38話 策略の夜 ~2~
後半です
陽が落ち、風がさわさわと草木を揺らす深夜。
シンレスは自室で、長剣の手入れをしていた。
すらりとした、常人ならば見るだけで背筋が凍りそうになる、殺すための鋭利な武器。
自分の命を預けている商売道具の管理は、どんなに疲れていても欠かした事がない日課であった。
それをリラックスした様子でベッドの上にあぐらをかき、照明に反射させるようにして刃こぼれや錆を見ていく。
時間をかけ、最後に磨きあげてから鞘にしまうと、水の1杯でも飲んでから寝ようと思いベッド上から降りた。
あくびをしながらドアを開けると、入り口にルリカが立っていた。
「おっと……! ……どうした?」
就寝したと思っていたが、まさかずっといたのだろうか……予想外の事に、つい驚きの声をあげる。
「入ってくればいいのに……。寝れないのか?」
こんな夜更けに来るのは珍しい……いや、初めての事である。
まさか添い寝を所望しに来た訳ではあるまい……むしろその方がいいのだが、残念ながら無言の彼女からはその雰囲気は感じられなかった。
「ルリカ……?」
声をかけても、ルリカは俯いたまま沈黙を続ける。
困ったシンレスは立っている状態も何だからと、ひとまず部屋に入れるべく手を伸ばす。
すると、
「シン……もう、どこにもいかないで、ください……」
彼女の口から、小さく、泣きそうな声がもれる。
そして、勢いよく飛び込んできたと思ったら、続けてドン! と、さらに大きな衝撃が腹に伝わってきた。
「━━━━!」
一瞬の出来事に、体が九の字に曲がり、息が止まる。そして、嫌な違和感がそこから沸き上がってきた。
数秒たっても離れぬルリカに、シンレスは衝撃の正体を手で探る。
右の下腹部……そこにルリカの両手があり、その位置に包丁が深々と刺さっていた。
愛する人からの襲撃に、シンレスは混乱した。これは夢ではないのか……そうあってほしいと願った。
しかし、傷から溢れ出る血と激痛が、これは現実だと突きつけてくる。
「ふ……ぅ……っ」
折れ曲がりそうになる膝に力を入れ苦しげに息を吐くと、ルリカは嬉しそうに笑った。
「またどこかへ行ってしまうのでしょう? きっとシンは、こうでもしないとここにいてくれない……。大丈夫です。これが最後の苦しみですから。あとは何も考えず、一緒に暮らしましょう」
グッ、と凶器が動き、傷口がさらに痛む。
「ぐぅ……っ」
全身を苛む激痛に、シンレスの口から苦悶の声がもれた。
包丁を握るルリカの力は依然として緩まず、出血は包丁の柄を伝い流れ、服はさらに赤く濡れていく。
「ル……ル、リカ……」
シンレスは膝をつきそうになる痛みに耐えながら、ルリカを抱き締めた。
苦悶の声を出来るだけ抑えて、彼女へ語りかける。
「オレの声が、分かるか……?」
頬に触れ、何度も髪を撫でる。
……すると、ルリカの瞳が大きく開かれ、はらはらと涙が流れた。
「あ……あ、れ……?」
ルリカの手が、ゆっくり包丁から離れる。それからシンレスの腹に刺さった包丁を見て、唇を震わせた。
そして、顔が汚れるのも厭わず血塗れの手で顔を覆った。
「ご……めんなさ……わ、たし……?」
「大丈夫。腹に刺さってるだけだ」
急所は外してるし、凶器もわりと小さめの包丁だ。早い手当てが必要な重症だが死ぬ事は無いだろう。
混乱し泣きじゃくるルリカを落ち着かせようと、背中を擦る。
すると、彼女の背中に何か張りついているのに気がついた。
シンレスは、サッとそれを剥がす。
人型の、小さな紙。
しばらく凝視してからぐしゃりと握り潰すと、ボッと手の中で青い炎があがり、灰すらも空気に溶けて消えていった。
熱くない炎と、残滓も残らぬ一瞬の出来事に、シンレスは手の平を呆然と見つめる。
━━ルリカはこれのせいで……?
この不審物のせいでルリカはこの行動をしたのか。
けれども、これを剥がす前にルリカは正気に戻った。因果関係はないのか……?
疑問がぐるぐると、シンレスを支配していく。
そして、依然として嗚咽が収まらないルリカへ問いかけた。
「今日、誰かに会ったか?」
ルリカは腕の中で、こくりと頷いた。
「はい……シン様と同じ黒い髪の、」
瞬間、ひゅっ、とシンレスの息が止まる。
珍しくもない、そんなありふれた特徴だけで、全身の血液が一気にサッと下がる感覚に襲われた。
「そいつに何かされたか?」
問いかけが自然と早口になる。
すると、ルリカの頭がもぞもぞと動いた。
「いいえ……道を聞かれて……案内のためしばらく一緒に歩いて……普通にお別れしました」
「……そっか」
懸命に答える声を聞き、再度強く抱き締める。
シンレスは唇を噛んだ。胸中に、じわじわと不安が広がっていく。
奴の手が、ルリカにまで及んだのだ。
これまで悠長にしていた自分を殴りたくなった。……もし、あの場で身を翻し、クライズを討ち取っていたのなら、彼女が苦しむ事はなかったのだ。
「ごめん。ごめん、ルリカ……」
耳元で掠れた謝罪を囁く。
「どうして謝るのですか……。悪いのはわたしなのに……」
「お前は悪くない。何から何まで、不安にさせているオレのせいなんだ」
そして、ルリカの言葉で気づいた。
彼女も恐れていたのだ。……自分の喪失を。
近ごろ多くなった重度の傷を見て、また危険な事をしていると思ったのだろう。
そうして積もり続けた不安が、この人型の紙の作用で一気に爆発したのだと推測した。
ならば、非は自分にある。
体だけでなく、心も守らなくてはならない……彼女の肩を掴み、ゆっくり引き離した。
「しばらく、1人で行動するな」
「……?」
泣き腫らした顔をきょとんとさせるルリカに、シンレスはさらに続ける。
「出来るだけオレが付き添うし、念のため、あと1人声をかけておく。オレの手が空いていない日があればそいつと一緒に歩け。いいな?」
幼い子に言い聞かせるように、強くまっすぐ、彼女を見た。
その、恐ろしいほど真剣な眼差しに、ルリカは詳細を聞く事が出来ず……代わりに何度も頷きを返した。
……さて、ルリカの護衛を頼む相手だが、あてはある。
奴の事だから、この話を前向きに検討してくれるだろう。
……問題は「そのあと」なのだが、背に腹は代えられない……。その時にこそルリカを守ろうと誓い、来るべき時に向けてシンレスは動き出した。
やっと最終話に向けての準備が整いました。
あと10話ぐらいで完結予定です。




