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17.天災

レオ・マイヒェルベックさまについて、問題児という以外に、何を話したらいいのかしら。

一応、出自から簡単に説明すると。



五大公家、悪魔の血統たるマイヒェルベック家のいわゆる庶子で、あの方は現大公さまの五番目の息子にあたるわ。



認知されていない子も含めると、マイヒェルベック大公さまの子供は二十人は超えるって聞いてる。だけじゃなく、これからもっと増えるんじゃないか、とかいう噂もそこかしこで囁かれてるわね。どんだけ。



あまり深入りしたくないお家リストでは常に上位。


既にお家騒動の火種はあちこちで小さな爆発を起こしているみたい。とはいえ。

レオさまが跡取りの一番の候補っていうのは、間違いないわ。なにせ、真名持ちだもの。ただ。




(こう…女癖が悪いのはどうにかならないかしら)




いえ、癖が悪いというか、好きにさせすぎというか…。

そう、あれは今日の昼休み。


木が多い裏庭で、木の根元に座って幹にもたれかかったマイヒェルベックさまに、見覚えがあるご令嬢が上からのしかかるようにキスしてる現場に出くわしてしまうと、さすがにモノ申したくなる。


そこ、通らないと、移動先の教室にたどり着けないんですけど…。

もちろん、一瞥しただけですぐ目を逸らしたけど、それだけでも察せることってあるでしょう。マイヒェルベックさまの身体は脱力しきってて、ご令嬢の方は余裕がないというか積極的…ともなれば、熱意の差も見て取れる。


午後からの教室移動、近道しようと裏庭を通ったのが良くなかったわ。普段は使わないんだけど、今日は変に頭が重いから、早めに移動して仮眠しようと思ったのよね。

正直に言えば、頭が重いのは、昨日から。テツさまの真名を読み解いて以後。



一晩眠って、だいぶん、楽にはなったけど、こんなときは余裕をもって行動…っていう性格が災いしてるわね、今は。



そういえば、教室を出るとき、リタが裏庭は避けたほうがいいって言ってた気もする。

―――――上の空だったわ…ごめんリタ、忠告してくれたのに。


仕方ない。余裕はあるんだから、引き返して―――――踵を返した矢先。




「あら、ミアさま。妙なところにいらっしゃるのね」




裏庭へ出る渡り廊下から、誰かが声をかけてきた。

タ イ ミ ン グ 。

しかもなんだか、悪意を感じる物言いだわ。突っかかってこられた。そんな解釈で、正しいのかしら。


とりあえず、表向き平然と見返すなり、さらに状況はまずいって気づいてしまう。




渡り廊下で淑やかに佇んでいたのは、細身のご令嬢。


この方確か、マイヒェルベック大公家の遠縁にあたるお血筋で、レオさまの婚約者、だったはず。自然、目が彼女の右手にはめられた指輪を確認。間違いない。マイヒェルベック家の紋章を象った指輪だわ。


名前は―――――そう、ヒルデガルド・ノイラートさま。


でも、それが分かったからって。―――――私には何もできない状況よね。




つい難しい顔になって、私は嘆息。

取り巻き…いえ、ご友人方と一緒にいらっしゃった彼女が、私の態度に何か言う前に。


裏庭から、誰かが駆けてくる気配があった。

腹立たしさをぶつけてくるみたいな勢いに気付いて、直前で避けるなり。


すぐそばを、一人のご令嬢が駆け抜けた。闘牛もかくやの勢いだわ。


目が合う。睨みつけてきた顔には、覚えがあった。

さっき、マイヒェルベックさまにのしかかって…いえ、一緒にいた方だわ。

彼女は渡り廊下へ上がり、校舎の中へ消えていった。


素早い。唖然と見送り、すぐ我に返る。彼女が立ち去ったってことは。






「…あぁ、なんだ、―――――楽しそうな空気だな?」


あくび交じりの声が背後から聞こえた。どこか掠れた、特有の響き。






マイヒェルベックさまで間違いないわ。この方はこそこそ隠れたりしない。

いつも堂々としてる。そう、堂々と―――――苛立ってらっしゃる。


好き勝手に物事を引っ掻き回す割に、いつも、ここは窮屈だって凶暴に叫んでる気配をまとう方なのよね。


今だって。相変わらず、皮膚にぴりっとくる緊張感に、私はちょっと、振り向けない。

「オレも混ぜろよ」

言うなり。


のし、と後ろから私にのしかかってくる。…おっも。


私の身長、この方の胸までないんですけど?

これ絶対、わざとね。婚約者のご令嬢の目から、いっきに温度が抜けた。

ただし視線は、マイヒェルベックさまに向いてる。私への敵意は、主に婚約者のご令嬢と一緒にいる方たちから。まあ、当然よね。


マイヒェルベックさまを睨みつける度胸がある女生徒なんて、学院内でも数えるくらいしかいないわ。


「なあ、従妹どの」

一方、マイヒェルベックさまは悠然とした声で婚約者のご令嬢を煽る。



この方は、いつも抜身の刃みたいに刺々しい。私へのもたれかかり方も、とにかく荒っぽい。

体格の良さも相まって、一見した印象は、猛獣。

容貌は恐ろしく整っているんだけど、なにもかもが粗削りだから、正直、怖さが先立つ。


私の目の端で、きらっとひかったのは、マイヒェルベックさまの髪ね。黒と金の混ざった髪は、彼の特徴のひとつ。口調は穏やかそうでも、紫の目は、苛立ちに似た鋭さをたたえているはず。

いつも、何に対してか、怒っている雰囲気があるもの。



「楽しそうに見えますの? 感性まで腐っていらっしゃるのね」


極寒の嵐とも思える声を放ったのは、婚約者のご令嬢。

ヒルデガルドさまのきれいな顔に表情もなく、声に感情はない。全部察した態度。

でも怒りはないのよね。悲しみも、どころか、すがる気配もなかった。


関係は、冷え切っている…と言うよりも、事務的というか、与えられた役目をこなしてるって雰囲気があるわね。


切れ味鋭い捨て台詞を言い置き、踵を返すヒルデガルドさま。

「おい」

彼女に向って、退屈そうな声で、マイヒェルベックさま。




「もっとオレを楽しませることはできねえのか? …つまんねえ女」


なぜここでそんな挑発をするのか、まるで意味が分からない。




なんにしろ、ヒルデガルドさまが大人の態度で立ち去ってくださったら問題ない…のに。

…足が止まった。

私、内心、肩を落とした。たちまち飛んでくる、横目の一睨み。

冷静なようで、マイヒェルベックさまの従妹であられるヒルデガルドさまも、結局は悪魔の血が流れている。


だからって、挑発を買うのは悪魔の掟ってわけでもないでしょうに。


ヒルデガルドさまは、ゆっくりこちらに向き直った。鋭利な美貌を輝かせ、肉感的な唇で弧を描く。

「貴方はいつも楽しませて下さるわね。殺し方を一回考えるだけでも胸がすきますわ」

細身で、一見、折れそうな容姿なのに、その姿は酷く物騒に見えた。


「考えるだけで済まさず実践してるから、お前の奴隷はころころ変わるんじゃねえのか」

奴隷。自然に出された言葉に、内心顔をしかめる。

北方で人身売買は禁止されてるけど、ベルシュゼッツではそこまで厳しくないのよね。ひとまず表向きは禁止だけど、裏側ではお金さえ出せばなんでも手に入るもの。日用品から人間まで。…流通に関して、ハイネマン商会も無関係じゃない。


何も知らないより、知っていたほうがそれを操りやすいっていう理由からね。いきなり完全に禁止してしまうと、世間は逆に危険な方向に走りかねない。

とはいえ、裏側の商売に関しては、私は関わっていない。というか、旦那さまが嫌がる。


ただ、流行はやりくらいは見えるものよ。

ベルシュゼッツの貴族間では、南方の蛮族と呼ばれる獣人が奴隷として好まれる。


ヒルデガルドさまの奴隷は、きっと獣人。


にやり、笑った、と分かる声で、マイヒェルベックさま。

「賭けようぜ。今度のがどれだけ保つか」

これ、楽しいのかしら。

憎悪に似た応酬をしながら、お二人とも生き生きしてらっしゃる気がするのだけれど。

「で? さっきから人形みたいに動かねえそっちの女は―――――」

あ、これは良くない。マイヒェルベックさまの視線が、私の頭に向いたのが分かった。




「どっちに賭けるよ」




商人は、賭け事はしないわよ。確実さがなくっちゃ動かない。それに、応じる義理はないわ。

第一、賭けるのは奴隷の生死ってことでしょう? あんまりにも人でなしだわ。


ただしこのまっとうな理由が危険なのは察してる。

だって、さっきマイヒェルベックさまは仰ったわ。楽しませろって。

当然、楽しませる理由もないし、何をすればいいのか思いつかないけど、彼に対して退屈の提供は大怪我の元。


私はつい、投げやりに言った。



「ではまず、お二人が賭けてください、私に」



ヒルデガルドさまがおや、って感じに、私を見てくる。

「私が正解するか、間違うか」

同じ土俵で賭けをするより、こっちの方がましだわ。

賭けをしなきゃならないなら、どうにかして二人だけでも引き分けに持っていけないかしら。たとえば、その奴隷が出奔するとか。…難しい話だけどね。契約の問題もあるし。


まだ鈍痛の残る頭を必死で巡らせていると。

マイヒェルベックさまとヒルデガルドさま、二人の声が重なって私の耳に届いた。




「「ミア・ヘルリッヒには賭けの才能があるように見えない」」




そりゃ私にはないわよ、無理な注文ってもんだわ。


憮然となった私の頭上で、顔をしかめたお二人の視線が行き交う。

「話にならねえ」

「どっちも間違う方に賭けますものね」

挑発に熱していたヒルデガルドさまのお顔が、すっと冷めた。我に返ったみたい。とたん、何かが気にかかったみたいに、私の状況を見て、柳眉をひそめる。


「ところでレオさま…ミアさまはアイゼンシュタットさまのご婚約者ですわよ」



「だからイイんじゃねえか!」



いきなり、マイヒェルベックさまが妙に明るい声を上げた。嫌な予感…。

「面白ぇよな、シルヴィアと違ってコレは隙だらけだ」

するり、腕を肩から手首まで撫でられる。いえ、いっそ掌で舐めてる感じだわ。ぞわ。


こういう接触は、好きじゃない。

だからって、過剰な反応は、マイヒェルベックさまの場合、逆効果。喜ばせるだけ。

だいたい、いくらこの方でも、テツさまと私の関係は無視できないはず。

何よりこの方は、私がどういう存在か、聞いて知っている…のよね?

…と思ったのだけど。




「手ぇ出したらあの堅物、どんな反応すると思う?」




後ろから伸ばされた手に、いきなり顎を持ち上げられた。直後。




びたん。




私、持ち上げた手でマイヒェルベックさまの口元を覆った。その手の甲が、私の唇に接触してる。


面食らったみたいな紫の目が、間近で私を映してた。

口づけに失敗したマイヒェルベックさまの身体が、少し強張ってる。


私の反応速度にびっくりしたみたい。



身長差があってよかったわ、身を屈める分だけ、時間稼ぎができたのだもの。



私は半眼で、一言。やり返す。






「隙だらけですよ、マイヒェルベックさま?」






顔を押しやり、彼の間合いから、素早く抜け出す。

「はっ」

私が距離を取る間に、マイヒェルベックさまが息だけで笑った。


ギラギラした目が、私を映す。今捕まるのは、まずい。さらに後退。


何を考えているのか分からない猛獣みたいな相手は、幸い、追ってこなかった。

「テツの野郎、こんなちいせえのが好みなのかと思ったら、ふん、なるほどな?」

代わりに改めて、じろじろ上から下まで無遠慮に観察してくる。居心地が悪い。その目が胸元に止まったかと思えば、


「そっちはでかそうだな」


名残惜しそうに一言。ヒルデガルドさまが額をおさえ、呟く。

「品がありませんわ」

私は無言で、踵を返した。


渡り廊下に上がれば、自然と人が避けてくれる。

ヒルデガルドさまに黙礼し、次の教室へ向かう。遠回りになるけど、仕方ないわね。


背を、面白がるような、マイヒェルベックさまの声が追ってきた。




「一応、忠告しておいてやるが、テツもオレと同じ悪魔の血統だ。本質的に獣性が強い」




私は振り向かない。調子に乗らせると、何を言い出すか分かったものじゃないもの。

「オレは遊びで発散してるから、まだましなんだ、でもアイツはそれをしない。いや、できねえんだ、気の毒に、性格的に遊べない」

何が言いたいのよ。いえ、言いたいところは読めたけど、余計なお世話だわ。


とうとう、無言で振り向く。とたん、マイヒェルベックさまは笑みを深めた。

いつものからかいではない、どこか男臭い笑みで。





「一点集中型なんてなぁ? せいぜい、壊されないようにな」


―――――それがコトの顛末。





後ろめたいことなんて、何もない。

(でも、あれが今回の事態を招いたのよね)


マイヒェルベックさまは天災と諦めるしかないけれど。


多少、恨めしい気分になるのは仕方がない話だわ。












砂漠の向こう、月光の下、見えた影に私は後ろを振り向いた。


「テツさま、ひとまず、あの町に知り合いのお医者さまがいますので、今夜はそこに泊めてもらいましょう」

未だ制服姿だったテツさまは、無言で頷く。


まさか、砂漠の真ん中に飛ばされ、それほど時間も経たないうちに街にたどり着けるとは思わなかった。

ひとえにテツさまのおかげだけど、さすがに魔力の消費を考えて、しばらく前から歩きに切り替えているわ。

まあ。


無尽蔵とすら言われる五大公家の直系の魔力が、飛翔程度でどれだけ削られるものか、まったく読めないけど。


最初の質問からこっち、窮地を抜け出すのが先決とばかりにテツさまは何も仰らない。

どこまでも、静か。


落ち着いたら、きちんと話をしないと。

さっきからしきりに、マイヒェルベックさまの不吉な言葉が頭の中で繰り返されるのよね。




―――――壊されないようにな。




テツさまに限って、まさか、だけど。













ねえ、聞いてくださるかしら。



次の朝日が見られるかしらって、こんなに真剣に悩んだ夜は、はじめてだわ。







読んでくださった方ありがとうございました!

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