ケビンの過去
ケビンはステファン家の末っ子として産まれた。兄弟は本人を含めて5人。全員が男子だ。ケビンと上の兄とは10歳差。そんな家族構成では末っ子のケビンの扱いがやや雑なものになってしまうのも貴族社会の中では仕方なかったのかもしれない。
「ダニエル、ノーブル王立学園へ入学したがどうだ?」
「はい、このまま勉強を頑張って父上の跡を継げるよう頑張ります」
「ははは!期待しているぞ!お前たちも兄さんを支えてやってくれ」
お前たちにケビンは含まれていなかった。ケビンは他の兄たちと年が離れすぎていたからだ。
「はい。兄さんが継いでくれたら安心です」
「僕たち兄弟の中で1番の出来だもんな」
心の中でケビンは『反吐が出る』と思っていた。兄たちが本当に心からそう思っているのならそんなことも無かっただろうが、彼らは面倒な領地経営や当主の仕事がしたくないから長兄より目立たないように適当に手を抜いていることにケビンは気がついていた。手伝うという言葉だって本当かどうか疑わしい。まだ5歳だったが生まれながらに聡明だったケビンは全てを見抜いた上で黙っていた。言ったところで末っ子だからと自分の言葉には取り合わない父が聞き入れるとは思えなかったからだ。
「ははは、褒めてもらっても何もでないよ?」
「そんなこと期待してないよー」
とんだ茶番だった。面倒を押し付けるために担ぎ上げられていることに気づかない長兄も、そんなこと思っても無いのに褒めちぎる下の兄たちも、その息子たちを見て本当に侯爵家が大丈夫だと思っている父親も分からないふりをして日々を過ごす自分も全部全部くだらない。
そんな日々の中でもケビンの心を落ち着かせてくれる存在がいた。母親だ。自分と同じ色の髪と目にふわふわとしたくせ毛が可愛らしい天使のような見た目のその人は、唯一ケビンの話をちゃんと聞いてくれる人だった。
「お母様!家庭教師の時間、終わりました!」
「今日はどんなお勉強をしたの?」
「はい!今日はー・・・」
家庭教師はケビンの知能が普通の5歳児より遥かに高いことに気がついていた。そのため勉強はケビンのペースで進められ、6歳になるころには学園入学試験の問題が解けてしまえるくらいの学力になっていた。そのことを家庭教師から聞いた父親は喜ぶどころか困惑した。もう跡継ぎは長兄のダニエルと決めていたし彼の手伝いは他の兄たちにさせて三男が卒業すると同時に侯爵位をダニエルに譲るつもりで準備も進めていた。ケビンがいくら優秀だと言っても卒業までまだ12年もある息子のことは待てなかった。ある日、ステファン侯爵はケビンを部屋に呼び出すとこう告げた。
「・・・できないフリをしてくれ」
「はい?」
「お前が優秀すぎると困るのだ。ダニエルが自分を卑下するしお兄様たちも可哀想だろう?」
「・・・」
「お願いを聞いてくれ。出来るふりならともかく、出来ないふりなら簡単だろう」
お願いという名の命令だった。『簡単』なのと『苦痛じゃない』というのは別問題だ。出来るのに出来ないふりをするというのはケビンにとっては侮辱以外のなんでもない。兄たちは可哀想で自分は可哀想じゃないのかと、喉から出かかって彼は言葉を飲み込んだ。言っても仕方ないことを彼はずっと痛いほど分かっていたからだ。
「・・・分かりました」
「おお、よかったよかった。学校もシャインローズを選んでくれ。まあ、あと10年あるからな。そこまで神童が続くかも分からないが」
ケビンはことごとくコケにされた。どう部屋に戻ったかも記憶がない。ベッドに突っ伏して、どれくらいそうしていただろう。夕方頃になって母親が部屋を訪ねてきた。
「ケビン」
「・・・お母様」
「お父様から聞いたわ」
「・・・僕は・・・!」
「でもね、お母様もお父様の言う通りだと思うの」
「・・・え?」
「ケビンは末っ子だし好きなことをして生きられるんだもの。出来ないふりをして遊んだっていいのよ?」
「お、かあ、さま?」
「ダニエルたちと違って好きな女の子と結婚してもいいのだし、それにね、お母様も弟が出来すぎるのはダニエルが可哀想だと思っていたの」
味方だと思っていた母親まで本当はダニエルが1番大事だったのだ。天使のような母親はケビンが作り出した幻想でしかなかった。ずっとすがっていた。母だけは違うと。この茶番において彼女だけは違うと、孤高の存在だと思っていたのに!好きにしていいというのは、自由にさせている、いいことをしていると、彼らは思っているのだろうか。『必要ない』と言っているのと同じだというのに。『必要ない』とは『いらない・いなくてもいい』のと何も変わらない。
それでも、まだ、心のどこかで違うと信じていた。父の話に合わせているだけだと思い込もうとしていた。それさえも、崩れたのはケビンが7歳の頃だった。ある日の夜中母親が見知らぬ若い男と屋敷を抜け出そうとしているのを見つけてしまった。トイレに行こうとしたときのことだ。7歳とはいえ、貴族の子どもで聡いケビンには状況を見ただけで大体の事情が察せられた。驚きのあまり固まって、何とか絞り出した声は掠れて震えていた。
「おかあ、さま?」
「・・・ケビン、そう、見られちゃったわね」
「どう、して?」
「どうして?分かるでしょ、うんざりなの。あの人とは政略結婚で愛なんてない。息子たちは上は不出来ばかり1番下の子は出来すぎる怪物!面倒しかないこんな家より、愛に生きることにしたの」
「・・・かい、ぶつ・・・」
「もう少し出来ないふりをする頭があれば嘘でも愛してあげられたかもしれないのに」
「うそ・・・?」
「こんなとこ、みんな、ずっと、だいっきらいだったのよ!」
それだけ言い残して見たこともないような派手なドレスを着た母はケビンを鼻で笑った男と出ていった。立ちすくむケビンには目もくれずに。
そこからケビンにとっては地獄の日々だった。出来の悪いふりをして兄たちに馬鹿にされ、それに安堵した父親からはほぼ放置される。自分だけ母親によく似ていのも原因だったのだろう。
そんなある日金色の髪に青い目の綺麗な男が父を訪ねてきた。部屋へ行く道すがらに彼は父に『男の子を養子にしたい』と話す声がちょうど通りかかったケビンに聞こえてきた。柱に身を隠してケビンは彼の話を注意深く聞く。
「うちは女の子ばかりでしょう?継いでくれたらいいなとは、思うんですけど彼女たちの人生に選択肢を増やしてあげたくて。もちろん、養子にした男の子だって継ぎたくないならそれでいいんです。遠縁から呼べばいいですし。でも、側に男の子がいたほうがやっぱりあの子たちの気が少し楽になるじゃないかって思っていて・・・来たいって言ってくれてお家の方がいいと言えばなのですぐには見つからないでしょうけど」
「ははは、相変わらず子煩悩ですなあフェイバー公爵」
「親ならどの子も大切だと思えるものでしょう?」
ステファン侯爵に対する遠回しの非難のようにケビンには聞こえた。それと同時にチャンスはここしかないとも思った。このままここにいるのはケビンには耐え難い苦痛だった。フェイバー公爵と呼ばれたこの男が見た目や言葉通りの綺麗な人物じゃなかったとしても、賭けてみる以外にここから脱出する機会はもう2度とないことは想像に固くない。無礼を承知でケビンはふたりの前に飛び出した。
「フェイバー公爵。名乗られる前に声をかける無礼をお許しください」
「いいよ。はじめましてサナト・アルディ・フェイバーですフェイバー公爵を務めております」
「はじめまして。ケビン・ステファンです。今のお話が聞こえたもので思わず飛び出してしまいました。お許しください」
「ケビン!」
「まあまあステファン侯爵、私は怒ってませんから」
その一言でステファン侯爵が黙るには十分だった。公爵、その中でもトップとされているフェイバー公爵が怒っていないと言うのに侯爵の彼が怒り続けるのは公爵家を侮辱していると取られる可能性があるからだ。ぐっと押し黙った彼を横目に見るとフェイバー公爵はケビンに話を促した。
「続きを聞かせてもらってもいいかな?」
「はい。私をフェイバー家の養子にしてください」
「ケビンくん、本当に家に来たい?」
「はい」
「家族と離れることになっても?」
「かまいません」
「それなら、君の話は家庭教師の先生から聞いているし僕は構わないよ。ステファン侯爵はいかがですか?」
ケビンが父親の顔を見ると彼は深く頷いていた。その表情にはいくらか安堵の色がある。
「ケビンがそう言うなら私に異論はありませんとも。今は日も高いですしコントラット侯爵のところに行って早速手続きと参りましょう」
「そんな急に・・・。コントラット侯爵の元で養子の文書を作成したらその日のうちにケビンくんはここを離れなくてはいけません。私も家族に話しておきたいですし、準備もありますから最低でも1週間ほど時間をいただけますか」
「・・・ああっ!大変失礼いたしました。そうですな。それでは1週間後で!ケビンもそれでいいな?」
「構いません」
その後、兄たちには上手くやったなとは言われたものの羨ましいとは言われなかった。跡継ぎが嫌な彼らがフェイバー公爵家の跡取りになるかもしれないケビンを羨ましがるとは思えなかった。
そして1週間後、文書が交わされた。普通の養子縁組みは子どもが戻りたいと言ったときに戻れるような記載がされることがほとんどだ。しかし、ケビンは今後、2度とステファン侯爵には戻れないという文言を追加してくれと頼んだ。フェイバー公爵は心配したが本人と父親であるステファン侯爵の二人がそれでいいと言うので記載を認めた。こうして、ケビンはフェイバー家の養子になった。フェイバー家に向かう途中の馬車の中で簡単に家族の説明をされる。
「妹ができるんですね・・・」
「そうだよ。優しくしてあげてね。下の子はまだ3歳なんだけどときどきハッとするようなことを言うから気が合うかもしれないね。でも、みんな恥ずかしがり屋さんなんだ。急には仲良くなれないかもしれないけどゆっくり焦らずに慣れていこう」
「・・・はい」
家族にいい思い出がない彼は不安な気持ちのままフェイバー家へと向かう。もう家族は玄関ホールで待っているというのを降りたときに伝えられ心臓がバクバクと音を立てている。不安な気持ちのままドアを潜ると目の前に自分の母親と同じような天使が立っていた。思わず目を見張るとその子は突然大泣きした。嫌われたらしいと苦笑したケビンの耳に聞こえてきたのは『うれしい』という言葉。そのときに、人生で初めて来たことを嬉しいと言ってもらえたケビンはその子に一気に心引かれた。
ケビンは母親に雰囲気が似ているスカーレットと言う名前の少女と過ごすうちにどんどん気持ちは増していった。あの日、自分を怪物だと、愛してなどいなかったと叫んだ母親に似た少女が自分を必要としてくれる。自分が怪獣なら魔法使いになって治してくれると言って受け入れてくれる彼女を母親のように失いたくなかった。ただ、ただそれだけだった。




