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41.悪魔の価値観

次の更新は11/17になります。

寒くなり始めているのに夏の話。

ちょっとだけ、昔の話をするわね。




私がアイゼンシュタット家にはじめて訪れた日の話よ。


かの領地は、首都ウルグヴォルンから数日の距離にある。

その中心地、平野のど真ん中に、大公の邸宅はそびえてるの。


周囲は高い木々の多い深い森に囲まれ、東側は神秘の存在として名高い美しい湖が広がってる。


平野の中央に位置しながら、奥津城とも言えるような重厚な雰囲気を醸し出す邸宅。

そう、邸宅、と言うより、城。


穏やかで、風光明媚な場所よ。悪魔の住処と考えれば、怖いくらいに。

そこの、もっとも奥まった場所で、子供の頃、私はその方と出会った。




―――――アイゼンシュタット大公閣下。




はじめての遭遇は、望まない形―――――緑豊かな中庭で。


そのとき私は、焦りを抱え、繁みの中から飛び出した。一緒にいたはずの旦那さまの背中を見失ったから。



いくら私だって、小さな頃からふてぶてしかったわけじゃない。



おろおろと、周りに視線を走らせながら、飛び出した先にあったのは。

優しい春先の日差しが降り注ぐ、四阿で…かの方は、昼下がりのティータイムを楽しんでた。




「おや」




私を見て、かの方は真紅の瞳を瞠る。


悪いことに、気付けば私は大公さまの真正面に立ってた。

目が合った時は…蛇に睨まれた蛙ってきっとこういう気分だろうなって理解できたわ。とたんに指一本、動かせなくなってた。そのとき。


間違いなく、大公さまは微笑んでらした。子供の悪戯を見守る大人の顔で。でもね。



「勇敢な坊や。きみはいったい、どこから来たのかな」


私を男の子と勘違いしたのは、別にいいの。いつものことだったし。そんなことよりも。



「ウルグヴォルンより、参りました」




一瞬でも答えが遅れてたら命が消える。そんな危機感が、私の背中を凍えさせてた。




「首都の子が、なぜ今、一人でアイゼンシュタット家の邸宅にいるのだね」

「共に訪れた旦那さまとはぐれました。捜せば見つかると、思ったのですが」


ここまで言いさして、つい、私は言い淀む。自分が愚かだったと理解したから。



旦那さまを捜して駆け出すのじゃなく、その場であの方を待ってた方が安全だったのに。私が選んだ行動は、浅はかだった。



「…ウルグヴォルン…旦那さま…ふむ、なるほど」

何かを納得したらしい大公さまの呟きに、私はいたたまれず、頭を下げた。


「申し訳ありません」

「それは何に対する謝罪かな」

声はあくまで優しい。けれど、底の方に、容赦のない何かが淀んでる。


迂闊なことを言えば首が飛ぶ。そう感じながらも、素直に答える以外に私にはできなかった。



「おとなしくその場で待つか、邸宅の誰かに尋ねればよかったのに、咄嗟に考え付きませんでした」


―――――結果的には、それは正しくって。



「構わない。きみはまだ子供だ。問題点に気付けただけでも、上等だよ」

私の答えを気に入ったように、大公さまは笑みを深めた。ただ。…安堵は、束の間。






「答えてくれてありがとう。ではきみは、そこの愚か者の仲間ではないのだね」


え、と声を上げる間もあったかどうか。






大公さまの背後の繁みから、濡れ雑巾を床にでも叩きつけたみたいな乱暴な音が上がった。


たちまちそこから噴水みたいに何かが吹き上がり、―――――赤い雨をその場に降らせる。






…刺客が、そこに潜んでいて。


寸前まで、私の命は薄氷の上にあったのだと悟ったのは、この瞬間。

そこへ、おっとり刀で現れたのは。



「おや、困りましたね、大公さま」



シルクハットに杖をついた、どこの貴族よりも貴族らしい、王侯貴族然とした男性。


彼は、ひとつも動じず、血の雨を見上げた。人好きのする微笑を浮かべ、平然と口を開く。



「わたしの養い子と先に商談ですか?」



彼こそ、私の旦那さま―――――ジャック・ハイネマン。








なんで今、そんな昔話するのかって? それはね。


―――――これから、その大公さまとご対面だからよ、こん畜生。


商売以外では、二度と会いたくない方ランキングの上位にいらっしゃる方ほど必ず人生のどこかで正面衝突せざるを得ない場面が巡ってくる気がするわ。



今、私は馬車の中。



普通の馬車じゃない。魔石を核にして構築された制御装置が備え付けられた、魔法技術の粋を凝らして作られた馬車。

揺れなんて、ひとつもない。


それを引っ張る漆黒の、二頭の馬も普通の馬じゃないのよね。生命体、とは少し違う。

でも以前見た魔法人形というよりは、ホムンクルスに近い感じ。


その緻密なつくりもさることながら、一番の問題は。

―――――馬車の、大きさ。え。なに。これ。

これが、大公家の馬車。


最初、唖然としたわよ? や、そりゃ遠目には拝見したことはある。ただ。


正直、こんな近くで拝めるどころか、乗る機会が巡ってくるなんて思ってなかったわけで。

そう、これはアイゼンシュタット家御用達の馬車。

…いえ、テツさまの婚約者である以上、これも当然の話なのかもしれないけど。


今に至っても、当然と思えないのが問題と言うか。


「なあ、ミア」

馬車の中で、私の対面には、アイゼンシュタット家の兄弟、お二人が並んで腰かけてらっしゃる。何ともまばゆくて―――――居たたまれない。


今、私に話しかけてくださったのは、弟君のヴィルフリートさま。



「あなたはハイザーヘイムの土地勘があるようだが、貴族でないのにどうしてだ?」



好奇心を顔に浮かべ、ヴィルフリートさまは私の目を覗き込んでくる。


ここは、ベルシュゼッツ公国でも有名な避暑地ハイザーヘイム。

国でもっとも、北王国ワースノヴルズに近い場所よ。


でも、土地勘? いきなり何の話。


黙ってヴィルフリートさまを見返す。もっと質問の意図を明確にしてください。訴えは通じたのか、通じてないのか。

ヴィルフリートさまは満面の笑みで、首を傾げた。


「もしかして、ハイネマン氏はこちらに別荘をお持ちなのかな」

お子様なのに、魅力の光が強すぎて灰になりそう。ぎゅっと眉根が寄って口がへの字になった私に、助け舟のつもりか、


「そうだな。アイゼンシュタット家の別荘から出発して」

テツさまが、弟君の隣で腕を組み、静かに仰る。


「わずかの間に、貴族専用の馬車駅へ向かっていると判断するのは、土地勘がないと難しい」


ああ、そういう話ね。確かに、さっき、私はそう言った。

別荘から出てすぐに向かってる場所が、今日の目的地じゃないことは分かったから、尋ねてみたのよ。

―――――貴族専用の馬車駅へ向かってるのはなぜですか?

そしたら、その答えが。



―――――両親が到着するから、途中で彼らと合流する。



だったわけ。

真正面のご兄弟お二人をあまり長く真っ直ぐ見られず、私は失礼にならないよう、そっと目を伏せた。答えは簡単。

「別荘はありませんが、ハイネマン商会のお店はあります」


「あ、そうか」

テツさまと違って、ヴィルフリートさまはよく喋る。

「公国内の貴族は、夏場ハイザーヘイムに集まるから、季節柄、この地にある店が繁盛するんだな」

はい、頷けば、テツさまが記憶を探るように自身の顎を撫でた。

「…今まで、夏はハイザーヘイムで店の手伝いをしていたのか?」


「それもありますが、私は主に」

私は指で、馬車の天井を指さす。



「空飛ぶ絨毯で首都と避暑地を往復していました」


一人だし、身軽だし、臨機応変に対応するには丁度いいの。



「なんだって!」

いきなり、ヴィルフリートさまが握り拳で身を乗り出した。紅玉めいた瞳がきらきら輝く。

「それは野性的な移動方法だな…だが面白そうじゃないか!」


そして、鼻息荒い提案。



「今回、ハイザーヘイムへの移動は転移門だったわけだが、どうだろう、帰りは空飛ぶ絨毯とやらで空の旅と洒落込むのも悪くないと思わないかっ?」



私としては、気軽に、いいですよ、と言いたいところ。だって、私は空旅のベテラン。でも寸前で、ストップ。

いやほら…、立場がね。お互いね?


今だって、実際。馬車の中では三人しかいないわけだけど、―――――外には、三人分の護衛の方がいらっしゃるわけで。


馬に乗った、アイゼンシュタット家の騎士の方々と。それから…。



テツさまと、ヴィルフリートさまと、私の、従者兼護衛、って方々が―――――どういう身体能力をしてるのか、馬車の近くを疾走なさってる。軽々。時折気になって外を覗き込むのだけど、息切れすら起こした様子もない。


私の護衛、となった子もいるのだけど…従者の中で、たったひとり女性なのに、まったく能力的に劣った感じはない。



学院が、夏季の長期休暇に入る直前。

彼女を、テツさまから紹介された。名を、ジャンナ。

今でこそ、ちょっと守銭奴気味だけど明るく人懐っこい子というのは見えてきてるけど…最初は相当、怯えてた。何にかって言うと…テツさまに。


そして、ハイザーヘイムに来てからは。



なんだか、テツさまの従者さんにも、多大な恐怖を感じてる風なのが隠しきれてない。



この従者さん、ずっと外套を目深に被ってるから、未だに私、顔を拝見してないのよね。

彼と、いったい、なにがあったのかしら。それに、どういう経緯で、私の護衛に?

そこらへんの事情ははっきりしない。


それでも、テツさまは実力や性格を信用できない人間に、私の護衛を任せたりはしないだろうから…私も信用は、してるけど、…ねえ?


「ヴィルフリート」

案の定、テツさまが低く、ヴィルフリートさまの名を呼ばれた。窘めるみたいに。

皆まで言わずとも理解したのか、

「…はい、兄上」


すかさず返る、いい子の返事。同時に、馬車が停まった。

揺れなんてほとんどないから分かりにくいけど、窓から見える周囲の景色が止まるから、そこは何とか。


目の前の兄弟が、揃って扉の方へ顔を向けた。とたん、控えめなノックの音。


ああ。ということは。ついに。

私は観念して、息を詰める。



「入れ」



言うなり、二人が立ち上がった。あまりに唐突で、面食らう。

わ、私も立ち上がるべき?


戸惑ってる間に、扉が開いた。品がいい老紳士が、丁重に頭を下げる。同時に。


兄弟が、私の左右に腰を落とした。あ、そうか、席を変わるのね。でもなぜその位置。




「失礼致します、テツさま、ヴィルフリートさま、ヘルリッヒさま。旦那さまと奥さまのご到着です」




様々な意味で、緊張に身が細る心地だわ。

老紳士が、す、っと戸口から離れた。道を開けるみたいに。…とうとう、ご対面ね。


ご兄弟をそのままに、私はそうっと立ち上がった。


戸口に向き直る。座ったままでいるなんて、私には無理。

最初に、扉を潜って現れたのは――――――、

「まあ」


妙齢の、女性。輝くほどに美しい美貌が、目が合うなり、―――――花咲くみたいに綻んだ。



「なんて可愛らしいの!」



いきなりだったわ。


開口一番そう仰って、私を力いっぱい、いいにおいのする胸にかき抱いたのは、間違いない、テツさまのお母さま―――――エルヴィラ・アイゼンシュタットさま。

白金の髪に青金の瞳っていう一見、冷たそうな美貌の主だけど、微笑むと砂糖菓子みたいに甘い印象が匂い立つ。



でもこれ、抱擁と言うか、…拘束?



「ほらエル、あまり長い抱擁は迷惑だよ。離しておあげ」


厳格な印象ながら、語尾に柔らかな響きを宿す声が、幸いすぐに彼女を窘めてくれた。

「あら、つい。ごめんなさいね、あなた」

エルヴィラさまが振り向いたのは、漆黒の髪、深紅の瞳の男性。




ラウレンツ・アイゼンシュタット―――――大公さま。




記憶にあるより、確かに年を召されたようだけど、…重厚さが増した感が強いってくらいでそれほど見た目に変化はないように感じるわ。

「ハイネマン氏のお嬢さんになら、昔、会ったことがあるじゃないか」

「昔とは印象が違うのだもの」

しぶしぶ私を離してくださったエルヴィラさま越しに、覗き込んでこられた大公さまが目だけで微笑う。


「やあ、こんにちは。久しぶりだね、ヘルリッヒ嬢。我らを覚えているかね?」


記憶にほとんど焼き付けられたみたいな印象を残すこの方々を、どうやって忘れられるというのかしら。

―――――そして、どうして無視できるだろう。



向き合った時に感じる、薄ら寒い恐怖を。



私はどうにか軽くスカートを持ち上げ、丁重に挨拶。

「お久しぶりです、大公さま。公妃さま。挨拶が遅れまして、申し訳ありません。テツさまにはいつもお世話になっております」

そう、婚約者なのにね! 

きちんとしたご挨拶もなく今まで来てる。これ、かなりおかしい話だわ。そういった機会が何一つなかった。


いえ、…そんなの言い訳だけど。

「テツが迷惑をかけていないかな? なにぶん、世間知らずなものでね」

何も気にしてない感じで大公さまが仰れば、


「こちらこそ、ご本人へ直接の挨拶が遅れて申し訳ないわ。婚約をしたって言うのにね」

エルヴィラさまが頬に手を添え、長く息を吐く。

彼女を横目に、大公さまが顎を一撫でし、思わぬことを仰った。



「先に、ハイネマン氏とは挨拶を交わしたのだが、聞いているかな」


―――――聞いてない。と、正直に言うわけにもいかず、私は無難に言葉を重ねた。



「旦那さまをはじめ、我が商会がお世話になっております」

よろしければ今後もご贔屓に。


大公夫妻に言えば、かしこまらないよう言われ、着席を許された。と言っても、緊張はどうしても、してしまう。なにせ。

左右には既に、テツさまとヴィルフリートさまが座ってらっしゃる。


ここに、ご夫妻が揃ったとなれば、アイゼンシュタット家勢揃いだ。強まる場違い感。


ああいえ、おじいさまとおばあさまがまだご存命でいらっしゃるし、親戚も多いから、勢揃いっていうのは語弊があるわね。

そう言えば、言っていなかったわね。―――――今現在は、避暑地のパーティへ向かう最中。

アイゼンシュタット家の別荘に事前に招待されてた私は、同行してくださったご兄弟と共に別荘から出発したけど、首都にやり残した仕事があったご夫妻はたった今ハイザーヘイムにご到着、そして合流の流れになったわけ。

私たちは首都から避暑地へ転移門で移動したのに、パーティへは馬車だって? とか言われそうだけど…そこは、情緒と言うものらしく、ね。


別荘から馬車で会場に向かうのは、慣例だそうよ。


線路の上、緻密な魔力機関で動く、大陸を縦横無尽に走る機関車には乗らず、ご夫妻は別の馬車でやってこられたらしい。道々、挨拶する必要のある相手が幾人かいたから、だそう。

それにしたって―――――とうとう、ご対面、なのね…。

アイゼンシュタット大公ご夫妻と。…言い方を変えれば。


テツさまの、ご両親。

悪魔の血統とは思えないほど一見穏やかなんだけど…。

私は知ってる。覚えてる。


昔、屋敷に忍び込んだ刺客を、振り向きもせず生ごみでも投げ捨てるみたいに始末さなった光景を。


最初、どこから入り込んだ子供だろう、と不審を向けられてたのは私だった。

ハイネマン商会がアイゼンシュタット家に出入りするようになって、まだ間もない頃よ。

それが冒頭の話なわけだけど。

―――――あの時。

いくつか質問を、されたけど。


なにかひとつでも答えを間違っていたら、おそらく、死んでたのは私じゃないかしら。


「テツから聞きましてよ」

私の真正面に座ったエルヴィラさまが、身を乗り出した。

その不可思議な青金の眼差しで見つめる相手を、惑わすみたいな所作よね。


子供が二人もいる年上の女性なのに、少女みたいな無邪気な表情で。意識、してないんだろうけど。


私は覚悟を決めながら、エルヴィラさまの顔を見返した。できる限り、毅然と。

おどおどした態度が、彼らの癪に障ることを、私は経験から知ってる。

案の定。


―――――エルヴィラさまの唇が、にんまり、弧を描く。満腹の猫みたいに。


ひとつだけ、はっきりしてることは。




いくら、甘いようでも。


穏やかなようでも。


優しいようでも。




大公家の方を前にして、油断してはいけないということ。


アイゼンシュタット家は他家ほど身構えなくても済む屋敷ではあったけど、少しでも毅然とした態度を崩せば、真上から叩き潰されるかもしれない危機感は、常にあったわ。

今も、そう。


「天魔の記述がある古書を読みたがっているって」

言われたのは、拍子抜けの言葉。でも、分からない。


それが単なる好奇心か。探りを入れられてるのか。少しでも見通そうとする努力を許さないタイミングで、



「そう言えば、別荘にも何冊かあったね」


穏やかに、大公さま。



物腰柔らかで…穏やかすぎて、何が本音か見えにくい方だわ。

でも本性が苛烈ってことは、幸か不幸か、出会った場面の端々から、薄々察してる。


下手な答えは口にできない。自然、微かに呼吸が浅くなる。





「約定により、我ら五大公家は天魔の望みをすべて叶える―――――テツ」


真紅の瞳が、ゆっくりと動いた。自身の息子をそこに映す。

「ちゃんと、叶えて差し上げたかい」





「無論」

テツさまの答えは、短い。気怠く伏せていた目を上げた。黄金の目が、真っ直ぐ父親を見返す。

「だがご承知の通り、古代文字の書物ゆえ、な」


思慮深く紡がれる声。対して、

「そうそう、だから、普通は一ページの読み解きにすら時間がかかりますよね!」

ヴィルフリートさまが元気いっぱい、片手を挙げる。


「でもミアは古代文字をよく知ってて、結構すらすら読むんです。さすがに時間が足りなくて、読み切ることはできなかったけど」

「ほう」

ヴィルフリートさまの紅玉の瞳と似て非なる、大公さまの真紅の瞳が、細められた。


目尻に人のよさそうなしわが寄る。…やっぱり、考えてることが読めない。


「知っていると言っても」

ヴィルフリートさまの思い違いを訂正するべく、私は口を開いた。素直に持ち札を晒せないというか…やっぱり、身構えてしまうわね。


「いくつかの単語を知っているだけです。魔道具をよく扱いますので」

魔道具に力を籠めるとき、古代語を使用するのは当たり前の話だ。


「魔道具! そう言えば、気になっていたのだけど、その腕輪も?」


エルヴィラさまの明るい表情の中、視線が私の腕輪に向いた。

私は内心、青ざめる。

もう一度言えば、私たちはこれから避暑地のパーティに向かう最中だ。つまりは、正装。


はっきり言って、準備したドレスに、この腕輪は似合わない。華やかさが足りないのよね。

見る人が見れば、違和感があるはず。


それならそれで、押し通すつもりだけど。

「はい。収納機能がついた魔道具です」

慌てないよう気を付けながら私は頷く。ただ、悪目立ちは、できうる限り避けるべきよね。


今、エルヴィラさまがすっと目に止められたってことは、やっぱり違和感があるのよ。

私はすぐ、深く息を吸い込んだ。いざと言うときのために、どうしても手放せずにいたけど。私は一瞬で腹を決める。



「会場では、外します」



そう。今なら、外しても、少なくとも守護の指輪があるわ。

それに。

避暑地の社交で、いったいどんな危険があるって言うのかしら。

第一、ここにはテツさまたちもいらっしゃる。誰かに頼るのは申し訳ないけど、いざと言うときにはそうすることも覚えないといけないのかも。


自覚ならあるわ。私はある意味、慣れすぎてるのよね。危険に。

危険に慣れる。その危険性を、昔誰かに言われたことがある。





―――――当たり前に警戒するから、逆に寄って来られるのさ。





エルヴィラさまが何かを言おうと口を開きかけた。私が腕輪をはずそうとするなり。


「待て」

横から、テツさまが私の手首を攫った。

「外す必要はない」



直後だった。腕輪が、きれいなレースの飾りになって、手首を彩る。



瞠った私の目に、一瞬で銀のレースに変わった腕輪が映った。でも感触は、腕輪。

―――――魔法の、仕業、なのだろうけど。


「ありがとう、ございます」

何をなさったんだろう。見た目だけ、変えたの? ならこれは幻影の類?


聞きたい。

知りたい。


でもここではいつもみたいに話しかけることが憚られる。


惑う合間に、横からヴィルフリートさまが身を乗り出した。

「さすがですね、兄上。それなら不自然に見えないや」


…思ってらしたんですね。不自然だって。


「あら、まあ」

細やかなレースを見て、エルヴィラさまが驚いたように口元をおさえた。

「無骨なだけの色気がない子に育っちゃったわー、って心配してたのだけど」

すぐに顔が笑顔に崩れる。


「無用な心配だったようですわね」

「なんにしろ、ヘルリッヒ嬢は天魔だ。何をしようと、どうせ目立ってしまうよ」

エルヴィラさまの隣に腰掛けた大公さまが、馬車の外を見遣り、柔らかく言った。


「あなたは、この度の社交で初のお披露目になる。話を聞きつけた他国の要人が、今回はいつも以上に多いようだ」




しかも本日のパーティ、主催は公王さま。




公王さまが出られるとなると、王妃さま、宰相さま、各大公家、貴族方、騎士団も勢揃い。つまりそれだけ、規模が半端じゃないわけ。


今回の、避暑地での社交だけど。

これだけ押さえれば、他の細々したものは出なくていいって話になった。もちろん、テツさまも。


それに甘える代わりに、コレだけは絶対出なきゃってプレッシャーが半端ないわ。いくら逃げたくっても踏ん張らなきゃ。

「名目上避暑地の社交ですけど、今日の主役はヘルリッヒ嬢ね…あ、ミアちゃんと呼んでもよろしくて?」


考え深げに呟いたかと思えば、いきなり親し気に微笑まれる。


なんとも、エルヴィラさまは相手を翻弄なさるのがお上手だわ。

「もちろん、公の場では改めますわ。 ね?」

「はい、お望みのままに」


「ではわたくしのことはエルって」

エルヴィラさまがさらなる無理難題を言いさしたところで、

「娘ができるのが嬉しいからと言って、いきなりすぎだよ、エル」

大公さまが助け舟を出してくださった。た、助かった…。と思ったら、


「せめて明日にしなさい」

ちょっと時間が伸びただけだった。


「社交の話に戻りますが、じゃあ、最近アイゼンシュタット家にちょっかいかけてくる連中が多いのは、やっぱりそのせいですか」

え? ヴィルフリートさまの言葉に、私は内心びっくり。ちょっかいってどんな。



「その通りだ、ヴィル。天魔と我が家が縁を結ぶということで、現世的な利益を得られると勘違いした者が多くてね」



大公さまの微笑は変わらない。

「ばっかだなー」

心底呆れ返った声を上げ、ヴィルフリートさまは後頭部で腕を組み、大きく伸びをした。

「ベルシュゼッツ公国において、そんな話があるわけないのに」


ベルシュゼッツで育った者なら、そこのところは感覚で理解してる。

公国の要たる各大公家にとって、現世的な利益なんて、はっきり言おう「どーでもいー」範疇にあるのよね。

ただし有効利用できるから最低限回すようにはしてるけど、彼ら権力者たちにとっては、執着するシロモノじゃない。


だからガツガツとした発展はないけど、逆に、うまく回ってるって部分もあると思う。


なにせ、国のトップが、天使と悪魔の血統。価値観なんて、人間とは隔絶してる。

「先日、妙な新興貴族がアイゼンシュタット家の名を利用した件があったろう」

テツさまの言葉に、私はつい、きゅっと唇を引き結んだ。だって。苦い、話だもの。




「あれは、天魔と縁を持ったアイゼンシュタットに寄生すれば益が出せると安易に考えたものが行動した結果だ」




「見せしめは完了したのでしょ? なら、しばらくは大丈夫ですわね」


エルヴィラさまの雰囲気は、まったく変わらなかったけど…不穏な言葉を聞いた気がする。見せしめ? 何それ怖い。聞いてない。


いえ、そうね。聞いてないってことは。

聞かせたくないことがあったってわけで。はたしてそれを、私はいつまで見えないふり、聞こえないふりをしていられるかしら。


なんにしろ。

天魔の名が、あまりに予想外のところにまで影響してて、少し怖い。他人事で放置できたらどんなにいいか。


「ああ、そう身構える必要はないよ、ヘルリッヒ嬢。他人は他人、勝手に踊り狂うのを楽しむくらいで、あなたはいいのだ。なにせ」



ゆったりと、大公さまの深紅の瞳が瞬いた。笑顔を浮かべたまま。





甘やかすように。

許すように。

守るように。


それでいて。






閉じ込めるように。






「あなたは、天魔なのだから」


ここに、私は。


―――――歴代の、天魔が。







狂った要因の一つを見た気がした。
















早いもので、更新をはじめて一年くらいになるようです。

読んでくださる方ありがとうございます。

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