39話 本音
城の門前には、2頭立ての立派な馬車が止まっている。
アイシェルがローダに来て5日……ついに、出立の時がやって来たのだ。
帰国のためアイシェルが調達した馬車に、クインヘルはホーデュと共に荷物を載せていく。
着実に近付く別れ。旅立とうとしている彼女らを、エンカとランティス、そしてラシュタードが見送りに来ていた。
エンカはその様子を見ながら周囲をキョロキョロと見渡す。
「そういや、シンレスはどこに?」
幼馴染の姿を探すも、どこにもいなかった。
出立の日は告げてあるので、知らないという事はあり得ない。ルリカを伴っての見送りくらいあってもいいのでは、と思っていると、ランティスが腕組みをして答えた。
「あいつはオレがぶん殴った」
答えになっていない答え。
どういう事だと問いただしたかったが、ランティスは怒りをまとっているようで、聞くに聞けず口を閉ざした。
「てか、ラシュが来た事が意外だな。どういう風の吹き回しだ」
「……これでも、姫には世話になってたんでね」
「へぇー」
そんな会話をしていると、積載を終えたらしいクインヘルが、3人のもとへ歩み寄っていく。
「……じゃ、これでさよならだ。世話になったな、みんな」
3人の顔をそれぞれ見ながら、最後の別れを口にした。
「元気でな。クインヘル」
「うん……。じゃあね……」
ランティスとエンカは、それぞれ短く告げる。
対するラシュタードは、
「オレからは別れの代わりに、旅の助言を少し」
そう言ってクインヘルの手に、剣を持たせた。
特に飾り気の無い、鞘付きの長剣。柄の部分が汚れていて、年季が入っているもののように見えた。
シンレスに鍛えられた時期もあったが、剣が不要となった日常のおかげですっかり柔らかくなった手に、それは重く感じる。
どういう事かとクインヘルは顔をあげると、ラシュタードの微笑みとぶつかった。
そして、ラシュタードは彼女の耳元へ近付き、周囲に聞こえないよう耳打ちをした。
「剣帯は続けた方がいい。特に国に戻るまでは、ね」
その表情と台詞に、どのような意図があるのか。まるで汲み取れなかったが、それも餞別と受け取る事にした。
そこから少し離れた所で。
「アイシェル様」
ホーデュがふと、彼女の傍らに立った。
「なぁに?」
アイシェルの声音は甘い猫なで声だ。ようやく姉を連れ帰る事が出来る嬉しさを隠せずにいるのだ。
「クライズ殿の姿が見えませんが、いかがいたしますか?」
その質問に、スッと、アイシェルの視線が冷えた。
つい顔が歪み、舌打ちもしかけたが、人目もある……唇を噛んでどうにか堪える。
「……いいわ。あいつはここで捨て置きましょう」
元々、何の関係もない部外者だ。いない方がせいせいする。
アイシェルはクライズの事を記憶の端に追いやり、苛立ちを消してすぐさま表情を取り繕う。
そして、遠くの姉へ馬車に乗るよう声をかけた。
言われるがままクインヘルは先に乗り込み、あとからアイシェルが座る。ホーデュは御者台へ腰を下ろした。
そして、アイシェルは人好きのする愛らしい声を出してエンカ達へ手を振った。
「それでは皆様。急な来訪にも関わらず今までのもてなし、感謝致しますわ。ごきげんよう」
ほどなくして、ホーデュが手綱を握り、蹄と車輪が砂を磨り潰す音を立てる。
エンカ達の見送りを受け、姉妹を乗せた馬車はアナゼル王国へと旅立っていった。
◇
「これでよかったのか……?」
一行が去り、静かになった城の前でランティスが隣を見遣る。
エンカは馬車の行く末を見続けながら無言で肩を震わせ、涙を流していた。
青い双眸から堰を切ったように溢れる涙が頬を濡らしていく。
突如泣き出した少年に、ランティスはギョッと目を剥いた。
「エンカ……?」
「……いいわけがない! ほんとは嫌だった……! どこにも行ってほしくないってっ、今まで何度叫びそうになったか……!」
子供のようにしゃくり上げながら、エンカは積もっていた思いを吐き出した。
━━好きだった。初めは自分自身の危機で、結婚は偽りだったとしても。抱えた想いは紛れもない愛だった。
自分の手で幸せにしたかった━━ただ、それだけに尽きる。
自分は旗手で、普通の夫婦のような暮らしは出来ない。しかし、クインヘルと長く過ごしていくうちに、いつしかこんな事を望んでしまうようになった。
彼女と同じく生きたい……。一緒に年を取って、顔も体も皺だらけになって、互いに先立たれても天国で再会しようねなんて約束出来るような最期を迎える……。
そして、それは旗手ゆえ叶わない。
クインヘルと出会った事で……旗手になって初めて、旗手の運命を恨んだのだ。
「最初は一緒にいれるだけで十分だと思っていた……。だけどやっぱり、あの子に置いていかれるのが、オレは耐えられない」
やがて訪れる、死という別れ。
同じ場所にいる事が出来ても、同じ時間では生きられない……せめて彼女に捧げられる幸せを考えた。
それが、彼女の手をいつでも放せるようにすることだった。
アイシェルが訪れた時は、とうとうこの日が来たのだと納得させ、歯を食い縛って事実を明かした。
クインヘルが荷造りのため帰って来た時には、引き止める言葉を懸命に押し殺した。
緩む目を、震える声を。何度も微笑みで、誤魔化した。
「本当は、シンレス達が羨ましくてしょうがないんだ。オレも旗手じゃなかったら、あんな風に自信を持って愛する事が出来たかもしれないのに……」
何度も何度も目元を拭ってもなお溢れ出る涙と嗚咽が響く。
「……なら、それは本人に言うべきだ」
泣き続けるエンカへ、意外な言葉が、意外な人物から降ってきた。
低い声の主はラシュタード。
彼は「え?」と見上げてくるエンカを無視し、馬車が行った道から視線を外すと、かしこまってランティスへ向き直った。
「ランティス殿下。即刻、あの馬車を追う事を進言します」
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