1話 転生しても俺だった件
飽田 雅治と名乗ったりします。
初投稿です。初めまして。
ボーイミーツガールから始まるテンション高めの学園ラブコメです。
パロディネタ成分マシマシなのでどこかから怒りの抗議文とか飛んでこないかビクビクしてます。
いかんせん処女作なので至らない部分も多いと思いますが、楽しんでもらえたら幸いです。
春。
出会いの季節。始まりの季節。
世間一般は割と忙しい時期でもあるみたいだが。
俺たち学生諸子にはあまり関係ない。
フワフワと浮かれた気分でまだ数日は過ごせる、春休み真っ只中。
そんな折。
「いやー活きのいい魂が獲れたデス!」
俺こと七生奏多16歳、高校2年男子は。
死んだ。
どうしてそんな事になったのか、というと。
『時刻は7時になりました。――のコーナーです。――アナお願いします。』
『はい、では早速本日のニュースをお伝えしていきましょう!今日は4月1日、本日から新年度ということで――』
朝の情報番組が賑やかさを増していく。
少し前から聞こえていた鳥のさえずりをかき消すように、辺りを行きかう車の走行音が多く、大きくなる。
そんな朝特有の喧騒を聞き流しながら、冷蔵庫を開けて間の抜けた声を上げる少年。
「……あ」
七生奏多、その人である。
「……牛乳ねーじゃん」
右手で頭を掻きながら、実に面倒そうに溜息をつく。
と同時に小気味良い音が鳴り、トースターからこんがりとよく焼けた食パンが顔を出す。
「マジかよぉー……」
情けない声を上げつつ冷蔵庫を閉め、つぶやく。
「しょうがない……買いに行くか」
リモコンの電源を押す。テレビがそれに応え画面を暗転させる。
少し静かになった室内でふと香り立つ焼き立てのトーストに目をやり、わずかに動きを止め考える。
「……まあ、置きっぱでいいか」
どうせすぐ帰ってくるし、と自分を納得させ彼は部屋を後にした。
しっかりと玄関に施錠し確認する。
小高い丘の頂上付近に建つ2LDKの一軒家。実家ではなく借家である。
――高校進学と同時に彼はここで一人暮らしを始めた。
中学時代にはすでに両親ともに多忙で家を留守にしがちだったため、元々そう大差ない生活であった。そのため彼にとってこの生活は、学校
の近くに居を構えるという、学生にとって大きなアドバンテージが手に入っただけだった。
ちなみに父親は現在長期海外出張中、母親も変わらず仕事の関係でよく留守にしているため、実家は空き家同然らしい。
「いらっしゃいませー」
入店を知らせるチャイムとともに店員があまり抑揚のない挨拶で迎える。
奏多の家から最寄りのコンビニにたどり着くには丘のふもとまで下りないといけないため、行きは楽だが帰りは辛い。出発前に彼の気が重か
った主な原因である。
とは言え、家の立地的にどこへ行くにしても付いてまわる問題ではあるのだが。
「お会計1点で、198円です」
ぼんやりと考えを巡らせながら目当てのものを購入する。
「2円お返しです。ありがとうございましたー」
店員の平坦気味な挨拶を背にコンビニを出る奏多。そのまま来た道を返し家路につく。
道すがらにある公園。就学したての児童と思しき少年数人が、有り余した元気をこれでもかとばかりにゴムボールに炸裂させている。
「はぁ……まったく、朝から元気なこった」
歩きながらなんとなく眺めていると公園の外、自分のもとにまっすぐボールが転がってきているのが見えた。一人の少年が後を追っている。
よっ、と軽くかけ声を上げながら転がってきたボールを少年に向けて緩やかに蹴り返す。
「ありがとーございまーす!」
やや舌足らずな調子で礼を言われ、照れくさそうにしながらも手をプラプラと振って応え、自然と止まっていた歩を再び進める。
勾配のきつめな坂道を見上げ、やれやれというように肩を竦めつつ。
「あー……しんど……」
発破をかけるというようなものでもないが、思わず口をついて出た一言。
それに呼応するように。
「いただきまーす、デス!」
聞き覚えのない少女の声が聞こえた。
そう思った次の瞬間。
奏多の体は力なくそこに崩れ落ち、ピクリともしなくなった。
――何か凄まじい衝撃を受けた気がする。気がするだけかもしれないが。
どことなく体に妙な浮遊感を感じる。地面に立っている感覚がまるでない。
とにかく何かがおかしい。状況を確認するために情報を整理することにする。
まずは視覚。
先ほどまでよりかなり視点が低くなったが、視界に映るものはさほど変わっていない。
今まさに帰ろうとしていた坂道。子供たちのはしゃいでいる公園。
ここまではいい。
1リットル入り紙パックの牛乳の入ったコンビニ袋。
それを持ったまま、止まるんじゃねえぞ……とか言いそうなポーズで地面に倒れて微動だにしない男。おそらく俺だろうと思われる。
……これは本来見えていてはいけないもののような気がする。
次に嗅覚。
まだ陽に暖められきっていない、澄んだ空気。その中で強く存在感を放つものを感じる。
……排気ガス。今は近くに車が走っていないためだいぶ薄いが、やはり肺にしかと吸い込んで気分のいいものではない。
それとは別に。あまり嗅いだ覚えがないもの。
それはそれは甘い香り。心地よい、もっと嗅いでいたくなるような。
本能に訴えかけるというのが正しいのかわからないが、とにかくいい匂いがした。
すぐ近くから。
そして聴覚。
朝の喧騒は相変わらずだが、それよりももっとはっきり近くで聞こえるものがある。
「いやー活きのいい魂が獲れたデス! やったデース!」
喜んでいる風な少女の声。語尾にやたらと“です”とつけているせいか、どことなく滑稽である。
その様子はまさに天真爛漫といった感じで、屈託のない笑顔を浮かべていそうな情景がありありと浮かぶ。
しかしながら“活きのいい魂”とかなんとか、日常会話であまり使われることのないワードが聞こえたのが不安で仕方ないのだが。
最後に触覚。
腰に巻きつくように何か柔らかいものが触れていることがわかる。
それと左肩の上に確かな質量を感じる。
これもまた、やたら柔らかい。
正体を確認するために、見えていてはいけなさそうなものから一時目を離しそちらを見る。
黒い球状のもの。それが二つ並んでいる。
視線を地面の側に向けてゆっくりと移動する。
球の端からまっすぐ下に続いていた黒が途切れ、代わりに現れた肌色が僅かに狭まっていくように曲線を描く。
中心辺りに窪みがあり、ちょうどその下辺りから再び広がり始めた曲線がまた黒に覆われ――。
そこまで観察して、ようやくそれが黒い服を纏った女体であることを理解する。
つまり。
これまでの情報を総合して解釈すると。
俺は見ず知らずの少女に魂を抜き取られ、それを小脇に抱えられていた。
要するに。
死んだ。
にわかには信じがたいが、そうとしか説明のしようがない。
何を言ってるかわからねーと思うが、俺も何をされたのかさっぱりだった――。
奏多が自分の中で結論を出し終える頃。
少女は満足気に帰路に就こうとしていた。垂直に跳ぶように膝を曲げながら、叫ぶ。
「それじゃあ、お持ち帰りぃ――」
「あの、すみません」
なるべく穏便に引き留める奏多。しっかりと目が合い少女の叫びが途切れる。
「――ぃぃぃ……む?」
少女の体も、その場で膝を伸ばしただけで動きが止まる。
「いったい何がどうなったんでしょうか、説明を求めます」
現状を招いた元凶と思しき相手に、丁重に状況確認を取る奏多。
「……? 説明と言われても……アナタは死にました」
対して少女は笑顔でキッパリと、さも当たり前のように奏多に言い切った。
死。
そのあまりにも絶望的で絶対的な現実を。
しかしどういう訳か、少女はまるで意に介さないどころかむしろ喜ばしそうに続ける。
「というわけで、これから冥府にご案内デス! 良かったデスね~」
そのアンバランスさにどこか眩暈を覚える。自然と口調も強まっていた。
「……良くねーよ。勝手に殺さないでもらえます?」
「む? 勝手に殺すな、と言われても困りますデス」
むしろ困るのはこっちなのだが、と言うよりも早く。
すがすがしいほどのドヤ顔で。
「ワタシはこれでも死神、殺すのは仕事のうちデス!」
荒い鼻息をひとつつきつつ、恥ずかしげもなく少女は言った。
対して奏多の反応はこれ以上ないほど淡泊だった。
「…………もしかしてあれか、痛い子か」
自称死神なんてまず間違いなくそれ以外ありえない、と。
「痛い子ってなんデスか!? 確実にディスったデスね!?」
初めて不機嫌そうな顔をする少女。
子猫か子犬でも抱えるように奏多を正面に抱き直し、そしてガクガクと揺する。
その体勢に気恥ずかしさを感じながらも、どうやら小馬鹿にされたのは理解できるようだ……、と呆れる奏多。
「あーはいはいわかったわかった、俺が悪かった」
「むぅ」
形だけの謝罪の言葉を口にしつつ、まだ眉根をつり上げたままの少女を改めて見やる奏多。
背格好からいえば同年代くらいのようだが、ぶつぶつと唸りながら口を尖らせる仕草も相まってやや幼く見える。
不機嫌のせいか少し細められた目には、魂すら吸い込まれそうなほどに深く黒い瞳。
肩まで伸びたしなやかな黒髪が朝日を反射して輝く。前髪をわけるヘアピン以外に飾り気はないが、飾りなど必要としない程に美しい。
その美しさとは対照的に、ピンのデザインは可愛げのあるデフォルメドクロなのがいかにも彼女を象徴するかのようだ。
瞳や髪とのコントラストが眩しい、健康的な白い肌。
鼻立ちも決して低くない。口元には時折白磁のごとき歯が覗く。
それはそれは、まごうことなき美少女であった。
そのまま視線を移すと見えてくる、マントのようなものを羽織った女性らしいほっそりとした首筋、肩。
窮屈そうに布に包まれながらも、まざまざと存在感を見せつける双丘。露わな鎖骨。
胸の上側が開けているため見下ろす格好の奏多には少々刺激的だった。
(何を舐めるように見つめてるんだ、俺は)
こんな状態でも、少女を少なからず異性だと意識して見てしまうことを自覚し自嘲する。
そしてそれをなるべく彼女に覚られぬように、努めてぶっきらぼうに。
「……んで、だ。死神さんよ」
「むー」
聞こうとしたが、少女はやはり不機嫌そうだった。
「死神さん、だと誰だかわかりづらいデスね」
「いや何言ってんだ、お前以外いないだろ」
「そんなことないデス、冥府にいっぱいいるデス」
どうやら痛い子は一人ではないらしい、などと思いながら言い直す。
「……ここにいるのはお前だけだろ」
「むぅ……」
頬を膨らませる少女。
「“お前”じゃなくて、ワタシにもちゃんと篠神命奈って名前があるデス!」
かと思えば今度は爛々と瞳を輝かせつつ、暗に名前で呼べと促してきた。
「はいはい……じゃあ篠神さんよ」
コロコロと表情を変える命奈の相手に若干の疲れを感じつつ、仕方なさげに呼び直す奏多。
が、“死神さん”と“篠神さん”では一文字しか変わらないことに気づき、大して違わねーじゃねーか、と内心毒づく。
「それじゃあ大して変わってないデス……」
対する命奈は萎れつつもはっきりと口に出していた。
「……いいからとりあえず、この状態恥ずかしいし下ろして」
「駄目デス」
なぜか明確に拒否される。
「なんで?」
「ちゃんと魂を狩って帰ると約束したデス! 逃げられたら大変デス!」
だんだん大きくなってきた眩暈を堪えつつ、奏多は再度説明を促す。
「あの……一般人でもちゃんと理解が追いつくように説明して?」
しかし返ってきた答えは変わらなかった。
「デスから、アナタは死にました。冥府にご案内デス。いえーい」
どころか、むしろノリがちょっと軽くなっていた。
「いえーい。ってだから嬉しくねーし、ちょっと待て」
「む? なんで嬉しくないデス?」
不思議そうに尋ねる命奈。
「そもそも死んで嬉しいって前提がおかしい。俺はこれから朝飯食うんだ、死ぬ気なんぞさらさらない」
「でも今さっき『あー……死のう……』って陰鬱極まりないことをつぶやいていたデス」
「言ってねーよ」
どんな耳してんだ、と言いかけてふと自分の発した言葉を思い起こす。
「……しんどいとは言ったと思うが、まさかそれか?」
「しんどい?」
聞くや、憑りつかれたように「しんどい」と繰り返す命奈。
やがて「しんどぉ……しんのぉ……しのぉ……死のう……」と答えにたどり着いた。
とんでもない聞き間違いである。
「しんどい! ああ、なるほど!」
「あのさぁ……」
合点がいったとばかりに感嘆の声を漏らす命奈に、奏多の眩暈がますます大きくなる。
「そもそも死ぬ前に牛乳買う奴がどこにいるんだよ?」
「ここに!」
ビシッと音が聞こえそうなほどに指をさす。
「だから俺は死ぬ気はねーつってんだろーが!」
「またまたご冗談を」
話にならない。彼はそう結論付け、事態を収束させようとした。
「とにかく! そっちの手違いだから、とりあえず一旦元に戻そう、話はそれからだ。な?」
だが命奈はまだ納得がいかないのか唸る。
「むー、いやでもそんなはず……ちゃんとレーダーもここで反応して――」
片手で奏多を抱きとめたまま、もう片方の手で背中のあたりをまさぐる。
しかしなかなか目当てのものが見つからないのか、身を捩りながら手をさらに伸ばす。
その拍子に互いの体が密着し、動転する奏多。かたや命奈は全く気にしていないのか動作を止める気配がない。
「――あったデス!」
彼女はしばらくして懐中時計のような、しかしそれにしては少しばかり大きい、拳大サイズの謎の物体を取り出し眼前に持ってきた。
奏多もそれを覗くと、中心から僅かにズレた位置に光が明滅していた。
「……あれぇ?」
明らかに不都合なものが見えました、としか聞こえない声を上げる命奈。
当然奏多の耳にもそれは届く。それと同時に思案する。
中心点を現在位置として見た場合、その方向に存在するもの。
どちらからともなく、そちらに目を向けて確認する。
「………………」
二人の視線の先、そこには一人の老爺が佇んでいた。
一言も発さずただ静かに立ちつくし、左手に杖を突き、右拳を妙に力強く天に向けて突き上げていた。
しばしそうしていたかと思うと、ゆっくりと拳を下ろしそのままベンチに腰かけた。
「……そろそろお迎えが来るかと思ったんじゃがのぉ……ほっほっ」
「………………」
二人そろって、もう一度視線をレーダーに移す。
変わらず明滅する光。
が、それは程なく表示されなくなり、以降再度明滅することはなかった。
「……まさか」
奏多の思考が一つの可能性に至ると同時に、何事もなかったかのようにレーダーをいずこかへしまう命奈。
「……ふ、ふんふふーん、さーてそろそろ冥府に帰ろっかなーデス」
「あの、ひとつ質問よろしいでしょうか」
微妙な空気が流れる中、沈黙を破る奏多。
「な、なんデス?」
「今あっちに一片の悔いもなさそうに拳を突き上げて、天に還ろうとしてる爺さんいたよね?」
指さしながら問う。質問というよりは、言質を取るための確認という調子だった。
「な、なんのことだかさっぱりデスね~?」
明らかに目線を泳がせ、尖らせた口から間の抜けた音をさせながらしきりに空気を吐き出す命奈。
「口笛吹けてねーぞ」
人差し指を眉間にめり込ませながら、先ほど辿り着いた思考を心底呆れた風に言葉にする。
「つまり、だ。俺はあっちの爺さんと取り違えられた……と」
「…………」
命奈はまるで時が止まったかのように、一切の動きを止め沈黙した。
「……おーい?」
「――あぁ、なるほどそういう考え方もできるかもしれないデスね!」
奏多が呼びかけるとまるで初めてその可能性に思い至ったという風に、早口でまくしたてながらわざとらしく大仰にうなずく。
「ワタシが人違いした、と……うんうん。なるほど、こいつぁうっかりデス!」
そして軽く握った拳をこれまた軽い調子で頭に当てつつ舌を出してウインクする。
対して奏多はことさら短く吐き捨てる。
「舐めてんのか」
凍る空気。
「……おかしいデス、これで大概の凡ミスは華麗にスルーされるはず」
「おい、こちとら瀬戸際なんだ、ただの凡ミスで済まそうとすんな」
「誰だってミスの一つくらいするデス! 大目に見るデス!」
ついに命奈は開き直る。
「おっそうだな。だが文字通り致命的なミスだ、許す道理はない」
「そんな……慈悲は無いんデスか!?」
責め立てる奏多に対し、泣きそうな顔をしつつ言う命奈。
「むしろ無慈悲なのはてめーだろーが!」
「む、確かに一理あるデス」
返す奏多の言葉を感心したように受けつつ、しかしやはり譲る気がないように続ける。
「けどどちらにしろ、一旦冥府には行かないといけないデス!」
「だから何でだよ!」
追及されると、叱られた幼子のように非常に言いにくそうにどもる命奈。
「いやあの、こう……デスね? バッサリと、きれいさっぱりこう……いっちゃったんで……ね? そのぉ……」
「……つまり?」
結論を催促する彼に、命奈はサムズアップしながら自信満々に言い放つ。
「つまり! この場でワタシ一人では修復不可能デス!」
「なるほど埒が明かないな。上を呼べ上を」
バッサリと切り捨てる奏多。
「上?」
逡巡した後、ハッとしたように口を開く命奈。
「……上は冥府にいますデス、さあ逝きましょう! レッツゴートゥギャザー!」
「頑なに俺を冥府送りにしようとするね、お前!? 絶対嫌だよ! 行かねーよ!」
両手でしっかりと腕を掴み直す命奈と振りほどこうとする奏多。
「こんな経験めったにできないデスよ!? むしろ運がいいデス、選ばれし存在デス!」
「どう考えても不運の極みだっつの! そんな言葉で騙されねーぞ!」
「……もうしょうがないデスねー」
どこまでも平行線が続きそうなやりとりを、命奈はワガママを言う子供をあやす時のように穏やかな表情で終わらせる。
「こうなったら実力行使デス」
が、裏腹に言葉は非情だった。
「まあそうつべこべ言わずに」
奏多の肩に手を置き、微笑みかけ、目をまっすぐに見据える。
「……いっぺん死んでみる? デス」
「だから嫌だっての! 助けてぇー、死にたくなーーーい!!」
直後奏多の意識は微睡むように遠のく。
彼のまさしく必死の訴えは誰の耳にも届かなかった。
次に奏多が気が付いた時。
その周囲は一筋の光さえも射さない暗闇だった。
どこが地面でどこが壁か、そもそもそんなもの存在するのかすらも全く分からない。
どこまでも落ちてしまいそうな無窮の漆黒が広がる空間に彼らは佇む。
うなだれ無気力に溜息をつく奏多。それとは対照的に命奈は笑みを絶やさずにいた。
「……元気ないデスね?」
奏多に申し訳程度に心配そうな声がかけられる。
一面闇に覆われていたが、彼ら自身がぼんやりと光を放っているような状態のため、互いの表情はしっかりと窺い知ることができた。
「誰のせいだ……元気なんて出るかよ……」
命奈はとにかく明るくふるまうが、奏多の気分は沈みっぱなしだった。
「もう帰りたい……」
「……む~、往生際が悪いデスね~? もうここまで来た以上諦めるデス」
「悪いかよ? できればもっと往生したかったよ」
皮肉っぽく返す奏多に、命奈は励ますような声をかける。
「来世に賭けるデス! 過ぎたことは悔やんでも仕方ないデス、次を見据えて行動あるのみデス!」
「ったく、こっちは元々誰かさんの勘違いで殺されてるってのに、そんな言われ方しないといけないのかよ……」
うぐ……と口どもる命奈。
「おかしいなーそんなはずー」
「だから口笛吹けてねーぞ」
まるで調子の変わらない命奈に若干うんざりする奏多。
見ようによっては和やかにも見える二人の会話を遮るように、唐突に辺りに低い声が響く。
「命奈、帰ってきたのか」
「あ、おじいちゃん! ただいまデス!」
奏多から視線を外し、先ほどまで何もなかったはずの空間に向けて声を発する命奈。
奏多も命奈の視線の先を見る。
「おかえり、うまく狩れたかい?」
その目に映ったのは、頭蓋骨。
暗闇の中で距離感がいまいち掴みにくいが、平時の感覚で言えばそれが突然目前に置かれたかのように視界を占領した。
その上双眸には眼球の代わりに、かすかに人魂のようなものが揺れている。
心臓の弱い人間ならそれだけで卒倒しかねない光景だった。
「うぉい!? なんだこの骨!?」
「……いきなりこの骨とは失敬だね、七生奏多クン」
名乗った覚えはなかったが確かに名を呼ばれ、息をのむ奏多。
改めて人ならざる者と相対していると、否応なく認識させられる。
「そうデス、失礼デス!」
「……お前には言われたくない」
隣からかけられた抗議の声に、魂のみとなったはずなのに頭痛を覚え眉間を押さえる。
そんな奏多を気にも留めず、それにしても……と前置きをしてから、命奈が祖父と呼んだ骨は切りだした。
「事前の計画と随分違う魂ではないかい?」
「う……そ、それがデスね……」
バツが悪そうにモジモジとする命奈に対して、見た目とは裏腹に穏やかに声をかける命奈の祖父。
「……もしかして、間違えちゃったのかい?」
「…………はい、デス……」
目に見えて萎れる命奈。
「レーダーも渡しておいたじゃないか。ちゃんとこれを見てから狩りなさいと」
「ちゃんと見たデス……でもズレてたデス」
言い訳にしか聞こえない彼女の言葉にも、命奈の祖父は優しく返す。
「飛びながら見ていて、ズームを合わせてなかった……とか?」
原因を示唆された命奈はキョトンとした顔で答えた。
「……ズームってどうやるんデス?」
「そういえば……命奈はあれだね、苦手だったねこういうのは」
彼女はいわゆる“機械音痴”というやつだった。
「すっかり忘れていたよ、はっはっは」
(……しっているか しにがみは じぜんかくにんがあまい)
奏多の頭痛がますます大きくなる。
「けれど、予定にない魂は狩ってきちゃダメじゃないか、命奈」
「あう、ごめんなさいデス……」
二人のやりとりにもしかしたらと期待を抱く奏多。
「――とはいえ、狩ってきちゃったものはしょうがないし」
しかしそれは儚くも裏切られる。
「ざんねん! きみのじんせいはここでおわってしまった! ということでひとつご納得いただいて――」
結局奏多の死は確定しようとしていた。
「……いや、ちょっと待ってくれ」
「うん? どうかしたかい?」
静かに聞いていた奏多がたまらず声を上げると、飄々とした返事があった。
「このままはい、そうですか。わかりました……って死ねってのか? それはねーだろ」
「うーん、そう言われてもこっちも仕事だし……」
まるで子供の言い訳のような言い分を聞かされ、苦虫を噛み潰したような顔をしながら、低く低く唸る奏多。
「――元々そっち側の手違いだったんだし、どうにかしろよ、なぁ!」
「どうにか……どうにかねぇ……」
煮え切らない態度に苛立ちを募らせる。
「あんた死神だろ!? 神様なんだろ!? ならどうにでもできんだろ!」
言いながら奏多は自分でもはっきりと知覚する。横柄な態度だと。
それでも止められそうもなかった。
今ここが“最後のチャンス”だと、そう確信していたから。
「そう言われてもねぇ……」
そんな奏多の思い、焦りを。見透かしたように。小馬鹿にするように。命奈の祖父は言い放った。
「言いたいことは分かったが、お前の態度が気に入らない!」
「……んだよそれ、ふざ――」
悪態をつこうとした奏多だったが、それは叶わず。
「確かに君の言うとおり……君一人を生き返らせることくらい、やろうと思えばできないなどということはない」
代わりに聞こえた声は奏多の望みは実現できる、という希望的なものだった。
僅かに表情を緩める奏多。その様子を見やりつつも、ただし、と前置きして続ける。
「それは死神の手による影響の範囲内で、の話だ」
どういう意味だ、と奏多が問うより早く、命奈の祖父は口、というより顎を開いた。
「現在の奏多クンの様子をご覧下さい」
ニュースの現場レポーターのような雰囲気で言うと、奏多の視界がなにやら薄ぼやけた景色に支配された。
「おにーちゃーん、だいじょうぶー?」
「そんなとこで寝てたら風邪ひいちゃうぞー?」
一面にアスファルトが見える。
近くからかけられているだろう子供の声が、どこか遠くに聞こえる。
「ほら、道路まで出たら危な……って何してるの?」
母親だろうか。新たに女性の声が聞こえた。
「ボール拾ってくれたおにいちゃんが、いきなり寝ちゃったの」
「……あなた大丈夫?」
仰向けにされたようだ。視界が明るくなる。
当然奏多の反応はない。
女性が奏多の腕をとって手首のあたりを押さえる。
「脈が止まってる……!」
「おかーさん、みゃくって何ー?」
慌てた風にしながらも電話をかけ始める女性。
「は、早く救急車呼ばなきゃ!」
「あー待って、通報止めてぇ!」
再び奏多の視界が暗闇に染まる。
「……さて、どうしようか」
うろたえる奏多を制するように低い声が響く。
「私は死神が切った魂を元の器に繋げることはできても、さすがに人の手で焼かれた肉までは元通りにすることはできなくってね」
「それって――」
このままなら我が身に起こるであろうことを想像し、寒気に襲われる。
「……さて、どうしようか」
わかってるだろうな? と確認するかのように、同じ言葉を繰り返す。
「そ、そんなの決まってる、さっさと戻してもらわないと――」
「私も暇ではないのでね」
奏多を遮る言葉はどこまでも無慈悲だった。
「全ては君次第だ」
どうやら生き返らせる気がないということはないらしい。不可能というわけでもないらしい。
そこでハッと思い出す。
――お前の態度が気に入らない、と。
意を決し、深々と頭を下げる。
「た、頼む……いや、お願いします! できることなら何でもしますから!」
奏多が言葉を発するとともに、一転して静まり返る空間。
やがてその言葉が聞きたかったとばかりに下顎を大きく開き、言葉を発する命奈の祖父。
そもそも表情などは窺い知る由もないが、その声音から察するに心底嬉しそうであった。
「――今、何でもするって言ったよね?」
「……えっ?」
途端に本能が警告を発する。
「いやあの――」
奏多がわずかに後悔をしつつ顔を上げると。
ゆっくりと、骨のみの左手が奏多に向けて伸びてきていた。
それはだんだんと近づいてきて。
おそらく奏多が手を伸ばせば、実際に触れられるだろう位置にまで近づいた時。
(ダメだ、これはいわゆる“アカンやつ”だ――!)
掌底だけで奏多の身長を超えるほどの大きさとなっていた。
そして動きの遅さに比例して、信じられないほどの強い力で奏多を握りしめた。
絶対に逃がさない、と意思表示するかのように。
「よろしい、交渉成立だ」
「いや、やっぱり――」
せめてゆっくり考え直す時間を。
しかしその願いは聞き届けられることは無かった。
抗うことが無駄。そんな考えを起こすことがそもそも間違っている、と。
そう瞬時に判断できるほどの大きな大きな力で。
入りそうにない押入れの隙間に無理やりぬいぐるみでも詰め込むように。
奏多の魂は無限に思えた暗闇にいつからか開いていた、かすかな光の中へと乱雑に押し込まれたのだった。
「――っと待ってぇー!!」
叫び、上体を起こす奏多。
すると直後に、周囲から一斉に注視される。
「……お?」
彼は間の抜けた声を上げた。
改めて周囲を見渡す。
明々と照らしだされるのは、ほぼ白一色の屋内。
行きすぎたくらいに清浄な空気、それでいてどこか独特な薬品臭。
しっかりとしてはいるが、その分材質の硬さで寝心地はあまり優れない、救急搬送用のストレッチャー。
気が付けば清潔感の極致とも呼ぶべき場所に奏多は居た。
「……バイタル、正常に戻りました」
「う、嘘ぉ……」
「えーと……大丈夫ですか? どこか痛むところとか、気分が悪いとかありませんか?」
この世のものではないものを見たような顔をしながらも、心配げに声をかける救急隊員たち。
「え? あ、はい。全然……大丈夫です、はい」
事実どこも痛くもかゆくもない。いまだ寒気で身震いがしそうなことを除けばいたって健康である。
念のため、とそのまま採血と点滴を施され、解放されることになった。
もしかしたら変な夢でも見ていたのではないか? と考える。
しかしそれは朝から握りっぱなしだったであろう牛乳入りのコンビニ袋が明確に否定する。
夢ならどんなに気が楽だったか。
それとも性質の悪い上にやたらと手の込んだエイプリルフールなのか。
それにしてはあまりにも現実感がない、説明の付けづらい事象が多すぎる。
そんなことをして得をする存在も思い浮かばない。
などと悶々と考えを巡らせながら歩いていると。
いつしか家の前まで辿り着いていた。
「……ただいま」
夕日が差し込む部屋に奏多の声が響く。
誰もいるはずはないが、身に染みついてしまっている挨拶を自然と発していた。
「疲れた……腹減った」
吐き出すように、絞り出すように、ただ短くつぶやく。
とにかく何か食べようと考えた彼の目に、朝焼いてそのままにしてあったトーストが映る。
「…………固い」
こんがりとよく焼けた見た目は完璧な、しかしその実冷めきってまともに食べれたものではないトーストを口に運ぶ。
「……くっそまずい」
ぬるい牛乳で流し込み、かすかに震える声でつぶやく。
「……俺、生きてる……よかった……一応ちゃんと、生きてるんだよな……?」
目に自然と涙が浮かぶ。
くそまずいと評したトーストを食みつつ、彼は今確かに、そこにある自らの生を実感していた。
「泣くほどおいしいデス? よかったデスね~」
そこへ不意にかけられる声。
「ちゃんと食べ物に感謝して、しっかり味わって食べるデス!」
「………………」
涙がピタリと止まり、震えと寒気が一層強くなる。
「……どうしましたデス?」
篠神命奈という名のトンデモうっかり死神少女。
今日初めて会ったばかりの、とにかくはた迷惑なこと以外はよくわかっていない存在が。確かにそこにいた。
まだ今日の出来事を心のどこかで悪い夢だと信じ込もうとしていた奏多に、まざまざと現実を見せつけるように。
「……うぉいぃ!? てめー何やってんだ!? てかどっから入ってきた!?」
「どこからって……そこからデス」
さも当然のように庭につながる窓を指さす命奈。
その窓は一見して特に変わったところはないように見えた。何の変哲もない黒いサッシに透明度の高いガラス。
が、ちゃんと閉まっているはずの窓にかけられたカーテンはなぜか風ではためいていた。つまり。
「あ? 何これ? え……枠だけ? 枠だけ、ナンデ!?」
透明度が高いどころか、もはや透明を通り超えて無だった。
「この程度ワタシの鎌捌きをもってすれば、ちょちょいのちょいデス!」
無事な方の窓に立てかけていたガラスに手を添えつつ、誇らしげに胸を張りながら言う命奈。
「うわー器用だなーすごーい、てバカぁーーーーー!!」
頭を抱えつつ叫ぶ。
「もう帰れよぉ!」
「それは無理な相談デス!」
即座に拒否される。
「俺は無事……かどうかよくわからんけど、とりあえず生き返ったんだし、もうおまえに用事ないっての! そっちだってそうだろう!?」
「ところがどっこい! 用事は大有りなのデス!」
これが現実……などと不敵に笑みを浮かべながら言う命奈。
懐から得体の知れない禍々しいオーラを放つ紙を取り出し、奏多に向ける。
「すでに盟約は結ばれてしまったデス。ゆえに、これを反故にすれば奏多サンの魂は冥府行き待ったなしデス!」
一番上に契約書と書かれた謎の羊皮紙。
そんな紙を見た覚えは無かったが、そこには奏多の名前が確かに書かれていた。
ご丁寧に拇印らしきものまで押されている。
本文と思しき箇所には『生き返らせてもらうかわりに助力します』と、お世辞にも丁寧とは言えない文言が付されているのが見えた。
「……強制的に契約させられてない? 親権者の同意も無くない? 法的にアウトじゃない? 弁護士を呼べ弁護士をー!」
奏多の訴えを遮るかのように、人差し指を立てた手を奏多に向けて突き出し「しかーし!」と、やたらと高いテンションで続ける命奈。
「盟約さえ守れば万事解決!」
怪しい宗教の教祖のように、手を大仰に広げてのたまう。
「これで奏多サンの魂は救われるのデス!」
「……胡散くせぇ」
奏多の感想を意に介さず、命奈は続けた。
「そういう訳なので、お世話になるデス! お部屋も空いてるようデスし」
彼女は明らかに、この家に転がり込む気満々だった。
「……え、住むの? なんで?」
「嫌デス……?」
嫌か? と問われると、一人の男としては美少女と同棲なんて願ったりではあるのだが。
いかんせん相手は見た目が良くても中身がとんでもないのである。
「……理由による」
「なぜなら、魂をバッサリ逝っちゃったからデス!」
理由になっていないような気しかしない返答。
「……それで?」
「あくまでおじいちゃんが応急処置をしただけなので、このままだとふとした影響で魂が抜け出ちゃう可能性があるわけデス!」
なのでー、と相変わらず楽しそうに続ける。
「しっかり魂を固着させるために、日夜メンテナンスする必要があるデス!」
「……つまり?」
「専属メンテナンススタッフとして、ワタシが常駐するのデス!」
自信を表すように握った拳で胸を叩く命奈。
「24時間365日、これで安心!」
「なんだそりゃ……不安しかねぇ……」
奏多が正直な意見を吐露すると、命奈は口を尖らせた。
「むー、心外デス……」
「他に方法無いの?」
「無いデス」
間髪入れずキッパリと言い切る。
諦めたように深く溜息をついてから、奏多は続けた。
「……っていうかそれはそうとして、だ。その盟約とやら」
先ほどから一つひっかかっていたことを確認しておく。
「勢いで何でもするとは言っちゃったけど、具体的に何させられるの? 死神に協力ったって、俺にできることなんて何もなさそうだけど?」
「む~……特に? いつも通り生活していただくだけの簡単なお仕事デス!」
見事な肩すかしである。
「……いやそんなわけあるか、骨のあん時の表情……表情?」
骨に表情も何もあったもんじゃないな、と自分で言っておきながら思う奏多。
「まあとにかく完全に悪いこと考えてる感じだったし。破滅させてやろうという意思をひしひしと感じるトーンだったぞ」
「そんなことないデスよ~!? あんまりひどいこと言うと悲しいデス!」
泣きそうな顔をしたかと思えば、また明るい表情に戻る命奈。
「さっき言った魂を固着させるためのメンテナンスが、すなわちワタシの死神力を高める修業を兼ねているわけデス!」
「なんだよ死神力って。女子力みたいな言い方すんじゃねーよ」
奏多の軽口をまるで気にしていないように続ける命奈。
「要するにワタシは奏多サンを生き延びさせられれば、それで万事OKってわけデス!」
「……じゃあ本当に特別何かしなくていいのか?」
その言葉を聞き、奏多は確認する。
「その通りでございますデス!」
対して命奈ははっきりと答えた。
それが本当なら、そんなに悲観的なものでもないのかもしれない。
「……胡散くせぇ」
だがやはり正直、信用できそうにはなかった。
「奏多サンが信じるワタシを信じろデス!」
そんな奏多の気を知ってか知らずか、自信満々に言い放つ命奈。
「そもそもこの状況をうっかりで招いた元凶に、ワタシを信じろとか言われてもな」
なぜか命奈の方が溜息をつく。
「……取り付く島もないデス」
「し、か、も、修業中、だし? ちゃんとできる保証なんてあるのかよ?」
ことさらに強調していう奏多。
「うぐ……痛いところを的確に抉るように突いてくるデス……鬼デス悪魔デス」
「間違えて別人殺す死神に、鬼だの悪魔だの言われたくねーよ」
重ねて責め立てる彼の言葉に、命奈は肩を落とす。
「……奏多サン、マジ手厳しいデス……」
「うるせー、これでも言葉は選んでやってる方だ」
「むうぅぅぅうぅうぅぅうぅー……」
返す言葉がなくなったのか、ただひたすら唸りながら膨れる命奈。
「とりあえず、もうちょっとなんか別の――」
言いかけた奏多を遮って命奈は頬を膨らませたまま言う。
「何でもするって言ったデス……あれは嘘だったデス?」
口調は変わらないが、どことなく冷たい雰囲気を感じる。
よく見るとその手にはどこから取り出したのか柄の長い鎌が握られていた。
それはまさしく、イメージ通りな“死神の鎌”であった。
「なら、盟約は破棄されたということデスね――」
言いつつゆっくりと奏多へと近づく。
少女が初めて見せた死神らしさに、彼女に対して初めての恐怖を感じ後ずさる奏多。
冷や汗が全身から噴き出る。
急激に乾いていく喉から、必死に彼女を止めるための言葉を絞り出す。
「ちょ、ちょっと待て、わかった。お前の好きにしていいから、だから早まるな」
奏多の言葉を聞き、ピタリと動きを止める命奈。
「……じゃあ、お家にお邪魔しててもいいデス?」
まるで拗ねた幼子のようなトーンで聞く。
対してひたすらうなずくしかない奏多。
「……やったデース!」
完全に元の調子に戻り叫ぶ命奈。さぞ嬉しそうにしている。
「これも全てはおじいちゃんの取り計らいの賜物デス!」
禍々しいオーラを放つ契約書を愛おしそうに抱きしめながら言う命奈。
「奏多サンはまだ生きられる、ワタシは修業し放題。完璧デス! まさしくWin-Winの関係デス!」
見た目だけは微笑ましい光景を横目に、深々と、それこそ魂ごと吐き出すかのように溜息をつく奏多。
「やっぱりおじいちゃんは優しいデス、大好きデス!」
(……しっているか しにがみは みうちにはあまい)
確かに感じる頭痛を押し殺すように眉間を押さえる。
「そういうワケで、これからよろしくお願いしますデース、奏多サン!」
「マジかよぉー……」
春。
出会いの季節。始まりの季節。
何かが始まろうとしている夕暮れ時の部屋には、
死を想起させない程に爛漫な死神の少女・命奈のとびきり明るい声と、
まさしく九死に一生を得て生き返った少年・奏多のとびきり弱弱しい声が反響していた。
2019/07/09 前後編合併・話タイトル正式採用・本文一部改訂