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5.そんな過去がありました

足早に寮へ向かう。授業中だ。当然、誰もいない。


足早に部屋へ。椅子の上に鞄を置き、机の上のマグカップに花束をそっと入れる。

いくら焦っていても、モノは乱暴に扱わないこと。それが長持ちの秘訣のひとつ。

黙々、クローゼットから保温の魔法をかけてもらった水筒とバスケットを取り出す。


すぐさま踵を返し、食堂へ。

水筒に、食堂で常備されている香茶を淹れ、お茶請けのクッキーをちょろまかし、コップを四つほどバスケットの中へ入れた。



準備は万端。いざ、外へ。



私は小走りに寮から飛び出す。

向かうのは、寮の裏手にある林の中。そこに、休憩に丁度いい切り株があるのよ。

アイゼンシュタットさまは、そちらで待ってくださっているわ。

あの方と、学院と寮への小道の途中にあるベンチでお話…なんて勇気は、私にはないもの。悪目立ち過ぎる。

そろそろ外でも暖かい季節だもの。林の中でお茶会も素敵でしょ?

…まぁ。



今からそこで交わされる会話なんて、ことここに至っても、私、想像もつかないけどね?



緊張しすぎて、お腹が痛い。

だって、行く手に待つのは貴族よ。ベルシュゼッツ公国の。

まかり間違えば、首が飛ぶわ。冗談でなく―――――私、生きて帰れるかしら。






道すがら、少し、この国と貴族について、話をさせてもらうわね。


この大陸は、その昔、古王国って呼ばれる神人が治める国家によって統一されてた。

けど彼らが大地だけじゃなく、天と地下の領域まで浸食し始めたために、三つ巴の大戦が勃発したのよ。

神人―――――つまりは人間の祖先と、天使と、悪魔。この三つの種族の争いね。

種族の違う者同士、果ては同じ種族同士、当初の目的も見失って、来る日も来る日も殺し合いの日々だったそう。


弱者は踏みにじられ、強者も血塗れで、生きるとは殺しの代名詞だったと史書は語る。

魔法の源となる魔素マナは枯渇し、植物も育たなくなった大地の上で、生きとし生けるものすべて、戦いの闇に沈んだ。


その暗黒時代の空気を塗り替えたのが。




天魔。




ただ、歴史はその存在の通り名だけ残し、不思議だけど、名前すら、どの記録にもないの。

種族もはっきりせず、正体は過去の彼方に秘されてしまった。


ただ、天魔が世界の救い主であったのは、どの国の史書でも合致する一点ね。


天魔は大地に、枯渇した魔素マナを蘇らせたのよ。当時は奇跡と称えられたみたい。

その割に、方法についてはいっさいが謎。どんな書物にも書かれていないわ。

忘れてはいけないと声高に叫ぶように、唯一記されていることは。


天魔は、その代償に永劫の転生を繰り返す、ということ。


天魔の御業が成った後、大戦において天地を震撼させた『始原の御使い』たる天使たちと『原初のわざわい』たる悪魔たちは、世界を滅ぼしかけたことを反省し、未来永劫、天魔の魂を守護することを誓ったそう。


彼らが大公家の祖であり、よって、天魔の守護は公国にとって、欠かせない意義なのよ。




でもね、そこらへん、どこまで本当かは分からないわ。


そんな強大な力を持った存在が、簡単に反省なんてする? ウソ臭い。


決めつけてしまうのは、私がスレている証拠かしら。




でも裏側に、なんだか、簡単に語れない事情があるっぽい感じがして、逆に好奇心が煽られるのよね。

と言っても、天魔の研究は禁忌になっているの。世界の理を読み解きたがっている魔法オタクの魔導大国だって、その手の研究員は放逐されるわ。

とりあえず、今、天魔のことはどうでもいいのよ。

私の目の前に立ち塞がっている、現在の問題は。


―――――天使と悪魔の方、よね…。






林の出入り口をくぐって、しばらくして。

私の身長の、みぞおちくらいの高さの切り株の前に立ってる人影を見るなり、私は回れ右したくなった。


覚悟はしてたけど、現実を目の当たりにすると厳しいものがあるわ。



切り株の前にあった人影は、ふたつ。…予想内だけど、増 え て る。



近寄る私は、戦いに赴く形相だったに違いない。

でも彼らは丁寧に、示し合わせた態度で、身振りで私を促した。

二人の間に立て、と。


ふ。


私、ちょっと鼻で笑っちゃったわよ。

この方たちは、その立ち位置で、まともに話せる女子が何人いるか、ご存知ないのかしら。


いいわ。勝負と考えればいいのよ。にらめっこと同じね。

そうでも思わなきゃ、正気を保っていられない。



示された場所に立ち、私はバスケットを切り株の上に置いた。


寮の食堂のマグカップを取り出す。



なんとなく、左右の空気が揺らいだ気がした。戸惑ったの?



ひとまずお茶で、空気を和ませたいのよ、私は。付き合って頂きますからね。


お茶を淹れ、私は左右に立つお二人の前にコップを置いた。

最初は、右。

そちらにいたのは、アイゼンシュタットさま。きっと、相変わらずの男前に違いない。

直視したら思考が止まるから見ないわよ、絶対。



「ありがとう」



目も合わさない私に腹は立たないのかしら。

頷き、顎を引いてアイゼンシュタットさまはお礼を言ってくださった。

感情を伺わせない、淡々とした声だから、本音は見えないけど。

本当に悪魔の血統なのかしら。

しかも先祖返りって言われるほどの力の持ち主なのに、偉ぶったところがない。


これだけだと、よくできたヒトみたいよね。けど、この方も、それなりに問題あるから…。



下手な刺激はしないに限るわ。



左側に立っているのは、―――――ゼン・イェッツェルさま。

妹が天使なら、兄は大天使。無駄にきらきらしい…夜も明かりはいらないんじゃないかしら。

日に当たると本気で眩しい金髪。海みたいな、澄み渡る紺碧の瞳。まつ毛の一本一本に至るまで、完璧な造作。

視界に入れれば、諸手を挙げて降参して、奉仕したくなる。



ここまでだと、まるで呪いね。



でもこの方のほうが、まだ直視できるわ。外見の輝かしさと同程度に、おなかの中が真っ黒なのだもの。


アイゼンシュタットさまは無理。この方はちょっと誰かと比べようがないのよね。

眩しさに、思わず半眼になってカップを置いた、直後。


吹き出す音が聴こえた。ん?


上目遣いに見上げれば、イェッツェルさまは片手で口元をおさえ、向こうを向いて肩を震わせていらっしゃる。

怒ってるの? …笑っているようにも感じるけども。


「ゼン」


紅茶を一口飲んだアイゼンシュタットさまが前を向いたまま、落ち着き払った態度でたしなめた。相変わらずいいお声。耳が幸せになっちゃう。



「大変な状況で、茶まで用意してくれたのだ。そんな女性に対して、失礼は止せ」



いえ、お茶の用意くらい普通なので…と言いますか、相手から深刻さやら不穏さやらを取り除きたいっていう下心から持ってきました。はっ、まさか。

それに気づいていらっしゃるのね、イェッツェルさまは。懐柔されないぞってこと?

それならそれで。


バスケットを探り、器ごとクッキーを取り出す私。




「どうぞ。女子寮の食堂のものですが」




さらなる懐柔作戦に出てみた。開き直りよね、もう。

でも私から見れば天の果ての地位にいらっしゃる方々のお口に合うかしら。


私は好きなのだけどね?

とたん。




「く、あは、ははははっはははははっ!!」




イェッツェルさまが、大爆笑。おなか抱えて、そりゃもう盛大に。

…あら意外。笑うと、幼い印象になるのね。でも。


器を両手に持ったまま、戸惑ってしまうわ。何か笑うところあったかしら、今。



「い、いやだって、可愛いだけのおチビさんだと思ってたのに、ご令嬢の集団に対して喧嘩を売るわ、この状況下でお茶の準備までしてくるわ、こんな心臓に毛が生えた対応されたら、笑うしかないだろう、テツ」



おチビさん。イェッツェルさまの、私に対する、いつもの呼び方。

小さいのは事実だから、腹も立たないわ。それに。


星の数ほど寄ってくる女の子なんて顔も覚えてないだろうこの方に、一応は覚えられてるだけでも、私はましなほうなのよ。


私が冷静に、器を切り株の上に置くなり、

「妹から聞いているんだろう、おチビさん」

腰を曲げ、切り株に肘をつき、微笑みながら私の顔を覗き込むイェッツェルさま。


私が半眼になるのはお許しくださいな。眩しいのですもの、本気で。


「よくも邪魔をしてくれたね?」

声は快活。表情は優しげ。態度全部で、本音を隠してる。

読めない以上、おとなしく話を聞くほかない。


「怒ってるわけじゃない。ぼくは感心しているんだ。まったくの偶然だとしても、引きの強さが相当だ。ぼくの計画をあっさり台無しにしてくれたおチビさんに、敬意すら持っている」


…腹立たしさもありそうだけど、この態度。きっと、面白がっていらっしゃるわ。

予想外の出来事ほど楽しむっていう悪癖が、この方にはあるもの。

ただ、恨まれてはいないようだけど、迎合されてるわけでもない。


私が微妙な立場なのは、変わりないわね。


「でも今回のことは、ぼくのやったことにキミを巻き込んでしまったわけだ。謝罪の意味を込めて、キミの望みを一番に言うことを許可してあげる」


許可するって言いながら、それ、拒否権のない命令ですよね?


私としては、他の全員の意向をまず知りたいのだけど。

情報がないまま、うまく立ち回るなんてできないわ。


それに、先に話せ、と言いながら、話したところで望みをかなえるとは仰っていない。


様子を伺えば、アイゼンシュタットさまは黙っている。




二人とも、まずは私の意見を知りたいってことね。




こうなれば、腹をくくるしかない。自分に淹れた香茶を一口飲んで、私。えぇい。






「私がアイゼンシュタットさまに相応しくないのは、万人が思うところでしょう。…アイゼンシュタットさまのためにも、先刻の出来事を白紙に戻すことを、私は望んでいます」






右手の指にはめた、サイズの合わない婚約指輪がやけに重い、気がする。

ただでさえ、それはアイゼンシュタット家の紋章入り。見るだけで、ちょっともう…。

無意識にそれに触れた私の右隣から、淡白な声。


「逆ではないのか」


はい? あの、もっと詳しく、アイゼンシュタットさま。

私の知能が足りないのかしら。アイゼンシュタットさまが何を仰っているのか、わからないわ。

言葉が足りない御曹司様は、とりあえず、私の気持ちを察してくださったみたい。

言葉を付け加える。




「俺があなたに相応しくない。言われるならそれだと思っていたが」


そんな高慢な女、この世に存在するんですか。




あ、気遣いなの? 私を立ててくださってる?

あらでも、私の記憶にある限り、アイゼンシュタットさまってそんなことはなさらない方のはず。

混乱に、私は無言を貫く。ちょっと、時間をくださらない?


イェッツェルさまが難しい顔で、私とアイゼンシュタットさまを交互に見た。二度。



「テツ、キミのおチビさんに対する評価は高いようだけど、―――――キミたち、知り合いなの?」



顔見知り程度ではあるけど、知り合いとは言い難いわ。学院で、話したことすらないのに。

否定を予測した私の隣で、こともなげに、アイゼンシュタットさま。



「ああ」


初耳 で す が 。



アイゼンシュタットは平然と続けられた。






「ヘルリッヒ嬢は俺の命の恩人だ」


……………あらアイゼンシュタットさまったら、台本を書く才能までお持ちなのね。






だって私、アイゼンシュタットさまを助けた記憶なんてないわ。

なにか、こう、うまい筋書きを思いつかれたのかしら。ただしそれが、どこへ着地するのか読めない。

いやそもそも、何の筋書きですか?


自分の頭の中を整理するので手一杯の私は、ひとまずすました顔で香茶を飲んだ。全部承知ですよって態度に見えたかもしれないわね。傍からは。

ひとまず、アイゼンシュタットさまに合わせたほうがいいって思ったのよ。

一通り話を聞かなきゃ、私も反応しようがなかったもの。


イェッツェルさまが、にっこり微笑んだ。輝く笑顔の裏で、そろばんはじく音が聴こえる気がするのはどうしてかしら。




「聞くけど、それっていつの話だい」


「子供の頃だ。6歳前後だったか」


「ジャック・ハイネマンが精力的に活動していた時期だね…?」




イェッツェルさまの言葉に、私も思い出す。

そうね、そのくらいだと、確かに旦那様の仕事が軌道に乗り始めてた頃だわ。

ただその時期は、母が亡くなった頃っていう印象も強い。


旦那様の片腕的存在の母がいなくなったのは相当な痛手で、でも、仕事は待ってくれなくて。


子供ながらもどうにか雑務程度はこなせる私を連れて、旦那様は大陸中を渡り歩いた。そういう時期が、4年ほどあったのよね。

まだ小さな子供を仕事に連れまわすなんて、と良心的な大人からは散々言われたけど。


―――――旦那様は昔、一番信頼していた人から、徹底的な裏切りを受けたの。


ボロボロにされた過去があるから、あの方には、他人に対する根深い猜疑心があるわ。

そのどん底にいた時期から一緒に支え合ってきた母と私だけしか、旦那様は、本当の意味で信頼できなかったみたい。


私はある意味、あの方の精神安定剤だったのね。


幸い、旦那様の中で、牙をむいていた猜疑心がこの数年はおとなしくなっているから、私もお傍を離れて学校の寮へ入ることもできたのだけど。



あの頃、確かに、貴族の屋敷へ頻繁に出入りしていた記憶があるわ。


アイゼンシュタット領へも確かに訪問したわね。…そのとき、何かあったかしら。





「俺は屋敷の庭先で誘拐されかけた」





私、目を瞬かせてしまう。

うっかり、お声にうっとり聞き惚れて自分を見失ってしまいそうだけど、待って。

知らないわ、そんな話。


「アイゼンシュタットの直属の騎士が主犯でな。理由は何か聞いた気がするが、よく覚えていない」


相変わらず本でも読み上げてる態度で、アイゼンシュタットさま。

だから語られていることが真実か作り話か、本当にわからない。


「俺はそのとき、魔石を身に着けていなかったせいか…腕を取られた時、瞬時に悟ってしまったのだ。ついていけば、もう生きて屋敷へ戻れない、と」


大公家の人間は、必ず魔石を身に着ける。理由はひとつよ。

人間との交配を続け、薄くなったとはいえ、天使と悪魔の血は、強すぎるの。成長につれ濃くなる魔力はやがて人間としての皮を破り、持ち主を異形へと変貌させるって言うわ。


それを抑え込むための、魔石なの。


「それはいやだ、と思うのと同時だった。魔力が爆発したのは」

大公家嫡子の魔力の暴走だ。酷い結果が目の前に残ったんだろうってことは、想像できた。

でも、ここまで聞いても何も思い当たることがないわ。私がアイゼンシュタット家のお屋敷にいた時、そこまで危険なことが起きたかしら。


「騎士たちが死んでも魔力の暴走は止まらなくてな。挙句、死んだ騎士たちが悪霊に代わってしまった」


魔法の扱いは失敗すれば無茶苦茶な結果になるって言われるけど、まさにこれがそうね。

どうやってそんな局面、乗り切れるのかしら。

「あぁ、わかるなそれ」

苦笑気味に口を挟んだのは、イェッツェルさまだ。


「自分の力で乗り切った危機をさらなる危機に変えちゃう大ポカ、たまにやるんだよ」


「魔法の働きはたまに読めないからな」


そういう話を聞くと、魔法が使えなくてよかったって思うわね。

「驚いたところで、暴走が止まったはいいが、今度は疲労と恐怖で動けなくてな」



悪霊に囲まれたまま動けなくなるって…それは怖いわ。



あら、悪霊? ちょっと待って。なんだか、思い出しそう…?

って。あ!




あったわね、確かに。貴族のお庭で、悪霊の群れを見たことが。


不吉な彼らの目がとらえて離さなかった先にいた、小さな子供の姿が、記憶の中鮮やかに蘇った。

ただし、それって。







―――――そうとうな美少女、だったのだけど。







まさか、その。


あの泣き虫の美少女が、今、この、隣にいらっしゃる、アイゼンシュタットさまのかつての姿とか、そんなこと、仰せになるの…?


あの子、私より小さかったのに! 思うなり、隣の長身をまざまざと意識する。


意識を向ければ、はっきり体格の違いが分かってくる。

しかもこの方なんだか、細身に見えたのに、近くにいると身体が分厚いと感じるのよね。肥ってるっていうんじゃなくて、前後に…これが、筋肉…。おかげで威圧感が増した。


私、つい、片手で額をおさえてしまったわ。


思い出してしまった。あった、ありました。

悪霊に取り囲まれた女の子が、潤んだ目でこっちをすがるように見た姿に、悪霊の不吉さに竦んでた心が奮い立って、助けに駆け出した過去が。




読んでくださった方、ありがとうございました~。

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