9.痛いの痛いの飛んでいけー
ヴィルフリートさまは、無言。ただ、お口が開きっぱなし。
私が言いたいことは、十分伝わったみたいで何よりだわ。
ヴィルフリートさまはすぐ、口を閉じた。外を見遣り、言いにくそうに、
「だとしても、悔しいが、これだけ数がいると、一体にとて容易に近づけない。触れられなければ、ゴーレムの支配権を奪うことはできないぞ」
「大丈夫です、お手伝いいたしますから」
私は、そばに立てかけてあった箒を掴む。次いで、棚の上に転がっていた石、としか見えないものを取り上げた。
実はこれ、魔道具なのよね。刻まれた文様を見れば、支配者の印。
幸い、ここは地下。それも、ガルド学院の地下。
何があっても、地上に害がなければ、大概は許される場所。
騒ぎは派手な分、地上に届きやすい。
あんな巨大なゴーレムだ、壊した分だけ、地下で何かが起こっていると察してくれるはず。
(リタやデーニッツくんなら、原因も分かってくれそうだし)
さあ、ヴィルフリートさま。これから一緒に、SOSの信号を発信しましょう?
「手伝いと言ってもな…」
私は箒を、何か言いさした彼の前へ突き出す。掃除道具…じゃない、これも魔道具だ。
「これ、魔力量はどれくらい、残っていそうです?」
本気で私は、魔力がからきしだから、その確認も、人にしてもらわなきゃならない。
でも私、道具の扱いはお手の物なのよ。
「へえ、古いが、飛行用か? 補填魔力量は最近誰かが行ったのか、ほぼ満タンだが…」
珍しそうに箒を見下ろしたヴィルフリートさまが、今度は心配そうに私を見上げた。
「お嬢さんが乗るのか?」
「はい、私がこれで、ゴーレムの視界に入ります。囮ですね。その間に、ヴィルフリートさまは彼らに近づいてください」
「無茶だ」
軽快にまとっていた陽気さをかき消し、ヴィルフリートさまは真摯に言った。
「怖いんだろ? 囮なんて…連中が、どんな魔法を使ってくるか知れないんだぞ」
ベッカー先生のゴーレムって魔法を使うの? どれだけハイスペック…いえ、でも魔法が使えるなら、もうとっくに使っていておかしくないわよね? 今外にぞろぞろいるのは使えないんじゃないの? 希望的観測に過ぎないけど、でも。
私の勘ってけっこう当たるのよ。それに。
「時間がありません、ヴィルフリートさま」
私たちが小部屋に逃げ込んでから、少し、経つ。
このまま潜んでいられたらいいけど、さっき殴りつけて来たゴーレムが、このまま放置しておくはずがないわ。最悪、出入り口をふさがれて、生き埋めって事態も考えられる。
垣間見えたベッカー先生の性格からして、甘い現実は待ってなさそう。
「ヴィルフリートさまは、魔道具がなくとも、飛翔は可能ですか?」
「その程度なら簡単だ。…あ、すまない」
首を横に振る私。何かを言う代わりに、石の魔道具を恭しく差し出せば、素直に受け取ってくださる。
掌の中の石をしげしげ見下ろし、ヴィルフリートさま。
「古代文字…だな? 何が刻まれている?」
紋様を古代文字と断定できた少年に舌を巻きながら、私は冷静に答えた。
「支配者の印です」
とたん、石を掴んだ手を自分の体から離すように腕を伸ばすヴィルフリートさま。
「魔道具だろう、これ、魔道具だな? 支配者の古代文字が刻まれた、こんな、魔道具なんて、禁忌に抵触するぞ! いや、使えば天法に裁かれる。魔法人形が現れるぞ」
魔法人形って言うのは、天法の守護者みたいなもの。
大昔、最低限の世界の規則を天使と悪魔と神人が定めたものが、天法。
今も厳格に大陸中に流布されており、それを破れば、天魔が創作したと言われる魔法人形が楽園より舞い降り、誅殺されるって言われてる。
でも実際、魔法人形を見たって記録は、公には残っていないのよね。
伝承では、土人形と人造人間の中間みたいな存在、と記されているだけで、詳細のほどは不明。
なんにしたって今回の場合は、そう外道な真似事をするわけでもない。
「なにも、人間を支配しようというわけではありません。ゴーレムの身に、ぽちっと押し込んで印をつければ、ゴーレムの持ち主は一瞬でヴィルフリートさまに切り替わるってだけです」
「見捨てられた棚の一角で、たやすく転がっていていい魔道具ではない…」
呆れ返ったヴィルフリートさまに、私は平坦な声で応じる。
「ここは、ガルド学院の地下ですから」
ほんとは、ヴィルフリートさまの驚きに便乗したいところだけど。驚いていたって、始まらないもの。
端正な顔をしかめるヴィルフリートさま。でもこれ、私の答えに対する反応ってわけじゃないみたい。
魔道具を忌まわしい視線で見つめ、唸る。
「見れば見るほど、本物だ。こんなもの、よく、そこの埃まみれの棚の上にあると気付けたものだな。ただの女生徒に、そんな目利きができるものか?」
どう答えるか、思案したと同時に。
轟音がとどろき、足元が揺れた。天井に、壁に、ヒビが走る。さらに、追い打ちをかける轟音。
どうやら、ゴーレムが痺れを切らしたみたいだ。
「閉じ込められる前に、打って出ましょう、ヴィルフリートさま」
「生き埋めはごめんだな。…仕方ない」
並んで駆け出し、ヴィルフリートさま。
「なあ、お嬢さん、この魔道具を使って僕がベッカーからゴーレムの支配権を奪うというのは、確かに簡単にいく」
すごい、断言なさった。将来が怖いくらいの頼もしさだわ。
「だが、本当に任せていいのか、囮役なんて」
平気よ、今は手段があるもの。
恐怖は薄れないけど、打つ手を見つけたときから、足の震えは止まったわ。
心配してくださっているのね。さっき、怖がっていたのはバレているから、しかたないけど。
私って外見がか弱く見えるらしいから、さらに不安なんだろう。
そのためらいを別の意識に切り替えるためには、どうしたらいいかしら。
思ったところで、婚約指輪を意識。
ああ、今が打ち明けるチャンスよね。どうせなら、私を試そうって気持ちになってくれたほうがやりやすいし。
私は心を決めた。
「先に、打ち明けておきますね、ヴィルフリートさま」
箒を小脇に抱え、私は右手を示す。くるり、婚約指輪を回転、紋章を正しい位置に戻す。
ぎょっと息をのむヴィルフリートさま。
初めまして、魔性の女です。
私はできうる限り、きりりと表情を引き締めて、
「改めまして、私は、ミア・ヘルリッヒです」
紅玉めいた目に、理解できない、と書いて、ヴィルフリートさま。
「なぜ今、名乗った。魔法を使えないあなたを、僕が見捨てるとは思わなかったのか」
「思いません」
どうしてかしら、そんな疑いはかけらも浮かばないわ。だって、
「あなたさまは、テツさまの、弟君ですもの」
ヴィルフリートさまが、一瞬、目を丸くした。その時にはもう、私たちは外にいる。
巨人の足が縦横無尽に行き交う洞穴の中、私は高らかに宣言。
「お任せあれ、見事、囮の役割、やり遂げて見せます」
ウザい行動、嫌がらせなら、お手の物だわ!
駆けながら、ぱんっと箒を真横に寝かせ、横乗りに飛び乗る。
スカートですからね、またがるのはちょっと。
風を切って、埃のヴェールを引き裂き、飛翔! 上へ、上へ、さらにもっと。
巨人のゴーレム、その肉体に沿う形で旋回―――――猛烈な勢いで、彼らの視界を横切った。
私たちを捜してるくらいだから、視覚はあるはず。人型なんだから、変なところにはつけない。頭部で間違いないわ。
遅れて、野太い腕が、私を捕まえようと大気を割るように振り回される。
腕より先に、風圧が迫った。
勝つのは難しいけど、逃げるのは大得意!
捕まえようと唸った掌、その底を掠め、手首から肘まで滑るように箒で飛び抜ける。刹那。
視界の端で、―――――ボバン! 気の抜ける、でも飛び切り大きな音がして、一体の巨人が肉体を一瞬で砂に変えた。
身体の表面にヒビが入ったと思った時には、塵に還ったんだから、すさまじい。
ベッカー先生がゴーレムを操る際の回路が繊細って言うのは、少ない魔力量でどうやって最大限ゴーレムを使えるかを考えた結果であるのかもしれないわね。だったら、膨大な魔力を生まれながらに持つヴィルフリートさまには、単純に、そういうのが合わないってだけの話じゃないかしら。
がむしゃらに私に迫る、ゴーレムの腕。それらさえ、私がすり抜ける合間に、確実に、一体一体崩壊していく。
確かに、ヴィルフリートさまは、『簡単』と仰ったけど。
こうも呆気ないなんて。
私、ちょっと、内心ひきつった笑いを浮かべてしまったわ。あの幼さで、尋常じゃないわよね。
ヴィルフリートさまの魔力量ってどうなっているのかしら。
名目上は支配する練習をするって話になったから、これでも、おさえようとしているはず、だけど。
ゴーレムたちには、他の、崩れ落ちていく仲間の様子は目に入っていないみたい。いえ、おそらく。
命令の中で、優先順位を、私とヴィルフリートさまの捕獲、もしくは―――――考えたくないけど―――――殺害を一番にしているのなら、仲間の肉体の崩壊は目に入っていても、問題にはならないのかもしれない。
動きも単調だし、そのあたりは、やっぱり人形よね。
巨体の数が減った分、視界も開けてくる。視野を奪う粉じんも晴れてきた。
天井に沿って、ぐるん、と回転、私は床を見下ろす。十数体いた巨人たちが、あっという間に、残り三体にまで減っていた。この程度じゃ、ヴィルフリートさまには試練にもならないみたいね。
ゴーレムたちを俯瞰するように、洞窟内の少し小高くなった場所に、少年が立ってる。
ちょっと、悔しそうな顔をしてる。うまく操れないせいね、あれは。負けず嫌いみたい。
私は少し苦笑。
とはいえ、こういう、わずかに余裕が出て来た時が、危険なのよね。
案の定、―――――ヴィルフリートさまが身構えた。私もすぐ、異常に気付く。
ゴーレムの数が減って、動きやすくなったのは、何も私たちだけじゃなかった。
相対するゴーレムも、だ。
最初の動きは、ゆっくりだった、気がする。
ゴーレムの一体が、ヴィルフリートさま目掛けて駆け出した。
生半可じゃない重量が災いして、一歩ごと、肉体が欠けるって言うのに、それでも止まらず―――――やがて転がる勢いで、猛然とヴィルフリートさまに迫りはじめた。
勢い余って他の二体を崩すのも構わない、自滅的な速さに、私もいっとき、反応が遅れた。
いえ、このぐらいの速さだったらすぐ追いつける、って甘く考えてた。目算が狂ったのね。それでも。
私は、囮の役目をやってのけると言ったわ。
横から回り込むのは間に合わない。なら。
私の動きに気づいたか、見上げたヴィルフリートさまが、叫んだ。
「よせ、ミア・ヘルリッヒ!」
それも仕方ない。私は真正面から、迫るゴーレムの顔に突っ込んでいったんだから。
でも、無策じゃないわ。
相打ちなんて、馬鹿げてるもの。ヴィルフリートさまには、そう見えたんだろうけど。
ゴーレムと私、そのまま行けば、猛然と正面衝突する、寸前。
幸い、ゴーレムが私に気づく。
ヴィルフリートさまから、意識が逸れた。間髪入れず、慎重に間合いを取ってたヴィルフリートさまが足元を蹴って、ゴーレムに向かって駆け出す。
私の真正面に、ゴーレムの、のっぺらぼうの顔。真横から迫る、大きな掌。
でも、生憎ね!
構わず、私は急停止。
ぐるり、その場で反転。柄を強く握りこみ、
「私、逃げるのは得意なの」
箒から、猛烈な勢いで、飛翔の風を噴出。
ゴーレムの顔面に、魔法の風が直撃。たまらず、仰け反るゴーレム。同時に。
その足元に、ヴィルフリートさまがたどり着く。さすが、デーニッツくんをまいた脚力。速い。
目が合った。ヴィルフリートさまは、今度こそやり遂げる。確信した、刹那。
私の、視界がブレた。
また、名を呼ばれる。ヴィルフリートさまの切羽詰まった声。
こめかみに走る、激痛。なに。ゴーレムは、衝撃から脱せてないのに。
私に攻撃なんて、どこから。
何が。
…誰、が。思う意識の端に、ベッカー先生の声が蘇る。
―――――その娘を狙う人間も、我々を追って、地下へもぐりこんだようです。
次いで、テツさまの言葉。
―――――俺には味方も多いが、敵も多い。
落下、しかけ。途中、情報が不意につながった。
(テツさまの、敵? …いえ、味方の、可能性も)
もしかしたら、ベッカー先生、が。
少なくとも、今回の婚約騒ぎで、私に目を付けた誰かが、今、同じ空間にいるんだわ。
なら。
隙を見せて、なるか。
危うく、箒のコントロールを取り戻す。
ただし、大きく蛇行―――――それが幸い。背中を掠めた何かが、壁に突き立った。
だめ。まともに、飛べない。平衡感覚が、失せてる。ぐるぐる、目が回った。
必死で、吐き気を飲み込む。いけない。こんな状態で、見晴らしのいい空中にいるなんて、いい的だわ。
どこか。身を隠す、場所は。
さっきの小部屋は? 無理だわ、この状態じゃどこにあるかなんてもう分からない。
懸命に、顔を巡らせる。直後。
―――――すぐ目の前に、巨大な穴が見えた。多分、さっき、小部屋に隠れていた時、巨人が空けたんだ。
大きな音が、したし。
ここが、どこにつながってるかなんて、わからない。でも。
(ふらふら飛び続けているより)
遥かにいい。判断は、一瞬。
私はその穴に、飛び込んだ。とたん。
「え、…あっ」
箒の魔力が切れたのが、分かった。うそ。予定なら、もっと保つはず―――――あ、そうか、さっきゴーレムの顔に、思い切り噴射したから。
思いのほか、燃料切れが早まったのね。でも、タイミングとしては、ある意味、ベスト。
これなら、あきらめもつくってもんだわ。
箒とともに、私は落下。どうか、あんまり痛くありませんように!
幸か不幸か、高度はそれほど高くなかったみたい。しかも、下に何かあったのか、衝撃は、さほどなかった。…と言うか。
ハンモックにでも受け止められた、心地があった。
そんな都合のいいものが、地下にあったのかしら。何かの、罠? こういう場合、いかにもありそうよね。
思う端から、背中と膝裏に、体重がかかった。胴体の左側に、何かがある感触。痛くはないけど…。
つい、身を固くした。とたん。
「…ミア?」
鼓膜を心地よく震わせる声に、緊張してた背中がびくっと跳ねる。目を開いた。
じわり、身にしみてきた他人の体温に、思わず自分の体を抱きしめ、びっくり眼で上目遣いに見上げれば、―――――おそろしく整った面立ちが、私を見下ろしてた。
夢でも見てる気分で、私はその人の名を呼んだ。
「テツさ、ま」
え、ここどこ。テツさまの、腕の中? 本気で、夢? 私、気絶しちゃったの? 本音を言えば、覚めたくないかもしれない。逃げだしたい気持ちもあるけど。
呆気にとられたのも一瞬、
「…ぅ」
思わず左のこめかみを両手で押さえた。痛い。熱い。そこで、心臓が鼓動してるみたい。
ちょっと目じりに涙がにじんだ。テツさまの表情は、よく見えない。
痛いってことは現実ね。どうやら、夢じゃないみたいでよかったわ。
でもなんで、テツさまがここに? ここ、地下よね?
そういえば、ベッカー先生が、客人がどうのって言ってたけど…。
「…血」
え、血が出てるの? テツさまの呟きに、びっくりする。
そう言われれば、指先がぬるってするかも。でもじゃあ、早くテツさまから離れないと、血で汚しちゃう。
慌てて離れようとするなり。
「痛いの痛いの、飛んでいけー」
耳に届く、いい声。ただし、芯からの棒読み。
何を言われたのかわからず、動きを止めた私の、こめかみを押さえた手の上に。
柔らかい感触が、押し付けられた。軽い音が、耳に届く。ちゅ、と。
何が起こったのか分からない。
つい、難しい顔をした私を見下ろし、首をかしげるテツさま。迫力のある黄金の目が、なんだか、子供みたいに澄んで見えた。
そういえば、この方の目をまともに見たことって、あんまりないわね。
退廃的な妖艶さを持つ容姿には似つかわしくないくらい、無垢な様子で、テツさまは一言。
「昔、やってくれたろう」
―――――ぅあ。思い出した。
そうだ。怖がって泣いてた幼いテツさまを、どうにか宥めようと私、あの手この手で慰めた。
その中に、この子供だましも入ってたはず。
…なんだか、変な汗が出てきたわ。
あれ。でも、痛いのがなくなってる。悪酔いみたいな気分の悪さが、霧が晴れるみたいに消えてた。
もしかして、血も止まった?
皮膚を指先で辿ったけど、傷口もなさそう。手を戻す。けど、確かに、指先が血で汚れてた。
もてあまし、胸の前くらいで祈るみたいに両手を握り合わせる。
あのぉ、なおしてくださるのはとてもありがたいのですが、普通で、お願いします。
ふつうで。心の底から、お願いします。心臓、止まりそうになるから!
「いきなり駆け出すなんて、何事かと思ったら」
唐突に耳に届いた別の声に、生きながらえた心臓が今度は口からこぼれ落ちるかと。
「うん、仲がいいのは結構だけどね、二人とも」
横目に見遣れば、いらっしゃった。ゼンさまが。
相変わらず、地下の薄明かりをさらに輝かせる優雅さ、きらびやかさ。
紺碧の瞳が、笑う。
「続けてもいいけど、後にしてね? ほら、お客さんも待ってるし」
読んでくださった方、ありがとうございました~。