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2話 使徒、襲来

 夢を見ていた。

 俺の中では遠い遠い昔の夢。

 それこそ小学校に入るよりも前くらいの。

 見覚えがある風景。

 家族三人で一緒に暮らしてた家の、すぐ近くにある公園。

 俺は一人、自由に走り回っていた。


「こーらっ、あんまり離れちゃ危ないでしょ」


 聞き覚えのある声がした。

 ……母さんだ。

 叱るような言葉だが、どこまでも甘く優しい声音。

 それと同時に抱きかかえられる俺。

 子供の俺には振りほどきようもないほどに、しっかりと、力強く。

 なんだかすごく安心する。久しく感じてない感覚だ。

 もっと感じていたい。そう思ってこちらからも腕に触れる。


 触れた途端にその腕から肉が崩れ落ち、たちまちに骨だけになる。

 気づけば、まるで空の上から墨でもこぼされたかのように、周りの景色が真っ黒に塗りつぶされていた。

 例えようのない恐怖に見舞われ、俺は母さんの顔を見る。

 その顔、というよりも頭部はすでに骨だけとなっていた。

 体を押しのけて逃げようとするも、しっかりと正面に抱きなおされる。

 そして母さんは地の底から響いてくるかのような低い声で、一言だけ発した。


「――何でもするって言ったよね?」




 目を覚ます。

(ひでぇ悪夢だな……勘弁してくれよ)

 ほのかに月明かりが差してはいるが、部屋の中はよく見えない。

(まだ暗いな……寝なおすか……)

 おぞましい光景をかき消すように軽く首を振り、横向きに体勢を変え布団に身を預ける。

 すると背に感じる、いつもの布団とは比べ物にならない、明らかに異常なまでに柔らかい感触。

 しかも妙に暖かい。そしてその辺りからはなにやらすごくいい匂いがする。

 背後、その場所でもぞもぞと何かが動く気配がした。

「……んぅ……」

 ゆっくりと体をそちらに向けると、そこには。

「むにゃ……」

 黒く艶やかな髪。幸せそうに緩んだ寝顔。

 はだけた黒い布地から覗く白い肌。

 無防備極まりないパジャマ姿の命奈がいた。

(…………なぜだ!?)

 奏多は混乱しつつも昨夜の記憶を辿る。


 急遽決まった同居。普段物置同然にしていた部屋を片付け、そこを命奈の部屋とした。

 夕飯を作る気力がなかったので、コンビニに買い出し。そのままコンビニ食糧で夕飯。

 そのあとは入浴、就寝。

 命奈は風呂やベッドに至るまで、やたらと奏多に同伴したがっていたが、さすがに遠慮しておいた。

 結局一人で部屋に入り、その後は疲れからかすぐに眠りに落ちてしまった。

 そのため状況認識が曖昧ではあるが、記憶の限りでは確かに、間違いなく一人で寝ていたはず。

 なのに。


「むー、ワタシだってやればできるんデスぅ……」

(どうしてこうなった……)

 寝言をつぶやく少女を眺めつつ、どうしたものかと思案する。

 が、思考がまとまらない。

 間近に感じる彼女の息遣い。それを吐き出す唇、合わせて上下する豊かな双丘、どちらも彼を誘惑するかのように艶めかしく動く。

 意図せず触れた時に感じた肌の感触、体温。それが無抵抗で目の前に晒されているという事実。

 その全てに、健全な男子たるものどうしてもドギマギしてしまう。

 だんだんと鼓動が高鳴っていく奏多。

「あぁー奏多サン……そっちには行っちゃダメデスぅ……」

 そんな彼の気を知ってか知らずか、奏多をしかと抱きしめその顔を胸に埋めさせる命奈。

「!?」

 息が詰まる。

 一瞬何が起こったかわからず、しかし呼吸ができないことで苦しみもがく。

 が、命奈はまるで起きる気配もなく寝言をつぶやき続ける。

「んむぅーおじぃちゃぁーん……ありがとぉー……」

 奏多はやがて眠りに落ちるように気を失った。




「命奈さん、あなたはなぜ私の布団に潜り込んでいたのでしょう?」

 朝日の差し込むリビング。少しやつれた表情で問う奏多。

「寝ている間は危険なのデス! 無意識のうちに魂が体から抜け出て行っちゃうデス、今そうなったら元の体に帰って来れない可能性大なのデス!」

 パジャマ姿のままオーバーなアクションを交えつつ熱弁する命奈。

「デスから、ワタシがすぐ近くでしっかりと楔の役割をしないといけないデス!」

「なるほど理由は分かった。だがおかげで物理的に死ぬところだったぞ」

「そんな! 殺したくなんてなかったのに!」

「元々殺す気満々で接触してきたやつが何を言うか」

 非難する奏多の言葉を遮るように、彼自身の体から音が響く。

「……う」

 腹部を押さえて短く呻く奏多。

(……腹痛ぇ)

 奏多の内臓が悲鳴を上げていた。

(絶対あの牛乳のせいだろ、これ……)

 昨日一口飲んで傷んでそうな気がしたので就寝前に捨てようとしたところ、「食べ物を粗末にしちゃいけないデス!」と強制的に飲まされてしまった、長時間常温放置された牛乳。

 すっかり暖かくなってきた春の陽気に、どうやらしっかりと傷められていたようだった。

 容赦のない攻めが奏多の消化器系を襲う。

(くそがぁ!!)

 駆け出す。

 目指す場所はただ一つ。


「あぁぁーー……」

 げっそりとした顔でトイレから出てくる奏多。

「……奏多サン、死にそうな顔してるデス」

「誰のせいだと思ってるんだ」

 リビングから顔を覗かせる命奈を力なく非難する。

(思えば昨日からこいつのせいで、少なくとも3回は死にかけた)

 魂を狩られ、窒息させられかけ、そして今この超絶腹痛である。

(というか1回実質死んだ)

 恨み言の一つぐらい浴びせないと気が済まない。

「……お前ほんと、すごく死神してるよマジで」

「え? ……いやぁそれほどでもぉ」

 しかし めいなには こうかがないようだ……

「褒めてねぇよ」

 嬉しそうに身を捩る命奈を見て皮肉を諦め、大きく溜息を吐き出す。

「あ」

 そのままリビングに戻り、ふと壁に掛けてあるカレンダーを見て、彼は一つ思い出した。

「図書室で借りてた本返さないと、たしか今日返却期限だ」

「学校に行くんデス!?」

 すると命奈が目を輝かせて叫ぶ。

「じゃあワタシも行くデス!」

「なんでだよ」

 にべもない奏多の態度に頬を膨らませる命奈。

「むぅ……別にいいじゃないデスかー、減るもんじゃないデスし」

「俺の精神がすり減る」

 救急箱から取り出した下痢止めを飲みながら言う奏多。

「むー、それは困るデス」

 奏多の言に眉根を下げる命奈。

「精神はそれすなわち魂の根幹を成すものデス。それを無為に損耗するのは、今の奏多サンにはおすすめできないデス」

「よし、じゃあお前は留守番で決まりだな」

 表情と言葉から安心したように言う奏多だったが、しかし。

「なんてね、そんなこともあろうかと――」

 言いつつ、どこからか人魂のような揺らめくモノを取り出す。

「奏多サン! 新しい魂よ!」

 そしてそれを遠投するように大きく振りかぶる命奈。

「おい、まさかそれ――」

「狩っておいたデス!」

 命奈の返答を聞いた奏多の表情が、彼の史上最大級に真剣なものになる。

「馬鹿野郎!! なんでこんなことした! 言え!!」

「ど、どうしましたデス?」

 命奈の肩を掴み、凄む奏多。

「お前……誰だ、誰を殺した!」

「? 人間のじゃないデスよ?」

 命奈はキョトンとしながら答える。

「だから安心して使うがよいデス!」

「……人間のじゃないならなんなんだ?」

 奏多が素朴な疑問を口にすると、ただちに答えが返ってきた。

「蛾とか蝿とか」

「それはそれでなんかやだ」

 彼は食い気味に即答する。

「一寸の虫にも五分の魂デス! 好き嫌いばかり言ってると将来ビッグになれないデスよ?」

「ならなくていいから却下」

「むぅ」

 不満そうにしながらも魂をどこかへとしまう命奈。

「せっかくこれで精神的ダメージが多い日も安心だったのに……」

「よけいなお世話だ」

 一言短く斬り捨て奏多は自分の部屋に入った。

『それでは今日のお天気です』


 制服に着替えて部屋から出てくる奏多。

『ごめんなさい! 今日の12位はさそり座のあなた!』

 昨日と同様に全身真っ黒の出で立ちでソファに座って、一心にテレビを見つめる命奈。彼女もいつのまにか着替えていた。

「ほほぉ……さそり座……」

 テレビから聞こえてくるのは星座占い。

 そう真面目に見るものでもなさそうだが、なぜか命奈の表情は真剣そのものだった。

『今日は何をやってもうまくいかない日。焦って取り返そうとすると余計に空回りしちゃうかも! 集中力も下がっているみたいです。思いがけないミスや事故に要注意!』

「ふむぅ……なるほどなるほど……」

(マジでろくなことがねぇな……)

 ネクタイを締めながら、奏多は溜息を一つ。

 ちなみに奏多の誕生日は11月1日。見事に本日の12位さそり座だった。

「じゃあ行ってくるからな、勝手なことすんなよ」

『ラッキーアイテムはドクロのアクセサリー!』

「あ、奏多サン待って下さいデス!」

 出発前に一応声をかけると、忠犬のように後をついてくる命奈。

「うっさい、ついてくんな大人しくしてろ」

『それでは、今日も元気にいってらっしゃい!』

 テレビの電源を切り、奏多はリビングを出た。




 15分ほど歩いて目的地に到着する。

 近くの裏門から敷地内へ入り、グラウンドを横切り校舎を目指す。

 春休みということもあってか、運動部の部活動などもほとんど行われていないようだ。校内は静まり返っている。

「ここが奏多サンの学校デスか? ほほぉー」

 奏多の背後で興味深げに辺りを見回す命奈。

 奏多は振り向いて言う。

「…………なんで結局ついて来たし」

「だってひm……」

 いじけたように言いかけて、慌てて真面目に言い直す。

「……ほら、奏多サンの魂がポロリしないように見守るのもワタシの仕事デスし」

「ポロリってなんだ、俺の魂は猥褻物か」

 呆れたように続ける奏多。

「……つーか今、暇だからって言いかけたよな?」

「いいえそんな事は決して、滅相もないデス」

 至極真剣な表情で言う命奈に対し、溜息をつく。

「……まあいいか。とりあえずあんまりうろちょろすんなよ」

 それだけ言うと正面に向き直った。

「おお? あれはなんデス?」

 そんな彼をよそに、命奈は忠告を全く聞いていなかったのか、そう言いつつ走り去る。

「言ったそばからてめえは!」

 再度振り向く奏多。

 その視界に、命奈はもうほとんど識別できない程度の大きさでしか映らなかった。

「って早っ!? あいつ足早いな!」

 追いかけるのを諦め、その場から声を投げかける。

「ああもう、本返してくるから勝手にどっか行くんじゃねーぞ!」

 ちゃんと命奈が聞こえていた確証はないが、奏多はひとまず放っておくことにした。


 その後、図書室で無事本を返却した奏多だったが。

 今、彼はただ立ち尽くしていた。

「……あいつは一体どこ行ったんだ」

 命奈が走り去ったグラウンドで一人つぶやく。

「もう先に帰っとくかな……」


 同じ頃。

 奏多の姿を中空から見下ろす少女が一人。

「……目標確認」

 静かに一言発し、そっと右手を奏多の立つ地上へと向ける。

 すると少女の周囲を舞う無数の小さな光球が一点に集中し、少女の右手に添うように弓と矢の形を取る。

 それが限界まで引き絞られたのと同時に、再び静かに発する。

「行動開始」


「……もういい帰る」

 奏多は命奈との合流を諦め、その場を後にしようと歩き始めた。

 その直後、その身に強い風圧と振動を感じる。

 背後、先ほどまで自分のいた場所に、何かが高速で落下してきたようなそんな衝撃。

 言い知れぬ不安を感じつつも、その場で振り向く奏多。

 そこには光を放つ、というよりも光がそのまま形を成したかのような細い棒状の物が直立していた。

「……! 何だこれは――」

「あら、躱されるとは思わなかったわ」

 少女の声。

 どこか小馬鹿にしたような、冷たい雰囲気を感じる声音。

 それがほぼ真上から聞こえた。

「――誰だ!?」


 見上げた奏多の視線の先。

 そこにいたのは小柄な少女。

 一点の穢れもない白い翼を軽くはためかせつつ、光を纏って奏多の前に降り立つ。

 丈の長い真っ白なワンピースに、足元をあまり覆っていないサンダルのような履物。

 上質な絹のように美しく白銀に輝く長髪を、さも価値がないもののように顔の前から手で雑に払いのけ。

 エメラルドのような深緑の瞳に挑発的な微笑みをたたえて、まっすぐに奏多を見据える。

 まさしく近代西洋画に描かれた天使だと、その見目麗しい姿はそれ以外に表現のしようがなかった。

 いや、おそらくは本当に“天使”と呼ばれる存在なのだろう。昨日“死神”と出会ったばかりの奏多はそう感じる他なかった。

「お前は……一体、なんなんだよ……!」

 確信を抱きつつも奏多は問う。

「私にそれを説明する義務はないわ。大人しく浄化されなさい、穢れし魂よ」

 尊大に平らな胸を張りながら、やはり小馬鹿にしたような調子で質問をはねのける。

「……浄化ってのは何だ、死ねってことか?」

 その様子に半ば答えを期待せずに、次の疑問を投げかける。

 しかしそれに対してははっきりと、表情を崩さずに少女は言い放つ。

「まあ、簡単に言えばそういうことね」

 彼女の目的だけは明確になった。

 目の前の天使と思しき少女は、浄化と称して自分を殺しに来たのだ、と。

「とりあえず物分りは良いようで安心したわ。さて、と」

 冷や汗が背を伝う感覚をはっきりと感じる奏多。

(これは……やばいよな)

 そんな緊迫した空気を唐突に切り裂く、イマイチ緊張感のない音。

「……う」

「?」

 だが音を発した当人は、かなりのピンチだった。

(あーやばいこれ……命の前に人としての尊厳を失いかねない……!)

 滝のように冷や汗を流しながら奏多は叫ぶ。

「――くそっ、ふざけんなぁー!」

 そして全力で走り去っていった。

「……あ、逃げた」

 残された少女は頭を掻きながら吐き捨てた。

「ビビッて立ち竦んでくれてれば楽だったのに……はぁ、めんどくさー」


 先ほど奏多が少女と邂逅したグラウンド、その隅から校舎の陰に少し入ったあたり。

「あぁぁーー……」

 学校のプールに併設されたトイレ。

 げっそりとした顔で個室から出てくる奏多。手を洗いつつ呻く。

 その後フラフラした足取りで外に出る。

「――あぁぶねぇ……」

 壁に手をつき、腹をさする奏多。

 そこに鋭く空を切る音が鳴る。

 奏多の目前に、文字通り一筋の光が差し込まれた。

「いっ!?」

「穢れた魂らしく、穢れた水場に現れたわね」

 グラウンドの側、やや離れた位置から先ほどの少女がやはり挑発的に言う。

「魂も一緒に出してくれれば、回収するだけで済んで楽だったんだけど」

「ただし魂は尻から出るってか……ハッ、冗談じゃねぇよ」

 なおも痛む下腹部を押さえながらも力強く返す奏多。

「せっかく生き返れたってのに、易々と殺されてたまるかっての……!」

「……死にそうな顔をして粋がってても、あまり凄味がないわね」

 彼の精一杯の強がりを心底呆れた表情と声音で一蹴する少女。そのまま手を前にかざし光を集中させる。

「まあいいわ、さっさと浄化されてくれる?」

 言葉が終わると同時に再び矢が放たれる。

 寸分違わず奏多の顔へと目がけ飛来する矢。

 しかし、それは奏多まで届くことなく弾き消された。

 彼の前を塞ぐように音もなく降ってきたのは、長い柄のついた黒光りする刃。

「――奏多サンに何をするつもりデス」

 後方から声がする。怒りのこもった冷たい声に、聞き覚えのある言い回し。

 声のする方へ振り向く奏多。

 プールの外周を囲むフェンスの上に見覚えのある影が立つ。それはやはり命奈だった。

「……命奈、お前いつの間に――」

「死神……? 何、もう憑りついてるの? うっわ、めんどくさー」

 その姿に苦々しげな表情を見せた少女。対して命奈は変わらず強い口調で続ける。

「質問に答えるデス。奏多サンに何をするつもりデス」

「何って浄化に決まってるでしょ」

 嘲笑うように表情を緩めながらも、内心穏やかではなさそうな少女。

「……ったく、面倒だから仕事の邪魔しないでくれる?」

「こっちだって仕事デス、譲らないデス」

 フェンスから飛び降り、奏多の隣に着地しつつ言う命奈。

「いやいや、殺してナンボの死神がこんなところで魂お散歩させて、どこが仕事なワケ?」

「殺すだけが死神の仕事じゃないデスよ、わかってないデスね……いいデス――」

 奏多の前に突き刺さった黒光りする刃――鎌を地面から引き抜き、持ち直しつつ吼える。

「まずはそのフザケた幻想をぶち殺すデス!」

(幻想は殺すんだな……)

 奏多がやや間の抜けた感想を抱く隙にも、両者の間に殺伐とした空気が満ちていく。

「……あーもうめんどくさい、帰ったら追加で報酬請求しないと」

「――無事帰れたらの話デスけどね」

 表情からも敵意が明らかな命奈とは対照的に、不敵に微笑んだままの少女。

 かすかに風が吹く音だけが辺りを満たしていった。




 先に静寂を破ったのは命奈。右手に鎌を携え、姿勢を低くして真っ直ぐに駆け出す。

 対する少女は余裕の表情のまま右手を前へかざす。

 周囲に舞う光が次々に収束して矢を成し、即座に一つ、二つ、三つと放たれる。

 地を這うように走る命奈に向けて、やや高い位置から放たれた矢が迫る。

 それを変わらず前進しつつ、事もなげに躱す。地に穿たれる矢。

 だんだんと二人の距離が縮む。命奈の得物3つ分といったところか。


 跳躍。

 距離を詰めつつ、大きく振りかぶり横一閃。狙うは少女の首元。

 正確に急所目がけて振りぬかれる一撃。

 がしかし、命奈の鎌は空を切った。少女は足を屈めて身を躱していた。

 手応えの無さで躱されたのを覚ったか、命奈は次の一撃を繰り出す。

 一閃の勢いを殺さぬまま片足で着地、そのまま再度踏み切る。

 身体を捻り一回転。

 空中で鎌を左手に持ち直し、角度を変えて再びの横一閃。

 少女が飛び退く。先ほどまで少女の足があった位置を鎌が薙ぎ払う。


 翼を軽くはためかせて距離を取りつつ、お返しとばかりに矢を放つ少女。

 命奈の眼前に迫る矢、それを首を逸らして直撃を避ける。

 黒髪が数本、はらりと宙に舞う。

 対し命奈も着地しつつ翼を展開する。

 マントの上から、両肩辺りの空間が歪む。

 そこから現れたのは、鴉のそれを思わせる漆黒の翼。

 ひとつ羽ばたき急加速。滑空するように地面すれすれを飛び、瞬く間に少女へと追いすがる。

 そのまま両手で構えた得物を袈裟懸けに振りぬく。

 が、そこにはすでに少女の姿はなかった。


 命奈の攻撃が届くよりもわずかに早く、少女は垂直に中空へと飛び立つ。

 命奈のほぼ真上、宙に浮いたまま両手を広げる。

 少女を囲むように多数の光の弓が形成される。そのすべてが真下に向けられている。

 手を振り下ろす。立ち止まり見上げた命奈に向けてまず一射。

 再び低空を飛び避ける命奈。その先に目がけて次々に矢が迫る。

 その全てをことごとく躱しつつ、命奈は鎌を空に向かって放り投げた。

 少女の顔が一瞬だけ驚愕の色に染まる。


 金属でガラスを叩いたような、高く澄んだ音がグラウンドに響く。

 音とほぼ同時に、絶えず降り注いでいた矢の雨が収まる。

 少女は周囲の弓を構成していた光を壁に成形し直し、命奈の投げた鎌を目前で受け止めていた。

 その一瞬のうちに空を舞い、背後を取る命奈。

 対して一瞥し、振り向きつつ手を横に薙ぐ少女。その動きに合わせて僅かな光を束ね剣を成す。

 命奈の喉元に迫る光の刃。それを上体を反らし寸前で避ける。

 そのままサマーソルト。少女に向けて勢いよく蹴り上げる。

 後退しようとするも自らの作り出した壁に阻まれる少女。

 苦々しげに舌打ちし急降下する。命奈のつま先が少女の翼を掠めた。

 それと同時に光の壁が端から崩れ、散り散りに少女の元へと戻っていく。


 自由落下を始めた鎌を空中で拾い、光よりも早く少女を追う命奈。

 着地した少女に対し、上から振り下ろす。

 手元に追従した少量の光で薄く壁を形成する少女。すんでのところでかろうじて受け止める。

「こう近づけばその矢は使えまいデス!」

 息巻く命奈に対し、まだ余裕を窺わせつつ返す少女。

「……それはどうかしら?」

 中空で壁を成していた光の一部が少女の元に向かわず、少女達からやや離れた位置、命奈の背後に集まり弓を成す。

 そのまま狙いをつけ、矢を放った。

 殺気を感じ取ったか、身を翻す命奈。

 鎌を掴んだまま体操競技のように逆立ち、からの跳躍。矢を躱しつつ宙返りをし、そのまま鎌目がけて踵落とし。

 衝撃で光の壁に亀裂が入る。

「……なんとも器用なことね」

 口では称賛とも取れることを言いながらも、その実うんざりしたような表情の少女。

「それはそうと、こっちばっかり見てて大丈夫?」

 しかしそれもわずかな間、やはり不敵に微笑み言う。

「――ペットの管理がお留守じゃない?」

 再度手を繰り矢を放つ。

 今度は奏多に向けて。

「!!」




 呆然とその場に立ち尽くし、見つめるだけの奏多。

(なんだこの展開……バトル漫画の時空なのかな……?)

「奏多サン!」

 呼ばれ、我に返る。

 数条の光を背に、高速で飛び込んでくる命奈。

 片手を伸ばし、そのまま奏多と接触する。

 衝撃で肺の中の空気を盛大に吹き出す奏多を気に留める様子もなく、抱きとめる。

 そのまま空中で水泳のようにターン。奏多の立っていた背後、トイレの外壁を蹴り飛ぶ。

 直後壁に数本の矢が刺さる。

 奏多を抱えたまま少女目掛け突撃する命奈。


「――ちょおま、待っ、どわああぁぁ!」

 奏多はされるがままの状態で悲鳴を上げる。

 対して少女は攻撃の手を緩めない。

 複数の弓を次は横に大きく展開。迫る命奈の前方120度ほどから一斉射撃。

 その様子を見て一度着地する命奈。

 土煙を上げながら軽く減速しつつ、地面を蹴る。

 体を横向きにして回転しつつ矢を飛び越え、そのまま少女の上方から縦に一閃。

 衝撃。

「……片手で勝てるとでも? あんまりナメないでほしいわね」

 片手を掲げた先に壁を成形しつつ、逆の手で指を鳴らす。

 すると先ほど回避した矢が急旋回し、再度命奈目掛けて飛来する。

 土煙を突き抜け、迫る多数の矢。

「逃がさない」

 少女が酷薄な笑みを浮かべて告げると、命奈と奏多を包むように光の壁が急速に薄く広がる。

 壁が二人を中心に半球を形作ろうかというところで、命奈は高速で飛び立つ。

 その後を矢が追尾する。


 追尾を振り切ろうと、急角度で方向転換しながら飛翔する。

 しばらくそうした後急降下して着地、一瞬間をおいてから低空飛行。

 数本の矢が地に刺さり動きを止める。が、残りはそのまま追尾を続ける。

「やば……お、追いつかれ……」

 奏多が半分伸びながらも知らせる。

 速度を保ったまま見返る命奈。そのまま鎌を一振り。

 間近に迫っていた矢を両断。切り裂かれた矢が光の粒に戻る。

 向き直り、さらに加速しようとする命奈。

 その前方に、唐突に少女が飛び込んでくる。

 手元に光を集中させ、鋭く突きを放つ。

 咄嗟に体を捻り躱そうとするも間に合わず、光が命奈の片羽を貫いた。

 短く呻く命奈。

「命奈! ……って、ちょっ、おい待っ、落ち――」

 失速し墜落、その場に倒れ伏す二人。


 奏多の悲鳴が響く。

「――ってぇ!」

 地面を滑った痛みでのたうち回る。

「……お荷物を抱えながらにしては、頑張った方かしら?」

 着地した少女が二人の元に歩み寄りながら、見下したように言う。

「つぅ……! 命奈、お前大丈夫か!?」

 上体を起こして呼びかける奏多。

「ぅ……この、程度……何てことは……ない、デス……」

 奏多の問いかけに苦悶の表情を浮かべつつも、気丈に返す命奈。

「負けられないんデス……おじいちゃんの名に懸けて……」

「どこの探偵だよ!?」

 命奈の言葉にふと少女が反応し、足を止める。

「おじいちゃん? ……ああ、覇帝主(はです)の孫ってあなたなのね」

 腑に落ちたと言わんばかりに一人にやける少女。そこに奏多が激しく食いつく。

「……あの骨そんな攻めた名前なの!?」

「ええ、そうよ。――篠神覇帝主。現冥府の王にして最高峰の死神」

 対して少女は平板に返す。

「……しかしそんな存在と、まさか顔見知りだなんて、ね……恐れ入るわ。七生奏多」

 が、やがてまた心底馬鹿にしたような声音に変わる。

「“冥王”の顔見知りが普通の人間してるなんて、全く持って信じられないわね」

 やれやれといったように肩を竦めつつ言う。

「まあ理由はどうあれ、冥府に一度堕ちた以上は死者。……死者は死者らしくしておきなさい。それが世の理というものよ」

 突き放すように冷たい言葉を続け、再び二人の元に歩を進める少女。その言葉に奏多はやや表情を陰らせる。

 それまで静かに聞いていた命奈だったが、歯を食いしばり立ち上がろうとする。

「――させない、デス……!」

「……だから、ちょっと大人しくしてなさいっての。めんどくさい」

 少し語気を強めつつ、少女が宙に輪を数回描くように人差し指を動かす。

 すると光が命奈の足元と胸元に集まって帯状になり、両足首、両腕と胴体をきつく縛り上げ拘束する。

「――っ!」

「命奈!?」

 それにより再度地に伏してもがく命奈を見て、奏多は思考を巡らせる。


(なにやってんだよ……こいつは……)

 彼女を責めたいわけではない。ただ疑問だった。

 彼女はなぜそこまで懸命になれるのか?

(ただ俺を生かすために、そんなボロボロになるまで……必死になってどうすんだよ……)

 やるせなさが心を満たしていく。

(なにやってんだよ……俺は……)

 次いで自らを顧みる。

(こいつがボロボロにされるのを見てるだけって……それでいいのかよ俺は……!?)

 何もせず、できず、ただ見ているだけの己の無力さに、自責の念が芽生える。

 目を閉じて、一つ深く呼吸をする奏多。

 少しずつ感情が、思考が整理されていく。知らず早鐘を叩いていた鼓動も落ち着いていく。


 その内に少女が手の届く距離まで近づく。

「おい天使」

 意を決して口を開き、はっきりと短く呼びかける奏多。

 歩みを止める少女。

「――俺が浄化とやらをされれば良いんだな?」

「? 奏多、サン……!?」

「ええ、そうね」

 奏多の言葉に真逆の反応を示す両者。

「そうしてくれれば、私もさっさと帰ってゆっくりできるし、ありがたい限りだわ」

 服を払いながら立ち上がった奏多を見上げて言う少女。

「大人しく浄化される気になった、ということかしら?」

「死者は死者らしく……か。ごもっともだな」

 はっきりと返答せず、しかし抵抗の意思は見せない奏多。

「……そう」

 その様子を見て、満足気に短く返す少女。

 奏多は命奈へと振り返った。

「悪りーな、命奈。……そういうこった。修業はよそでやってくれ」

「そんなの……ダメ、デス……!」

 命奈はなおも必死に拘束を解こうとする。

「たった一日だったけど……まあ、悪くはなかったぜ、ありがとな」

 力なく笑う奏多。

(元はと言えばこいつのせいだし、礼を言うのもおかしな気はするが……)

「奏多サン――!」

 命奈の悲痛な呼びかけを振り切るように、少女へと向き直る。

「最初からそうやって、大人しく従ってくれれば楽だったんだけど……」

 呆れ顔で言う少女。

「まったくもって往生際が悪いわね、あなた」

「そうかもな、それ昨日も言われたよ」

 奏多も同じく呆れ顔で返す。

「……言い残したことがあるなら、聞いてあげなくもないけれど?」

 せめてもの慈悲とでも言いたげな少女の言を鼻で笑って返す。

「ありすぎて何を言ったら良いかわかんねーよ」

「そう……ではさようなら、あなたに神の祝福を」

 奏多の返事を気に留めるでもなく、どこか事務的にも聞こえる祝詞を述べる。

 奏多の眉間に向けて、洗礼でもするかのように少女の右手がかざされる。

 少女の傍らで弓が引き絞られる。

(しっかしこんなことになるならせめて、最後の晩餐ってやつぐらいはもっと良いモン食いたかったかな――)

 内心そんな呆けたことを考えながら、奏多は観念したように静かに目を瞑った。




「――下がりなさい」

 ともすれば聞き逃しそうなほど静かに、だがその場の何者にも有無を言わさぬだけの力強さで、厳かな声がした。

 気が付くと奏多の背後に女性が立っていた。

 少女と同様の真っ白な衣服に銀髪翠眼、美しい目鼻立ちに叱責するような厳しい表情を浮かべている。

「……な、なんで――」

 少女の表情から先ほどまでの余裕が完全に消え失せる。

「命令です。下がりなさい」

 発言を制して繰り返す女性。

「ちょ、話が違――」

「今改めて審議中です。結果がでるまで待て、と連絡はしたはずですが?」

 少女が何か訴えようとするも、やはり取り合おうともしない。

「どうせ確認していなかったのでしょう、全く」

 溜息交じりに断じる。それに対し少女は見るからに不満げにしている。

(……てめーが命令するから来たってのに、はーマジこのB――)

「――聞こえていますよ?」

 口を尖らせる少女を見て、眉根を寄せる女性。

「うえぇ!? な、何が!?」

 どもる少女を厳しく咎める。

「今、目上の女性に対して大変失礼な呼称を使いましたね?」

「いいえ事実無根ですお母様」

「……お、お母様?」

 少女の言に奏多が素っ頓狂な声を上げる。

「――七生奏多」

 気にした風もなく、奏多に背後から呼びかける。

「は、はい……?」

「あなたは人の身でありながら、一度冥府に堕ちたのちに、今もこうして現世にて受肉している――これが何を意味するか分かりますか?」

 やはり厳しく咎めるようなきつい口調に、軽く萎縮しながらも素直に応じる。

「え、ええ? まあ……なんとなく?」

 奏多の返答に眉をひそめる。

「……なんとなく?」

「いやあのごめんなさいよくわかりませんでも死にたくないです」

 さらに強まる語気にひたすらうろたえる奏多。

「……嘘は言っていないようですね」

 その様子を見て、ほんの僅かにだけ態度を和らげる。

「……あなた自身の異能によるものではない、ということは理解できました。ひとまずはそれで充分です」

 拘束され地に伏せている命奈を一瞥して続ける。

「どうやら“冥王”も一枚噛んでいるようですし、こちらとしてもあまり事を大きくしたくはありません」

 ここで一度言葉を区切り、しかと言い聞かせるように強調する。

「ですが、これはあくまで一時的な処分。主の御心に変化があれば、また対応を変えさせていただきますので、そのおつもりで」

 一方的にそれだけ告げると、降り注ぐ光に包まれながら天へと昇っていく。

「……行きますよ」

 呼びかけられ、その後を気が重そうに追う少女。

 奏多が軽く見上げるとその位置で振り返った。

「命拾いしたわね、七生奏多」

 やはり挑発的に言う彼女に、奏多も応酬する。

「……その拾った命は、あとどのくらい謳歌していいんだ?」

「それは私に聞かれてもわからないわ」

 わかりきったことを聞くな、とでも言いたげに答える少女。

 直後何かを思いついたようにイタズラっぽい笑みを浮かべ、一拍置いてから言い直す。

「そうね、神のみぞ知る……とでも言っておきましょうか」

 うまいこと言ってやった、と少女のドヤ顔には書かれていた。

(……うっぜぇ)

 口に出しそうになるのを堪える奏多。

「では、またいずれ」

「なるべくもう会いたくねーよ」

 少女は奏多の言葉を鼻で笑うと、背を向けた。そのまま羽ばたきながら天高く昇っていき、やがて完全に姿が見えなくなった。


「ふー、一時はどうなるかと思ったデス」

 口ではそう言いながら、何事もなさそうに突っ立った命奈に奏多が駆け寄る。

「命奈? ……お前大丈夫か!?」

「大丈夫って何がデス?」

「いや、だってお前、なんかすげーボロボロにされて――」

 改めて命奈を見やる。

「む?」

「なんともなさそうだな。あれ?」

 不思議なことに、彼女には傷一つついていなかった。

「多分あの上位の天使が治して帰ったデス!」

 言われて自らも傷はおろか、服に汚れの一つも付いていないことに気づく。心なしか腹痛も治まったような気がする。

(すげぇな天使って……)

 素直に感心する奏多。

「……もしかして奏多サン、ワタシのこと心配したデス!?」

 そんな彼に、目をキラキラさせながらすり寄る命奈。

 彼女の態度に自分の言動を思い返し、少しばかり居たたまれなさを感じる。

 心配したのは確かだが素直にうなずくのも小恥ずかしいので、心配して損したという体でつぶやく。

「……うっぜぇ」

「むぅ、ひどくないデスか!?」

 頬を膨らませる命奈を無視するように、少し足早に帰路に就く奏多だった。




「ただいまデス!」

「……ただいま」

 二人揃って玄関を上がり、リビングに入る。

「そういや窓も修理業者呼ばないと――」

 奏多はふと思い出し、ガムテープで一時的に固定しただけの窓を見て確認するようにつぶやく。

 すると窓は一応閉まっているはずなのに、カーテンが風にはためく様子が見えた。

 つまり。

「……外されてるんですけどぉ?」

 窓は何者かによって固定が解かれ、壁に立てかけられていた。

(まさか、泥棒……!?)

 リビング内、特に貴重品の置いてある場所をその場から注視する。

(荒らされてはなさそうだけど……)

 粗方視認したところで、奏多の部屋の扉が開く。

 身構える奏多。

「そうだ、ここに教会を建てよう」

 そこから姿を現したのは、先ほど学校で襲いかかってきた少女だった。

「……何してんの?」

「あら、随分遅かったわね」

 二人を一瞥し、我が物顔でのたまう少女。

「七生奏多、あなたに良いお知らせがあるわ」

 やはりどこか挑発的な笑顔を浮かべながら。

「天界での再審議の結果、正式に七生奏多、あなたの魂は一時観察処分と相成ったわ」

 返事も待たず一方的に告げる。

「そして私が観察責任者として任命されたわ。……そうね、天道(てんどう)シエル、とでも呼んでちょうだい」

 少しだけ、とげが抜けたようにも見える微笑みを浮かべて名乗る少女。

「というわけなんでよろしく」

「いや、よろしくない」

 一応は友好的な挨拶に即答する奏多を、シエルは怪訝そうに見る。

「なにがよろしくないのかしら、説明を求めるわ」

「なにもかもだ」

 説明するまでもない、と言わんばかりの態度で返す奏多。

「いきなり襲って来ておいて、よろしくもクソもないだろうが」

「そうね、それは申し訳なかったわ」

 やけに素直なシエルの態度に若干面食らいつつも聞く。

「……で、観察ってのは何だ、何をどうするつもりなんだ?」

「ナニをどうにかするつもりはないけど?」

 真面目に聞く奏多に対し、ゲスっぽい笑顔で言うシエル。

「そういう意味じゃねーよ」

「わかってるわよ、何期待してるのよ」

 勝手な解釈を垂れ流すシエルに溜息をつく奏多。

「観察は観察よ。あなたが本当に無害かどうか四六時中確認させてもらうわ」

 それを見てようやく真面目に答えるシエル。

「そういうことだから、この部屋借りるわよ」

 当たり前のように奏多の部屋を指さして言う。

「ちょっとまて、なんでしれっと人ん家に転がり込もうとしてるんだ」

「そうデス! いきなりすぎデス!」

「お前が言うな黙ってろ」

 背後からの同調圧力をバッサリ切り捨てる奏多に対し、あっけらかんと答えるシエル。

「こまけぇこたぁいいじゃない」

「いや、よろしくない」

 やはり即答する奏多を、困り顔で溜息交じりに見つめる。

「はぁ……こんな美少女と同棲できるというのに、何が不満なのかしら?」

 清々しいまでの自己陶酔っぷりを見せたかと思えば、薄ら笑いを浮かべる。

「……あなた、もしかしてコレ?」

 指を揃えたまま開いた右手の甲を左頬に寄せながら聞く。

「違ぇよ!」

 最近あまり見かけないが、それが何を意味するかは一応知っていたので、全力で否定する奏多。


 奏多はそこでようやく、彼女が何かよく見知った物を持っていることに気づく。

 それは奏多の携帯ゲーム機だった。

「……ってそれ俺のDNじゃねーか、何勝手に遊んでんだ」

 言われて、ふと思い出したように持ち直し、画面に視線を落とすシエル。

「ああ、これ? 結構おもしろいわね、これ」

「感想を求めてるんじゃない、何を勝手に遊んでいるんだ」

 悪びれもしていないシエルに、繰り返して言う奏多。

「……クリーチャーハンターとか最初に表示されたわね」

 小馬鹿にしたような顔ではぐらかすシエル。

「タイトル聞いてんじゃねーよ! 人のもんで勝手に遊ぶなっつってんだよ!」

 ついに奏多は声を荒げる。

「ケチくさいわね、減るもんじゃあるまいし」

「バッテリーは減るぞ」

 反抗的な態度のシエルに、ある意味当然のことを返す。

 するとやはり悪びれもせずにシエルは言い放った。

「電池がないなら充電すればいいじゃない」

「どこの強欲王妃だよ」

 シエルの態度に眉間を押さえて溜息をつく奏多。

「もう帰れよぉ……DN返せよぉ」

 対してシエルは穏やかな表情で、優しく言い聞かせるように語りかける。

「……あのね奏多、いい? 主のありがたいお言葉を説いたとされる聖典にも、こんな一節があるというわ……」

 まるで敬虔な修道女のように、深く目を閉じ手を重ね合わせて言う。

「お前のものは俺のもの、そして俺のものは俺のもの――と」

「いつからガキ大将は神になったんだ。“きれいな”どころの騒ぎじゃねーぞ」

 腑に落ちないという奏多を不満げに見据えつつ、のたまうシエル。

「まったく……天の使いの言葉を無下に扱うなんて、信仰心が足りないんじゃないかしら?」

(すげぇな天使って……)

 全く賞賛の意図がこもっていない感想を抱く奏多。

「まあとにかくそういうことだから、つべこべ言わず住まわせなさい。そして奉りなさい」

(むしろこいつ悪魔だろ……)


 そこで奏多は重大な事実に気づいた。

(……ちょっと待て)

 この物件は2LDK。居候が2人。個室は押さえられた。

 それが意味するところ。

「俺の部屋がねーじゃねーか……」

 思わず口から零れ落ちた事実。

 そう、家の主のはずなのに、ろくに居場所がなかったのである。

「……? あるじゃない、ここに」

 シエルは不思議そうな顔で下を指さす。

「むー、奏多サンのお部屋が一番広いデス」

 命奈もどこか不満そうに続く。

「ここはリビングだろーが!!」

 叫ぶ奏多に、なだめるような顔をしてシエルが口を開く。

「こまけぇこたぁ――」

「よくねーよ!」

 シエルが言い終わるよりも早く、強めに否定する。

 そのまま眉間を押さえて、その場にへたり込み唸る。

「マジかよぉー……」

 先行きに大きな不安を感じずにはいられない奏多であった。


2019/7/12 話タイトル明記・本文一部改訂

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