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31.幕間/悪徳の君

本編前に幕間をひとつ。



「主、あれを」



君主に付き従っていた従者の一人が、空を指さす。そのとき、誰もが空を見ていた。

黄金に、染まった空を。そして。




―――――大空を天蓋に、ぶら下がった鳥籠を。




魔導大国グランノーツの民なら、それが大精霊の結界だと言われずとも知っている。

大精霊は、果たしてそこに何を囲ったのか。


「ベルシュゼッツ公国の転移門から、何かを引きずってきたようだが」

宮廷魔術師の筆頭たる男が、その国名に嫌悪も露に呟いた。




「怪物の領土から、なにを」




悪寒を覚えたか、幾人かが鳥肌の立った腕をこする。

空を見上げたまま、褐色の肌の従者を二人従えた男が、宮廷魔術師を横目にする。






端正な顔に表情は皆無。恐ろしく鮮やかな翠の瞳の奥にひかるのは、凍えそうな冷酷。


「転移門はすべて破壊する、という話になっていなかったかね」






「…大精霊がそこに執着したのだよ」

対する魔術師も負けず劣らず、何も感じていないかのような淡白さで応じた。


ただ、周囲はそうもいかない。



特に格が劣る従者たちは、震えあがって小さくなっていた。



それに気づいた、最も年かさの君主が顎のひげをしごき、朗らかに告げる。

「では、ベルシュゼッツ公国の転移門がある塔へ移動しよう。そこに、王たちもお揃いに違いない」

とたん、翠の目の男が、その場の一切から興味が失せた態度で、集団の先頭に立って歩き出した。

それは、不思議な光景だったろう。



大半のものが、恐れ、疎んじ、忌むべきものと言わんばかりの視線を向けながらも、その男の背に続いて動く様は。



全身にまとわりつかせたおぞましい逸話ゆえに、彼は常に忌み嫌われる。そしてそれ以上に恐れられていた。

かつて、彼は。









―――――父親を殺し、遺体を城門にさらした。腐り落ち、骨になってようやく、彼は恥辱から解放された。


―――――母親は、領地の城の最上階の一室、窓もない部屋に監禁された。彼女は死んだと噂されるが、部屋から解放されたという話はない。



そうやって君主の地位についた彼は。

―――――その日、祝いに集った兄弟を庭に誘い、油を流し込んだ掘った穴の中に全員を押し込め、上から金網で蓋をし、火を放った。



以降も、彼は死のパレードを続ける。

―――――その地位と優れた容姿に、群がる蝶のように集まった女は、子ができた途端、もろともに始末された。


―――――戦場においては、誰より敵を多く屠った。ただし、中には逃亡者も投降者も含まれる。


全てが厳しい粛清の対象だった。

いかに身分の高い配下であれど、提案した政策が失敗すれば即、死を賜った。戦闘による敗残者も逃げ帰ったならば、死あるのみ。


強く、有能でなければ彼の下では生き残れなかった。

逆を言えば。


強く、有能であれば、身分の貴賤に関わらず取り立てられた。









この、恐怖の権化とも言える男を君主とした領地こそが、しかし、魔導大国グランノーツの中で、最も栄える地である。

彼はこう呼ばれる。





悪徳の君、ガヴィーノ・セルラオ。





彼は右手で、自分の耳に触れた。無意識のように。


そこには、緑柱石のピアスが埋まっていた。











× × ×











「どういうことですかな、セルラオ卿」

王宮の敷地内にある塔の屋上。


そこで、唯一無事に形を保っている転移門のそばで、片眼鏡の君主が呆れた顔を上げた。

11人の君主の一人、魔導大国グランノーツの精霊医、エヴラール・チェンバース卿だ。


近くには、王の姿もある。

この塔のてっぺんで、王妃を除けば、位階持ちが全員、勢揃いだ。



ただし、派閥は三つに割れている。



対立するのはふたつの勢力。


魔術や政治経済において、旧態依然とした穏健派。


そして、新たな開発と挑戦を繰り返す比較的若い世代の急進派だ。


残る一つは、どちらにも偏らない中立派である。


ただし。

穏健派と言っても派閥を作って対立する以上、好戦的。

そして、急進派と言っても、何でもかんでも革命、改革と息巻いているわけでもない。

ちなみに、中立派と言えば聞こえはいいかもしれないが、要するに日和見主義だ。


世間的には急進派とみなされるセルラオ卿は、熱のない顔を上げた。


周囲を一瞥し、―――――一瞬、その目を見開く。彼にしては珍しい表情。驚愕の感情が垣間見えた。





彼が目にしたのは、チェンバース卿たちの向こう。

転移門に背を預け、佇む存在に気付いたからだ。


図抜けた存在感。常軌を逸した美貌。

それでいて、寒気すら感じさせる、歪んだ異端の波動を容赦なく放っている。

身に着けている制服は、おそらくガルド学院のもの。


間違いない。あれは。


「五大公家の」

天使の血統のもの。シンジェロルツ家の息子はまだ幼い。ならばあれは。



―――――イェッツェル家。





「ほう、その様子では、キミがベルシュゼッツ公国と内通し、結託したというわけでもないようだ」

チェンバース卿の言に、幾人かが目を交わし合う。


とはいえ、正直、愚かな言だ。

五大公家が他国の一貴族の要請になど応じるわけがない。


どれほど上手な交渉能力を持っていたとしても、…これは、会話以前の問題だ。


要するに。




なぜそこに五大公家の子息がいるのか、魔導大国側は誰一人知らない。




イェッツェル家の子息と、セルラオ卿の目が合った。あかるい紺碧の瞳が、一瞬、面白がるように細められる。


こちらは気にせず、そちらはそちらでどうぞ、と言うように、彼は手で示した。

美術品めいた容姿の、天使の血統に見惚れる者が多い中で、セルラオ卿はすぐさま彼から視線を断ち切る。


王を見遣った。




「王よ。ベルシュゼッツ公国への転移門以外はすべて破壊致しました」

何も知らなかったらしい者たちのざわめきが上がる。無視して、事務的に彼は続けた。



「そしてつい先ほど、魔導大国全土を覆う大結界を、精霊たちの協力の元、完成させております」



そっぽを向く精霊たちは多いが、協力してくれる精霊たちがいないわけではない。

そして、力ある君主と魔術師、彼らの全力を持って、どうにか結界は発動させられた。


「ばかな!」

チェンバース卿側に立つ穏健派の一人が、声を上げる。



「王をこの国に閉じ込めるつもりか!」


「ほう、不思議ですな、そのお言葉」

セルラオ卿の近くにいた急進派の一人が、面白がるように挑戦的に声を弾ませた。



「逃げ道があれば真っ先にこの国から逃げ出そうとしているように聞こえる」



前代未聞の、大精霊の暴走だ。

その赫怒に震えあがり、絶望しないものなど、魔導大国の中にはいないだろう。

口には出さないが、誰もが思っている。






この国はおしまいだ。






「…あり得ない」


図星を突かれたか、相手は狼狽えた。だが、まだ、崩れ落ち、泣き叫ぶまでには絶望してはいないらしい。減らず口を叩く。


「しかし、国を覆う結界など、どういうおつもりか。しかも、転移門を破壊して回るなど…それでは、商人も出入りできない。経済が滞りますぞ」



「ご承知だろうが、今は国家の、未曽有の事態。それでも、国内で始末をつけねばならない問題だろう」



セルラオ卿が淡々と言葉を紡いだ。

「他国へ害を及ぼすわけにはいかない」


ゆえに、転移門を破壊した。結界を張った。犠牲となるのは、この国だけで済むように。


チェンバース卿の眉間にしわが寄った。

「他国のことなど言っている場合かね」

断罪の視線が突き刺さるのをものともせず、セルラオ卿は黄金の空を見上げる。



「大精霊を暴走させ、被害を他国にまで及ぼすなど、我が国の歴史を繙いて、これほどの大恥はないと思われますが、いかがか」



底まで冷めきった声。

バカにされた、と頭に血を昇らせた幾人かの気配を、王が上げた手が止めた。

「…揉めるな。セルラオ卿が正しい」


「欲しいのは、正しさの承認ではございません。次の一手です」

相手がだれであろうと、彼が態度を変えることはない。

今度は、派閥関係なく、一帯の空気が不穏になる。王に対する無礼と取ったためだ。




とはいえ、セルラオ卿は昔からこうである。


血塗られた経歴に加え、この態度。

なぜ、君主として容認するのかと疑問視する声は多い。


ただしそれは見ればわかるように、セルラオ卿が単純に有能であるためと。





―――――野心のなさにあった。





ある日、セルラオ卿の悪友が彼に聞いた。

「王になろうって気はないの?」

彼はいつもの調子でさらりと答えた。


「バカどもの飼育係などごめん被る」


悪友は大爆笑したが、周囲には水底めいた静けさが満ちたという。





王は苦い顔になった。

「大精霊と…会話を交わす知恵はあるか」


「さて」

セルラオ卿はしずかに言葉を紡いだ。

「すでに大精霊は動き、唯一残った転移門から何かを連れてきています」

それに、とセルラオ卿は転移門を一瞥。

そこには、天使の末裔が輝かしい姿を見せていた。ほとんど神々しいと言える容姿は、異端の気配と相まって、ひどく不吉だ。


次いで、セルラオ卿は空を見上げた。

「会話というならば、その者がたった今、大精霊と交わしているのでしょうが…」


「何を連れてきた。あるいは―――――誰を」

なんとはなしに、セルラオ卿を除く全員が、転移門のところにいる異端を見遣った。

「おそらくは」




先日、ベルシュゼッツ公国はどんな発表をした?


誰もの頭の中で、その情報はうるさく騒いでいただろう。


セルラオ卿は淡々と、その言葉を口にした。









「―――――天魔」









で、あるならば、納得がいくのだ。


五大公家が動く、もっともな理由が出来上がってしまう。


「天魔だと」

チェンバース卿が苦々しげに吐き捨てる。

「存在するのか、そんなもの」


「問題は、存在するかしないかではございません」

ばかばかしいと吐き捨てたチェンバース卿に構わず、セルラオ卿は続けた。

「要点は、ひとつ」


静謐、というのに、恫喝に似た低い声が、皆の耳に届いた。





「ベルシュゼッツ公国がかの存在を認め、信じていることです」





幾人かが怯む。が、セルラオ卿を見下す目になったものも多い。


代表するように、チェンバース卿が口を開いた。

「付き合いきれんな。―――――君主、ならびに宮廷魔術師ども」



彼がこれからどんな号令をかけようとしているのか、周りで何が起ころうとしているか察した王が、厳しい声を上げる。



「チェンバース卿」

底知れないものを伴った呼びかけに、全員の動きが、縫い止められたように止まった。


「我が国は」


淡々としていながら、呪いのような力のこもった声だ。




「精霊と共にあり、精霊と共に発展した。これから先も、精霊と共に歩むだろう」




聞く者の魂に誓約でも刻むような強さで王は告げた。








「ゆえに、大精霊を傷つけてはならぬ。精霊を殺してはならぬ。彼らが人間を殺そうというなら、受け容れよ」








狂っている、と思うだろう。他国のものであったなら。だが、ここは魔導大国。


長年、精霊という異種族を隣人として過ごしてきた国だ。

誰もが、正しさを認めてしまう。



王の言葉にこそ。



「では、王、あなたは!」


苛立ちを隠さない声で、チェンバース卿は尋ねる。

「大精霊があなたの命を望むなら、差し出されるのか!」


「わたしの命一つで!!」

いっさいの反論を跳ねのける強い語調で、王は言い切った。




「精霊たちの怒りが収まるというのなら、今すぐ差し出そう!」




だが、と王は空を見上げる。血のにじむような声で続けた。


「大精霊は会話を拒んでいる。何があったのか…このようなことの前例はない」

王の沈黙と、彼らしくない気弱さはそこからくるのか、と幾人かが顔を見合わせる。


「私は納得できません」

王の気弱さに隙を見たように、チェンバース卿が声を荒げた。




「死にたくはない。殺される前に殺します。第一もう、大精霊は正気ではありません。人間を殺したのですから」




彼の言葉に、乾いた沈黙が落ちる。


「チェンバース卿」

ひとり、セルラオ卿が落ち着き払った声で尋ねた。

「もしやあなたは…大精霊に、攻撃を?」

大精霊の本性は、大樹。王宮の地下に深く根を張り、その一角で健やかに枝葉を広げている。傷つけたいなら、それを攻撃すればいいのだ。


チェンバース卿は面倒そうに応じた。

「だとしたら?」


セルラオ卿の近くにいた別の君主が、肩を竦めた。



「地下の一角で死体を見た。下男の服を着ていたが、体格は兵士のものだと思っていたが…なるほどな?」



「何が言いたい」


針のような視線を突き立てるチェンバース卿に、セルラオ卿は、特に何の感情も込めず言った。






「無様だな、チェンバース卿」






あまりにさらりとした口調に、彼が一体何を言ったのか、すぐ理解できたものはいない。



「大精霊への攻撃が正しいと主張するなら、なぜ、隠すような真似をする? 何が後ろめたいのだね」



尋ねる口調を取っていながら、すべて見透かしていると言いたげな視線と、億劫そうな口調に、薄気味悪いと言いたげに手を横に振って、チェンバース卿は会話を断ち切った。



「攻撃、用意!」


「精霊を攻撃するものは、国家の敵であるぞ、チェンバース卿」


王の静かな、しかし不吉にひび割れたような声に、幾人かが怯む。


だがチェンバース卿は止まらなかった。

「狙うは大精霊だ、目障りな鳥籠も壊せ!」

「し、しかし、大精霊を攻撃など」


「ばからしい」

チェンバース卿は断言した。





「滅ぼさなければ、国が亡ぶ!」





彼の、恐怖に訴えた扇動は――――――派閥を問わず、死の予感に震えていた未熟な者たち全員を突き動かした。











× × ×











果たして、怒り狂った大精霊は、今、王宮の一角を破壊しつくしている。


それでもどうにか、幼い頃から共にあった王の声が届いたようなのは、僥倖だろう。

王は、大精霊にとって、我が子のようなもの。


命を張って必死に宥める王を尻目に、君主たちは派閥の顔ぶれを変えて、二派に分かれて対峙していた。


狂った精霊などいらぬと主張する側と、それでも精霊と共にあることを主張する側だ。




目まぐるしいことだ。




セルラオ卿はそれら一切と関りがないような表情で、ふ、と空を見上げた。

もう、黄金の空も鳥籠も消えている。地上の騒ぎをよそに、蒼穹は果てしなく澄んでいた。


不思議だが、さきほど、そこから彼を呼ぶ声が聴こえた。





―――――やっほー、と。





…言っていた気がする。


セルラオ領の精霊の声である気がしたが、この、緊迫感をいっさい考慮しない呑気さは、彼の精霊たちとは何やら一線を画していた。

そして、それ以上に。



空から、強い視線を感じた。



やはり、大精霊は人を連れてきたのかと思ったが、一向に落ちてくる様子はない。

風に流されたのか。気にはなったが、この場からすぐには動けそうになかった。


なんにしろ。

動きのない状況に、そろそろ痺れが切れてきた頃合いだ。


状況の打破の一助になれば、と国家に関わるものとはまた、別の客人を呼んでいるのだが、まだ現れそうになかった。


翠の目が、チェンバース卿を映す。少し仕掛けるか、と黙って控えている従者二人を見遣った、そのとき。





ベルシュゼッツ公国の転移門に、動きが見えた。


―――――何かが、来る。





もう誰が現れても驚きはしない、と誰もが思ったが。

「あら」

華やいだ声が上がり、幾人かが唖然と動きを止めた。


「ごきげんよう、グランノーツの皆さま。はじめまして、シルヴィア・イェッツェルと申します。こちらを通していただいて構いませんこと?」


現れたのは、新たな天使と、そして。―――――悪魔。





また、五大公家の人間だ。しかも、二人。





もう、間違いがなかった。大精霊がベルシュゼッツ公国から連れてきたのは。




天魔だ。




となれば。


…事の次第によっては、ベルシュゼッツ公国と対立する危険性も浮上した。

かの国の宰相は、冷酷だ。付け入る隙を、見逃すまい。


天使と悪魔など、国の中に通したくはない。だが、迂闊に止めればこちらの被害が甚大となる。

今は、精霊の対処で手いっぱいだ。これ以上は、許容量を超えていた。


次の一手を打ちかね、誰も押しとどめられない中、彼らは転移門から進み出た。

総勢四名、と見た刹那。










―――――リィン…ッ



涼やかな音が、緊張で張り詰めた大気を震わせる。










その音は。

一方は、セルラオ卿の耳元から。


もう、一方は。

おそらくは悪魔の血統と思われる大公家の子息の、黄金の目と、瞠られたセルラオ卿の緑の目が合った。


だが、互いに何かを言いさした、刹那。



「テツさまっ?」



天使の娘が声を上げた。転移門から進み出た彼らの足元に、魔法陣が浮かび上がる。それもまた、転移の陣だ。

「守護の指輪が働いた」


悪魔の子息が、静かに告げた言葉に、天使の娘が顔色を変えた。



「なんですって?」


「ゼン」

「待ってるよ。行ってらっしゃい」



天使の子息が手を振る。とたん、後から現れた者たちはその場から消えた。

どこへ行ったのか、どうするつもりなのか。


事態は混迷する一方というのに、セルラオ卿の思考は一瞬止まっていた。





無意識に、手が、緑柱石のピアスに触れる。


その刹那、一度も表情を変えなかった彼の顔が、焦りに歪んだ。









読んでくださった方ありがとうございました~。

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