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5話 俺・おぼれていますか

 5月。

 俗にいう大型連休が明けたそんな時期の2年3組教室。

 そこは得も言われぬ倦怠感に包まれていた。

「………おっすー奏多ー……」

 それは文次も例外ではなかった。

 いかにも気だるそうな足取りで奏多の席まで歩み寄ると、声をかけながら机にもたれかかった。

「見事にだらけきってるな…」

 呆れ顔で評する奏多。

「いや、そりゃーだらけもすんだろーよ…」

 寝癖の付いたままの頭を掻き、あくびをしながら答える文次。

「こんな時間から起きてんの、10日ぶりぐらいだぜ…」

「昨日見事に遅刻してきたしな、お前」

 咎められると文次は開き直る。

「仕方ねーだろ…あんなに祝日いっぱい固めてる国がわりぃ…」

「いや、遅れてきたのはお前の責任だろ…」

 そんなやり取りをしていると、そこに荻野目が通りがかる。

「おはよー、篠神さん天道さん、七生君も!」

「おはようデス!」

「…おはよう」

 二人の返事に合わせて、奏多も返事の代わりに軽く手を振る。

(女子は割と元気そうだな…)

 文次の様子とは対照的な周りの者達を見て、ぼんやりとそんなことを奏多は考えた。

「ちょっと森谷、邪魔」

 文次はしゃがんた状態で奏多の机にもたれかかり、確かに通路を塞いでいた。とはいえ、なかなかに辛辣である。

「こちらは現在、通行止めとなっております。迂回してください…」

「ほんっと、だらしないわねー森谷は。そんなんだからモテないのよ」

 目も合わせずに言う文次をさらに責め立てる荻野目。

「うっせーな、俺だって逆転ホームランくらい打てるってんだよ…」

 弱弱しいが謎の自信に満ちた反論。

「シエル様の教えによれば」

「お前本当にそれだけが心の拠り所なのな…」

 奏多が呆れ顔で呟く。

 するとそれに合わせて、シエルも深刻そうな顔で呟いた。

「……不味いわね」

「…シエル?不味いって何がだよ?」

 内心、「文次がこうなってるのも半分はお前のせいだろう」と思いながら、訊く奏多。

「…後で説明するわ」

 しかしシエルは言葉を濁すと、奏多から視線を外した。

「……?」

「とりあえず、寝癖ぐらい直しなさいよ、みっともない」

「あーはいはい後でな…」

 他愛のないやり取りがチャイムにより中断されると、生徒たちは各々の席へと戻っていった。


 休み時間。

「今朝の教室の様子、どう思ったかしら?」

 あまり人気のない廊下の隅で、静かにシエルが口を開いた。

 奏多は思ったままの言葉を口にする。

「どうって……ただの五月病ってヤツじゃないのか?」

「…ならいいのだけれど、奏多は何か不自然に感じなかったかしら?」

 言われ、しばし考え込む。

「不自然…」

 そしてとりあえず、朝のやり取りを見て感じたことを素直に言ってみることにした。

「そういや、妙に男子ばっかだったな、だらけてたの」

「…正解。それがカギになるかしら」

 奏多の答えを聞き、少しだけ満足そうに表情を緩めるシエル。

「一体どういうことだよ?」

「この事態は…何者かによる精神干渉の可能性が高いわ」

 奏多の質問に対して、シエルは表情を引き締め直し簡潔に答える。

「精神…干渉…?」

 不穏な単語に奏多も眉をしかめる。

「とにかくまだ情報が少ないわ、しばらく迂闊な動きはしないことね、奏多」

 手早く話を切り上げると、シエルは奏多に鋭く指を突き付けて続けた。

「あなたまで影響される可能性があるわ」



 その日の昼休み。

 昼食を終えた奏多はあまりにも弛んだ空気の教室から逃げるように、校内をふらついていた。

「…………何だ…」

 そしてプールの近くを通りがかったその時、彼の耳に何かが届いた。

「…歌……?」


 その声は美しかった。

 奏多は足を止め、聞き耳を立てる。いや、立てざるを得なかった。

 それほどまでに聞き惚れる、一瞬にして心奪われるような歌声。

 その声は寂しげだった。

 愛しき人は目で見えている、すぐそばに居るのに、触れることは叶わない。

 そんな永遠に満たされない孤独を歌うような哀しい歌。


 唐突にその歌声が止まる。

「…!だ、誰っ……!?」

 代わりに発せられた、先ほどまで歌を紡いでいたと思しき美しい声。

 その声に奏多はふと我に返る。

「―――っ!?」

 しかしその時すでに体は支えを失っていた。

 落水の音と短い悲鳴が響く。

(!?ちょ、何が、どうなって―――!?)

 突然の事態にパニックに陥る奏多。

 やがて奏多の意識はその体とともに、水の底へと飲み込まれていった。


 チャイムの音がどこか遠くから聞こえる。

 暑いくらいになってきた陽気を和らげるような、柔らかな風が優しく頬を撫でる。

「―――ぅ…」

 奏多が息を吹き返した。

「……あれ…俺、何して―――」

「おっ、おっはよ~う。いや~まるで死んだように、よく眠ってたね~」

 陽気な声とともに何者かの顔が眼前で覗き込んでくる。

 まるで日に当たっていないような不健康そうな白い肌。しかも目元には大きなクマができている。

 それがお世辞にも素敵とは言えない、不気味な笑顔を浮かべていたのだから、そのインパクトは計り知れない。

「うおぉい!?」

「おぉ?元気良いね~。そんなに私の顔に元気づけられたかい?」

 奏多の慌てる様子など微塵も気にせず、その者は満足気に声を弾ませながら立ち上がる。

「それはそれは医者冥利に尽きるってもんだね~」

「い、医者…?一体何が―――」

 いまいち状況の呑み込めない奏多は医者を名乗る女性に説明を求めようとした。

「……あ、今は養護教諭だから元医者か」

 しかしそれを無視して、彼女は一人納得したようにうんうんと頷く。

 あまり手入れをして無さそうなぼさぼさの長髪や白衣も相まって、養護教諭よりもマッドな研究者にしか見えない。

 奏多が内心そう思っていると、そこにもう一人、見覚えのない少女がカーテンをめくって顔を覗かせた。

「あ…気が、付きましたか…?」

 気遣うような柔らかな声。その声は聞いた途端に深く心に染み渡り、満たしていくような心地の良い音色だった。

 その声の主は澄んだ川底に茂る藻を思わせるような、深い緑の髪を肩先に揃えた少女。

 リボンの色が命奈とも、陽富とも違う制服姿。察するに3年生だろう。

 シエルほどではないが、やや小柄な体躯。おずおずと遠慮がちに近寄る態度も合わさって、見るからに気弱そうな雰囲気であった。

「…あなたは…?」

「わ、私は魚住珠声(うおずみたまこ)、といいます…」

 伏し目がちに名乗る少女。

「……ここは…?」

「ほ、保健室、です…よ?」

 何故わからないのか、とでも言うように傍らの女性を見やる珠声。

「…彼女がプールで溺れてた君を介抱して、今しがた目を覚ますまで付き添ってたんだよ」

 やれやれ、というように肩をすくめながら養護教諭は答えた。

「そ、そうだったんですか…すみません、ありがとうございます」

「い、いえ、そんな…元はと言えば、私のせいですし…」

 途中から目を逸らし小声になりながら謙遜する珠声。

 しかし奏多は聞き逃さなかった。そしてそれは腑に落ちない発言だった。

 私のせい。

 自分がいつの間にか溺れていたことに、見ず知らずの少女が一体何の関係、しかも落ち度があるというのか。

「私のせいって―――?」

 問いただそうとした奏多を遮るように、養護教諭が軽い調子で言い放つ。

「そりゃま~目の前で溺れて死なれちゃ、寝覚めも悪いってもんだよねぇ」

「し、鹿羽(しかはね)先生!縁起でもないこと言わないでください…!」

「ん?…あぁ、こいつは失敬」

 珠声が叱責するも、鹿羽はまるで堪えていないようだった。

「ま~でも死ぬのもそんなに悪くないと思うよ?生きるのって辛いし大変じゃない?」

 どころか表情を引き締めつつも、軽い調子のまま悟ったようにのたまう。

「真顔でなんてこと言ってるんですか、先生!?」

 養護教諭とは思えない発言を珠声が咎めていると、そこに命奈が勢いよく現れる。

「奏多サン!」

 その手には大きめの袋が握られていた。

「お着替え持って来ましたデス!」

「…着替え?」

 命奈に言われハッとする。

 考えても見れば当然である。

 溺れた人間を介抱するにしても、ベッドに寝かせるのに濡れた服を着せたままにはしないだろう。

 しかしここは学校、体育でもなければそう都合よく替えの服などあるわけもなく。

 結果、奏多は今…全裸だった。

 慌てて布団を抱き寄せる奏多。

「そんなに心配しなくても、君のご立派ぁなのは私しか見てないよ~?」

 思考を読んだかのように発せられた言葉に、思わず吹き出す奏多。

「あ、でもいきなり脱がしちゃったから、もしかしたら魚住君もチラッとは見えちゃったかもしれないけど…」

「み、見てません!!」

 珠声は顔を真っ赤にしながら否定するが、そのリアクションだと正直どっちなのか判別がつかない。

(恥ずかしい…死にたい…)

 が、どっちにしろ恥ずかしいのは変わらないので、奏多も顔を真っ赤にしながら布団に潜り込んだ。

「とりあえず、命奈…早く着替えくれ…」

「…?わかったデス!」



 その日の夜。

「まさか、あなたがこの件で最初の事故被害者になるとはね…だからあれほど迂闊に動くな、と言っておいたのに…」

 ソファーに深く腰掛けガックリと肩を落とした奏多の隣で、小馬鹿にした顔で言うシエル。

「まあ、しぶとくも無事生き残ったのは、さすがと言うかなんと言うか―――」

「あんまり無事じゃない…主に精神面が」

 体勢を変えずに静かに口走る奏多。

「?何か干渉された影響でも残っているのかしら?」

「いや、そうじゃない…けど、もういいわ」

 シエルは怪訝そうな表情を浮かべつつも、そこには深く触れなかった。

「そう?じゃあ、話を続けましょうか。あなたが相手なら、根掘り葉掘り聞きだしやすくて助かるし」

 むしろ都合がいいとでも言いたそうに上機嫌に質問を浴びせる。

「あなたが溺れる直前までの記憶で、はっきりと記憶していることは何かしら?」

「…プールの近くを通ってる時に、微かに声、いや歌が聞こえた」

 答えを聞き、熟考するように眉間に指を当てるシエル。

「歌…」

「すげぇきれいな声で…思わず聞き惚れちゃうような…」

 記憶の限りの情報を、懸命に手繰り寄せ伝える奏多。

「でも、どんな歌だったか、内容はよく覚えてないんだよ」

 シエルは無言で次の言葉を待つ。

「それで次に気が付いたら、もう保健室だった」

「…そこに居たと言っていた魚住珠声という女……奏多が溺れたのは自分のせいだ、と言ったのよね?」

 確認するように次の質問を繰り出すシエル。

「ああ、けど魚住先輩に直接何かされた覚えは全くない」

 そこまで聞くと、シエルは合点がいったと言うように手を一度打ち鳴らした。

「……なるほどね」

 そして核心に迫る発言をする。

「その女…おそらく人魚ね」

 彼女、魚住珠声の正体。

 奏多が面食らいながら聞き直す。

「人魚?人魚って上半身が人間で下半身が魚の?」

「他に何が居るのかしら?…まあ、他に居なくもなかったはずだけど」

「いやいや、待て待て。そんなわけあるか」

 シエルがさも当然のように返すと、奏多は即座に否定する。

「だって普通に人間の姿形だったぞ?魚要素なんてどこにも―――」

 そう。どう見ても“普通の人間”だったのだ。

 それを根拠に否定しようとするも、シエルに問い返される。

「それじゃあ、彼女の言う『奏多が溺れたことに関しての彼女の責任』ってなんなのかしら?」

「それは―――」

 奏多は答えられなかった。そもそも思いつかない、聞こうと思った自分も聞きそびれたものを答えられるわけがない。

 そこにシエルが一つの仮説を提示する。

「神秘的な歌声で男を惑わす人魚がたまたまプールで歌っていて、たまたま近くを通りがかった奏多に影響を及ぼしたとしたら…?」

 逆説的ではあるが、確かに筋は通る。

「そうすれば、全てに辻褄が合うのよ」

「……確かに」

 奏多は反論の余地もなく、ただ頷く。

「つまり彼女は、見た目は普通の人間だとしても人魚の力を有している、ないしは限定的に使用することができる、ということには間違いないわね」

 奏多がぐうの音も出ないことに満足したのか、シエルは勝ち誇ったように得意げに鼻を鳴らして続ける。

「さて、そこまでわかれば十分ね、明日にはさっさとケリをつけましょう」

「いや、ちょっと待て」

 話を切り上げ、部屋に向かおうとしていたシエルを呼び止める奏多。

「何よ?まだ何か私の完璧な推論に文句あるの?」

 不機嫌そうに振り返るシエル。

「いや、そこじゃなくて…ケリをつけるって言っても雪村の時みたいに、いきなりケンカ売られても困るんだが」

 奏多が別の心配事を吐露するも、やはりシエルは不機嫌そうであった。

「…じゃあ、どうすると言うの?」

 問いただすシエルを前に奏多は僅かに迷うように逡巡し、しかし臆せずはっきりと答えた。

「ひとまず俺に任せろ」



 翌日。昼休み。

(とは言ったものの…)

 奏多は昼食の弁当を手早く平らげ、図書室で過ごしていた。

(先輩と俺って、何にも接点なかったんだったな…さーて、どう切りだすか―――)

 何故図書室なのか。

 理由は簡単。

 そこに目的の人物が居るから。

(ってか先輩って普段、どこに居るんだろ…3年生の教室やらプールやら見て回ったけど居なかったしなぁ…)

 ―――ではなく、手詰まりだったからである。

 とはいえ見得を切った以上は何かしら行動していないと、シエルに何と言われるかわからないためである。悲しいかな、これが現実。

(あーあ、どっかにたまたま居合わせたりしねーかなー…)

 次の策を考えあぐねる奏多の視界に。

(―――ん?あれって…)

 まぎれもなく、探している人物がよぎる。

 彼女はちょうど図書室から出ていくところのようだった。

(…運が向いて来たか…!)

 奏多は先ほどまでなんとなく眺めていた本を棚にしまい、急いで後を追った。


 図書室を出てすぐの階段を下りつつ、階下を覗くと彼女の後姿が見えた。

「魚住せんぱーい!」

 階段の半ばから呼びかける奏多。珠声が振り向き奏多を視認する。

 すると彼女は見るからに動転した様子を見せ―――。

「ちょ、なんで逃げるんですか!?」

 そして一目散に逃げ出した。

「くそっ、しょうがない…!」

 吐き捨て、階段を駆け下りる奏多。

「ちょっと先輩、逃げないでくだ―――!」

 廊下の角から顔を覗かせながら奏多は叫び、珠声の現在位置を確認する。

 しかし彼女はまだ教室一個分も移動していなかった。

(……足遅っ…)

 奏多は駆け足で近寄り、隣から声をかける。

「先輩、ちょっといいですか?」

「!!…も、もう、追い、つかれ…た…」

 珠声は息も絶え絶えになりながら壁へと後ずさり、絶望の表情を浮かべた。

(何でこの人、こんなに息上がってんの…?)

 奏多が何とも言えない気分に襲われていると、珠声は自嘲するように呟いた。

「…私の、命も、ここで、終わり、かぁ…」

「…は?」

 意味が分からず聞き返そうとする奏多。しかし珠声はそれには答えず、全てを諦めたかのような力ない笑顔で続ける。

「どうせ、なら…おとぎ、話みたい、な…恋、した…かったなぁ…」

 その目にはうっすらと涙が浮かんでいる。

「あの、先輩?」

 事態が全く呑み込めない奏多が再度呼びかける。

「…どうせあなたも、『不老不死になりたい』なんて馬鹿げたこと言うんでしょう…!?」

 珠声は迫真の表情で、ようやく整ってきた息を静かに、だが力強く発した。

「……え?」

 一方の奏多はハトが豆鉄砲を食らったような顔で、間の抜けた返事しかできなかった。

 彼女の口から溢れたのは、そうなるのも無理はないほどあまりにも突拍子のない話。

「そのために私の心臓を食らおうと―――!」

「ちょっと先輩、とりあえず落ち着いて下さい!」

 畳み掛けようとする珠声を制する奏多。

「!?」

 彼女が背にした壁を勢いよく突く。

(こ、ここここれって、今巷で流行ってるっていう“壁ドン”…!?)

 しかしながら構図が構図だけに、ものの見事に逆効果であった。

「あ、あの、あのあのあのあの―――!」

「いやあの、だから落ち着いて…」

 赤面し目を回し始めた彼女の様子に嘆息しながら、奏多はゆっくりと優しく彼女の肩を抱き、目をまっすぐに見つめて言う。

「俺は先輩と、ちょっとお話がしたいだけなんですけど」

「………お、お話?」

「ええ、お話」

 ようやく幾分か落ち着きを取り戻した彼女を見て、奏多は冷静に思案しつつ続ける。

「つかぬ事をお伺いする…つもりだったんですけど、さっきの口ぶりだと聞くまでもないか?」

 いわゆる人魚の伝承で聞いたことがある。

 人魚の肉、心臓を食べると不老不死になる―――と。

 当人が先ほど口走った内容から確信を得ながらも、奏多はシエルの推測の正しさを証明するために質問を投げかけた。

「まあいいや。先輩って……人魚なんですか?」

 答えることを躊躇っているのか、僅かな間が開く。

 視線を外し、近くに人が居ないことを確認するように周囲を見回してから、やがて珠声は静かに頷いた。

「本当にそうなんですね…」

「あの、この事は内緒に…!」

 悲痛な面持ちで奏多に詰め寄る珠声。

「ええ、もちろん。…まあ言ったところで信じる人間がどれだけ居るのか、って感じですけどね」

 あまりにも深刻そうな珠声を少しでも安心させようと、奏多はわざと茶化した風に答える。

「…でも、あなたは信じるんですね?」

 まだ疑念の抜けきらない瞳を向けながら、珠声は問うた。

「まあ、そうですね」

「どうして…?」

「んー…」

 奏多は思案した。改めて聞かれると何と答えていいものか困る質問ではある。

「一から説明すると長くなりそうなんですけど、割と普通の人間じゃない人には慣れてるんで」

「慣れてる?」

「って、俺のことは別にいいんですよ!」

 質問責めに対するちょっとした気恥ずかしさと、このままだと埒が明かないという思いから強引に話を戻す奏多。

「もしかしてあの時、先輩ってプールで歌ってました?」

 あの時、というのがいつを指しているのかはすぐに理解したようで、珠声は再び静かに頷く。

「どうしてですか?」

 後から思えば間の抜けた質問である。人魚に対して「何故歌うのか?」などと。

 しかしその質問に対する答えは意外なほど早く、それも真剣みを帯びて返ってきた。

「―――歌を歌うのに理由なんて必要ですか?」

 その語気は先ほどまでとは別人のように強まっていた。

「…えっ?」

「私は…歌いたいんです…!」

 気圧される奏多に珠声は息巻く。

「わかっています…私が歌うと、不幸になる人が居るっていうことは……母からも、よく言いつけられていますから」

 そこまでまくしたてると落ち着きを取り戻したのか、俯く珠声。

「あなたには実際に、迷惑もかけてしまいましたし…」

 奏多はただ静かに聞き続ける。

「今までも学校では、ずっと我慢していたんです。音楽の授業中も、なるべく口パクでごまかして…」

 彼女なりの苦悩がポツリポツリと語られる。

「けれど、今年でこの場所ともお別れとなると…寂しくなってしまって」

「それを紛らわせるために…?」

 奏多の言葉に頷く珠声。

「プールもこんな時期なら、まだせいぜい水泳部の人くらいしか出入りしませんから、誰にも聞かれないかと思って、つい…」

「そうなんですね…」

 そこまで聞くと、奏多は一つ確認する。

「ちなみにその歌ってたのって、あの時が初めてじゃないですよね?」

 問われた珠声は驚愕し息を呑む。

「!そ、そうですけど…どうしてわかるんですか…!?」

 奏多は問い返されると、おどけたように返した。

「言ったでしょ?普通じゃない人の相手は慣れてる、って」

 信じられない、と言いたげな珠声に対して、奏多は一つ咳払いをしてから改まって告げる。

「単刀直入に言うと、実のところ先輩の歌は結構尋常じゃない影響があるみたいなので、即刻止めていただきたい」

 冷淡な奏多の言葉に再び悲壮な顔をする珠声。

「そんな―――!」

「…けれど、今お話しして、気が変わりました」

 奏多が言い直すと、今にも泣きだしそうに俯いた珠声が顔を上げる。

「えっ…?」

「先輩は別に他人を害してやろうとか、そういう意図でもって行動している訳じゃないのはよくわかりました」

 小さな子供をあやすように、穏やかに微笑む奏多。

「なので、俺も解決方法を考えて、それにお付き合いします」

 奏多の提案に珠声は目を丸くする。

「確認したいんですけど…先輩としては、形はどうであれ歌えればそれでいいですか?」

「…う、うん…けど―――」

 何か言いたげな珠声の心中を察し、奏多は先に念を押す。

「?ああ、そんなに気にしなくても、助けてもらったお礼だと思ってもらえばいいですよ」

 奏多の言葉を聞き、珠声は申し訳なさを滲ませる。

「そんなの…もともと私のせいなのに―――!」

「いいからいいから。先輩は心行くまで歌えるし、俺は先輩絡みの問題を解決できる。何も問題ないでしょう?」

 深刻そうに言う珠声に気を遣わせぬよう、努めて軽い調子で言う奏多。

「そうですね…何か考えておくんで、今日の放課後少しだけ時間下さい」

 珠声がその申し出を了承し、二人は別れた。



 その日の放課後。

 学校から少し離れたところにあるカラオケボックス。

 まだ平日の夕暮れ時という事もあってか、店内は閑散としている。

「わ、私、こういう所、来たの初めてで…!」

 その中の一室に奏多と珠声は居た。

「し、しし、しかも二人っきり…!」

 アワアワと落ち着きのない珠声を見かねて奏多が声をかける。

「何もそんなに緊張しなくても…あ、先輩何か飲みます?」

「う、ううん、大丈夫!」

 両手と首を大きく振って申し出を断る。

「そうですか?…それじゃあもう、早速歌っていきますか」

 端末を差し出しながら奏多が言うと、珠声がそれを受け取って短く答える。

「そ、そうだね、うん!」

 悩ましげな表情で、しかしどこか楽しげに端末をゆったりとした所作で操作していく珠声。

(先輩って、どんな曲歌うんだろ…?)

「……あ…」

 やがて珠声の手が止まる。

「…おっ」

 画面の隅に表示される曲名。

(良かった、知ってる曲どころかド定番だった…)

 それはリリース自体は数年前だが、今なお人気を誇る女性アーティストのポップなラブソング。

 奏多は全然知らない曲だったらどうしよう、と内心焦りを覚えていたが、ひとまず胸をなでおろした。

「あのね、七生君…」

 そんな奏多の心中を知ってか知らずか、珠声は奏多に呼びかける。

「歌えれば何でもいい、って言ったけど……実はあれ…少しだけ嘘」

「えっ?」

 曲が始まるまでの僅かな間に。

「ただ歌うだけじゃなくて、本当は…それを誰かに聞いてほしかったんだ」

 いや、僅かな間だからこそ、包み隠さずに本心を語る。

「だから…今、私すごく嬉しいの」

 少し潤んだ瞳に穏やかな微笑みを湛えて、奏多を見つめる珠声。

「私のワガママに付き合ってくれて…ありがとう、七生君」

 状況・表情・セリフ。あまりにも反則的な合わせ技に、思わず息をのむ奏多。

(やばい…すっごい胸ドキドキしてる…)

 イントロが流れ始める。

「あとで感想、聞かせて…ね?」

 珠声は不安げにマイクを握る手に力を籠めなおし、モニターに注目する。

(こんなの、惚れちゃう…かも…)

 そして。

 そこに珠声の歌声が響き渡った。


(…あれ?おっかしいなー…なんだこれ?)

 ―――それはそれは凄まじい不協和音だった。

 声は変わらず透き通るように美しい…はずなのだが、どういう原理か「ボエー」としか表現できない謎の怪音波に成り果てていた。

(マイクの故障かな…?)

 耳か頭のどちらか、あるいは両方がおかしくなったような気しかしない。

(ナニカサレタヨウダ…)

 やがて奏多は意識を手放した。


 そのうち一曲歌い終わって。

 大きく息を吐く珠声。

「……ど、どうでしたか、七生君…?」

 いささか不安げに奏多の方を見やる。

 するとそこにはテーブルに突っ伏したまま微動だにしない奏多が居た。

「って七生君!?どうしたの、いったい何が…!?」

 自分が元凶とも知らず、奏多に寄り添い強く体を揺する珠声。

「七生君、しっかりして!七生君!!」

 しばらくすると奏多は意識を取り戻した。

「!……こ、ここは…」

「七生君!良かった…」

 奏多は寝ぼけたままの頭脳を無理やり起こすかのように、頭に手を当てて左右に大きく振る。

「…えーと、俺は一体何を…?」

「私が歌っている間に、何故か気を失っていたみたいで…」

 珠声の言葉を聞き、奏多は状況を理解した。

(ああ、そうだった思い出した…)

 奏多が目を覚ましたことで胸をなでおろした珠声は、歌う前に宣言した通り感想を求めた。

「そ、それで、どうでした、私の歌!?」

 そう、あの歌。

 …もとい歌と呼んでいいのかどうかもよくわからない、あの悪夢のような音波の感想を。

「え?ええ、あーえーと…そのー…」

 期待と不安の入り混じった潤んだ瞳で、射抜くように見据えられる奏多。

 そんな相手に、よくもこんな気が狂った音源を!とはっきりと言う訳にもいかず。

「…い、良いんじゃないですか…?多分…」

 奏多はとりあえずお茶を濁した。

「…!そ、そっかぁ…!良かった…!」

 安堵の表情を浮かべる珠声。

「あの、ね、七生君?一つお願いがあるんだけど…」

「は、はい…」

 悪い意味で思わず息をのむ奏多。

「七生君が迷惑じゃなければ、またカラオケ付き合って欲しいなぁ、なんて…」

「えっ」

 あらかじめ予想はしていたとはいえ、やはりはっきりと言われると全身の毛がよだつ。

「やっぱり、ダメ…かな…?」

 悲しげに視線を伏せる珠声。

「いや、そんなことは…」

 ない、と即断言できないことに奏多は一抹の情けなさを感じはするものの、仕方がない。誰だって我が身はかわいいものである。

 がしかしシエルはおろか、珠声本人にさえ解決を約束しておきながら、投げ出すわけにもいかない。

 葛藤する奏多。

「……次は命奈とシエル…友達も一緒に連れてきていいですか?」

 そんな彼が選んだのは、道連れだった。



 それから数日後。

「ようやく五月病もぬけてきましたね、皆さん」

 その日の最後のホームルームで、担任が安堵したように言い放つ。

「今月末からいよいよ、皆さんの大嫌いなテストも予定されてるので、気合い入れてくださいね」

 巻き起こる大ブーイング。それを気にする様子もなく続ける。

「はい、それじゃあ今日はここまで!」

 号令を合図に礼をする生徒達。

「おーい奏多、今日暇か?」

 放課後となるなり、奏多の席に文次が歩み寄る。

「俺今日バイト休みになって暇なんだよ。お前んちで一緒にクリハンしよーぜー」

 先ほどの担任の言にあったテストのことなど、微塵も考えていない発言である。

 しかしそれもいつものことなので、奏多は特に気にするでもなく返した。

「あー悪りーな、文次。俺今日予定あるんだよ」

「予定ぃ?どうせ命奈ちゃんとイチャつくんだろ、この腐れヤリチン」

「違ぇよ」

 毒づく文次を短く一蹴する奏多。

 そこに珠声が現れる。

「…な、七生君、こんにちは」

 急いできたのか少し息が上がっている。

 しかし頬が上気しているのはそのせいだけではないだろう。この後に期待している様子が見て取れるようだ。

「…あ、先輩こんにちは」

 対して奏多は覚悟を決めたように目を深く閉じて言った。

「じゃあ、行きましょうか…」

「ちょっと待て奏多」

 席を立つ奏多を鋭く制する文次。

「?どうした、文次?」

「てめぇ、そのお方をどなたと心得る?」

 威圧感たっぷりに言い放つ文次に、奏多は気だるそうに返す。

「は?」

「水泳部のリトルマーメイドこと、魚住珠声先輩だぞ、おらぁ!?」

 奏多の態度が癪に障ったのか、文次が更にヒートアップする。

「…で?」

「で、じゃねぇんだよ!命奈ちゃんという人が居ながらこいつ…!」

 とめどなく怒気を噴出する文次。

「1組の氷の女王・雪村真冬やら陸上部のスーパールーキー・屋敷陽富まで毒牙に掛けたって、噂は届いてんだぞ!」

「だから人聞きの悪いことを言うな。皆さんただの友人です」

 諌めるのも面倒そうにしながらも、否定するところは否定しておく奏多。

「次はいよいよ魚住先輩ってことか…!次から次へと美少女をとっかえひっかえなどと…!」

 しかし当然それで文次が納得するわけもなく、雄たけびを上げる。

「エロゲの主人公かよ、てめぇは!」

「知るか」

「やはり貴様の存在は許されざる禁忌だ!せめてこの場で去勢してやる、物理的に!」

 謎の構えを取り、奏多へ迫る文次。

「うおぉぉぉ!!もいだらぁー!!」

 しかし容易く命奈に阻止される。

 両手を取られて足を払われ、綺麗に宙を舞う文次の体。

「文次サンも懲りない人デスねぇ」

 もんどりうって仰向けに倒れ、悶える文次。

「ワタシが居る限り、奏多サンに危害は加えさせないデス」

「ぐぬぬ……諦められるか…!こんなことで…!」

 執念深く奏多を見据えて吼える文次。

「俺と奏多、一体どこで差が付いたと言うのだ…!」

 その問いに答えるようにシエルが口を開いた。

「慢心、環境の違いね」

 当たり前のように文次の腹の上に腰掛けながら。

「うっ、し、シエル様!?」

 衝撃で空気を吐き出し、シエルへと視線を移す文次。

「文次、あなたは本当に口を開けば美少女美少女とやかましいわね」

「し、しかし―――」

 心なしかその状態に満更でもなさそうな文次。

 その頬に指先を這わせながら、眼前で目を見据えてシエルは問いかける。

「ほら、文次?世界で一番慈悲深く、聡明で、可憐な乙女は?」

 すると文次はうわ言のように答えた。

「ハイ、シエル様デス」

 シエルは答えを聞くと満足そうに小さく鼻を鳴らし、文次の腹の上から腰を上げる。

「…選ばれたのはシエル様でした」

「…おめでとう」

 両手を掲げ得意げな表情を浮かべるシエルを、奏多はとりあえず祝福しておいた。

「文次、あなたは違いの分かる男よ。そこには誇りを持ちなさい」

「ハイ、シエル様ノ仰セノママニ…」

 しゃがみこみ、再び文次の眼前でシエルが呟くと、やはりうわ言のように文次が返す。

(文次、いったい何があったんだ…)

「…何か言いたそうね、奏多?」

 唖然とする奏多にシエルが囁く。

「前にもまして、文次がやけに従順だな…」

「ああ、ちょうどよく弱っていたのでね」

 疑問を口にする奏多に、さも当然のように返すシエル。

「徹底的に洗の―――」

 軽く咳払いをして言い直す。

「…教育を施したわ」

「それが仮にも天使のすることか、貴様っ…!」

 詰め寄る奏多に対して悪びれもせずにシエルはのたまう。

「…奏多、覚えておきなさい。信仰とは自らの弱さを隠すための鎧なのよ」

 文次を見下ろすその表情は笑顔だったが、すこぶる酷薄なものだった。

「これで文次はあなたへの劣等感に苛まれずに生きていけるわ…」

 奏多を鋭く指差して続ける。

「そう、そもそもはあなたというイレギュラーが存在したのがいけないのよ。恨むなら自分を恨みなさい」

(………すごい女だ)

「…あ、あのー…」

 一連のやり取りをただ見守っていた珠声が、そこでようやく静かに声をかけた。

「あ、先輩すみません、お待たせして。行きましょうか…」

 二人に手招きをしながら、重い足取りで奏多は教室を後にした。



 再びカラオケボックス。

「それじゃあ、いくよ…!」

 やや不安げにマイクを握りしめながら、珠声が告げる。

 命奈はいつも通り屈託のない笑顔を浮かべて、シエルはどこか退屈そうに頬杖をつきながらモニターを見つめる。

 曲のタイトルが大きく表示されイントロが流れ始めた。

(来るぞ…!気を確かに持て、俺…!)

 息を呑みつつ気合いを入れる奏多。

 珠声は大きく息を吸い込み、そして歌い始めた。


 やがて曲が終わる。

 僅かな拍手の音。それは命奈が満面の笑みで珠声に送っていたものだった。

「七生君、大丈夫…?」

 やはり奏多は途中で気を失い、テーブルに倒れ伏していた。

「…さっさと起きなさい、奏多」

 シエルが目を覚ます様子のない奏多の襟首を掴んで、強引に上体を起こし頬を叩く。

「て、天道さん…!?」

 珠声が狼狽えるのも無視してひたすら頬を往復ではたき続けると、その内に奏多が目を覚ました。

「…ちょっと待って、なんでお前ら平気なの?」

 ひたすら張り倒された頬をさすりながら、奏多が両脇の二人に問う。

「平気ではないわ、聞くに堪えない酷いものには違いないわ。まるで悪魔の所業ね」

「…むー、昔おじいちゃんが『お仕置き』してた時の大罪人の怨嗟の声に比べれば、そんなに酷くはないデス」

(そういえばこいつら普通の人間じゃねーんだった)

 二人の答えを聞き、奏多は改めてそんなことを思った。

 絶句する奏多を捨て置き、シエルが珠声に向き直り告げる。

「珠声、あなたの歌…はっきり言うと最悪だわ」

「そんな!?」

 遠慮の欠片もなく評する言葉に、少なからぬショックを受けたようだ。しかしそれを気にも留めず、シエルはさらに追い打ちをかける。

「音痴だとか、リズム感がないだとか、そんなチャチなもんじゃ断じてないわね。もっと恐ろしいモノの片鱗を味わったわ…」

「おい、せめてもうちょっとオブラートに包むとかしろよ」

 見かねた奏多がせめてもの気遣いをするものの、珠声は見る見るうちに萎れていった。

「けれど、あなたは良い声をしているわ。事実、プールで歌った時は奏多を釣れたわけだし…」

「釣れたってなんだ。まるで俺が魚じゃねーか」

 奏多の言葉をことごとく無視して、珠声に語りかけるシエル。

「―――ならば救いはあるわ」

 幾分優しくかけられたその言葉に珠声が反応する。

「…救い?」

 シエルは不敵な笑顔で珠声の手を握り、大きく頷く。

「まさか人魚に歌を教える日が来るとは思わなかったけれど―――」

 自信に満ちた発言に奏多が茶々を入れる。

「え?お前歌えんの?」

「当たり前でしょう、私を誰だと思っているの?」

 端末を操作しながら、やはり自信満々に言うシエル。

「お前の歌声ってのも、なんか想像しづらいな…」

 奏多の発言に、シエルは呆れ顔で深く溜息をついて語る。

「…あなたも一度なら、讃美歌を聞いたことぐらいあるでしょう?」

 知っていて当然と言わんばかりの態度でさらに続ける。

「人の身であれだけの歌声を出せるのだから、それを導く存在がそれ以上できなくてどうしますか、と言う話よ」

「理屈はわかったけど…」

 それでもどこか納得いかなそうな奏多。

「呆れるほどに疑り深いわね、奏多は。信仰心は無いのかしら?」

「知らんな」

 奏多が吐き捨てると、シエルは説き始めた。

「さっきも言ったけれど、信仰と言うのはそれ即ち力なのよ。受ける側においても、捧げる側においても、ね」

 そこまで言うと何か思い出したように、一瞬間を開けてから小馬鹿にした顔で奏多を見据えて言い放った。

「まあ、力が足りないからこそ『俺に任せろ』なんて大口叩いておいて、おめおめと泣きついて来たんでしょうけど」

「それは言うな…」

 気恥ずかしそうに目を覆いながら、奏多は手を突き出す。

「力ある者は、何があろうと前に進むことができるものよ」

 言いながら、操作を終えたのか端末をテーブルに置く。

「その証拠に、聖戦に臨む戦士たちを前に敬虔な信徒達はこう言った、と伝えられているわ…」

 シエルはマイクを持ったまま手を重ねあわせ、目を閉じて呟いた。

「負ける気せぇへん、地元やし…と」

「地元って何だ」

 そうこうしている内にイントロが流れ始める。

「って言うかそれ、信仰心裏切られてね…?」

 奏多の指摘には一切反応せず、シエルは立ち上がり左手で天を指し叫んだ。

「座して、心して、耳を澄まして聞きなさい…!」

 手を振り下ろし、マイクのスイッチを入れる。

「―――これが天の声よ」


 曲が終わる。

「すごい…!」

 気圧される珠声。

 それはまさしく圧倒的な歌唱力であった。

 得意げな顔で腕を組み、奏多を見据えるシエル。

「…どう?私の実力が理解できたかしら?崇めてもいいのよ?」

 唖然としていた奏多はシエルの言葉で我に返り、少し間を開けてから返した。

「……どこから声出したの今?口の中にスピーカーとか仕込んでない?ちょい口開けてみ?」

「そんなわけないでしょう」

 茶化す奏多の態度に、大仰に肩を落として溜息をつくシエル。

「まったく…この私の美声を前にして、気の利いた感想一つ言えないなんて…本当に罪作りな男ね、あなたは」

 一通りこき下ろすと、ソファに深く腰掛けた。

「ワタシも歌うデス!」

 それまで静かに、だが確かにウズウズしていた命奈が端末を手にする。

「…で、これでどうやって曲流すんデス?」

 しかし、その頭の上には?が大量に浮かんでいた。

「ああ、うん、俺が操作するから歌いたい曲言って…」

 奏多は命奈から端末を受け取り、手早く操作していった。


 曲が終わると同時に満面の笑顔で奏多に向き直る命奈。

「どうデス、奏多サン!?」

「…うん、普通」

 奏多が短く返すと命奈は頬を膨らませる。

「普通ってなんデスか!?もうちょっとなにか良い感想ないんデスか!?」

 がくがくと大きく体を揺すられる奏多。

「ああ、悪い言葉が足りなかった。普通に上手いな命奈、ちょっとビックリした」

 奏多は訂正するも命奈はまだ頬を膨らませたままであった。

「むぅ、言葉が足りなさすぎデス!」

 駄々っ子のように両手を握って軽く叩いてくる。

「あーもう、だから悪かったっての…」

「ふふっ…」

 やり取りを見守っていた珠声が口元を綻ばせた。

 それに奏多が反応すると、生き生きとした表情で珠声は言った。

「皆で歌うのも、良いものですね…!」

 そしてマイクを握って、奏多に差し出す。

「七生君も歌いましょ、ね?」

「…え?いや、俺は別に…そんなに上手くないし…」

「そうですか…?」

 あまり乗り気でない奏多の様子に、少し残念そうな珠声。

 しかしすぐに表情を切り替えると、マイクを自らに向けなおした。

「じゃあその分も、私が―――」

 珠声が言いかけたところで奏多が奪い取るようにマイクを握った。

「やっぱり歌います」

 奏多は少しでもダメージを減らすために、最善の方法を取るのだった。


2019/7/12 話タイトル明記

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