40.かくして、悪魔の従者は月下
閑話休題。
季節の変わり目、腰をやりました。
次回更新は11/3になります。
「ねえなんで?」
オレはつい、声を上げてた。背中合わせに立つご主人に向かって。
「お忍びなのに、なんでオレら」
ぐるり、周囲を見渡す。いくら見ても状況は変わらない。
オレはため息と一緒に言葉を吐きだす。
「下町の端っこで、怖い顔した男たちに取り囲まれてるんですかね?」
むさくるしさがにおい立つ。
思わずオレは、首に巻いた布を鼻先まで引っ張り上げた。
やあはじめまして。
オレは元剣闘士。平たく言えば奴隷。
ただし今は、さる高貴なお方のご子息の従者なんぞやってる平民。いわゆる解放奴隷だね。
名前はクルシュ。姓はない。一応、二十歳。
「うむ、それは」
慌てず騒がず、厳かに頷くご主人。据えた匂いが漂う中でも、とびきり品のある所作。
これじゃ、魔法で顔まで変えても、金の匂いは誤魔化せない。要するに、カモ。
どうせなら、そのやんごとない気配を一番に消してくれないだろうか。
「市街地でおばあさんの財布を掏った相手を追って来たからだな」
…おばあさん…そういう言い方が、もうお育ちが良い。語尾に被せるようにツッコミ。
「オレらお忍びですよねっ!?」
しかも財布は無事だった。機転を利かせたオレが足を引っかけたから取り戻せたのよ。
ただし犯人も無事だった。財布をオレがおばあちゃんに渡してる間にご主人たら追いかけちゃったのよね…。
捕縛までが仕事の一環だって。家に到着するまでが旅行ですってノリと同じ感。
結果が、今。
当の犯人はどこへやら、そのスリの仲間とやら名乗る連中に取り囲まれてるってわけ。
「ううぅ、人間臭い…」
布の下に隠しても、鼻は周囲の匂いを過敏に拾う。
さっきから周囲の男たちが何か揶揄するような笑いを浮かべながら声を上げてるけど、まともに音として拾うつもりはさらさらない。
でも、ああそろそろ事態が動くなって感じはあった。
「案ずるな、すぐ片付く」
剣も持たない身で何を思ったか、ご主人は不敵に前へ。咄嗟に俺は待ったをかけた。
「って、ご主人、今、魔法使えないっしょっ? 変装の魔法使ってるから」
ご主人は唐突に動きを止める。…あ、忘れてたなこれ。
もちろん、変装を解けば問題はない。けど、変装し続けたければ、魔法以外で戦うほかない。
「…面倒な…」
ご主人の呟き。…と、…舌打ちしたね…? これは放っとくとオレにとばっちり来るパターンだわ。
まずいね、早々にオレが片付けないと。ただ。
「や、この程度ならオレ一人で片付くし」
問題は、このにおい。鼻がひん曲がりそう。
言いさし、オレはやらかしたことに気付いた。周囲で、にわかに膨れ上がる殺気。そこでようやく、今のオレの一言は、立派な挑発だったって気づく。
雪崩を打って、むさくるしい男たちが武器を振り上げ、殺到する。オレは反射の動きで、腰にさしてた二本の小太刀を引き抜いた。直後、
「―――――使って!」
可愛らしい声が、少し離れた場所から聴こえた。次いで、そっちから、何かが回転して飛んでくる。それはうまい具合にご主人の元に届き、―――――受け止めたそれを見下ろし、ご主人は目を瞠った。
「これは」
「剣ですね」
一瞥し、オレは口笛を吹く。しかも、結構値の張るやつ。ま、大公家にとっては玩具みたいなものだけど。
オレには小太刀があるけどご主人は無手だから、見かねたのかな。
「じゃ、ありがたく借りましょうよ」
ご主人に言い置き、オレは低い姿勢で敵の群れに突っ込んだ。ただ。
同時に、視界の端っこで―――――信じられないものが映った。
(…っ、うっそでしょおおおぉぉぉっ!!)
なんでこんなところに。
凶刃を掻い潜りながら、内心絶叫。
映った姿は、一人の少女。…悪いことに、見知った相手だ。
ふわふわの栗色の髪。
きらきらした翠の大きな瞳。
なによりあの、小動物めいた反則の愛らしさ。
斜め後ろに見慣れない私服の騎士を従えてるけど、見間違えようもない。
その人こそが、今、剣を投擲した人物―――――ミア・ヘルリッヒ嬢。
ご主人の、婚約者にして、天魔その人だ。
× × ×
「休みの日に戻ってくるなんて珍しいですね。どういう風の吹き回しで?」
「ちょうどいい、クルシュ、お前、ミアの護衛になれ」
「………光栄ですがね、ご主人。でもそれちゃんと考えての発言ですか」
「お前の実力ならと思ったのだが。自信がないか」
「問題はそれ以前です。ヘルリッヒ嬢は女の子。対してオレは男。いいんですか」
「まわりくどい、何が言いたい」
「婚約者に、護衛とはいえ、男が、一日中ひっついてるんですよ」
「…」
「ご主人、悪魔の独占欲舐めてません? 悪魔のくせに」
× × ×
ご主人が、アイゼンシュタットの屋敷に戻った理由は、オレをヘルリッヒ嬢の護衛に指名するためだったみたいね。
オレからすりゃ、なにぬかしてんだこのヒトって感じだよ?
そりゃだいじな婚約者の護衛に指名してくれるのは、ありがたい。そんだけ、実力やらをご主人なりに信頼してくれてるってことだからね。
ただし問題がある。
ご主人の婚約者はとびきり可愛い女の子で。
護衛に指名されたオレはどう誤魔化しようもなく男。
もちろん、変な気を起こすつもりはないよ。
ヘルリッヒ嬢はご主人のたいせつな婚約者だ。そして、天魔。ベルシュゼッツ公国の宝。
なにより。
オレはヘルリッヒ嬢に恩がある。個人的に。
なにせ、このご主人を、変えてくれた。
『退屈な男』から『面白い男』へ!
ご主人は、完璧な男だ。けど、完璧ってことは、退屈と同じだって、オレはご主人に仕えてなんとなく理解した。
すべては予定調和。予測がつく状況。先がね、分かっちゃうの。
一緒にいれば、欠伸が出ちゃうのよ。
もちろん、そうであるご主人を熱望する声も高い。でもオレとしちゃ。
完璧さに色ボケが加わった、今のご主人の方が好きだね。
「ありがとう。助かった」
気絶した男たちを避けながら、ご主人がヘルリッヒ嬢の元へ向かう。
それを尻目に、オレは足元で転がってる男を数人、つま先でつついた。
もれなく返ってくる、うめき声。
…生きてるね、全員。
オレはね? 加減だって上手にできるのは当たり前なのよね。元々、南方のコロッセウムで戦う剣闘士だったんだし。でもご主人は違う。
悪魔の血統、アイゼンシュタット家の嫡子。殲滅の兵器とも言い換えられる化け物。加減はとびきり苦手なはず。
なのに、器用なもんだよね。
「手助けできたのなら、よかった」
暴力の現場を目の当たりにしながら、ヘルリッヒ嬢は臆さない。
隣に、騎士が控えてるっていうのもあるだろうけど、肝が据わってる。
そう、彼女には、外出時に交代制で、現在は騎士がつく形になってた。正式な護衛が決まるまでの間は、とかご主人は言ってたっけ。
ヘルリッヒ嬢の近くに控えてるのは一人。あれは…氷月の騎士だ。
ただ、まあ。
オレは意識を周囲に向けた。
―――――目に見えるのは一人でも、見えない場所に数多の護衛が控えてるよこれ。
たぶんヘルリッヒ嬢は気づいてない。オレら不審者に対して、警戒がすごいな。
そうだよ、オレらは不審者だ。
なにせ、今。
歩く広告塔みたいなご主人は、魔法で容姿を変えてるからな。
黒目、黒髪、それなりに日焼けした肌。ベルシュゼッツでは平凡な顔立ち。
どこからどう見ても、立派な一般人だ。ただし。
「これを」
今、ヘルリッヒ嬢に剣を差し出した仕草まで、やたら品に満ちてるのが、変装に慣れたオレから見れば、減点だ。
それじゃ、身分の高い人間だって自己申告してるようなもの。
「返しておく」
一瞬、ヘルリッヒ嬢の愛くるしい顔に、不思議そうな表情が掠めた。
そうだよね? ご主人の言動のきれいさには、違和感覚えなきゃ嘘だよ。
なんにしたって、目の前にいる相手が、テツ・アイゼンシュタトと気づいた感じじゃないのが救いだね。
後で聞いた話だと、どうもこの剣、ヘルリッヒ嬢が自衛のために持ち出してたんだとか。
へえあの方剣が使えるんですか、と感心すれば、ご主人はしずかに首を横に振った。
どうやら、示威行為に過ぎなかったみたいで、いざ戦いになればヘルリッヒ嬢は肉弾戦の側に回るそうだ。道理で剣に執着ないわけよね。
にしても肉弾戦って…この可愛さで? 子猫の威嚇って想像しかできないんだけど。
とはいえ、彼女も一筋縄ではいかない女の子だ。
「返さなくて構いません」
いきなり、突拍子もないことを言った。
「さしあげます」
その代わり、となぜか一度空を見上る。ひとつ頷いた。
「時間があるなら、ちょっと手伝って頂きたいことがあるんですが」
言いながら、両手を合わせ、お願いのポーズ。表情は、真剣。
「悪党退治です」
そして両手で、胸元で握り拳を作る。
―――――うっわ、むっちゃかわゆ…あ、いや。
オレは、こっちからは後姿しか見えないご主人の後頭部に、念を送る。
ダメですよ。お忍びで街中に出てきた事情、忘れたわけじゃないですよね。
結論から言えば、無駄だった。
なにせ、基本、他人に冷たいこのオレですら、ふらふら頷きそうになったんだもの。
ご主人は返事に、一秒の躊躇も挟まなかった。
「手伝おう」
× × ×
「え、ご主人がやるんですか、一人で? あの貴族の始末」
「父から了解は得た。今日中に潰す。お前にも付き合ってもらうぞ、クルシュ」
「そりゃ調査したのはオレですから、お付き合いするのはやぶさかじゃありませんが」
「不服か? 俺の取りこぼしを、すべて蹂躙しろ」
「いいんですか? オレはやり過ぎるきらいがあるんですけど。ほら、人間嫌いだから」
「だから、連れていく」
「やだ、わくわくしちゃう」
× × ×
「よく手助けやら同行やら許してくれたね、騎士さん」
ぎこちないながらも並んで前を行くご主人とヘルリッヒ嬢を見ながら、オレは隣を歩く仏頂面の若い騎士に小声で言った。
「…貴様はともかく、貴様の主は」
貴様と来たか。まあけど、キミ、とか、あなた、とか言われるより数段ましだわ。丁寧すぎる物言いって、聞いてるとかゆくなっちゃうのよね。
「やんごとない身分の方だろう」
あれで隠してるつもりはあるらしいよ?
ともかく、…なるほど。身分ってのは、ある程度の保証だ。
ある程度の嘘は必要でもわかりやすく示すし、騙し討ちをしたり盗みを働いたりはしないだろうって確信寄りの推測を持たせるには十分ってわけね。とはいえ。
前を行く二人が、偽名ですが、と互いに前置きした名乗り上げの時間は微妙だった。
ご主人はリュードと名乗り。
ヘルリッヒ嬢はパメラと名乗った。
ちなみにオレたちは、必要ないから名乗ってない。ヘルリッヒ嬢は気にしたんだけどね。
「それに」
私服の騎士は渋面を崩さない。
「条件を出したのは、わたしだ。その条件を満たせない限り、悪党どもへの突撃はご遠慮願いたいと」
「条件?」
なんのために、どんな。
横目に見上げれば、騎士は開き直って胸を張る。
「誰かから助力を得られたなら、犯罪者の巣窟に踏み込んでもいいと」
つまるところ、問題の巣窟の場所は既に突き止めてるってわけ。
その場所を聞くなり、オレもご主人を止める気は消えた。だってさ。
―――――オレたちの目的地もソコだったから。
「お嬢さんの行動を止めたかったのね…そんで、お嬢さんはその条件を呑んだ、と」
騎士は呻く。頭痛を感じたみたいにこめかみを押さえ、一言。
「納得、なさった」
そうでも言わなきゃ、ヘルリッヒ嬢は引かなかったんだろう。この騎士、その条件を、真面目な頭で必死で絞り出したはず。
気の毒だけど、ヘルリッヒ嬢はそれでも諦めちゃいなかった。
帰りがけに出くわした騒動の中心にいたオレたちとさらっと縁故を作って、ぐっと巻き込む手腕はなかなかのものだ。その上。
オレとしても、ご主人からヘルリッヒ嬢の話を聞いてなかったら、その見た目に完全に騙されてたよ。彼女の可愛らしさのレベルはある種、凶悪の段階にある。分かってても騙されてあげたくなるというのか…ほら、ふわふわの動物の子供が天然で振り撒くかわいさいじらしさを想像してごらんよ。つい、手を差し伸べたくならない? ああいう、天然の魅了の力をいくらか倍にしたものを、ヘルリッヒ嬢はまとってる気がする。
見て嬉しいのと同じくらいちょっと怖い魅力だ。
男の性がだらしないだけってのは言わない約束だよ?
「オレたちがあそこにいたのは不可抗力だから恨まないでよ」
半眼になったオレから、騎士は目を逸らす。
「そんなことは言わん」
けど、思ってるでしょ。まあいいや。そんなことより。
「うんまあ、ご主人が手伝うって言ったら、最後まで手伝うよ。けどさ」
さっき、ヘルリッヒ嬢は簡単に、彼女がここにいる理由を話した。
けどその話が、オレにはまだ少し信じられない。
彼女が働いてた店から、半日後に納期が迫った宝石が、持ち去られたそうだ。
真正面から、堂々と。ヘルリッヒ嬢はそれを取り返すために、ここにいる。
もちろん、彼女の本名が伏せられた以上、商会の名前も語られなかった。
それは当然だよね。今後の商会の信用にも関わってくる話だし。
ただオレは、ヘルリッヒ嬢を知ってるから、彼女が働いてる店の名も知ってる。だから余計、信じがたい。
「そんなに簡単に、騙されるものなの? 用心深い商人が」
そう、相手はあのハイネマン商会だ。小手先で何とかなる相手じゃない。
なのに、だ。そのハイネマン商会が騙された。
何が起こったかって言うと。
納品先の貴族の使用人として現れた男が、至急入用になったと告げ、宝石を求めたらしい。
幾度かその貴族の屋敷で彼の姿を見たことがあったものだから、従業員は鵜呑みにした。
急かされるまま手渡したようだ。
だが貴族との取引で、緊急とはいえ事前に連絡が来なかった不自然さ。
その使用人の態度。
極めつけは、古株の従業員が件の貴族の屋敷で、やってきた男のような使用人を見たことはないと言い出したことから、早急にそれとなく貴族と連絡を取ったところ。
緊急の必要性はない、納品を心待ちにしている、との返事があった。
それを聞いて、従業員全員の時が止まり、青くなった。そんな中、真っ先に男を追って飛び出したのが休日の手伝いに来ていたヘルリッヒ嬢だ。
騎士もついて行くのがやっとの素早さだったらしい。
彼女は覚えてたみたい。相手の顔も、去った方角も。
店を飛び出し、すぐさまヘルリッヒ嬢は問題の男を発見。けど、捕まえるより、尾行に切り替えた。
そして根城を突き止めた、と。ふむ。
…聞くだに、普通のお嬢さんじゃないね! そりゃ天魔だけど!
「その場でとっちめずに尾行に切り替えたのはなんでなの?」
「わたしも理由を聞いた口だが」
騎士は前置きして、小さく嘆息。
「目を離していた間に仲間に品を渡していた可能性を考えたのと、騙された側の商人の不名誉な話を街中で騒がれては厄介だと判断したらしい」
…十代の女の子が咄嗟にできる判断じゃないよね?
これは将来が怖い。いや、楽しみって言うべきかな。
―――――でもそのくらいじゃないとね。
オレは前を行く二人がまとう、ある種の穏やかさがなんだか逆に怖くなりながら、思う。
なにせ。
ご主人の力は強い。それこそ、次期公王最有力候補って噂があるくらいに。
そうなれば、婚約者のヘルリッヒ嬢の未来は?
后妃だ。
(そこんとこ、どこまでわかってんのかね、おふたりさん)
見つめる先で、ふわふわの栗色の髪が、ぴょこっと跳ねた。
いきなり、ヘルリッヒ嬢が緊張に満ちた顔で振り向く。
「あそこです」
指さした先に見えたのは、大きな倉庫街。
できれば彼ら二人には近づいてほしくない薄汚れた場所だけど。
振り向いたご主人の眼差しに宿るのは、問答無用の命令。
従え。
オレは両手を挙げて、降参。
「…はーい。お望みのままに」
× × ×
「下町の倉庫街なんて、行っても無駄ですよ」
「だが根城の一つなのだろう。叩き潰すならすべてだ」
「でもご主人、目立つから着くころには連中、蜘蛛の子散らすみたいに逃げてますって」
「ならば変装すればいいな」
「変装ってぇ…まさか顔や体格を変えたりできるんですか?」
「できるぞ」
「魔法すごいですね…え、嘘でしょ?」
「できるぞ」
× × ×
「ありがとうございます、リュードさん」
なんの裏もない美少女の笑顔、その眩しさを、オレは舐めてた。
目が…潰れるわこれ。直視できない。オレは全面降伏の気持ちを抱えたまま、両手で目を覆った。
オレの負けていいから、もう許してください。
ちなみに、リュードっていうのは、さっきも言ったとおり、ご主人の偽名ね。
根城はご主人と騎士、オレ、のほとんど三人で見事制圧。
このときのすったもんだをアイゼンシュタット家へ報告書としてあげるのはオレなんだろうね。今から憂鬱。
でも、悪党どもを縛り上げてるそこへ、これから警邏隊も踏み込んでくるはず。だったら長居は無用、逃げるが勝ち。
これ以上、人間臭い環境はごめんだ。
顔の下半分に布を押し当てたまま、オレは顔をしかめた。
「きちんとお礼をしたいんですが、納品の時間が迫ってて」
ヘルリッヒ嬢は申し訳なさそうに口の端を下げる。笑顔が消えた。それだけで、太陽が隠れた感じになる。
単純に、思う。すごいわー。
彼女の翠の目が、無意識みたいにまた空を見上げた。
ああこれ、そうか、太陽の位置を確認してるのか。納品の時間を気にしてるんだね。
「気にするな、パメラ嬢。こちらは、この剣をもらった」
パメラっていうのは…後で聞いたんだけど、ヘルリッヒ嬢のお母さんの名前らしい。
「そちらの護衛の方も、ありがとうございます。きちんとお礼ができなくてごめんなさい」
うお、いきなり話しかけられた。
しかも、基本無表情なのに、申し訳なさそうな上目遣いって言うこれまた反則技。
たまに自分のかわいらしさを分かっててやってるなって言うのは気付いてるけど、基本真面目らしいヘルリッヒ嬢は、こういう時は、完璧に無自覚だ。
くっそ可愛いーわ。
心構えなんかなかったから、つい、ぶっきらぼうに頷くだけになっちゃったよ…。
いやオレのことはね、ご主人の影とでも思ってくれてたらいいから。
気遣いは逆に困るのよ。
それに、あの剣を金に換えれば、いい額になるのは間違いない。ご主人に、変える気があればだけどね!
「お嬢さま、そろそろ」
騎士がそっと声をかける。分かりやすく、態度で切り上げたがってた。
「それでは」
名残を惜しむように、でもそれを頑張って切り捨てる態度で、ヘルリッヒ嬢はどこか、気弱に目を上げる。
巻き込んだことを、申し訳ないって思う気持ちもあるみたいだね。
「ああ」
ご主人はしずかに頷いた。ぜんぶ承知で、いいよって許す感じ。
「「機会があれば、また」」
二人の声が重なる。顔見合わせ、ふ、と小さく笑い合い―――――そのまま同時に背を向けた。これきりの関係って、割り切った態度で。なんにせよ。
ヘルリッヒ嬢が急いでいるように、こちらも急ぎで済ませなきゃならないことがある。
しばらく歩いて、角を曲がったところで、オレたちは駆け出した。
ヘルリッヒ嬢とはなれたところで、監視の目はなくなってる。あれらは徹底的に、彼女の護衛に徹してるみたいだ。
「今から向かえば、逃げられる前におさえられるか」
ご主人が早口に呟く。
さっきの捕り物、実は意図的に、数人、取り逃がしてた。
そいつらは必ず、一旦、元締めの屋敷に向かうはずだ。
雇い主から一銭ももらわず、逃げるはずがない。
「問題のお屋敷はここから近いみたいですしね、間に合うでしょ」
オレは顎を上げ、上を示した。
「屋根の上、走りません?」
着くころには、夕闇が押し迫る時刻になっていることだろう。
暴力の洗礼が始まるには適した時間だ。
障害物もなく、軽々屋根の上を駆け抜けながら、オレはご主人に再確認。
「で、ほんとにいいんですね、本気でやっても」
「それほど念を押すことか」
「いやだってオレに好き勝手していいなんて許可―――――」
屋根の上に、生活の匂いはない。たださわやかな風だけが走ってる。
鼻先まで持ち上げてた布を下げ、顔を出し、ちいさく笑った。
その口元には、鋭い犬歯が覗いてたろう。
「悪魔だって嫌がるのに」
アイゼンシュタット大公は、実際、オレの全力を見た時、こう言った。
―――――醜い。
表情一つ変えず。しょうがないよ、育ちが悪いんだもの。
以降、あの方は、オレが本気で戦うことを許可しない。
「時と場合による。必要なのだ、今回は」
いくら念を押しても、変わらないご主人の許可に、オレはつい笑う。きっと、邪悪に見えたろう。
気付けば、空はすっかり茜色に染まっていた。
「あの屋敷ですよ、ご主人」
目的の屋敷も見えてきた。
―――――さぁ、蹂躙の時間だ。
高い柵を飛び越え、庭先へ降りれば、屋敷の中から怒声が微かに漏れ聞こえた。
「忍び込むには、あっちに」
丁度いい窓が。
言いさす間に、ご主人は屋敷の前を堂々と歩いていく。
デスヨネー。
それ以上は何も言わず、オレはすごすごあとに続いた。
まあ中に入ればやることは一緒か。
なんて思いながら、屋敷の扉前にご主人が至る寸前、前に出た。とんっと地面を蹴る。
ぽぉんっと身体を宙に浮かせ、くるっと一回転、いい勢いがついた時には。
―――――バキッ!!
それなりの音が響き、ある程度大きな扉が弾け吹っ飛んだ。中へ。
どうせご主人のことだ。
放っとくと、丁寧にノックから始める。
この方、基本、礼儀を守りたがるし、やることなすこと地味なんだよね。見た目、派手なくせに。
ご主人の天使のご友人は、かつて、こう仰った。
―――――テツの地味さとキミの派手さを足して割るから、日頃は普通な感じがするんだよね。
ただし単体で行動すると、揃ってもどかしいところがある、とか。
どうだろ。でもいくらなんでもオレだって、ご主人の意向に沿わない真似はしないよ。
今回は、こうした方が、話が早く済むからさくっと行動しただけ。
きれいに整えられたエントランスにオレは着地。同時に、ご主人が悠然と中へ踏み込む。
騒がしい足音と共に、複数人がこちらへ殺到する気配。
適度に殺気立った素敵な出迎えだ。集まる人影に対し、ご主人はしずかに尋ねた。
「この屋敷のあるじはどなたかな」
オレの横を通り過ぎ、ご主人が前へ出る。オレはその斜め後ろで立ち上がった。頭の後ろで腕を組み、にやにや笑いながら成り行きを見守る。
やったね。特等席。
「銀髪の従者を連れた黒目黒髪…き、きさまだな! 下町で配下を追い詰めたばかりか、よくものこのこと」
おっといきなり、認めたね。
連中と自分にはつながりありますよって。問い詰める無駄が省けてよかったよかった。けど同時に、残念だね。
悪党としちゃ三流だ。詐欺の腕前は一流だったみたいだけど。
いや、そうか。
言ったからには、もう逃がすつもりは毛頭ないぞって宣言してる?
群れの合間から顔を出した、それなりに品のある壮年の男をご主人は気もなく一瞥。
顔だけでオレを振り返った。オレは無言で頷く。
そうですよー、そいつが例の貴族です。
アイゼンシュタット家の名を借りて、好き放題してるヤツ。
先日は、楽園の住人を招くきっかけを作ったとか? それで自分は無事に済むなんて、どうやったらそんな夢が見られるんだろ。一度脳みそ開いてみる?
再度壮年の男を見遣り、ご主人はぽつり。
「見覚えがないな」
ふぅん、だったら、もとからアイゼンシュタット家と面識はなかったってこと? この手の人間は、代々どこにでも湧いて出てるそうだけどさあ…悪魔をだしにしようなんて、思いついても絶対採用しないのが普通。彼らは、どこで一線跨いじゃったんだろ。
「どこのお坊ちゃんかは知らないが」
屋敷の主人は、苦い顔で壊れた扉を見遣る。
「躾がなっていないな」
続けて、ご主人の後ろに控えたオレを目に映した。
あ、この目は知ってる。他人を平気で道具として見れるヤツの目だ。
「まずはその扉を直してもらおうか」
オレは内心呆れた。弁償しろってか。
いや、そんな生易しいもので済ますつもりはないだろうね。他人を好きなだけ破滅させておいて、まだ足りないみたい。
「いいだろう」
ご主人は軽く頷いた。流れるように、言葉を続ける。
「ただし条件がある」
「条件だと?」
この状況で何を、と壮年の男が目を瞠る。ご主人はもう相手にもせず、言いたいことだけを口にした。
「アイゼンシュタットの名を笠に着て、破滅と自殺に追い込んだ者たちの命をかえすほうが先だ。それができたなら、扉くらいいくらでも与えてやろう」
不安そうに使用人たちが顔を見合わせる。壮年の男は眉間にしわを寄せた。
何を言ってるのか分からないって態度。
「…何の話をしている」
素敵な演技だ。この全員、グルなんだけどね。
そうだよ、屋敷の主だけじゃない。使用人全員がコトに関わってる。
望んで手を貸したか。脅されて動いたか。
その違いはあるけど、それを実行し、報酬を受け取った時点で、とっくに共犯だよね。
そんなことはしたくないんだ、と本気で抵抗するなら。
厳しい言い方をすれば、解雇されようが、殺されようが構わないって姿勢で挑むべきだった。
不本意の行動だったっていうのは、言い訳にならない。それを選択したのは、自分。
行った時点で、罰は覚悟しないとね。
「ああ、お前の話は聞いていない。もう、罪状ははっきりしているからな」
ご主人は、前を向いたまま、剣を手に取った。
鋭い視線が、ご主人の動きを追う。でも抜刀はしない。ご主人は振り向かないまま、鞘ごとオレにその剣を渡した。
えー…。
「なくしたり壊したりすれば、分かっているな?」
…ヘルリッヒ嬢からの報酬だからって、横暴過ぎない?
まあ。収納袋に入れますけど。それが一番安全。気をつけなきゃいけないことは一つ。
あとで暴れるときに、袋ごとなくしちゃうこと。
「やだな、なくしませんよ」
あはは。自信のなさを誤魔化すために笑う。
ご主人は構わない。さらには上着も脱いで、オレに預けた。
ってことは、オレを信用してないわけじゃないのよね、これ。
したいようにすればいいけど、こっちもしたいようにやり返すぞって無言の脅しが痛い痛い。オレは上着を丁寧にたたんで収納袋に入れた。
上着の下は半袖で、ご主人が腕にはめたごついバングルがすごい自己主張してる。
魔石も大きいし、目立つよね。一瞬、壮年の男が埋まった魔石に目を細める。
あれはこの期に及んで、また欲を覚えたね。
「まあそう言うな。悪い話じゃない。取引をしないか」
「残念だが、必要はない。―――――既に処分は決定しているのだ」
ご主人は静かに言葉を紡ぎながら、腕のバングルに手をかけた。
「アイゼンシュタット家は、あなたにまつわるすべてを排除する」
オレは、ご主人から一歩距離を取る。
今のご主人は、どっちかと言えば、平凡な優男だ。
目つきが悪くて、扉を壊すって暴挙に出たオレより与しやすいって思ったんだろう。
オレがちょっと離れたのを見て、何人かが殺気立った。同時に。
壮年の男を含めた何人かが、眉をひそめる。
「アイゼンシュタット、だと?」
まさか、大公家の名を口にしながら、彼らが動くとは思ってなかったのかな。それは都合がよすぎる。
その時には、ご主人は魔法を解いてた。いつもの姿が現れる。
漆黒の髪。黄金の瞳。一見、厳格そのものなのに、雰囲気に気怠いまでの憂いが満ちてる。
夕暮れの茜色が薄闇に沈もうとしている時刻、その姿は妙に退廃的に見えた。
目にした全員が、度を越えた端正さに夢でも見てる態度で瞬きを繰り返す。
気持ちは分かる。
そこらの灰色の鳩がいきなり孔雀に変わったようなもんなんだから。
現実味はないよね。
「…まさか、あなた様は…」
いきなりの侵入者が何者かやっと察したみたいだ。
今のご主人は、立ってるだけで、もう名乗りになってる。
でも何か壮年の男が言いさすのを、もはやご主人は聞いてない。
「無論、俺たちアイゼンシュタットは構わない。どれほどの命がなくなろうが。怨嗟の声が立ちのぼろうが。だが」
一泊置いた時、ミチ、と何かが弾ける音がした。
そのときには、オレはもう屋敷から飛び出してる。
「どうぞ、ご存分に!」
着替えは持って来てますからねー、と一応声はかけたけど、聴こえてるかどうか。
これからはじまる殺戮の高揚に、ご主人は断罪に似た声で告げた。
「舐められるのだけは、許せない」
やりすぎたな、とご主人は低く一言。それが、最後。
―――――ミシミシミシミシ…ッ!!
肉体が膨れ上がった、と見えた時には、扉の向こうの景色は外にいるオレから見えなくなった。
連鎖する悲鳴。絶叫。命乞いの声、断末魔。
オレは薄闇に包まれた空を見上げ、ひとつ頷く。
「ふぅん。確かに、制御なさっておいでのようだ」
今、ご主人は、屋敷の中で悪魔の本性を現してるはずだ。
一度見たことがあるその姿は、至極巨大で、この屋敷の高さなんか平気で超える。
その上、本性を表せば、彼らは正気を失い、何をしでかすか分からない。でも今、そんな不穏さはどこにもなかった。
ご主人が振るう暴力が、それでも理性の綱で制御されてるのは外で立ってても感じ取れる。なんでそれが可能なのか。
考えられる理由は、ひとつ。
「天魔に真名を掌握されるってそれほどのことなのね」
オレはつい感心して呟く。
今回は真名掌握の影響を試してみようって心づもりも、ご主人にはあったみたいだ。
最後までこの状態でやり遂げられるなら、それをある意味で証明できる。
思った刹那。
屋敷の周囲に結界が張られた。ご主人の力だ。感じた時には。
「うんうん、やっぱり出てくるよね」
屋敷の方から、幾人かの使用人が駆け出してくる。出入り口は正面玄関だけじゃないのは当たり前。
その中には、当然、ただの使用人じゃない連中もいるわけで。
「でも悪いね」
オレは両腕を、誰かを迎え入れるみたく広げた。その指先を、音楽でも奏でる気分で動かし―――――鋼糸の網を瞬時に展開する。
「こっちもお仕事なのよ」
蜘蛛の巣にかかる昆虫みたいに、先に出てきた連中が引っかかった。
走ってきた勢いのままに八つ裂きになる。ばらばらになった肉体が地面に血だまりになる光景は、いい見せしめだね。
「あははははっ、いいな、くっさい人間どもが自分から始末されに来る光景って最高!」
けど当然、後から来た連中は簡単に走り抜けようとはしない。
女の一人が、同情を買うように、悲痛な声を上げた。
「あ、あなただって人間でしょうっ? どうしてあんな化け物に協力を…っ」
悪いけど、オレ、女のそういう態度って嫌いなのよね。逆効果だ、お嬢さん。
「人間じゃなーいよ」
笑って見せた口元に、人間にしては鋭すぎる犬歯が見えたはず。使用人が後ずさる。
かわりにまばらに逃げてくる中にいた、奴隷の首輪をつけた獣人が、身を乗り出した。
「アンタ獣人か!? だったらおれたちは見逃し…」
「ごめんねぇ、獣人でもないの」
ああ、昂揚に身体が熱くなってきた。
首に巻いてた布を取り払う。薄闇の中でも見間違いようのない傷跡が、そこに見えたはず。
首を、真一文字に走る傷跡が。
あえて、見せつけるようにして。
―――――邪悪に笑い。
オレは告げた。
「混血だよ」
父はただ無関心に母のもとを去り。
暴力の結果オレを宿した母は、生まれ落ちたオレの喉をかき切った。
もっとひどいことになってもオレの身体には傷跡なんて残らないのに、その傷だけは今もなおオレの喉元を飾ってる。
言うなり。
奴隷の獣人すら、おぞましいとばかりに後退った。
「だからさあ」
オレは悠然と腕を広げる。
「いいよ、遠慮なく、殺しにおいでよ」
皆、こうだ。
ずっと虐げられてきた。
否定しか向けられず。
なら楽しむしかないじゃない? 殺し合いを。それしか、他者と交わる方法がないんだから。
人間が嫌いだ。
獣人が嫌いだ。
―――――つまり、お前は自分が嫌いなのか。
幼い頃のご主人の声が脳裏に蘇る。ああ、正しいね。
―――――だけど、悪魔は。
もう見え透いてて、誰もかかりに来なくなった鋼糸の壁の一部を、オレは解いた。
真正面から、オレに向かわずを得ない場所の壁だけ。
「おい…っ」
気付いた何人かが、目で合図し合う。
そのとき。
もう中には蹂躙するものがないのか、彼らの背後、月光の下、おぞましい悪魔が這い出してきてた。
誰かがあげた悲鳴が、合図。
悲鳴とも怒号ともつかない雄叫びを上げ、オレが空洞にした鋼糸の網の中を幾人かが突進してくる。
それも仕方ないよね。
立ち往生してたら、背後から悪魔に襲われるのは時間の問題だもの。
少しでも、助かる可能性が高い方を選ぶのは当然。でも。
オレの口元がだらしなく歪んだ。
―――――果たして、どちらがマシだったかな。
…もう、すっかり陽は落ちていて。
闇の中。
オレの身体に落ちてくる武器が、月光に光った。
天上には素知らぬ顔で輝く満月。
その日、ひとつの新興貴族が屋敷ごと消滅した。
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