表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
37/45

37.トラブルメーカー・3

「はあ?」

放課後。ガルド学院校舎の隣に建つ図書館の二階。

本棚の合間で元気いっぱい、頓狂な声を上げたのは、リタ。すぐさま彼女の口を、私は思い切り平手で叩いた。べちっ。


「場所」


小声で叱責。

目の前で、悪友は叩かれた顔の下半分を両手で押さえてる。恨めしそうな目。文句があるなら、外でね。眼差しで告げ、私は本棚に向き直った。


チビの私でも手が届くぎりぎりの棚。私はベルシュゼッツ公国の歴史に関する本を一冊、抜き取る。



天使や悪魔、神人のことを調べようと思ったのよ。もちろん、一番知りたいのは。




天魔のこと。




ただし、その存在を調べるのは、禁忌。ゆえに、主に天魔を扱った著作は存在しない。

…というのが表向き。世界中探せば、絶対どこかにあるんだろうけどね。

だって、神話の時代からこれでもかってくらい神秘に満ちた存在よ? 謎がとことん魅力。なしたと言われることははっきりしてるのに、当人に関しては何も分からない。そんなの、かえって追っかけずにいられないわよね。と言っても。


先日学長に言われた言葉を思い出す。



―――――各五大公家にある書物を見せてもらいなさい。



天魔自身が天魔について調べるのは、禁忌でも何でもないからって。そりゃそうだけど。

つい渋い顔になる。

確かに、五大公家にはあるはず。天魔に関する記述が載ってる本が。

なにせ、彼らは、天魔の守護者だもの。

ただ、ねえ。


大公家所蔵の本を閲覧させてくださいなんて、気楽に頼めないわよ。敷居の高さは山の如し。いくら私が天魔と言われても、生まれも育ちも平民だもの。軽く言える相手でもないし、大公さま方にはそもそも会う機会なんかない。と言うかそんな機会、欲しくない。私の寿命のためにも。


まずは図書館、あたりが限度。こっちが身の丈に合ってる。

先にカウンターへ行ったリタは、魔石の本を借りてた。今まで見たことないわね、あれ。ってことは、きっと新刊だわ。


続いた私は、歴史に関する本を二冊借りた。カウンターのやり取りを終え、先に出てたリタを追う。階段前で追いつくなり、




「アンタ何考えてんのさ!」




真上から怒鳴られた。もちろん、小声。図書館内は扉なんてないもの。


ひとまず、若干リタから距離を取った。いつもながら近い。彼女を見上げる。

―――――真剣に怒ってた。けど、何に?

説明を求めると、もっと怒られそうな予感がある。私は果たして、何をやらかしたのか。


立ち止まり、リタと見つめ合う。…さっきの会話を思い出そう。


そう、私たちは館内で無駄話をしてた。もちろん、小声で。それこそ、委員にでも見つかったらここは図書館です、とか怒られたでしょうね。

幸か不幸か、誰にも話は止められなかった。

最初に話を振ってきたのは、リタ。



―――――昨日の休み、部屋にいなかったけど、どこにいたんだい。



…いない時に限って、訪問ってあるのよね。私は正直に答えたわよ。街へ出かけたってね。

そこまでは、リタの顔色も変わってなかったと思う。けど、

―――――へえ、アイゼンシュタットさまと?


からかう表情で聞かれ、頬を小突かれた私は、




―――――一人でよ。




また、正直に答えた。刹那。リタがまとう空気が、変わった。そして、冒頭の態度。


あ、はい、理解しました。案の定、リタが怒りを抑えた声で言う。


「迂闊すぎるよ、一人の外出なんて」

これは単純な怒りじゃないわね。心配ゆえってところかしら。バツが悪い気分。

リタが言葉を重ねる。

「自覚してるかい? アンタ、自分が何なのか」


天魔です。


どうやら、私以上に私の立場を、彼女の方が分かってるみたい。



大体、私自身に確信が持て出したのがつい最近だもの。周りが言ったところで自覚が足りないんじゃ如何ともしがたい。



「ごめん」

ひとまず、素直に謝った。他に選択肢はない。

外出の理由を聞かれなかっただけ、まだましね。知られたらもっと怒られそう。ボロが出る前に、言葉を続ける。



「ただ帰りは一人じゃなかったから、安心して」



ハイネマン商会の店員さん方には怒られなかったから、うっかりしてた。

そうよね、彼らは公表された天魔のミア・ヘルリッヒが、私じゃない別のミアさんだと思ってるふしがある。


旦那さまはご存知だけど、必要と思わないことでわざわざ相手の思い違いを訂正する方じゃないし。


「誰かに送ってもらえたのかい」

リタが片方の眉を跳ね上げる。派手な美人のリタがすると、豪快な姉御って感じが強まる仕草。

「というか、帰り道でレオさまと偶然会ったのよ」



会って―――――…何が起こったか。騒動の一件は大胆に割愛、私は事実を一つだけ告げた。




「あの方に、寮へ送っていただいたわ」




聞くなり、リタの雰囲気がさらに悪化。…今度の地雷はどこにあったの?


「…よりによって、マイヒェルベックさま…」

ただこれは、怒りじゃないわね。リタは蒼白になって、身震い。




「それ! アイゼンシュタットさまにちゃんと報告したかい? まだなら言っとくんだよ、ちゃんと! お二人が争うなんてなったら、血を見るから、周りがね!!」




リタの勢いに、私は一瞬唖然。


もちろん、分かるわよ。リタが言いたいことは。


私とレオさまが、休日、二人きりで町に出た―――――これは外聞が良くないって話でしょ。


でも、私とレオさまの組み合わせを客観的にきちんと見てくれない?

色っぽさなんて砂粒一つ程度も存在しないわ。よくて兄と妹。普通に喧嘩友達。

確かに、したわよ? 抱き上げられたり。くっついたり。けど。




ハラハラはあったけど、ドキドキはなかった。その手の緊張感は皆無で、そういう話にされると、逆に笑える。レオさまだと、なんか動物が相手って感じなのよね。これ、たぶんお互い様と思う。確かにレオさまは手の早い方ではあるけど、あれじゃあねぇ。

―――――でもリタの言葉にあえて逆らう気もない。




内心「プッ(笑)」と噴き出したのを慌てて隠し、表向き真面目に頷く。


「分かったわ。リタが言うなら」

リタは、疲れたって風に嘆息。


「頼んだよ」

彼女はあくまで真摯だ。…良かった、笑わなくって。気持ちを切り替える態度で、リタは身を起こした。

「にしたって、この間から、どうしたって言うのさ、ミア」

胡乱な目で見下ろされた。

「私がどうかしてるみたいな言い方ね」


「そう聞こえなかったかい」

蓮っ葉な口調で応じ、私を促したリタは階段を降り始める。



「ぼんやりしてるだろ」



大雑把なのに、鋭いんだから。並んで階段を降りながら、私は素直に認めた。

「本調子とは言い切れないわね」

寝ぼけてる感じが、薄い霧みたいに意識の周辺を覆ってる。ただ、幸い、それはだいぶん薄れてきてた。


「グランノーツから戻って以降じゃないかい?」

正確な指摘。でも、帰国直後みたいに目を覆う事態には、最近はならない。


なんにしたって、人からの指摘が入るくらい、私の様子はおかしいのね。

でも当然だけど、ここまで言っておきながら、リタは何があったの、なんて聞かない。


「あの国がとんでもない状況だったのは、誰だって知ってる」

賢明ね。

深入りはお断り。態度で示す悪友に、むしろ底なし沼に引きずり込んでやろうって誘惑が、苛立ちと共に訪れる。



「それを水際で食い止めたのが天魔ってこともね」



とたん、私、内心ぎょっとした。とんでもない間違いだわ。食い止めたのは精霊。

なんでそんな話になってるの?

先日、魔導大国から、正式なお礼が宰相さまを通じてあったけど、私は言葉以外のものはお断りした。


格好をつけたわけじゃなくって、実際、私は何もしてないもの。

あ、そう言えば。


刹那、脳裏をよぎったのは、優し気なのに油断ならない宰相さまの笑顔。



―――――あの方が、何かなさったかもしれないわね。



最低限、できうる限り最大の恩を売り付ける、という努力は惜しまなさそうだし…。

「そうなの…天魔がね」

心の底から、他人事って気分で言葉を放り出す。とたん、リタが察した目になった。


「…色々あるみたいだね。あ、迷惑だから話すんじゃないよ」

聞く気がないなら、せめて思い出させないでほしいわね。

つい、眉間にしわが寄った。唇を尖らせる。


とたん、リタが渋面を解いた。待ってたおもちゃが目の前にあるみたいな顔で、私の頭をくりくり撫でる。



「そんな顔しても、やっぱりミアは可愛いねえ」



なぜか、こうしたがる相手は多い。何が楽しいのか私には分からないけどね。

いい加減、慣れてるから好きにさせておく。気が済んだら退くでしょ。

最中、何かに気付いたみたいに、リタが目を瞠った。手が止まる。


「あれ、ミア。アンタ、背が伸びた?」




あらやだ。その一言で、私、今日の残りを幸せに過ごせるわ。


「分かる?」




もちろん、体感としての自覚はあった。微妙に関節が痛かったりするし。この上、感覚が鋭いリタが言うなら、間違いない。


私、身長が伸びてるみたい。



「ちょっと制服がきつくなってきてたのよ」



ほくほく、胸を張った。高身長を望むわけじゃない。ただ、標準になりたい。

でも、これで真実だと証明されたわね。


私の身長が伸び悩んだ原因が、…本当に、精霊だったって。恨むわけじゃないけど。脱力感がすごい。

まあ、過ぎたことは仕方ない。


「長期休暇の後の私に期待していて」

言った私の目は、きっと輝いてたと思う。対して、リタは残念そう。

「遅い成長期かねぇ。アタシとしちゃ、ちっこいままでいいんだけど」


「それって何が楽しいのかしら?」

真顔で言えば、リタが乾いた笑いを垂れ流す。


「うん、知ってた。自分の可愛さが凶悪なレベルにあるって、アンタに自覚がないこと」

そんなに私は、無垢とか初心に見えるかしら。どっちかと言えば、擦れてるでしょ。


世間の中で、この容姿がある程度武器になるって自覚くらいはあるし、利用もしてるわよ。


階段が終わり、一階に足がついた。拍子に、リタが豊満な胸に押し付けるみたいにして抱いた分厚い本に目が向く。…あれ?

「リタ、その本」

私は首を傾げた。




「栞は挟んでくれなかったの?」




「栞?」

階段下で立ち止まり、私は自分が借りた二冊の本をリタに示す。

「ほら、私には」


赤いリボンがついた薄い金属の栞がそれぞれに挟まれてた。カウンターにいた図書委員の子が挟んでくれたのよ。貸し出す本には全部ついてくるのかと思ったけど、違うのかしら。


「…ほんとだね?」

リタが不思議そうに目を瞬かせた。階段下から、二階を見上げるみたいにして、

「まあアタシはなくても構わないけど…」


なんとなく、揃って栞の赤いリボンを見下ろす。胡乱な表情になったのは、同時だったかもしれない。




「さっきの図書委員、いつもの子だった?」

つい、警戒に満ちた声が出る。同じく、リタの声も低くなった。


「いやアタシもそこまで図書館利用しないし」




委員の顔まで覚えてないわよね。

階段下で、時ならぬ沈黙に襲われた、その時。






「…ミア?」


図書館一階のカウンター側から、名を呼ばれた。


静謐な、低い声。思わず襟を正すほど厳格なのに、心地よく神経を震わせてくる。

こんな声の持ち主は、私は学院で一人しか。






弾かれたように顔を上げた時には、寸前までの会話は全部私の頭からこぼれ落ちてた。

瞠った目に映った姿に、一瞬で、―――――他いっさいが見えなくなる。



「テツさま!」



思わず声を上げた。直後、声を押し戻す気分で、私は手で口を塞いだ。

いや、遅いんだけど!

一階の何人かから、シー、と指で示され、私は身を縮めた。


テツさまの、厳しい黄金の目も、私を映してる。叱責の予感に、ますます身の置き所がない。

小さくなった私に、何をお考えになったのかしら。


テツさまの表情がわずかに緩む。彼は悪戯気に人差し指を自分の唇の前に立てた。



皆と同じように、静かに、と言いたげにして、―――――微笑んだ。刹那。



周囲の沈黙が、さらに深まった、気がする。すかさず、周りを見れば。

運がいいのか悪いのか、テツさまの微笑を見る機会に恵まれた生徒たちが、男女問わず魅入られたみたいに呆けてた。図書館の一部で、時間が止まったみたい。


分かります、テツさまの笑顔は奇跡です。



あろうことか、目の前で、悪魔が奇跡を起こしてらっしゃる。



なんにしたって、近頃、本当によく笑ってくださる。ただし、弊害も強いのよね。

私はこの、最大限の攻撃とも言い換えられそうな笑顔を、真正面から見る羽目になるのよ。幸せと言うより、心臓が止まりそうで怖い。まさに、爆撃。直撃したら極楽行。

思わず助けを求めて隣に手を伸ばす。でも、指先は空ぶった。気づけば、リタは図書館の扉付近に避難してる。こ、この…。


思う間にも、



「ミア」



こちらへ、と招くみたいに、テツさまが片方の腕を広げた。


…この方は、誘惑が逆らえない命令に代わっちゃう方よね。ただ。

私はちょっと、近寄るのを躊躇った。相変わらず、私みたいな平民があの方に近寄っていいのかしらって遠慮が先に立つ。でも、この不穏さ。



微笑んでらっしゃる以上、一見、機嫌よさげに見える。見える、のだけど。

どうしてかしら。





―――――今のテツさまからは、黒いものを感じるわ。





特に、何にも興味を持たないからこそ、穏やかさを保ってるこの方の気配の中に、冷たい毒針が一筋潜んでる感じがする。

…よく見るようになったからこそ、分かることもあるのよ。笑顔の質の違いというのか。



その実、機嫌がいい、のも事実ね、これは。



なのにどういうことかしら、このひんやり感。

すぐにでも駆けよらなきゃ、逆に怖いことになるって、確信があった。根拠もないのに。


私はテツさまに早足で近寄った。できうる限り、慎重に。とたん。



包み込むみたいに肩を抱かれる。間合いに入るか入らないか、の内に。早業。ちょ。



咄嗟に私は額をテツさまに押し当て、俯いた。こうでもしないと、身体の方も密着する。

にしたって、いい匂い。石鹸かな。どうでもいいけど、顔が熱い。

「これから、帰りか」


「…はい。寮へ、このまま」

我ながら、これ誰よって感じの声が出る。ほんと、誰。

私自身が傍で見てたら、胡乱な顔になってるところよ。

「なら、少し待っていてくれ」

軽く、甘やかすみたいに肩を撫でられた。


「図書館での用事が終わったら、俺も帰れる。一緒に寮へ戻ろう」



「ほんとですかっ?」



驚きと嬉しさに思わず顔を上げる。上げて、しまった。近い。

とたん、わずかに開けていた隙間すら埋まり、テツさまと密着。全身に、変な汗が噴き出た。

いや、寮への距離なんて、ほんのわずかなんだけどもねっ?


そして―――――黄金の目と視線がかち合った刹那。

「ああ」




私は悟った。




あ、この方、心底機嫌がいいのに、同じくらい…不機嫌だわ。怒ってるって言ってもいい。

そんなの、普通ならあり得ないけど、そうとしか言えない。


「話したいこともある」

口調なんか、いっそ優しいくらいなんだけど。




獰猛な肉食獣の爪で、項を捕らえられ、地面に押し付けられた小動物の心地になるのはなぜかしら。




「…先日の、休日の件で話をしたい、と言えば、通じるか?」




とたん、―――――全身の血が氷になったかと思った。




それほどの、熟しきって血の匂いがするみたいな退廃の気配が、テツさまから一瞬解き放たれたから。


周囲も、何かを感じ取ったんだろう。

周りから感じる沈黙の種類が、最前までと違ってる。ひたひたと、恐怖がにじみ始めてた。


「ついさっき、レオがな」

蒼白になった私を見下ろすテツさまの顔には、変わらない微笑。そして、私を抱き寄せる手にはさらに力がこもる。

「皆を集めて話してくれた。…俺だけではなく、『皆』を集めたのは、いい判断だ」


正直言って、私は、この間の休みにあったことは、それきりの話だと思ってた。

私のかかわりがどうこう、と言うより、マイヒェルベック家の内部で片を付けることだって。


だからこそ、さっきのリタが見せた反応は、大げさと思ったくらい。そもそも、誰かに報告するって必要を感じなかったの。



私はいつも、昼休みにテツさまと顔を合わせるわけだけど、だからこそ、この方には何も話していない。

お家騒動なんて、告げ口するみたいな感じもあったし。



「あれは、ヤツが、あなたを個人ではなく、天魔として大切にしようとしている意思表示だ」






その席で、つまり私は公の存在として扱われたってことね。

対して私は、私自身を、未だ公の存在とは見れずにいる。個の立場からしか、判断ができてない。


テツさまは、それに対して怒ってるのかしら。いえ、それもあるだろうけど。


それだけなら、機嫌がいい理由が分からない。






「天魔がいる以上、マイヒェルベックはアイゼンシュタットとことを起こす気はないらしい。残念ではあるが、正しいな」


言い切った。残念って。

この方も、確かに悪魔の血統なのだわ。


居たたまれなくて、つい尋ねた。



「…お怒りですか、テツさま」



今考えれば、確かに私は迂闊だった。

他はともかく、テツさまに怒られるとなると、本気で凹む。


逃亡なんか考えもせず、ひたすら従順に、怒りを受け止めるほかない。と言うのに。

「否定はできない。だがそれ以上に」


常にどこか憂いのこもった声が、不意に明るく華やいだ。






「―――――楽しんでいる」






言葉通り愉しげな黄金の目が、私を映してる。怒ってるのに、…楽しんでる?


意味が理解できなくて、私は一瞬混乱した。



構わず、テツさまは私の顔を覗き込んで、内気な子供が達成した何かを褒めてほしがってるみたいな態度で、目を細める。

熱っぽい声で囁いた。









「あぁ、これが怒りかと」









声が、場違いな感動の響きを宿す。


この、言葉に―――――私は、ようやく理解した。


ほとんど何にも興味を抱かないこの方は、それゆえに、感情の起伏が―――――ない。

ある意味、赤ちゃんみたいなもの。癖がなく、真っ白。

でも、今。



怒りを感じてる。おそらく、ほとんど初めて感じる感情なんじゃないかしら。



だから、彼から見れば、そのすべてが。

物珍しくて。

面白くて。


…楽しい。


子供が玩具に夢中になってる、そう思えば、いいのかしらね。




「燃えるようだな。まるで火だ。こんなものが、俺の中にあったとは」




テツさまは感情の発見に夢中になってる。


「他の連中の威圧が鎖にならなければ、燃え尽きるまでレオと殺し合っていただろう。他人の婚約者を連れまわすなど、あれも考えが足りない」



しかもそれを、…既にレオさまに向けたみたいね…。



確かに、今のテツさまの状態じゃ、『待て』は難しいはず。

でもその言葉で、テツさまの怒りの理由が、私が思ってるところとズレてる可能性に気付いた。怒りを、私じゃなく、レオさまに向けたってことは。


単純に、迂闊な私に怒ってるってだけじゃなさそう。

いえ、理由に関しては、後回しでいいわね。今はそこを突つく方が迂闊。なら?



「その報告の後、何か私への処罰が決まったのでしょうか」



おそらくは、なんらかの対策が講じられたはず。

私が自由を望んだから…これまで通りの生活を望んでるから、望み通りに、と動いてくれてたんだろうけど。


私自身の自覚が足りない今。―――――それは危うい、と。誰に言われるまでもなく、私が強く思ってしまってる。それとも。





周囲は、そのあたりの自覚を促すために、私にしばしの自由を許してくれたんだろうか。


結局、私はまだまだ子供なんだわ。





「誰もあなたを罰することなどできない。だが」

ふ、とテツさまが手から力を抜いた。…拍子に、私は大きく息をつく。そうしたことで、気付いた。


テツさまの拘束の力が、じわじわと思わぬほど強くなってたことに。


最初は、まだ緩かったんだけど。離れた時、軽く咳がこぼれたことで、気道も圧されてたことを自覚。

あまりの緊張に、息苦しさに意識が向いてなかった。


なんとなく、上目遣いで見上げる。いつもの黄金の目にあるのは、優しさと。




―――――…愉悦?




それは、すぐ消えてしまったけど。気のせいじゃ、ない。


テツさまは何事もなかったみたいに、―――――もしくは自覚してない可能性も高い―――――厳しく理知的な言葉を紡いだ。


「全員が、あなたの護衛の必要性を挙げた。突然のことだから、護衛の候補者はまだいないが」




護衛。この状況で言うからには、四六時中一緒に行動する相手になる可能性が高い。




私が何かを言う前に、肩にあったテツさまの手が上がり、頭を撫でられる。

「そのあたりのことを、きちんと話そう」

撫でるって同じ行為のはずなんだけど、リタの時とは全然違うわね。気持ちがいい。


…誤魔化されてる気もするんだけどね…。




最近、思うのよ。アメとムチの使い分けが、この方は非常に手に負えないレベルの高みにいらっしゃる。

一番怖いのは。




それを、私はいつまで危険と思っていられるかしらってところ。




「用事はすぐ終わる。悪いが、…待っていてくれるか」

いい加減、周囲からの視線に身が竦んでた頃合いだわ。私は全力で安堵。


「もちろんです」

私はパッとテツさまから離れた。

「じゃあ、外で待ってますね」

最近の、テツさまとの会話は、綱渡りじみた緊張感に満ちてる。

それでも、一緒にいられるのは純粋に嬉しかった。



私は、つい素直に微笑む。テツさまが眩しそうに目を細めた。



精神的な緊張はあるけど、身体は軽い。踊るように、踵を返す。戸口のリタへ向かって。

先に外へ出た彼女を、私は勢いのまま追い抜かした。一歩前へ出て、振り返る。見上げれば、リタは呆れ返った顔をしてた。

「いやすごいね」

そんな言葉を前置きに、何を言うかと思えば。



「あの方、周りなんていっさい見えてなかったよ。前からこうだったかい?」



…前はもっと、距離があったわね。いえ、あったのは遠慮かしら。


でも、結社・赤い車輪の騒動があって。精霊たちと離れることになってから。

いっきに、こう、距離が埋まったというのか。…それでも。

婚約、に私はまだ二の足を踏んでる。テツさまだって、おそらくは―――――全部を見せてるわけじゃない。もちろん、今のテツさまだって、嘘じゃないわ。

けど、あの方は、悪魔の血統。単に優しいだけのはずがない。


実際、最近のテツさまは、深淵に潜むような暗さを見せ始めてる。悪魔らしい、ものを。


リタが感心したみたいに言葉を続けた。

「しかも、アンタ。…笑えたんだねえ…」

表情筋、死んでるのかと。言われ、私は瞬きひとつ。


生きてるわよ? 自然な笑いが難しくっても、営業スマイルならいつだってできるんだし。

リタは厄介そうに、肩を竦めた。



「それもあんな、とびきり可愛く」



可愛い? 単に緩んでだらしない表情っていうんじゃなくって? 私には後者としか思えないわね。


…可愛いって何なのかしら。学べるものなら、是非とも学びたい。

「おかげでアイゼンシュタットさまに見惚れてた連中が、今度はアンタに見惚れたもんだから、こっち来んなってつい逃、げ…」



リタの動きが、『げ』で止まった。たちまち、いかにも華やかな美人顔が引きつる。



視線は―――――私の後ろを見てるわね。

振り向くなり。…『げ』の理由を悟る。


私は思わず呆然とその名を呟いた。




「…デーニッツくん」




ほとんど、うめき声になってたかもしれない。

視線の先で、最近さらに日焼けしてきた長身の男子生徒が、戸惑った顔で立ち止まった。



彼は、ヴァイス・デーニッツ。ばりばりの平民。

黒い短髪に、灰色の瞳。貴族の子息のためにあつらえたようなガルド学院の制服を適当に着崩してる。夏場だからか、いつもよりひどい。



彼と一緒にいた生徒たちが、立ち止まったデーニッツくんを振り返ろうと顔を上げて。

視界に入った私たちの姿に、その場で立ち尽くした。




「うそだろ…パージェとヘルリッヒがいるぞ…!」


「こっちにヴァイスがいるのに…!」




隠す気なんてない大きさの声は、苦渋に満ちてる。






「揃った―――――…学院屈指の三人組が…っ」


期せずして、居合わせた全員の気持ちが、一致した。

学院屈指。そう呼ばれても、私たち三人の場合、褒め言葉じゃない。


遠回しの表現を避けて、直接的に言ってしまえば。



―――――トラブルメーカー。



三人揃うから、何かが起きるのか。


何かが起きるから、そこに三人が揃うのか。



真実がどちらなのかは、誰にも分からない。






「これからここで何が起きるんだっ?」

「分からん。分からないが」

デーニッツくんを除く男子生徒たちが、忙しなく視線を見交わした。直後、いっせいに踵を返す。


デーニッツくんを置いて、脱兎のごとく逃げ出した。


「ヴァイス、完了報告はお前に任せた!」

「おれたちは逃げる。達者でなっ」


失礼な反応、とは思わない。賢明な判断だわ。

こっちとしても、足手まといが減るのは万々歳。


デーニッツくんは至って冷静。というか、何かを諦めた態度。


手を振って見送り、私たちに近づいてきた。

「思うんだが」

開口一番、彼は、



「パージェとヘルリッヒは別々に行動したほうがよくないか。そうすれば、三人そろう確率は低くなると思うんだが」



そんなことを言った。心外そうに、リタ。

「アタシら、トイレまでつるむようなべったり感なんてないんだけどねえ?」

魔石の研究を一緒にしてる以上、ある程度一緒にいるのは仕方ない。しかも寮では隣人。完全な別行動の方が、逆に難しい。

「いや、別に真剣に言ってるわけじゃねえ。で?」

私たちから一定の距離を開けて、立ち止まるデーニッツくん。



「ここで何が起こると思う」



周囲に満ちてるのは、平和そのものの放課後の空気。不吉の前兆すらない。





なのに、デーニッツくんは確信を持って尋ねてきた。









読んでくださった方、ありがとうございました!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ