34.死と破壊の鐘
扉が開けば、夜の静かな空気が流れ込んでくる。
急激な昼から夜の切り替わりに、身体も意識もなかなかついてこれない。
特に、精霊たちと離れてから。こういう感覚が、直に精神に噛みついてくるようになった。
随分と、守ってもらってたみたい。自覚はなかったけど。
いつか、彼らが困ってるときは助けられたらなって思う。けど。
精霊たちが困る…ちょっと想像がつかなくってこっちが困った。あの子たちには、困難だって楽しみそうな雑草めいたしたたかさを感じるのよね。
…機会があったら、遊びに行こうって言うのが、ちょうどいいかも。
ひとまず、今は。
落ち着くのよ。
自分に言い聞かせ、私は浅くなりそうな息を努めて長く吐きだした。
「…人間の肉体がばらばらになった現場は、悪夢が無理やり現実になったようで、いっそ幻想的とすら感じられましたよ」
先に降りていきながら、ロンバルディさんは弱く吐き捨てた。とたん、闇の中に血の匂いを嗅いだ気になる。
茶化す口調で、レオさま。
「震えがくるほどの美人だったけど、中身は他と同じって不思議だよな」
聴いた相手に嫌な顔させたいってだけの台詞。なんにしたって不謹慎。それに思いやりがない。
ふと思った。
「嫌いだったんですか?」
私と手をつないだままのレオさまが、虚を突かれた顔になる。
これは…好きも嫌いも、今まで考えたことがないって態度ね。
「いや? …そうだなぁ、嫌いだったら殺したんじゃねえかって言いたいか?」
思うだけなら自由ですけど、口にしないでほしいです。
願い空しく、レオさまは唇の端を吊り上げた。ぞわ。笑顔ってどこまで物騒になるのかしら。
「あの女を殺そうって今想像したけどよ、片手で捻れそうで食いでがねえや」
生かそうとは考えられないんでしょうか。
表情を変えなかった私に、つまんねえなって顔に書いて、レオさま。
「なんにしたって、デキる女だったぜ。それが失われたのは残念だな」
それでも、代わりがいないとかは言わないのね。だとして。
―――――デキるって? なんの話?
女性としての手練手管を指して言ってるって雰囲気じゃない気がするのよね、この、レオさまの態度って。
そもそもが、分からない。レオさまがここに来た理由が。
いくらこの方が女性にだらしなくっても、昼間から娼館に出入りするようには見えないもの。わざわざ、女性を買うって発想がなさそうって言うか。…だったら?
ああ、もしかして。
馬車から降りるロンバルディさんに続くレオさまの背を見ながら言う。
「彼女、情報屋の側面も持ってましたっけ」
高級娼館で一番の女性ともなれば、一晩で大金を生む存在よね。そしておそらく、数多の地位ある男性と関りがあった。
それにこの娼館は、高貴な方の密談にも使われる。彼女は、あらゆる方面の秘密も掴んでたはず。
レオさまの、荒っぽいのに存外に優しいエスコートに従って馬車を降りた私に、彼はにやり。
普通にしてるだけでも牙を剥いた獣みたいなのに、こういう笑い方をするともう殺意を感じるんだけど。
「ご明察。オレは、情報を買ってた。たまにな」
外に出たレオさまは館を見上げながら言った。ロンバルディさんは御者と何か話し込んでる。
意外だわ。何がって言うと、…なかったのよ、私には。
この方に、情報を買うってイメージがね。
何が来ても、何も知らなくっても、問答無用で叩き潰すって印象があった、のだけど。
なにせ、実際、実力をお持ちでしょ? でもそうはなさってらっしゃらなかった、ということで。
ますます、実は繊細ってイメージが浮き彫りになってくるわね。
まあでも情報を買うって一言で言っても、どういうつもりか、で色々変わってくる。
単に危険回避のためか。
それとも事前に危険を潰すためか。もしくは…自分の目的のために、利用するためか。
「マイヒェルベックで生き残るためにはけっこう有用でよ…でも、その付き合いが長くなりすぎたのかもな」
目をつけられた。
告げた声は、感情が抜けて空洞みたいに感じられる。普段の荒っぽさとは違う、かと言って、後悔してるとか、悲しんでるってわけでもない態度。
まるで本当に、―――――何も感じていない風な。
視界の端で、ロンバルディさんと話してた御者が首を横に振るのが見えた。肩を落として彼女が馬車から距離を取る。…ああ、これは。
―――――案の定。
馬車は派手に車輪を鳴らして、闇の中にもかかわらず、この場を後にした。…まあ、ここまで連れてきてくれただけでも、御の字よね。
レオさまは目も向けない。館を見上げたまま、淡々と言葉を続けた。
「あの女は、オレを殺すために―――――利用された」
扉前の私たちに近寄りながら、ロンバルディさん。
「利用、ですか?」
レオさまは面白がるように言った。
「身体に異界を仕込まれたのさ。時限装置にされたんだ」
ロンバルディさんが息を呑む。私の隣で立ち止まった。
「仕込まれたっ? 異界を…肉体に?」
彼女は、おぞましいって態度を隠さない。その顔を横目にして、レオさまは楽し気に唇の端で笑う。
彼の愉悦の雰囲気って、今にも斬りかかってきそうな狂的なものがあって、身構えが解けないのよね。
なんにしたって、やけに素直に話すと思ったら、こういう嫌がらせをしたかったのね。
異界を他人の身体に仕込むなんてまともな精神でできることじゃないけど、レオさまみたいに何でもないように語るほうにも歪みを感じるわ。
…で?
まず、私は左のロンバルディさんを見上げる。彼女はレオさまを睨んでた。
次いで、右のレオさま。彼は、愉悦を隠さない顔でロンバルディさんを流し見てる。
―――――どうでもいいんだけど、中に入るの、入らないの?
ここまで来て立ち往生なんて思ってもみなかったわ。
呻くように、ロンバルディさん。
「禁術では?」
「禁忌じゃねえだろ」
確かに、その境界は曖昧よね。何をもって、誰が、線引きするのかしら。
「オレはいつも」
レオさまは改めて、扉を見上げた。
「休日のこの時間帯にあの女と会ってたからな。いつ来るかは読めてたんだろ」
ロンバルディさんも扉に目を向ける。表情豊かだった面立ちが、その一瞬、冷たく見えた。
「―――――…先ほどと打って変わって、饒舌ですが」
扉を仇みたいに見据えたまま、ロンバルディさん。先ほど? そう言えば、彼女はレオさまを追っかけてたものね。
なるほど。だったら、今のレオさまは不気味ね。
変に突っかかったり、皮肉を飛ばしたり、横道にそれたりしないんだもの。
「何を企んでおいでです」
直球。私、内心目を剥いた。レオさま相手に、悪手! 好感は持てるけど。案の定、
「ばかじゃねーの」
言葉通り、バカにしきった顔で、レオさまは鼻で笑う。
「オレが今言ったこと全部、信じるのか」
たちまち、一言で全部をひっくり返しにかかったレオさまに、
「…あなたという人は!」
簡単に激高したロンバルディさんが振り返り、怒りも露に叫ぶ。
あちゃー。我に返ってください、レオさまを楽しませてどうするんですか。
「人が一人、死んだのですよ、それもあなたの顔見知りです! 何か感じるところはないのですかっ」
「さあて?」
彼女の言葉も怒りも理解不能、と顔に書いたレオさまが首を傾げる。
わーざーと、だ…。煽ってる。愉しんでる。悪意の馬を駆って、さも正しい道みたいにわき道へ突っ込んでいってる。
躍起になって追いかけるロンバルディさんもロンバルディさんだけど。
私、ため息。畳んだ日傘を持ち上げて、
「失礼」
二人の視界に割って入る。身長が足りないんだもの。
左を見上げれば、気勢をそがれた顔で、押し黙ったロンバルディさんが私を見下ろしてた。
「ところで、中へ入るんですか?」
あ、という態度で、彼女は目を瞬かせる。今度は、私は右を見上げた。
「入らないんですか?」
とたん、レオさまは面白がる顔になる。
「お前に選ばせてやる」
「はい?」
「オレはお前の答えに従ってやろう」
光栄に思えよってふんぞり返る顔には、会心の笑み。ここまで来て、まだ混ぜっ返すのね…。
「おふざけも大概になさってください」
さっきより抑えた声で、ロンバルディさん。
いえ、言い切ったからには、レオさまは本気だわ。本気で、ふざけてる。
「なんだ、退屈か? そりゃ悪かったな」
既に傍観の姿勢でレオさま。
「なら賭けるか。こいつがどんな結論出すか」
あくまで絡んでくるレオさまに、ロンバルディさんが何かを言う前に私は口を挟んだ。
「まずは吟味させて下さい」
これは、なんにしたって、私が答えを出さなきゃいけない流れだわ。厄介。
今までの話からして、異界の根はこの中にある。なら、入らないといけないだろうけど。
中の状況に関する情報が、私にはひとつもないもの。
でもレオさまがまっとうに答えてくれるとは思えない。なら。
私は一旦、傘をおろし、ロンバルディさんに視線を戻した。
彼女は大きく、息を吐く。苛立ちを逃がすみたいに。
「いいです。わたし一人でも、行きます」
自棄の勢いで進もうとするロンバルディさんに、
「ここからしか、入れないんでしょうか」
つい、私は尋ねた。彼女は動きを止める。不承不承、私を見遣った。
「ええ。館の中へは、ここからからしか、現状、入れない状態です」
…それって、なんだか誘い込まれてる感じね。誰にって言われたら困るけど。何かを仕掛けられてる可能性は高いってことよね。
重ねて、尋ねた。
「…裏口からは入れないんですか」
ここからしか出入りできないって言い切ったからには、ロンバルディさんはなんらかの情報を持ってるはず。
「試しましたが、扉の形こそあれ、開閉できない状態でした」
出入り口は制限こそされてるけど、出入りは自由ってことか。つまり、異界に出入り自由ってことで。
入ったはいいけど、死体で放り出されそう…、って。
―――――この状態、本気で危ないじゃんっ?
内心、素で突っ込んだ。
レオさま、これを放置していこうとしてたの? 彼を追いかけたロンバルディさんは正しいと思う。
レオさまがあてになるかならないかはともかく。
「この場を異界に変えて」
私は確認のために、レオさまを見上げた。
「相手の方は、レオさまに何を仕掛けるつもりだったんですか?」
嫌そうな顔で、ばっさり。
「知るか」
デスヨネー。
でも、ええい、それじゃ終われないのよ。食い下がる。
「考えてください」
面倒そうに、レオさまは腕を組んだ。それでも素直に、考えるみたいに首を傾げる。
「…たぶん、檻にしようとしてたんじゃねえか。そんな気がする」
「檻?」
この状況、確かにそう見えなくもないわね。
閉じ込められたみたいな館を見上げた私とロンバルディさんに、違う違う、とレオさまは手を横に振った。他人事みたいにだるそう。
ただ口元に、淡い、陰惨な笑いが浮かんでた。
「獣を閉じ込める檻があるだろ。その獣がオレ。檻が、異界」
目の前にある現実と、なんだかすこしイメージが違うんですけど…。
「え、それがどうして、こんな風に?」
城ほど大きい館、覆っちゃってますけど。
「知らねえよ。ただなんか目の前で、魔法が失敗したのは分かった」
つまりこれ、失敗した結果って仰る? スケールが凡人じゃない。迷惑さも。
「失敗?」
ロンバルディさんがレオさまに向ける目は厳しい。
「正確には、その罠を…御曹司が破壊したのでは?」
結果がバラバラ死体、と言いたげ。果たしてレオさまは、無表情に返した。
「好きに考えろよ」
レオさまの言動に振り回されたロンバルディさんは、素直に信じられないみたい。実際。
普通に立ってるだけで、抜身の刃みたいだものね。レオさまって。
檻に閉じ込めるって発想、ある意味正常だわ。それはともかく。
レオさまは、自分が行ったことをいちいち誤魔化したり、正当化したり、嘘を言ったりする方じゃないと私は思うのよね。
もちろん、素直に全部は話してない。けど、嘘じゃない。そんな、気がする。
なんにしろ、レオさまを殺そうとした相手は、失敗したわけよね。
目的が達成できなかったなら、もういなくなってる可能性は高くない?
ううん、そもそも人間の肉体を時限装置にして異界を発動させたってことは、術者は遠くに離れてたはず。
なら、この館には今、異界以外の敵って存在しないのかも?
もう少し、尋ねてみよう。
「…ロンバルディさんが今日、館にいた理由は、何でしょう? 会議ですか?」
ここで行われたなら、機密事項にかかわる部類のもののはず。できるだけ、私はさらりと尋ねた。余計な情報は手に入れたって持て余すだけ。
幸い、怒り続けるのにも疲れたのか、あんまり感情がない顔で、彼女は頷いた。
「で、なければ、わたしのような者が娼館に出入りする用事はありません」
会議は一人じゃできない。ってことは、他にも職員がいるはずだけど…。
「天賢議会の、他の方はご無事ですか?」
「密会や会議に使われる棟は別棟になります。あちらは結界が機能しますので、中にいる限りは無事でしょうが…」
「一旦外に出ると安全は保障できない、と言うことですね」
「わたしがいい例ですね。化粧室へ行くため、一度外へ出ると、部屋へは戻れませんでした。上司や同僚はまだ会議の真っ最中ではないでしょうか」
この状況で? ロンバルディさんの表情は、怒りと心配が半々ってところね。
気を取り直して、肝心なところを尋ねた。
「部屋の外に、レオさま以外の方はいらっしゃいましたか」
「見ませんでしたね」
即答。驚いた。思わず早口に尋ねる。
「昼間に娼館の仕事は少ないかもしれませんが、昼間だからこそやれることもあります。雑用で立ち働く下働きの者すら、いなかったのですか?」
「…そう言えば」
ロンバルディさんが険しい顔になる。
「いやもっと正確に答えろよ」
意外とおとなしく話を聞いてたレオさまが、そこで口を挟んだ。
「館の最上階でオレと出くわすまで、あんた魔法で姿を隠してただろ」
「当たり前でしょう」
ロンバルディさんは不貞腐れた顔になる。
「こんな怪しい状況下で、迂闊に人目につくのは危険と判断するのは妥当…、」
言いさした彼女が、すぐ、あ、と目を瞠った。
皆まで言わせず、レオさま。
「正しいな。んで、姿を見せたときはオレと一緒にいたから、―――――あんたは無事でいられたんだよ」
「つまり」
私は警戒の目を扉に向ける。レオさまが手を握ってなければ、一歩下がってた。
「異界だけじゃなく、レオさまを狙う敵対者側が雇った襲撃者も館の中にいるってわけですね」
どんな手練れでも、五大公家の人間を狙うために用意された襲撃者が、一人のわけがない。
となれば、…館側の人間すら見なかったって証言は、最悪の結果を想像させる。即ち、火事場泥棒。
どういうことかって言うと。
「本来は」
レオさまが浮かべた笑みは、好戦的。見るだけで逃げ出したくなる殺意を簡単に放たないでほしい。
「そいつらに、異界の檻に捕まって動けず、対抗もできないオレを襲わせようって魂胆だったんだろうがな」
けど見ての通り、レオさまは五体満足。襲い掛かれば、秒で始末される。
つまり、雇われた相手は手出ししようもなくて、隠れてた。ただ、それじゃ、報酬はもらえない。でもお金が欲しいからこそ、彼らはこんな仕事も受けたわけで。
そんな彼らの目が、館で働く人たちに向くのは、ある意味当然。
命を懸けてマイヒェルベック家の人間に挑戦するより、目の前に、美味しい餌がある。欲しいものを持ってる彼らは、弱い。――――だったら?
どうして、蹂躙の実行を迷う必要があるのか。
「それを放置なさったのですか」
ここまでくると、怒りよりもはや呆れが勝ったようで、ロンバルディさんはこめかみを押さえた。
「潰す面倒を考えると気が乗らなかったんだよ」
「…なら」
私はなんとなく、レオさまの顔を覗き込んだ。彼を知ってるからこそ、不思議なことが一つある。
「なぜ、娼館まで引き返してこられたのですか」
紫の瞳が、私を見下ろした。彼らしい、凶悪な眼差し。
「いい加減、オレもな」
レオさまは、歯を見せて笑った。
「時間がもったいねえって勢いで殺しに来る輩をやり過ごしてばっかって状況に、…ちったぁ憂さがたまって来てるみたいでよ」
確かにこの方、自分が進む先を塞がれるのは一瞬だって我慢ならないタイプよね。
彼の我に、―――――知人が死んだ、その敵討ちって言う意識が割り込む余地はない。さすが、悪魔の血統、マイヒェルベック。底まで唯我独尊。
「やり返すために、ここにいるのですか」
軽蔑しきった目で、ロンバルディさん。
当たり前だろって態度で、レオさまが鼻を鳴らした。
「まあ? だからって、毎回、力で返すのも、大概芸がないって思わねえか」
気付けば、紫の目に、私が映ってる。私は同意しかねますが。
「なにより、力技じゃねえほうが、相手を悔しがらせることができる。違うか」
確かに。
殴りかかってきた相手に、さらなる力で殴り返すのも、分かりやすいけど。
殴りかかってきた拳を受け流し、あまつさえ元の体勢に戻してしまう方が、悔しいわよね。相手にされない感が、すごい侮辱なんじゃ?
間違いなく、猛烈に煽る。怒りや敵意や憎悪や、よくないものを諸々。
レオさまなら、それを指さして思いっきり笑う。…引くわね。
「御曹司は、まさか」
ロンバルディさんが、不意に目を瞠る。
「異界を、真正面から還すつもりですか」
その言葉に、私は驚いた。想像もしなかったことだからよ。
荒唐無稽って言うか、そんなのできないって思い込みがあった。でも。
レオさまが言ってるのは、まさに、この場合においてはそういう話よね。
「そういうこと」
得意気に胸を張るレオさまを、私ははじめて感心の目で見上げた。
さすが、五大公家。世界に名だたる規格外、やれることが他と違う。…っていうのに。
「なんだ、その目」
レオさまは胡乱そうに私を見下ろした。
「やるのはお前だぞ」
はい? 寝耳に水だ。何の話。
「お前なら、元通りにできるだろ、なぁ?」
つないだ手に力を込められた。逃がさないぞって言うみたいに。
―――――まさか。まさかまさか。レオさまがやるって言うんじゃなくって。
…天魔の力のこと、言ってます? 内心、くらり、眩暈を覚えた。
「こうまで広がった異界を、消せるんですか」
そこのロンバルディさん。目を輝かせないで。いやいや待ってくださいよ。
「…私そんな方法なんて知りませんよ」
「だからよ、最初に言ったじゃねえか」
恩着せがましい口調で、やれやれって肩を竦めるレオさま。
「選ばせてやるって」
どんな気紛れの思い付きかと思ったら。だから―――――選択権は、だから、私に譲られたってわけ?
「オレはお前に従うぜ?」
いやこれ、最初っから選択権なんて無きに等しいのでは。
できれば行きたくない。でも踏みとどまれる空気でもなかった。
こういう場合、勢いが大事。大丈夫。多分どうにかなる。
「それじゃ、とっとと入りましょう」
そんで、さくっと終われ。
私、多分、死んだ魚の目みたいになってたと思う。
でも、確かに、この異界を無事に排除できたら、それに越したことはないわけで。
お、って感じで、レオさまが目を瞠った。一瞬、本当に、刹那。子供みたいに笑って、
「いい覚悟だ」
とうとう、扉に向かって歩き出した。なんの緊張感もなく、扉に手をかける。
馬車がやってきて帰った音を、館の中の人たちは聞いてるはず。招かれざる客の来訪は、とっくに承知だろう。
ロンバルディさんが慌てて後ろについてくる。その時には、堂々とレオさまは扉を開いてた。同時に。
生臭いにおいを嗅いだ、そんな気配を鼻先に感じた時には。
「ハッハァ!」
視界が反転。頭上側に、床が見えた。つまり。
今、私は空中に、上下逆さの体勢でいるってわけで。
耳元で聴こえたのは、レオさまの笑い声。愉しげ。咄嗟に、そばにあった首筋にしがみついて、自分の体勢を悟る。いつの間にか、レオさまの片腕に抱きかかえられてた。信じられないくらい、軽々。まるでお人形扱いね。
にしたって、レオさま、いつ跳躍したのかしら。微塵も察知できなかった。
少しでもしがみつくのが遅れてたら…想像は心臓に悪いから、止めた。
私の頭上。床の上。薄明かりの中。ロンバルディさんが厳しい顔で、何かを横っ飛びに避けたのが見える。剣? 振り下ろした人影は、複数。
「たいした歓迎ね…光よ!」
ロンバルディさんの声と共に、薄暗いホールが真昼みたいに輝いた。直後。
「あらよっと」
くるっと空中でレオさまが反転。足が下に向く。次いで、
「邪魔だなぁ!」
乱暴な怒声と共に、自由な方の手を横薙ぎに薙いだ。間髪入れず。
風の刃が縦横無尽に、床の上を走った。ロンバルディさんの光で視界を奪われた襲撃者は、無力に全身を刻まれる。ちなみにロンバルディさんは結界を張ってて無傷。
レオさまがどう出るかはある程度予想できてたみたい。さすが。
倒れた相手も多かったけど、傷を負いながらも状況を認識した襲撃者もいた。
「げえ! マイヒェルベック…っ」
「どうして戻って…」
「撤退だ、戦利品をもってずらかれ!」
―――――戦利品?
私、つい顔をしかめる。…やっぱり。
標的がいなくなった場所に、彼らがいつまでも居続けて立っておかしな話よね。
今、来訪者を問答無用で襲撃しようとしてたことといい、…ここで何が起こったか、もう確実ね。
逃げ出す男たちの方へ、
「待ちなさい!」
義憤に駆られたロンバルディさんが一歩踏み出すのに、
「無駄なことに気を取られるな、女!」
ホールにつながる広い階段の踊り場に着地したレオさまが、自由な方の手で、頭上を真っ直ぐ指さした。
「最上階を目指せ!」
悔し気に立ち止まり、男たちを睨みつけるロンバルディさん。レオさまの言い分は分かるけど感情が納得できないってところかしら。
対するレオさまは、悩みもしない。
言葉通り、最上階を目指して、階段を駆け上がった。
の、だけど。
レオさまに続きながら、ロンバルディさんが腰のベルトから下げてた細い杖を引っこ抜く。そのてっぺんに、赤い魔石が輝いてた。杖の先を、彼女は背後に向ける。と言うのも、
「…追ってくるとは、いい度胸です!」
そう、さっき逃げ出した人たちが、戻ってきたのよ。
追って来た、攻撃の気配に満ちた空気に、やっぱり本来の目的も忘れてなかったんだ、とちらと思ったけど。
―――――なんだか、様子がおかしい。
彼らの目、何かおかしくないかしら。さっきまで、確かに正気だったのに、…今はどこを見てるのか分からない。なのに、表情は焦ってて。
「ちくしょう、どうなってる…!?」
「…身体が勝手にっ」
何か妙だってロンバルディさんも思ったみたい。
攻撃しかねたか、一旦、彼らとの間に壁みたいな結界を張るにとどめた。
彼らは、全力でそこにぶつかってくる。それで弾き返されても。倒れても。何度も。…何度も。
レオさまが鼻を鳴らす。
「こいつら、異界に、操られてるな」
「どういう、ことですか」
レオさまが獣めいた、人間としては何かが狂った笑みを口の端に浮かべた。
「異界にとって、邪魔者がいるだろ? …ここに」
あれ、まさか…―――――私のこと!?
場を正す力を持った、天魔を異界は排除したがってるってことね。なるほど?
「あの」
なら、今からでも遅くないわ。
「私、外で待ってますね」
だから降ろして。
何も、私が一緒に中へ入る必要はなかったんじゃない?
でも誰も反応してくれなかった。
「気の毒にな、逃げたいんだろうが…」
レオさまが、上階を一瞥。逃げたいって私が? 違うわね、この様子だと、彼を狙う刺客たちのことを言ってるわ。
やってくる足音が複数、聴こえた。まさか、…上からも?
場に満ちた異界は、レオさまが目的地にした上階へ、私を行かせたくないみたいね。
「どうすっか、な」
まさに理性のない肉食獣めいた獰猛な雰囲気に変わってくレオさまに、私は鋭く言った。
「一階に、戻ってください」
危険を顧みず、獣に、鞭を打つ心地で。
「…へえ?」
紫の目が、うっそりと私に向く。
視線が言ってた。くだらないこと言うなら投げ捨てるぞって。
殺戮の高揚に身を任せようとしてる今のレオさまなら、やりかねない。けど。
負けん。あえて間近から睨み返す。
「時間を無駄にしてる余裕はありません。私に考えがあります」
「言ったな」
とたん、楽し気に彼の声が弾んだ。
「おい、天賢議会の」
「はっ」
命令に慣れた声に、ロンバルディさんが自然と従うように応答。直後、彼女は苦虫をかみつぶした態度になったけど、
「こいつに考えがあるそうだ。ついてこい」
委細構わず、私を片手に抱えたまま、レオさまは手すりに足をかけた。
私たちがいるのは、一階のホールから見える階段の踊り場を、少し上ったところ。
止める間もない。レオさまはひょいと身軽に手すりを飛び越えた。
ひえ。
上がりそうになった悲鳴を、息を止めて堪える。
きっと、下に何もなければ、魔法なんかいっさい頼らずに飛び降りたんだろうって予測させる、無防備で、かつ、自信に満ちた動きだった。でも、彼は。
「恨むなら」
心底楽し気に嘲笑った。
「自分の不運を恨みな!」
ホールで身構えてた刺客を二人、平気で圧し潰した。
―――――何かって言うと、これ、重力魔法ね。巨人が足を踏み出したみたいに、床が大きく凹む。
問題は、その上に立ってた二人。できるだけ見ないように、目を逸らす。
血の匂いは打ち消せないし、目の端に見える赤は現実。武器の鋼すら、粉々に打ち砕いてた。
「はははははっ!!」
こんな時に、レオさまは突き抜けて無邪気に笑う。
彼に挑戦者が現れた、その強弱に関わらず、挑まれた時点で、―――――既に死と破壊の鐘が鳴ってたんだわ。
「で、どこに行けばいい」
なにもかもを平気で踏み潰して、レオさまは駆け出した。
「東へ」
ひとつモノを決めれば、疑問も何も挟まないタイプみたい。レオさまは、間髪入れず言葉のままに動いた。
風の魔法を使って飛び降りたロンバルディさんが慌てて追ってくる。
「東の?」
「奥から、三番目の部屋へ」
小声で囁いた。
…それにしたって、いったい、何人雇われたのかしら?
「マイヒェルベックだ!」
進むたびに、廊下でたむろしてた数人の男たちが、ずらかれ、と叫ぶ。
返り血に濡れていたり、半裸だったり、様々だけど、武器を手にしてない人はいない。
…おそらくは、どこかの部屋へ一歩入れば、凄惨な犯罪の現場が出来上がってるはず。
たぶん。
ここは、すごく危険ね。レオさまがいるから、皆逃げてくけど。
レオさんがひねててなかなか進まない。
読んでくださった方ありがとうございました!




