4.かくして、平民の娘は令嬢たちに
ここで集まってる皆、一番認めたくないのは、そこかも。よし。
言うだけならただよ、強気で行きなさい、私。
「ならばなぜ、アイゼンシュタットさまは受け入れた私を拒絶なさらなかったのですか?」
残念ながら、既に、コトは成ってしまったのよね。公衆の面前で。
何人かのご令嬢方が唇をかんだ。悔しげね。手首を掴んでた手が、力をなくしてようやく離れた。
ごめんなさい。
…ここで、せいせいした、と思えたら、どんなにいいか。
半端だけどある私の良心が、ちくちくする。
彼女たち、怒りの中に傷ついた色を隠さないんだもの。困る。
「そして、シルヴィアさまは私を祝福なさいました」
その他大勢の目に、裏の事情なんか見えない。
私はしずかに、…きわめて静かに、告げた。慎重に、相手を興奮の坩堝から引き出す。
お嬢様方は、黙り込んでる。重い、重い沈黙。
荒れ狂った感情が、彼女たちの納得しようとする理性を、思い切り攻撃してる感じ。
自分で自分を痛めつけてるのね。
表向きは私への攻撃って形で表れてるけど、彼女たちが傷つけてるのは、自分自身。
ある意味、痛々しい。
乱れた感情の渦が、私の肌にも痛い。
でもここで逃げたって、同じことが繰り返されるだけだわ。
私だって、自衛はさせてもらう。
苦し紛れって感じの言葉を、誰かが口にした。
「わたしたちは、認めないわ」
「けっこうです」
私は、大きく頷いた。同意して。
逆らうって思ってたのかしら。面食らった相手に、私は言葉を重ねた。
「私は、ここにいます。逃げません。いつでも判定なさってください」
ここにいるこの娘が、テツ・アイゼンシュタットに相応しいかどうか。
きっと彼女たちは、誰より正しい目を持っている。
うろたえた幾人かの隙間から、許さないと叫ぶ金切り声が戸惑いを引き裂いた。
「生まれた時から、相応しくないわよ、あなたは! 娼婦の娘なんてっ、貴族の伴侶になれるわけない!」
ご令嬢方の何人かが、戸惑いに目を見交わす。
私は内心、嘆息。
その話、必ず誰かが出してくると思ったわ。
想定の範囲内であったとはいえ、的中しすぎて逆に笑いそうになった。危ない。
ま、こうなるわよね。どこからか、もれるものなのよ、そういう話は。
「どういうことですの?」
「ミアさまはジャック・ハイネマンのご養女…ご令嬢、とお聞きしておりますけれど」
その通り。ジャック・ハイネマン―――――旦那様は実際、私を養女に、と何度も申し入れてくださってる。
ただ、そのたび私は、断ってきた。なぜって。
私自身が、出生に厄介ごとを抱えているからよ。
ただでさえ養ってもらっている、これ以上、面倒ごとを旦那様に押し付けられるものですか。
隠すことでもないからはっきり言うけど、私の母は娼婦。春を売って生きてた。
私にとってそれは、良い悪いって段階の話ではないの。
単に母がそう言った環境で生まれ育ち、体を武器に世の荒波を生き抜いてきたって単純な方法にしか過ぎないわ。
だけど、顔をしかめる方はしかめるって、ちゃんと知ってる。当たり前の話よね。
ただ私は、それを包み隠さず、誤魔化さず、わたしはこういう人間だと最初からあけっぴろげだった母が好きなの。
他人がどういったところで、大事なのは、私自身がどう思ったか、感じたかだもの。
外野の言葉はどうでもいいわ。
小さな子供に体を売って生活する話をしたのか、と言われるかもしれないけど、私は母が己自身に後ろめたさを感じていないことに、なんだか安心してる。
なにせ私は、母の放埓…とまではいかないまでも、流されるままに生きてきた結果、生まれた子供だから。
彼女が自分を後ろめたいって感じてると、私の存在も悪いことなのかって思っちゃうでしょ?
聞いた話によれば、どうも母は、成り行きで、隣国の高貴なおうちの囲われ者として過ごしてたみたい。そこの旦那様から、年頃の息子に「女を教えてやれ」と命じられ、実行した結果、性に夢中になった少年の子を宿したっていうのが、私の生まれる顛末のようね。
どうもそのお家には、奥方様もいらっしゃったそうで。
関係は一応、うまくいってたらしいけど子供ができるとほかの愛人は出産前に始末されたらしいから、さすがにおっとりした母も身の危険を感じて、お屋敷を出奔したそう。
追手はなかった。きっと、母が子供を宿したことも知らないだろうって彼女は言ってた。
場を転々とするうち、母はこの国にたどり着き、修道院の門を叩いたのちに、私を出産。
地母神を崇める教会で立ち働く母が読み書き・計算ができるところに目をつけ、まだ駆け出しの商人だったジャック・ハイネマンが彼女を邸宅に連れ帰り、仕事を与えてくれた。
私は物心ついたころには教会で過ごしてたけど、旦那様の邸宅が実家の感覚があるわ。
記憶にある邸宅は、最初はとても小さかった。
それが今や、大邸宅と言って差し支えない大きさになったんだから、旦那様は成功したって言えると思う。
けれどいずれ、出ていかなくてはならないのだろうと薄々察しているわ。
旦那様には恩があるけど、家族ではないし。
そもそも、事情が事情だから、旦那様のお家にこれ以上上がり込むわけにはいかないの。ゆえに。
心配かけたくないの。迷惑、これ、とっても厳禁。なのに、この現状。
勝ち誇った声が、高らかに告げた。
「そんなお母様だから、ミアさまの父親が誰かなんてわからないわ。お母様がそうなのだから、ミアさまご自身だって…ねえ」
ごめんなさい、父親が誰かははっきりしてるの。
母はその名と身分を隠さなかったし、証拠の品までしっかり掠め取ってきてた。いざというときには、ってね。
ある意味尊敬する。
だから逆に、本当のことは言えないのよ。
中傷は、聞き慣れたものだった。もう少し、新しい話はないのかしら。
逆を言えば、母を蔑むのは、私自身を真っ向から罵倒できないからよね。
お気の毒には思うけど、それなら方法はないって諦めてほしいところだわ。私を傷つけたいなら、貴族らしく、卑怯なやり方を蹴って、もっと正々堂々打って出てほしいものだけど。
それでも、いくらか彼女たちの溜飲が下がるなら、構わないわ。
勝った負けたに興味はないし。関心ごとはひとつだけ。
そろそろ解放してくれるかしら? 彼女たちが激情に負けて、魔法が飛び出す前に。
切実なところよねぇ…私、魔法はからっきしなのよ。
でもこの様子からして、お嬢様方の気はまだすまないみたい。…だったら。
「では皆様、提案します」
私は足元に鞄を置いた。地面の上へ直に。
その上に、花束を丁寧に置く。
「ここまできたなら、もういっそ、底までみっともなく」
膠着状態は、危険でしかない。鬱屈は、誰も予想できない爆発を起こすものよ。
それが魔法だったら、私に取れる手段はない。そうなる前に。
とことんやったら、きっとすっきりするはずよ。
ね?
「キャット・ファイトと洒落込みましょう」
ダンスにでも誘う気分で言ったはいいけど、私、喧嘩は弱いのよね。
子供の頃だって、良く取っ組み合いのけんかをしたけど、いつも押し倒されてぽかぽか殴られる側だったわ。でも、いつも泣いてるのは殴ってる側だった。
さ、骨の二・三本は覚悟して、と。魔法が使われないなら、それが最良。
あら、でもこれってなんだか…私がアイゼンシュタットさまの求婚を受け入れて、身体張ってそれを守ろうとしてるみたいじゃない?
ご令嬢方は意表を突かれたみたい。呆気に取られてる。それがいっきに戸惑いへ流れ、
「野蛮だわ!」
ドン引きで叫ばれた。そうかしら?
表面、上品な顔して内側に不満をため込むより、よほど健全と思うわ。
「生まれが生まれだと、これだから」
誰かが悪意を持って嘲笑した、そのとき。
「これは何事だ」
―――――物静かな。
どこまでも静謐な低い声が、空気を繊細に震わせた。
厳格なのに、耳から指先の神経まで心地よく痺れさせる。背筋を何かが駆け上がって、身が震えた。
そんな声の持ち主なんて、この学院では、私は一人しか知らない。
居合わせた全員が、息をのんだ。私も例外じゃない。人垣が割れた。
見えた姿に、心身ともに、一気に引き締まった。
長身。細身だけど骨格がしっかりした体躯。漆黒の髪。金の瞳。完璧なようでいて、どこか影のある特有の雰囲気。
「天魔の魂を見失い、公国の意義が揺らぎ始めているこの時期に」
声に、叱る強さはない。あるのは、憂い。言葉は淡々と紡がれる。
「君たちは、貴族の意義も見失ったか」
伏せていた眼が上がれば、たちどころに、空気が変わった。
アイゼンシュタットさまに、怒りの気配はない。責める態度も。だけど。
誰もが、怯えたみたいに身を縮めた。
きっと、皆、私と同じように感じたはず。
この方に、みっともないところは見られたくないって。
けど私、寸前に。
喧嘩上等の啖呵を切ってるんで す け ど 。
つい、不貞腐れた顔になる。
絶対聞かれているわよね。なかったことにならないかしら。
こんな状況で、この方を味方にすることなんて、私、できるの?
「邪魔をしてすまない、ミア・ヘルリッヒ嬢」
態度の悪い私に対し、それでもアイゼンシュタットさまは礼儀を保って、丁寧に尋ねてくださった。
「急ぎの要件がある。時間をもらえるとありがたいのだが」
その態度からは、何を思っていらっしゃるかなんて、読めない。
操られたようにうなずいた後で、私は我に返った。
しまった、これじゃ、ご令嬢方をさらに敵に回してしまう。
でも面と向かって断った方が、周りの反応は怖い気もした。
にっちもさっちもいかない。
口元がへの字になるのだって、仕方ないわよね。
とりあえず。
ねえ、聞いてくださるかしら。
―――――時間を遡って、ご令嬢方を喧嘩に誘った私を、殴ってでも止めたい。
読んでくださってありがとうございました~。