18話 シンの帰りを待ちわびる人
しばらくの間、沈黙が3人を包んだ。
今の状況はというと、クインヘルをルリカに会わせたいと、シンレスに提案をしている……。
その答えを、待っているところである。
シンレスはというと、目を細め、顔をひきつらせている。
無論、シンレスも家に帰れて、ルリカに会えるのは嬉しかった。約2週間ぶりなのだから、きっと彼女も待っているだろうと考えている。
しかし、この状況は困った。
クインヘルを紹介する、という事は当然クインヘルを連れていくという事である。
シンレスには些かの……いや、かなりの不安があった。
シンレスが苦い顔で無言を貫いていると━━
「……わたしが行くとそんなに都合が悪いのか」
クインヘルがとうとう、がっかりしたように肩を落とした。
シンレスは内心しまったと思った。長い沈黙が、あらぬ誤解を招いてしまったのだ。
彼女にはルリカと友人になって欲しい気持ちがあるし、クインヘルもルリカに会うのを楽しみにしていた様子だったので、余計に誤解を解かなければならなかった。
「いや……そうなんだけど、そうじゃないんだ……」
そう言って、口をつむぐ。
━━まぁ大変なのはごく一時だから、それさえ乗り越えられれば大丈夫だろう……。
頑張ってそう思い込み、息を吐きながら肩の力を抜いた。
「……分かった、ホントに行くんだな?」
2人の頷きを見て、シンレスもようやく覚悟を決めた。
◇
シンレスの家は、城から30分ほど歩いた場所にある。
単調な一本道から、複雑な十字路まで様々な道のりを経て、やがて外壁が綺麗な一軒家が見えてきた。
シンレス曰く、ようやく改築が終わったらしい。
「シンレスの家も久々だね。ルリカちゃん元気かなー?」
「……」
エンカのうきうきと弾む声を聞きながら、シンレスは黙々と歩いていた。
これまでも傭兵という職業柄、長期間家を離れる事が多かった。
留守を任せるというのは頻繁にあるので、ルリカも自身の体調管理は心得ているだろう。
強盗が入ってくる可能性もある……が、彼女には対抗策があるので、逆に強盗の方を心配した方がいいかもしれない。
総評して、2週間程度の遠征ならば、シンレスはルリカの心配をさほどしていなかった。
そして、とうとう自宅扉の前までやって来た。
あとは開けて帰宅を知らせるだけ。いつもなら待ちに待った瞬間なのに、今はとても憂鬱だった。
少し間をあけて、シンレスがドアレバーに手をかける。
「……お前達、何を聞かれてもとにかく否定しろ。いいな?」
最後によく念押しをしてから、シンレスは自宅に入るのにおそらくしないはずの……意を決したような表情で玄関の戸を開けた。
「ルリカー、今帰ったぞ」
家の奥にいるであろう人物へ帰宅を知らせる。
そのまま3人はリビングに入ると、ぱたぱたと近付いてくる足音が聞こえてきた。
シンレスを見るや、嬉しそうに笑う赤髪の女性。
「おかえりなさいシンさ……ま……?」
彼女の視線がふと、クインヘルへ移る……1度笑顔が固まり、大きな瞳が陰り、そのまま表情をサッと変えた。
「……シンレス様。ご説明くださいまし」
赤毛の女ルリカは声を低く落とし、俯き、手をぎゅっと握りしめる。それに、体は少し震えていた。
シンレスは彼女を諭すため、わざと大きく咳払いをした。
「よく聞けよルリカ。こいつらはな━━」
チッ……!
何かが、シンレスの頬を掠めた。
壁にガツン! と突き刺さる音が響くと同時に、シンレスの頬から一筋の鮮血が流れた。
シンレスとエンカの間を一瞬で通り過ぎた銀色の閃光。
その正体が包丁だという事に、エンカとクインヘルは振り返って気付いた。
突如襲いかかる凶行にエンカとクインヘルは混乱し、シンレスはやはりこうなったかと顔を歪ませる。
呆けていられたのも束の間、3人のもとへ2撃目の凶器が滑空してきた。エンカ達はそれぞれ体ごと避け、壁に突き刺さる音を再び聞く。
なぜこんなにも包丁が空を裂き飛んでくるのか……。それは飛ばせるものは何でも、ルリカの武器となる能力によるものであった。
初手の狙いが頬のあたり、まだマシだった。ガチギレすると真っ先に頸動脈を狙ってくるので本当に怖い。
シンレスが恐れていたのは、「この事態」であった。
「そこの貴女!?」
「なっ、なんだ!?」
包丁に限らず、まな板やフライパンなど……キッチンにある様々な凶器を飛ばしながら、ルリカはクインヘルへ叫ぶ。
「シン様とはどのようなご関係で!?」
「はっ? えっ?」
「ル、ルリカ……っ! こいつらはな……っ。こいつらはなぁぁああああああ!!」
とにかく避けるエンカとクインヘル。避けながら言い聞かせようと絶叫するシンレス。
しかし、肝心のルリカは、聞いておきながら全く聞く耳を持とうとしない。
怒りと悲しみと混乱で、見境無く攻撃をしかけているのだ。
それでも、耐え続けること数分━━
一段と威力が落ちた包丁の閃光が飛来。
ルリカの限界が近い証拠だった。
ようやく訪れた、彼女を止めるチャンス。シンレスはそれを手刀で叩き落とすと、一気にルリカへ近付く。
腕を掴みぐっと引っ張り、強引に顔を向けさせた。
「……っ、いい加減にしろよルリカ!」
「あわ……シン様……」
シンレスに荒々しく詰め寄られ、灰色の目と合い、恥ずかしそうに顔をそらす。
これでようやく、ルリカの暴走が幕切れとなった。
◇
「本当に、ごめんなさい……」
リビングの床に正座し、しゅん……と項垂れるルリカ。
手は行儀よく膝上に置かれ、髪がはらりと前に垂れた。
「全く……。まず人の話を聞けと何回も言ってるだろうに」
その頭上へ、シンレスは言葉を浴びせていた。
お説教はしばらく続き、シンレスが何か言い聞かせるたびに、ルリカはこくこくと頻繁に頷いていた。
横から口出し出来るような雰囲気ではなかったので、エンカとクインヘルは終わるまで大人しく待つ事に……。
そして、長い長いお小言が終わり、シンレスのお許しにより起立が許された彼女と、エンカは目が合った。
「こんにちはルリカちゃん。お邪魔してごめんね」
「お久しぶりです、エンカ様」
エンカが軽く手をあげながら挨拶すると、ルリカにふわっとした、花が綻ぶような笑顔が浮かんだ。
4人は場所を移動し、ダイニングチェアへ腰かけた。
ルリカにお茶を用意してもらい、落ち着いたところで、シンレスは彼女の紹介へと入る。
今日のメインはクインヘルをルリカに会わせる事。
襲撃に気を取られて、苦労が無駄になってしまうところであった。
「……と、遅れたな。クインヘル、こいつは同居人のルリカだ」
シンレスの紹介を受け、ルリカはすぐさまお辞儀をする。
すると、エンカがすぐさまクインヘルの耳元へ口を近づけた。
「とか言ってるけど、恋人関係だからね、この2人」
そっけないのはシンの照れ隠しなんだよ、とシンレスに聞こえないよう補足した。
「それでねルリカちゃん。この人はクインヘル……」
オレの奥さんだよ、と伝えるとルリカは驚いて口元を手で覆った。
「はじめましてクインヘル様。ルリカと申します」
「クインヘルでいい。出来ればそう呼んでもらえると嬉しいんだけど」
「ああ、その辺は……あまり強制しないであげて……」
「む、そうなのか」
エンカに言われてしまい、(自分の事も相まって) 彼女にも言えぬ事情があるのかとつい邪推してしまう。
しかし、初対面で言うのはさすがに不躾だと思い、胸の中に留めておいた。
「それにしてもすごいな。ルリカは魔法が使えるのか」
「いいえ、わたしは魔女国の者ではないので。これはわたしの家に伝わる……魔法の亜種のようなものです」
ルリカは、かつて王に仕えた「星詠み」という一族の者であった。
「星詠み」とは、夜空を見上げ天に運命を聞き乞う星占術師の事である。神職でもある「星詠み」の職は主に未婚の女性が就き、彼女達の事は巫女と呼ばれた。
そして星詠みの一族には、それぞれ星を見る占術のほかに異能を持っていた。
ある一族は治癒能力。
またある一族は呪詛や呪解能力。
そして、ルリカの一族が持つ能力は物体浮遊。
文字通り、物を浮かせる異能であった。
しかし、ルリカの家は星読みとしてはすでに没落しており、彼女自身の持っている力も弱まりつつある。
今や、自分の手で持てる程度の重さしか浮かせられないという限界に縛られていた。
「星も……もうほとんど見えません。……視力が悪いという訳では無く、力の弱化により運命を読み取れないのです」
「それでも、魔女国出身でもないのに使えるのはすごい事だと思う」
ルリカは魔法の亜種だというが、物を浮かす、飛ばすというのは魔法のそれと変わらない。
しかし、この世界で純粋な魔法を扱えるのはただ一国のみ。
魔法と呼んでいいのは、魔女国シーリング出身の者が扱う術だけであり、それ以外はどれほどの秘術や大魔術であろうと、亜種や異能という程度にまとめられてしまうのだ。
この国、ローダ・ハヴィリアでは主に呪い師と呼ばれ、中には高度な術を使う者もいるが、それもまた魔法の劣化版と見なされていた。
クインヘルに褒められ、照れくさいのか助けを求めるようにシンレスを見上げる。
そんな彼女へ、シンレスはありがたく受け取っておけと、笑って答えた。
◇
そうして、話し込んでいるうちに、すっかり夜になってしまった。
会話の区切りがいいところで、エンカが立ち上がる。シンレスはエンカ達がこの場を退去する空気を察知した。
「帰るのか」
「うん。いつまでも2人の邪魔してちゃ悪いしね。そうだシンレス、婚約書ちょうだい」
帰る前にエンカは手を出して、預けている婚約書の催促をする。
「お前が持っていくのか」
「そ。オレが結婚するんだからね」
現時点では、エンカとクインヘルは正式な夫婦ではない。この婚約書を管理者である国王へ提出して初めて、2人の関係が認められる。
そのための提出を、エンカ自らがするのだと言う。
それ自体は特におかしい事ではないので、シンレスは大人しくエンカへ婚約書を渡した。
「ほら、失くすなよ」
「大丈夫。失くしはしないよ」
シンレスお得意の小言を受けながら白い封筒を受け取ったエンカは、クインヘルを連れて幼馴染の家を出ていった。
◇
シンレスとルリカに別れを告げたあとは夜道を歩く。エンカ達の次なる行き先はまたも住宅。
その一軒家へ、エンカは慣れた様子で鍵を開け入っていった。
「はいクインヘル。どうぞ」
扉を支え、クインヘルを中へ招く。
「ここは……?」
「ここはオレのお家」
この家は、エンカの自宅であった。
彼は手探りで照明のスイッチを探しあて電気をつける。
鍵を開けて入ったという点もあるが、部屋からは何だか寒々しい雰囲気を感じたので、誰かと一緒に暮らしているという訳では無さそうであった。
「1人で住んでるのか? 旗手なのに」
無用心では? と首を傾げるクインヘルに、エンカは笑って答えた。
「いつもは城の一部屋を借りてそこで寝泊まりしてる。でも、今日からはクインヘルがいるから安心だ」
本当にそう思っているのか、エンカは心からの安堵の笑みを浮かべる。そして、ぱちぱちと電気をつけながらクインヘルへ自宅内を案内して回った。
普段空けている分、部屋は散らかっておらず整然としている。しかし、回っている最中クインヘルがくしゃみをした。
それを聞いたエンカは、苦笑いをしながら頬を掻いた。
「一応、帰って来れた時に掃除はしてあるんだけど……やっぱり少し埃っぽいね。あとで綺麗にするから、今日は我慢してくれるかい?」
「ああ、問題ない」
洟をすすりながらクインヘルは頷いた。
ひとまず家の窓を開けて空気を入れ替える。
心地よい夜風が入ってきて、淀んでいた空気が徐々に変わっていくのが分かった。
「ふぅ、少しはマシになってきたな」
「そうだね。……っと、クインヘル。今日はこっちのベッドを使ってくれるかい?」
今宵の寝所としてクインヘルに案内したのは、仕事の関係でたまにシンレスやらラシュタードやらが寝泊まりに来る一室。
今すぐに提供出来るベッドが自分のものか、ここぐらいしか無かったのだ。
当然、シーツ等は洗って清潔にしてある。
匂いは気にならないか? と聞いたが、彼女からは大丈夫という逞しい返事をもらえたので胸を撫で下ろした。
やがて、肌寒く感じた頃に再び窓を閉める。
その日は早めに就寝をして、翌日の報告に備える事にした。
これから新キャラも増えていきます




