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7.魔性の女(笑)

「お前が、ミア・ヘルリッヒ?」


埃っぽい座椅子に足を組んで座った十歳前後の少年が、私を見上げた。

立ってる私は見下ろす側なのに、睥睨されてる感じが強烈。

それも仕方ない。


まず、彼の特徴を並べるわね。



白皙の肌。漆黒の髪。特徴的な紅玉の瞳。




子供なのに、そこらにある埃っぽい座椅子を、宮廷にあるみたいに立派に見せるくらい、迫力ある整い方をした容姿が告げている。



自身は高位の悪魔の血統であるってね。しかも―――――貴族。



なんでこんな子が、こんなところ―――――ガルド学院の地下にいるのかしら。

嫌な予感から全力で目を逸らして、他人事の気分で、首をかしげる私。


そう、ガルド学院には地下があるのよね。しかも、広大な。


歴々の生徒や教師がいらなくなったものを投げ込む物置と化した場所よ。




言い方を変えれば、ガラクタだらけの汚部屋、もとい、神秘の空間。




誰も片づけに着手しなかった結果、危険レベルは、世界の中立機関<塔>が定めるSランクに匹敵するって言われてる。国に剣を預けられた騎士たちですら、踏破不可能って噂があるわね。どんだけ。



つまるところ、掃除は大切っていう教訓を後世に伝えることになっている魔窟。



ここは、その地下。

少年と相対してる場所は、部屋っていうより、洞窟みたいな、広い空間よ。壁に、神話の巨人みたいな、精緻な人型がいくつも彫り込まれてる。

手早く観察して、私は結論。情報通りなら、ここは地下の二層目ってところね。

そう深くはないわ。


ひとまず、私は品よく制服のスカートをつまみ、片足を引いて一礼。




「仰せの通りでございます、ヴィルフリート・アイゼンシュタットさま」




旦那様との旅の端々で鍛えられた作法にのっとって、先ほど紹介されたばかりの少年に、私はカーテシーを披露。

斜め後ろで、気弱な薬学の教師が、へこへこ頭を下げてきた。


「ご、ごめんね、ヘルリッヒさん。ヴィルさま、どうしても会いたいって聞かなくって」


このひとは、エックハルト・ベッカー先生。ガルド学院の薬学教師。

目だけ向ければ、弱り切った笑顔が返る。どこまで本心かしら。


腰が低くて謙虚に見えるけど、態度と裏腹な噂が多い人だもの。




曰く、平民出身だがコネを持つ貴族が多い。曰く、ガルド学院地下の主。




ベッカー先生に、貴族のコネがあるって噂は有名。でもその中に、アイゼンシュタットも含まれてたなんて、今初めて知ったわ…中途半端な情報って、結局役立たずよね。


まあそれなら、ベッカー先生はテツさまの敵じゃない、はず。


今、目の前にいるヴィルフリートさまの望みをかなえるために私を連れてきたのなら、むしろアイゼンシュタット側につく存在、よね。


私は、少年に目を戻した。


この方が、ヴィルフリート・アイゼンシュタットさま。確か、テツさまの弟君。

…いらっしゃることは知っていたって程度ね。その人となりやら、兄弟の関係性やらは知らない。謎。一生、かかわらない予定だったし。


どう対応すればいいのかしら。しかも、今、ミア・ヘルリッヒに会いたかったとなれば。



理由は、ひとつしかないわよね。



「ベッカー」

私を凝視している少年は、まじめな顔で、ベッカー先生を呼んだ。

「お前、僕が子供だからと謀るか」


今度は、何を言い出したの。思ったけど、私は静観。


「は、あの、謀る、とは…?」

ベッカー先生にも、彼が言いたことは理解できなかったみたい。

しきりに、ぼさぼさ頭を撫でつけてる。

「とぼけるな。ミア・ヘルリッヒは、あのシルヴィア・イェッツェルから兄上の心を奪った魔性の女と聞いている」



ましょうのおんな。誰の話か、素で分からなかったわ。



彼の紅玉の瞳がきらめく。やたら魅惑的だけど、これは…腹立たしさの表れ、かしら。

「そんな女が」

私を示し、ヴィルフリートさまは憤然と言葉を続けた。




「これほど可憐で可愛らしいお嬢さんのはずがない!」




力強い断言に、驚愕の表情で固まるベッカー先生。私も驚いた。驚いて、心配になる。

だって、会ったこともない相手をイメージだけで決めつけておいでなわけよね?


失礼ですけど、騙されやすそうなお坊ちゃんでいらっしゃる…。


でも確かに、『魔性の女』なんてフレーズ、私向きじゃない。

「すまなかったな、お嬢さん」

幼さが色濃く残る面立ちに、大人びた表情を浮かべ、ヴィルフリートさまは私を見た。

立ち上がる。それでも、子供だもの。私より、ちいさい。なのに、なぜかしら。妙に、頼りがいがある雰囲気が漂ってるわ。そこは、テツさまと通じるわね。


「おおかた、ベッカーに成り代わってくれとでも頼みこまれたのだろう?」


首を何度も横に振るベッカー先生。見えてるはずなのに、ヴィルフリートさまは無視。

「真名持ちの兄上に、公共の場で求婚までさせた女だ。連れて来いとは言ったが、ベッカー程度に、簡単に捕まるわけがない。オレが浅はかだった」


ヴィルフリートさまの頭の中で、悪い女のミア・ヘルリッヒはとんずらして、目の前にいる私は、犠牲の聖女に見えてるみたいね。

なかなか、想像力豊かな方でいらっしゃる。

それにしても。


真名持ち。噂では聞いてたけど、やっぱりテツさまって、そうなのね。






真名持ちっていうのは、貴族でも特別な存在。

五大公家の祖先である天使や悪魔は皆持ってたって言えば、意味は明らかよね。

人間との混血が進んだ今じゃ、ほとんど生まれない。

たとえば、テツさまは、公には『テツ』を名乗るけど、本名は別にあるの。

聞いた話では、生まれ落ちた時から、魂に刻まれているって聞くわ。だから、本人にしか分からないの。


ただ、たとえ発音できたとしても、他の者には理解できないそう。

音楽みたいに聴こえて、言葉にはならないんだって。

だからもし他人に知られたところで、その人は、別にどうもできないってこと。よって、特に隠す必要もないのよね。

真名を握られるってことは、存在すべてを掌握されることだって言うけど、現実問題、あり得ない。


ただ一つの例外は、―――――天魔。


その存在だけは、真名を聞き分けるそう。

貴族で、あんまりにも極端に短い名前の持ち主は、大概が真名持ちって考えていいと思うわ。






とにかく…求婚されて、一晩経ったばかりって言うのに、もうそんな話が流れているのね。

しかも、ヴィルフリートさまがこちらにいらっしゃるってことは、アイゼンシュタット家の耳に、もう入っているってことだわ。


あらでも、アイゼンシュタット領は、ガルド学院から遠いわ。子供の足でのんびり歩いていたら、何日かかるか…って、転移門があったわね。


「これも何かの縁だ、お嬢さん。あなたはミア・ヘルリッヒをご存知ないだろうか」

知りません、と言って、逃げられたらどんなにいいかしら。

諦め半分、私は告げた。



「あなたの目の前に、います」



ベッカー先生がそれを後押し。

「そ、そうです、彼女ですよ、彼女が、ミア・ヘルリッヒです」

「安心していい、お嬢さん」

ヴィルフリートさまは、私を気の毒そうに見てくる。


「ベッカーにはこれ以上何もさせないから、正直に答えてくれていいんだ」


や、脅されてもいませんし、怯えてもいません。

どうしたらいいのかしらこれ…信じてくれそうにない。


それにしても、ヴィルフリートさまのベッカー先生への評価がひどい。この言い方だと、ベッカー先生、立場の弱い人間は脅しつけて簡単に言うこと聞かせる人間って誤解するわよ。

この方、卑屈で気弱だけど、やることはちゃんとやっているし、授業だってそう悪くない。


あ、でも。

一生徒に過ぎない私は、この方が学校を離れた時の顔なんて知らないわ。なら。



(…ヴィルフリートさまの評価の方が、正しい?)



だと、したら。


「ベッカー、下がれ。お前にはもう頼まない。申し訳ないが、お嬢さん。学院内を案内してくれないだろうか。道すがら、話をしようじゃないか」

少年が、エスコートするように私の手を持ち上げた。左手。

指輪をしていないほうの手。セーフ。


そっと手を引かれる。強引さはない。あくまで、促す風情。小さいのに、紳士だわ。


導かれるまま、私は一歩踏み出そうとした。とたん。

「お待ちを、ヴィルさま!」

ベッカー先生が、声を張った。まるで、引き留めるみたいに。



「ミア・ヘルリッヒは邪魔と思いませんか」



本人目の前にして、呼び捨て。らしくない言い方に、私は、パチリ、一度瞬きする。

ベッカー先生を改めて見直した。

彼が、豹変したって感じはない。口調は、いつも通り、気弱げ。それでも。


(スイッチが切り替わった、感じが…する)


それに、自分の迂闊さにも気づいたわ。

アイゼンシュタット家の味方が、私の味方ってわけじゃないってことに。むしろ敵になる可能性が高い。


「真名持ちのテツさまには相応しくありません。いくら、ジャック・ハイネマンの養い子とはいえ、ただの平民です。それが、貴族に列されるかもしれないなど…」


私はこのときはじめて、ベッカー先生を薄気味悪いと感じた。




能力よりも、血統至上主義。ベルシュゼッツにはよくある思想。




これまでも、言動の端々に、ベッカー先生の考えは、確かに透けて見えてた。

でも、たまに暗い目を向けてくるとしても、同じ平民をないがしろにするとか痛めつけるなんてことはなかったから、…甘く、見ていたのかもしれない。



教師って縛りがなくなったときの、エックハルト・ベッカーっていう人間を、見誤ってた。



気弱さや謙虚さは、仮面。

そんなベッカー先生には、危険な学院の地下、その主みたいになってるって話がある。

聞いてはいたけど、本心ではあんまり信じてなかった。理由は、この腰の低さにある。というよりも、あんまり興味がなかったっていうのが、本音かもね。


でもこうなると、話は違ってくる。


「黙れ、ベッカー」

ヴィルフリートさまの声は、芯まで氷みたい。


「僕は、ミア・ヘルリッヒを排除に来たんじゃない。見極めに来たんだ。噂話など、どこまで本当か知れたものではない。実物も知らず、端から拒絶するなど、愚かもいいところだ」


正論。私は、ヴィルフリートさまを見直した。

やっぱり子供、ではあるけど、しっかりなさっている。


…でも現実問題、噂に踊らされてらっしゃるけどね! 聞くなり、



「左様、で」



ベッカー先生の声から、自信のなさが消えた。ふ、と見れば。

彼の姿は、寸前までいた場所から、消えていた。


「ここは、ガルド学院の地下でございます、折角です、少し、遊びましょう、ヴィルさま」

どこからともなく、声が響く。ヴィルフリートさまが忌々し気に応じた。

「日が落ちる前に帰りたいのだが」


「つれないことを仰らず。おや、その娘を狙う人間も、我々を追って、地下へもぐりこんだようです。さて、さて」

日頃の気弱さが嘘みたいに、ベッカー先生は無邪気に悪意を吐いた。

「手前は別の客人を相手しなければなりません。その間お人形遊びでもなさっていてください。…骨の二、三本は、お覚悟を」


「―――――お嬢さん」

ヴィルフリートさまは私に声をかける。



「逃げるぞ、走れ!」



踵を返したヴィルフリートさまに、手を握られた私は振り回される格好で、駆け出した。直後。

寸前まで、私たちがいたところに、野太い腕が振り下ろされる。


―――――ゴーレムっ!?


足音なんか、なかった。

いえ待って、あの腕の色。周りを囲む岩の壁と同じだわ。

なら、壁にくっついてた彫刻が、ゴーレムだったの?

周囲の、巨大な土人形が動き出す。次々と。


驚きは、束の間。


振り下ろされた腕は、足元の岩を粉砕した。ひび割れる。刹那、破壊による風圧が、いっきに私たちに追いついた。



「転ぶな、逆に風を捕まえろ、そこに…乗るんだ!」



難しい! それ、頭の理解じゃない、感覚の世界ですよね! つまりは魔法!


でも、やるしかない。巻き込まれたら、ミキサーに放り込まれたみたいに、ずたずたになりそう。死ぬって!

逆に、風に乗れたら、こっちのもの。逃げきれる。生き残る。だったら。




やるしか、ないでしょうっ?




死に物狂いで、私は風を捕まえた。たちまち、猛烈な速度と浮遊感に巻き込まれる。

そんな状況下で―――――頭の片隅で、先刻までの平和な光景を思い出してた。






走馬燈じゃなきゃいいけど。






「で?」

それは、午後最後の授業も終わり、使った機材の片づけに取り掛かろうって時だった。


「いったい、何がどうなっているのかしら」


片づけの相棒を睨み上げ、私。二人きりの状況下になって、ようやく話を持ち出せた。

待ちかねてたみたいに、相手は私を指さして、



「あーっはっはっはっはっはははははは!!」



…笑ったわね。報復は覚悟していて? 朝は、彼女の方が不機嫌だったのに。

時間が経つにつれ、私を見る目が面白がるようになってた理由を、さぁ、話してもらおうじゃないの。


「これが笑わずにいられるかってんだ。そうだろう? 問題の渦中にいる当の本人が、何にも知らないなんてさ」


蓮っ葉な口調。真っ赤な長い髪に、長身で豊満な肉体を持つ、派手なこの美人は寮では私の隣人。

私と同じエリアにいるってことは、要するに、貴族ではないの。

でも単純に、平民って言ってしまうのも、違うのよね。


名を、リタ・パージェ。



「それは、昨日のことを誰も聞いてこないことと関係があるのかしら」


「大ありさ」



女性にしては大柄な彼女は、広めの肩を竦めて見せる。

「箝口令が敷かれたんだ。昨日の一件について、ミア・ヘルリッヒへの質問はいっさい許さない。何か聞きたいことがあるなら、テツ・アイゼンシュタトさまか、イェッツェルご兄妹の二人へ、ってね」

「質問すると…どうなるの」

試験管の束を研究室の所定の位置に置き、リタは肩を竦めた。


「あの人たちから睨まれたい奴らが学院にいるかい?」


進んでそうなりたいって人間を、即座には思いつかないわね。

でも、私の不機嫌は晴れるどころか募ってくる。

「私はそんなの、頼んでいないし、知らないわ。私一人、蚊帳の外ってこと?」


昨日。

切り株のお茶会の後、部屋に戻った私は、とにかく、頭をいつもの状態に戻そうと思った。

表面上、平静に見えたろうけど、やたら興奮して、落ち着かなかったのよ。

当然よね。だから、いつも通りのことを、いつも通りにして、寝た。


つまりは、自習・食事・お風呂。日常のリズムを取り戻すことに専念したわけ。

順当にこなしているうちに頭の冷えた私は、平穏の中、ベッドの中にもぐりこんだ。


すべてが夢だったらいいのに、と思った時には、もう眠ってたんじゃないかしら。


思えば、その時からいつも通りだったわ。気持ち悪いくらい。多少、いつもより見られているなぁ、とは思った程度の違和感なら、あったけど。


シルヴィアさまの言葉を思い出す。曰く、『教育』。


…何かをするつもりならするって、言ってほしかった。そりゃ、私に何ができるわけでもないけど。

これはあの方たちの身勝手に感じるわ。


「方法がどうこうって言うより、一言の相談もないのは、私、嫌よ」

かてて加えて、放っておけば、あの方たちは、完璧にやり過ぎる。

憤然と、使用済みのビーカーが入った木箱を、私は流しの横に置いた。


これはちょっと、直談判するべきね。


「アンタは、そうだろうね。でも、アンタって性格に比べて、外見が可愛らしすぎるんだよねえ」

じろり、リタを横目に睨む。それが今回の話とどうつながるのよ。


「ああほら、そんな顔とかも。怖いって感じはないんだよ。悪いけど。…だからじゃないかい?」

蚊帳の外になるのは、とリタ。




「ふわふわの栗色の髪に、おっきな翠の目。極め付きにちっさいときたら、愛でまくるしかないよ?」




伸びてくる手を、うるさいと追い払う。要するに、舐められてるのか。

これはちょっと、早急な話し合いを求めないと。


いくらあの方々の立場が上だからって…思いさし、我に返った。





あれ。そうよね。

あの方たち、身分がのみならず、そもそも、出来が空の彼方の高みにあるわ。


太刀打ちひとつできない相手に、私、自分を対等に扱えって望んでるわけ?





あ、だめだわ、これ、思いあがってるの、私だわ。


すぐ、反省。まずは、こいねがうところから始めないと。



たとえばこのリタとかなら、そんなことするなって怒って殴って全部チャラ、で別にいいけど、あの方たちはそうじゃないものね。





読んでくださった方、ありがとうございました!

12/3いくらか付け足し。

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