14話 軍縮会議 ~2~
そして、会議は終盤。平和協定への調印式に入る。
軍費を減らし、浮いた費用は国の整備や、貧困国への支援にあてるなど、争いに使わない事を約束させる誓約書へサインするのだ。
公爵から誓約書が回され順に署名していく。そして、いよいよエンカのところへやってきた。
エンカはその紙の、書き連ねられている名前に目を落とす。自分のような名代から、一国の王まで……改めて錚々たる顔ぶれなのだと実感した。
紙を眺めるばかりでいつまでもサインしないエンカを、シンレスが訝り肘で小突いて促す。
ようやくペンを取ったエンカはルシオラ宰相の下……最後の空白を自分の名前で埋めた。
エンカから誓約書を受け取ったシンレスが立ち上がり、公爵のもとへ持っていく。
全員の署名を確認した公爵はうむ、と頷いた。
これで全員のサインが終わり、5か国共通の平和協定はここに締結された。ザンデア公爵が閉会を宣言しようとすると、1人の姫君に異変が起きた。
苦しみの声は、ローレアシュの隣でもれていた。
「ユアナ?」
口に手をあて、急に苦悶する妹を心配し背中をさする。
紅茶でむせたのか……と思っていたが、徐々に咳き込む激しさが増していった。
「げほっ、ごほっ……ひゅ……」
呼吸も、うまく空気を吸えていないような音に変わる。
尋常じゃない状態に、公爵は入り口で控えている者に衛生兵を呼ぶよう指示をした。
「どうした。苦しいのか?」
ローレアシュが背をさすっている間も、ユアナの顔色はどんどん悪くなっていく。
━━そして。
「ひゅ……う……かは……っ」
一際激しく痙攣し、喀血した。少女の口からもれた血が、テーブルの上に散った。
「ゆ……ユアナ……ッ!」
ローレアシュが叫んだ。
その瞬間、誰もが気付いた。
この少女は、何者かに毒を盛られたのだと。
ユアナは気を失ったのか、椅子から崩れ落ちる。
数分前まで美しい姫君だったのに、今は毒に侵され美貌は見る影も無かった。
周囲からは悲鳴こそあがらなかったが、皆一様に息を飲んで始終を見ていた。
やがて、到着した衛生兵にユアナが連れていかれる。
「ユアナッ! ユアナァ!」
ローレアシュは一緒に行こうとする。
しかし、ザンデア公爵はそれを止めた。
「待ちたまえ! ローレアシュ嬢はこの場に。誰も出ていかないように!」
声を張り上げ指示を出し、全員をその場に待機させる。
そして、事実を確認するために、公爵はローレアシュへ問いただした。
「……ユアナ嬢が飲んでいたのは、その紅茶かね?」
「はい。……ですが、同じポットで私のも淹れたので、出所はこれではないかと」
「そうか。ではこれより前に盛られたという訳だな。……他に毒が混入しそうなのは……」
ユアナが飲み残した紅茶と、吐いた血を見ながらザンデア公爵が思案していると。
「……っ、この女だ! この女が怪しい!」
突如声が張り上げられ、それと同時にクインヘルが前へ押し出された。
「なっ、何を……ッ、ぐっ……!」
強引に腕の背中に回され、力任せに取り押さえられる。
「この女は会議の前までユアナ王女と茶会を開いていた。紅茶の中に毒でも仕込んだのだろう!」
「わ、わたしは何も……!」
クインヘルは青ざめた顔で取り囲む人々を見上げた。
クインヘルは何もしていない。正確に言うと、まだ犯行前である。……それにユアナは標的にしていない。
完全に冤罪である。
しかし同時に、各国の代表者は冷酷にクインヘルを見下げていた。
「恐ろしいネズミが潜んでいたものだ」
「すぐに牢にぶちこむべきだ! 殺すべきだ!」
「公爵殿。処分はいかがなされるか?」
クインヘルがどれほど訴えても、状況は変わらなかった。
幸いな事に、ここはアレスギアテス。きちんと調べられ、裁定が下されるだろう。
しかし、暗殺未遂はクインヘルのせいにされつつあった。
これほど高位の人物が集結している時に、白に覆すのは難しいのだ。
しかし、彼女にも救いの手があった。
「ちょっと待ってください!」
勇敢にも、カナタが多くの要人を遮り叫んだ。
シンレスは「お……」と目を見開く。
これまで、エンカとシンレスは騒がず静観していた。すぐにクインヘルを庇いにいけば、共犯だと思われ必要な時に動けなくなるからだ。
カナタはクインヘルに気があるようだし、このまま彼女を救うヒーローになりそうなので、シンレスは黙って見続ける。
カナタは厳しい視線を受けながら、ユアナの病状の説明をした。
「僕が見たところ、血は吐いていましたが、死には直結しません。症状は激しいですが弱い毒です。きちんと解毒すれば彼女は助かるはずです!」
必死に、ユアナは大丈夫だと説明する。
死者は出ないのだから、クインヘルを殺す事はしないでくれと訴えた。
━━しかし。
「……しかし、被害者からすれば気は晴れないですよね? なので、僕からディルタニア王国へ提案があります」
その一言からカナタが、急に邪悪さを孕んで嗤い始めた。
「どうでしょう、罪の代償としてクインヘル様を……そちらの第1王子と婚約させるというのは……」
「な……っ!」
その提案に、ローレアシュ王女は驚愕した。
「な、に……」
クインヘルも信じられない気持ちで呟く。
出奔王族の彼女も、ディルタニア王国第1王子の事は知っていた。
ノールシュ・ルイ・ディルタニア。
(クソ)ブタ王子で有名な第1王子。容姿端麗な妹達とは違い、見た目は肉団子……饅頭に目鼻がついたような紛れもない醜男である。
せめて筋肉ならいいのだが、まとっているのは全て無駄な脂肪という堕落が形になったような人物であった。
その見た目のせいで、将来王位を継ぐ大切な王太子でありながら人望が無い。求心力の無さはディルタニア王室も頭を抱えるほどであった。
問題は山積みで、その中でも真っ先に上がるのは将来の伴侶探しであった。民衆からの支持が得られないのと同じく、周辺国の姫君からもすこぶる評判が悪い。
姫君の父親も、どんな政略であっても、どんな良条件を出されても嫁に出す事は決してしなかった。
そんな中持ちかけられた提案。それは父親としての心を利用した、『自分の可愛い娘をそんなところへ嫁に出すくらいなら、今ここでクインヘルとくっつけてしまえばいい』という、周辺国を巻き込んだ算段であった。
ディルタニア王国側も、今後嫁が来ない可能性を考えると、この場で婚約を取り決めてしまう可能性が高かった。
ローレアシュやユアナは、王族の事情や苦労を痛いほど知っている。今ここで彼女が独断しても、責める人はいないだろう。
クインヘルは「元」とつくが、高貴な身分のため血筋自体は悪くない。……当然、アナゼル王家から捨てられている彼女の意思など完全無視である。
「…………っ」
自身を取り囲む喧騒を聞きながら、クインヘルは悔しくて唇を噛んだ。こうなる事を嫌って王家を、王国を出たのに、結局巻き込まれてしまった。
クインヘルは背後にいるであろう2人を見ようとして……振り返るのをやめた。
元々自分は刺客。この期に及んで2人に助けを求めるなど……出来なかった。
そんな葛藤をしているクインヘルをよそに……エンカとシンレスは、こそこそと会話をしていた。
「さぁシン、あれを見せつける時だよ」
「あれ?」
「今朝ラシュが持ってきたんでしょ?」
「え……えぇ~……」
━━この時の……いや、こうなった時のために用意させたというのかこの男は……ッ!
シンレスはぎり……と奥歯を噛んだ。
一応、その紙は懐に忍ばせてある。
これを出せば、不評の王子と結婚させられるクインヘルを救える……一発逆転が狙えるかもしれない。
しかし、これを出せば必然的にそうなってしまう。
しかし……やるしかない。
シンレスは覚悟を決め、飲み物で唇を湿らせてから口を開いた。
「ちょっと待ったッ!」
シンレスはバンッ! と思い切りテーブルを叩きつけながら叫んだ。
突然の異議申し立てに会場は静まり返った。数多の視線を受けながら、シンレスは立ち上がる。
それを、カナタが不快そうに見遣った。
「何ですか……僕の恩情ある提案に不満でも? それとも、貴方が首を出しますか?」
出身は違えどクインヘルはエンカ達と来た人物である。カナタは、その者が起こした事件の咎を、代わりにお前が受けるのかと視線で責め立てる。
しかし、身代わりになる気などさらさら無いシンレスは鋭い眼光で否定した。
「彼女は犯行を否定しているし、怪しいからなどとそんなあやふやな理由で殺人犯にされても困る。それに……いかなる国であろうとも、重婚は認められない!」
「何を言う! そこの女は未婚であろう! 王や妃にも見捨てられた出来損ないが!」
ルシオラ宰相はツバを飛ばしながら叫ぶ。シンレスの眼光が、怒りで揺らめいた。
「訂正してもらおう。我が国の旗手の……っ妻に対する侮辱と見なすぞ!」
「は~~~~~~~~~~~~!?」
言いたくないの半分、言い慣れていないの半分で少し言い淀んでしまったが、この状況では誰にも気付かれない。
その場にいる全員が絶叫し、クインヘルも言葉を失っている。この場で驚いていないのは言っているシンレスと、エンカだけであった。
「それは、どういう事かね?」
これまで冷静だったザンデア公爵も、少し声を荒らげている。誰もが、シンレスの次なる言動、行動に注目していた。
「これを見てもらいましょう」
シンレスは封筒から素早く紙を取り出す。
折り曲がっている紙をピンと伸ばしてから、出席している代表者達へ見せつけた。
「これは本国より届けられたエンカ・アイヅァとクインヘルの……正式な婚姻書である!」
あと2話くらいで1章は完結させます。
誤字脱字ありましたら、ぜひ報告お願いします!




