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45/45

45.かくして、獣の逆鱗に触れ、北への誘いを

肯定と受け取って、私は大きく、息を吸い込んだ。大事なのは思い切り。声を張る。




「この場の破壊活動をすべて停止!」


「ハッ!」



足元から鋭い返事が上がった。同時に、周囲にも変化が起きる。雰囲気で分かった。

掻き回されてた空気の流れに、突如静寂が挟まった感じ。


見渡して状況を確認したい。でも、まだ我慢。だって。

目の前の魔法人形から目が離せない。

従って、くれてはいる。けどそれは本音? 心からのもの? 演技じゃなくて?



傍から見れば、完全に魔法人形を支配してるように見えたのだとしても、私はこれっぽっちも安心できずにいた。



なにせ、こんなの初めてなんだもの。怖い。ちょっとでも気を抜けば間違いなく膝が震えだす。

けど。自身が危険にさらされる恐怖以上に、皆が傷つくのが怖い。同じくらい、魔法人形たちが破壊されるのもいやだ。…要するに、エゴよね。



どっちも気持ちも落ち着かせるためには、―――――双方を引き離すのが一番。




「あなた一体を残し、他はすぐさま楽園へ帰還!」




表向き、きびきび指示を出す。内心、恐怖に溺れてるけどね。

間髪入れず、いっせいに空気が動く。寸前で、命令を付け加えた。


「扉からよ!」




以前、魔法人形は地下から天井を突っ切って帰還したわ。製作者の天魔に言いたい。せめて常識は標準装備させてほしかったのだけど!




風を切る音が周囲に響いた。周囲で、微かな驚きの声が上がる。と同時に、視界の端を白い何かが群れで横切って消えてく。


全部終わった。

一瞬、力が抜ける。他人事みたいにその光景を見物しそうになった。


すぐ、楽観は消し去る。残念だけど、まだ終わってない。



心を叱咤して、私はさらに言葉を続けた。




「では、質問よ。答えて」


それらの動きで、周りの目が、最後に残った魔法人形に向く。当然―――――私にも。






「あなたに今回のことを命じたのは、誰」






問いに、なぜか。

魔法人形の身体が、小さく跳ねた。驚いたみたいに。愕然とした顔が向けられる。


「…我が君では、ないのでしょうか」

我が君。天魔。即ち、…私? 何の話。


私が命じたと、魔法人形は思ってたの? とんだ濡れ衣だ。



「違うわ」



私はきっぱり否定。でも確かにこれは、私もさっき思ったところよね。

魔法人形の主は天魔。天魔以外の誰が、魔法人形に命令を下すことができるのかしら。


「では…では…我らに命令を下したあの『血』は…」

魔法人形は、考え込むみたいに俯いた。


『血』?


私は傷跡を意識する。つまり。

魔法人形の先ほどの破壊行動は、誰かの血を介して命じられたものだったってことよね。それなら。


改めて、尋ねる。




「血で命じられたというなら、その血は。今の私と同じものだった?」




魔法人形が、血をどんな風に解析するかは知らないけど、それによって主人マスターを判断し、従うというなら。

先に命令を下すために用いられた血と言うのは、―――――まさか。


魔法人形の顔に、信じられないものを見た色が浮かぶ。瞠った目を私に向けた。




「―――――違います。そうだ、あれは原初の方の」




ぶつん。


繊維が千切れるみたいな音を上げて、言葉が不自然に途切れる。

(なに)

私の目に映ったのは。







魔法人形の首が、繊細そうな両手で、果実みたいにもぎ取られた光景。







その、状況を。


しっかり、頭で理解する前に。




「ああ、本当に、…本当に」




最初に聴こえたのは、感極まった声。次いで、吐息が頬を掠めた。熱い。

直後、目に飛び込んできたのは。


立襟の、緻密な刺繍が施された、独特の衣装。






「ほんもの」






ふわり、鮮やかな袖が揺れた。一瞬、それが視界を遮る。直後。

ゴトン。


袖が翻った向こう側に、投げ捨てられた、魔法人形の首が見えた。視線がそこから外せない。


小さな手が頬を包み込んだ、と感じた時には。

すぐ鼻先に、歓喜に染まった少女の顔。いえ。違う。女の子じゃない。…少年、だわ。私より少し下くらいの年齢。


喜悦に潤んだ大きな碧眼が、私を映して細められた。






「ね」


呼びかけるように、彼は首を傾げる。稚い仕草。直後、もう決まったことみたいに告げた。



「帰ろ」






―――――あ、まずい。


膨大な魔力の蠢きを、彼の中に感じる。それが攻撃だったなら、まだよかった。遠慮なく跳ねのけられた。


できるかできないかはともかく。迷わず攻勢に移れるって意味で。

でも、…彼は。



子供が親に、早く帰ろうってねだる態度で、私を絡め捕ろうとした。全力で。



おかげで一瞬、私は態度を決めかねる。彼の腕を振り払いかねた。刹那。






「…お前は、何だ」






聞いたこともないような凍える声が、私の戸惑いに冷水を浴びせた。とたん、私と彼との間に小柄な影が割って入る。


―――――ギルさま。

彼は元来が病弱で、大人しい少年だ。性格そのままに、一挙動は、本当に何気ないものだった。けど。

割り込んだ動き一つで、殴りつけられたみたいに相手の魔力の軌道が逸れた。


薙ぎ払ったギルさまの魔力と共に雪崩落ちたそれは、





―――――ガガガガガガッ!!


凄絶な音と共に、床板をえぐり取っていく。騒音が収まらないうちから、





「忌々しい…天使の末裔が!!」


現れた少年の顔に、憤怒が浮かんだ。少女と見紛う顔が歪む。とたん、手負いの獣みたいに動いた。ギルさまにつかみかかろうと、して。


たちまち、彼の口から、濁った怒声が跳ね上がった。

つかみかかろうとした両腕が、何かに阻まれてる。障壁? 気づけば、周囲が見えない壁に囲まれてた。


「ちょ、ちょっとぉっ!」

その外から、ジャンナがおろおろと声を上げる。

「あたしはお嬢さまの護衛なんですけどっ。外側と内側に分けて、引き離されるのは困りますぅ」


外側。結界の、ってこと?

振り返った視線の先で、彼女の手は座り込んだラキトフさんの服を掴んで横に引き倒してた。あ、もしかして。

…ラキトフさん、いきなりギルさまが展開した障壁に轢かれそうになったんじゃ…。気の毒に、目を回してる。


さすがジャンナ、私の護衛。守ってくれたのね。私の心を。この状況でラキトフさんが流れ弾を食らう格好で死亡なんて耐えられない。


彼女の隣で、アンガスが真顔で首を横に振った。

「あー、だめだこれ。まずい。マジでまずい」


剛毅な印象の強い横顔に、焦りが滲む。頭で理解したって言うより、目の前の少年の危険さを本能で察知したみたい。


「ヤバイ生き物だわ。…引くぞ」

「あ、ちょっとぉっ!」

アンガスは一目散に後退した。ジャンナの首根っこを引っ掴んで。


少年は彼らに視線すら向けなかった。代わりに―――――真っ直ぐ、私を。

とたん、熱い息を吐きだし、悶えるように甘えた声を上げる。



「おうちに、帰ろ?」



私を目にしたことで、彼にどんな変化があったのかしら。ギルさまの障壁が軋む。

音なんか聴こえないのに、みしみしって周囲の空気が悲鳴を上げた気がした。


ギルさまが、私に小声で早口に告げる。



「…ミアさま、お願いがございます」

言葉に合間に、苦し気な息が混ざった。…苦しげ? まさか、押し負けてるの?


ギルさまが。五大公家の天使の一族が。たった一人の少年を前に、魔力で?

信じられない。背筋が寒くなる。そんな相手が存在するって言う事実に。


「情けない、話ですが」



悔し気に、ギルさまは続けた。

「合図をしたら、…お呼びいただけませんか」


ギルさまの声が、聴こえてるのか、聴こえてないのか。


少年の熱のこもった目は、私から離れない。

尋常でない熱―――――もうほとんど狂ってるんじゃないかと思うくらい、常軌を逸した熱量。

絡め捕られた心地で、私は、唇も喉も強張って、声が出せない。


だから、ギルさまの言葉に、私は小さく頷くので精いっぱいだ。

前にいたギルさまに、そんなの見えるわけがないのに。

それでも、空気が動く気配が伝わって、くれたのかしら。


ギルさまは、歌うように告げた。





「ギムグルドゥ」


その、音楽めいた言葉を。





聞くなり、もう、私は理解してた。真名だ。これは。ギルさまの。

他の者には、ただの旋律にしか聞こえないと言われる、五大公家の真名。


耳にするなり、少年は目を細めた。細い声で呟く。


「また、薄汚い名を、呼ばせるの?」

塵芥にでも向ける視線をギルさまに向け、猛烈な憎悪のこもった声で絶叫した。




「図々しいんだよお!!!!」




あまりの声に、反射的に私の身が竦む。鼓膜が腫れたみたいに痛んだ。

気を抜くと、怯えてしまう。でも、その態度はダメ。

この少年を前に、弱いところを見せてはいけない気がする。それはすぐさま、致命傷につながる予感があった。


果たして、この少年は誰なのか。


彼の物騒さ、これは決して招待客が持つものじゃない。そもそも、同じ人間かしら。ただ膂力のみで魔法人形の首をもぎ取った、その力。常識で測れるものじゃない。それに。

少年がまとう雰囲気。

―――――性質は全く違えど、つい最近、私は似通った空気をまとう男と邂逅してる。学院で。

…そうだ、彼は。

私は、真っ直ぐ少年を見つめ返した。たちまち、彼の顔が、嬉しそうに綻んだ。


ギルさま越しに、私は少年に声をかける。…慎重に、慎重に。

―――――でも上から抑え込むように。




「あなた、楽園の眷属ね」




確信なんか、なかった。でも、弱い声じゃきっと、彼の心はつかめなかったから。

堂々と、断言する。格の上下を教え、いえむしろ、ねじ込む態度で。


とたん、少年の顔に浮かんだのは。



―――――歓喜の輝き。



比喩でなく、本当に輝いた。雲間から光が差すみたいに。

「ああ、そうです、そうです、覚えておいででしょうか、昔から、あなたは、」

何を言いさしたのかは分からない。なにせ。


「ミアさま!」

ギルさまが、合図した。呼んでくれと。名を。間髪入れず、私は。





「―――――ギムグルドゥ」





真名を、口にした。天使の。とたん。

誰かが、笑う気配があった。ギルさま? 何を見たのか、少年が、瞠目。刹那。


―――――ばしゃ。


少年の姿が消えた。次いで、どこまでも不吉な水音が耳に届く。直後、むっと鼻をつく血臭。

自然と、目が床を向いた。水音が響いた方へ。そこは、寸前まで少年が立ってた場所だ。

見れば、赤黒い水たまりが―――――違う、これは。


つ、と周囲へ四散し床の上を滑っていくその液体は、血だ。中身を失った華やかな衣装が、瞬く間にそれを吸い上げてく。

それらに埋もれるような白い欠片は、


(骨?)

この、皮膚も臓器も区別のない血だまりが、あの少年の成れの果てだと言うのなら。


たった今、一瞬のうちに、いったい何があったって言うの。



「あぁ」



何かに納得したような低い声が耳に届く。目の前のギルさまの肩がわずかに落ちた。

落胆したような、呆れたような態度。…状況に、ついて行きかねるけど。


彼は、間違っても、少年が消えたことを悲しんでるわけじゃない。

「さすが、楽園の眷属」

ギルさまの、まだ少年に過ぎない小さな身体に、はち切れそうな力が満ちてるのが感じ取れる。溢れそうだ。これは、真名がもたらしたものなのかしら。

真名を口にすることで、もう、最初の頃みたいな、別の肉体がくっついたような猛烈な違和感や不快感はないけど。


何度繰り返しても、繋がる感覚なら、残ってる。今も確かに、細い糸みたいに感じてた。




「命汚い」




…心の底から、見下す声。これが、ギルさまの唇から放たれたものだとは、いつもの気弱さを知ってるからこそ、にわかには信じられない。

いいえ。真名をもって解放された今の方が、彼の真実。今ここに立ってるのはギルさまって名前の気弱な少年、じゃない。


…ギムグルドゥという名の、天使。


ギムグルドゥの呟きに呼応するみたいに、見下ろした血だまりの中。

ぼこり。赤黒い血が盛り上がる。それが、人の顔の形を取った。


「ああ、そうか、また貴様か…天使…醜い死神―――――…っ!」

頭部となりかけた部分だけが、突如、跳ねるみたいに空中へ躍り上がる。直後。

残った血だまりが、瞬く間に蒸発した。てん、てん、と、頭部らしき部分から落ちた血痕ごと。それで、分かった。


あの血でできた頭部は、逃げたんだわ。蒸発させられる前に。


…全部を、いっきに蒸発させられると、さすがに楽園の眷属でも無事では済まないみたいね。

そんな暴虐の行動に出たのは、ギムグルドゥじゃなかったみたい。


―――――いつから、そこにいたのか。

一瞬で消えた血だまりを挟むように、私たちと向き合う格好で、立ってたのは。




「逃げたか」


黄金の目の悪魔。その眼差しには、欠片の動揺もない。いつも通り、静かに凪いでた。


テツさま。




顔を上げれば、

「ああまさか、ここまで来るなんてね」

テツさまの後ろからやってくる、輝かしい美貌が見えた。ゼンさまだ。

彼は興味深そうに言って、空中の赤い頭部を見上げる。


「あら大変。結界の見直しが必要なのでは」

私のすぐ隣で考え深げに呟いたのは、シルヴィアさまだ。気配なく隣に立つのはやめてほしい。

「来たもんはしょうがねえだろ」

少しもしょうがないって感じじゃなく、好戦的な荒い声で言ったのはレオさま。彼はすぐ近くで面白がる目を楽園の眷属へ向けてた。


「潰しても元に戻るとは…何回でも殺せるのか。心躍るな」

壁に背を預け、どうでもよさそうに声を放ったのは、カイさまだ。

楽園の眷属が、忌々し気に声を放った。


「まるで、自分たちのモノのように…っふざけるな!!」

割れるような怒号が叩きつけられる。




「天魔はボクら楽園のモノだ!!」




ええぇ…。


私、内心げっそり。私は誰のものでもないわよ。

それにしたって、この執着。…おかしいわね、彼ら楽園の眷属は、どちらかと言えば、天魔を憎んでると思ってたのだけど。








―――――楽園の眷属。


便宜上、そう呼ぶけど。

彼らは、魔法人形とはまた違う存在だ。

天魔に深くかかわるけど、天魔に作られたってわけじゃない。


どういえばいいのか…どの時代、どの場所にも、問題児ってのは存在するでしょう?


立場上、どの時代の天魔も否応なく彼らと関わることになり、結果―――――誰の手にも負えなかった彼らは天魔の巨大な力によって、問答無用に隷属させられた、みたい。

彼らの意思はいっさい無視。


この成り行きから、…考えてみて? 

天魔は彼らから、恨まれ、憎まれこそすれ、過ぎた恋慕にも似た執着を向けられるとはとても思えないんだけど。


まあ、―――――国を一つ沈めた、とか。千年にわたる規模で謀を行った、とか。

要するに罪人ではあるのだけど。しかも持つ力が半端じゃない。今目の前にいる少年にしたって、そう。


天使と張り合えるだけの力ってとれだけよ。

だから天魔じゃなければ、無理やりにでも隷属させることは不可能だったみたい。

よって、楽園の眷属と言うか、彼らは要するに、天魔の眷属なわけよね。


どれだけそう言った存在がいるかは、五大公家にも見当はつかないみたい。

ゼンさまが、余裕ができたら調べてみるって仰ってくださったけど…できるだけ少ないといい。

でも、ねえ…。


天魔が持つ力の大きさってそりゃ反則よ? けど、簡単に解決つかないからひとまず隷属させて様子を見よう、なんて…アバウトな感じがばりばりなんですが。しかもこうして、眷属としてずっと生き続けてるわけでしょ? 彼らを隷属させた天魔が死んだ後も。


この状況って、つまりは。




まるごと、後回しのツケが回って来てるってことよねえ?








「―――――いけないなぁ」

のんびりと、不意に割り込んできた声があった。

「言ったろ」

諭すように、言葉が続く。


「悪い子にはお仕置きだって」


公王さまだ。

言葉は、どこまでも優しげ。なのに、なんだろう。血の匂いを、鼻先に嗅いだ気がした。

白い手が、差し伸べられた。誰かを抱きとめるように。

その動きの終わりに、何かが完成しようとした、刹那。



「ハッ、やっぱり腰抜けだよね、天使も悪魔も」



甲高い声で、少年が挑発。ぴたり。中途半端に、公王さまの動きが止まった。

「縄張りでしか強気に出られない…勝負は外でやろうよ、ケダモノども」

ここまで追いつめられながら、たいした度胸だわ。

彼に対し、誰も何も言わない。落ちたのは、重い沈黙。



ひたひたと毒みたいに満ちてくるのは、怒りとも憎悪とも取れない負の感情。燃え上がるような激昂がない分、猛烈に、胃にくる。深い谷底にでも落ちてくような感覚から、私は必死で目を逸らした。



そもそも縄張りって?


縄張りも何も、五大公家の方々はベルシュゼッツ公国から出られない。これは国家間の取り決め…いえ、他の意味も、確実にあるんだろうけど。

国境を、見えない檻みたいにたとえられることはよくあることだし。

だけでなくって、ベルシュゼッツ公国の土地は、霊的にも天使と悪魔に利する何かがあるのかしら。


楽園の眷属の反応からして、そんな気がするのだけど。

「これが外だったら、どうかなあ」

ばかにしきった声で告げ、いきなり、宙に浮いた頭部、その顔の部分が私に向いた。


目も鼻も口もない。鮮血の面立ちが。

「ねえ、北の王国に来てよ、天魔さまぁ」

一転、おそろしく甘ったるい声で、少年は私を誘う。






「面白い遊びを始めたんだ。一緒に、あ そ ぼ」






直後、―――――ボタボタ…ッ。

役目を終えたみたいに、血の頭部は形を解いた。鮮血が改めて、床に落ち、跳ねる。


あまり長く見たいものじゃなかった。さっさと私は目を逸らし…て、後悔する。




場に残った五大公家の方が全員、その血を凝視してた。




尋常な視線じゃない。


血の一滴すら、引き裂いてやりたい―――――そんなケダモノじみた激情が溢れてた。

あの楽園の眷属は、彼らの逆鱗に触れたみたい。


そんなことを、恐れげもなく堂々とやってのけるのだから、問題児レベルが、そりゃ世界規模に広げられるのは仕方ない話よね。

「なるほど、なるほど」

私の次に顔を上げたのは、公王さま。

腕を下ろし、穏やかに何度も頷いた。そこに、激情はない。でも。


…嵐の前の静けさって、こういうことを言うのかしら。


彼の、どこまでも薄い色彩の眼差しが、初めて真っ直ぐ、私を映す。

―――――しまった、ギルさまのみならずテツさまのうしろにしっかり身を隠そうとした動きが、逆に目立ったみたい。


公王さまは穏やかな笑顔のまま、やさしげに告げた。



「やあ、はじめまして。あなたが当代の天魔か」



かけられた声に、少し、頭がふわっとする感覚がある。ここは現実のはずなのに、夢の中に誘い込まれたみたいな。とたん。

いきなり、視野が広がった感覚があった。

いつか、砂漠で結界を展開したみたいな感じに似てる。

騎士たちの立会いの下、ざわざわ、来賓の方々が会場を覗き込んでるのが見えた。完全に外へ連れ出したわけじゃなかったのね。


天魔って呟きが病気の感染みたいに広がってくのが分かった。


でもこの、視界がいくつもいっきに脳裏で展開される感覚は…やっぱり慣れない。

悪酔いしたみたいに座り込みたいけど、注目されてる状態で、それは迂闊だ。弱さを見せてもいけないし、状態を悟られるわけにもいかない。

ただその、数多の視界の中のひとつ。


気になる光景が、あった。






熊みたいな大柄な青年のが、腕の中に隠すように誰かを迎え入れてる。

くすんだ金髪。暗い褐色の瞳。イサーク・レノヴァ医師。その腕に隠されたのは。

(…え?)


古風なドレス姿の女性。ラキトフさんの言葉を信じるなら、彼が苦しむ原因を作った人だ。

薄い藤色の瞳に、髪は白に近い、輝くような銀。その美しい人は、安心したようにレノヴァ医師の腕の中で目を閉じた。


ただ、彼らの姿が見えたのは一瞬。逸れた視点は、もうもとへ戻らなかった。






「夢で見た中でも、悪くない状況に着地したが…侮りは耐え難い」

淡々とした公王さまの声に、私はぱちり、一度瞬き。直後。


複数の視界が、いっきに消え、ひとつに絞られた。即ち、目の前の出来事に。

改めて、私は状況を確認。


悪くない状況…これが? いえ、そうね。


無駄に人が死ぬようなことはなかったから、これは僥倖ね。

それにしたって―――――侮り。


「どうかな、天魔。何やら、危機的状況のようじゃないか。北の王国が」

公王さまは、腕を広げた。演説でもするように、大げさに。それでいて、愉快気に。


「手助けしようと思うのだが、いかがかな」


周囲の同意を得るような物言いだけど、きっとこの方、

「向こうが嫌と言うなら、無理やりにでも」

…あ、やっぱり。




―――――何が何でも、我を通す方だわ。




その上、悪いことに。


五大公家の誰も、止める気配がない。むしろ後押ししてる。気配で。そりゃもう突き飛ばす勢いがある。

「なんにしろ、丁寧な招待を受けたのだ。応じねば無礼と言うもの」



着々と、逃げ場が塞がれる音が聴こえた。



輝く笑顔で、公王さま。

「互いに、礼は尽くそうではないか、天魔」

あ、だめだこれ、もう逃げられない。


私の目から燃え尽きを察したか、満足したみたいに公王さまは私から視線を切った。


代わりにテツさまを見て。

「そうそう、遅れたが」

やたらにこやかに告げた。




「婚約おめでとう」




















ねえ、聞いてくださるかしら。


瞬く間だったわ。逃げ道どころか、反論まで封じられた…。








あけましておめでとうございます。


読んでくださった方ありがとうございました~!

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