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33.天賢議会

「あ?」




出会い頭にしかめられた相手の顔が、雄弁に語った。


―――――視界に入るな、チビのくせに。


いつもながら、尖ってらっしゃるわね、レオさま。






休日。ベルシュゼッツ公国のウルグヴォルン市内。


市内と言っても、ガルド学院より、公城に近いその場所は、どちらかと言えば公の機関や高級な店が立ち並ぶ場所。

さすがにいつものカジュアルな服装じゃ場違い。

だから私は、黄色に白い花が染め抜かれた明るめのワンピースに濃紺のボレロカーディガンを羽織って、少しは大人びた格好で歩いてたわけだけど。



「せめて、ご説明ください、御曹司!」



大通りのわき道から飛んだ声に、思わず日傘の下で顔を上げた。

御曹司、という呼びかけの割に、相手に対する配慮より、ナイフみたいな怒りの鋭さがにじんだ声だったもの。何事かと思うじゃない?



しかも、その脇道の先にあるのが、――――――高級娼館の界隈ともなれば。



連想するのは、痴情の縺れ。




「説明ならもう済んだろ」




応じた声は、端々まで苛立ってた。どこか掠れた、特有の響きに―――――さすがに、私も目を瞠る。無意識に、足が止まった。

止まるべきじゃなかったわ。ただ最近、私はぼんやりしてて…いえ、言い訳よね、これは。


大通りの向かい側。


その、わき道から現れた、凶暴さをまき散らす長身には、見覚えがあった。

私服姿なんて見慣れないけど、間違いない。




レオ・マイヒェルベックさまだわ。五大公家が一、悪魔の血統、マイヒェルベック家の庶子。




周囲の人間を薙ぎ払う鉈みたいな視線が、大通りを一瞥―――――刹那。

紫の双眸が、私に固定された。


そこでようやく、私は自身の愚行に気付く。



なぜぼんやり眺めてたのかしらねっ? さっさと立ち去るべきだったのに。



目が合うなり、レオさまは嫌悪も露に唸った。

「あ?」




そう、冒頭の反応ってわけ。




らしくない失敗したわ。…最近本当に、調子が悪い自覚はあった。

最近―――――正確には、魔導大国から戻った頃からよ。そこが分かってる以上は、原因もはっきりしてる。






原因―――――精霊の不在。






「御曹司、先ほどの説明では不足です、一度お戻りになって頂きたく…」

金の髪をひとつに束ねた二十代半ばの女性が、レオさまの後ろから駆けてくる。

またいつもの女遊び…、と思ったんだけど。彼女、制服を着てるわね。


青を基調にして、ところどころに白が配色された制服。あれは―――――天賢議会の制服だわ。


天賢議会っていうのは、魔法使いと魔術師の同盟。あの制服は、受付でよく見る。





左肩に肘までの短いケープを垂らし、頭には小さな帽子。腰のベルトには、魔石が埋まった杖がぶら下がってる。地域ごとに小さなデザインの差異はあるけど、大体はこれが基本ね。





なんにしろ、レオさまの遊び相手ではないわね。少々、お堅めの機関なのよ、天賢議会って。

追ってくる彼女のことは目に入ってない態度で、レオさまは舌打ち。大股に大通りを横切ってくる。私目掛けて。


陽の光の下に出ると、特徴ある黒金の髪が、微かに光った。



「おい、お前まさか…一人か」



面倒ごとを見る目で、私を見下ろしてこられる。私もきっと、同じ視線を返してるわね。


レオさまはすぐそばで立ち止まった。反射的に、私は後退。

距離を置くって言うか…間合いの外にいたいのよ。だって、仕方ないじゃない。



以前外で、テツさまをはじめ、イェッツェルご兄妹とシンジェロルツのご姉弟とで同席させて頂いたことがあるけど、五大公家の方って本当に目立つのよ。



自然と周囲の視線を集め、その中心に立ってらっしゃる。

そんな方の隣に平然と立つ心臓は私にはない。

大体、意図しない注目は、嬉しいって言うより迷惑さが先立つわね。逃げたい。でも我慢。


「こんにちは、レオさま」

一応、まずはご挨拶。あくまで、事務的。次いで、流れるように淡々とお返事。


「一人です、これから寮へ戻ります」



そして、さようなら。



内心呟いたとたん、レオさまは今度こそはっきり舌打ちなさる。


その迷惑そうなお顔はなにごとかしら。周囲を大きく見渡し、彼はさらに顔をしかめた。

「本当に一人じゃねえか…婚約指輪があるとはいえ、杜撰極まる」

その一言で、なんとはなしに察しがついたわ。




天魔と公表された人間が、無防備すぎるって言うことね。

でもこの首都で何が起こるって言うのかしら。ああ…あったわね。先日、学院で。


なんだか遠い昔のことみたいな気がする。

確かに無防備、かもしれない。


けど、今までの経験から、私は戦うことができなくっても、逃げ切ることはできる自信があったの。


でも…そうね、この自信、今となっては見直す必要が出てきてるのかもしれないわ。

迂闊な行動を取る原因は、コレって気がするもの。




意外だけど、レオさまは怒ったりしなかった。冷静に、諭すみたいに言う。

「学院と違って、ここに結界はないんだぞ。…仕方ねえ」

日傘を持ってない方の私の手を掴み、レオさまは踵を返す。




「行くぞ」




説明も遠慮もない。相手の都合なんか視野の外。ひたすら俺様。

「どちらへ」

なんとなく聞いた後で、しまったと思う。頭の悪い発言だったわ。


けどレオさまは嫌味と取ったみたい。不機嫌が深まった声で応じる。



「寮へだ。決まってんだろ」



ですよね、送ってくださる流れって分かってた。のに、わざわざ聞いて、自分から逃げられない状況に持って行ってしまったわ。どうしよう。思うなり、






「―――――お待ちください!」






さっきの、天賢議会のお姉さんが私たちの前に、身体を張って立ち塞がった。その、美人と言って差し支えない面立ちに浮かぶのは、必死さ。


恋情にありがちなのぼせた感じは欠片もない。



うん、これは絶対、痴情の縺れなんかじゃないわね。でも。



…いったい、何があったのかしら。

「邪魔だ。オレはこいつを寮にきっちり連れて帰らなきゃならねえんだよ」

ちりちりと、レオさまの苛立ちが空気を帯電させる中、


「いいえ退きません」

彼女は一歩も退かず、言った。




「あの場で起こっていることは異常です。なにがしかの危険があると分かっているのに、放置はできません。事前に手を打たなければ。どうか、ご助力ください」




危険? どこに、どんな。



彼女の必死さとその言葉が相まって、いっきに不穏が増してくる。なんとはなしに、私は周囲を見渡した。

見えるのは、品のいい、いつもの平和な街角だけだったけど。

「へえ」

レオさまが唇の端を吊り上げる。血の匂いがする、嫌な笑い方をした。



「…勇敢。オレの邪魔すんのか」



あ。


ざわっと私の背中が、嫌な予感に粟立つ。これは危険の前兆だわ。

目の前ではっきり、レオさまの気分が変わった。視界にいれてもいなかった相手を、初めて認識した、その上で。






嬲ろうと、なさってる。






「レオさま」


咄嗟に、私は声をかけた。でも何を言おうか考えてもなかったから、内心、慌てる。



レオさまの、紫の目と。お姉さんの、青い目が、私に集中。どっちも剣呑。



ふっ、ぼけてる私にはいい感じの目覚ましね。現実逃避に気絶したくなるけど。


…ええっと。あっ、そうよ。

「寮へ帰るには、まだ早いので、私はもう少し遊びたい気分なんです」


「あぁ?」

いっきに、レオさまの意識が私に戻った。



全身が、ふざけたこと言いやがって、って叫んでる。荒々しい波動を、容赦なく放出。灼熱の太陽がそばで燃えてるみたい。灰になりそう…。



ここで意識を手放したって、誰も責めたりしないわよね。問題は、レオさまにもっと舐められる確信があるってこと。だから、根性で踏ん張る。

なんにせよ、レオさまは、私を害することができない。私を、っていうより。



―――――天魔をね。



私はレオさま越しに、天賢議会のお姉さんを見遣る。

「必要なら。しますよ。お付き合い」



後悔しそう。絶対、する。けどこのまま放っとく方がもっと後悔する予感があるわ。



ならこの程度の、ちっさな後悔の予感には目を瞑ろう。


お姉さんがびっくりしたみたいに目を丸くした。危ない、目がこぼれ落ちそう。


私が同意したことに驚いたって言うより、ある意味、レオさまに私が真正面から反対したって事実にびっくりしたみたいね。それも当然か。

レオさまたち五大公家の方々を、あえて敵に回そうって態度を取る人は滅多にいないだろうし。


「何勝手に決めてやが…」

案の定、恫喝に似たレオさまの声が落ちてきたけど、…途中で消えた。




見上げれば、レオさまの表情からいっさいの感情が抜けてる。唐突な変化を見せた彼は、すべての感情をひとつ―――――殺意―――――に集約させた眼差しを、自分が来た道へ向けた。




自然、興味はレオさまの視線の先に向く。でも。

私の目には、何も見えなかった。私が目を凝らすより先に、レオさまが鼻で笑う。



「…いいぜ?」



唇の端を凶暴に吊り上げ、踵を返した。

「戻ってやろう」

手をつながれた私は自然とレオさまに従う。けど、天賢議会のお姉さんは呆気に取られて立ち尽くしてた。


人に決して慣れない野生動物みたいな相手が目の前で他人の言葉に従ったって事実が、彼女にとって現実を夢に変えてしまってるのかも。


危うく置いてけぼりを食らいそうな彼女を振り返り、私は声をかけた。

「…行かないんですか?」


「あ、ぇ、ええ、行きます」

お姉さんがケープを翻らせる。パンプスの底を鳴らして颯爽と追い付いた。私たちを追い抜き、先に立って歩き出す。


わき道の影に入って、私は確信。やっぱり、向かうのは高級娼館みたいね。


日傘を閉じて、片手に提げると、




「それにしたってお前、そろそろ長期休暇なのに、わざわざ今日街に出てきた理由は何だよ」




出かけるなら、休みに入ってからでも遅くないだろ、って。

歩きながら、文句みたいな口調でレオさまが言ってくる。


「それとも、単なる買い物って言うより、いつもの、店の手伝いってヤツか?」

天魔って言う存在である以上、私に関する最低限の情報は持ってらっしゃるみたいね。



天賢議会のお姉さんが、ちらちら私たち二人を見てくる。どういう関係かはかりかねてるみたい。問題はレオさまの態度かしら、私の態度かしら。


仲がいいってわけではないけど、そうね、私にとってこの方は壁を作る相手ではないわ。

何を考えてるか分からなくっても、嘘はつかないひとだもの。


お姉さんの視線に気づいてるはずなのに、レオさまは無視。私としても正直に名乗るのは遠慮したい。当たり障りない答えを返す。



「学院の先輩と後輩です」



彼女に言ったあとで、レオさまに視線を戻した。





学院生にしては小さいけど…とかいう呟きは聞かなかったことにするわ。





「確かに、店には行きました。ただ」

今回は、仕事の手伝いじゃなかったのよね。

「今日はドレスの布とデザインを選びに」


「ドレスだぁ?」


レオさまは、意表を突かれた声を上げた。表情豊かな彼らしく、驚きに顔を歪めて。

「お前がなんで…ん、いや待て」

とにかくすべてが粗削りだけど、五大公家の真名持ちの中では、この方は比較的まともなのだと思うわ。

あまり腹芸もなさらないし、だから普通に会話が成り立つの。



…もちろん、比較対象は他の五大公家の方だから、一般人と比べれば、やっぱりどこかぶっ飛んでらっしゃるけど。



「そのドレスってのは、夏の長期休暇、避暑地のパーティで着るヤツか?」

「はい」


正解。


まあそうよね。公の社交ともなれば、当然この方も出席する。

五大公家の一員であるレオさまに誘いがないなんてあり得ない。

私も当然、テツさまと出席することになった。テツさまは、



―――――ミアはああいった…豪勢な闇が隠れた華美な場所は嫌いだろうが。



前置きに、この時が来たか、と私は覚悟を決めた。

そりゃ社交なんていかないに越したことはない、魑魅魍魎の巣窟だと思ってる。だけでなく、…その社交の場に出れば、天魔として顔が割れるってことで。


けど、今の私はテツさまの婚約者よ?


テツさまはしずかに言葉を続けた。私にとって、意外な言葉を。



―――――同席を頼みたい。そのために。

だから、テツさまに願われるだけで、私は素直に従うつもりだったわ。なのに。






―――――魔導大国でミアが出した取引。ミアにできることなら何でもするというカードを今ここで使わせてもらう。


私、唖然。驚いた。だって。






テツさまはとにかく今まで、私に逃げ道を用意してた。

むしろ心地いいゆりかごの中に閉じ込めておこうとしてた、気がする。


強制はしなかったし、私の意思次第って態度を崩さなかった、のに。


いえ、それがいやってわけではないし、あえてはっきり逃げ道を塞ぐなんて私が信用されてない証拠、とか勘違いはしないけど。




…なにかしら。何かが、少し変わって来てる気がした。




なんにしろ、その場で頷く以外にどうできたって言うのかしら。


いい子だ、って褒めるみたいに頭を撫でられたとたん、違和感は瞬時に蒸発したけど。

有耶無耶にするには、あんまりにもはっきりした変化だったわね。


それにしたって社交。気は重い。それでも。どうせ逃げきれないことだもの。


聞いたレオさまの眉間に、気難しげなしわが寄った。




「嘘だろ、なんで一人なんだ。パートナーと一緒に選べよ」




そう仰るあなたは、ヒルデガルドさまとお出かけなさるんでしょうか。

混ぜ返すと話が反復横跳びを始めそうだったから、同じ言葉を打ち返すのはやめた。素直に答える。


「テツさまはお忙しそうですし、でもこういった事務処理は早めに済ませておこうかと」



「処理…だと…いやいやいやいやいや」



頭痛をこらえるみたいに、こめかみを押さえるレオさま。何かしら。

「まず聞くが。テツに、声はかけたか? というか、まず誘ったか?」


「言えるわけありません」

さっき言ったじゃない。

「いつもお忙しそうなので、こんな些細なことで煩わせたくないです」



「些細!」



なんでそこまで愕然となさるのかしら…もしかして、呆れられてる?

私はレオさまをじっと見つめた。なにも仰らない。仕方なく、言葉を重ねる。

「テツさまの邪魔なんてできません。時間を無駄に使わせるなんてそんな」



「無駄!」



とうとう、レオさまは私の言葉を途中で遮った。なんなのよ。

「あの」

いちいち唖然と瞠られる紫の目を半眼で見上げ、私は低い声で告げる。

「仰りたいことがあるなら、はっきりどうぞ」



「テツが目に見えて不機嫌になるから、今言ったこと全部、ヤツの前では封印しろ」



早口で前置きし、ゼンさまは低く続けた。

「…なんにしろ、今回の場合、ドレス選びに誘わないほうがマナー違反…というか、失礼だ」

これっぽっちも心にやましいところのなかった私は、首をひねる。むしろ、気遣ったつもりなんだけど。いけないの?

「なぜでしょう?」


「お ま え ら は っ」

一語一語力を込めて、レオさまはとっても偉そうに言い切った。




「付き合ってんだろうが!」




だから? と咄嗟に内心、不機嫌に私は呟いた、けど。

「あ」

レオさま言葉が、本当の意味で、理解できたのはすぐだった。

思わず、声を上げる。




「ああぁっ!?」




素で驚いた。い、言われてみれば、確かに。


これって誘うというか、私なんかでも合法的にテツさまと一緒に行動できる案件だわ。



違う、普通に、デートできるって言えばいいのよね。むしろ、一緒に選ぶのが正解なのでは?



言い訳すると。

私にとって、ドレス選びなんて、『作業』の一つに過ぎない。

『楽しいこと』にする発想なんて、一個もなかった。




世間ではこれを、…喪女とか言うのだったかしら。それはともかく、




「レオさま」

私、真剣に言う。



「天才ですか」



この方が女性にもてる理由が、今見えた気がする。


とことん荒っぽいのに、繊細なんだわ。…なかなか、ギャップがあるわね。思う端から、バカにした発言が飛んでくる。




「お前が普通じゃねえんだよ。オシゴトじゃなく、楽しむもんだろうが、こういうの、女ってのは。枯れた婆か? いやむしろ頑固ジジイか」




全力で失礼ですね。…いいわ、貴重なことに気付かせて下さったのだもの。今回は聞き流す。

「まあなんだ、その態度」

少し、面食らったみたいな、珍しく毒気がない態度でレオさまが言った。


「テツのやつと、一緒に出掛けるのが嫌とか面倒とかいうのはねえんだな」


私は目を瞬かせた。テツさま相手に、どうやったらそんな発想になるのかしら。

一緒に過ごせる時間は嬉しいわよ。ただ、叶わない奇跡みたいに、まだ遠くに感じるってだけで。

あ、今すぐ、学院に戻りたくなったわ。でも今日は休日。テツさまに会えない。ちぇ。


少し唇を尖らせる私を見てたレオさまが、不意に改まった口調で言った。





「お前は頭いいからオレが言うまでもねえだろうけど、な。…いいのか?」

「…何がです?」


「簡単に、テツと付き合うなんて言い出しやがって。『婚約者』であった方が、まだ安全なのによ。互いが背負った看板やつけた仮面じゃなく、個として向き合おうってお前は提案したんだ。これがどんだけ危険か、…それから、その意味は分かってるか?」





浮かれかけた頭が、急速に冷える。無言でレオさまを見遣った。

彼は相変わらず、凶暴に苛立ってる。でも紫の目の底にあるのは、気遣いみたいに見えた。


「ヤツは悪魔だ。真っ当に見えて、オレ以上にぶっ壊れてる。見事に破綻しちまってる。どうにか芯があるように見えてるのは、…かつてのお前って言う憧れがあるからだ」


忘れるわけないでしょう? アイゼンシュタット家は悪魔の血統。その血を引く方が、『常識的』なわけがないわ。

ある意味、真っ当ではあるけどね。ぶっ壊れてるって意味で。


レオさまは、私が反論しなかったことに、満足そう。半分、気の毒そうにも見える。


「そこをじょうずに隠せる分、始末に負えねえ。お前、思うまま存分に傷つけてくださいって首輪をつけさせたようなもんだろ。…これからが勝負だぜ?」

―――――覚悟は、してるつもり。つもり、って辺りが、まだ、ぬるいのかもしれないけど。

距離を置いてれば、ただ、『尊敬』でいられた気持ちが、近くに行けば、変わってくる可能性はある。というか、絶対、そうなる。


上手に作った仮面を剥いだ悪魔の本性って、どんなものなのか。


テツさまの立ち居振る舞いや、レオさまの言動からは、想像も及ばない。

そこが、甘ちゃんなんだろうけど。もう、決めたのだもの。向き合うって。



それに、本当のところのテツさまがどれだけ壊れてたって、彼が願い、求めたものは、彼の本質に違いないでしょう?


たとえテツさま自身が、彼の憧れにどうしても添えなかったのだとしても。



大丈夫、なんて、言えないけど。どれだけ傷つけられたって、恨み言は言わない。




「首輪をつけたのは、お互い様です」




私だけじゃない。

強がりというより、戦いを前にした気持ちで告げれば、レオさまは嫌そうな顔で鼻を鳴らした。




「ぬかるなよ」




その言葉を最後に、知らない間に満ちてた息苦しいような緊張感が、場から消える。

レオさまは、仕切り直すみたいに口調を変えた。



「お前みたいなやつでも、ドレスは好きなんだな」



本当に、この方は棘を隠さないわね。でも、いちいち反応してたらきりがない。あえて普通に返す。

「ドレスというか…布が好きですね」


形になる前の、たっぷりとした生地。眺めていても埋もれても最高よね。


表情は動かなくっても、幸福感は伝わったみたい。嫌味に無反応だった私に、逆にレオさまが嫌味を受けた顔で言う。



「昔からそうだがよ、やっぱ変わり者だな、お前は」



光栄ね、変わり者の上位を常に疾走してらっしゃる方に言われるなんて。

それにしても、…昔、か。レオさまとお会いした記憶って、私にはないのだけど。


忘れっぽいって言われそうだけど、小さな頃はそれはもう色んな場所に出入りしてたのよね。しかも、いろんな場所で、あまりに凶事コトがたくさんあり過ぎた。


濃密すぎる記憶の中に、様々なことが折り畳まれて消えてる可能性は高いわね。

「で、もうドレスは決まったのか」

「一応は。…流行なら見えますから、教えてもらうのは、度を越さない『程度』ですね」




「派手さの?」


「地味さの」


どちらも過ぎれば悪目立ちだもの。




「あの」

咳払いと共に、前方から生真面目な声がかかった。

目をやれば、なぜかしら、天賢議会のお姉さんが、一瞬、笑いをこらえてる表情になる。すぐそれは引っ込んで、彼女は目の前の建物を指し示した。

真面目な顔で、告げる。


「着きました」

顔を上げれば、―――――周囲の景色から、なんとなく察してたけど、やっぱりね。



そこは、高級娼館の中でも、さらに別格の建物。国の重鎮が秘密裏の会合にも使用するって噂の―――――一見、お城みたいな豪邸が私たちが立ってる門扉から遠くに見えた。



門をくぐりながら、

「ここからは馬車になります」

お姉さんから案内されたことからも分かるように、門から豪邸までは相当の距離がある。

思い出したわ、この門前には、常にいくつかの馬車が用意されてるのよね。


ええ、来たことがあるわよ、ただし裏口から。だって私、ハイネマン商会の従業員ですもの。



こちら、お得意様。



いつ見ても、豪邸って言葉じゃ足りない、立派なお城だわ。…ただ。



「私、魔法に関しては初心者というかもう素人なんですけど」



御者と話をつけたお姉さんがこっちに合図してくる。

手をつないだレオさまが、先に馬車へ乗り込んだ。その手に支えられ、私は段差を昇る。


レオさまの所作は、底まで荒っぽい。のに、…扱いは丁寧だわ。どうやってるのかしら、不思議。

「もしかして、あのあたり魔法が発動してません?」

それが何かは分からないけど。


城を見ながら言った私に、にやり、レオさまが粗削りな笑みを浮かべた。肉食獣が舌なめずりしてる雰囲気をいちいち出してほしくない。


「馬車が進めば驚くぞ」

答えになってない台詞だわ。でも、肯定したってことよね。


「他人事のように仰るのですね」

馬車の中、私たちの向かいに座ったお姉さんが額をおさえた。ため息をつく。

扉が閉まり、馬車が動き出した。

それ以上はレオさまに何も言わず、彼女は首を横に振る。表情を改めた。



「その」



お姉さんが私を真っ直ぐ見て、遠慮がちに頭を下げる。

「申し遅れました。わたくし、天賢議会で事務を務めておりますヴィオレッタ・ロンバルディと申します。数か月前までは、受付で座っておりました」

立ち居振る舞いが、とても丁寧な方だわ。なるほど、受付嬢ね。


でも平民って感じはない。姓が、ロンバルディ…ああ、ベルシュゼッツでも貴族派の大家じゃないの。


確かに、公王派をはじめ、大公家に仕える貴族たちなら、レオさまを前にすれば恐れ入って引くだけだわ。あんな風に食い下がったとなれば、納得。

「ご丁寧に」

ひとまず、私も頭を下げ返し、口を開く。



「私はガルド学院の生徒ですが、貴族ではなく平民です。ハイネマン商会に奉公しており、そのツテで学院への入学という機会に恵まれました」



ロンバルディさんは意外そうに目を丸くした。

「…マイヒェルベックさまと、堂々と対話されていらっしゃるので、どちらの貴族のご令嬢かと思ったのですが」

幸い、平民だからって見下す方ではないみたい。言いにくいけど名乗ろうかな、と私が口を開いた刹那。



「そら、来るぞ」



他人事みたいに外を見てたレオさまが、突き刺す口調で警告。とたん。

「え」

私、目を瞠った。





いっきに、周囲が真っ暗になったから。いきなり、夜の帳が落ちた感じ。


御者が驚いたか、馬車が蛇行。馬の、落ち着きない嘶きが聴こえた。

思わず窓に張り付き、空を見上げれば。

…嘘でしょう。


星が瞬く夜空が広がってた。


何が起こったのかしら。結界が張られてるってわけでもなさそうだけど。





「遠目に、こんな暗がりは確認できませんでしたけど」

「周囲に幻影が張り巡らされてんだよ」


「幻影って、誰がそんな魔法を?」

レオさまは、肩を竦めた。そのうち分かるって風にも、言いたくないって風にも見える。


「単なるハリボテだがな。でも遠目に誤魔化すには有用なんだよ、これが」



一見、役に立たなさそうな魔法でも、時と場合を考えて使えば、十分役に立つってわけね。



「落ち着いてください、大丈夫です。建物の外は暗いだけで、害はありませんから」


ロンバルディさんが御者に話しかけるのを尻目に、レオさまが説明なさる。

「周囲は幻影で、内側は結界が張られてるって言うより、一部だけ、異界の領域みたいになっちまってんだよ」


「部分的に異界を呼び込んだんですか」

呼び込んだ相手が、幻影を張ったんだろうけど、一体またどうして。



そういうものがあるって言うのは知識として知ってるけど、実際に見たのははじめてだわ。



確かに、空気が違う。





あまり見ない魔法であるのは、リスクが高いから。異界を呼ぶのは、界を一から創造するよりそりゃ簡単だけど、空間が歪む、時間が狂う。





ゆえに異界を召喚した場所には、後遺症めいた影響が数年残るって聞く。


「やはり異界ですか…」

ロンバルディさんが眉をひそめた。

「この場所に、となると、痛手ですね」

お偉方の密会ともなれば、秘密厳守だもの。そこらの居酒屋のカウンター席ってわけにもいかない。場所も従業員も選ばなきゃ、秘密は簡単に価値をなくす。

深刻そうなロンバルディさんに、レオさま。


「もしかして、数年はこの場所が使い物にならなくなると思ってねえか?」


「魔法に関わるなら常識です」

天賢議会は、魔法や魔術のエキスパート集団。ただしこれは、素人の私でもわかる問題だわ。

「その常識を」

レオさまが私を一瞥する。




「覆せるとしたら、どうする」




ん? 一瞬、戸惑ったけど。納得、したわ。目を伏せて、私はため息をひとつ。






そうよね、私は天魔だわ。天魔は正す者。

彼の者が立っていれば、その場所は自ずと真実を語りだす。あるべき姿に戻る。


そのように、言われる。となれば。

私がここにいるだけで、本来の場所でない異界は追い払われるはず。


理論上は、よ。だからって、

「…うまくいくとは限りませんよ」






「試してみようぜ。うまくいけば、面白ぇもんが見られる」


―――――お付き合いしますって言ったのは、私だものね。いいわ、試すだけなら、ただだもの。

ロンバルディさんが青い目を輝かせた。反射で、どこかに隠れたくなる。

「空間魔法が得意な生徒さんなんですか」


希望を見た目を私に向けるのはやめてください。私、魔法は素人って言ったばかりですよね。


でも子供みたいに素直な期待を、真っ向から叩き潰すのは気の毒で。

私はにやにやしてるレオさまの隣で、ロンバルディさんに向かって曖昧に首を振った。


「…ものは試し、としか言えません」


なんにしろ―――――とんでもない状況って言うのは、わかりました。

座りなおし、私は、身体を持て余すゴミか何かみたいに投げ捨てる態度で座ってるレオさまを横目にする。


「それで、この状況に、レオさまがどう関わっておられるのですか」

レオさまは唇に笑みを浮かべた。ただし、紫の目は醒めきってる。




「こう言やいいか。結論―――――マイヒェルベック家の兄弟喧嘩」




自分で言うと笑えるな、って他人事みたいに、レオさま。


えーっと。

レオさまは庶子。でも、真名持ち。マイヒェルベック家の跡継ぎは、彼にほとんど内定してる。でも、数多いる他の兄弟は納得してないって話は…そうね、有名だわ。





って、お家騒動ってこと?





つまり異界を呼び込んだ上、周囲に幻影の煙幕を張るなんて手の込んだ真似をしたのは、マイヒェルベック家の方で、目的は。



レオさまの、殺害。



…ヤバいやつだ、これ。聞いちゃったわよ。いまさら聴こえなかったフリして聞き直すっていうのも…ごまかしきかないから止めよう。

私、一歩間違えれば倒れたかもって眩暈に襲われた。


ロンバルディさんが一瞬、唖然となる。すぐ、両手が上がって、中途半端な位置で止まった。あ、耳を塞ごうとなさったわね。




「なら、最初からそう仰ってください!」


「はぁ?」




彼女に、殺すぞと告げる視線、もとい、莫迦にしきった目を返すレオさま。

「言ったところで誰も信じねえだろ。てめえだって、よ」


何かを弾くみたいに指を動かし、ロンバルディさんを示した。

「駆けつけるなり、オレを痴情の縺れの結果起きた殺人の犯人だって決めつけたろーが」

また、非日常的な単語が飛び出したわね。しかもこの上なく物騒。


「申し訳ありませんが、あの現場はどう見ても…事情はともあれ、あなたが手を下したことは間違いないんですよね?」

「どう思うよ?」

レオさまはあくまで挑発的。でもちょっと待ってください。


「あのー」

現場とやらを見てない私は、すっかり蚊帳の外だわ。ずっとそうしていたいけど、そこに連れていかれそうな今、心の準備がないのは逆に危険な気がする。

聞きたくないって気持ちを隠さず、憮然と尋ねた。



「…誰か、亡くなったんですか」



とたん、馬車が停まる。

きらきらとした魔法の明かりが馬車の中に差し込んできた。娼館の明かりね。

慣れた道って言っても、明かりもなくこの闇の中、よく無事に走り続けられたものね。


「おう、オレの目の前でな」



「しかも」

馬車の扉を開けながら、ロンバルディさんが顔をしかめた。






「犠牲者は、館一の貴婦人です」











読んでくださった方ありがとうございました~。

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