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26.赤い車輪

気付けば今日の授業が終わってた。


いえ、内容は意地でも聞いたわ。学園で学ぶ理由は一つ。知識を得るためでしょう。取りこぼすつもりはないわね。


ただそれを自分なりに考えて咀嚼する段階には、今日はなかなか至れそうになかった。


私は指輪を見下ろす。




これがこんなに厄介なシロモノになるなんて、思ってもみなかったわ。

違うわね。私が、厄介なものに仕立ててしまったんだわ。


あの質問は、いけなかった。


―――――私が欲しいですか。

言い訳がましいけど、言っておくわね。思ってもみなかったのよ。

この質問が、私自身が目を向けないようにしてた物事を引っ張り出してくるなんて。


少し前の私を張ったおしたい。どうして、答えなんか簡単に出るって思ったの。




今日は早めに、寮へ戻ってゆっくりすべきね。頭を平常に戻したい。状況に溺れて流される前に。

ととん。小気味良く、手元で教科書とノートをまとめる。立ち上がった。


ここは研究棟。それも、植物学でよく使われる二階の教室。

今日は簡単な実習だったから、白衣も必要なかったわ。誰かと組む必要もないから、助かった。教室内の、私に対する空気は悪いもの。


悪意より好奇心が強い気もするけど…長居はトラブルの元ね。

踵を返す。研究室から出るなり。


「お…っと、失礼」


出入り口のすぐそばに、糸目の男子生徒が立ってた。

すぐ気づいたから衝突は避けられたけど、この立ち位置。さあぶつかってくださいって言ってるようなものなんだけど。


まさか、意図的? どういう理由で?


無言で見上げる。事情は知らないし、どうでもいいわ。とにかく退いてほしい。

責めたつもりはない。ただ、少し機嫌が悪かったから、視線は自然とキツくなったかも。


彼は申し訳なさそうな表情になる。頭を掻きながら横へ退いた。通り過ぎる私に、

「ごめんよ。失礼ついでにひとつ聞きたいんだけど」

人の良い無害そうな笑みを困り顔に浮かべ、糸目の男子生徒は尋ねてくる。



「ヘルリッヒさんてどの子かな」



周囲でその質問がされてるのを聞いたことはあるわね。けど、されたのははじめてだわ。

何にしたって、いまさら動じない。彼に合わせ、私は申し訳なさそうな態度で答えた。


「残念だけど、もう研究室を出たみたいね」


事実だわ。私の足は、教室の外にある。

次の言葉を待つつもりはない。それじゃあ、と廊下を歩き始めた。


こういうやり取りは、実際、増えているのよね。天魔の存在が明らかにされた後から。

ただこれは、物珍しいから今は騒がれてるってだけ。そのうち落ち着くわ。だから、放ってる。正直、鬱陶しいけどね。


私は自然と早足になる。その背後から、すぐまた、さっきの男子生徒の声が聴こえた。

「あ、ちょっと聞きたいんだけど、ヘルリッヒさんてどの教室に戻るのかな」

今度はクラスを聴いてる。…ちょっとしつこいわね。思うなり。



「わたしがヘルリッヒだけど」



予想外の声が、背後で上がった。さすがに、ぎょっとなる。振り向いた。

例の男子生徒の前で、女生徒が一人、胸を張って応じてる。長い銀の髪を後ろで一つの三つ編みにした女の子。

気の強そうな目に、面白がるみたいな色が躍った。

「きみが?」


「ええ」

堂々と頷く彼女の肩を、困り顔で掴んだのは。

―――――シャーリー・ジスカールさん。

そう言えば、あの銀髪の女生徒は、ジスカールさんとよく一緒にいる。確か彼女も、魔導大国出身のはずだから…友達なのかしら。なんにしろ。


この状況で私が絡むと、さらに面倒になりそうよね。よし。



私は何も見なかった。聞かなかった。誰がヘルリッヒでもいいじゃない。

この時期、その名を名乗るのは、ちょっと危険だけど、この場合には大丈夫よね?



さっさと結論を出す。私は歩き出そうとした。直後。

「ああ、会えてよかった」

糸目の男子生徒が嘘偽りなく嬉しそうな声を上げる。同時に、ポケットから何かを取り出した。


掌サイズの…あれは。

箱? 赤ちゃんの拳くらい、小さい。あれ、魔道具だわ。



見るなり、その魔道具の機能が私の脳裏に閃く。刹那。



私は来た方向へ、向き直った。思い切り廊下を蹴りつける。低い姿勢で、駆け出した。

「それから」



幸い、距離は短かった。





「さようなら」


殴り付ける勢いで拳を突き出す。男子生徒のブレザーの背中を乱暴に握りこんだ。





躊躇の間はない。思い切り引き寄せる。同時に彼の足を刈った。死角の、背後から。


幸い、彼の意識は、目の前の女生徒に集中してた。尻もちをつかせることは容易く―――――。





―――――ッ、ド、ゴンッ!





間髪入れず、彼の手元から太い真空の刃が飛び出す。

横っ飛びに跳んで避けた私の真横を通り過ぎたそれが、学院の特殊加工の窓ガラスと周辺の壁を真っ直ぐに貫いた。



轟音。

悲鳴。

ガラスや壁の素材が散乱する騒音。

舞い上がる粉塵。



ただ、突然の破壊をもたらした力は、対面の校舎にまでは達しない。寸前で、結界の網に捕らわれた。

瞬時に分解、結界自体の力に還元される。


…こういう術式を校舎に組み込んだ学長は、もう天才の域よね。


男子生徒の手から、空っぽの箱が落ちた。廊下を滑っていく。




あの魔道具は、強力な魔術をひとつだけ閉じ込め、蓋を開けることで発動するっていうシロモノ。




転ばさなかったら間違いなく、あの真空の刃は対面した少女の胸を貫いてた。だけじゃない。教室中を無茶苦茶にしたはず。

どれだけの犠牲者が出たことか。

今になって、背中を冷たい汗が濡らした。


それを、この男子生徒は、息を吸うみたいに自然にやってのけたのよね。


…向きを変えた真空の刃は、彼の胸元を掠めたみたい。

皮膚一枚が切れ、血が筋を作った鎖骨下。


赤い、痣みたいなものが見えた。いえあれは入れ墨。その形状を目撃して、私は目を瞠った。わずかに呻く。


こんなところで見るなんて。






「…赤い車輪…」






糸目の男子生徒が見上げてくる。でも、目は合わさない。視線を断ち切るように、


「走って!」

私は呆然としてるジスカールさんと、もう一人を促した。一足先に私は駆けだす。

ついてくるならそれでよし、来なかったらそれまで。


私のやり方はいつも通り。


頭の片隅で、魔法陣の発動を検討。ただ、少し迷う。なにせ。

学院内のそこここに仕掛けられた魔法陣は、侵入者対策に特化してる。けど、生徒に対しては脅威とならない。生徒間の個人的な恨みつらみで利用されることを防ぐためよ。


つまり何かって言うと。


もし彼が単純に侵入者の変装した姿だったなら魔法陣の起動で対応可能だけど、…本当に生徒だったら? 魔法陣は、有効に働かないわ。


でも試すだけなら、タダよね。よし、ダメもとだわ。


私は、近くの、侵入者排除の魔法陣が起動する壁の一部を叩いてみた。

間髪入れず魔法陣は起動。走りながら、私は振り向く。



―――――変化、なし。



現実は無情だわ。やっぱり、逃げるのが正解ね。


ほぼ間を置かず、銀髪の子の手を引っ張ったジスカールさんが私の隣に並んだ。あ、ついて来たのね。

ジスカールさんは、泡を食った声で尋ねてくる。

「ど、どちらまで」


いつもかけてる眼鏡が、さっきの衝撃で吹き飛んだのか、顔から消えてた。すごい突風だったものね。

可哀そうに、怖かったんだろう、優し気な面立ちが泣きだしそうに歪んでた。


「ちょっと、シャーリー!」

引っ張られてるもう一人の子が、嫌そうな声を上げる。

「この子についていったところで、何になるのよ!」


どうも彼女の方は、素直について走ってるわけじゃないみたい。


ジスカールさんが、困ったみたいに眉を寄せた。わずかに走る速度を弱める。いえ、引っ張ってるお友達の方が、立ち止まろうとしてるみたいね。


何にしたって、二人のやり取りには構ってられないわ。説得に割く時間だってない。

私は階段を駆け下りる。

「あ、ほらっ」


背中で三つ編みを躍らせながら、彼女が勝ち誇ったみたいに言った。



「研究棟には先生方が使ってる資料室があるんだから、助けを求めに行くなら、そっちが早いでしょ、なんで研究棟を出る方に向かってるのかしら!」



確かに、今、研究棟にいる教師は多いはず。資料室に入り浸ってる方は多いもの。

でも今回みたいな騒動じゃ、資料室に入れば最後、彼らを危険に巻き込むだけ。子供が大人を頼るのは自然だけど、抵抗手段を持たない大人を頼っても、共倒れが関の山。


彼らだって、それを理解してる。だから、あんな音を聞いても、誰も資料室から出てこないんだわ。


彼女たちがついてこないなら、仕方ない。それならそれで、私はできるだけ早く助けを呼ばなきゃならない。


今、はっきり居場所が分かる救世主さんはたった一人。私は真っ直ぐ、そこへ向かってるのよ。

でも、ジスカールさんは、お友達の言葉に説得されなかった。

教師に助けを求める道より、私についてくる方を選ぶみたい。力任せにお友達を引っ張る。

容赦なく置き去るスピードの私を必死で追って来た。


「彼女がどこへ行こうとしてるのか、わたしにだってわからないわ。ただね、レティ」

階段を降りてきながら、ジスカールさんは囁いた。

「彼女はあなたの命の恩人よ。加えて」

彼女は冗談なんかいうと怒られそうなくらい真剣な口調で続ける。



「精霊が騒いでる。彼女に続けって」



は?


私は内心、ぽかん。言われて、周囲に意識を向ける。確かに。

こんな状況でも、精霊たちはきゃあきゃあ楽し気に笑ってるけど―――――遊んでいるんじゃないのよ? ―――――私には言葉は理解できない。


ジスカールさんは違うのかしら。魔導大国の貴族ともなれば、聴こえて当たり前とか?

…まあいいわ。そのあたりの事情はともかく、―――――あら?


ジスカールさんが言うなり、劇的な変化があった。お友達の子が大人しくなったの。しかも、協力的に、自分から走り始めてる。


そうか。なんにしたって、魔導大国で精霊の存在は他の何より重要だものね。

そのうえ、ジスカールさんには、少なくとも精霊が訴えるところが理解できるみたい。一方の彼女は見えないけど、ジスカールさんが『分かる』存在だってことを知ってるってところかしらね。


でも私に向ける目は猜疑に満ちてる。それは別にいいわ。大事なのは、同じ方向に逃げる気になってくれたってこと。


なら、助けを呼ぶんじゃなくって、一緒に隠れる方向で行きましょうか。

私は研究棟を飛び出した。


「ちょ、どこまで行くつもりっ?」

後ろを気にしながら、ジスカールさんのお友達が声を張る。

彼女の、一緒に来る気持ちを萎えさせるのは、得策じゃない気がするわね。なら、…こうしよう。


「特別教室棟に行きます」


私は冷静に声を上げた。ただし、周りによく聞こえるように。

さっき、身をひそめようって思ったばかりだけど。うん、方針を変えよう。相手を、これから行く先へ誘い込む。

追ってくればいいわ。


どう? 聴こえてるんでしょう、こっちの声は。


「と、特別教室棟?」

それは研究棟の隣にある。

理由は、職員室が一階にあるから。資料室に入り浸る教師が往来しやすいようにするためにこの配置になったんじゃないかって言われてるわね。


息を切らせた二人が声を合わせた時には、もうその校舎に飛び込んでた。

「行くのは、しょ、職員室、なの?」

「いえ、どうせ、なら。遠いけど、学長室の、方が」


職員室は、一階。学長室は、最上階。残念だけど、どっちも不正解。


私は、一段飛ばしに階段を駆け上がりながら、大きな声で答えた。




「行くのは、生徒会室です!」




刹那。


今度は、ジスカールさんが立ち止まりかける。その手を元気いっぱい引っ張ったのは、彼女のお友達だ。

「そ、そんな…っ、畏れ多い…」

なにその反応。ジスカールさんが衝撃を受けた理由がすぐには理解できない。

青ざめ、よろめく彼女に、つい胡乱な目を向けたけど、


「つまり、イェッツェルさまに…いえ、役員の方々を間近で拝見できると言うわけね!」


やたら興奮した銀髪の子が、食いついて来た。私は納得。

そう言えば、国内外問わず、五大公家の人間は有名人。

理由? そんなのひとつよ。人目を引くでしょう、彼らは。私だって気を抜けばうっかり言うなりになってしまうかもしれないくらい、魅了の力がすごいもの。


もちろん、彼らはわざわざそんな魔法を使う必要はない。魅了の力は天然。だから厄介。


ただし周りの反応は、様々ね。執着、畏怖、奉仕、憎悪。

いずれも極端になりがちで、傍から見てると怖いわ。大公家の方々は、周囲から向けられるそういう反応から、うまく距離を取っていらっしゃるみたいだけど。


他人事として言うならば、―――――大変そう。


なんにしたって、生徒会室は二階。

間を置かず、私は二階の廊下を踏んだ。続いたジスカールさんは恐々と身を竦める。全力疾走したせいばかりでなく、息が乱れてた。

「あの、やはり…わたしたちが、行くわけには」


「何言ってるの」

銀髪の子が意気揚々と告げた。

「滅多にない機会じゃない。それを逃すの?」

及び腰のジスカールさんに、積極的なもう一人。最初と真逆の反応ね。


なんにしろ、私がやることは変わらないわ。


二階の東側の突き当り。豪奢な観音開きの扉が見えた。廊下を真っ直ぐ突っ切って、その真ん前で急停止。あとの二人は足が遅い。

冷静に思う。あれじゃ死ぬわよ。でも、幸か不幸か、今回はまだ大丈夫ね。


それとも、私が走るのに慣れすぎているのかしら。それも命を懸けた全力疾走に。

とにかく、緊急で扉を開けてもらう必要があった。


まずは、ノック。

ただ、私はシルヴィアさまから事前にお話を聞いてる。生徒会の事情ってやつを。

ここは、ベルシュゼッツ公国のガルド学院。そこの生徒代表の組織に加入するからには、パーフェクトに近くなければいけない。


実力も。

人気も。

信頼も。

身分も。


でなきゃ、中途半端な人物じゃ、気位の高い学生たちがまず、従わないのよ。

彼らの厳しい目を潜り抜けた頂点に君臨するのが―――――ゼン・イェッツェルさま。

現在の会長ってわけね。


…今期の生徒会は、歴代でももっとも煌びやか、かつ、実力者揃いとか言われてるわ。


そうそうたるメンツに、それも納得だけど、だからこそ、弊害も多いのよね。

有名よ。

容姿から経歴に至るまで恐ろしく煌びやかな生徒会役員の面々全員に、ストーカー紛いの相手が多かれ少なかれくっついてるって話は。


人気者って大変なのね。


いやだから何かって言うと、生徒会室の鍵は、ゆえに常に施錠されているって話よ。

過去に何があったか、ごくまっとうなノックに応じる声はない。

扉に手をかけた。案の定、鍵がかかってる。でも私は話を聞いてた。


ゼンさまは午後、必ず生徒会室で雑務処理をしてるって。いるわよね、絶対。他の役員はともかく、少なくともゼンさまは。


シルヴィアさまは私に変な嘘つかないわ。

それから肝心なことを、もう一つ教えてくださった。

―――――あらミアさま、魔法が使えるようになったの?

このことを、なぜかシルヴィアさまは我が事みたいに喜んでくださった上で、あることを教えてくれた。


―――――おめでとう。ではひとつ、贈りプレゼントにいいことを教えて差し上げてよ。


それは、施錠された生徒会室の開錠方法だったわ。でもなんでこれだったのかしら。今日みたいな事態を想定なさってたのかしらね。他言無用は言われるまでもない。


生徒会室の鍵は、一定の簡単な手順で開く。

魔力を引き出すことすら未だ悪戦苦闘してる私だけど、そんな私でもどうにかなるってくらい単純な組み合わせだったわ。


ただ、誰でも理解できるものじゃないのは、すぐわかった。


古の天法の一節、その組み合わせを、観音開きの扉の取っ手部分の中央で、指先で描くのよ。

魔力を込めて、古代文字で。

このやり方は単純だけど、確かに、人を選ぶ。


天法って言うのは、大昔、最低限の世界の規則を天使と悪魔と神人が定めたものね。

今も厳格に大陸中に流布されており、それを破れば、天魔が創作したと言われる魔法人形が楽園より舞い降り、誅殺されるって言われてる、アレよ。


傍から見れば古代文字は、紋様みたいに見える。ただし、解読できる人間は限られる。



(古代文字は一度教えられたからってすぐに理解できるものでもないのよね)



古代文字は象形文字。一語一語に意味があるわ。解読できたとしても、それを単に記号みたいに扱っても、正しい効果は得られない。しかも今回は、それぞれの文字に別個の力を流し込む必要がある。


(…ええと、この文面には光の力、次は雷…で、水、―――――最後に、開錠っと)




―――――カチン。




聴こえた音に、私は内心ガッツポーズ。その時には、後ろの二人もすぐそばにいた。

じゃ、遠慮なく! 私は思い切り、扉を押し開いた。

寸前まで扉を眼前にして暗かった視界に、室内の光が眩しい。


「入って!」

私の部屋じゃないけどねっ。

二人を室内へ投げ込むように押し込んで、私は背中で生徒会室の扉を閉めた。


「…ふむ、読めたよ」

私たちが息を整える中、面白がる声が、部屋の奥から上がる。


「仕掛け人は、ウチのお姫様だね」

ふふふ、と華やかな笑い声がそれに応じた。

「だって、ミアさまは最近、お兄様にいじめられてばかりですもの」

私、弾かれたように顔を上げる。だって、この声。シルヴィアさま。

堂々、生徒会室に飛び込んでいながら今更だけど、私に優しくしてくださる方がいらっしゃったのは心強いわ。



「わたくしどうしても、仕返しの機会をあげたくって」


前言撤回。すみませんが、少し席を外して頂けません?



私の顔が、ちょっと胡乱な表情を浮かべたのは仕方ないわよね。

そのまま、生徒会室の奥へ目を向ける。

床から天井までの高さがある大きな窓から差し込む光の中、―――――それ以上に輝かしい天使の兄妹がうち揃って私に微笑んでいらっしゃる。私が咄嗟に隠れるところを探したのも無理はないと思うの。

眩しすぎて、目が痛い。


これが本日の救世主さま。


シルヴィアさまの言葉に、ゼンさまが驚いた声を上げる。

「仕返しに来たの? おや、勇ましいね、ミアちゃん」

わざとだ、これ、絶対。


「ちょ、ちょっと待ってください、会長。ミアってまさか」

室内にはもう一人、眼鏡をかけた少し小柄な男子生徒の姿があった。白金の髪はぼさぼさで、目元がほとんど隠れている。でも誰かは分かるわ。


確か会計の。名前を思い出す前に、彼がぎょっと私たちを見遣る。

「正確な手順で鍵を開けられたことといい…え、待ってくださいよ」

手元の書類を手に取り、こっちから青ざめた顔を隠すように前にかざしてしまう。

ショタ好きお姉さま垂涎の的の、可愛いと評判の顔が見えなくなった。



「――――――天魔、ですか」



記憶されないようにって対応なのかしら。微妙に失礼ね。

別に取って食いはしないし、よっぽどでない限り、心の中の復讐リストに名前を書き留めたりしないわ。第一、私がガルド学院の生徒である以上、生徒会役員の顔と名前は知ってて当たり前でしょう。


「キミは好奇心より怖さが先立つんだねえ。堅実なハルトくんらしいけど」

そう、彼はエアハルト・レーヴェレンツさま。

「申し訳ありませんが、未知には近寄りたくありません。そもそも天魔の実在は」

彼は、きびきびと理由を答える。


「楽園の復活と天法の強制を意味します。…ところで」


私には、思わぬ答えだわ。ちょっと考え込んでしまう。そう。

そういう考えも、あるのね。


レーヴェレンツさまは直前の明瞭さが嘘みたいな気弱な声で続けた。



「三人のうち、どなたが、天魔なんでしょうか」



ゼンさまが、楽し気に応じた。ネズミを捕まえた猫っぽい目をしてる。

「駄目だね、ハルトくん」

彼を見て、ゼンさまの紺碧の瞳が、意地悪気にきらめく。

この方の美貌は、いじめっ子の顔の時が一番きれいなのよね、厄介。


「誰に教えられるまでもなく、知っておくべきだよ、生徒会役員ならば」

「って、情報規制真っ先に行ったのは会長でしょうが!」

ゆえに彼は天魔を探らなかった…ということかしら。生真面目ねえ。


「まあ、エアハルトさま」

シルヴィアさまが困った顔で、頬に手を当てた。

「御承知でしょう? お兄様があとでどう仰るかなんて。先手は打っておくべきですわ」

なんと、悪いのはレーヴェレンツさまの真面目さって流れになってる…いえ、真面目だからいじられやすいのね。

レーヴェレンツさまは何かをこらえるみたいに震え、俯いた。


この方、苦労なさってそう…。


ゼンさまは、シルヴィアさまの指摘にへこんだらしいレーヴェレンツさまを満足そうに見てたけど、

「ミアちゃん、植物学の実習、お疲れ様」

思い出したみたいにこっちを振り返った。

「ゼンさまもお仕事お疲れ様です」


私は反射で返す。

でも、どうしてかしら、ゼンさまには腹に一物抱えてそうな雰囲気を感じてしまうわ。




「植物学の実習…では、研究棟にいらっしゃったんですか?」




真っ先に反応したのは、レーヴェレンツさまだ。

顔の前から書類をどけ、さくっと頭を切り替えた様子で口を開く。


「先ほど、巨大な魔法が炸裂した地点ですね」



え?



私は呆気にとられた。なんでそんなこと知ってるの? 生徒会の役員は、校内に置いて確かに情報の把握が早い。

でも、彼らは生徒会室にいたのよね。

「他の誰かが生徒会に報告に来たんですか? …この短時間で? それとも、心話で報告が上がってきたとか」

だって、あり得ないわ。

私たちより先に誰かが、報告にここへ現れたなんて。


なら、人間以外の、情報網があるってことかしら。例えば。



「うん、ミアちゃん、実はね」

私が薄々と察したことを、ゼンさまはわざわざ口になさった。




「学長が学院に張っている結界への干渉を、生徒会は許されているんだ」




…………………………。


私の表情に、動きはなかったと思う。

でも何か察したみたいなシルヴィアさまが、空色の瞳でゼンさまを横目になさった。



「それでも役員は、ある程度の地理的情報程度しか知りえませんわ。完全に事情を把握できる権限をお持ちなのは、会長のお兄様だけですわよね」



内心、私は血の気が引いた。つまり。






ゼンさまは。


何が起こったか。


既にすべてご存知だと。


そう仰るわけですね。



―――――なのにわざとらしく、何も知らない対応をなさった、と。






にじみ出てるわね、性格の悪さが!


不機嫌になった私はなんとなく、ジスカールさんを見遣った。

彼女はお友達と座り込んで、青ざめた顔を私に向けてる。命を助けてと懇願する悲壮さで、首を横に振った。

お友達の方は、分かっているのかいないのか、こちらはひたすら緊張して白っぽい顔をしてる。


さっきから静かだったのは、こんな状態だったせいなのね。

あれほどはしゃいでたのに、役員の面々を真っ直ぐ見ることすらできないみたい。



でも、なんにしたって、今の状態は…危険だわ。



これはマズい。

シルヴィアさまはまだしも、ゼンさまの性格を考えれば、さっきの成り行きは、彼の不快を誘発する行動だもの。


―――――生徒会室は、虎穴だったかもしれない。


「何がございましたの、お兄様」

シルヴィアさまに、ゼンさまが答える前に私は、






「赤い車輪」






周囲の興味を一番に引く言葉を口にした。


ふ、と室内に不気味な沈黙が落ちる。

その間に、さりげなくゼンさまの視界から、二人の姿を隠すように移動。

私が警戒する先で、紺碧の瞳が意味ありげに細められた。


「…さっき、私たちはその入れ墨を持つ男子生徒に襲われました」


「まさか…それは事実ですか」

あり得ない、レーヴェレンツさまが呻く。



「よりによってベルシュゼッツ公国のガルド学院に、連中の息がかかった生徒がいるなんて、そんな話は」







赤い車輪。


この秘密結社の歴史は、神話の時代に遡る。

歴史的に、天魔は世界の救世主と称えられるけど、一方で、決して認めないと叫ぶ者も多い。

天魔は神ではない―――――単なる地上の生物が、世界の理を決めるなどあってはならない、と。


世界に滅びが決定されたのなら、神の意思として粛然と受け入れるべきである。


そう言った主張から派生した分派が、『赤い車輪』。


彼らは、天魔の支配から世界を救うと標榜しているわ。






「事実です」


残念ながら、私はこの目で見たし、試しもした。

「学長の魔法陣を発動させましたが、彼を素通りしたので、彼は学院の生徒で間違いありません」

レーヴェレンツさまは難しい表情でゼンさまを見遣る。彼は頷いた。


「まず、間違いないよね。学長の術式は完璧だし」


ゼンさまの同意と共に、トン、と規則正しい音が彼の方からし始めたことに、私は気づく。

目を向ければ、…彼の指先が、トン、トン、と机の上を叩いてた。

なぜかしら。うまく話を逸らせたどころか、ゼンさまの不快がどんどん増してる気がするわ。


「ヘルリッヒさん」


お友達と身を寄せ合い、私の足元で震え始めたジスカールさんが、俯いたまま言った。

「せ、精霊たちが怯えています。…どうにか、説得、できませんか」

説得って、精霊を? それとも、ゼンさまを? 堂々、言える。


どっちも無理ね。私は無力よ。


「ごめんなさい、私、精霊は見えないの」

ひとまず、ゼンさまにどう対処すべきかしら。なにも思いつかないのが辛い。


それを考えながらの返答は、いい加減になったわね。そこは認めるわ。


でも、まさかそれにジスカールさんが一瞬恐怖すら忘れた反応を示すとは思わなかったのよ。




「嘘ですよね!」



いきなり叫ばれた。ひえ。力いっぱいスカートにしがみつかないでっ。

「こんなに精霊に寄りつかれてるのに、見えないなんて!」


見下ろせば、さらっさらの黄金の髪に縁どられた小綺麗な顔立ちの中、瞠られた大きな双眸の中に私の姿が映ってる。と思えば、彼女は跳ねるみたいに立ち上がった。


その清楚な顔立ちが、ぐっと鼻先まで迫ってくる。


「今、魔導大国では精霊はその数を減らしていて…でもヘルリッヒさんのそばには、こんなにたくさんいる。それもすごく幸せそうで…わたし、精霊たちが無邪気にはしゃぐ声なんて久しぶりに聞きました。その理由が知りたくて、わたし、近いうちにきちんとあなたと話がしたいって思ってて!」


この、おとなしい女の子に、こんな声が出せたのね。

びっくりすると同時に、切実に思った。ちょっと待ってほしい。思わず、冷静に指摘。




「それって、国家機密とか言わない?」




精霊の数が減ってるってなにその情報。他所の国に漏らしていいの?

一学生には重すぎる話だわ。今度はお友達が、ジスカールさんにしがみつく。


「ちょっと、シャーリー! 話しすぎてる!」

できればもっと早く止めてほしかった。


どうも、ジスカールさんはいったん火が付くと周りが見えなくなるみたいね。

お友達の言葉に、我に返ってくれたのかしら。


一瞬生じた空白に、私はすぐさま切り込んだ。



「迂闊に国の大事だいじを話すのは悪手と思うわ」



一応言ったけど、その程度、貴族の娘が理解していないわけないわね。

それだけ必死ということ? それとも、この場の面々を信頼してのことかしら。光栄だけど、


「私の身は、今は、私の意思だけで簡単に動かせるものじゃなくなってるわ」

すぐに飛んでいくのは、難しい。


私の意思で動くにしたって、根掘り葉掘り事情を聞かれるのは自明。嘘が苦手な私は、秘密にもできない。

できることと言えば、黙っていることだけ。


「気の毒には思うけど、順を追って、段階を踏んで交渉をしてくれた方が、結果は早いと思うの」


この返事、ある程度は予測してたみたい。ジスカールさんは、唇を噛む。

そうですね、と項垂れた。

こう、か弱い子が落ち込んでる様子は本当にお気の毒と思う。

だけど、へたに動いて事情を追及された時、私じゃうまく嘘がつけない。

そのリスクを考えると、やっぱり段階を踏んで、交渉してくれた方が…思いさし、私は目を瞬かせた。






順序。


段階。


あら、これって。

私はつい、指輪を見下ろす。


―――――待って、これは私にも必要な思考じゃないかしら。






この指輪は、婚約指輪だわ。

でもね、婚約の前に、踏む段階って言うのが、あるわよね。


思いを告げ合う、告白。そして、…そう、恋人。いわゆる、彼氏彼女。


私はいきなり、婚約、結婚、から考えたから、アイゼンシュタット家の名がとっても重かった。

その環境に足を踏み入れるなんて、現実味は今も一切ない。でも。


アイゼンシュタット家も。

テツさまのとびきりの容姿も。

頭脳も。



あの方を取り巻く他の要素全部を取っ払って、『彼』自身を見たなら。



…私は。

―――――テツさまと恋人、なんて。





光栄だと感じる。





隣に立つのは不相応だと、相変わらず震えがくるけど。


「不躾なのは、承知で、…では、せめてひとつだけ教えて頂けませんか?」

考え込む私の耳に、不意に届いたのは、ジスカールさんの声。震えてる。


「あ、はい」

いけない、意識がよそに行っていたわ。戻って来ないと。

気付けば鼻先に、ジスカールさんの決死の表情があった。うまく焦点が合わない。近過ぎ。

「ジスカールさん」


「はい」

「近いんですが」

思わず顔をしかめる。ジスカールさんは変に強気になってて、動じない。



「すみません、でも、眼鏡がなくて、お顔が見えないの」



言われて、思い出す。あ、そう言えば、そうだった。

彼女、眼鏡がないんだわ。…だから、距離感おかしくなってるのね。そうは言っても、あまりの近さに、私は一瞬怯んでしまう。

その隙に、ジスカールさんは強く続けた。



「教えてください。ヘルリッヒさんの周囲で精霊が毎日増えて行ってるのは、あなたが天魔だからですかっ?」






初耳ですが。






増えてる? 毎日? なんで? そもそも精霊って、どうやって増えるの。


「教えてください、お願いします! 国の精霊たちはどんどん減って行ってて、残った精霊たちも人を敵視し始めているんです。このまま象徴たる精霊がいなくなれば、魔導大国は」


ジスカールさんの声は、途中で不自然に途切れた。

その大きな目が、間近から私の目を凝視してる。


急激な停止に、息も止まったんじゃないかと心配になって、声をかけた。



「ジスカールさん、大丈夫ですか」



とたん、びくっと彼女の身体が震える。…どうして?


「ちょっと、シャーリー、もういい加減にしないと…」

銀髪のお友達が青ざめ、小声で諫めてきた。

その声も耳に届いてない様子で、ジスカールさんは、ぼそぼそと呟いた。



「その、翠玉みたいな瞳…強い、真っ直ぐな、目…見覚え、が」



言うなり、ジスカールさんの顔からいっきに血の気が引く。

「そんな」

私から、ようやくジスカールさんが一歩距離を取ってくれる。

ふらっと、よろめいて。ホッとする間もない。

「まさか、ヘルリッヒさん、は」


蒼白になったジスカールさんは、掠れた声で呟いた。





「悪徳の君の」





言葉は、途中で止まる。

自身で言ったその名に、衝撃を受けた様子で、彼女はその場に座り込んだ。

彼女を支えるようにして、もう一人がおそれるように私を見上げる。


彼女たちの様子に、私の思考が、一瞬止まった。


待って。なんで。私を見て、その名が出るの。目? 翠の、この、瞳?

指摘に、今まで思い出してもさして気に留めてなかった母の言葉が、脳裏に蘇った。





―――――ミアの目は、お父さんそっくりね。





刹那。

部屋の奥から聴こえてた指が机を叩く音が止まる。



「魔導大国の悪徳の君って―――――それは、ガヴィーノ・セルラオ卿のことかな?」



常の、明るさが消えた、ゼンさまの声が聴こえた。その響きは、思わぬほど深い。

でも、それより私は。


彼が口にした、その名に。






雷に打たれた心地になった。奥歯を噛み締める。







続きは明日にでもUPしたいなぁと…。

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