15話 切り札と裁定
正直、エンカは噴き出しそうになっていた。
いつになく真剣な幼馴染の顔に、つい口が歪みそうになってしまう。
けれども堪えた。シンレスがこんなにも声を張り上げ頑張ってくれているのだから、表情くらいは頑張らねばと懸命に繕った。
━━あの時、クインヘルとカナタが会話している時に感じた気配。シンレスには『クインヘルに恋をしたカナタ』と映っただろうが、エンカには照れくさそうな笑顔の裏に企みが見えた。
その時は内容こそ計れなかったが、何事も用心するに越した事は無い。
エンカは自分が思う打開策を、その場で適当な紙に文字を書き綴り、シンレスに押し付けたのだ。
手紙の内容を見たシンレスは絶句していたが、一応地位は旗手の方が上。無視出来ない真面目なシンレスはしぶしぶ引き受けてくれた。
旗手から国王への頼み事。
常民やただの貴族なら無理だろうが、旗手なら可能だ。嫌な顔はされるだろうが間違いなく届けてくれる。そう信じて自国へ手紙を飛ばす事を決めた。
もし、自分の予想が外れ、心配が杞憂に終わるのならそれはそれで万々歳。紙は破り捨て、使わなければいい。
しかし、明らかになったカナタの企みはクインヘルを貶め、不出来と有名なノールシュ王子と結婚させる事であった。
そして、それを防ぐ確実な方法は、クインヘルを既婚者にさせる事……。
そもそも、意に沿わぬ婚約を避けたくて出奔したクインヘルにしてみれば迷惑千万だろうが、結婚相手ならあの王子より自分の方がマシだという事は自信を持って言えた。
━━クインヘルを、エンカの配偶者にしてしまえばいい。
自国より取り寄せた自分の婚約書が、まさにピンポイントで生きる事となったのだ。
今のところ、シンレス迫真の演技と人々の動揺に助けられ、考えた作戦がうまく運んでいる。
それに加え、論点がすり変わっているのもよかった。
そもそも、命狙い狙われるのは貴族にとったら日常茶飯事なので、みんな暗殺未遂の犯人より、いかにクインヘルとブタ王子を結婚させるかで頭がいっぱいなのである。
……公爵の前だから言わないが、やはり平和などくそ食らえ。ヘドが出る戯れ言なのだ。
何より、かわいそうなのは何から何まで置いてけぼりなクインヘルなのだが、今は呆けていてもらおう……。
エンカは自分の代わりに立ち向かってくれているシンレスを頼もしく思いながら見上げた。
◇
「に……っ、ニセモノだ! そんなもの!」
「否。これはアレスギアテスの天秤に誓って本物であり、陛下からの印もある。すでに受理されているものだ」
血走った目を剥き喚くルシオラに、シンレスは淡々と応じていた。
紙の下部に押されている桔梗印及び、この婚約書はそう……本物だ。
━━でも、なすべき順序は逆だった。
通常なら、平民以外の貴族は書類獲得ののち、結婚する者の名前を書く。それを、取り仕切る役人に持っていき、役人が王のもとへ赴き承認する桔梗印を押してもらう。
今回は旗手の結婚なので、役人の取り次ぎは省いて直接国王とのやり取りをしていた。
よって、本当に受理されたものなら国王が持つべきもの。ここにあってはならないのだ。
もし、まだ紙に書いただけのものだと気付かれ、指摘されれば一気に劣勢になる。エンカの覚悟と、切り札を出しているのだからそれは避けなければならない。
それに気付かせないように、それっぽく語り堂々と舌戦する事が、シンレスの役目であった。
それから言い合いは続いたが、幸い気付かれてはいないようで、ルシオラやカナタ、その他代表者は落胆の色を見せはじめていた。
そこまでしてクインヘルに王子との結婚をさせたかったのかと舌打ちしそうになったが、今は堪える。
丸め込みは成功しそうなので、次にシンレスは攻勢に入った。
攻めるべき点はただ1つ。ユアナ王女に盛られた毒の件である。シンレスはカナタの発言を思い出し、頭の中で組み立てていく。
曰く、『血を吐き、激しい症状ではあるが、毒は弱く死者は出ない』
曰く、『解毒さえちゃんとすれば助かるはず』
明らかに何か知っている口振りであった。
クインヘルを助けたいから? 否、それはもう完全に消失している。
何故出会ったばかりのクインヘルに目をつけたのか問いただすべく、シンレスはふぅ……と息を吐きカナタを睨んだ。
「オレとしてはそちらから話を聞きたいものだ。カナタ……一体何を考えている?」
「……僕は何も」
声音に、少しだが逡巡が見えた。
その隙間へ、シンレスは畳み掛ける。
「直入に言うと、オレはお前が犯人だと思っている」
「何を根拠に━━」
その反論に、シンレスはつい顔をしかめた。どう考えても根拠しかないのだが、婚約書という反撃に気が動転して気付いていないのか……。
どちらにせよカナタはしゃべり過ぎた。自分の奸計を達成させたいがために明かし過ぎたのだ。
「この件で動いているのは、お前と、そこの宰相だけだ。ラーダがローダの連れに手出しをして、それを疑うのは当然と思うが?」
何から何まで最初に声をあげるのはこの2人。
王政と帝政の、最低最悪ともいえる不仲っぷりは諸国も認識していた。
徐々に変わる疑いの流れ……それを遮るように、公爵はパンッと手を打った。
「まずは事実を確認する。まずは……」
ふい、と公爵の瞳がクインヘルを捉える。
床に手をついたまま聞いていた少女は、すでにルシオラによる拘束は解かれていた。しかし、囲まれている状況は変わっていない。
「クインヘル。会議の前、ユアナ嬢と茶会をしていたというのは本当か?」
問われ、クインヘルは口を引き結ぶ。
「はい……。確かにわたしは、ユアナ様と時間を共にしました」
一瞬だけ、空気がひりつく。やはり、クインヘルが仕込んだ犯人ではないかと疑いの目が向けられた。
その気配を感じながらも、公爵は続ける。
「そこで、おかしな事はあったか?」
「いえ……。同じポットで注がれた、同じ紅茶をいただきました。……ただ、その時のユアナ様のカップは、この迎賓館に来た時、匿名で贈られたものだそうで、早速使ってみたとおっしゃっていました」
その時、匿名で贈答された怪しいものを使っていいのかと聞いたが、一応洗ってもらったから大丈夫だと、ユアナは言っていた。
姫へ贈られた明らかに怪しいカップ。
犯人はユアナ嬢……ディルタニア王国が来る前に来た人物……といってもそれは全員なので、犯人の絞りこみまではいかなかった。
「クインヘル。誓って犯行は無いか?」
改めて問われる犯行の有無。
これの否定は簡単だった。真実をそのまま口にすればいい。
「はい」
「クインヘル。君は旗手の妻か?」
「……っ」
これには息を飲んだ。
本音を言えば結婚など嫌だった。しかし、ここで否定してしまえば、エンカの覚悟とシンレスの努力が無駄になってしまう。
ちらりと、エンカの方を見る。
彼は微笑みもせず、無表情だが穏やかに、クインヘルに返答を委ねていた。それを見てクインヘルも覚悟を決め、息を吸い込んだ。
「……はい」
一言だけだが周囲へ示すには十分な答えが、少女の口から出てきた。
シンレスは胸を撫で下ろし、エンカは満足そうに頷く。
ただ1人、カナタは明らかに悔しそうな顔で睨んでいた。
これにより裁定は決まった。
公爵の口から裁定が下された。
「クインヘルはローダ・ハヴィリア旗手の妻であり、暗殺の事実も無し。よって、裁きの対象にはならず」
それは、断罪から免れ勝利した証。
それと同時に、自分はエンカの妻だと認めてしまった。クインヘルは頭を下げ、判決を受け入れた。
「閣下? もし、その書がニセモノだとしたら、アレスギアテスの名が泣くのでは?」
今度は魔女国シーリングからの代表、レイカが口を開く。これまで何も言わず傍観していた彼女だが、公爵を心配そうに見つめていた。その足元には使い魔の銀猫ヒュウがぴたりと寄り添っている。
『中立なる遺産国』の名を出されては黙ってはいられない……公爵はため息混じりに唸った。
「その婚約書とやら、今一度検めさせてもらっても?」
「構いません。それで疑いが晴れるなら」
シンレスは即答し封筒へ婚約書をしまい、公爵へ手渡す。
……おそらく、公爵は気付いているだろうが、何も指摘せず諸国の溜飲を下げるための提案をしてくれた。
何から何までお世話になりっぱなしで恐縮したがありがたかった。
「それと、カナタ君。色々君から聞きたいのだが、いいかい?」
「……閣下も僕を疑っているので?」
わずかに怪訝な顔をするカナタに、公爵はいやいやと緩やかに手を振った。
「君はユアナ嬢に盛られた毒に詳しそうだから。どういう毒なのか、話を聞かせてくれないか?」
「……仰せのままに」
言いにくそうな沈黙ののち、カナタは公爵へ跪いた。それから公爵は、ルシオラの方へ顔を向けた。
「ラーダ宰相。しばし彼と……御身を公国で預かりたいのだが、よろしいか?」
「……は」
こちらもしぶしぶといった様子で、今後の公国滞在を了承した。
毒に精通しているカナタと、最初にクインヘルが怪しいと騒ぎ立てたルシオラ宰相。
このあと……閉会したあとにでも尋問を受ける事だろう。
「此度の件、わたしが預かる。ローダの戦士よ、それ以上の詮索は認めない。害意を収めよ!」
語気が強まった一言に、シンレスは身を屈した。
この言葉を最後に、事件と会議はひとまず幕を閉じる。
カナタの目論みが消え、クインヘルは無事に無罪放免で解放される事となった。
遅すぎてお蕎麦になったわ。
さて、次話で1章最終回です!
いつになるかは分かりません!




