23.トラブルメーカー・2
「無駄な行動取るもんだねぇ」
しみじみと、リタ。
今は、日暮れ時。魔石の片づけの最中。終われば後は帰るだけって状況。
リタの手は、魔石の屑を、性能ごとにまとめ直して、袋に小分けにして入れてる。私も同じ作業の真っ最中。この魔石の屑は、リタの実家で加工の最中できたシロモノ。
屑でも魔石は魔石。調査には丁度いい。魔石の性能を調べるにはいつもこれを使っている。
リタは、寮の隣人。蓮っ葉な口調。真っ赤な長い髪に、長身で豊満な肉体を持つ、派手な美人だ。
机の上に取りこぼしはないか確認しながら、私は首を傾げる。
「無駄な行動って誰の話かしら」
場所は、ガルド学院の一角に位置する、実習棟一階に並ぶ研究室の一室。
私とリタは日を決めて、授業の後、魔石の効能について調べてるんだけど、今日はその日ってわけ。
一応、魔石研究会って言う同好会の体裁は取ってるけど、部員はリタと私だけ。顧問に至っては、名ばかり。
一昨日の夜、砂漠に飛ばされ、ベルシュゼッツに戻ってきたのは、昨日の日没後。
私は丸一日、学校にいなかったわけよね。あのあと、事態をどう収集付けたか細部は聞いてないけど、教師からは、体調不良って伝えていたみたいね。イェッツェルのご兄妹が手を回して下さったらしいわ。
確かに前日の私は、絶好調とは言えなかったし、…ほら、テツさまの真名を掴んだ影響でね? おかしな話でもなかったはず。でもリタには違和感があったみたいね。
周りに人がいなくなったところですぐ、「何があったのさ」ときた。
寮は防音設備も整ってるから、簡単ないざこざくらいじゃ隣の部屋にだって聴こえないのよね…。
隣室って言っても、毎日待ち合わせて一緒に登下校、なんて他愛ない約束事を、鬱陶しいと感じるのが私やリタだ。たまたま時間が重なったり、用事があったりしない限り、共に行動なんてことはあまりしない。
ただ、一緒にいる時間が長いと、察するものってのはあるのかもしれないわね。
仕方ないから、昨日のことを彼女には話しておいた。色々端折って、だけど。
そしたらいきなり、冒頭の台詞が飛んで来たってわけ。いったい何の話よ?
「アンタに報復しようとした貴族の娘さんさ」
リタの言葉に、私は袋の口を閉じながら、ため息。リタが言う無駄の意味が分からないけど、
「彼女、今は謹慎処分だけど、退学になるらしいわね」
私一人を砂漠に転移させたくらいで、罰としては重くないかしら? いえそれとも、これは意図せずテツさまを国外へ出した罰とみるべき?
ガルド学院卒業は、貴族社会の中で、優位に立つ履歴となるわ。それが退学となれば、今度は汚点に早変わりだ。実家に戻れば、家系から抹消されるように、早々に結婚させられる可能性があるわね。手近な下位の貴族か、もしくは商人と。
うん、これは確実に―――――恨みを買った。その確信に、口の中が苦くなる。とはいえ。
私が件の女生徒の顔を見たのは、というか、意識したのは、転移する一瞬前だけで、もう記憶にすら残っていないって言うのが本当のところなのよ。
だから、なかったことにしてくれて、全然かまわないんだけど。
「いやいやいや、アンタが今何を考えたか、手に取るように分かるけど、ちょっと冷静になってみなよ」
二十近くに及ぶ魔石の入った小袋を、今度は少し大きめの袋にまとめて入れながら、リタ。
「ベルシュゼッツからいきなり西方の、砂漠のど真ん中に飛ばされて、丸一日でしかも無傷で元の場所へ帰ってきましたー、なんて人間」
真正面から私の目を見つめ、彼女は真剣に断言した。
「普通、いないから」
ここにいるけど。
…ああ、はいはい、それが常識的ではない程度の理解は、私にだってあるわよ。
ただ、私は緊急事態にも旅にも慣れてるじゃない?
「確かに、これが他の生徒だったならと思うとぞっとするわね」
でも私だったのだから、別にいいんじゃないかしら。ああでも、
「私が無傷でいられたのは、テツさまもいらっしゃったからこそ、よ」
テツさまには、感謝しきりだわ。
そこまで言っても、まだリタは微妙な表情を崩さない。…何かまだ違っていたかしら。
「そこさ。アタシが無駄って言うのは」
やっぱりわからない。私は眉をひそめた。リタは肩を竦める。
「砂漠の真ん中に転移させたくらいじゃ、屁とも思わないヤツに、その程度の報復方法しか思いつかなかったヤツが、逆に哀れだって思うのさ」
気の毒も気の毒、ああ、同情するね。
鼻で笑うリタはどちらかと言えば、私の図太さをバカにしてるみたいに見えるのだけど?
そういうつもりなら。私は無表情で手を差し出した。
「その袋、返してくれる?」
魔石をおさめた袋は、私が彼女に融通したシロモノ。
中には、さっきの小袋だけじゃなくって、もっと大量の魔石を小分けにした袋がおさまってる。中に入っているものを考えれば、相当な量と、重さがあるはずよ。こんな大きさじゃおさまらないわ。
それでも収納が可能で軽々持ち運びができるのは、これが魔道具だから。
リタは早々に白旗を上げた。
「ごめん、アタシが悪かった」
さっと地味な袋を豊かな胸に押し付けるみたいに抱きかかえ、私の目から隠そうとする。
「ところでアイゼンシュタット様と一晩一緒に過ごした感想、聞かせてくれないかい」
あからさまな話題転換。同時に、身を翻し、そそくさ研究室の扉へ向かった。
どうせすぐ逃げるんなら、突っかかってくるのは止せばいいのに。性格を知っていてもイラっと来るわね。
澄まし顔で追いかけながら、私は素っ気なく応じた。
「そうね。仲は進歩したんじゃない? 保護者と子供、くらいにはね」
「…せめて、兄と妹、にしとくんだね」
そこに何か違いがあるの?
いいけど、兄妹、ともまた違う気がする。なんというか、埋まらないのよね。距離が。
いえ、近づきたいなんて思うのも、不遜だわ。でも人間関係、うまくいかせたいなら、この程度が丁度いいって感覚もある。
あ、そうか。
だから、距離のつめ方が、そもそも私はうまくなれないのよ。
お客さんと店員の距離感なら、掴みやすいのだけど。
リタやデーニッツくんとは親しい方だけど、これは彼らのコミュ力が半端じゃないってだけ。
彼らは誰の懐にも数分もあれば突貫できちゃう人種。
私がこうである上に、テツさまも、どちらかと言えば積極的に相手との距離を詰めていける方じゃないわ。どうしても気遣いと遠慮が先立つって言うのかしら…この距離感に落ち着くのも仕方ないわよね。
実習棟の廊下に出て、並んで歩きながら、リタが苦悩するみたいに唸る。
「なんっか、もどかしいな~…婚約者だろうに。共通の話題とかないわけ」
もどかしいって、テツさまはともかく、私に何を期待してるのかしら。それにどうして、リタが私とテツさまの関係にそこまで真剣になるの。いえ真剣と言うより、これは。
私の視線は、自然と胡乱になる。
「私はあなたの娯楽提供のネタになる気はないわよ」
要するに、リタは有り余る好奇心を持て余し、暇潰しに目を光らせてるのよね。
でも残念ながら、私とテツさまじゃ…ねえ?
実習棟から寮へ帰るには、一旦、別の校舎に入る必要があった。
一旦庭に出たところで、リタは小声で非難がましく言った。
「ミアはアタシを誤解してる。心配してるだけなのにその言い草」
泣き真似まで、胡散臭い。これは、ある程度餌を与えないと鬱陶しくなるパターンね。仕方ないったら。
「心配されるようなことは、何もないわよ。ちょっと、話し合いもしたし」
二人きりになる時間が取れたのは、実際、有意義だったと思う。
「話し合いって何さ」
「これからのことを少しね」
そもそも、私はテツさまとお会いする機会がまずないでしょう?
意識的に会うようにしないと、会話がないどころか、丸一日顔を見ないって羽目になるのは自明だもの。そこのところを話し合った結果、
「来週くらいから、昼休みに、魔法について教えて頂けることになったわ」
テツさまと日中、堂々とお会いするのは―――――目立つ行為。きっと反感も買うわね。
理解しながらも、踏み切らなきゃならなかった理由は一つ。
周囲の敵意を買うより、テツさまたちとの意思疎通がズレてる現状の方が怖い気がしたからよ。普段から会っていれば、テツさまが何を考え、どう行動しようとしてるのかはある程度察しがつくようになるはず。
…希望的観測にしか過ぎないけどね!
「魔法かい?」
面食らった声をはさみ、
「アンタ使えないじゃん」
断言するリタ。みもふたもないわね。隠すことでもないから、私は素直に言った。
「私には魔力があるらしいの」
でも棒読み。リタはとうとう、首をひねる。
「…魔力に関しては、出生届出した時に役所で調べるじゃないか」
言った後で、私の出生について思い出したみたい。母が娼婦で余所者ってことは隠してないし、そのあたりを慮ったか、リタはすぐ言い直す。
「届けを出せれてない場合でも戸籍を登録した場所で確認するはずだろ?」
お説ごもっとも。とはいえ、事実として私は魔力がないって言われてきたし、実際、どうやっても魔法なんて使えなかった。魔術なんて言うに及ばず。
え? そうね、魔法と魔術は異なるものよ。そのあたりの説明はおいおいするとして。
―――――そうね、私の魔力について、もしかすると母は何か、知っていたのかもしれない。
今となっては、死人に口なし。けど、口を閉ざした母が、秘密を墓場まで持って行ったのなら、それなりの理由はあったのだと思うの。
奔放な人だったけど、鋭い直感を備えていたのも確かだから。
…あとは、そうね…。
「旦那さまは何かご存知かもしれないけど、…なら、時がくれば話してくれると思うから、それはそれで構わないわ」
大切なのは、単純に、私がそれに気づいたって言うこと。
自分自身に関して、視界が晴れてきたようで、そのくせ、謎が増えて来た感覚があるわ。だから本音を言うとね? 過剰な情報はこれ以上、いらない。
まずはひとつひとつ、かみ砕いていかないと。すでに飽和状態よ。それに。
すいっと、頬を掠めた気配がある。何の姿も見えない。けど、囁きに似た笑い声を耳に残して確かな存在を伝えて消える。
これはオアシスで感じたあの気配と同じ存在だと思うわ。…私に、真名があるって気付かせた存在と。わきゃわきゃ楽しそう。
座っていても、歩いていても。前へ後ろへ移動しながら、何が嬉しいのかひたすら笑ってる。
私が意識を向けると、響きがもっと嬉しそうに広がる。
姿は見えないのよ。本当は何もいない、気のせいなんじゃないのって思う部分もある。
現れたと思っては、消えて。気紛れ過ぎる。大体、思考も感じ取れない。
私の頭がおかしくなったんじゃないかって疑うところよね、…心当たりがないなら。
―――――…そう、あるのよね、心当たりなら。残念なことに。
笑い声をあげるものの正体を、私は知ってる。
不思議と、邪魔、とか、うるさい、とかは思わないわ。むしろ、心地いい。
理由は、きっと、その存在のあけっぴろげな好意のせいね。
実際、邪魔なんてしないし、むしろ空気を読んで存在を私に示してる気がするわ。もう、知性があるって判断していいレベル。
コレは何か? そしてなぜ、私にくっついてるのか?
…心当たりはある。いえ、心当たり、どころじゃない。
理由なら、あるのよ。
言葉にするのは勇気がいるけど、…仕方ないわね。事実は曲げられないもの。これは。
―――――精霊。
間違いないわ。
もっと正直に言ってしまうと。
私の身体を流れる血が、精霊を寄り付かせているのよ。
精霊に関わる国は、魔導大国。
つまるところ私は、魔導大国の血を引いているってわけ。…母じゃないわ。彼女は、北の出身。縁故があるとすれば、古王国ね。ゆえに。
魔導大国の血は、父のもの。
ついでだから、彼の身元を明かしておくわね。
現在、かの国で最年少の、青の位階持ちが一人、ガヴィーノ・セルラオ―――――彼こそ、私の実の父親ってわけ。
実はこの方、すごい有名人なのよね…悪い意味で。
この血筋を考えれば、私に精霊が少しくっついてるくらいは、自然…なんでしょうね。
とか、つらつら分析するのは、やっぱり、こう…どうも私の周辺が普通から遠のいている…いえ、違うわね。私が望んでいない方向に行っている気がして落ち着かないせいよ。このままでいいのかしらって悩むなんてはじめて。
どこかで誰かが、歯止めをかけてくれないものかしら。…駄目ね。他力本願なんて、ガラじゃないわ。私にできることは、どこにどう転ぼうと、冷静に起き上がって手当できるくらいの余裕は持っておくこと。そんな最低限すらできなくなるなんてことはないように、とりあえず知識をつけるのは大切よね。
魔法を教えてもらうのも、その一環。
「へえ、でも魔法を使えるなら、魔石との付き合い方も広がるんじゃないかい?」
面倒そうなことを考えるのはあっさり諦め、リタはそんなことを明るく言った。
そうなの、悪いことばかりでもないのよ。
「実際、魔石の機能は明確みたいで、謎なところが多いしね」
自然と声が弾んだ。
「魔法って言うアプローチの仕方が増えるのは、正直ありがたいし、楽しみだわ」
それに、同じ魔石を調べるにしても、私とリタじゃ、切り口が違うのよね。
リタが魔石を調べる理由は、装飾品としての性能を見るためなの。
美を最大限引き出すのはどうすればいいか。また、長時間身に着けるゆえの、能力の細かい誤差とかを彼女は調べてる。翻って、私はって言うと。
「ミアは魔石を治療に使うことを前提にしてるからね」
その通り。
「そもそも私が魔石に興味を持ったのは、小さな頃お腹を壊しがちだった私に、旦那さまが温石代わりに魔石を抱かせてくれてたのがきっかけだもの」
魔石だと調子を持ち直すのが早かった。
だから、魔石の波動と言うか機能に、興味を持ったの。高価だから簡単に治療現場には持ち出せないけど、知識はあるに越したことはない。いざって時に、何が役立つかは分からないでしょ?
「…魔石を温石代わりって、もうスケールが別世界だね…」
なぜかリタが若干引いた。
なんにしろ、会話が弾みかけたその時、私たちは教室棟に足を踏み入れた。刹那。
昇降口から廊下に上がった私たちは、自然と後ろを振り返る。
真後ろで、力いっぱい、扉を閉ざされた感覚があったから…なんだけど。
「「ん?」」
昇降口の扉は、間違いなく、開いてた。揃って、首を傾げる。気のせい、かしら。
思うなり、私は唇をへの字にしてしまう。
だって、正直なところ、こういう、『気のせい』ってレベルの感覚は、変な事態につながりやすいのだもの。
私はリタと頷き合った。自然、足早になる。さっさと寮に帰りましょう。決意した直後。
「よかった、まだ帰っていなかったのか、ヘルリッヒ」
廊下右手から飛んだ声に、嫌な予感がいっきに膨れ上がった。なにせその声は。
「…デーニッツくん…」
ガルド学院トラブルメーカー筆頭の、ヴァイス・デーニッツ。…これはまずい。
何かが起こる。
私と同じ確信を持ったか、隣のリタが、片手で顔を押さえた。
「アンタまた残ってたのかい」
声に、迷惑そうな響きが前面に出てる。委細解さず、
「鍛錬に付き合え、と同級生に鍛錬棟へ連れていかれていてな」
それより、と親指で上階を示すデーニッツくん。
「学長がヘルリッヒを呼んでいる。内密に話があるそうだ」
そんなことを大声で言っている時点で、内密じゃない。伝言を託す相手を間違えているわ。でも、託した相手が学長であるならば。
これらを含めて、意味のある人選である可能性が高い。
これはいけない。もう逃げられない。何かは分からないけど、危険はもう目の前だ。
リタと視線を見交わした、その時。
「待ちなさい、ユージーン。今ならまだ間に合いますわ」
昇降口正面にある、広い階段を、誰かが降りてくる。
神経質そうな足取りを刻む相手には、見覚えがあった。自分も含め、いっさいを『道具』として見る鳶色の目にも。
ふ、とこちらを見た彼に、デーニッツくんは気さくに挨拶した。
「オイレンブルク殿。もう帰るところか」
ユージーン・オイレンブルクさまは、足を止める。とたん、目は笑っていないのに、唇だけが笑みの弧を描いた。
彼の存在は、気づかなかったことにしてスルーするのが正解。それだけ、厄介な生徒なのよ。
なのに自分から飛び込んでいくなんて。
程があるわ、デーニッツくん。
「これはこれは…ヴァイス・デーニッツとリタ・パージェか。面白い状況のようだ」
中肉中背、一見目立たないんだけど、端正な容姿。この方も、貴族の一人。五大公家の中でも極めて厄介な一族に連なる方。
私の隣で、リタがうんざりした目をデーニッツくんに向けてる。
「お遊戯なら地元で存分にやるべき…あら」
オイレンブルクさまを追いかける格好で現れたのは、一人の女生徒。真っ先に彼女が目を向けたのは。
「…ミアさま…」
私はつい、瞬き。だって、珍しいのだもの。デーニッツくんとリタ、長身で存在感があるこの二人の合間に埋もれた私の存在を、真っ先に見つけるなんて。
そう言えばこの細身のご令嬢、先日も、道から外れた場所にいた私を一番に発見なさったわよね。そんなに気に私が食わないのかしら。
「こんにちは、ヒルデガルドさま」
でも見つかったからには、挨拶は必須。
マイヒェルベックさまの婚約者にして従妹のヒルデガルド・ノイラートさまに、私は丁寧に頭を下げた。
「こ、こんにちは、ではございませんわ!」
慌てふためく勢いで、ヒルデガルドさまは階段を駆け下りて来られる。泣き出しそうな顔で、片手を取られた。うわ。
「とんでもないことになったとお聞きしておりましたのに…もう大丈夫ですの? お体に変調などは? 先日は本当に、わたくしの友人が、失礼を致しました」
謝ってすむものではございませんけれど、と言葉を続けるその姿に、悪意は感じない。嘘もね。
じゃあなにかしら、この方、本当に私を心配してくださっていたの? どうして??
鋭利な美貌が悄然となれば、受ける印象ががらりと変わる。肉感的な唇が震えて、妙に扇情的だわ。
さすが、レオ・マイヒェルベックと同じ筋の悪魔の血を受け継がれる方。私が男だったなら、一発で落ちるわね。
どうしてそれほど気にしてくださるのか分からないまま、私は上目づかいにヒルデガルドさまを見返した。
「謝罪なんてそんな…テツさまも一緒にいてくださったので、私に問題はなにもございませんでした」
むしろ、いい息抜きになったくらいだわ。
でも、そう、私を転移させたあの方、ヒルデガルドさまの取り巻…いえ、ご友人の一人だったのね。
「本当ですの? 貴女、こんなにちいさくてかわいらしいのに…さぞかし怖かったでしょう」
ん?
私が首を傾げると同時に、リタが向こうを向いて、盛大に噴き出した。
「そう言えば、ノイラート殿は」
デーニッツくんが、あっけらかんと言う。
「小動物が好きだったな。それもこう、ふわっとか、もこっとかした」
ああ、うん、理解したわ。誤解があるってことは。
そういえば先日、マイヒェルベックさまが、奴隷について言及なさっていたけど、おそらく獣人だから、それもふわふわもこもこ好きと関係があるのかしら。
一瞬、妙に緩んだ空気が場に流れた。刹那。
―――――どさどさどさっ、…ボタッ。
外から何か、不穏な音…具体的に言えば、何かを投げ落としたような音が、聴こえた。音源は、窓の外。でも、覗き込む勇気は、ないわね。
「もう始まっているようだぞ、ヒルデ」
気付けばいつの間にか階段を降りてきてたオイレンブルクさまが、そちらを見遣り、鼻を鳴らす。
ヒルデガルドさまが私の手を放し、背後に庇って睨みつけた。
「ユージーン、いくらなんでもやり過ぎですわ」
何が? そう言えば、さっきも何か、ヒルデガルドさまはオイレンブルクさまを止めようとなさってたわよね。
「わたしを責めるのはお門違いだな」
オイレンブルクさまの顔に、はじめて感情が浮かんだ。嫌悪、が。…誰に対するものかしら。
「これはいつもの、アイツの気紛れだ」
アイツ。気紛れ。この方の、こんな憎々し気な口調には、―――――覚えがあったわ。いやになるくらい。
この方、性格はともかく、能力は至極有能。
ただし、貴族の一員。しかも、五大公家の中でも一際厄介な、あの家系に連なるお血筋。
そのせいもあってか、学校の中では『とある方』のお目付け役と言うか、従者と言うか、副官と言うか…そんな立場にいらっしゃる。
この方が、こんな言い方をなさるってことは…。
―――――ゴロゴロゴロゴロ…―――――ガンッ!
前触れもなかった。
さっきオイレンブルクさまたちが降りてきた階段を、二メートル近い屈強な巨躯が二つ、不自然な態勢で転がり落ちてくる。
私は咄嗟に、軌道を見て取り、判断。これ、私たちをきっちり避けて行く感じね。動いた方が逆に危険。同じ判断だったか、デーニッツくんもリタも動かない。ヒルデガルドさまも不動。ただ、オイレンブルクさまだけ、半身をさばいて避けた。ああ、あの位置は、当たる。
すさまじい速度だ。それが、廊下の壁に勢いのままぶつかって、停止。
その巨躯には、手足が生えてた。筋骨隆々、硬い獣毛に覆われている両腕は、あり得ない形に折れ曲がってる。転がり落ちてきたのは、―――――黒ずくめの格好の、獣人。
獣の面立ちをさらに凶暴にさせ、跳ね起きた彼らの気勢を削ぐように、―――――重力すら感じさせる、声が降った。
「退屈だ、なあ?」
退屈と言いながら、それを面白がるような声は、ただし、空虚だ。芯の部分では何も感じていないのに、上っ面だけ、感情を演じているように感じる。
はっきり言って、声だけで、不気味の一言に尽きた。
「暗殺者でもいい、暇潰しをよこせと言ったが…言葉通りにやるとは芸がないぞ、ユージーン?」
ええぇ…じゃあなに、襲われてるっぽい側が、暗殺者を寄こせって言ったの? で、言われた側はその通りにしたの? それって両方、正気は残ってるの?
オイレンブルクさまの鳶色の目が、嫌悪を通り越して、憎悪に燃える。
彼が振り向くと同時に、私も階段上の踊り場を見上げた。
そこで、ゆらり、と幽鬼みたいに立っていたのは。
「申し訳ありませんね、若君。もういい加減、ネタを考えるのもウンザリなので」
オイレンブルクさまは、吐き捨てるように言った。
手すりにもたれかかってこっちを睥睨してたのは、カイ・リヒトフォーフェンさま。
面倒そうに束ねた赤毛は、リタと似て非なるもの。暗い炎や血を連想させる。青灰色の瞳が向ける視線は、三白眼なのも相まって、刃の輝きよりなお冷たい。
ほとんど災厄の代名詞みたいな五大公家の中でも、代々意味不明さでダントツ一位を誇るリヒトフォーフェン家。彼らの祖先は、神話の時代、天使と悪魔が交配して誕生した、―――――合成獣。
彼は、その後継者…っていうだけで、どれだけ厄介な方かお分かりいただけると思う。
気が強そうなヒルデガルドさまもさすがに、この方相手には慎重にならざるを得ない。場に居合わせた全員が、彼に怯んでる。
分かっているのかいないのか、デーニッツくんのみ例外。と言っても。
本来警戒すべきは、すぐそばにいる獣人の暗殺者。まだリヒトフォーフェンさまに圧されてるみたいで動けない感じだけど、…ゴキ、ゴキ、音がするたび、腕が元の形に戻っていってる。
獣人の治癒力は何度見ても尋常じゃない。普通に動けるのはすぐよね。
じり、視界の隅っこで、デーニッツくんとリタが距離を測り始めたのが分かった。一見、逃げるための距離を取ろうとしてるみたいだけど、これは。
ヒルデガルドさまは、まだ視線をリヒトフォーフェンさまに釘付けにしてる。この方がどう動くかは分からないけど。
私は静かに深く息を吐きだす。
あえて、緊張を抜き、それでいて身をこわばらせているふりをして怖がるみたいに身を縮めた。過剰な怯えは、ある種の人目を引く。
そして、私の見た目は兎。格好の獲物のはず。
さあ来い、こっちに来い。
リタやデーニッツくんは大きいからかさばるでしょ?
状況を面白がる悠然とした態度で、
「…ああ、」
リヒトフォーフェンさまは歯を見せて嘲笑った。
「こんな場所で仕掛けたのは、新しい演出だったな」
彼が言うなり。
―――――音もなく、獣人たちが動いた。目標。私と、ヒルデガルドさま。
間髪入れず、獣人たちの間合いから外れたデーニッツくんとリタが身を翻す。それぞれ逆方向の壁目掛けて疾走。
私、内心ガッツポーズ。狙い通り。暗殺者は引っかかった。リタたちはこれで自由。
ヒルデガルドさまが振り向く。
「誰に手をあげているのかしら、この駄犬」
冷たい声が聴こえた、刹那。
デーニッツくんとリタが、同時に、壁のある部分を拳で殴りつけた。たちまちそこから、壁一帯に、光の筋が流れる。描き出された紋様は魔法陣。
校内の部外者を問答無用で排除、捕縛するために学院内に仕掛けられた罠が正確に起動。
ギャンッ!!
苦痛の声を残し、私とヒルデガルドさまに攻撃しようとした暗殺者の姿が一瞬で場から消失。直前に、ヒルデガルドさまからキツい一発も食らったみたいね。お気の毒。ただ、その時には。
私はガラスの割れる音を聞きながら、暗殺者の肩に担がれ、校舎の外にいた。
そう、暗殺者の一人は攻撃しようとしたけど、もう一人は、私を掻っ攫って外に飛び出してたのよ。
いくら部外者でも校舎の外にいたら、罠は生きない。
なにより攻撃ならまだしも攫うだけ、だったなら。守護の指輪もその力を発揮しない。ただし。
「ミアさま!」
平気です、ヒルデガルドさま。私、慣れてるんで。
ちびで軽いから、連れていきやすいのよね。
なので攫われるのは別にいいんだけど、私を攫ってどうするつもりかしら。人質になると思ってるの? リヒトフォーフェンさま相手に? …ないわー…。
校舎の中から私を見たリタとデーニッツくんが、あーぁって呆れた顔でこっちを見てた。
全然心配してないわね。
読んでくださった方ありがとうございました!




