9話 さそわれて無人島
これまでのあらすじ
ある日、割と平穏な毎日を過ごしていた少年の元に、突如死神がやってきた!
問答無用で冥府に連れ去られるものの、実はちょっとした手違いがあって……?
その後なんとか無事に転生を果たした少年。しかしその翌日、今度は天使がやってきた!
意見の相違から衝突するも、どうにか事なきを得た少年だったが、死神・天使の両名は少年の家に住むことになり……。
そうして始まった奇妙な同居生活から数日後、登校した彼の前に制服を着た同居人たちが現れた!
平穏だったはずの生活から一転、ちょっと変わった少女たちとのドタバタの日常が幕を開けるのだった……!
そしてしばらくして……ついに夏休みがやってきた――!
登場人物おさらい
七生奏多:主人公、人間。自由気ままな一人暮らしを謳歌していた高二男子。
ある日勘違いで魂を抜き取られ実質死亡するも、冥王との契約(半強制)により現世に転生を果たし、元通り(?)の学生生活を送る。
篠神命奈:死神(見習い)。冥王の孫娘。
一人前と認めてもらうために人間の魂を狩りに来て、本来狩るはずだった老爺と奏多を間違えて狩ったうっかりさん。
転生した奏多の魂を保護する名目で、彼と生活を共にしている。
死を司る死神のイメージとはかけ離れた、幼げな言動の目立つ天真爛漫な少女。
天道シエル:天使。本来ならありえないはずの転生をした奏多を危険分子とみなした天界から現世に送られた。
一度命奈と衝突して以降は彼女同様、奏多の家に転がり込んで生活している。
実質居候の割にやたらと言動が尊大。時折天使らしからぬゲスさや俗っぽさを見せる。
どこかで聞いたような言葉を用いて、説得力があるのかないのかよくわからない説教をしては、奏多にツッコミを入れられている。
雪村真冬:奏多と同じ学校に通う同学年の女子。シエル曰く「普通ではない」らしい。
やたらと体温が低いせいか、夏でも基本長袖着用な超が付くほどの寒がり。
基本的には一匹狼気質で他人との接触を避ける傾向だが、奏多のことは何かと気になっている模様。
屋敷陽富:座敷童。何かと暑苦しい、アウトドア派の陸上部員。奏多の後輩。
部活見学時に命奈たちと出会い勝負することになるも、その場は引き分けに終わる。以降、彼女らを一方的にライバル視している。
裏表がなく、よく言えば人懐っこい、悪く言えば馴れ馴れしい性格。そのため先輩相手だろうとタメ口で話すことが多い。
壊滅的にアホの子。
魚住珠声:人魚。水泳部所属の先輩。歌うことが大好き。
なるべく人目につかないようにこっそりプールで歌っていたところ、その歌声で引き寄せた奏多を溺れさせてしまう。
その一件以降、自身の秘密を共有する形となった奏多とはなにかと懇意にしている。
なぜかカラオケ等で普通に歌うと壊滅的に音痴になる。ついでに(水泳以外の)運動音痴。
有門千夜:吸血鬼。奏多の後輩で、陽富の同級生にして親友。
成績優秀でスポーツ万能な非の打ちどころのない優等生な上に、容姿端麗で大金持ちな筋金入りのお嬢様。しかし当人は“普通”に憧れている。
吸血鬼なのに血液恐怖症で、血を目視すると気を失う。
陽富から奏多たちの話を聞き、興味を惹かれ接近。以来すっかり懐いている。
夢見咲姫:千夜とは昔からの知り合いらしい、奏多と同学年の女子。
男子を総じて毛嫌いする傾向があり、現在は特に奏多を「千夜に寄り付く悪い虫」と断じてヒステリックに敵視している。
若干クレイジーで若干サイコで若干レズな純情(?)乙女。凄まじく胸がデカい。
森谷文次:奏多とは中学からの付き合いの男子。モテないことを悩む陽キャオタク。
急に美少女に囲まれ始めた奏多を僻んではいるが、友人としての付き合い方はあまり変わっていない様子。
……今回は出番なし。
夏本番な七月末。
真っ白な砂浜に太陽が暑く照りつける。
穏やかに打ち寄せる波の音と、遠くに海鳥の鳴く声だけが聞こえる静かな世界。
「よ~し、泳ぐぞ~!!」
そんな中に、一際賑やかな声が響いた。
それに続いて心配そうに、控えめな声がかけられる。
「ちゃ、ちゃんと準備運動しましたか……!?」
「だいじょーぶ、ばっちり!」
賑やかな声の主――陽富は待ちきれないと言わんばかりに、一人砂浜を突き進んでいった。
「さあ、真冬サンも一緒に泳ぐデス!」
「……いや、私は別にいいよ……水、冷たそうだし……」
命奈が腕を引きながら誘うも、真冬は気乗りしなさそうに呟く。
「むぅ?」
「きっと泳げないんでしょう、察してあげなさい」
「は? んなわけないでしょ、ちんちくりん」
しかしシエルが横から煽りを入れながら海へと歩を進めると、それに見事に釣られる形で隣に付いて歩き出した。
「ほら咲姫サンも! 行くデスよ!」
「え、あ、ちょっと待って――!」
こうして次々と水着の少女たちが海へと駆けだしていく。
「さあ、先輩も行きましょう?」
「あ、ああ……」
そして千夜に手を取られ、奏多もその輪へと加わるのだった――。
事の始まりは十日ほど前。終業式の日にまで遡る。
形式的な全校集会やホームルームを経て午前中に放課後となり、多くの生徒たちが足取りも軽く帰路につき始めた頃。
「先輩は、あの……夏休み中のご予定は、何かございますか?」
正門前にて千夜に呼び止められた奏多は、そんな質問を投げかけられた。
「いや……今のところは別に、特にないけど?」
「そうなんですか!?」
少し考えてから彼が簡潔に返すと、千夜は即座に驚いたような声を上げる。しかしその表情からは驚きよりも喜びが強く見て取れた。
「それでしたら、先輩……一つ提案があるのですが――!」
そう前置きして彼女は奏多にある誘いを持ちかける。
「――簡単に言うと、旅行です!」
千夜は自らの提案の概要をそう纏めると、奏多の反応を待った。
「…………二泊三日の、旅行――?」
「はい!」
明らかに面食らった様子の奏多の返事にも、千夜は快活に微笑み頷く。
「もしよろしければ、先輩もご一緒しませんか?」
そしてそのまま招待の言葉を投げかける。
「……俺がついて行っても大丈夫なの、それ?」
奏多はやや不安そうに問い返す。
それには理由があった。
――千夜が簡潔に『二泊三日の旅行』と称した、その実の内容。
「本開業前の空港の試験運用と、離島の環境保全区域の視察って――!?」
それは一般人ならまず経験することがないようなイベント目白押しなのであった。
「? 問題ありませんよ?」
しかし千夜の返事は大したことではないと言わんばかりの、あまりにも平然としたものだった。
「あくまでそれに便乗するだけですし、よほど非常識な行動さえされなければ――先輩なら大丈夫ですよね?」
「その絶大な信頼はどこから出てきたの!?」
さも当然のように信用された奏多の疑問にははっきりと答えず、千夜はそのまま楽しげに言葉を続ける。
「陽富ちゃんも誘ってありますので!」
「あいつも連れて行くの!? あの非常識の塊を!?」
衝撃の発言に愕然とする奏多。しかし千夜はそれも意に介さず、奏多の背後の二人に微笑みかける。
「それでもまだ人員には余裕がありますので、もしよろしければ篠神先輩と天道先輩もいかがでしょう?」
「奏多サンが行くなら、当然ワタシも行くデス!」
「まあ、どうしてもと言うのならば、やぶさかではないけれど?」
命奈とシエルも声色から判断するに乗り気な様子であった。二人の返答に千夜が満足気に微笑む。
(確かにこいつらと比較すれば、俺の方が大丈夫だろうけども――)
内心ではそんな風に思いながらも、やはり不安が拭いきれない奏多は言葉を濁す。
「あー……で、でもな~……」
そんな彼を悲しげに見上げる千夜。
「……ダメ、ですか?」
「うっ――」
ポツリと呟かれた言葉に思わず呻く奏多。千夜はそんな彼を上目で見つめ続ける。
「ダメ……じゃないです……」
やがて観念したように奏多がそう言うと、先ほどの様子が嘘のように千夜は表情を輝かせた。
「本当ですか!? 良かったぁ……!」
そして大仰に胸を撫で下ろすと、続けて顎筋に指を当てて何事か思案し始めた。
「後は……そうだ、魚住先輩もお誘いしましょう!」
そのうちに千夜はそんなことを言い出した。
「以前に先輩から『海が好き』だとお伺いしたので、きっと喜んでいただけると思います!」
屈託のない笑顔を浮かべて、相手の返答をそう期待する。
「皆で海かぁ……あぁ、楽しみ……!」
(まあ、もともと予定があったわけでもないし……千夜ちゃんも嬉しそうだし、良しとしておくか……)
少女の幸せそうな様子につられて、奏多も自然と笑みを浮かべていた。
そんな彼に手厳しい声がかけられる。
「……何、鼻の下伸ばしてんのよ、この変態」
その声の主はもちろん咲姫。先ほどからのやり取りをどこか不服そうに見守っていた彼女はついに堪えきれなかったか、千夜の背後から悪態をついたのだった。
「咲姫ちゃん、そういう態度をとってはいけません!」
しかしそのセリフを聞いた千夜が即座に振り向き彼女を叱責すると、バツが悪そうにそっぽを向く。
「…………奏多? 何、また絡まれてんの?」
そのタイミングでちょうどそこに通りがかった人影が奏多の隣で立ち止まり、訝しげな視線を双方に交互に向けつつそう言った。
「あ、雪村……いや、そういうわけじゃないんだが――」
何か誤解をしていそうな真冬の物言いに奏多が弁明をしていると、千夜が奏多の方に向き直る。
「? 先輩、お知り合いですか?」
そして彼女の見知らぬ人物がいつの間にか奏多の隣に立っているのを見て、小首を傾げつつそう問いかけた。
「あ、ああ……友達だよ、千夜ちゃん」
「先輩のお友達ですか……あの、もしよろしければ――」
「……?」
奏多の返事を聞くなり、千夜は訝しげな視線を向けたままの真冬相手にも動じることなく、先ほどと同様に彼女まで招待し始めたのだった。
それから一週間ほどが過ぎ、出発当日の昼下がり。
有門邸の屋外では多くのメイド達が何やら慌ただしく作業をしたり、荷物を運んだりしていた。
「先輩たち、まだかなぁ……」
その様子を横目に溜息をひとつ漏らしつつ、千夜がそわそわし始める。
「まだ約束の時間まで五分あるよ、千夜ちゃん……」
隣に立つ咲姫が時間を確認しながら千夜を嗜める。すると千夜は「でもぉ……」と不満げに短く呟く。
ダダをこねるような少女の仕草に咲姫がだらしなく頬を緩めていると、一台の車と自転車が門の前に停まった。
「着いたぁ~!」
開口一番に叫びをあげたのは陽富。メットを外しながら自転車から降り、そのまま自転車を押して歩き始める。
彼女が開かれた門をくぐり、両側に控えたメイドたちから歓迎の礼を受ける頃に、車の後部座席のドアが開かれ続々と降り立つ面々。
「…………本当にここまで自転車で来たよ、あいつ……!」
以前に本人から聞いてはいたものの、実際に目の当りにして改めて愕然と奏多が呟く。
「……いくら乗ってるのがスポーツタイプとは言え、めちゃくちゃね」
呆れたように奏多の言に続く真冬。
「こ、これが有門さんのお家――お家でいいんですか、これ……!?」
珠声は目の前の光景が信じられないとばかりに、周りをきょろきょろと見まわしながら目を白黒させる。
「ええ、信じがたいかもしれないけれど事実よ」
珠声の狼狽えぶりに肩を竦めながら、シエルが彼女の言葉を肯定する。
「お嬢様がお待ちです。どうぞこちらへ」
全員が車から降りたのを確認したメイドが短く告げ、踵を返して先導し始める。奏多たちもそれに続いていった。
「ようこそ陽富ちゃん、先輩方! お待ちしておりました!」
屋敷の扉の前にて満面の笑顔で一行を迎える千夜。その背後では咲姫が複雑そうな表情をしていた。
「やっほ~チヨちゃ~ん!」
先頭を歩いていた陽富が大きく両手を振りながら呼びかけ、千夜に駆け寄る。
当然手から離れた自転車は倒れそうになるものの、ただちに背後の人物――奏多たちを先導するメイドが支えることで転倒を免れた。
だというのに当の持ち主は気に留める様子も無く、千夜とじゃれついているのだった。
「ほら、ちゃんとこれで汗拭いて下さい、陽富ちゃん」
「わ~ありがと~! 借りるね~!」
千夜がタオルを差し出すと陽富は受け取ったそれで無遠慮に体をくまなく拭いていき、その後背負った鞄から制汗スプレーを取り出してシャツを引っ張り身体に吹きかける。
「あぁ~、爽快……!」
そうしている内に奏多たちも千夜の前まで辿り着く。幸せそうな表情で口からそう漏らす陽富の様子に苦笑しながら、奏多が問いかけた。
「ところで……これからまたどこかの空港に移動?」
「いいえ、違いますよ?」
千夜は首を横に振った。
「えっ? でも確か予定では、まずは離島に建設中の空港に行くんじゃ――」
「ええ、そうですね」
疑問に思った彼が再度旅程も含めて確認を取ると、それには首肯が返ってきた。
離島の空港へ行く……となれば、空路で移動するものと思われるが、しかし彼女は既存の空港には向かわないと言う。
「じゃあ、どうやって――?」
一人混乱し始めた奏多に対し、千夜は平然と言い放つ。
「ここから直接向かいます」
千夜のその言葉を合図にしたかのように、警笛が一つ鋭く響いた。
一行が音のした方を見やると、そこでは一人のメイドが一定間隔で警笛を吹きながら、交通整理のように何やら合図を送っていた。
「――は?」
その合図を送る先、屋敷の影からゆっくりと姿を現したのは。
「おぉ~飛行機~!!」
旅客機、いわゆるジャンボジェットだった。
続けて広大な庭の一区画がまるで襖のように左右に開かれ、その下から突如として現れる滑走路。
(なんか未知のエネルギーを搭載したスーパーロボットとか出てきてもおかしくないな、この豪邸……)
開いた口がふさがらないまま奏多がそんなことを考えていると、まさしく予定調和とでも言わんばかりに旅客機が滑走路の端に停まり、一度エンジンを停止させた。
「にしても、ほんっとこういうの好きよねぇ、撫螺慟おじさんって……」
一連の様子を静かに見ていた咲姫が、半ば呆れたように呟いた。
「撫螺慟……おじさん……?」
「……何よ、なんか文句あんの?」
奏多が咲姫の発言を反芻すると、条件反射的に不機嫌そうに睨みを利かせる。
「正確には伯父ではなく、従伯父なのですけどね」
そんな彼女に代わって千夜が口を開いた。
「従伯父……って、何?」
「えっと、つまり、有門さんと夢見さんは……はとこ、ということですか?」
あまり聞きなれない単語に首を傾げる奏多に助け舟を出すが如く、珠声が両者に確認を取る。
「はい、その通りです!」
「千夜ちゃんのパパとあたしのママが従兄妹なんですよ」
近しい縁者にしては意外にもそこまで似ていない二人は、そう言ってどこか照れくさそうにはにかんだ。
「へ、へぇ~……」
意外な情報に奏多が間延びした返事をしたその時。屋敷の扉が開き、中から二人のメイドが現れた。
「お嬢様、お待たせいたしました! 出発準備全て完了です!」
やや過剰気味に見える量の荷物を背負い少し息を切らしながらも、明るい調子でそう報告する一人。傍らのもう一人は同様の荷物を涼しい顔で背負い無言で佇んでいた。
「あれ? 乃菜さんと……月瀬さん?」
「不肖わたくしめも僭越ながら、月瀬さんと共にお世話役として同行させていただきます!」
奏多が二人の名を呼ぶと、答えるかのように乃菜は誇らしげに宣言する。それに合わせて月瀬も腰を折り頭を下げた。
「ささ、皆様参りましょう! 他の方々は既に搭乗しておられますので、あまり長くお待たせするわけにはいきませんからね!」
乃菜がそう言うなり、月瀬が旅客機へと歩み始める。一行も千夜を先頭に、その後に続いていく。
「……他の方々ってのは、えーと――?」
「大きく分けると、空港稼働に関してのビジネスのお話をする方たちと、環境保全区域の調査・観察を行う学芸員の方たちですね!」
歩みを止めずに奏多が聞こうとすると、先んじて乃菜が答える。
「……あ、心配しなくても、一人残らず旦那様の関係者ですからね? でなければそもそも、そう易々とこの敷地内には入れませんし!」
なおもどこか不安げな顔の奏多に、乃菜は補足した。
(有門コンツェルン……なんて恐ろしい……!)
しかしそれを聞いた奏多の心には、別の不安が芽生えたのだった。
そのまましばらく歩き、旅客機のすぐそばまで辿り着いた一行。
各人の荷物を数人のメイドが預かると、これまたいつの間にかどこからか現れたスキャン装置に通して中身を確認していき、それが終わると手際よく貨物室に詰め込んでいく。
奏多はその様子を横目に接続されたタラップを上がっていた。
「ボク飛行機初めてだよ~! 楽しみ~!」
千夜や咲姫と共に先頭を行く陽富が期待感たっぷりに騒ぎながら、真っ先に扉部分をくぐり旅客機へと乗り込む。
「空を飛ぶなんて、そんなにはしゃぐほどの事かしら?」
「いや、そりゃお前はそうかもしれんがな――」
呆れた様子で言い放つシエルに続いて、奏多もツッコみつつ扉をくぐる。
その時彼の目に飛び込んできたのは、各人ごとにゆったりとしたスペースが設けられた座席。明らかにエコノミーではない。
(無償で連れてってもらってるけど……おいくらぐらいかかってるんだろ、これ?)
毎度のことではあるが、想像以上の歓待っぷりにどうしても絶句してしまう奏多。
「あの、あれ? 飛行機ってこんなに席広かったですっけ?」
命奈、真冬と共に乗り込んできた珠声も彼と同じく動揺したようで、せわしなく周囲を見渡す。
最後に乃菜が乗り込むと即座にタラップの接続が離され、彼女はそのまましっかりと扉を閉めた。
「ボク、ここの窓際がいい~!」
周りの様子を気にも留めず、望む席へと飛びこむ陽富。
『お待たせいたしました。間もなく離陸いたしますのでご着席の上、シートベルトの着用をお願いいたします』
それとほぼ同時に機内に着席を促す放送が流れ、皆一様に指示に従う。
それから間もなく、メイド達に見送られながら旅客機は飛び立っていった。
数時間後。
太陽が水平線に沈み始めた頃、まっさらな滑走路に旅客機が着陸した。
空港設備はまだ稼動していないので、乗客たちは旅客機からタラップで直接滑走路に降り立ち、敷地内を移動するための車の迎えを待っていた。
「わ~! 何か、人いっぱいだよ!? 大統領にでもなったみたい!」
いの一番にタラップを駆け下りた陽富が楽しそうに叫ぶ。
「確かに、すげー人だかりができてるな……」
奏多が視線を巡らせると、敷地の外から島民たちが興味深げに覗き込んでいる様子が窺えた。
「現地住民の皆様には、本州との新たな連絡手段や観光資源振興の一環として、今のところ好意的に受け入れていただけているようです」
何気なく呟いた彼に、同行者であるスーツ姿の男が丁寧に、だがどこかビジネスライクに説明する。
「へ、へぇ~、そうなんですね……」
「んん、そういう込み入った話は先輩たちには関係ありませんので! どうぞお気になさらず」
わざとらしい咳払いをしつつ千夜が間に割って入るように声を上げると、男は肩を竦めて押し黙った。
「えー、皆様には本日はこのまま、この島の宿泊施設にて一泊していただきましてー……明日の朝、改めて! 有門家所有の船舶で無人島に出発です!」
千夜のすぐそばに控えた乃菜がその様子を見て、奏多をはじめとする千夜の学友たちにそう呼びかける。
「そこでは人の目を気にせず、思い切り羽を伸ばせますよ」
続いて千夜も満足気に微笑んで言う。
「ま、あんまりやりすぎてもらっても困るんですけどね……とんでもない方たちばかりだとは聞いてますんで」
そこに水を差すような聞こえよがしな嫌味が、先ほどの男とは別の方向から響いた。
一行が視線を向けると、そちらに居たのは動きやすそうな軽装の男が二人。
「いっそこちらの皆さんのデータを取った方が、おもしろいような気がするんですけど――」
「おい、口が過ぎるぞ。……すみません、失礼いたしました」
言葉通りに厭味ったらしい笑みを浮かべた若い男がそう続けると、傍らの落ち着いた雰囲気の男が強く制止し発言に関して謝罪する。
「は、はぁ……」
奏多が呆気にとられたように返事をしていると、迎えの車が数台到着した。
それぞれに別れて乗り込むと車は発進し、滑走路を横切り建物へと向かっていった。
島のホテルで一夜を明かし翌朝。奏多たち一行の姿は港にあった。
「……有門家所有の船舶って…………もしかしなくても、これ?」
「はい!」
やはり唖然とした様子で、奏多が港に停泊している一隻の客船を指差して問うと、千夜は笑顔で頷く。
「……なんでせいぜい十人ちょっとのために、こんな規模の船持ってきたの!?」
平然と答えた千夜に奏多は狼狽えつつ聞く。
彼が狼狽するのも無理はなかった。
そこに停泊している客船。普段この島と外部を繋いでいる定期連絡船よりもさらに二回りは大きい、誰がどう見ても豪華客船と呼ぶであろう代物であった。
それが指摘通り僅か十数名のために、今日この場にわざわざ用意されているのである。
つまりすごくセレブリティである。
「それは千夜に聞かれましても……」
笑顔を崩さず、しかし困ったように眉を下げる千夜。どうやら彼女自身もそこまでは知らないようだ。
「奏多様、これにはちょっとした理由がございまして……」
主人の代わりに含みを持たせたように乃菜が答える。
「り、理由?」
「それは、まあ……後のお楽しみです!」
奏多が聞き返すも乃菜はその場での明言を避けたいようで、にこやかにはぐらかす。
「さあさあ、とにかく皆様お乗りください!」
続けて声を上げる彼女に促されるまま一行が続々と船に乗りこむと、やがて船はゆっくりと出航した。
特に不自由なく船旅を過ごし、数時間後。
『乗客の皆様、お待たせいたしました! 間もなく到着いたしますので、下船の準備ができましたら甲板の船尾側までお越しください!』
船内放送で乃菜の声が響いた。
船室のベッドで横になりくつろいでいた奏多もそれを聞いて起き上がると、簡単に手荷物をまとめた鞄を背負い扉へと向かった。
彼が扉を開けようと手を伸ばすと、ひとりでに扉が開いた。というより外部から開かれた。
「奏多サン、行くデスよ!」
まるで待ち構えていたかのように、命奈がそう言いながら船室に乗り込んでくる。
「……せめてノックぐらいしろよ」
無邪気に微笑んでいる彼女に奏多が苦言を呈していると、船室の外で人が動く気配がした。
「あれ、先輩? まだ着替えていらっしゃらないんですか?」
命奈に続く形で千夜も姿を現す。言葉通りにその姿は既に着替えを済ませた水着姿であった。
肩紐のない、いわゆるチューブトップのブラに、布地がややマイクロ気味なパンツ。そのどちらも鮮烈な赤が、紐部分の黒によってより強調されている。
そんな水着は第二次性徴途上の様な慎ましい少女の体を覆うには、少々過激な印象を与えるものであった。
が、当の本人は微塵も気にした様子も無く、あどけない笑顔を浮かべて奏多を見つめていた。
「……いや、命奈も服そのままだし――」
気恥ずかしそうに視線を逸らしながら奏多が言うと、言われた命奈はキョトンとしながら口を開いた。
「ワタシももう着てるデスよ? ほら!」
言うやおもむろに勢いよくシャツを脱ぐ命奈。
すると白地に黒のチェック柄が入った、オーソドックスな三角ビキニに包まれた彼女の胸が、大きく揺れながら奏多の目の前に晒される。
「おい、ちょ、おま――!?」
「どうデス? 似合ってるデス!?」
奏多が狼狽えるのを気にも留めず、やはり無邪気に聞きながらにじり寄る命奈。
そのまま薄布一枚しか纏っていない状態の胸を押し付けるように、腕に抱き着き肩に頬を寄せる。
「似合ってる! 似合ってるから、そんな激しくすり寄ってくるなって!」
「むっ――先輩、千夜の水着はどうですか? 似合ってますか?」
負けじと千夜も問いかけながら奏多との距離を詰め、両手で遠慮がちに命奈の抱き着いていない方の手を取る。
「う、うん、千夜ちゃんのも可愛――」
ひとまず無難に返そうとした奏多が見下ろした視線の先。
そこには慎ましいながらも確かに存在を主張する二つの膨らみ。
命奈とはまた違った魅力に溢れた光景に、奏多は思わず息を呑む。
「――可愛いし、似合ってると……思うよ?」
「本当ですか先輩!?」
彼の言葉に、どこか不安げな表情だった千夜が一転して頬を綻ばせる。
「七生ぃーーー!!」
その時、突如として船を揺るがすほどの怒号が響いた。
「ヤラシイ目で千夜ちゃんを見るんじゃなーい!」
それと共に鬼の形相で咲姫がその場に駆けつけると、千夜を奏多から引きはがし、そのまま両手を広げて両者の間に割って入った。
「咲姫ちゃん!? 先輩はヤラシイ目なんてしていませんよ! ねぇ、先輩?」
「え? ああ、えーと――」
いきなり咲姫と壁の間に挟まれる格好になった千夜が、どうにか抜け出そうともがきながら声を上げるも、奏多の答えは芳しくない。
「本当ならちゃんとはっきり答えなさいよ、あんた!?」
煮え切らない返事が余計に苛立たせたか、咲姫に両手で胸ぐらを掴まれ揺さぶられる奏多。そのあまりの勢いに命奈まで彼から引きはがされた。
突然の乱入者である彼女、咲姫の水着はクロスデザインのレオタードタイプ。他の二人よりも布面積は大きめ……だったのだが。
いかんせん彼女がそれはもうグラビアアイドル顔負けの起伏に富んだボディラインをしているせいで、黒い布地のあちらこちらから覗く肌色の威力も相当な代物であった。
当然奏多を激しく揺さぶるたびに、そのとてつもなく立派な双丘も連動して激しくたゆんたゆんするわけで。
「ゆ、夢見……その、だな――!」
指摘しづらそうにしながら目線を泳がせる奏多の様子に、咲姫も得心がいったようで即座に動きを止める。
「……! あ、あたしを見るなぁ!! この変態!!」
「何故だ!?」
そして急激に顔を赤らめると強烈な平手をお見舞いし、泣き叫びながらその場を走り去っていったのだった。
「あっ、こら咲姫ちゃん!?」
「大丈夫デス、奏多サン?」
片や走り去った乱入者を叱責し、片やその場にくずおれた彼の顔を心配そうに覗き込む。
「だ、大丈夫だ……とりあえず俺も海パン穿いてくる……」
奏多はそう言い残すと、頬をさすりながら二人を船室から追い出し扉を閉めた。
(はぁ……ひどい目にあった)
着替えを済ませ、改めて船室を出た奏多の耳に賑やかな声が届く。
「ほら先輩、早く行こーよー?」
「ちょ、ちょっと待って……やっぱり恥ずかしい――!」
「何をそんなに恥ずかしがる必要があるのかしら、珠声? あなたの水着姿も十分に魅力的だと思うわよ? ……私の次くらいには」
その場からは姿が見えないが、少し先の角を曲がった辺りから三人の声が聞こえる。
「先輩?」
廊下の角から顔を覗かせた奏多の目前には、陽富に背を押されている珠声が居た。もちろん水着姿の。
「な、ななな、七生君――!?」
急に奏多が現れたことで、なおのこと慌てふためく珠声。
「あ、あの、こ、これはその――!」
両手を前に突き出して大きく振りながら、見る見るうちに赤面する。
珠声の水着もビキニではあったが、胸元を大きく覆うハイネックタイプのブラと腰にはパレオも装着していたので露出はかなり抑えめだった。
淡く涼しげなスカイブルーを基調としたカラーに、花柄をあしらった南国情緒溢れるデザインも合わさり、それこそ渚のマーメイドと呼ぶにふさわしい出で立ちである。
「……きれいだ」
「へっ!?」
思わず口をついて出た奏多の言葉に、珠声が素っ頓狂な声を上げて固まる。
「――あ、いや、なんかこうまさしく『ザ・清楚!』って感じで、先輩らしくて似合ってると思います、はい!」
彼女の様子からようやく自分が口を滑らせたことを悟り、慌てて取り繕う奏多。
彼の言の通り清楚な……命奈や千夜のそれと比べるとかなり大人しめな印象を抱かせる、そんな水着姿だった。
「えっ、あ、そ、そうかな――!?」
彼の感想を受け、珠声は何事かぼそぼそと呟きながらかぶっていた麦わら帽子を両手で胸の前に抱き、気恥ずかしそうに身を捩らせる。
その仕草に余計に奏多の頬が緩む。
「へぇ~……じゃあ先輩、ボクのはどう思う!?」
そんな彼の視線を遮るように両手両足を大の字に広げて、陽富が自らの水着に対しての感想を求める。
「ん? お前のか……?」
鮮やかな陽光の如くオレンジに染まった、いわゆるスポーツブラのような形状のトップスに、丈の短い濃紺のホットパンツ。
至ってスポーティで活動的なコーディネートにまとまっていた。
普段着ているウェアとは形状が違うのか、僅かに覗く日焼け跡のラインも目に眩しい。
「……そうだな、見てて安心する」
その姿は良く言えば彼女らしい……しかしながら悪く言えばいつも通りであった。
奏多は手早く彼女の全身を一度眺めてから、簡潔にそう評する。
「どういうことー!? 褒めてるのそれー!?」
「あ、ああ、陽富らしくていいと思うぞ?」
なるべく当たり障りのないように言ったつもりが、予想以上に不満そうな声が上がったので念のためフォローする奏多。
「うぅ~ん……なんか納得いかない……! こういうの格差社会って言うんじゃ――」
「言わねーよ」
小難しい言葉で愚痴る陽富だが、すぐさま奏多に一蹴された。
「奏多」
その直後、いつの間に移動したのか背後から彼の名を呼ぶ声。
「……なんだよ?」
振り向いた先に居たのはもちろんシエル。
奏多が振り向いたのを確認するや、いつも通り自信に満ち溢れた表情のまま、その場でゆっくりと一回転する。
それが終わると正面に向き直り、尊大に言い放つ。
「……さあ、感想を言う権利をあげるわ」
彼女が纏うのは、フリフリのフリルスカートまでついたワンピース。
ビビッドなイエローに点々と浮かぶ白の水玉模様が、これまた見た目には愛らしい。
しかしそれは少女……と言うよりも幼女と言った方が正しい気さえしてくる、そんな出で立ちであった。
「いいえ、みなまで言わずともわかっているわ……後はその心のままに、この私の美しい姿の前に跪き、頭を垂れて崇めなさい。さすれば――」
呆気にとられる奏多の様子を、あまりの感動で言葉が出ないと受け取ったシエルはやはり自信満々にまくしたてる。
「通報されそう」
そんな彼女に奏多が手短に一言だけ告げると、彼女は心底不思議そうに首を傾げた。
「……通報? 妙ね……それは命奈や咲姫のような、淫肉の塊の方がお似合いじゃないかしら?」
「淫肉て、お前……」
あまりにもあけすけな物言いに奏多が呆れていると、彼に同調する声が響いた。
「あ~、それわかるかも! なんかさ~、おまわりさんに止められそうだよね、天道先輩って!」
そのストレート極まりない例えに奏多も思わず吹き出す。
「だってボクの妹みたいだし! 妹のがもう少し背は低いけど!」
「言われてるぞ、シエル」
実際に見た目だけで言えば、中学生どころか下手をすれば小学生でも通用しかねないのだから困りものである。
「失礼ね、私は至って合法よ。それとも聖なる天よりの使者に対しての侮辱かしら? 事と次第によっては審判するわよ?」
憤慨した様子のシエルを軽くあしらいながら、奏多たちは連れ立って甲板へと向かった。
船内から甲板へと出たところで、手すりにもたれて海を眺める少女の後姿が見えた。
前を止めずに開いたまま羽織っている袖の長いアウターが、腰周りまでを隠しているため水着はほぼ窺えない。
しかしながらそのスレンダーなシルエットを支えるすらっと伸びた細く長い脚がむき出しなため、目には非常に鮮烈な印象をもたらした。
その少女の背に向けて奏多は名を呼びかける。
「雪村?」
彼の声に反応して、気恥ずかしそうに振り向く真冬。
「あ……か、奏多……」
普段からあまり晒していないためか雪のように白いその素肌が、奏多と目が合うやみるみる内に朱に染まる。
そんな彼女がアウターの下に来ている紺の水着。
(…………スク水?)
そう。それはまごうことなきスクール水着だった。
その美脚と同様に無駄な脂肪の少ない、潔いほどにスレンダーな胸元に縫い付けられた名札からも、学校指定の物であろうことが容易に想像できた。
「………………」
「………………」
何とも言い難い妙な沈黙が二人の間に流れる。
「…………あのー、雪村さん? それって学校の水着では……?」
やがて奏多が指摘すると真冬はより一段と頬を赤らめ、視線を逸らす。
「し、しょうがないでしょ……水着なんて他に持ってないんだから……悪い?」
そしていじけたように吐き捨てると、やはり気恥ずかしそうに上目で彼を見つめ直す。
「いや、別に悪いとは一言も言ってないぞ?」
半ば自棄になっていそうな彼女の様子を見て、奏多はとりあえずフォローを入れることにした。
「んー……しかし、なんというかこう……新鮮だな」
「……新鮮?」
その言葉を真冬は訝しげに聞き返す。
「あー……ほら雪村って、いつも厚着だろ? だからその、なんだ――」
聞き返されたので、やむなく奏多は正直に思ったことを挙げることにしたのだが。
「肌すっげぇ白いなーとか、足細いなーとか、色々と新しい発見があるというかなんというかそのつまり――!」
言いながら自分でも恥ずかしくなったか、だんだんと早口になっていく。
「………………そ、そう……」
それをただ静かに聞いていた真冬はしばらくして一言だけ呟くと、居たたまれなそうに再び視線を逸らした。
「あ~! モフモフ先輩、赤くなってる~!」
その様子を見て、ついに陽富がからかうように声を上げながら真冬の前に躍り出る。
「うっさい黙れ」
対して条件反射的に関節を極める真冬。
「んがっ!? く、苦し――!」
「ゆ、雪村さん!? やりすぎじゃ――!?」
真冬のいきなりの行動に珠声が狼狽え始め、助けを求めるようにせわしなく奏多とシエルを交互に見据える。
だが初見の珠声とは違い、このやりとりを見慣れた二人は止める素振りも見せない。
「ああ、ほっといていいですよ……こいつら大体いつもこんな調子ですから」
「……全く、いつまでも遊んでいないでさっさと行くわよ」
呆れたように言い残して先を行ったシエルに、奏多とやはりまだ心配そうな珠声が続く。それを見て真冬も、その後に続いて歩き出した。
荒い息を吐きながら倒れ伏す陽富をその場に放置して。
「皆様お揃いですね!」
強い日差しが降り注ぐ中、一行を待っていたと思しき乃菜が声を上げた。
「あれ? もう着いたんじゃ……?」
呼び出しを聞いて、すでに目的地に到着しているものだと思っていた奏多がそう尋ねると、乃菜は首を横に振る。
「いえ、目的地の島はあちらになります!」
答えながら、距離にしておおよそ五百メートルほど離れた位置の小島を指し示す。
「まあ何しろ無人島ですので当然、港湾施設等もございません! なのでこの船で近づくのは、この辺りが限界です!」
その場の誰よりも早く、一人問答のように続ける乃菜。
「じゃあこれからどうするのか、と言うとですね……」
そこまで言うと途端にもったいぶったように口をつぐみ、手招きをしながら最寄りの扉から船内へと戻る。
一行は誘われるままに乃菜の後をついていった。
しばらく船内の通路を進み、やがて船体下部に辿り着く。
そこでは月瀬と千夜、命奈、咲姫、さらに調査隊らしき昨日の軽装の男二人が、水に浮かべられた“あるもの”の前で佇んでいた。
「こちらで乗り込みます!」
押し黙ったまま先導していた乃菜がようやく口を開き、そちらを差して声を張り上げる。それを合図に月瀬が手元で何かを操作すると“あるもの”を覆っていたシートが勢いよく取り払われ、その姿を現した。
そこに格納されていた“あるもの”、それは大型のホバークラフトだった。
「……もはややってることが揚陸艦じゃねーか!?」
興奮して目を輝かせたり、唖然と見つめたりと各自リアクションする中、奏多はワンテンポ遅れてツッコんだ。
「いやー、だってこうしないとそもそも上陸困難な場所なので! 小型船で何往復もすると時間もかかりますし!」
対してそう言われることは予想していたとばかりに、もっともらしい返答をする乃菜。
「これが出航前に奏多様が仰っていた『どうしてこんな大きな船なのか?』という質問への答えでもあります! 納得しました?」
「ええ、まあ……はい」
続けて今までもったいぶっていた理由を明かす乃菜に、奏多は驚き疲れた調子で短く返した。
「とにかく、これでいよいよ目的地ですよ! さあさあ、お乗りください!」
乃菜が促すと同時に再び月瀬が何か操作する。するとホバーの浮かぶ水面からそのまま外部へと繋がるとみられる壁が、音を立てて跳ね橋のように動き始めるのだった。
外部へと繋がるハッチが開ききると同時に、ホバーはゆっくりと海の上を滑りだした。
それとほぼ同時に屈託のない笑顔を浮かべて歩み寄って来た千夜に、奏多は微笑みかける。
「あの、先輩? 一つお願いがあるのですが、聞いて頂けますか?」
「構わないけど……わざわざ改まって、どうしたの?」
奏多が快く了承すると、千夜はさらに笑顔を咲かせる。
「先輩さえよろしければ、日焼け止めを塗るのを手伝って頂きたいのですが……」
言いながら後ろ手に隠し持っていた日焼け止めの容器を胸の前で抱きながら、頬を紅潮させる千夜。
その様子で実際の行為を想像したか、奏多も恥ずかしげに視線を彷徨わせた。
「……えーと、そういうのはメイドさんに頼めばいいのでは?」
「月瀬はホバーの操縦で手が離せませんし、乃菜は今ちょうど皆さんの飲み物を取りに行っています」
奏多のある意味当然の疑問に答えるように、千夜は二人のメイドの現状を説明した。
実際のところ乃菜の行動は千夜の指示に従っただけなのだが……そこを明らかにしない辺り彼女もしたたかである。
「じゃ、じゃあ乃菜さんが帰ってくるまで待つか、せめて他の女子に頼――」
「千夜は先輩が良いんですっ!!」
やはり断ろうとする奏多の言葉を遮って、頬を膨らませる千夜。
「……わ、わかりました」
そのあまりの勢いに釣られて、つい承諾してしまう奏多。すると千夜は一転して笑みを浮かべ、彼の手を引いて行くのだった。
「では、先輩……お願いします」
甲板の一角に敷かれたレジャーシートの上でうつぶせに寝転びながら、千夜は上機嫌そうに言うなり後ろ髪を中央から左右に分けて身体の前面に持っていき、肩の下に敷いた。
そうすることで華奢な少女の背中がほぼ露わになる。その光景に奏多も思わず生唾を飲む。
しかし千夜はそれだけでは飽き足らず、続けてブラのホックに手をかけると一瞬の迷いも無く外してしまう。
ある意味当然と言えば当然の行為なのだが、あまりにも大胆な行動に奏多の鼓動が早まる。
「どうかしましたか、先輩? さぁ、早く……お願いします……」
「……お、おう――!」
一向にその背に触れてこない彼を急かすように、重ねて催促する千夜。その言葉に意を決したように奏多は頷き、千夜の隣に屈みこむ。
「させるかぁー!!」
まさにその瞬間、強烈で悪質なタックルが奏多を襲った。
「やっぱりヤラシイ男ね……油断も隙も無いわ……!」
凄まじい衝撃で気を失った奏多を憎々しげに睨みつつ、彼の手を離れ床に転がるボトルを拾う咲姫。
「咲姫ちゃん!?」
「さてと……もう、千夜ちゃんったらぁ……日焼け止めぐらい、いつでもあたしが塗ってあげるっていうのにぃ」
首だけを起こし事態を確認する千夜へと、何事も無かったかのように嬉々とした表情で迫る咲姫。
「咲姫ちゃんの方がよっぽどヤラシイです! 手つきも、目つきも!」
千夜の指摘通り、獲物を前にした飢えた野生動物の様な眼光と、何か柔らかいものを揉むように妖しく艶めかしく動く指。
「そんなことないわよ~千夜ちゃん? ほーらぁ、余すところなく塗ってあげるわね……!」
しかし咲姫はわざとらしく否定の言葉を口にしながら、おもむろに千夜の太ももの上に跨ると、鼻息も荒く白濁した乳液を手に取る。
「いやぁー! 誰か、助けてくださーい!!」
為す術も無い千夜は涙目で懸命に悲鳴を上げるしかなかった。
「何事ですか、お嬢様!? って、ええっ!?」
乃菜が千夜の元に駆けつけると同時に驚愕する。
そこではすでに咲姫が月瀬に羽交い絞めにされていた。
「ちょっと、離しなさいよ! まだ何にもしてないでしょ!?」
足をバタつかせながら咲姫が猛抗議をするも、月瀬は離す様子はない。
しかし月瀬もいまいち状況は理解できていないようで、心なしか困惑したように乃菜に目くばせする。
「…………お嬢様、これは一体……?」
「うぅっ……乃菜ぁ……!」
隣に屈みこんだ乃菜に半泣きで縋りついて経緯を説明する千夜。
結局乃菜がそのまま千夜に日焼け止めを塗ることになるのだった。
その間、千夜はやけに不満そうだったという。
人の手のまるで入っていない、絶海の孤島。
鬱蒼と生い茂る原生林を間近に臨むその砂地に、ホバーが乗り上げて停止する。
「それでは我々は調査に赴きますので、これで失礼いたします」
「くれぐれも内陸までは立ち入らないで下さいよ? 邪魔になるんで」
調査隊がそう言い残し先行して下船するや、一行も続々と島へと降り立った。
「よ~し、泳ぐぞ~!!」
いの一番に叫びをあげて海へと駆けて行く陽富。
「ちゃ、ちゃんと準備運動しましたか……!?」
「だいじょーぶ、ばっちり!」
心配げな珠声の問いかけにも足を止めることなく突き進み、そのまま掛け声とともに跳びこむ。
「あ、あんまり沖まで出ると危ないですよ!?」
瞬く間に浜から離れていく陽富に注意を促しつつ、珠声も急いでパレオを外し彼女を追う。
「さあ、真冬サンも一緒に泳ぐデス!」
その光景に命奈は見るからにウズウズしながら、真冬の腕を引き海へと誘う。
「……いや、私は別にいいよ……水、冷たそうだし……」
「むぅ?」
しかし彼女の返事はつれない。
「きっと泳げないんでしょう、察してあげなさい」
二人のやり取りを横目にシエルがそう言い残し、浜辺を歩いていく。
「は? んなわけないでしょ、ちんちくりん」
その言い回しから溢れんばかりの嘲りに真冬はしっかりと反応してしまい、張り合うようにしてシエルの横についていく。
理由はどうあれ、結果的に真冬も泳ぐことになり命奈は満足そうに笑みを浮かべる。
「ほら咲姫サンも! 行くデスよ!」
続けて少し離れた位置で浮き輪を膨らませていた咲姫に駆け寄り、同様に腕を引く。
「え、あ、ちょっと待って――!」
そうして一斉に海へと駆けだしていく少女たち。
「さあ、先輩も行きましょう?」
千夜は奏多へと誘いの言葉を投げかけながら手を差し出した。
「あ、ああ……」
奏多が未だ戸惑いながらも手を伸ばすと、千夜はしっかりと彼の手を取り砂浜を駆け出した。
しばらくして、ひとしきり皆が海を堪能した後。
「ねぇねぇ!」
ちょうど浜辺に全員が集まったタイミングで、陽富が叫んだ。
「バレーしようよ! ビーチバレー!」
「おい待て、バレーつってもまずどこにネットがあるんだよ?」
突拍子もない提案に即座にツッコむ奏多。
「お任せください! 陽富様ならそう仰られると思って、船に積んであります! 設営しますので少々お待ちください!」
得意げに言うなり、月瀬と二人でホバーへと走っていく乃菜。
「さっすが~!」
「準備良いなぁ……」
その背を見送りながら、陽富だけでなく皆一様に手配の良さに感心していた。
「よ~し、じゃあチーム分けしよ~!」
と思ったのも束の間、上機嫌に陽富が一行に促す。
「ビーチバレーだと二人一組だから……ちょうど八人でキリがいいですね!」
千夜がそれに応じて続けると、自信無さそうに珠声がおずおずと手を上げた。
「あの……わ、私あまり運動得意じゃないから、その……足、引っ張っちゃう、かも、だから――」
その所作同様自信無さげに、か細い声で告げる彼女。どうやらチーム競技には気乗りしないようだった。
「そんなの大丈夫ですよ、先輩! あたしもあんまりスポーツは得意じゃないんで!」
何故か自信満々にそう返す咲姫。
「えぇ……?」
「そこは『私がフォローしますから!』とかじゃないのかよ……」
いまいち説得力のないフォローに困惑気味の珠声に続いて、奏多もここぞとばかりに小馬鹿にする。
「うっさいわね、あんたは! そういうのはむしろ男のあんたが言うべきでしょうが!」
すかさず反論する咲姫。彼女のその発言に感化されたか、珠声の側から若干期待のこもったまなざしが奏多の背に突き刺さる。
「お、俺がフォロー?」
得も言われぬ無言のプレッシャーを背中から感じつつ、奏多は一行を見渡す。
そこに居るのは普段から何かと振り回されている同居人二名、とんでもない運動スペックのスポ根少女と何故か普通に彼女らと張り合える同級生、さらに別の競技とはいえ一度手も足も出せなかったこの旅の主催者。
(フォロー以前に、こいつら相手にまともに立ち回れる気がしないんだが……)
居並ぶ少女たちと自身との能力差を鑑み、彼は自分の中でそう結論付けた。
「無茶言うな、こちとらいたって普通の一般人だっつーの。こんな魔境でまともに戦えるか」
「うわぁ、自分から言い出しておいて逃げた、だっさ……」
弱音を吐く奏多に、先ほどのお返しとばかりに咲姫の嘲笑が飛ぶ。
「うるせーよ! 俺はできない約束はしねーんだよ!」
「あーはいはい、あんたがみっともないのはわかったんで、いちいち叫ばないでくれますー?」
もっともらしい言い訳を繰り出す奏多相手にさらに畳み掛ける咲姫。
「もう、咲姫ちゃん!」
千夜がたしなめても悪びれずにそっぽを向くだけだった。
「と、とりあえずチームどうしましょう……? ひとまず、七生君と夢見さんと私は別のチームにするとして――」
心なしか落胆している様子の珠声が、不参加を諦めて代わりにチーム分けに言及する。
「こっちの五人でジャンケンして、勝った人同士がチームで良いんじゃない?」
「そうね、それで残った三人がそれぞれとペアを組めば解決するわね」
陽富の案にシエルが同意する。他の三人も異論は無さそうだった。
「よ~し、それじゃジャンケンしよ~!」
方針が決まったところで、すぐさま陽富の掛け声が響いた。
その結果。
「……フッ、やはり私の勝利は約束されているのよ。この結果こそその証左――!」
勝利のサインとでも言いたげに、天に向け高らかにチョキを突き上げたシエルがのたまう。
「うーん、天道先輩とかぁ~……」
片やもう一人チョキを出していた陽富は、どこか浮かない様子だった。
「何か不満でもあるのかしら、陽富?」
それを見たシエルは自身も何か言いたげにしつつも彼女に問う。
「チヨちゃんのが良かったな~、先輩って合わせるの大変そうだし」
「それはこちらのセリフよ」
「何を~!!」
お互いに不服そうな両者が、味方同士で睨み合いを始める。
「ほらもう、陽富ちゃん……チームなんだから、ちゃんと足並みを合わせないと!」
「……そもそもあんたたちが、勝った二人でチームって言い出したんでしょうが。今さら文句言うなっての……」
その様子を見て陽富を宥める千夜に、真冬も呆れかえったように続く。だが一向に落ち着く気配を見せない二人。
「それじゃあ、陽富サンとシエルがチームで、残りはどう決めるデス?」
睨み合う二人を半ば無視するように、命奈は奏多に向き直り問いかける。
「まあ残りは、こっち三人とそっち三人でそれぞれジャンケンして、勝ち抜け同士チームとかで良いんじゃないか?」
「そうだね、それが一番無難かな……」
奏多の案に珠声も同意すると、命奈は真冬と千夜を呼び寄せジャンケンを始めた。
「えっと……最初に勝った人は……?」
「はい!」
おずおずと前に出て尋ねる珠声に千夜が手を上げて答える。
「よろしくお願いしますね、先輩!」
「あわわ――ふ、不束者ですが、よろしくお願いします……!」
同じく前に出て一礼する千夜に対し、珠声は恐縮した様子で何度も頭を下げる。
「あぁっ、千夜ちゃん……!」
和やかなムードの中、一人悲壮感たっぷりな呻きを上げながらその場にくずおれる咲姫。
「どんだけショック受けてんだ……で、次は?」
そのまま四つん這いになり動かなくなった彼女を尻目に奏多が尋ねると、命奈が名乗りを上げる。
「ワタシデス!」
そのまま上機嫌に奏多へと駆け寄ると、同様に一礼する。
「よろしくデス、奏多サン!」
「あー……命奈は俺とじゃなくて、夢見とだな」
彼のその言葉を合図にしたかのように、即座に立ち上がる咲姫。
「よ、よろしくね、命奈ちゃん!」
「復活早ぇな」
興奮気味に鼻息荒く命奈に詰め寄る咲姫。そんな彼女に猛然と押しのけられながら奏多は呆れ声を上げる。
「じゃああっちで作戦会議しよっか!? 聞かれないように隠れてこっそり!」
そのまま連れ去りそうな勢いで命奈の手を取ると、咲姫は皆から距離を取ろうと駆けだした。
「あーん、奏多サーン! 騙したデスねー!?」
「しょうがないだろ、文句言うな」
引きずられつつ命奈が抗議の声を上げるも、奏多の態度は冷たい。特に咲姫を止めることも無く見送る。
「と、いうことは――」
二人の姿が見えなくなった頃、残された奏多は同じくその場に残った少女――つまり、自身とチームを組む相手に向き直った。
するとちょうど同じタイミングで同じように振り向いた相手と目が合う。
その少女はどこかそわそわした様子で奏多の前まで歩み寄ると。
「…………よろしく、奏多」
そっと小さく呟いた。
「お、おう……悪りーな雪村、俺とペアで」
「? ……何で?」
申し訳なさそうに返事をする奏多に、真冬は不思議そうに首を傾げる。
「いや何でってそりゃまあ、多分足手まといになると思うし――」
「ん……大丈夫……」
自信無さげに奏多が理由を述べるが、真冬はそれをやんわりと遮り、そして。
「私がフォローするから」
どこか誇らしげに、平然とそう言ってのけた。
(やだ、イケメン……!)
そのあまりの頼もしさに奏多は若干ときめくのだった。
「それでは先輩方、行きますよ!」
コートの端から、ボールを手に持った千夜が声を上げる。
ネット際の奏多が返事代わりに軽く手を振ったのを確認すると、彼女はボールをゆっくりと上に放り投げた。
放たれたサーブが緩やかな放物線を描き、ネットを、そして奏多の頭上を越える。
落下点で真冬が難なくレシーブ。奏多の立つほぼ真上にボールが軽やかに跳ね上がる。
「……よっ、と」
見上げながら数歩位置を調節してから、掛け声とともにトスを上げる奏多。
それに合わせて勢いよく跳躍する真冬、直後に放たれるアタック。
「うわっ、強烈……!」
ネット横で審判を務める乃菜が若干引くくらいの威力で、ボールが砂浜へと打ち付けられる。静まり返るコート。
珠声は果敢にもブロックを試みたのか、両手を掲げたままネット際で固まっていた。
「……ご、ごめんなさい、有門さん……!」
その体勢のまま涙目になりながら、ゼンマイの切れかけたおもちゃのようにカクカクとした動作で振り向き、謝罪する。
「いえ、お気になさらないで下さい! 今大事なのは、勝ち負けではありませんから!」
千夜は珠声に駆け寄るといつもと変わらぬ調子で微笑み、慰めの言葉をかけた。
一方、ネットを挟んだ向こう側では奏多が隣に立つ真冬に、若干引きつった笑顔で声をかける。
「そう、今大事なのは勝ち負けじゃない、オーケー雪村?」
「……わかった」
彼の言わんとすることをすぐさま察したのか、少しだけ気まずそうに頬を掻きながら真冬は短く答えた。
そんな彼女の元にネットの向こうからボールが届けられる。それを抱えてコート端へと向かう。
試合再開。明らかに手加減した様子がうかがえる、ふわりとしたサーブが珠声の真正面に飛ぶ。
どうにかといった調子で、レシーブを打ち上げる珠声。力なく浮かんだボールを千夜が追う。
「先輩、最後お願いします!」
千夜がそう声をかけながら山なりにトスを上げる。
「へっ!? あ……そ、そっか、私が打たなきゃ――!」
明らかに気が抜けていた様子の珠声だったが、千夜の声におろおろとしながらも助走をつけ、彼女に託されたトス目掛けて跳躍する。
そして。
「やあっ!」
妙に気合の入った掛け声とともに……見事な空振り。静まり返るコート。
「……あれっ?」
着地後、手応えのなさに呆けた声を上げた彼女の上から、自由落下してきたボールが頭に直撃する。
素っ頓狂な悲鳴と共に再び浮かび上がったボールが、なんと奇跡的にネットを越えた。
「マジかよ!?」
慌てて落下点に滑り込む奏多。彼がかろうじて拾い上げたボールを真冬が繋ぐ。
余裕をもって高めに打ち上げられたボール。それに合わせてゆっくりと体勢を立て直す奏多。
(手加減しろ、とは言ったものの……わざと負けるのも、なんだかなぁ……とりあえず普通に打つか)
僅かに悩みながらも、しっかりと助走をつけて跳躍し腕を振りかぶる。
「もらったっ!!」
絶好のタイミング。しかし。
「させませんよ!」
奏多の放ったアタックの真正面から、千夜がその行く手を阻む。
完璧なブロック。ボールは勢いをそのままに、ネットの上をとんぼ返り。吃驚する奏多の真横を通り、砂浜を跳ねた。
「お嬢様、お見事です!」
「わぁ……有門さん、すごい上手……!」
称賛の声を上げる乃菜と珠声。
「やりましたよ、先輩! こちらのポイントです!」
当の千夜は、彼女に対して憧れめいた視線を向けている珠声に駆け寄り、その手を取って歓声を上げる。
「……悪りぃ、気ぃ抜けてた」
「ん……まあ、ドンマイ」
謝罪する奏多に、真冬はボールを拾いながらそう返すと、小さく笑った。奏多もそれにつられて笑い出す。
そのままボールをネットの向こうに投げ渡す真冬。千夜がそれをキャッチすると、珠声に差し出した。
「では、サーブお願いしますね、先輩!」
「はい……ええっ!? 私が打つんですか!?」
差し出されるがまま受け取ってから、慌てふためく珠声。
「ええ、相手からサーブ権が移動したら、サーバーは交替ですから……とにかくやってみましょう!」
千夜から重ねて促され、恐る恐るといった様子でコート端へと赴くのだった。
そんな調子で試合は進み、いくばくか経った頃。
真冬が再びアタック。千夜のブロックを躱して打ったコースは、珠声の真正面。
難なくレシーブできるかに見えたボールだが、しかしそれはあらぬ方向へと跳んでいった。
千夜が着地と同時にまだどうにか繋ごうと懸命に食らい付くも、僅かに届かずボールは地を跳ねた。
「ゲームセットです!」
乃菜が決着を告げる。
千夜の献身的なフォローの甲斐もあってどうにか試合にはなっていたものの、やはり順調にポイントを重ねた奏多・真冬ペアが順当に勝利したのだった。
「……やっぱり、負けちゃいましたね……ごめんなさい」
「いえ、そんなに謝らないで下さい! もっと楽しめるように、しっかりとゲームメイクできれば良かったんですけど――」
肩を落としてうなだれながら謝る珠声に、千夜は逆に申し訳なさそうに試合内容を反省する。
「そ、そんな! 私は、その……とっても、楽しかった、です、よ……?」
「魚住先輩……」
そのままお互いに顔を見合わせて、満足そうに微笑む二人。
こうして和気藹々とした雰囲気に包まれて、最初の試合は幕を下ろしたのだった。
奏多たちがコートを移動し、次の試合。
「……先輩、次はちゃんと本気でやってよね?」
「……それはこちらのセリフなのだけれど?」
そこで待ち構える二人は、およそチームとは思えないほどに険悪な雰囲気を醸し出す。
先ほどとは打って変わって、非常に殺伐とした空気がコート中に充満していた。
「ギスギスしてんなー……」
苦笑する奏多を、異常なまでの剣幕で同時に見据える二人。
「次は、負けないぞ……!」
「……来たわね、奏多……我が勝利の礎になりなさい……!」
「お、穏やかじゃないですね……」
あまりの凄味に身を竦ませる奏多。
「奏多……次は普通にやっていいよね?」
その後ろから真冬が欠片も臆した様子も無く言ってのける。
「こいつらに負けんのは、何か癪だし」
「お、おう……好きにしていいぞ……」
特に制止する理由も無いので、奏多は妙に気合が入っている様子の彼女に一任した。
こうして、ビーチバレーの様な何かが幕を開けたのだった。
しばらくして、お互い一進一退の攻防が繰り広げられる中。
「とうっ!!」
陽富の放った強烈なアタックが奏多の真正面に飛ぶ。
「だぁー、いってぇ! 本当に軟球かよ、これ!?」
どうにかレシーブしながらも、その威力には舌を巻く奏多。
方やより多くボールを受けているはずの真冬は、彼の愚痴を横目に涼しい顔でトスを上げる。それを奏多がコート奥ギリギリを狙い澄ましてアタック。
位置的にはシエルの方が近かったが、まるで掠め取るかのように滑り込みレシーブする陽富。
「先輩、トス! ヘイ!」
どうやら是が非でも自分でアタックを打ちたいようだった。
「………………」
何か言いたげにしながらも、ネット際の好位置にトスを上げるシエル。それを相変わらず気迫のこもった掛け声とともに打ち抜く陽富。
守備の手薄な位置目がけて放たれたボールだったが、真冬はそれを難なく打ち上げる。
と同時に一瞬奏多に目くばせし、すぐさま立ち上がるとそのまま助走をつけた。
彼女の行動から攻撃の意志を汲み取り、既に十分に加速した彼女のジャンプとタイミングが合うようにやや低めにトス。
「させるかぁー!!」
対し真冬の真正面に跳びあがり攻撃を阻もうとする陽富。試合開始からひたすら動き続けているにもかかわらず、まるで疲れを感じさせないほど貪欲にボールを追う。
が、今この瞬間はそれが仇となった。
「何を――!?」
彼女がブロックに入ったコース、その背後では既にシエルが捕球体勢を整えていた。
つまり半面ががら空きの状態になっていたのである。
そんな絶好の攻撃チャンスを真冬は見逃さず、咄嗟に手首を捻り対角にアタック。
「んなっ!?」
難なく打ち付けられるボール。いとも簡単に得点を許し、陽富は悔しげに唇を噛む。
「ぬ~、器用な事するなぁ――!」
「陽富!」
そんな彼女に、痺れを切らした様子のシエルが叫びを上げた。
「この不甲斐ない動きは何!? 考えて動けないのなら見てから反応しなさいな! あなたも頂点を目指す者ならば、そのくらいできるでしょう!?」
鋭く指を差しながら、不満をぶつけるように強く訴えかける。
「えー!? 今のボクのせいじゃないでしょ!?」
「おい、シエル……陽富も、落ち着けって――」
あまりにも険悪な雰囲気に堪らず奏多が諭そうとするも、二人のいがみ合いはまるで収まらない。
「はぁ……いい、陽富? たゆまぬ鍛錬の末に高みへと辿り着いた求道者は、かつてその境地を人にこう語ったとされているわ……!」
奏多の横槍を敢えて無視するように、シエルは陽富だけをしっかりと見据えて胸の前で拳を握った。
「小足見てから昇竜余裕でした、と!」
「いや、できるわけねーじゃん」
奏多が即座にツッコんだものの陽富には何か響くものがあったようで、彼女は一つ唸るとシエルに真剣な眼をして答える。
「んうぅ……! わかった、先輩……やってみる!」
「えぇ……?」
そのやり取りに奏多が呆気にとられていると、先ほどの真剣な調子のまま陽富が続けた。
「……で、コアシとか、ショーリューって何?」
聞いている内容はともかく、至って真面目に質問した様子の彼女。
「そこから説明すると長くなるわ。とにかく今は私の動きに合わせなさい、いいわね?」
しかしシエルが詳細な説明を省くと陽富はそれ以上追及せずに頷き、集中するように大きく息を吐いた。
それを見て同様に無言で頷くシエル。そして試合は再開されるのだった。
「……なんか、すごい……白熱してますね……?」
とうに決着がついたもう一方の四名がパラソルの下で観戦する中、珠声が呆然と口を開いた。
それもそのはず、先ほどから決勝の連続得点が決まらないまま、もう幾度目かのデュース。
「だぁ~、取り返したぁ~……! けど、あと二点かぁ~……辛いな~……!」
「……大丈夫、奏多?」
額を拭いつつ弱音を吐く奏多を気遣う真冬。そんな彼女もさすがに疲れているのか、珍しく肩を上下させている。
だが、奏多とは違い一つも汗をかいていなかった。
「な、なんなら、おでことか触ろうか? 冷えるよ?」
そして唐突にそんな提案をするのだった。
「いや……雪村だって動き回ってるし、さすがに今触っても冷たいわけ――」
もっともな理由で遠慮する奏多に対して、真冬は少し不機嫌そうな様子で有無を言わさず彼の額に触れた。
「冷たぁっ!?」
途端に真夏の暑さも吹き飛ぶほどの冷涼感が、奏多を包む。
「……どう? 少しは元気出た?」
どこか得意げな表情で問いかける真冬。
「お、おう……!」
奏多がただ呆然と返すと彼女は満足そうに小さく笑い、審判の月瀬からボールを受け取った。
(明らかに俺より動いてるのに……一体どうなってんだ、雪村の体は……?)
疑問が浮かんだもののそんなことを当人に直接聞くわけにもいかず、奏多は静かに真冬の背を見送るのだった。
一方、ネットを挟んだ向こう側では。
「う~、また追いつかれたぁ~……!」
悔しさを滲ませながら唸る陽富。
「けれど、相手は確実に消耗しているわ……次で決めるわよ」
そんな彼女を励ますように、手で汗を拭いながら声をかけるシエル。
あのやり取り以降、格段にチームとしての動きや雰囲気は良くなっていた。
シエルに言われたとおり彼女の対応や指示を見てから、その穴や弱みをカバーする形で陽富が動く。二人とも運動神経は抜群に良いので、動きが噛み合うだけで奏多・真冬ペアを圧倒し始めた。
しかしその分、陽富の武器である驚異の反応速度が目に見えて落ちていた。
一時は勢いでそのまま勝利するかと思われたが、そこを目ざとく突かれ得点を許した結果、随分と白熱した試合展開になったのだった。
真冬がコート外まで移動したのを確認し、月瀬が試合再開の笛を吹く。
少しの間を開け、サーブが放たれる。
ちょうど二人の間を割るような位置に落ちる軌道かと思われたボールだったが、ネットを越えた辺りから強烈なカーブがかかり、シエルは捕球体勢を乱される。
「小癪な……!」
どうにか打ち上げはしたものの、ボールはコートの外まで弾き出される。懸命にそれを追う陽富。
彼女が雄叫びを上げ体勢を崩しながらもしっかりコート目がけて打ち返したボールを、シエルは相手コートに高めに打ち上げるようにして返す。
それは陽富がコートまで戻る時間を稼ごうとしての選択だったのだが、真冬はそれを逆手にとりダイレクトにバックアタック。
舌打ち交じりで横っ飛びにボールに飛びつくが、僅かに浮かせるのがやっと。ボールはそのままコートに落ち、奏多・真冬ペアのマッチポイントに。
双方が位置につき、審判の笛が鳴る。それを合図に再度真冬がサーブを放つ。
先ほどと同様のコースで再びシエルを強襲するサーブ。
「そうは、させますか!」
今度は見事なレシーブで絶好のチャンスボールを演出する。
「この私に、同じ手は二度通用しないわ……」
陽富の上げたトスに合わせて助走をつけながら、そう言ってのけるシエル。
「大人しく引導を渡されなさい!」
対角をブロックに入った奏多を避けつつ、正面にアタック。
しかしそこは真冬の正面、難なくといった様子でレシーブを打ち上げる。
軽やかに浮かんだボールを追いながら、奏多は思案した。
(今なら……決められる?)
真冬は既に助走をつけている。シエルは当然そちらからの攻撃に注意を払い、陽富はまだシエルの動き待ちの状態である。
そこで彼は跳躍し、トスを上げるのではなくそのままアタック。
勢いは大したことはないがその分コースは正確に、完全に虚を突いたボールがコートの隅を狙い澄まして打ち込まれる。
「……え? あっ、ちょっ!」
陽富がワンテンポ遅れて反応し、急いで滑り込んだが惜しくも間に合わず。
ボールが地を跳ね、試合終了を告げる笛が鳴った。
「残念だったな……雪村だけを警戒しすぎだっての」
「……ナイス、奏多」
勝利を掴んだ二人は晴れやかな笑顔でハイタッチをする。
(……やっぱり冷たい)
触れた掌に奏多が抱く感想は結局それだった。
一方、ネットの向こうでは。
「もぉ~、負けちゃったじゃんかー! 先輩の言うとおりにしたのにぃー!」
「何を言いますか、少なくとも最後はあなたのミスでしょうに! 私なら取れたわ……そう、私ならね!」
「なんだとぉ!?」
ついさっきまでの良さげな雰囲気などまるで無かったかのように、お互い責任を押し付けあうシエルと陽富。
いがみ合う二人を残して奏多たちはコートから退散するのであった。
小休憩を挟み、最後の試合。
「ついに来たわね、変態!」
「誰が変態だ、誰が」
ネットの向こうから奏多に指を差し、咲姫が叫ぶ。
「あんたなんてボッコボコにしてやるんだから!」
そのまま高らかに宣戦布告するや、身を翻し傍らの命奈の背に隠れる。
「命奈ちゃんがね!」
「覚悟するデス、奏多サン!」
腰に手を当ててふんぞり返る命奈。
「お前がするんじゃないのかよ」
咲姫のあまりにもお手本のような小物っぷりに、奏多は思わず苦笑する。
「何笑ってんのよ!? バカにしてぇ……絶対にあいつ、ギャフンと言わせてやるわ!」
「はいはい、ギャフンギャフン……満足したか?」
不満げに指摘する咲姫に、馬鹿にしたように返す奏多。
「……完全に子供のケンカね」
そんな二人の様子に真冬はただ呆れるのだった。
試合開始して早々。
「あっ!」
咲姫の放ったサーブがネットに引っかかり減速したものの、軽く浮き上がってそのままネット際の奏多の頭上に。
「おっと、あぶね――」
気を抜いていた彼はすぐさま体勢を整え打ち上げるも、攻撃に転じるにはさすがにイマイチのボール。
「……奏多、お願い」
そのため真冬は奏多に攻撃を委ね、ネット際に高くボールを打ち上げた。
それを受けタイミングを合わせて跳躍する奏多。
攻撃コースを選定するため、二人がやや前傾の姿勢で待ち構えるコートを見やる。
その時、彼の視界に映ったのは……スイカやメロンを思わせるほど大ぶりに実った果実。
「――!」
次の瞬間、一目見てアウトとわかる程度にあらぬ方向へとすっ飛んで行くボール。
「はい、アウトです! 命奈様・咲姫様チームのポイントですね!」
「……わ、悪い、ミスった」
着地したその場で、真冬に背を向けたまま申し訳なさそうに声をかける奏多。心なしか前屈みになっている。
「ちょっと! あんた、どこ見てんのよ!?」
彼の様子から事態を察したか、胸の前を手で隠しながら羞恥に顔を染めて咲姫が叫ぶ。
「? 咲姫サン、何をそんなに怒ってるデス? こっちのポイントデスよ?」
一方の命奈は不思議そうに咲姫をただ見つめていた。
そんな中、ゆっくりと奏多の元に歩み寄ってきた真冬。
「…………奏多」
ただ一言、彼の名を呼ぶ。
特別なことは一切していないが、ただそれだけでも奏多には相当なプレッシャーをもたらした。
「……な、なんでしょう、雪村さん……?」
恐る恐る返事をしつつ振り返る奏多。
そこには若干気恥ずかしそうに目を伏せた真冬の姿。憤っているなどという様子はそれほど感じられない。
「……奏多も……やっぱり、大きい方がいいの……?」
少し間をおいてからいつも通りの低めのトーンで、そこはかとないもの悲しさを乗せて真冬がそんなことを問いかけた。
「いや、ただ大きければいいというものでもないと思うぞ!? 俺の知り合いも『大きさよりも、大事なのは持ち主が美少女かどうかだ!』って言ってたし!」
場を取り繕おうという焦りからか、早口になりながらも持論を展開する奏多。
ここで出てきた『知り合い』とは言うまでも無く文次なのだが。
「……そう……」
対して、真冬の返事はそっけない。
それもまたいつも通りではあるのだが……この状況では呆れられたのか、はたまた彼の返答に安心してのものなのか、その真意を量りづらかった。
「ほんと、男子ってサイテー……!」
咲姫からはより一層冷たい視線を向けられたのだった。
そのまま何事も無かったように各自配置に戻る女性陣。コートを冷ややかな沈黙が覆う。
(気まずい……!)
「奏多サン、ドンマイ! 元気出すデス!」
なぜか相手側の命奈から励まされる奏多なのだった。
試合が再開されてしばらく。
両チームの主力、命奈と真冬の互いに譲らない点の取り合いにより、一進一退の攻防が続く。
「食らいなさい!」
そんな中、咲姫の放ったアタックが奏多目掛けて飛来する。
奏多は真正面から体で受け止めたものの、ボールは大きくコートの外に。
「よしっ、こっちのポイントね!」
と、一見何事も無いように進んでいたのだが。
「……夢見、てめぇ――!」
奏多が何か言いたそうに咲姫を一睨みしながら口を開く。
「何よ、何か文句あんの?」
視線に気づいた途端、正面から睨み返す咲姫。
「執拗に俺の顔面ばっか狙ってくんじゃねー!」
我慢の限界とでも言いたげに、奏多は声を荒げる。
彼の指摘通り、咲姫の攻撃は奏多に……しかも頭部に集中しており、意図的に狙っていることは明らかだったのだ。
「別にいいじゃない? 雪村さんよりあんた狙った方がポイント取れそうなんだし、いちいち人の作戦に口出ししないでくれますー?」
しかし彼女は微塵も悪びれる様子が無い。
「さっきから毎回的確に顔面目掛けてアタックしといて、作戦呼ばわりはねーだろ!?」
そんな彼女の態度にさらに苛立ちを募らせる奏多。
「ま、まあまあ奏多様、落ち着いて――咲姫様もほら、楽しく! 楽しく遊びましょう、ほら……ね?」
「あたしは楽しんでるのに、こいつが文句言ってるだけでしょ!?」
乃菜がどうにか仲裁しようと間に割って入るも、咲姫は聞く耳を持たない。
「そもそもこいつがこの場に居るのが悪いのよ! 胸ばっか見てくるし、存在型セクハラよ!」
奏多に向けて鋭く指を差しながら、なおも咲姫はヒステリックに叫ぶ。
「存在型セクハラって何、全否定ですか!? せめて存在全否定は止めよう!?」
怒りを通り越して悲しみに包まれる奏多。それをたっぷりと込めて非難する。
「むぅ……咲姫サンは奏多サンにだけは厳しいデスね……」
咲姫の背後で困ったように呟きながら、眉根を下げる命奈。
「奏多サン、ワタシの胸なら見てもいいデスからね? ほら」
そのままいがみ合う二人の間に割って入ると、見せつけるかのようにおもむろに奏多に体を寄せた。
「え? ちょ、おま、何して――!?」
「うわぉ、大胆……!」
突然の行動に奏多だけでなく、乃菜まで顔を赤らめる。
「――ハ、ハレンチ!!」
次の瞬間、その場の誰よりも顔を紅潮させた咲姫がネットの向こうから、中段に足刀蹴りを見舞う。
「なんでだぁー!?」
直撃した奏多は見事に吹っ飛ばされ、コートに這いつくばった。
(……やっぱあのくらいやんないと、ダメなのかな……?)
やり取りを遠巻きに眺めながら、真冬は思い悩むのだった。
奏多が色々とやりにくさを抱えたまま試合はさらに進み、ついに命奈・咲姫チームが僅かなリードを保ったままマッチポイントに。
「これで……トドメよっ!」
咲姫のアタックがやはり奏多を襲う。
始める前にはスポーツはあまり得意ではないと言っていた割には、奏多と同等程度には動けているように見える。
そんな彼女の放ったボールをしっかりと打ち上げる奏多。
「だから執拗に顔面を狙うなっての!」
この試合中幾度となく、しかも的確に放たれたコースのため、捕球ももはや慣れた様子である。
真冬が好位置にボールを打ち上げ、奏多の攻撃に繋ぐ。
奏多はこれを今度はしっかりとアタック。しかし命奈のすぐ近くへと飛んだボールはいとも簡単に打ち上げられた。
「甘いデスよ!」
ふわりと宙に浮かび上がるボール。
「作戦通り……!」
それを悠々とトスしながら、不敵に呟く咲姫。
咲姫のいる方へは奏多が一瞬視線を這わせただけでも文句を言われかねないため、彼の攻撃は先ほどから必然的に命奈のそばに集中していた。
……これを作戦と呼んでいいのかどうかはともかく、それゆえに奏多・真冬チームはなかなかに攻めきれない展開が続くのだった。
十分に助走をつけた命奈が、咲姫の上げたトスに合わせて跳躍する。
「行くデス!」
放たれたアタックは先ほどの咲姫が放ったものと同じく、奏多の頭めがけて一直線。
「!?」
反応が遅れ、見事な顔面ブロック。ボールはそのままネットへ跳ね返り、程なくして地面に落ちた。
奏多もほぼ同時にダウンする。
「か、奏多様、大丈夫ですか!?」
仰向けに倒れ伏した彼に呼びかけながら、乃菜が駆け寄る。
「何すんだよ命奈、てめぇ!!」
当の奏多はすぐさま上体を起こすと、返事も忘れて命奈に怒鳴る。
「むー、咲姫サンばっかりずるいデス! ワタシも奏多サンと仲良くするんデス!」
対する命奈はどこか不満そうに叫び返す。
どうやら彼女には咲姫による奏多への集中攻撃、それに付随した子供じみた口論が仲良しに映ったようである。
「あ、あたしは別に仲良くしてるワケじゃ――!」
「? 違うんデス?」
慌てて咲姫が否定の言葉を口にする様に、命奈は納得がいかないように首を傾げる。
悪気がない分余計にたちが悪いが、もはや怒る気力も失せたのか奏多は静かにうなだれた。
「あの……顔、冷やそうか?」
そんな彼に真冬は近づいて声をかけた。
「……うん」
か細い返事を聞いた真冬が彼の赤らんだ顔に両手を添えると、奏多は思わず悲鳴に似た声を漏らす。
それに反応した咲姫がやはり血相を変えて彼に飛びかかろうとするも、乃菜がなんとか取り押さえる。
命奈は真冬のマネをするように、奏多に駆け寄りその顔に触れる。それ自体に特に意味はないが、満足そうだ。
もちろん奏多は気が気じゃない様子だったのだが。
……こうして、ビーチバレーは全試合が終了したのだった。
熱戦を終え、各々体を休め始めた矢先。
「ねぇねぇ」
よほどバレーでの連敗が堪えているのか、見るからに気だるげに陽富が声を上げた。
「スイカ割りしようよ~」
「おい、だからどこにスイカが――」
しかしながら変わらず突拍子のない提案をする彼女に、奏多がツッコみを入れようとしたところ。
「こちらに! 運動後の補給用にと思い、しっかりと冷やしてご用意しておきました!」
傍らのクーラーボックスを開きながら、やはり得意げに言う乃菜。
「さっすが~!」
「準備良すぎぃ!!」
そのまま先ほどと同様に二人のメイドがテキパキと準備を整え、瞬く間に場が整ったのだった。
「えいっ!」
「あ~チヨちゃん、おしい!」
賑やかな歓声の中、千夜が目隠しに巻いていたタオルを外す。
「ふぅ……なかなか難しいものですね……!」
揺れる視界を正常に戻すために頭を左右に振ってから、彼女は僅かに悔しさを滲ませながら、砂上のスイカを見下ろす。
「では、交代ですね。どうぞ、先輩!」
「え? わ、私ですか……?」
それも束の間、最初の位置に戻り棒切れをその場に置くと、それを眺めていた珠声の元にタオルを手渡しに行っていた。
先ほどのバレーと言い、千夜は珠声を楽しませようともてなす様がすっかり板についてきてきた。
誘われるがままに目隠しをして所定の位置に立つ珠声に、周りから声援が飛ぶ。
「は、はいぃ……が、頑張ります……!」
弱弱しい返事と共に前屈みになり、渡された棒切れに額をつける珠声。
そしてそのままその場で回転を始めて数回。
スタート以前の回転途中にも関わらず、珠声は派手にすっ転んだのだった。
「先輩、大丈夫ですか!?」
気の抜けるような悲鳴を上げ地に倒れ伏した彼女に、千夜は心配そうに駆け寄ると目隠しを外してやり、手を差し伸べる。
「あぁっ、ダメ……め、目が、回って……た、立てない――!」
珠声はフラフラと上体を起こし、這うようにしながらどうにか差しのべられた手を掴もうとするも、バランスを崩し再び前のめりに転倒した。
その拍子に千夜を見事に巻き込み、二人して悲鳴を上げながら砂浜に横たわる。
「はわっ! ごごごめんなさい、有門さん!」
「先輩、お気になさらず。大丈夫ですよ……ふふっ」
慌てふためく珠声とは裏腹に、千夜は楽しげに笑みを浮かべていた。
(……はっ! ああすれば、自然に触れ合える……なんて素敵なのかしら、スイカ割り!)
そんな微笑ましい光景を邪な目で見ている者が一人。
「つ、次あたし! あたしやる!!」
その者は意気揚々と千夜の元に向かい、高らかに宣言した。
「……咲姫ちゃん、何か鼻息が荒いですね……?」
「そ、そんなことないわよ~千夜ちゃん?」
不穏な気配を感じ取った千夜が訝しげな視線を向けるのも構わず、咲姫はやけにテキパキと身支度を始めていた。
「よし、それじゃいくわよ!」
力強く意気込んで、ゆっくりと回転を始める咲姫。
しかし数回回転したところで、どこかわざとらしくバランスを崩し倒れ伏した。
「あ~ダメ! あたしも目が回っちゃった~、助けて~!」
そしてそう叫びながら砂浜をのたうち回る。が、彼女に差し伸べられる手はなかなか現れない。
「千夜ちゃ~ん、居るんでしょ~? 助けてよ~!」
しばらくして、痺れを切らしたように自ら目隠しを取った彼女の見上げた先。
「……夢見、お前何やってんだ?」
そこにはどこか憐れむような表情をした奏多が居た。
「ねぇ、助け………………」
ピタリと声と動きを止め、表情も固まったまま青ざめる咲姫。
それも一瞬のこと、ゆっくりとうつ伏せに体勢を変えると一転、羞恥に顔どころか全身を真っ赤に染めて小刻みに震わせる。
「千夜ちゃんなら、先輩を連れてあっちに――」
「何であんたがそこに居んのよ!?」
叫ぶと同時に勢いよく体を起こし、奏多の鳩尾に正拳突きをお見舞いする咲姫。
「いってぇ!? 何でって、お前が勝手に人の前で転んでたんだろーが!」
強烈な一撃をもらった部分を押さえながら奏多が抗議の声を上げるも、咲姫の耳にはまるで届いていない様子。
「ってか、普通に動けんじゃねーかお前!?」
「うっさい! こっち見んな、変態!!」
続く反論を文字通り叩き潰さんと、咲姫は手に持ったままの棒切れを振りかぶる。
「なんだこいつ、危ねぇぞ!?」
奏多が叫び身を翻すと同時に、砂地に振り下ろされる一撃。にわかに殺気立つ浜辺。
「咲姫サン、何やってるデス!?」
「殺す気かっつーの……」
即座に二人がかりで取り押さえに行く命奈と真冬。その結果、とりあえず大事には至らなかったのだが。
「じゃあ次、ボクやる~!」
そんな中でも彼女はマイペースなのだった。
不必要なまでに素早く回転し終えると、すぐさま上体を起こす陽富。
「おっとと――ぃよしっ!」
少しバランスを崩すも片足で堪え、踏ん張って直立する。
「まっすぐ、向こうに!」
そのまま宣言し、棒切れを正面に掲げる陽富。しかし――。
「おい、どこ向いてるお前!?」
彼女の示した先は、わずかに目標からずれていたのだった。
気付いた奏多が止めようと声を上げるも、時すでに遅し。猛然と彼女は駆け出していた。
「待てぇー! 止まれえぇーー!!」
「もらったぁ!!」
必死の制止も空しく、やがて気合の入った掛け声とともに鈍い音が砂浜に響く。
「この手応え……当たった!」
自信ありげに言いつつ、成果を確認しようと片手で目隠しをずらし始める陽富。
「何に当たったのか、わかっているのかしら……あなたは?」
そんな彼女に、予定ではスイカがあるであろう位置から声がかけられる。
「セーフティシャッターがなければ即死だったわよ、今の」
そこに鎮座していたのはスイカではなく、シエルであった。
光を束ねた障壁で陽富の渾身の一撃を受け止めながら、静かに問い詰める。
「……あれ? 先輩、何やってんの? スイカは?」
目隠しを外した陽富が特に悪びれる様子も無く、逆に眼前のシエルに尋ねる。
「何をやっているのかはこっちが聞きたいわ、陽富……それとも、そんなに私の手で天に還されたいのかしら?」
笑顔のまま、怒り心頭といった様子で拳を握り指の骨を鳴らすシエル。
「……もうお前、スイカ割り禁止な」
「えぇ~! そんなぁ~!」
ようやく追いついた奏多が肩を叩きそう言うと、陽富は無念の叫びを上げるのだった。
「…………ん、当たった」
「ようやくまともに成功したな……」
その後、真冬が無難に命中させると奏多は大きく溜息をついた。
「とは言うものの、端の方掠めた程度じゃない。こんな結果で喜んでいていいのかしら?」
そこに水を差したのは、未だご立腹な様子のシエル。
「……食べるんだったら、あんま粉々になってない方が良いでしょーが」
「あらあら。負け惜しみがお上手ですこと」
いつにもまして厭味ったらしく、さらに煽りを重ねる。
「そこまで言うなら、あんたがやりなさいよちんちくりん。これで当たりもしなかったら、心底笑えるんだけど」
苛立ちを募らせた声音で返す真冬。まさに売り言葉に買い言葉である。
「いいでしょう。見せてあげるわ、一流のスイカ割りというものを――」
対しシエルは即座に、自信満々に受けて立つのだった。
周囲が見守る中、回転を止めゆっくりと頭を上げるシエル。
「なるほど……この程度なら支障は無いわ」
目元が隠れていてもはっきりとわかるほどに、不敵な笑みを浮かべながら棒切れを一度振り払う。
するとそれを合図にしたかのように、彼女のすぐ傍に拳大の光球が現れた。
彼女に触れるか触れないかという位置を光球が漂うのを察したか、次にシエルは棒切れを天に向け振り上げると静かに口を開いた。
「光よ……天の御名において命ず――」
祈りを捧げるかのような、厳かな口調で指令が紡がれる。光球がそれに呼応し徐々にその形を変化させていく。
「我に仇為す邪を討ち祓え……!」
形作られたのは、やはり弓。いつか奏多に向けられた物よりやや大ぶりなそれに、スイカとほぼ同等の径の矢がつがえられる。
「……は?」
奏多が悪寒に身を震わせながら、思わず呟いたその時。
「貫け……!」
棒切れを前方に振り下ろしながら短く一言、シエルが鋭く命じると同時に限界まで引き絞られた矢が勢いよく放たれた。
それは寸分違わずスイカの元へと飛来すると、さも当然のように命中……と言うよりも、まるで抵抗を感じないほどの勢いで通過し、彼方へと消えていった。
「………………」
静まり返る浜辺。
「ふぅ……命中したわね……どうかしら、これで少しは私の実力がわかったかしら?」
異様な雰囲気をまるで意に介さず、目隠しを外し誇らしげにのたまうシエル。
「いや……そういうゲームじゃねぇから、これ!」
唖然呆然とする一同を代表して奏多が叫ぶ。
「ってか、スイカ跡形もなく消滅したんですけど!?」
指摘通り、手品か奇術かはたまた神隠しか――まるで最初からそんなものは無かったかのように、忽然とスイカがその場から消えていた。
「あら、私としたことが……少しやりすぎたかしら?」
「俺たちのスイカをどこにやった!? さっさと吐け!」
悪びれる様子も無いシエルを奏多がさらに追及する。
「この後、神々が美味しくいただきました」
するとどこか白々しさを感じる返答があった。
「何なの、そのバラエティ的な注釈!?」
納得がいかない様子の奏多をよそに、命奈が叫んだ。
「それじゃあワタシもやるデス!」
意気込んで用意を始める命奈を見て、乃菜が慌てて替えのスイカを取りに走るのだった。
例に倣って目隠しをつけて、その場で回転する命奈。
「むぅ……」
それが終わるとピタリと動きを止め、一つ小さく唸る。姿勢を正すとそのまま足を一歩だけ踏み出し、棒切れを両手で前方に構える。
その様相はさながら熟練した剣士の精神統一のようである。
「スイカは……」
やがてポツリと呟くと、棒切れを片手で逆手に握り直し、そのまま上体を反らした。
それはどう見ても槍投げさながらの投擲体勢であった。
「そこデスね!」
そしてさも当然のように。
「投げたー!?」
命奈の手から勢いよく放たれる棒切れ。それは空を裂き、スイカ目がけて一直線に飛んでいき。
「当たったー!?」
見事に直撃した。
衝突の反動で僅かに跳ね返った棒切れが砂地に静かに落ちる。それとほぼ同時にスイカはきれいに真っ二つに割れた。
目隠しを外し、命奈が嬉しそうに叫ぶ。
「やったデス! 狙い通りデス!」
「…………何、今の?」
そんな彼女に、奏多は一体何が起こったのか説明を求める。
「命あるものには魂が宿るデス! スイカもまた然りデス!」
得意げに解説する命奈。
「それを辿って、そっちに投げただけデス!」
しかし何を言っているのか、その場に居る大半には理解不能だった。
(ああもう、無茶苦茶だよ……)
「と、とりあえず食べましょう! せっかく綺麗に割れましたし!」
気を取り直した千夜の一言でメイドたちがスイカを切り分けると、皆に振る舞われたのだった。
そうこうしている内に陽が傾き、夕飯の準備がホバーの船室で始まった頃。
(あいつら元気すぎるだろ……)
各々が自由に浜辺で過ごしている中、奏多は特に何をするでもなく一人で散歩していた。
そんな彼の耳に聞き覚えのある歌声が届いた。ふと足を止め聞き入る。
いつかと同じく思わず聞き惚れる声。しかしそれが今紡ぐのは孤独の悲しみではなく、友と過ごした穏やかな喜び。
遠くから届く響きに心地よさを感じながら、視線を巡らせ珠声の姿を探す奏多。
その場から少し離れた位置にある沖へと突き出た岩場、その先端に彼女は腰掛けていた。
姿を確認した彼は初めて出会った時と同じく、歌に誘われるように珠声の元へと近づいていった。
手を伸ばせばその背に触れられそうな位置まで、奏多が辿り着いたその時。歌声がピタリと止み、それとほぼ同時に珠声が振り返る。
「――! あ、七生君……」
「良い歌ですね、今の」
簡潔に称賛の言葉を述べる奏多。
「き、聞こえてた……?」
「ええ、もうバッチリと」
照れたようにはにかむ少女に釣られて、奏多も微笑んで返す。
「何て言うか……聞いてるこっちも幸せな気分になれるような……そんな感じでした」
続けて賛辞を送りながら珠声の隣に腰を下ろす。
どこかキザなセリフだったが、それは紛れも無く彼の本心から出た感想であった。
それを聞いてしばらく黙っていた珠声だったが、やがて静かに語り始めた。
「…………七生君のおかげだよ?」
「……えっ?」
意外そうに小さく疑問の声を上げ、珠声を見つめ直す奏多。珠声は波打ち際に視線を落としたまま続ける。
「七生君と出会って、私が人魚だって知られてから……すぐにカラオケに連れてってもらって……それからも何度も付き合ってもらったし、学校でも声かけてもらったり、今だってこうやって……人のことを気にせずに思いっきり好きなように歌えてた」
彼女にしては珍しく饒舌に、奏多との思い出を振り返るように並べ立てる。
「いや、今のこの状態は大体千夜ちゃんのおかげって言うか――」
「私が有門さんと知り合えたのも、七生君が居たからだよ?」
むず痒そうに最後の部分を否定しようとした彼の言葉を遮り、珠声がそう言って彼に向き直る。するとその拍子にしっかりと二人の目が合った。
「それは……そう、かもしれません、けどぉ――」
奏多は照れくさそうに頬を掻きながら呟き、目を逸らす。その様子に珠声は小さく笑ってから、再び海を見つめて言った。
「今の私、すっごく幸せな気分」
言いながら海へと投げ出していた足を軽く上下させ、静かに打ち寄せる波を蹴る。
「そのほとんどが君がくれたものなんだよ?」
透き通るほどに美しい声で力強く宣言し、そこで一度言葉を区切る。
途端に静まり返った二人の間に、潮騒の音に混じって賑やかな少女たちの声が響いた。
「先輩……」
鼓動が高鳴るのを感じながら、奏多は傍らの少女を見つめる。
夕日に照らされた横顔は先ほどの言葉通り、幸せに満ちた穏やかな笑顔であった。
「……って、そういう気持ちで歌ってたんだけど……」
視線に気づいたか、少し茶目っ気づいて続ける珠声。
「それを他でもない君が聞いて、幸せな気分になってくれたのなら……私はもっと……もっと幸せ」
しかしすぐに真剣みを帯びた調子に戻り、重ねて気持ちを打ち明ける。
「だから……ね? よかったら、もっと聞いてほしいな……」
珠声が奏多を見つめると、再び二人の視線が交錯した。
「これから君の……君だけのために、歌うから」
真っ直ぐに見つめた瞳を微かに潤ませて、彼女は彼にそう告げた。
あまりにも美しい光景に見惚れ言葉が詰まった奏多の返事を待たずに、珠声は元の通り海を見つめて静かに息を吸い込んだ。
(こんなの、黙って聞くしかないだろ……!)
間もなく、ただ一人傍らの少年のために捧げられた、流麗な人魚の歌声が波間に響き始めた――。
一方その頃。
「何か……光ってる?」
夕日が赤く照らす海を眺めて、千夜がふと何か違和感を感じたように呟いた。
「魚雷じゃない?」
それに対して陽富が軽い調子で応じる。
「いやいや、そんなわけないでしょ」
「だよね~」
咲姫が冷静に否定すると、何事も無かったかのように陽富は再び遊び始めたのだった。
拠点代わりのホバー上で一夜を明かし、翌朝。
「えー……ちょ、朝食です、皆様……」
明らかに動揺した様子で、乃菜が皆の前に皿を出す。
「え~、これだけ~!?」
その内容を見るや、陽富が即座に不満げな声を上げる。
提供された皿の上には、レタスとハムの挟まったサンドイッチが一つだけ、ポツンと中央に置かれていた。皿の大きさから考えても、妙に質素である。
「それが、そのぉ……食料は今日の昼食分までを見越して、用意しておいたのですが……先ほど確認したところすっからかんでして、何故か!」
吹っ切れたように事の次第を説明した乃菜の言葉が終わると同時に、一同の視線がある人物に集中する。
「……つまりそれはお前が食ったということなんじゃないのか?」
「そこまで意地汚くないよ!?」
奏多が確認するときっぱりと否定する陽富。
「じゃあ一体、他に誰が――」
「知らないよボクはそんなの!」
陽富は疑いをかけられた憤りからか、考え込む彼の言葉を遮るように食って掛かる。
「……きっとあいつよ! あのいけ好かない態度の調査員!」
そこへ何か思いついたと言わんばかりに、大きく声を上げたのは咲姫。
「あたしたちを調査したいー、とかなんとか言ってたし……きっと食料を盾に、無理矢理言う事を聞かせようと――!」
何やら良からぬ想像を膨らませながら、一気に自論をまくしたてる。
「調査員の方々は独自にキャンプを設営しているので、こちらには戻ってきておりません……」
が、それはすぐさま否定されたのだった。
「と、とにかく一度港まで戻り、昼食用の食材を調達して参りますので……お昼までは皆様だけでお過ごしいただければ、と……!」
やや心苦しそうに乃菜が仕切り直し、皆にそう案内する。
「えぇ~、ごはん~……!」
しかし陽富はやりきれなそうに唸るのを止めない。
「はぁ……私のやるから、静かにして、もう……」
そんな彼女を見かねてか、溜息交じりの言葉の後に隣から皿が差し出された。
「ふぇ!? いいの、先輩!?」
驚きの声を上げながら、相手の顔と皿に視線を何度も往復させる陽富。
「別にいいよ……私、元々あんま朝食べないし……」
真冬がぶっきらぼうに返すと同時に、反対側の席からも皿が差し出された。
「陽富ちゃん、千夜の分もどうぞ?」
「お嬢様!? そ、それは――!」
その行動に狼狽える乃菜を、千夜はまっすぐに見据えて諭す。
「ゲストをもてなすのは、本来ホストとして当然の事です! ならば不手際の責任は、まず千夜が負わないと!」
主人にそう言われると、侍従としてはもう何も反論できない。乃菜はただ申し訳なさそうに頭を垂れた。
「それならあたしのも食べていいよ、陽富ちゃん!」
「じゃ、じゃあ、私の分も……」
千夜に続いて咲姫や珠声も、陽富に皿を差し出す。
「ほんとに!? みんな、ありがと~!」
目を輝かせて礼を言う陽富。
「じーっ……」
しかし彼女は既に五枚の皿を目前にしておいて、まだ物足りなそうに視線を巡らせていた。
「……お、俺のも食うか?」
「むぅ……奏多サンが渡すなら……しょうがないデスねぇ、ワタシのも渡すデス……」
無言の圧力にすんなり屈する奏多と、名残惜しそうにしつつも彼に倣う命奈。
こうして続々と一点に集まる朝食。そして陽富は残る一人にも熱い視線を送る。
「……? そんな物欲しそうな目で見ても、私の分はくれてやらないわよ?」
しかし、我関せずといった面持で目を閉じ手を重ねていたシエルは、当然のように拒否した。
「え~! 天道先輩、ケチ~!」
「誰がケチですか、誰が! 全く……これだけ独占しておきながら、なんて強欲な奴なのかしら……さすがの私も度肝を抜かれるわ……!」
文句を垂れる陽富にシエルは呆れたように言い放ちつつ、サンドイッチを手に取るとそのまま自らの口に運ぶのだった。
その後一行は船室で水着に着替えると、船を下り各々自由行動とした。
海で泳ぐ者、残された遊具で遊ぶ者、特に何をするでもなくゆったりと過ごす者とに大別され始めた頃。
砂浜を一人散歩していた奏多は、短い悲鳴に似た声を聞いた。
「? 今の声は……魚住先輩?」
微かに耳に届いた声を頼りに、その姿を探す奏多。
波打ち際に沿って歩いていくと、再び珠声の声が聞こえた。
「な、なんですか、あなたたち!? は、離してください――!」
今度ははっきりと、明らかに言い争う声。それに続いて聞き覚えのない男の声。
「それはできません、大人しく従ってください。さもなくば――」
例えようのない不安に駆られ、奏多は自然と足を速めた。
海岸を端まで駆け抜け、そのまま島の角を曲がる。
開けた視界の先に映ったのは、両側から腕を押さえられた上で、周りを十人ほどの男たちに囲まれた珠声の姿だった。
「先輩!?」
「えっ……!? 七生君!?」
思わず呼びかけた奏多の声に、珠声も不安げに叫び返す。
「……! 邪魔が入ったか!」
男たちのうちの一人が舌打ち交じりに言い放つと、その場の皆が一斉に奏多の方を向く。
明らかに友好的には見えない男たちの姿を改めて確認する奏多。
その全てが青や緑といった肌の色に、とげとげしいヒレ状の器官を背や手首に備えた異形の姿。まさに伝承やファンタジーの世界に現れる魚人そのものであった。
「な、なんなんだよ、お前らは……!? 先輩に何を――!」
見るからに異様な状況にたじろぎながらも問いかける奏多の言葉が終わらぬ内に、それを遮るように近くに居た男が歩み出た。
「答える義務などない。死にたくなければ、去れ」
高圧的に言いながら、男は縄で体に括りつけて背負っていた銛のような長柄の得物を、しっかりと両手に持ち直すとその先端を奏多に向けた。
「七生君、逃げて!!」
その光景を前に、珠声は顔を青ざめさせながら声を張り上げる。
「そん、な――」
自らの置かれた状況に奏多は躊躇した。
しかしそれも一瞬。彼は彼女を救い出そうと奮起し、何か打つ手はないかと群がる魚人たちに一瞥をくれた。
「……そんなこと、できるわけないでしょ……!」
微かに震える声で、自らに言い聞かせるように呟く奏多。
が、その行動に対しての反応はどこまでも冷酷だった。
「――警告はしたぞ、恨むなよ小僧……!」
奏多へと向けられていた刃に、明確に害意が宿る。
そしてそれは男の歩みと共にゆっくりと動き出し、着実に彼の胸元へと近づいていった。
彼の命を奪わん――と。
「七生君!!」
剣戟の音が一つ、高く大きく響いた。
それと共に奏多に迫っていた刃が主の手を離れると、その切っ先を急激に変え砂地へと深く突き立てられた。
「!?」
驚愕に身体を強張らせ、目を見開く男。
その首筋に触れかけているのは、緩く湾曲した黒き刃。
「奏多サンに何をするつもりデス」
奏多と男の間に割って立った少女が、刃から長く伸びた柄を強く握りながら、怒気を含んだ声音で静かに問いかける。
「貴様、何者だ――!?」
相対する少女の放つ凄味にやや気圧されながらも、しかし男はやはり高圧的な口調で質問を返す。
「命奈……!」
やや安堵したような奏多の声を背に受けながら、命奈はただ眼前の男を見据えていた。