36話 国の命、旗手の命
エンカと前旗手フレイアキルの話です
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「フレイアは初めて会った時から……何か強烈だった」
エンカは、こんな言葉から切り出した。
始まりは12年前。ようやく10歳を迎えたと思ったら城に連れていかれ、彼女と出会った。
編み込まれた長い銀髪と、パッチリ開かれた藍色の双眸。
長い軍旗を右手に携え、左手を腰に置いて仁王立ちになる少女は、声高らかに言い放った。
『ようこそわたしの子供達! わたしはフレイアキル……気軽にフレイアと呼んでちょうだい!』
全身から発せられる、子供でも思わず息を飲んでしまうほどの力強さ。それに呼応するかのように、銀の髪が照明に反射し煌めきを帯びた少女であった。
「子供達?」
「旗手候補の子供はほかにもいてね、エルザもその1人だった」
集められた子供は皆、【一定の条件を満たし選抜された】次代の旗手となるよう大人から求められた者。
この顔合わせから始まり、子供達は旗手候補生として育てられる事となった。
当時を思い出したのか、エンカはふと、照れたようにはにかんだ。
「フレイアは……眩しい人だった。それだけ、旗手という役目は誇り高いものだとみんな信じていた。……今思えば、フレイアに憧れを持つ人も少なくなかったかもねぇ」
フレイアは優しく、そして豪快に子供達を導いた。人としての尊厳、旗手としての威厳を、身をもって教示し続けたのだ。
加えて、その明るさにより騎士達からの人気も集めていた。
彼女は彼らを『今日に誉れを愛しの戦士』と鼓舞し、騎士はその姿に希望を見いだしていたのだ。
エンカの目は穏やかだが……その奥には、明らかに熱がある。
その表情を見たクインヘルは少しだけ顔をしかめた。
やはり好きだったのでは……? という疑問が浮かんだが、今すべきではないとかろうじて飲み込んだ。
「そうか……。エンカは、その人のもとで次の旗手に相応しくなるよう教育されたわけだな」
「教育か……大袈裟だけど、まぁそうだね。それに、いくら選ばれたとはいえ、ふるい落としはずっと続くんだ……結局、旗手になれるのは1人だからね」
保証された生活の代わりに、毎日厳しい訓練に晒される。
逃げ出した子もいたし、適性無しとして去った子供も少なくなかった。
けれども、エンカは実に7年間、候補として留まり続けたのであった。
「まぁここからが本題なんだけど」
エンカがごくり、と喉を鳴らす。
「旗手の代替わりはね、ある条件下で成立する。それはね……」
━━国が滅びる寸前であること。
エンカの唇が、静かにそう紡いだ。
━━5年前まで、隣国と続いていた戦争。
国民でも知らぬ者が多いが、この戦争でローダ・ハヴィリアは敗戦寸前にまで追い込まれていた。
狭小国であるローダの滅亡……。
国が興った時からある「旗手」の正体は、それを防ぐための人柱なのだ。
「継承する時はね、こうやって手を繋ぐんだ」
そう言うと、エンカはやんわりとクインヘルの両手を取る。指先を手の平に乗せるように持ち、きゅっと握った。
……緊張しているのか、エンカの手は少しだけ冷たかった。
「代替わりの成立には、何より信頼関係が必要でね。軍旗へと変える自分の身を任せられる人と、その手は繋がれる」
代替わりを成功させるには、旗手の信頼と、候補の覚悟と理解が必須。
だから幼い頃から旗手と関わり、関係をより深くさせる必要があった。
「そして、自分の身を捧げるから、その代わりに国を助けてくださいってお願いするんだ」
そう言うと、エンカは目を閉じた。
脳裏に、あの時の光景が浮かんでくる。
5年前の当時、フレイアキルとエンカ……2人は、炎に包まれていた。
ごうごうと音を立て、容赦なく燃え続ける祖国の滅亡を決定づける揺らめき。
その只中で、フレイアキルは俯き、地面にへたりこんで涙を流していた。
『ごめんなさい……よりにもよって、1番年下の貴方に、この任を押しつけてしまうなんて……本当にごめんなさい……』
幾筋も頬を流れ、幾滴も地面に落ちる涙。
何度も謝る姿にひどく驚いたのを覚えている。フレイアキルは常に明るく元気で、戦争なんて起きても絶対勝てる! なんて思わせてくれるような人だったから。
こんな風に、何度も目を擦って泣いている姿を見るのは初めてだった。
『フレイア……』
エンカは、俯く彼女の肩へ手を置いた。
確かに自分は1番幼い子供だったが、今や17歳にまで成長した。
何も分からない訳じゃない。
これから、自分達がやるべき事。自分やフレイアがこのあとどうなってしまうのか……ちゃんと理解出来ている。
だからこそ、彼女へ見せる最後の表情は穏やかでなければならない。
そう思って、頬を緩めた。
『大丈夫だよ。オレ、フレイアに負けないいい旗手になってみせるから。君は、そこで見てて』
ここで初めて、フレイアキルの顔が上がった。
擦れて赤くなった瞳と合い、エンカは『任せて』と頷いてみせる。
『ええ、わたしを預けるわ。これから永遠を生きる貴方が、いつの日か、きっといい人を見つけてくれますように……』
最後はお互い懸命に笑って、ローダの救いを祈り。
万物焼く戦火の中で、2人の両手は確かに繋がれた。
こうして、フレイアキルは救国の軍旗となり、エンカは旗の主となった。
━━再び開けられたエンカの瞳が、わずかに涙で潤む。
「今は国の危機じゃないから代替わりは成立しないけど。もし、今後大きな戦いが起きて、滅びの危機が来た時の必要な犠牲……それがオレの役目。何をしでかしても罰を受けない代わりに背負った、フレイアから任されたものだ」
国王達を急かし婚約書を用意させたり、偽書を平気な顔で出せたのは、旗手という任のおかげであり、大きな咎を受けないという確証があったからであった。
ここまで黙って聞いていたクインヘルは「そうか……」と呟く。そして、まばたきを繰り返した。
「改めて聞くようだが……今はフレイアキルはこの旗になっているという事でいいんだよな?」
まだ信じられなさそうな神妙な声音に、エンカはつい噴き出した。
「そうそう。まさに、今の話はフレイアも聞いているよ」
そう言うとエンカはふっと表情を曇らせ、旗の柄を撫でた。
「この姿になるとね、怖いんだって。何があっても、自分からは動けない、何も出来ないから……。いつも孤独で、震えてる……。だから、いつもそばにいなくちゃいけない」
「い、意志があるのか?」
「多分ね。あるかどうかは確認しようがないから分からないけど、そう感じる事があるから、オレはあると思ってる」
当然ながら物質はしゃべらない。けれども漫然と伝わってくる思いは、候補だった時から寄り添っているからこそ分かる感情であった。
その事に、クインヘルは何となくだが覚えがあった。
以前、エンカがソファーで熟睡をしていた時に、ほんの少しだけ旗の柄に触れた事がある。
指先でちょんと触れただけなのに、エンカは瞬時にバッチリと目を覚まして声をかけてきたのだ。
たまたまそういうタイミングだったのだと思っていたけれど、先日の言い合いの件もあり、合点がいった。
「なるほど……この間、エンカがわたしを突き飛ばしたのは旗手ならではの警戒心、という名のフレイアからの悲鳴だったんだな」
急に旗手以外の者から乱暴に扱われ、恐ろしかったのだろう。たとえそれが旗手の妻だったとしても。
「うん。それに関してはフレイアもごめんって言ってる。君がいい人だと分かっていても、怖いものは怖い……それがオレにも伝わってくるから、出来るだけ触れてほしくなかったんだ」
本当にごめん、と肩を落とすエンカ。
「いや、わたしも迂闊だった。こちらこそ、申し訳なかった」
クインヘルも、旗に向かってペコリと頭を下げた。
対する、軍旗から伝わってくる思いは、とてもにこやかで明るい気持ちになるような感情で━━
こうして、対話により2人の不和はどうにか解消される事となった。
「さて、これで話せる事は終わり。少しは溜飲を下げてくれただろうか?」
「わたしに……話してよかったのか?」
「大丈夫! 何ともないよ」
本当はダメだけど……という言葉を飲み込んで笑う。
この事が王様やランティスにバレたらどうなることやら……特に、ランティスからは余計な事するなと怒られたばかりである。
さすがにあとが恐ろしいが、今は忘れる事にした。
◇◇◇
やがて、私物をかばんに詰め終えたクインヘルは、それを持って立ち上がった。
「出立はもう少し後らしいが、その間にほかの人達にも挨拶をしに行こうと思っている」
「そうなんだ」
「それと、信じてもらえないかもしれないが、この事は誰にもしゃべらない。約束しよう。それじゃ……元気でな、エンカ」
わずか3時間ほどの再会が終わろうとしている。
どれほど会話を重ね、疑念や不和を解消しても、出ていくという結末は変わらない。
彼女らしい、しゃっきりとした立ち姿で少し手を振った。
エンカはその姿に手を振り返して。
「うん。……見送りには、行くからね」
震えそうになる声を押さえて、必死に笑った。
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