたそこへ足を踏み入れた。
「ええと、黒髪の方を助ければいいのよね……って、やだ、どっちも黒髪じゃない。両方生き返らせればいいのかしら?」
冷酷な相貌とは違い、所作は何とも女性らしい。
キョロキョロと2人を見比べ悩んでいると、ヒュウが軽やかに移動し、長髪の男の隣に腰をおろした。
「あら、ありがとね。ヒュウ」
その男が依頼された人物だと気付き、レイカは倒れているシンレスの傍らに膝をつく。そして、冷たい美貌をうわ……、という表情に変えた。
「まぁ、まだ息があるの。存外しぶといのね。……何よ。愛する人を置いてけぼりにして、自分は満足げに死ぬ感じ? あーもう、これだから戦士って嫌いなのよ」
レイカは右目の傷に触れた。
「傷もアレだけど、呪いもひどいわね。これはあんたの罪だから完全解呪はしたくないけど、別の呪いをぶつけて相殺する事は出来るわ。あんたに与える呪いはそうね……」
しばらく悩んで、レイカはシンレスの額へ手をあてた。
「一蓮托生……あんたが死ねばあの子も死ぬ。あの子が死ねばあんたも死ぬ。裏切りなんてもってのほか。生涯離れられぬ呪いを以て、奇跡を与えましょう」
レイカはその手から、治癒の光を発した。
淡い白の光。その輝きはシンレスの右目、左耳、口内へと集まり、傷を塞ぎ、欠損を修復していく。
やがて、太腿や腹など、大小様々な傷にも光は入り込み、その悉くを癒していった。
しばらくして、レイカは額から手を離した。
「こんなものかしらね」
徐々に光が収まっていき、シンレスの呼吸がきちんと戻っている事を確認する。
その数秒後。
「う……」
男はわずかに身動ぎをして呻いた。無事に息を吹き返したのだ。
そのまま目を開けるかと思っていたが、よほどダメージが大きかったのだろう、また動かなくなってしまう。
しばらく様子を見ていたレイカだが、まったく動かない彼にしびれをきらし、勢いよく立ち上がった。
「ま、しばらくすれば起きるでしょ。それじゃ、わたしは帰るわ。さようなら」
レイカは冷たく言い残して、身をひるがえした。
◇
死に体の戦士を生き返らせるという一仕事を終えたレイカは、魔女国へ帰るべくヒュウと共に城内の通路を歩く。
ふと前方に人の気配を感じた彼女は、下向きがちだった視線を上げる。その先には、右手を腰に当てて佇むランティスの姿があった。
「よっ。悪いな、わざわざ来てもらって」
ランティスは左手をあげて気さくに声をかけた。
対するレイカは不快そうに眉根を寄せ、顔を反らし無視して行こうとする。しかし、ヒュウがランティスの前まで躍り出た。
そして、尾を高く上げてグルル……と猫らしくない唸りをあげる。
『調子に乗るでない小僧。その首、今度こそ噛み潰してやる!』
銀猫は人語を操ると、大口を開けてランティスへ飛びかかった。優雅な見た目とは裏腹な鋭い牙が、ランティスの腕に深々と突き刺さり、血が衣服に染み出ていく。
「やめなさい! ヒュウ!」
レイカは声を張り上げた。
主からの制止の声に、腕に噛みついていたヒュウは不服そうに喉を鳴らすも軽やかに着地をして、レイカの傍らへと戻っていく。
レイカは足元に戻ってきた銀猫を見遣った。
「ヒュウ、過去の事なのだからいい加減落ち着きなさい。……貴方も、ヒュウを刺激するような事はしないでちょうだい。この子はわたしの使い魔だけど、わたしを選んだ聖獣でもあるんだから」
後半は、ランティスに目を向けながら言った。
銀猫は苛立ちを抑えるかのように、忙しなく毛繕いを始める。ヒュウは主人を守る魔獣であるが、次代の王を選定する誇り高き聖獣でもあった。
ややおいて、レイカは目を細めながら腕組みをした。
「貴方からのお手紙の通り、助けるべき人は助けたわ。……それより、あの内容は何? 貴方は女性のご機嫌取りも出来ないのかしら……王族のくせに」
「すまんな。こっちも急いでたから……」
バカがバカな事を言い出すから……、とランティスは苦笑いをして頭を掻いた。
ランティスはシンレスを殴りつけたあと、手紙を書いた。
痛覚遮断という策は戦士として許さなかったが、万が一瀕死に陥った場合早く救えるように、知り合いの魔女に鷹便を飛ばし呼びつけておいたのだ。
ただ、それが挨拶も機嫌取りもない走り書きだったので、この魔女は少々機嫌を損ねているようであった。
「そうカッカすんな。嫁の貰い手が無くなるぞ?」
「貴方だって、いいお年でしょう? そろそろ相手ぐらい決めないと、あらぬ噂が立ちますわよ」
レイカは食い気味に反論すると、ツンとそっぽを向いた。
ランティスは現在29歳。数ヶ月後には30歳を迎える。
しかし未だ婚約者もおらず、王族としては体裁が悪い……しかし、ランティスはふっとレイカへ微笑んだ。
「お前が幸せになっていないのに、オレが幸せになるわけにはいかない」
穏やかに、まっすぐ見つめながら告げる。
どことなく真剣な彼に……レイカは無意識に1歩前に出た。
「だったらっ、わたしと……っ」
「いや、それはさすがにマズいだろ。一度結婚を白紙に戻した者同士がもう一度やり直すなんて、それこそ体裁が悪い」
「うわああああああああああん!」
完全シャットアウト……けんもほろろに言われてしまい、レイカは喚いた。
「どうしてそういう所で真面目なのよあんたはああぁぁ!」
レイカはキッと睨み、指を差しながら詰め寄った。
「この……っ、バカ男! あんたとの結婚をおじゃんにされて、国に戻ったわたしがどれだけ惨めだったか分かる!?」
「だから、オレとの破談をバラしてもいいと言っているだろうに」
「慰謝料たんまりもらったのに、そんな事したら評判が下がるのは魔女国の方よ!」
そう叫ぶと、レイカはランティスに抱きついた。
腰に腕を回し、胸に頭をぐりぐりと擦りつける。
「何が悪かったのよぉ……。わたし、頑張ってたでしょう……? どうして裏切ったりしたの……どうして結婚してくれなかったの……」
悲しげに呟き、やがてすんすんと洟をすする音をたてはじめた。
自分に密着する魔女の姿にランティスは一瞬瞠目するも、すぐに微笑に変えた。
……全く、魔女は冷血だと、一体誰が言い出したのだろう。
少なくとも、この魔女はヒトよりも感受性豊かで、人間らしい。
取り繕われるよりは好ましい。自分の愚行さえなければ、つつがなく夫婦となっていただろう。
けれども、
「全部オレが不甲斐ないせいだ……。だから、今後一切、伴侶も愛人も不要。レイカ……オレの相手はおまえが最初で最後だ。ほかの誰かを抱く事は無いけれど、お前を抱き締める事も、もう無いよ」
レイカの肩へ、優しく手を置く。
一度だけだが、十分許されない事をした。
だから、これからは1人で……戦って、生きていく。
優しく告げられ、レイカは埋めていた顔をあげた。
「どうしてそれを直接言っちゃうのかしら……。これだから戦士は嫌いよ……。独りよがりで、手放す事が愛だと思ってるんだから……」
そのままふらふらと離れ、踵を返す。
その姿に、ランティスは声をかけず、黙って見送り……。
レイカも振り返る事なく、ヒュウと共にローダ・ハヴィリアをあとにした。
シンレスの戦いはこれにて終了です
ランティスの元婚約者レイカは、第一章の会議に参加していた魔女国の代表です
次回からエンカの戦いに入ります




