30話 罪の無い人:罪業
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━━8年前。
ローダ・ハヴィリアと、その周辺国による戦争が始まろうとしていた。それにあたり、当時の国王及び騎士団は、国民から兵士を募った。
平和など程遠い、軍事力がものを言わせる時代。
戦う事が男子の誉れとされ、志願兵は数を増やした。
そのうちの1人━━黒髪と成長途中の背丈で、まだあどけなさが残る少年……のちに『罪の無い人』と呼ばれるようになる14歳の少年ジェッゾフィールもまた、戦士として戦う事を志願していた。
戦争直前で召集された兵士など頭数を増やすための捨て駒……同期は悉く死した。しかしジェッゾフィールは死地を駆け抜け血路を開き、生き残り続けた。
そして2年がたち、ジェッゾは戦場の只中で16歳の誕生日を迎える。
この頃にはすでに若輩者ながら生き残れる者……精鋭として扱われるようになり、王弟で指揮官であったランティスとも顔を合わせるようになった。
◇
「あの頃のお前は本当におっかなかった」
出会いが脳裏に甦り、ランティスは腕を組んで頷いた。
「そういうお前は若かったな」
当時を思い出すと積もる話も出てくる……しかし浸っている場合でもないので、すぐさま話を戻す。
◇
長引く争いにより、互いの国に疲れが見え始めた頃……事件が起きた。
幾度目かの夜明けを迎えたローダ軍第3城塞の地下牢にて。
捕らえていた敵国の女子供、総数135人が全員残らず惨殺されていたのが発見されたのだ。
その惨状に、死体を見慣れているであろう騎士すら顔を背けた。一晩のうちに行われた犯行━━その犯人はすぐに判明した。
━━ジェッゾフィール・アインスタベルト。
文字通りの血の海、吐き気も覚える異臭に満ちた死屍累々の牢の中で、唯一の生存者がそこにいたからだ。
牢の中のジェッゾは黒髪すら赤く染め、力無く座り込んでいた。
最初に発見した騎士によると、呼びかけられても無反応な姿は、まるで思う存分殺しを終えた……満足感に浸っているかのようであったらしい。
「最後に殺したのは、自分と同じくらいの女だった。手をかける直前、伝わってくる恐怖と血の匂いに狂っていたオレは……そいつを犯した」
シンレスの懺悔の声が、徐々に掠れていく。
凶行の主が武器を手放したと思ったら……殺されるだけではないと悟った少女はさらに泣き叫んだ。ジェッゾはそれを脅して黙らせて、抵抗も一興だと押し倒す。
そして━━最後には皆と同じく斬って捨てた。
凶事が明るみになったその日から、ジェッゾフィールは孤立した。
手枷、足枷をつけられ抵抗もままならない、戦士でもない捕虜を全員虐殺した━━人々は彼を忌避し、血に飢えた狂人だと後ろ指を指すようになった。
しかし、敵国の捕虜であり戦争中という事もあってか、咎める者は誰1人現れなかった。
ジェッゾ自身も、静かになったと特に気にする様子を見せず……唯一心配し声をかけてきたランティスにも、応える事は無かった。
さらに1年が経過し、戦争はようやく終結を迎える。
3年にも渡る長い戦いの終わり。それにより、ローダ・ハヴィリアをはじめ国々は相互理解━━すなわち、世界平和へと舵を切ろうとしていた。
世界を取り巻く情勢が動くなか、狂人と謗られたジェッゾフィールにも変化が訪れる。
━━罪の意識だ。
戦という有事が終わり、復興という日常を取り戻そうと動く流れを見て、ジェッゾはようやく、己がやった事の異常さを理解したのだ。
自覚してからの日々は地獄であった。
あれほどどうでもよかった人々の視線と嘲笑が、たまらなく恐ろしく感じた。
後悔してももう遅い……。若気の至りと片付けるには、あまりにも醜悪で血に塗れ過ぎたのだ。
怯えながら過ごすジェッゾはある日、絶望に逸る心で馬を走らせた。戦火の跡……まだ傷が癒えていない街をひたすら駆け抜ける。
ある場所を目指し走り続け、ようやく着いた場所はアレスギアテス……ノイステラ公国であった。
ジェッゾは馬から降りる事なく、国境に立つ憲兵を蹴散らしながら入国を果たす。突如現れた暴れ馬に、瞬く間に悲鳴が沸き上がった。
馬を操って取り押さえようとする手から逃れようとするも、移動で疲れきっていた事もあってかあっさり捕まってしまう。
そのまま憲兵に引きずられ……公国の長、ザンデア公爵の居城前まで連れてこられた。
『何事であるか』
騒ぎを聞きつけたザンデア公爵が、数人の従者を連れて城から出てきた。5、6人もの大人が、1人の少年を寄ってたかって押さえつけている状況に眉根を寄せる。
すると憲兵の1人が、公爵へ姿勢よく敬礼をした。
『は。この者が突如門番を踏み越え入国致しまして、取り押さえようとしたところ暴れだしたので連行した次第でございます』
報告を受けた公爵の視線が、ジェッゾフィールへ移る。
傷ついた体と灰色の瞳を持った少年。何者にも噛みつきそうなのに、周囲に怯えているような瞳の……野犬のような少年という印象を受けた。
無言で見下ろしてくる公爵に、ジェッゾは口を開く。
『……あんたが公爵か』
『口を開くな! 無礼者が!』
若い憲兵が、ジェッゾの顔を蹴りつけた。
頬には泥がつき、唇からは血が滲み出る。衝撃で焦点が合わぬ瞳で、蹴った憲兵を恨めしそうに睨んだ。
『よさんか!』
少年への暴行に、公爵は目尻を上げ叫んだ。
確かに、この少年は一時とはいえ国境を脅かした。
しかし、見たところ彼は憔悴しきっている。公爵はこれ以上の被害が出ることはないと踏み、穏やかに問いかけた。
『ふむ、ひとまず聞こう。名は?』
名前を聞かれたジェッゾだが、力無く首を振った。
『オレの名などどうでもいい……。オレは赦されない事をした。いたずらに人を殺し、人を穢した。もう生きていく理由も、生きていける自信も無い……。どうかオレの首に刃を』
最後は祈るように呟き、ジェッゾはさらに項垂れる。自ら首を差し出すような彼に、ザンデア公爵は顎をおさえて唸った。
『委細は分からぬが、それは君自身の要因だけではあるまい……いずれにせよ、君を裁く気は無い』
戦争という状況や環境が、思考を犯し歪んだ行動を招いてしまったのだと、公爵なりの見解が告げられる。
その拒絶に、ジェッゾは顔を上げ、怒りの声を張り上げた。
『何故だ! お前は罪人を裁くのが仕事じゃないのか!? オレは年端もいかねぇ女を犯して殺した。━━そら、立派な罪人だ。分かったらとっとと殺せ!』
『貴様……!』
いきり立った憲兵が、ジェッゾの後頭部を踏み地面へ押しつけた。
ジャリ……と砂を擦る音と少年の呻く声を聞いた公爵は、ギロリと彼らを睥睨した。
『やめろと、何回言わせれば分かるのかね?』
その眼光に、踏みつけていた憲兵の肩がビクリと動く。
冷静で覇気に欠けた声音だが、行動を責めるには十分効力があった。
やがて公爵は、ジェッゾフィールのすぐ前まで近寄って、片膝をつく。
『もう1度聞こう。名前は?』
それでもなお頑なに沈黙を貫く少年に、微かな笑みを浮かべた。
『名を聞かねば、裁けるものも裁けぬ』
『……っ』
裁く……という言葉に反応したのか、下げていた頭をわずかに上げて。
『……ジェッゾフィール』
ポツリ、と呟くように答えた。
ようやく名前を聞けた公爵はふぅ、と息を吐いたあと、咳払いをする。
『そうか。なら、ジェッゾフィールよ、そなたに言い渡す』
裁定の時が来た。
ようやくだ、長かったと安堵し、目を閉じる。
『斬首で若い命を散らす事、実に早計である。……戦争で長らえた命なら一層大事にすべきだ』
ジェッゾは反射的に顔を上げた。
ようやく自分が望んだものが来る……そう思っていたのに、公爵の判定はその期待に反したものであった。
━━生きろ。そう言われたのである。
納得いかなくて、目を細めた。自分は罪深い人間だと、何度も告げたはずだと視線で訴えた。
『聞こえなかったのか? オレは━━』
『それはこちらの台詞だ。……裁定は下した。部屋を用意させるから、その体、十分休ませてから帰るといい』
そう言って、公爵はくるりと背を向ける。
それを皮切りに、取り囲んでいた憲兵も徐々に離れていった。
最後まで残った若い憲兵の横で、ジェッゾフィールはしばらくその場に蹲った。
◇
やがて、ジェッゾフィールにあてがわれたのは、城内にある広い一室。
『ここで自由に過ごすといい。あと、君が乗ってきた馬は憲兵が見つけて厩舎に繋いである。怪我は特に無いらしいから安心しなさい』
ザンデア公爵は穏やかに告げ、部屋を出ていく。
残されたジェッゾはどうすればいいのか分からなくなって、ひとまずベッドへ潜り込む事にした。
全身を包む、柔らかい感触。
よく整えられた寝具に久方ぶりの安心感を抱き━━畏怖と疲労で弱った体にはよく沁みた。
ジェッゾフィールは何だか泣きそうになって……布団を頭までかぶって目を閉じた。
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次回は10月10日、1時~となります




