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6話 HIGHSCHOOL OF THE VAMP

 その少女、有門千夜(あるかどちよ)には一つの悩みがあった。


「そういえば師長、聞きました?4月頭のアレ……」

 有門総合病院一階、ナースセンター。

「あぁ、あの原因不明の心停止から突然蘇生したっていう……」

「そう、それですよそれ!」

 まだ見るからに初々しい若い看護師が、自らが師長と呼ぶ上長と思しき女性に話しかける。

「師長はどう思います!? その突然蘇生事件!」

「どうって……」

 返答に困ったように言葉を詰まらせる師長。

「だっておかしくないですか!? 救急隊がどれだけ処置してもピクリともしなかった心臓が、この病院に運び込まれた途端に正常に動き始めるなんて」

「……まあ、確かに妙ではあるけれど――」

 師長が同調すると看護師は気を良くしたのか、さらに饒舌になる。

「それだけじゃないですよ! 他にも同期の子からいろいろとヤバそうな噂聞いたんですよね!」

 さすがに声が大きすぎたのか、師長が口の前に人差し指を立てて静かにするよう促す。

 それを受けた看護師はしかしまだ語り足りないのか、声のトーンを落としながらも続けた。

「……あんまり大きな声では言えないですけど……ほんと、この病院ってなんか、きな臭いですよね……」

 そう看護師が口走ったその時、師長が顔を青ざめさせる。

「ちょ、ちょっとあれ……!」

 その様子にただならぬものを感じた看護師は、師長の視線の先を確認しようと振り返った。


 そこに居たのは、黒を基調としたゴシックな洋服に身を包んだ、紅い瞳の幼げな少女。

 その身なりの良さや優雅な所作、緩くウェーブのかかった金髪のロングヘアからも、まさしくお嬢様然とした雰囲気を醸し出している。

「こんにちは、今日は叔父様はいらっしゃいますか?」

 彼女は西洋人形のように美しく整った顔立ちに柔和な笑みを浮かべながら、丁寧な口調で問いかけた。

 看護師たちは慌てて姿勢を正しながら答える。

「! あ、え、えーと……院長先生はちょうど外出中で……」

「よ、予定ではあと30分ほどでお戻りになるはずですが……」

 狼狽える二人の様子は気にも留めず、少女は残念そうにしながら答える。

「そうなのですか……では、また改めてお伺いします。失礼いたしました」

 そして丁寧に頭を下げ、踵を返した。

 そのまま離れていく少女の後姿を見送りながら、額をぬぐうように手の甲を動かしつつ看護師が口を開く。

「あ~びっくりしたー……さっきの聞かれなかったですかね……?」

「ほら、あなたは余計なお喋りしてないで仕事しなさい、もう……」

 師長が呆れたように言うと、看護師が間延びした返事をし、席を立った。

(……やっぱり、ここって変なのでしょうか……?)

 そんなやり取りを遠く背に感じながら、少女は思案する。

(うっすらと聞こえた、「突然蘇生した」というのも確かに不自然ですけれど――)

 彼女は一人そのまま、病院の自動ドアを抜け外界へと姿を消した。



 翌日。1年1組教室。

 扉を開けて少女が挨拶をする。

「おはようございます、皆様」


 その少女、有門千夜には一つの悩みがあった。

 それは。


「お、おはよう……」

 扉の近くにいた生徒達が遠慮がちに挨拶を返すと、そそくさとその場を離れていく。

 代わりに近づいてくる影が一つ。

「おっはよ~チヨちゃん!!」

「おはようございます、陽富ちゃん!」

 その人物こそ何を隠そう、屋敷陽富である。

「いや~相変わらず朝の挨拶からお堅いね~チヨちゃん!」

「そうでしょうか?」

 口元に人差し指を添えながら、小首を傾げる千夜。

「うん、堅いよね! 冷凍したご飯ぐらい堅いよね!」

「……それがいけないのでしょうか……?」

 謎の例えを華麗にスルーして千夜は考え込む。

「うん? いけないことはないんじゃない? それよりさ~あ~――」

(こんなにも陽富ちゃんは仲良くしてくれるのに……)

 陽富がやんわりと否定して話題を切り替えるが、千夜は心ここにあらずといった様子。

「チヨちゃ~ん? 聞いてる~?」

 反応が薄かったせいか、陽富が不満そうに顔を覗き込む。

「! すみません、何でしょうか?」

「あのね~先輩がさ~お弁当のおかずをねぇ――」

(……先輩……最近よく陽富ちゃんの話に出てくる方……)

 楽しそうに語る陽富の様子をよそに、千夜は物憂げに視線を落とす。

「――だってさ、なんか変じゃない?」

「…………」

 やはりどこか上の空の千夜に、陽富が今度は心配そうに顔を覗き込む。

「……チヨちゃん?」

「え? ……え、ええ、そうですね! 変わってると思います!」

 陽富の声で我に返った千夜はとりあえず話を合わせた。

「でしょ~!?」

 間に合わせの返事であることを気にしていないのか、それともそもそもそこに気づいていないのか。

「だから先輩ってとっても面白いんだよ~!」

 何にせよ陽富は同意が得られたことを嬉しそうにしながら続けた。

「チヨちゃんみたいに!」

「千夜……みたいに……」

 陽富の言葉を千夜は何かの呪文のように繰り返す。

(変わってて面白い……千夜みたいな……先輩……)

 その目には、ある種の決意めいたものが宿っていた。



 その日の昼休み。

「あのっ、すみません!」

 千夜は校内を一人でぶらついていた男子生徒に声をかけた。

「……? 何か用?」

「あなたが……七生奏多さん、でよろしいでしょうか?」

 その人物こそ七生奏多、その人であった。

「え、ええ、よろしいですけど、それが何か?」

「わたくしは千夜、有門千夜と申します」

 突然の来訪に戸惑う奏多に、千夜はひとまず名乗り、そして続ける。

「失礼ながら、先輩は変わった人だとお伺いしました」

「いや、そんなはずはない、誰からの情報だ」

 奏多は即座に否定するが、千夜は気にせず続けた。

「そして、その周囲にも変わった方が多い、と」

「いや、そんなはずは……あるな、うん。そこは否定しない」

 肯定の言葉に背を押されるように、千夜は強く頼んだ。

「なので、その輪に千夜も混ぜてください!」

 勢いよく頭を下げる千夜。

 見様によっては告白シーンのようにも見えるその光景、当の奏多は返答に困ったように少しの間を開け、一つの疑問を口にした。

「……どうしてそうなった」

 奏多の疑問に答えるように、千夜は顔を上げ静かに口を開く。

「……千夜には一つ、悩みがあるのです……」

 そして自らの心の内を明かしていく。

「なぜか千夜は周りから、ことごとく避けられてるみたいなんです……」


 その少女、有門千夜には一つの悩みがあった。

 その悩みとは、ズバリ「自身が“普通”とはかけ離れた存在である」ということ。

 それゆえの周囲の畏怖・敬遠からくる孤独感だった。


 現状を解決するために彼女が自分なりに辿り着いた結論。

 少しでも普通に、普通の人間と親密になるための作戦。

 それは。


「変わった人たちの中でなら、千夜も普通に見えるはずです!」

 というものだった。

 自信と期待と希望に満ちた瞳で、鼻息荒くまっすぐ奏多を見る。

(……いや、その理屈はおかしい)

 内心全力でツッコみたい気持ちを抑えて、努めて優しく制止する。

「待て待て、有門さん」

「何でしょうか?」

「変わった人が変わった人達とつるんだところで、残念ながら変わった集団になるだけだと思うんですよね」

 言われて初めて気づいたのか、ハッと息を呑み悩ましげに唸る千夜。

「……言われてみれば、そうかもしれません……盲点でした」

 作戦が根底から覆ったことに不安を覚えたのか、心細そうに千夜は「どうしましょう……」と呟く。

 そんな様子を憐れんだか、奏多は助け舟を出すことにした。

「えーと……ちなみに、避けられてるってさっき言ってたけど、具体的にはどんな風に?」

 奏多からの質問に、少し考えるように一瞬の間を開けてから千夜はゆっくりと答えた。

「挨拶をしたり話しかけても、反応が薄いというか……」

「つまり無視されてるってこと?」

 奏多が自分なりの解釈を述べると、千夜は首を横に振る。

「そういうことではなくて、なんて言うんでしょう……怖がられていると言うのが近いのでしょうか……?」

(別にイジメられてる、っていうわけではなさそうか)

 他人事ながらその事実には安心する奏多。

「そういう風にされる理由になんか心当たりは?」

 重ねて質問すると、千夜は今度は深く考え込む。

「理由……」

 やがてなにか思い当ったのか、簡潔に述べた。

「お嬢様だからでしょうか……?」

「うーん……お嬢様ねぇ……それで皆萎縮して――?」

 答えを聞き、誰に聞かせるでもなく呟いていた奏多の言葉が、突然止まる。

 そして奏多は見る間に顔を青ざめさせ、再び口を開く。

「……ちょっと待って、お嬢様で有門って……まさか――!?」

「? いかがなさいましたか?」

 対する千夜は事もなげに返す。

「あの超巨大企業連合体を率いる、有門コンツェルンの――!?」

「あら、ご存知でしたか? ええ、その通りです」

 唖然とする奏多と静かに微笑む千夜。

(ええ、そりゃご存知ですとも……)


 有門コンツェルン。

 奏多の言の通り、数多くの企業を束ねる巨大な財閥。

 その絶大なる影響力はこの国だけに留まらず、全世界の明日を左右するとも言われている。

 つまり千夜は正真正銘、この世界に知らぬ者など居ないと言っても過言ではない家の、筋金入りのお嬢様であった。

 ちなみに前述の有門総合病院の院長は有門コンツェルン創始者の弟である。


「……マジで?」

 信じられないものを見るような目で問う奏多。

「ええ、マジです!」

 奏多の言葉を反芻するように、砕けた言葉づかいで返答する千夜。

(いや、シャレになんねーぞ、これ……!)

 その様子に奏多は頭を抱える。

「……ぶっちゃけね、そりゃ萎縮もされますよ、有門さん」

「でも先輩は、今お話ししている限りそんな様子はありません」

 奏多が諭そうとするも、千夜が間髪を入れずに反論する。

(……いや、さすがに冷や汗かいて来たんだけど……)

 内心穏やかではない奏多を無視するように、千夜が再び思案する。

「うーん、それとも……」

「……まだ他に、何か心当たりある?」

 奏多が促すとやはり千夜は簡潔に述べた。

「それとも……吸血鬼だからでしょうか……?」

 それは突拍子もない言葉だった。

「うーん…………は?」

 先ほど同様に唸っていた奏多の動きが完全に停止する。

「ちょっと待って……吸血鬼ってあの吸血鬼?」

「? あの吸血鬼とは?」

(何か種類あんの……?)

 キョトンとした顔で聞き返してくる千夜に対して、奏多は若干の頭痛を感じた。

「いやあの、俗に言われる月の夜に蝙蝠を従えて現れ、美女の生き血を啜るっていう、あの吸血鬼」

「ええ、概ねその通りです」

「時間を止めてロードローラーで潰して来たり、宇宙の果てまで殴り飛ばして一句詠んだりする、あの吸血鬼」

「……それはよくわかりませんが、できてもおかしくはありませんね」

 さまざまな例を挙げる奏多に、千夜は穏やかに微笑みながら返す。

 しかしやがて奏多は静かに鼻で笑った。

「……いやいや、それはさすがに嘘だぁ」

「う、嘘じゃないですよ! 証拠だってあります!」

 奏多の言葉を聞いた千夜はムッとしたように眉根を寄せ、すぐさま否定するなり奏多に詰め寄る。

「ほら!」

 そして奏多に顔を寄せると、口角を上げながら頬を手で押し上げた。


 奏多の眼前で露わになる千夜の口内。

 そこにあったのは鋭く尖った犬歯だった。

「……見えました?」

 そのうち千夜は少し恥ずかしそうにしながら身を離し、再び奏多に穏やかに微笑みかける。

「い、一応見えはしたけど……」

 確かに常人のそれと比べて大きく発達してはいた、だがしかし。

「……証拠ってこれだけ?」

「? はい!」

 奏多が問うと千夜は元気よく返事をした。

「お、おぅ……」

 それはそれは何ともリアクションに困る返事であった。

「っていうか仮にそれが本当だとして、こんなことホイホイ言っちゃって大丈夫なの?」

 眉唾物とは言え、確認しておく奏多。

「あ、そうでした。これはあまり公言してはいけないのでした」

「えぇ……?」

 ついうっかり口を滑らせた、とでも言いたげなその様子に奏多の不安が募る。

「……ですが、先輩なら問題ありません!」

 しかし千夜はやや間をおいてから、力強くそう宣言した。

「何で!? その根拠は!?」

 奏多が問うと、千夜はどこか楽しそうに答えた。

「千夜の一番のお友達が、先輩のことは信頼しているようですから!」

「一番のお友達?」

「陽富ちゃん、屋敷陽富さんです!」

 その名を聞いて奏多は衝撃を受ける。

「……あいつかよ!?」

 そして彼はその事実に一つの憤りを覚えた。

「待てよ? じゃああいつ自分のことは棚に上げて、人のこと裏で変人だのなんだの言ってるってことか! あのスポ根アホ毛ぇ!」

「……すぽ、こんあ、ほげ?」

 奏多の恨み言を首を傾げながら、何かの呪文のように反芻する千夜。

「あーうん、有門さん、そこには食いつかなくていいから――」

「? わかりました」

 奏多が言うと千夜は素直に聞き入れる。


「……そんでもって、だ。有門さんのお悩みの件についてだが――」

 ひとまず話を元に戻そうと、奏多が改めて口を開くと千夜は悩ましげに唸った。

「ん……それにしても『有門さん』だと、何だかよそよそしいですね……」

 それに続くのは、どこかで聞いたような言い回し。

「そうだ! 先輩も気兼ねなく、千夜のことは千夜とお呼び下さい!」

 そしていつかされたのと同じような提案だった。

「えぇ……?」

「千夜は先輩とも普通に仲良くしたいんです!」

 困惑する奏多を上目遣いで見つめながら、千夜は懇願する。

「ダメ……ですか……?」

「……まあいいか、そう言う事なら……」

 諦めたように呟き、奏多は言い直す。

「じゃあ、千夜ちゃん」

「! はいっ!」

 千夜ちゃん、と呼ばれたのがよほど嬉しかったのか、千夜は満面の笑顔を浮かべて返事をした。

(……かわいい)

 その様子に思わず頬を綻ばせる奏多だった。

「……ごほん、改めて千夜ちゃんのお悩みの件についてだが――」

 一つ咳払いをして言い直す奏多だったが、再び千夜は悩ましげに唸った。

「ん……こら、大人しくしなさ――ぁっ」

「……ん?」

 先ほどよりも小声で、なおかつやたらと艶っぽい響きを伴っていたため、奏多は訝しげに千夜を見た。

 するとその胸元から突然ひょっこりと何者かが顔を出した。

 それは耳に良く残る甲高い音を一つ発すると、つぶらな瞳で奏多を見つめる。

「……何それ?」

「蝙蝠さんです!」

 それは見ればわかる、と言いかけたのを呑み込み、思案して言い直す。

「あー、あれか。いわゆる……けんぞくぅ、ってやつか」

「……くぅ?」

 目を丸くして、小首を傾げる千夜。

(……かわいい)

 その様子に再び頬を綻ばせる奏多だった。

 そうしている間に、蝙蝠はどこか力なく千夜の元から飛び立ち、奏多の周囲を舞う。

「……お?」

 そして彼が手を差し出すとそこに着地した。

「ふーん……不気味なイメージが強いけど、こうしてみると結構愛くるしいもんだな、蝙蝠ってのも――」

 奏多が呟きながら様子を見守っていると、蝙蝠は彼の人差し指の先へとモゾモゾと移動していく。

「痛っ」

 そのうちに指先に鋭い痛みが走り、奏多は思わず声を漏らす。

「こら、何してるの!?」

 千夜が子供を叱るように声を上げながら奏多に駆け寄ると、蝙蝠は千夜の肩に飛び移る。

「先輩、大丈夫ですか――!」

 奏多の指先からはほんのわずかに血が滴っていた。

「あー大丈夫大丈夫。ちょっと切れて血ぃ出ちゃったけど、すぐ止まるよこの程度なら……」

「血が――!!」

 その光景を見た千夜は顔を青ざめさせ、数歩後ずさった。


「……? 千夜ちゃん……?」

 大袈裟にしか見えないリアクションに、奏多は訝しげに千夜を見る。

「え? ちょ、え、何!? どうしたの、千夜ちゃん!?」

 その時にはすでに千夜は昏倒したように、真後ろに倒れ始めていた。

 咄嗟に彼女を支えようと、足を踏み出し手を伸ばす奏多。

 しかし彼の手が触れるよりも先に、彼女の体は何者かに背後から支えられていた。

「………………」

 丈の長い落ち着いた色合いのエプロンドレスを着用した女性。見るからに良家に仕えるメイドといった雰囲気である。

(……誰?)

 彼女は感情の読み取りづらい無表情のまま、千夜の口元に手を回す。

「――ぁ、……千夜、また気を失って……」

 やがて千夜はゆっくりと目を覚ました。

「ありがとう、もう大丈夫だから」

 千夜が後ろを見返り静かに礼を述べると、女性は立ち上がり恭しく礼をする。

「……あの、その人は?」

 奏多が聞くと、千夜は答えた。

「うちで働くメイドの、月瀬(つきせ)です」

 千夜が言い終わると一歩前に出て、名刺とともに絆創膏を無言で差し出してくる月瀬。

「あ、ど、どうも……」

 受け取った絆創膏を指先に張り付けつつ、奏多は先ほどの様子について聞いてみた。

「にしても千夜ちゃん、急に倒れるからビックリしたよ……貧血?」

 力なく首を振る千夜。

「いいえ、千夜は……実は昔から血が怖くて……」

「…………は?」

 奏多の口から間の抜けた返事が漏れる。

「流血沙汰や出血などを間近で見てしまうと、その……気が動転してしまって」

 千夜の告白に、奏多は当然ともいえる疑問を返した。

「……吸血鬼なのに?」

「はい……お恥ずかしながら」

 千夜はその言葉通り、恥ずかしそうにはにかんで答える。

(どういうことなの……)

 奏多が言葉を失っていると、千夜は幾分元気を取り戻したのか、はっきりとした声音で奏多に問いかけた。

「あ、そうだ、先輩……本日放課後、お時間よろしいですか?」

「え? 放課後? ……ま、まあ特に予定はないけど……」

 奏多の返答を聞いた千夜は目を輝かせてこう言った。

「先輩と親睦を深めるために、千夜のお家にご招待したいんです!」

 言いながら奏多のそばまで歩み寄り、両手でしっかりと彼の手を握る。

「……来ていただけますか?」

 不安の色が強く窺える、俯きがちな視線と共に発せられる懇願。

 その背後からは無感情で無言、しかしそれ故にひしひしと感じる圧力が。

(……すごく断りづらい――!)



「……というわけで、なんか急遽お呼ばれしてしまったんだが――」

 ホームルームが終わり、放課後となった2年3組教室。

「奏多……あなたもしかしなくても馬鹿じゃないのかしら?」

 奏多は思い切り罵倒されていた。

「仮にも吸血鬼を名乗るものの居城に、何の準備も無しに乗り込むなんて……自殺と言って差し支えないわね」

「そんなこと言われてもな……」

 当惑する奏多の背後から命奈が叫ぶ。

「問題ないデス! 奏多サンはワタシがお守りしますデス!」

 しかしシエルの表情は硬いままだった。

「……簡単そうに言うけれど、命奈? あなた吸血鬼がどれほどの脅威かわかっているのかしら?」

 溜息交じりに言うシエルに命奈が自信満々に答える。

「なんかすごい強いデス!」

「雑っ!?」

 奏多が激しくツッコむと、シエルはこれ見よがしに大きく溜息をついてから語り始めた。

「……いい? かつては対吸血鬼専門の戦闘員が職業として成立するほどに、吸血鬼というものは脅威度が高く、対処するにしても専門性の高い知識や技能が必要になる難敵なのよ」

 そこまでまくしたてると、一度区切って続けた。

「とりあえず上に落ちる変態は必要ね」

「上に落ちるって何なん? 物理的におかしくない? 宇宙の法則乱れてない?」

 奏多の疑問を無視してシエルはある席に視線を向ける。

「文次は上に落ちれるかしら……」

「多分無理だと思う」

 奏多が即答するとシエルは不機嫌そうに吐き捨てた。

「ちっ……役に立たないわね……」

「信者に対してひでぇ言い様だな……」

 奏多の非難をまるで意に介さずにシエルは言い放った。

「まあいいわ、いずれ最大の敵となる可能性を秘めた相手の、戦力分析の機会と思いましょう」

「大層な自信だな。上に落ちる変態が必要なんじゃなかったのか?」

 奏多が指摘すると、シエルは自信に満ちた態度を崩さずに返す。

「私を舐めているのかしら? 最悪の場合、あなた一人守って撤退する程度、造作もないわ」

 そのまま命奈を見やり続ける。

「この能天気はそうそうやられはしないでしょうし、心配する必要もないでしょう」

「能天気ってなんデスか!?」

 二人のやり取りを尻目に奏多は溜息をつく。

「……そんなに心配しなくていいと思うんだけどなぁ……」

 その態度が癪に障ったかのように、シエルはことさらに見下して言う。

「勝手に死にに行こうとしてる防衛対象の分際で、何を根拠にそう言うのかしら?」

「勝手に殺しに来たお前らよりは、無害に見える分だけよっぽど第一印象が良いぞ、千夜ちゃんの方が」

 奏多の皮肉を聞いた二人は顔を見合わせ、その後奏多を見据え同時に発した。

「千夜ちゃん」

 ことさらに強調する二人の様子を怪訝そうに見る奏多。

「……? どうかしたか?」

 それに対して命奈はどこか不満げに、シエルは心底呆れたように言う。

「なんだかすごい親しげデス」

「既にすっかり懐柔されているようね……嘆かわしい」

 二人から責め立てられる形になり、奏多は拗ねたように反論する。

「なんだよ二人して……そんなに文句あるなら、別についてこなくてもいいんだぞ?」

 奏多がそう言って席を立つと、二人は揃って眉根を寄せる。

「むぅ~、行かないなんて言ってないデス!」

「全く持って短絡的な物言いね。面倒だけど、余計に心配になるわ……」

 それぞれに愚痴をこぼしながらも、奏多の後に続くのだった。



 正門前。

 そこには現在、黒塗りでやたらと車体が長くやたらと車高も低い、いわゆるいかにもな高級車が一台止まっていた。

 そしてその傍らには数人の生徒と二人のメイド。

 家路につく生徒達の一部が、遠巻きに奇異の目を向けていた。

「先輩! お待ちしていました!」

 そんな中、千夜が屈託のない笑顔で奏多達を迎える。

「そちらの方々は?」

「変わった人その一とその二です」

 奏多のあまりにもおざなりな説明にシエルが溜息をつく。

「誰が変わった人よ、全く……」

 その様子を見て、千夜はハッとしたように声を上げる。

「もしかして、お二人が篠神先輩と天道先輩ですか!?」

「……ええ、その通りよ」

 好意的な視線を向ける千夜に対して、シエルはあくまで平静に返す。

 命奈もやや緊迫した表情のまま無言で頷く。

「なんかこいつらもついて来たいらしいんだけど……大丈夫かな、千夜ちゃん?」

 二人からの圧を感じさせまいと、奏多は努めて友好的に尋ねる。

「はい、問題ありません!」

 千夜がにこやかに返答すると、メイドが車のドアを開けて促す。

「お嬢様、どうぞこちらへ」

 それに対しても千夜はやはり笑みを絶やさずに頷き、傍らのメイド、月瀬と共に車へと乗りこんだ。

「皆様もどうぞ、お乗りください」

 続けて奏多達にも促すメイド。

「お、お邪魔します……」

 奏多が遠慮がちに返事をし、三人も順に乗り込む。

 それを確認したメイドがドアを閉め助手席に乗り込むと、車は静かに発進した。


 やや重い空気のまま小一時間。

 車が静かに停止し、扉が開かれる。

「皆様、到着いたしました」

 その声と共に5月にしては肌寒い空気が車中に流れ込む。

 奏多を先頭に車から降り立つ一行。

 その前には高さ3メートルはあろうかという鉄柵が。

 その向こうには広々とした庭園、そしてまるで城の様な洋館が鎮座していた。

(どこだここは!? 本当に日本か!?)

 唖然とする奏多をよそに、千夜が歓迎の意を示す。

「ようこそ我が家へ、歓迎いたします!」

 そこへ唐突に響く声があった。

「やっほ~チヨちゃん!! 遊びに来たよ~!」

 声の主に対して、千夜がひときわ明るい笑顔を浮かべて呼びかける。

「陽富ちゃん!」

「……何してんの、お前?」

 奏多も声をかけると、ようやくその存在に気付いたようにしながら陽富が声を弾ませた。

「あれ、先輩!? 先輩達こそ何してんの!?」

「俺は招待されたんだよ」

 頭を掻きながら呆れたように言う奏多。

「へ~そうなんだ! いつの間にチヨちゃんと仲良くなったのさ?」

「今日から」

 奏多はぶっきらぼうに答える。

「今日から!?」

 答えを聞いた陽富が素っ頓狂な声を上げた。

「それでいきなり家まで来る!? やっぱり先輩っておかしいよね!」

「だからお前には言われたくない」

 奏多が毎度のように返したところで、メイドが間に割って入る。

「……陽富様、当家にお越しになる際は事前にご連絡いただければ、こちらからお迎えに上がります、と以前にも申し上げ――」

「え~だって迎えに来るのって面倒じゃない? それに待ってるの退屈だし!」

 メイドの申し出を遮りながら、陽富は口を尖らせる。

「お気遣いは大変ありがたいのですが――」

 困ったように眉尻を下げながらメイドが続けるのにも構わず、陽富は千夜に詰め寄る。

「ねーチヨちゃん、どーしても直接来ちゃダメ?」

「そんなことはありません、陽富ちゃんならいつでも大歓迎です!」

「ほんとー!? やった~!」

 二人のやり取りを見て説得を諦めたのか、メイドが軽く溜息をついてから頭を下げた。

「千夜様がそうおっしゃるなら、我々も異存はありません。失礼いたしました、陽富様」

「ううん、いーよ全然!」

 満足気な陽富に対して、奏多が疑問を口にする。

「てかさお前、どうやってここまで来たの?」

「どうやってって……チャリで来た!」

 陽富は言いながら、胸の前で力強く拳を握る。

「……あ、そう……」

 奏多はもはやツッコむ気力もないと言わんばかりに投げやりに返して、シエルに振り向いた。

「……良かったなシエル、上に落ちてもおかしくないやつ来たぞ」

「そういう問題ではないのだけれど……」

 二人の様子に陽富が食いつく。

「ん? 何の話?」

「こっちの話だ」

 奏多が短く返すと、陽富は訝しげな表情をしたものの特にそれ以上追及せず、今度は命奈に呼びかけた。

「そーだ、篠神先輩! あとで勝負しましょう! チヨちゃんち広いし、何でもあるんで、何でもできますよ!」

「そうデスか……考えておくデス」

 未だ警戒心を緩めない命奈が硬い表情のまま答えると、やはり陽富は口を尖らせる。

「え~それ絶対、結局やらないやつじゃん!」

 そんな陽富の普段通りの様子に気勢を削がれたか、大きく溜息をつくシエル。

「……まあ少なくとも何度かこの場から生還しているということだし、少しは役に立てられそうかしら」

 やれやれ、といったように額に手を当て、軽く首を振りながら呟き、そのまま続ける。

「……ところで、何故私にはその勝負のお誘いは無いのかしら?」

「? だって天道先輩にはもう勝ったし――」

 シエルの問いかけに陽富が当然のように返す。

「今、なんと?」

 陽富の言葉を遮りながら、シエルが再度問いかける。

「? ……だって天道先輩には、最初に会った時の高跳びでもう勝ってるし――」

 陽富は何故聞き返されたのかわからないといったように、同じ内容を繰り返した。

「よろしいならば戦争ね」

 それに対して挑発的な笑みを浮かべてシエルは言い放った。

「二度とそんなふざけた口がきけないよう、徹底的に叩きのめしてやるわ……」

「ん~? ま~別に天道先輩が相手でも、ボクは構わないけどね!」

 訝しげな表情から一転して笑顔に戻ると、陽富も得意げに続けた。

「たまにはこう……フルボッコって言うの? もうメチャクチャに連勝する、っていうのも悪くないかもだし?」

 その発言を受けたシエルは表情はそのままで、しかし明らかに怒気を孕んだ声で呟いた。

「…………絶対潰す」

 そして一行はメイドの後に続き、歩き出した。



「おかえりなさいませ、お嬢様」

 洋館の扉をくぐると十人ほどのメイド達が整列した状態で一行を出迎えた。

「ただいま、皆!」

 千夜がメイド達に挨拶を返すと、右手側の最も近くに居たメイドが歩み寄り声をかける。

「お部屋に参りましょう、お荷物はこちらでお持ちします」

 そのまま手際よく千夜から鞄を受け取り、先導する。

「ねーチヨちゃーん! ボクお腹すいちゃったから何か食べていい!?」

 遠慮の欠片もなくいきなり要求する陽富にも、千夜は優しく微笑んで応える。

「でしたら、先に何かご用意しますね」

「ほんと~!? やった~!!」

 千夜の返答を聞くや、陽富はいずこかへと駆けて行った。

「あっ、陽富様お待ちください……もう行ってしまわれましたか」

 メイドは半ば諦めたような表情で呟くと、懐から何か取出し二言三言小声で囁いた。

「ご学友の皆様、こちらへどうぞ。来賓用のお部屋までご案内いたします」

 そしてそれを終えると奏多達へと向き直り、そう告げてから歩き始めた。

「……ど、どうも……」

 奏多が答え、三人は後に続いた。


 しばらく廊下を歩いていると、不意にシエルが奏多に囁きかけた。

「……気を引き締めなさい、奏多」

 奏多が視線をシエルに移すと、続けて囁く。

「今案内役をしているこの女も……おそらくは吸血鬼」

「……え?」

 不意に口から反応を漏らす奏多。するとシエルは口の前に人差し指を立てながら、さらに続ける。

「それだけじゃない、さっき千夜を出迎えていたメイド達も多くが――」

「一体何の内緒話ですか?」

 唐突にメイドが歩みを止め、会話を遮るように声を上げた。

「!! あ、いえ、その……」

 奏多がしどろもどろになりつつ答えようとすると、メイドが振り向いて微笑んだ。

「我々が吸血鬼だとしても、何もご心配には及びませんよ?」

 メイドがさも当たり前のように口にすると、命奈とシエルが身構える。

「千夜様のご友人に手を出すようなマネをする者は、少なくともここには居ません」

「……どうしてそう言い切れるのかしら?」

 シエルが語気を強めるも、メイドは柔らかな物腰のまま返す。

「簡単なことです。ご主人様や奥様、千夜様、以下従者全員、誰一人としてそれを望んでいないからです」

 そこまで言い終わるとメイドは奏多達に背を向け、再び歩き始めた。

 奏多達もその後に続くと、メイドはそのまま静かに口を開いた。

「ご主人様……このお屋敷の主にして、千夜様のお父上であらせられる撫螺慟(ぶらど)様は穏健派で知られています」

 その名を聞いた奏多が愕然とする。

「有門、撫螺慟……マジで有門グループのトップかよ……!」

「知ってるんデスか奏多サン?」

「名前は聞いたことあるって程度だけどな……」

 命奈に聞かれ奏多は知りうる限りを語り始めた。

「ありとあらゆる分野で、国内シェアトップを争う企業を傘下に抱える、有門コンツェルンの主導者……」

 記憶を手繰るように短く間を開けてから続ける。

「大のメディア嫌いで有名らしくて、写真の一枚すらなく、その実生活ぶりはおろか全てが謎に包まれた存在……」

 傍らの二人は警戒心を強めたまま、聞き耳を立てる。

「一時期実在しないとまで噂されたような人……人? ……まあ、そんな人だよ」

 奏多がそう結論を言うと、メイドは肯定する。

「ええ、概ね奏多様が仰ったとおりで間違いございません」

 それと同時に、一行はとある部屋の前に突き当たった。

「……と、話している間に到着いたしましたね」

 そう言うとメイドはゆっくりと扉を開き、恭しく頭を下げた。

「どうぞ、ごゆっくりとおくつろぎくださいませ」

 促され入室する三人。

「まるで高級ホテルのスイートだな……実際に入ったことはねーけど」

 奏多が素直な感想を述べる。

「よろしければ、皆様も何かお召し上がりになりますか?」

「ああ、いえ、お構いなく」

 メイドが気を利かせるも、奏多はそっけなく返す。

「さようでございますか、失礼いたしました」

 気にした風もなく、当然のように頭を下げた。

「何か御用命の際はそちらをお使いくださいませ。では、失礼いたします」

 そしてベッドの脇に備えられた受話器を指しながらそう告げ、扉を閉めた。


 どこか落ち着かない様子で一行が部屋で過ごしていると、慌ただしい足音が響いて来た。

 そして凄まじい勢いで扉が開け放たれる。

「せんぱーい!!」

「……お前人の家でどれだけ暴れてるんだ。もうちょっと静かに入ってこれねーのか」

 奏多が言うと陽富はまるで反省する様子もなく、当然のように返す。

「もー先輩の家じゃないんだから、先輩が文句言わなくてもいいじゃん!」

「一般常識に照らし合わせてのお話です。お前の将来が心配になるわ」

 呆れ顔で説教じみたことを言う奏多を遮って陽富が叫ぶ。

「それより、早く勝負しましょーよー!!」

「しましょうよー!」

 それにもう一つ声が続いた。

「……あれ、千夜ちゃん?」

 そこにはゴシックな洋服に身を包んだ千夜が居た。

「えへへ、千夜も混ぜてもらおうと思いまして!」

「チヨちゃんもねー上手いんだよー! テニスとかバレーとか!」

「へぇーそうなのか」

 千夜が待ちきれないといったように、奏多に駆け寄り彼の手を取る。

「行きましょう、千夜がご案内しますので!」

「……ほら、行こうぜ? ここでいつまでもウンウン唸ってても仕方ないだろ?」

 奏多がそう言うと、命奈とシエルも仕方なくという風に後に続くのだった。



 洋館から一度外に出てしばし歩くと、近代的なスポーツジムのような建物にたどり着いた。

「着きました!」

 ガラス張りのドアを開きながら、陽富が中に向かって呼びかける。

「やっほー、ノナさーん!」

「あら、陽富さんにお嬢様。今日も運動ですか?」

 明るい調子で返ってきた言葉に、千夜も表情を明るくする。

「そうだよ、乃菜(のな)!」

「そうですか! ……と、そちらの皆様は初めましてですね? 私はメイドの本松(もとまつ)乃菜と申します。以後お見知りおきを!」

 主人の言葉に満足そうに頷いたメイドは、幾分かフレンドリーにそう名乗った。

「さて、それじゃあ何をご用意しましょう?」

 挨拶もそこそこに指示を求める乃菜。

「そんなに人数居ないし、またテニスする、チヨちゃん?」

「陽富ちゃんがいいなら、何でもいいですよ!」

 二人のそのやり取りを聞いて、即座に元気よく返事をする乃菜。

「かしこまりました! それではすぐにラケットとボールをお持ちしますので、着替えてあちらのコートでお待ちください!」

 そう言い残して乃菜がその場を後にすると、陽富が別の方を指差して声を上げた。

「更衣室はあっちだよー!」


 数分後。

(一応俺も着替えてはみたものの……)

 二面のテニスコートが備えられた室内競技場の一角で、奏多は一人佇んでいた。

(遅ぇな、あいつら……)

 なかなか現れない少女達を待つ彼の横に、一つの影が立った。

「お嬢様達、なかなかいらっしゃいませんね……」

「あ、本松さん」

 間を持たせるために、奏多は他愛のない会話のネタを探す。

「……それにしてもすごいですね、ここ……ちゃんとした営利施設みたいだ」

 そう評する彼に乃菜はやはり明るい調子で言った。

「この辺りは私の受け持ち。どうです、このだだっ広さ! なかなか隅々まで手が回らなくってですね!」

「そうなんですか? そう言う割には全然綺麗だと思いますけど……」

 これまでに見てきたこの家のメイド達とは随分と印象が違うことに、若干戸惑いながらも奏多は正直な感想を漏らす。

「いやはや、そう言って頂けると頑張っている甲斐もありますね!」

 彼の言葉を聞いた乃菜は、そう言って誇らしげに胸を張った。

 そんな中、やはり凄まじい勢いで扉が開け放たれる。

「いっちばーん!!」

「……だからお前はもうちょっと静かに現れられんのか」

 当然現れたのは陽富だった。しっかりと動きやすそうなウェアに着替えている。

 その後ろから同様に着替えた少女達も現れる。

「すみません先輩、お待たせしましたでしょうか?」

「いやそんなに待ってないし、全然気にしなくて大丈夫だよ」

 千夜があまりに申し訳なさそうに言うので、奏多は優しく気遣う。

 それを尻目に陽富はシエルに宣言する。

「じゃあ約束通り、天道先輩はボクが相手してあげるよ!」

「……してあげる? それはこちらのセリフよ」

 お互いに挑発的な言動を取り合う二人。

「そんなこと言って、あとで負けて泣いちゃっても知らないからね~?」

「絶対潰す」

 そのまま奥側のコートへと歩いて行った。

「それじゃあ、もう一面は千夜ちゃんと……」

「ワタシデスね!」

 命奈が勇んでコートに踏み出そうとすると、奏多が制止する。

「……の前に、俺やっていい?」

 どこか不敵な笑みを浮かべた奏多の言葉に、少女達は目を丸くした。

「七生先輩とですか!?」

 千夜が期待も含まれた感嘆の声を上げると、奏多は頷く。

「まあまあ、ウォーミングアップだと思って……手加減してよ?」


 それから少しして。

「先輩、もう限界ですか?」

 涼しい顔で千夜は対面の奏多に問いかける。

「あー、きっつ……ちょっとタイム……」

 対する奏多は息も絶え絶えにそう答えた。

 現在までの試合展開はというと、千夜の圧倒的な猛攻に奏多が翻弄されっぱなしで、ろくな得点も無く千夜のマッチポイントとなったところ。

 つまり完全にワンサイドゲームだった。

「もう、せっかく楽しくなってきましたのに……」

 至極残念そうに顔を曇らせる千夜。

(……この子もしかして……ドS?)

 何か得体の知れないものを見たような目をして、奏多は助けを求める。

「悪い、命奈交代……俺じゃ勝負にならん」

 その要請に命奈は力強く宣言する。

「わかったデス奏多サン! 骨は拾うデス……!」

「いや死んでねーから」

 奏多が冷静に指摘しつつ、お互いに手をタッチする。

「篠神先輩……! 陽富ちゃんから噂はかねがね伺っています」

 千夜は目を輝かせながら、対面に立った命奈を見据える。

「楽しませてください……ね?」

「奏多サンの弔い合戦デス! 覚悟するデス!」

「だから死んでねーから」

 奏多は息を整えながらも、やはりそこは譲らなかった。

「はい、どうぞ!」

 コートから離れて腰を掛けた彼に、乃菜がタオルとボトルを差し出した。

「あ、どうもありがとうございます」

 奏多は受け取ったボトルの中身を一気にあおり、唸る。

「あ~生き返るわ~……」

 そのままタオルで顔を拭く彼に、乃菜が静かに呟いた。

「……皆様、本当にありがとうございます」

「? 何がですか?」

 先ほどまでの明るい調子を抑えた乃菜に改まって礼を言われ、奏多は何かこそばゆい気分になり聞き返す。

「今日のお嬢様……本当に楽しそうで……」

「…………」

 奏多が何も答えられずにいると、乃菜は静かに語りだした。


「実は私……施設育ちなんですよね」

「えっ?」

 自身の過去、そして千夜の過去について。

「ある日、ご主人様に拾って頂いて……以降しばらく、お嬢様のお世話役……というか、話し相手になっていたんですけど」

 悲しげな笑みを浮かべながら、懐かしむように彼女は語る。

「お嬢様は去年までずっと、学校では一人ぼっちだ、って言っていつも泣いていたんです」

「……そう、なんですか」

 奏多は内心、自分がこんなことを聞いていて良いのだろうか、と思いながら短く返した。

「けれど、高校に入ってすぐに友達ができた、って……それが陽富さんのことだったんですけど」

 声音や表情から悲嘆の色を弱めながら、さらに語る乃菜。

「その時に初めて、お嬢様の心からの笑顔っていうのを見せて頂いたと思っていたんです」

 彼女はそこで言葉を区切ると、優しく千夜を見つめて続けた。

「けれど、今日のお嬢様のお顔は……それ以上に生き生きとしていて……ですから――」

 重ねて頭を下げようとしていた乃菜の機先を制して、奏多はコートを向いて口を開いた。

「それなら礼はあいつ……陽富に言ってやった方が良いですよ」

 彼がそう言うと、乃菜は驚いたように奏多に向き直る。

「あいつが千夜ちゃんに俺達を紹介したようなもんですし、それがなければ今頃俺達はこうしてることも無かったでしょうし」

 そこまで聞くと、乃菜は感慨深そうに微笑んで告げた。

「……わかりました、ではそうします。……先ほどの話を大人しく聞いて頂ければ良いのですが」

「それは俺には保証できかねます」

 奏多も小さく笑って返すと、そこに命奈の声が響いた。

「奏多サン、一矢報いたデス!」

「……篠神先輩も陽富ちゃんみたいに、どれだけ厳しい位置に打っても食らい付いて来ますね……」

 少女達のその様子は確かに心から楽しんでいるように見えた。

「……楽しそうで何よりです」



「む~……負けたデス……!」

 命奈と千夜の試合は、結局千夜に軍配が上がった。

「ありがとうございました、先輩! すっごく楽しかったです!」

 乃菜から手渡されたタオルで汗を拭きとりながら、礼を述べる千夜。

「……で、あいつらはいつまでやってんだ?」

 奏多も命奈にタオルを手渡しつつ、隣のコートを見やる。

「こなくそー!!」

「甘いっ!」

 そこにはひたすらラリーを繰り返すシエルと陽富の姿があった。

「失礼します。お嬢様、夕食の準備ができたとのことですが……」

 そこへ別のメイドが現れ、千夜にそう呼びかけた。

「あら、もうそんな時間ですか?」

 千夜が意外そうに答えると、奏多も同調する。

「ってことは結構な時間経っちゃってるんだな……時計無かったから気づかなかった」

「本当に、楽しい時間はあっという間ですね!」

 そう言って笑顔を向ける千夜。しかし奏多の表情は暗かった。

「って、俺はこれから帰ってまず飯の準備か……きっついなー……」

 奏多がこぼした愚痴に、千夜がしっかりと反応する。

「! それでしたら、皆さんもここで夕食を召し上がってから、お帰りになられてはいかがですか?」

 思わぬ提案に奏多の声が上ずる。

「え、大丈夫なの?」

 聞かれた千夜は大仰に頷く。

「はい、もちろん! ですよね、乃菜?」

「ええ、そう仰られるかと思って、多めに用意してもらってます!」

 視線を向けられた乃菜もまた同様に大仰に頷く。

「なんて準備のいい……」

 奏多が嘆息すると千夜は改めて呼びかける。

「ですから是非、皆さんもご一緒しましょう!」

 こう誘われると、無下にするのも忍びないと思い、奏多は承諾する。

「まあ、そこまで言うなら……いいよな、命奈も?」

「いいデスよー」

 命奈の返事を聞いた奏多は隣のコートへ向かった。

「はっ!」

「しゃらくせー!」

「おーいおまえらー! ご飯の時間だぞー!」

 そして未だ激しいラリーを続ける二人に呼び掛けた。

「……ご飯!?」

「隙あり!」

 球を打ち返した陽富が完全に動きを止め、奏多の方を向いた、まさしくその瞬間にシエルが鋭く弾き返す。

 陽富側のコートを勢いよく走った球が奥の壁で跳ね返る。

「あっ! ちょっと!?」

「これで、このセットは私のものね」

 勢いを無くし床を転がる球とシエルを交互に見ながら抗議の声を上げる陽富を、勝ち誇った顔で見下すシエル。

「今のはせこくない!? ナシですねぇ!」

「何を言っているのかしら? 勝負というのは常に非情な物よ」

 反抗的な陽富の態度に、シエルは眉を顰めながらまくしたてる。

「いついかなる状況であろうとも、勝負から目を離した者にケチをつけられる理由は無いわ」

「知らないよそんなの! 有利になるからって適当なこと言ってー!」

 なおも抗議の声を上げ続ける陽富を諭すように、シエルは語気を強めて言った。

「……陽富。勝負の世界に生きる真の決闘者は、追い詰められてもなおこう言った、と伝えられているわ……」

 ラケットを持つ手を陽富に向けて突き出し、続ける。

「おい、デュエルしろよ……と」

「何の説明にもなってないんですが、それは……」

 奏多が呆れ顔で横槍を入れると、陽富も再び騒ぎ出した。

「とにかく今のはナーシー! やり直しー!」

「潔くないわね全く……」

 埒が明かないと踏んだ奏多は、二人のことは捨て置くことにした。

「まあ、やるなら勝手にやっててくれ。俺達は飯食ってくるから」

 非情にそう言い残し、命奈たちの元へと戻っていく。

「あ~ボクもご飯~……!!」

 陽富が悩ましげに唸り続ける中、シエルが提案する。

「……仕方ない、今日のところは特別に引き分けということにしておいてあげるわ。またいずれ決着をつけましょう」

「ぐぬぬ……し、しょうがないな~。じゃあ引き分けね!」

 二人して腹の虫を鳴かせながら、折り合いをつけた。

「皆様、随分とお疲れのようですし、先に汗を流していかれてはいかがですか? あちらに併設のシャワールームがございますので!」

 乃菜が奏多と少女達にそう呼びかけ、それに応じた一行はコートを後にした。



 メイドに連れられ洋館へと戻った一行。

「ご主人様、千夜様とご友人の皆様をお連れしました」

 両開きの扉を開け放ち、先導するメイドが室内へと呼びかけると、静かに男性の返事があった。

「ああ、ありがとう」

 それを受けて千夜も室内に呼びかける。

「お父様! お母様!」

「随分遅かったね、千夜」

 やはり静かな返答に千夜は萎れながら謝罪する。

「あ……申し訳ありません、お父様。皆さんと過ごすのが楽しくて、つい――」

 彼女の言葉を遮る男性の声。

「いいんだよ、怒っているんじゃない。千夜が楽しかったのなら何よりだ」

 そこには彼女を咎めようとする意志は微塵も感じられなかった。

「お父様……!」

 安心したように千夜が声を漏らすと、奏多達も入室する。

 そこに座していたのは黒い礼服に身を包んだ男性と、ゆったりとした赤いドレスに身を包んだ女性。

 二人とも金髪紅眼にして眉目秀麗、余裕の感じられる気品のある振る舞いからも千夜の両親というのが納得できる。

 が、しかしてその容貌はせいぜい三十代半ば、おおよそ女子高生の娘が居るとは思えない若々しさだった。

「……あれが、千夜ちゃんの――」

 半信半疑な心境を隠せないまま、奏多が口を開くと男性が首肯した。

「ああ、私が有門撫螺慟、千夜の父だ。そしてこれが私の妻、神羅(かみら)。」

 奏多の疑心を晴らすかのように、自らと傍らの伴侶の名を告げる撫螺慟。

「初めまして、千夜のご友人の皆さん」

 続けて神羅も挨拶をする。二人とも柔和な笑みを浮かべて奏多達を見据えていた。

 命奈とシエルはまだ疑念が抜けきらないのか、静かに会釈だけを返す。

「は、初めまして……!」

 ガチガチに緊張しきった奏多がどうにか挨拶を返すと、陽富が彼の前に躍り出て不思議そうに言った。

「先輩たちどうしたの? そんなに縮こまって?」

「……こういう時には、お前の神経の図太さが羨ましいわ」

 奏多が吐き捨てると陽富は頭を掻いた。

「え~そんな、照れるな~!」

「褒めてねーよ」

 呆れ顔で言う奏多に、撫螺慟が先ほどの陽富と同様の言葉をかける。

「陽富さんの言うとおり、そう固くなる必要はないよ、七生奏多君……でよかったかな?」

「そ、そう言われましても――」

 やはり返事の硬い奏多。

「そ~だよね~おじさん!」

 それを嘲笑うかのように、いつの間にか撫螺慟の背後に立ち、ものすごく馴れ馴れしく肩をバンバンと叩く陽富。

「ちょ、おま!?」

 狼狽える奏多をよそに、撫螺慟は満足そうに高笑いをしていた。

「……本当にあなたは、すぐそうやって鼻の下を伸ばしますね」

 そんな撫螺慟の様子を溜息交じりに切り捨てる神羅。

「おや神羅、嫉妬かい?」

「違います。あなたの相変わらずの好き者ぶりに、少々呆れているだけです」

 神羅の返答を一笑に付すと、撫螺慟は命奈とシエルにも呼びかけた。

「そちらのお嬢さん方も、そう警戒せずとも――」

「どうだか。油断させておいていきなり襲ってくるなんてことも、あり得ない話ではないわ」

 対してシエルがそういって一瞥すると、撫螺慟は挑発的に返した。

「ふむ……君はそういう強引に迫られる方がお好みなのかな?」

「……はぁ?」

「……あなた」

 同時に冷ややかな視線を向けられると、撫螺慟はおどけたように肩を竦めた。

「おお、怖い怖い」

「すみません先輩方、お父様はいつもこんな調子なんです。あまり気を悪くしないで下さい」

 困ったような笑顔を浮かべながら、千夜が奏多達にそう説明する。

「へ、へぇー……思ってたより気さくな人なんだな、ははは……」

 社交辞令的な感想を奏多が述べると、撫螺慟は改めて皆に呼びかける。

「まあ、とにかく掛けたまえよ。楽しい晩餐としようではないか」

 それを皮切りにそれぞれ思い思いに席に着く。

「人間と吸血鬼、それに死神、天使、座敷童……こうまで多様な者が揃うのも、滅多にないことだろう」

 それとほぼ同時に撫螺慟がそう言った。

「は、はぁ……まあ、それはそうでしょうけど――」

 言いかけた奏多の口が止まる。

「……座敷童?」

 知ってはいるが、聞きなれない単語だった。

「座敷童って……何?」

 奏多が確認すると、千夜が不思議そうに聞き返す。

「? 先輩は座敷童、ご存じありませんか?」

「いや、そういう事じゃなくて――」

 疑問点を勘違いされたようなので、それを否定してから奏多はあたりを一周見回す。

「人間、吸血鬼、死神、天使…………」

 順番に指を差して確認していく奏多。

 するとその指はある少女に行きついた。

「……座敷童って、お前?」

「? そーだよ、知らなかったの?」

 その少女、陽富はさも当然のように返した。

「知るかぁ!」

 あまりの物言いに奏多は叫ぶ。

「そもそもお前のような座敷童が居るか!!」

「何をぉ! 失礼だなぁ!」

 陽富が憤慨した様子を見せると、撫螺慟が笑い声をあげた。

「全く……なかなかに愉快だな、君たちは」

 奏多の緊張がほぐれてきたところで、数人のメイドが料理を運んでくる。


「こちら前菜の若竹煮でございます」

 屋敷の雰囲気などから想像したのとは違い、意外にもすこぶる和風な一品だった。

 目前の小鉢から香り立つ出汁に、奏多は思わず唾を呑む。

「いただきまーす!!」

「一切躊躇しねぇな!?」

 対角からの言葉を無視して、料理を口いっぱいに頬張る陽富。

 皆の前には小鉢が置かれる中、彼女が手に持つのは一人だけ茶碗だった。

「ってか、お前のだけ器デカ過ぎだろ!?」

 続くツッコみも気にせず陽富は料理を咀嚼し、嚥下すると目を輝かせて叫んだ。

「これおいし~!」

 その様子をまるで幼子を見守るように、微笑ましく見つめる有門家の一同とメイド達。

 瞬く間に自らの分を平らげた陽富は、対面の三人に問う。

「ねぇ~先輩たち~、食べないんだったらボク貰っていい?」

「お前どんだけ食うんだよ、食い意地張りすぎだろ!?」

 言いながら奏多も小鉢からタケノコを取り、口に運んだ。

「…………う」

 奏多が愕然とした表情で動きを止める。

「美味い……!!」

 奏多の様子を見た命奈とシエルも、恐る恐る料理を口に含む。

「お、美味しいデス……!」

「!!」

 二人の目も同様に驚愕により見開かれる。

「これは…………思わず服が弾け飛びそうな美味さね……!」

「どういう状態だよ」

 奏多がツッコむと同時に次の料理が運ばれてくる。

「こちら春キャベツとセロリの和風サラダと、新タマネギを使ったお味噌汁でございます」

 次の料理もやはり、陽富の分だけあからさまに器がデカかった。


「このご飯も、すっげー美味い……」

 最後の品、魚介のたっぷり入った炊き込みご飯をかきこみながら奏多が嘆息する。

「ふむ、うちの使用人の料理が口にあったようで良かった」

 それを横目に撫螺慟が謙遜すると、奏多は素直な感想を口にする。

「いやいや、こんな美味いの初めて食べましたよ、本当に」

 次いで改めて、これほどの計らいに自分達は場違いではなかったかと確認する。

「でも、こんなしっかりご馳走になっちゃって良かったんですか?」

「なに、そう気にせずとも、ただ親として娘の友人をもてなそうと思っただけにすぎんよ」

 しかし彼はやはり変わらずに紳士的な返答だった。

 が、やや間を開けてから少し目の色を変える。

「それに私も君には興味がある。……何せ千夜が初めて連れてきた男だからね」

 思わず口に運んでいた水を吹き出す奏多。

「し、失礼……そ、それは一体どういう意味で――!」

 むせ返りながらもどうにか聞き返した奏多。

「どうもこうもそのままの意味だよ、奏多君?」

 その返事を遮って言葉を重ねると、続ける。

「吸血鬼と聞いても恐れることのない胆力……千夜が見初めるのもよくわかる」

「み、見初める!? い、いやそんな滅相もない……!」

 慌てて否定する奏多。

「そうかね? 見るに千夜の方は満更でもなさそうだが……」

「えぇ!? いやいや、そんなまさか――」

 言いながら視線を向ける撫螺慟に続いて、奏多も千夜を見やる。

 千夜は相変わらず陽富の食べっぷりを隣でニコニコと見守っていた。

 しかし視線に気づいたのか、ふと奏多の方を向き、目が合うと穏やかに微笑み返した。

 その表情が、先の撫螺慟の発言も相まってか妙に妖艶に見え、奏多は思わず息を呑んだ。

「……まあ、まずはとにかく友人として、これからも娘をよろしく頼む」

 小さく笑って撫螺慟がそう告げるや、奏多も向き直りしかと答えた。

「撫螺慟さん……はい、そういうことなら、こちらこそ」

 この場では数少ない男同士、静かに、しかし熱く約束を交わした。

「これもおいしいデス!」

「はぁ……なんと素晴らしい……!」

「おかわりー!!」

 それを尻目に自由奔放に騒ぐ少女達に、奏多がついに声を荒げる。

「……お前らうるせーんだよ! ほんと台無しだよ!」

 その様子に撫螺慟がやはり愉快そうに笑っていた。

 その日、お屋敷の夜は普段よりも大層賑やかに深まっていったという。



「ただいま」

 リビングに三人揃って入る奏多達。

 すでに下手をすれば補導されかねない時間であった。

「しっかし、凄まじかったな……何もかも」

 夢うつつのように奏多が呟く。

「そうね、あんなに質の高い食事、私も初めてだったわ」

 シエルもそれに続く。

「思い出しただけでも……はぁ」

 シエルがそう言うなり、じゅるり、と音がするほど涎を啜りこむ両名。

「すっかり懐柔されてんじゃねーか」

 奏多が先刻シエルに受けた言葉をそっくりそのまま返す。

「……わ、ワタシは奏多サンの作ったご飯も大好きデスよ!」

 それを聞いた命奈は慌てて取り繕う。

「……うん、フォローありがとうな」

 嬉しいやら悲しいやらよくわからないが、とりあえず奏多は短く返した。

「さて、じゃあさっさと風呂入って寝るか」

「そうね、さっさと用意しなさい下僕」

「はいはい」

 シエルの相変わらずの不遜な態度にも、もはや慣れたものであった。

「……奏多もあのメイド達のように、『かしこまりましたお嬢様』って返事するようにならないかしら?」

「居候の分際でよく言うよ、ほんと……」

 吐き捨て、奏多は浴室へ向かった。


(ほらな、何にも心配なんていらなかったじゃねーか……)

 洗剤を泡立てたスポンジで丁寧に浴槽を擦りながら、奏多は考えていた。

(……きっと何かきっかけさえあれば、普通に接してもらえるようになるだろ)

 掃除の手を止めずに、今日知り合ったばかりの、悩める少女に思いを馳せながら。

(あの子……千夜ちゃんは、優しい良い子なんだから)


 一方その頃、有門邸。千夜私室。

(今日は楽しかったなぁ……)

 千夜はベッドに佇み、一日を振り返っていた。

(七生先輩も陽富ちゃんから聞いてた以上に、すっごくいい人だったし……)

 友人を介して知り合った、新たな友人に思いを馳せながら。

(また陽富ちゃんや先輩達と会える、明日が楽しみ……!)

 吸血鬼のお嬢様はそんな普通のことを思いながら布団をかぶり、眠りへと落ちていった。


2019/7/12 話タイトル明記

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