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38.ヤバい相手の喧嘩を買った、それ以上に味方がヤバかった


「ここで何が起こると思う」

周囲に満ちてるのは、平和そのものの放課後の空気。不吉の前兆なんてわざわざ探す方が物好き。

なのに、デーニッツくんは確信を持ってる。



―――――ここで、悪いことが起こるって。



揃って、なんとなく空を見上げる。足元を見下ろした。

最後に、目を合わせ―――――私は確信。


今 三人の 心は ひとつ。


―――――とっとと帰ろう。何かが起きる前に。待つ理由はないわ。力強く、頷き合う。

「アタシはもう帰るよ」

リタが、真っ先に一歩踏み出した。続いて、

「オレは今日、図書館から研究棟へ本を運ぶバイトしててな」

言いながら、デーニッツくんが踵を返す。

「完了報告に戻っただけだ。もう行く」

リタとすれ違い、図書館へ。


私は動かない。二人に対して、片手を振った。

「私はテツさまと待ち合わせてるから、ここに残るわね」

リタとデーニッツくんが、両側から私の肩を軽く叩く。

三人揃って笑顔で、それじゃ、と挨拶―――――しかけた、寸前。



きら、視界の隅で、何かが水の雫みたいに光った。


気のせいかしら。思ったときには、私はそっちに目を向けてた。輝きに誘われた形でそっちを見たのは、私だけじゃない。



リタが振り返った。同時に、デーニッツくんも。


私たち三人の視線が集中した先には。

―――――薄い、金属の栞。どういう仕掛けか、宙に浮いてた。リボンの赤が、やたら目に付く。


その光景を、見てしまった。一瞬、天を仰ぐ。もう、逃げ道はない。




「…あー、これって」


気乗りしない態度で、リタが、私の手元に目を向ける。私が手にした本に挟まってた栞はない。


もう一度、浮いてる栞を見遣る。視線に応えるみたいに、金属表面に、何かの回路に似た細かい光の筋が走った。




身体ごと向き直ったデーニッツくんが、宙に浮いた栞にいきなり手を伸ばす。私は背伸びしなきゃ届かない位置にあるんだけど、彼は軽々。

「仕掛けが発動するまで律儀に待つ必要ねえだろ」



真理。始まる前に、終わらせる。賛成だわ。でも。


「デーニッツくん。危ないから、まずは身体強化系の魔法を」



つい、余計な口を挟む。直後に、思う。やってないはずないわね。リタが呆れた目を向けてくる。刹那、

「そうだな、『強化』」

はじめて思い至ったみたいに、デーニッツくん。彼の指先が、たちまち魔力に覆われた。

リタが私に向けてた目をデーニッツくんへ向ける。刹那。



―――――バチィッ!



デーニッツくんの指先が、栞に触れる寸前、小さな雷が発生―――――弾かれた。

「っ痛てて」

すぐ引っ込めた手を、デーニッツくんがぷらぷらさせる。思わず凝視したけど、指はついてた。よかった。

雷が発生した部分では、煙が立ってる。へたに突っ込んでたら、大怪我だったわね。


私は少しでも情報を得ようと栞を見つめ、呟く。




「これ、魔道具だわ」


「嘘だろ」




リタが呻いた。

「アンタが魔道具に気付かないなんてあるのかい?」

「初見だもの」

残念だけど感覚で察知できるほど、私、人間やめてないのよね。


少し痛い目を見たデーニッツくんが、投げやりにボヤいた。

「で、どんな機能があるんだ」

とたん。

ぱっと二つの栞から、円状に光が散った。それが形を成した時には、魔法陣に変わってる。状況から判断するに、


「一種の記憶装置みたいね」

任意の魔法陣を込めることで、時間をおいて、発動させるシロモノじゃないかしら。

たった今、術者とつながってることはない…気がする。悪いけど、はっきりとは言い切れないわ。


「ひとつ、確実なことは」

私、真顔で一度、言葉を止める。肩を竦めた。



「発動しちゃったわね」



せめて、明るく告げる。だって、どうしようもないじゃない? デーニッツくんが、遠い目になる。リタが噛みついてきた。

「止める方法は、ないのかいっ?」

知ってたら、この魔法陣、とっくに私が消してるわよ。それこそ制作者でもない限り、停止方法なんて知りようはない。

私の視線から、言いたいことは察したみたい。


「アタシが魔石オタクなら、アンタは魔道具オタクじゃないか。その名が泣くよ!?」

「さすがね、リタ」

私を理解してる。



「新しい魔道具が目の前にあるのよ? もちろん、泣いて喜んでるわ」



できれば徹底的に調べさせてほしい。つい、栞を舐めるみたいに見てしまう。

私たちの会話が聴こえてない態度で、魔法陣をじーっと見てたデーニッツくんが不意に、

「白熱しているところ悪ぃが、よく見ろ」

私たちの視線を魔法陣の方へ促した。


「あれは、召喚の魔法陣だ」


咄嗟に目を凝らす。なるほど、まだ知識の浅い私にもわかった。

基本的な召喚の魔法陣だわ。でもこれ、少しおかしいわね。


「片方は普通だけど、もう一方は逆さまじゃないか」

リタが首を傾げる。私も彼女と同じ方へ首を傾げた。

同じ魔法陣で、上下が逆。ってことは…。考えてる最中に、デーニッツくんが口を挟む。

「オレは、座学が苦手なんだが」

腕を組み、頭使うのはもう限界って訴える渋い顔で言った。


「この魔法陣、座標設定がおかしくないか?」

座標設定―――――この場合、即ち、召喚した相手が来る場所。リタが魔法陣を眺め、難しい顔になる。

「だね? 両方とも、…少なくとも、『ここ』じゃなさそうだ」


「目の前で発動してるのに? ここに召喚するつもりがないの? いえ、そもそも」

私は魔法陣の青い輝きを見つめる。…うん?

見えにくいけど、二つの魔法陣が折り重なった部分。そこに、第三の魔法陣が描き出されていない? まだ何かあるの? なんにしろ、



「もう発動してるのに、何も起こってないってどういうことかしら」



あり得ない状態だわ。


こうして、三人で、つらつら観察する余裕すらあるなんて。

内容が読み解かれた魔法陣って、役立たずじゃない? 攻撃に使うつもりなら、余計。

戦闘の中では、電光石火で魔法の打ち合いになるわけだし。発動するまで、何が起こるかは凡人なら本来読めないものだわ。



何が起こるか気づいても避けきれない広域魔法なら読み解かれたところで問題はないだろうけど。



無駄な演出を見せられてる気分。…ああ、授業とか宴席で使うなら、面白い小道具かもしれないわね。

つらつら考える最中、私はふと首を傾げた。…あら、でもこれ。



―――――何か、知ってる気がするわ。



魔道具そのものを、と言うか。今の、自分の思考。どこかで、いつか、似たことを考えた気がしたの。私がその思考の切れ端を追っかける寸前。

「なんにしろここには、学長の結界が」

デーニッツくんが言いさした。直後、舌打ち。

「忘れたのかい、もちろん、図書館にもあるけど」

リタがこめかみを押さえる。私は頷いた。

「図書館の方は、校舎側ほど、複雑な術式が組まれてないって聞いたことがあるわ」




ガルド学院学長、ヴィクス・ラキル。


彼はかつて魔導大国グランノーツにて、宮廷で筆頭にまで上り詰めた魔術師だ。

彼が学院に張り巡らせた結界は強大にして緻密。

よって、二流・三流の暗殺者程度じゃ突破は不可能。逆を言えば、突破できれば相当の腕前ってことで。もしくは。


頭脳戦に長けてる、とか。たとえば学院内の者を協力者として引き込む。




先日の獣人の暗殺者、北の魔物の騒動は学院内の生徒の手引きが前提としてあった。

残念だけど、今回も、おそらくは。だけど。

―――――ここは、校舎側じゃない。図書館だ。学長の結界があると言っても、校舎側ほどじゃないはず。



校舎側でなら、悪意・敵意に満ちた召喚となれば、不発に終わる。でも図書館となると。



―――――既に仕掛けは発動してしまった。

栞は、私が借りた本に挟まれてた。だったら、狙いは私? 思うなり、

「おい、逆さまの方に、なんか新しい文字が浮かんできたぞ」

デーニッツくんの指摘に、私たちは揃ってそっちを見遣る。本当だ。

空白だった場所に新たな文字が加わってる。目に入ってきたのは。




―――――アイゼンシュタット。


理解するなり、




「標的は、俺―――――アイゼンシュタットだな」


淡々とした、感情を伺わせない声が図書館の出入り口から上がった。テツさまだ。

驚きも、面倒だ、って気持ちすらない表情で、魔法陣を一瞥なさる。



「相手は、俺をどこかへ召喚したいらしい」


あ! そっか、召喚『する』んだわ。正しい形なら、何かを召喚する魔法陣だもの。

なら、その逆さまは。



でもそれじゃ、すぐ思いつかないのも仕方ないわね。だってそんなの、非人道的でしょう。

強制的に人間を召喚するなんて、まともな神経持ってる人なら、思いついても避ける方法。


状況の危険は理解できたわ。でも、誰もテツさまに言わない。…逃げろ、とは。

むしろ、言えない。



この方に対しては、そう言う方が、無礼って気がするのは私だけじゃないみたい。



「刺客っすか」

気負いなく尋ねるデーニッツくん。誰が相手でも変わらない態度。肝が据わってるって言うべきか、図々しいって取るべきか。


「にしては」

リタが考え込むみたいに魔法陣を見つめる。

「逆さまの魔法陣なんて稚拙なやり方って気がするんですけど」

確かに。やり方が、玄人の洗練とは程遠い。


たとえば、…そう、魔法に不慣れな人物が思いつきそうなやり方だわ。


「そうだな、雇われの刺客のやり方ではない―――――怨恨の線、か?」

テツさまは物静かな態度で分析。

この方の口調で言われると、『怨恨』って言葉も大したことなさそうに聞こえるけど、…そんなわけ、ない。


「テツさまを召喚する魔法陣なんですよね、これ?」

「そうだ」

私が尋ねれば、テツさまは軽く首肯。

「発動してるわりに、テツさまはまだここにいらっしゃいますが…」


「俺がまだ、魔法陣の有効範囲に入っていないからだ」

つまり、この魔道具では、魔法が通じる範囲が限られるってことで。

私は半眼で栞を見遣った。


…え? 想像以上に、あまり使えない魔道具って気がするんだけど、気のせい?

あ、いえ、用途が限られるって言いなおすわ。ごめん。


同じく、テツさまは栞を見遣る。

「ふむ」

その唇に、はじめて、ちらと笑みが宿った。そして、悠然と、

「いい度胸だ、アイゼンシュタットに真っ向から敵対するか」

たちまち、私たちは悟る。ああ、やっぱり。この方に、逃げる気なんてないわ。



「敬意を表し、受けてたとう」



何にも興味がなくってどうでもいいって態度の割に、この方はいつも、こういう選択をする。


他人以上に、自分自身のことをどうでもいいって思ってるみたい。



テツさまが一歩踏み出そうとする寸前、

「いや、邪魔して悪いんすけど」

デーニッツくんが片手を挙げた。待ったをかける。

「黙って見送んのも間抜けなんで、なんか手伝わせてくれ」


「そうだね」

リタがデーニッツくんに同意。次いで、テツさまに提案。

「複数でかかった方が早く終わると思います」


私ひとり、ついていけない。え、え、と思ってる間に、テツさまが頷いた。

「では、ヴァイス・デーニッツ。リタ・パージェ」

呼ばれたなら、襟を正さずにいられない厳しい声で、彼は命じた。



「仕掛けた相手を捕らえろ」



二人は優秀だ。疑問をさしはさんだりしない。

一瞬で、テツさまに従うのが最適解と判断したみたい。二の足を踏んだりせず、真っ先に、リタは図書館へと身を翻した。




「パージェ、相手を知ってるのか?」


「二階の図書委員!」




リタの答えに、デーニッツくんも動く。

もちろん、まだいるかどうかは分からないし、本当に図書委員だったかどうかも疑わしいけど。少なくとも、今なら顔を覚えてる。

「すまないが、ミア」

取り残された私に、テツさまは、

「もう少し、待っていてくれ」

言いながら、一歩踏み出した。刹那。



空気が、ぐわん、と動き出そうとした、…気がする。とたん。






―――――怨恨って言葉が、生々しく脳裏で再生された。


私の背中を押したのは、その言葉。

テツさまを、一人で行かせちゃいけない。そんな、闇雲な衝動が、私を突き動かした。


ついて行って、何ができる、とか。


そうすることで、召喚先について行ける、とか。

何一つ、確信なんてなかったけど。






こちらへ一歩踏み出したテツさまの腕の中へ、私はもう全身でぶつかる勢いで突っ込んだ。直後。


顔面に、痛み。鼻、…鼻をぶつけた。テツさまの身体に。テツさまは小揺るぎもしなかったけどね。理解するなり。

―――――さかさまに、落下する感覚に襲われた。思わず目を閉じる。な、なにっ?

ちゃんと立ってるはずなのに、頭から空へ落ちてくみたいな感覚。咄嗟にテツさまにしがみついた。



「なにを…!」

焦った、声がして。その全身で、くるみ込むように抱きしめられた。

「どこへ行くとも知れないのに、ついてくるなど」

語尾を呑み、身を震わせたテツさまには悪いけど、私はホッとする。


よかった、つまりは一緒に移動できたのね。やり遂げた感に、少し強気で言う。

「私は、役に立ちます」

私一人、あそこに取り残されても、立つ瀬がない。


「どんな」

厳しい声。それで折れると思ったら、大間違いだ。押し込む勢いで、断言。





「いつだって、あなたの味方でいる」





ズレた答えを返した覚えはない。ここでは、一番それが必要な盾と思ったから、そう答えたのよ。



一瞬、深い沈黙が落ちた。刹那。





「く、はは、あははははははははっ!」





突然だった。

いきなり、爆発的な笑いが上がる。…テツさまの。


―――――本当に、楽しそうで底なしに明るい笑い声。笑うことに慣れていない不器用さに満ちた、だからこそ本物の、笑い声だった。


くっついた身体が笑いで震えてる。この、物静かな方にしては、あり得ないような反応。

私の言い分は通ったのかしら。様子を窺うより先に、反応の大きさに呆気にとられる。


「してやられたな」

笑いの余韻を残しながら、テツさまが腕の力を緩めた。

「そうだ、これがあなただ」



それ、ただの迷惑な人って言ってない…?



落ち込みながら身を離せば、穏やかな黄金の目が私を見下ろしてる。

何も感じないからこそ、の穏やかさじゃない。




本当に、寛いで、安らかだからこそ、浮かべられる穏やかさだ。




そりゃ、今までも、テツさまは穏やかでいらした。けどそれは、本当に雫一滴分の雰囲気に過ぎなかったんだって、今なら分かる。

深い、穏やかさの中で、テツさまは落ち着き払った声で呟いた。

「いつも驚かされる」


同じ台詞を打ち返されるのは、承知で仰ってます?

…ええと。これは、許されたってことで、いいのかしら。

ワガママを押し通すようで申し訳ないけど、この方をここで一人にするのは嫌なんだもの。

とりあえず、テツさまは許してくださった、として。

私は周囲をそうっと見渡した。



…う、ん?



気のせいかしら、いた場所は、さっきまでとひとつも変わってない。

さっきの、どこかへ落ちてく『感覚』が嘘だったとも思えないけど。

「あのう、テツさま」


「どうした、ミア」

さらに、右に左に顔を動かし、場所を再確認。やっぱり、さっきと同じ? でも何か、違うような。

なんだか神経に、ちくちく障るものがあるわ。


先日感じた、異界ほどじゃないけど。


「ここは、さっきと同じ場所…」

「では、ない」

さらり、断言。この方は、いつも、とんでもないことを平然と仰る。

たまに思う。もう少し、重大事件っぽく―――――思った端から諦めた。


テツさまにそういう反応は、びっくりするくらい似合わない。ひとまず。


―――――この方が断言するなら、さっきの場所と今立ってる場所は違うんだろう。

え、どーすんの。帰れるの? 落ち着け、まずは現状確認。


動揺に右往左往し始める意識を無理に一方向へ向け、私は冷静に尋ねた。

「ではここは、どこなんでしょう」



「異空間だ」



異空間。ざわっと鳥肌が立った。先日の異界を思い出したからよ。

でも異空間と異界は違う。


異界が、文字通り、異なる世界を切り取ってこちらと無理にくっつけたものだとすれば。


異空間は、術者の創作物。次元をずらし、自由になる一定の空間を創作するってシロモノ。


ただ、一から創るとなれば相応の魔力と時間が必要だわ。

それに、しょっちゅう出入りできる場所でもない限り、細かい仕上がりなんて期待できない。

そもそも、図書館の表口でそんな怪しい行動を取ってれば、即座に取り締まり対象になる。


なら、どうやって?


「図書館の敷地内を鏡映しにしているようだ。これなら、それほど時間も手間もかからない」

テツさまの解答に、私は改めて周囲を見渡す。なるほど、鏡映し。

同じ場所って思うのも無理ないわ。でも何か、違和感がある。ところどころ、雑って言うか。


毎日生活に使われてる『生きた』場所じゃなく、作り物というのか…。


そう言えば、さっきデーニッツくんが、魔法陣の座標設定がおかしいって言ってたわね。

こういうこと、か。

私の反応に、テツさまは足元を指さした。



「足元に意識を向けてみろ」


促されるまま、やってみれば―――――あ。

足元の向こう側。ほんの、薄皮一枚分隔てた場所に、私が生活するいつもの空気の流れが感じられた。逆さまって言うのか…靴底を向け合ってる感じね。



それは分かった。じゃあ戻り方は?


テツさまを見上げる。聞いてばかりも申し訳ないから、無言。できれば、自分で答えを出したいところ。

悩んでる私の前に、テツさまは手を差し出した。手をつなぐって言うより、淑女をエスコートするみたいに。


最近、もはやこうなるのが当たり前。そっと手を乗せながら、私。





「なんだかダメになりそうです」

甘やかされすぎてる気がする。言えば、テツさまは不思議そうに、


「ダメにするつもりだからな」




分かってます、冗談だって。


テツさまは前を向いて、





「元の場所へ戻るには」


答えを言いさす。思わず、私。

「あー!!」

言っちゃダメ! って声を上げた。テツさまはびっくりしたのか、目を瞬かせる。振り向いた。



「…どうした。殺される寸前のような声を上げるとは」



似たようなものだわ。


「言っちゃだめです、答えは、自分で考えたいんです」

訴える。私をしげしげ見下ろし、テツさま。

「そうか」

納得した態度で、頷いた。よかった、なら、自分で考えさせてもらえるのね。


よしじゃあ、今まで習ったことをおさらいするところから…と張り切った刹那。




「出るための鍵があるはずだ。それを探す」




―――――この人、今なんつった。




思わず瞠った目で私が見返すなり。ふ、とテツさまは息だけで笑う。いかにも楽し気に、くく、と肩を揺らした。




…こ、子供…っ。小さな男の子がする嫌がらせだわ、これ。




いっとき、思考が止まった私の手を、テツさまは柔らかく促すように引いた。

申し訳なくなるくらい、丁重なエスコート。テツさまは何事もなかった態度で、図書館の扉を開けた。…私の扱いは、もうちょっと雑でいい。


そして、私が考えるより先に答えを出すのはやめてください。訴える寸前、






―――――許すまじ、アイゼンシュタット!!






怨嗟に満ちた怒声が、礫みたいな勢いで降ってきた。

なんだとっ。

考えるより先に身体が動く。私は、ぴょんと飛ぶようにして、テツさまより前へ出た。

声が聴こえた頭上へ向かって、両手を振り上げる。


「隠れてないで、直接目の前で言ったらどうなのさ!」


直後、おやと顔をしかめた。


頭上を見上げた私の目に映ったのは、―――――底なしの闇。天井は見えない。

どこまでも続く洞窟が、ぽっかり口を開けてる感じ。どうなってるの。


首を傾げれば。

不意に、その彼方から届く、風の悲鳴。近づいてくる。こっちに向かって、…落ちて、来てる?


気づけば、私は後ろからテツさまの胸に抱きしめられてた。守る形で。

頭上を見上げたテツさまの黄金の目が、燃えるような戦意に輝く。

「ほう」


片腕が頭上を薙ぎ払った。



「影とはな!」



声に乗って、魔法が発動―――――現れたひかりの刃に、黒いものが一刀両断される。

左右に分かれ、勢いもそのままに、床へ落ちた。けど。

右にも左にも、何もない。…いいえ?


―――――薄い灰色の何かが、床に張り付いてた。まさしく、それは影。しかも、獣の形をしてる。

左右に分かれたそれが、もぞり、不穏に動いた。

呆気に取られてるうちに、一つに戻ってしまう。あまつさえ、唸り声を立てた。


確かに、獣―――――ただし、大きさが尋常でない。

「これは…」

いったい、なに。


「おそらく」


呆然とした私に、テツさまが冷徹な目で足元を見下ろし、答えた。




「南部の神獣だ」




私は、呻く。それは、世界の災厄のひとつ。


北の魔物。


魔導大国の精霊。


西のモンスター。



そして―――――南方の神獣。

神獣は、南方にある獣人たちの国で崇拝される。けど、同時にひとたび暴れ出したら、もう害獣認定されるの。国の戦士が総出となり、命懸けの掃討戦がはじまる。



私は、さっきの魔法陣を思い出す。

ひとつは、テツさまをこの場に召喚するためのものだったとして。

じゃあ、もうひとつは。


…何を、召喚したのか。その答えが、目の前にある。




「影とはいえ、神獣を召喚したんですか…」


あ、ヤバイ相手の喧嘩を買ったわ。

か弱くもないのに、眩暈でふらついた。幸い、テツさまが支えてくださってたけど。




神獣は災厄だわ。利用なんか、できるモノじゃない。でも、もし。

万が一。―――――それを望むとしたら。


どれだけの魂の犠牲が必要となるかしら。そして、それだけやっても成功するとは限らない。つまり、それだけ大ごとなの。




それは禁術。いえ、もう禁忌となるレベル。




…学院が壊れるどころじゃない。下手をすると、ベルシュゼッツ公国が危うくなるかもしれない。なのに。

今、目の前で、それが現実に起こってるってことは。


そういうことが、どうでもよくなるくらいに。



―――――アイゼンシュタット家を憎む相手が、いる。



そこまでの憎悪を何かに抱くことが可能な相手がいるって事実にもぞっとするけど。

そうさせるだけの、どのようなことが、行われたっていうのかしら。ただ。


(それは、アイゼンシュタット家であって、テツさま個人って感じがないのよね)


それでも、アイゼンシュタットの犠牲に、テツさまが選ばれた。

テツさまが狙われる理由なら、分かるわ。この方が、学院にいるからよ。

アイゼンシュタット本家の重厚な守りを貫くより、まだ学院の結界を突破する方が易い。大半の刺客はそう判断する。ただし。


―――――そんなわけないのは、前述した通り。

ただ今回の相手は、どうにか、鉄壁を潜り抜けてのけたのね。

そこは称賛に値するわ。ただ、やり方は。私はつい、顔をしかめる。

標的の『他』が見えてない自分勝手さは、ただの非常識な執着だわ。


…影は影でも、災厄の影。それを、見て。テツさまは。

どうなさるおつもりかしら。見上げれば、テツさまは、不意に、落胆の影を瞳に落とした。




「たかが、影か」




―――――相手に不足とばかりに落胆。

忘れてました。そう言えば、この方も災厄だわ、ベルシュゼッツ公国の。

あ、つまり現在、目の前に用意されている状況は。


災厄の『本体』対、災厄の『影』?


待って。こんなの、勝敗なんて始まる前から―――――…あ、いえ。そうでも、ない?




まずもって、影相手なんて、どうやって戦うのか、方法が分からないわ。




テツさまの冷静な呟きを侮辱と取ったみたい。影が不快気に総身を震わせる。身を撓めた。全身の筋肉が緊張―――――来る。

眼前、嵐のように渦巻く殺意。濃密さに、私はいっとき息が詰まった。なのに、テツさまはまったくの憂鬱な態度で、


「ミア」


腕の中に包み込んだ私に、気紛れみたいに問いかけてくる。

「闇は、どうすれば消えると思う」

目の前の獣の影のことを言ってるのかしら。

私はと言えば、殴りつけるみたいな殺意に、正直、ほとんど冷静さは手放してた。


私を守るための腕が、拘束に感じられるくらい、それは精神に直接死を刻んだ。




今すぐ逃げたい。テツさまの腕の中なら安全だって知ってるのに、狂ったみたいに暴れて抜け出したい。そして駆け出せば、心から安堵できる。




―――――それでも、

「光があれば、闇は消えます」

落ち着き払った声で答えたのは、意地だわ。テツさまは頷いた。


「正しい。なら」

合間に、影が跳躍。目で見える認識としては、影が小さくなっただけだけど。確実に、距離は詰まってる。なのに。

テツさまは不動。

―――――攻撃の予感に、身を縮めた私の耳に、


「…影を『殺す』には?」

テツさまの不穏な問いが届いた。振り向かなくても、分かる。笑って、おいでだわ。

前方の殺意以上に、うしろにいる方が怖い。―――――とうとう声が、出なくなる。

直後、不意に。

影が映る床から離せなかった私の目に、妙なものが映った。

フロア床にあったのは、獣の影。そして、私とテツさまの影。そのうち。


テツさまの、影が。




―――――歪に膨れ上がった。








不自然に節くれだった関節。


捻じくれた角めいたもの。


複数の、細長く蠢く腕。



細胞の一片に至るまで猛毒で構成されていそうな醜悪な巨躯に。









勢いもそのままに、獣がかぶりついた。

狙ったのは、首筋、だったと思う。拍子に。


…一瞬。ほんの一瞬、テツさまの首筋、左側の皮一枚が切れた。


でも、それは気のせいだったかもしれない。瞬き一つで、それは消えたから。

代わりに。





――――――ガガアアアアァァアァッ!!





憤怒と苛立ちに満ちた咆哮が足元から跳ね上がった。一瞬、泣き声かと。

思わず足元へ、目を凝らしてみれば。


獣の影は、歪な影から、望まぬほど熱烈な抱擁を受けてる。


直後、のたうつ影の周囲で、何かが飛沫く。まさか、…血飛沫?

思う間にも、獣の姿が、歪にひしゃげた。巨体を支える太い柱みたいな背骨が折れた、そんな光景。


手足が千切れ跳ぶ。そして、その、身を。




―――――途切れがちになる咆哮に、断末魔の哀切が滲んだ。








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