14.化け物の口の中
え? って、一瞬思考が止まる。私の肩に手を置いて、テツさまは立ち上がった。
「ところで、きちんと調べたのか?」
私と目を合わせたまま、テツさま。だけど、それは私にじゃない。騎士さまへの問いかけ。
「ミアのことを」
視線が、すっと私から離れる。つられて、私も騎士さまを見た。
「ガルド学院の生徒なら、平民でも相当な富裕層でしょうが」
飄然とした態度を崩さず、騎士さまは首を横に振る。
「平民で、宰相閣下や師団長の決定に逆らえる人間はいませんよ」
…あれ、この言い方。私はちょっと、苦い顔になってしまう。
私の身元をきちんと調べず、平民だから、親も文句は言えないだろう、言っても握り潰せるって『予測』で動いたってことよね。
もしかして、学院では当たり前の私の身元を、彼らは知らない?
同じ結論に至ったか、私を横目にしたテツさまは微かに頷いた。
なんだかこの状況、いろんな意味で、危険な気がする。
私の場合、親代わりは旦那さまなわけだけど…私への侮りを、そっくりそのまま、旦那さまに持っていくのは―――――化け物の口の中へ丸裸で突進していくのと同じだわ。
国の代表ともいえる方が動くのに、対象をきちんと調べないのは迂闊―――――途中で、達観。
(うちの旦那様が異常なんだわ)
「今回の件、宰相閣下も、騎士の師団長殿も、ずいぶんと焦っておいでのようだが」
テツさまの眉間に、微かにしわが寄った。
仰る通りこの状況、命令した相手の焦りが透けて見える。本物か偽物か分からないが、天魔の疑いがある以上、いち早く手元に置きたいっていう、ね。
「そのことで、平民に対する侮りが垣間見えるぞ。…不快だな」
平民への侮り。そうか。平民って時点で、軽く見たのね。結果、余計失敗を重ねる結果になってる。
いえ、相手が私でなかったなら、この行動の速さには、ただ舌を巻く。実際、優れた対応なだと思うわ。
「確かに、あなたとのつながりを調べられなかったのは、不手際ですが」
言いにくそうに、騎士さま。
「ベルシュゼッツの貴族なら、ご理解いただけるでしょう? かの存在が、どれほど重要か」
その可能性を持つ相手を、市場の中に放置しておくわけには…まぁ、いかないわよね。
「説得できると思っているか?」
俺を、と落ち着いた声で、テツさま。
「させてほしいところですね」
言いつつ、騎士さまが、腰の剣に手をかけた。悪びれず、
「邪魔をする相手がいれば、力づくでも押し切れって命令が出てるんですよ。できれば、五大公家は敵に回したくない。特に、あなたは」
騎士さまの目は、私たちに向いていたけど、彼が、意識を周囲に向けたのが理解できた。
休日の、公園だ。出店や、人の数は多い。こちらを気にしている人もちらほら。
ただ、モメ事とは誰も思ってないみたい。視線はきっと、テツさまっていう目立つ存在のせい。騎士さまも、そういう意味で悪目立ちするタイプだ。
「幸い」
飄然とした態度を崩さず、騎士さま。
「ここは、街中の公園です。派手な魔法は使えませんよ。使ったら、大惨事だ。剣での勝負なら、こちらに分がある」
これでも、テツさまを警戒、しているのよね。なにせ。
テツさまは、かつて、騎士団を圧倒した経緯があるって、聞いたことがあるわ。ただそのあたりの事情までは、誰も知らないのよね。テツさまの為人を考えれば、なぜ騎士団と腕比べするような結果になったのか、違和感があるのだけど…。
でも確かに、それって魔法込みの話よね。
「承知している」
応じるテツさまの声は、凪いだ水面みたいに静か。なのに、片手が。
剣の柄に、かかった。私は面食らう。この、態度。
これから騎士さまと相対するって意味? …そこまでしなきゃ、いけないの?
そんなにも。
―――――連れていかれた先で、私がひどい目に遭うって、テツさまは確信しているのね。
理解に、背筋が寒くなる。
「剣で」
騎士さまは、飄然と尋ねる。ただ、声に妙な凄みがにじんでた。
「騎士に勝てるとお思いで?」
「許せ、侮っているつもりはない。なにより」
不吉なくらい静かな気配をまとったテツさまが、ゆっくりと言葉を続ける。
「やるからには、勝つつもりだ。そのために…使えるものは、使う」
使えるもの。つまり、魔法? 確かに、派手な魔法でなければ有用なものもあるかもしれないけど。
魔法が不得意な私には、魔法を使うより、手で殴るほうが早いような気がしてしまう。
つまりはすぐにはどんな魔法が近接戦で有効か、思いつけないのよね。
「へえ、そりゃ」
間の抜けた口笛を吹く騎士さま。顔に浮かんだのは、底抜けに陽気な笑顔。
「…楽しみだ」
きっと、この騎士さま、悪い方じゃ、ない。ただ。立場上、退けないってことよね。
状況が、よくない方向に傾いてきている。気づけば、私、立ち上がってた。
「お待ちください」
心持ち、強い声を出す。二人の間に割って入った。テツさまの前に立って、騎士さまに向き直った。
「私、行きます」
気乗りしないまま、声だけ冷静にいうなり、後悔が心を埋める。
宰相閣下。いい噂は聞かない。簡単に、清濁併せ呑む方って印象が強い。ただ、宰相閣下が何を一番の目標に掲げて動いているかは、業績から読み取れるわ。
あの方は、芯から国のことを考えていらっしゃる。そこだけは、尊敬できる。問題は一つ。
―――――その目的のためなら、何でも踏みつぶして進める方ってところ。
そこまでしちゃう人だ、甘っちょろい子供の私程度じゃ太刀打ちできないのはわかってた。でも。
訓練場でもないのに、騎士と相対し、剣を持ったってことは。
これから剣を合わせる…テツさまは、騎士さまと殺し合いをするおつもりってことよね。
しかも、私が原因なんて、血が冷たい氷にでも変わった気分になる。
そっちのほうが、今は怖い。
目先しか見えてないって言われそうだけど、本当にこの状況、居たたまれなさ過ぎて仕方がない。
大丈夫、平気。なんとかなるわ。
真っ直ぐ見据えた先で、騎士さまが軽く目を見張った。次いで、その目が、不意にいぶかしむ態度で細められる。何かに気付いたって風に。
「お嬢さん、あんたどこかで」
でも、騎士さまの言葉を途中で遮るように、
「ミア」
背後、頭上から、声が落ちた。テツさまだ。…どうしたんだろう。声が、どこか、苦し気。
「俺が、信用ならないか」
え? 信用。そんなの。―――――答えるまでも、ないわ。
思う私の背後で、訥々と言葉が続いた。
「身体が、大きくなったところで。小さな頃と、俺は中身がひとつも変わらない、から」
しかもこれ、悪い意味で仰ってる気がするわ。
何をもって、テツさまがそう告げたのか、分からない。
振り向いて、どんな表情をしているか、確かめたい。でも、今は。
騎士さまと、対峙しているから―――――できない。
私を連れに来たって言っても、騎士さまの眼中に、私なんか塵程度にも入っていないだろうけど。
「…そうでしょうか」
私、ぽつり。
幼いころ、一晩中蹲って、なぜだかずっと泣いてたテツさまを思い出す。
私程度には、今も、昔も、テツさまが抱えた重荷を理解することはできないけど。
「テツさまが、昔のままのテツさまだったなら」
不意に、さっき、ユリアーナさまが話題に挙げた事件が脳裏に蘇った。
「二年前の騒動、もっとひどいことになっていたはずです」
…ご存知の通り、ガルド学院は、貴族と平民がごった煮状態なわけ。
学院では、魔法も学べば、剣も学ぶ。公国は、五大公という特異の血統を抱えるゆえに、外部との戦争はないけど―――――むしろ国境は、中に、天使と悪魔という異種にして強大な存在を閉じ込める結界って見方をされてる―――――内紛が多いから、大概のヒトは戦いに慣れてる。戦いのなかった土地で生まれ育ったヒトはいない。
紛争において敵味方だったものが学院で顔を合わせるって言う物騒なパターンもよくあるのよね。
ただ、他国から客人扱いで来る貴人の子息も多い。
ゆえの、学院の自治権でもある。その、一番の項目は。
外部で起こったことを内部に持ち込まないこと。内部で起こったことを外へ持ち出さないこと。
難しい話だわ。酷でもある。けど、それでも学びたいっていう環境と講師陣が、ガルド学院には用意されている。だからこそ、だれもがこぞってこの学院に通いたがる。
それでも、お題目にどんな言葉が掲げられていたって、この国ではどんな子供でも、戦い―――――実戦ってものに慣れてる。
学院では、そういう研ぎ澄まされた勘を持った子供たちがさらに、戦闘能力を磨いてるって言う見方もできる。正直、いつ人死にが出てもおかしくない場所なのよ。
その均衡が二年前、決定的に不安定になって、亀裂が走る事件が起きた。
もともと、入学当初から、学院内は貴族と平民の衝突が激しく、殺伐としてたけどそれがそのとき、一気に爆発したのね。
起こったことを単純に言えば、平民側の男子生徒が、貴族組の男子生徒の片目をナイフで潰した。剣技を教わる授業中に、よ。
ただし、結果だけで被害者と加害者を分けてしまうには、事態は根が深かったのよね。
平民側の生徒のお姉さんが、自殺したそうなんだけど、理由が、その貴族の生徒に乱暴されたからってものだったらしく。
事情の詳細までは知らないけど、結婚間近だったお姉さんは、ふしだらな娘として相当地元で悪し様に言われていたそう。乱暴があった事実は、貴族側の家族がもみ消して、なかったことにされていた。
そして、この事件を皮切りに、当事者のみならず周囲すべての不満を巻き込み、魔法と剣の入り乱れた大乱闘が、あわや起きそうになった時。
割って入ったのが、デーニッツくん。
彼は平民側のリーダー的に見なされることが多いけど、不思議と貴族にも顔が利くのよね。
ただ、どうにか制御しようとしたけど、できたのは、暴動をおさえることだけ。だけ、って言っても、十分すぎるほどすごいことよ。
ただ、すべてが手に負えなくなったのは仕方がない。
デーニッツくんのとりなしで、ぎりぎり、暴動は収まったけど、事件の当人である平民の生徒の殺意は、もう止めようがなかった。
怯え切った貴族の生徒は学院中を逃げ回り、午前中に始まり、夕方まで続いた泥沼の大騒動と混乱に終止符を打ったのが、―――――テツさま。
自業自得だろうと冷たく見守る姿勢に入り始めた周囲の空気を良しとせず、彼は言った。
―――――お前は自分の気が済むようにしたいだけか、それとも姉の名誉を守りたいのか。
テツさまの問いかけで、興奮しきって狩人と化していた平民の生徒の手から、ナイフが素直に落ちた。
この方の特有の雰囲気にあてられて、正気に返ったって言うのも、あるだろうけど。
その上で、テツさまは約束なさった。
必ず真実を明るみに出し、公の場で罰を受けさせる、と。
口先だけでなくテツさまは、実行し、なかったことにされた過去は蘇り、貴族の生徒は罰されることになった。むろん、傷害事件を起こした平民の生徒も罰を科され、結局、二人揃って学院を去ることになったのよね。
苦い事件。ただ、そういうことがあったせいか、学院は今一番安定しているのよね。
以後、平民側の代表はデーニッツくん、貴族側の代表はテツさまで学院内はおさまってる感じがするわ。
あのとき、テツさまが動いたのは正直、驚いた。
いつもすごく退屈そうで、虚無的な目をした方だったから。
そしてあの頃から。
私は、テツさまを尊敬している。
「テツさまは、お変わりに、なられました」
良い意味でか。悪い意味でか。言った、私自身にも、ちょっと判断がつかないけど。
「あれは、単なる役割だ」
悩む私とは正反対に、気負いなくサラリ、と。テツさまは、一言。
…貴族の役目ってことかしら。でもあのとき、他にも五大公家をはじめ、貴族の方がいらっしゃったけど、テツさま以外は動かなかった。
怖がってたわけじゃ、ないと思う。
きっと、面倒だと思われたのね。いえ、正確には。
子供のもめごとひとつ、…命一つ、あったところで、なくなったところで、彼らにとってはどうでもいい…いえ、同じ、なのだわ。
「…では、ミア・ヘルリッヒ」
改まった、呼びかけ。不意のことに、背中が緊張する。
力強い厳しさに満ちたテツさまの黄金の目が、私を真っ直ぐ映した。これは、振り向かなくても分かってしまう。身にかかる重圧が、半端ではないもの。
テツさまの威圧感は、正直、辛い。それに耐えるのに必死になって、言葉を考える余裕は残らないから、正直に答えるしかないもの。
「あなたの願いは何か、教えてほしい。このまま、国に飼われるのを良しとするか?」
飼われる。言われても、ピンとこないわ。
ベルシュゼッツ公国は天魔の守護を標榜しているけど、実際、天魔をどう扱っていたかについては、何の資料も公開されていないもの。
でも。
「それは、ありません」
国が、私を飼うなんてことには、ぜったいならないわ。だって、
「私は、天魔じゃないですから」
私はただの凡人。魔法だって使えない。そんなの、すぐ証明されるはず。だから、
「要するに私が普通の人間だって証明できればいいんですよね」
私が一番いやなのは、旦那様をはじめ、皆に迷惑をかけることだわ。
こんな見当違いのことで、そんなこと耐えられない。
(騎士さまたちについて行ってそれで終わるなら、いいわ)
天使、悪魔、神人、なんて言われるけど。
要するにそれは、種族の別に過ぎない。天魔もつまりは、それよね?
だったら、簡単に証明する方法だってあるはず。さっさと終わらせるに限るわ、そんなの。
すぐに戻ってこられるわ。
私の楽観に、テツさまは、短く嘆息。
「下手をすると、命を危機にさらす方法で死にたくなければ証明しろと言われるぞ」
笑い飛ばそうとして、できなかった。なにせここは、ベルシュゼッツだもの。
その通りだ。テツさまは正しい。反論の言葉を残酷なくらい正確に封じ込んでしまう。私はチュニックの裾を握りこんだ。
その拳を見て、少し離れた場所から、騎士さま。
「悪いけど、否定できませんねえ。いやぁ、してあげたいのはやまやまだけど」
他人事の態度で、言い切った。自分が忠誠を捧げた国を、フォロー、しないわけね。
連れて行こうって割には、私の警戒心を上げてくれる。
ええと、改めてまとめると。
つまり今、私が騎士さまたちに従うと、速やかに国の中枢に連れていかれて、天魔としての証明をしろと言われるのかしら。その方法は、ともすると、命の危険につながる可能性がある、とテツさまは仰ってる?
死んじゃったら、気の毒に、違ったんだな、とかいう流れで処分される感じ…?
私の中で、流れるように未来の物語が出来上がった。悲劇一直線のね。
改めて指摘されるとほんっと、ベルシュゼッツ公国って一見平和なのに、中身拷問的闇が深いって言うか。
闇深い、異形の国―――――周辺国家の評価は、正しいと頷かざるを得ないわ。
「宰相閣下は国のことしか考えていない。ミア個人に配慮などしない。天魔の証明がなされたなら話は別だが――――」
淡々と嫌な言葉を重ねていたテツさまが、不意に。
「許せ、ミア」
語調を変えた。次いで、騎士さまが驚いた様子で頭上を見上げる。
「…冗談だろ…っ」
その時には、私は真横へ掻っ攫われてた。正確には。
腰にテツさまの腕を回され、横っ飛びに跳んだ形。
光景が、前触れなく横へ流れて、めまいを起こしそうになる。でも悠長に構えてられたのも、そこまで。
直前まで立ってた石畳が、粉砕される。舞い上がった粉塵で視界が遮られた。これじゃ、正確な被害のほどはすぐに分からないわね。けど、テツさまに連れられ、繁み近くまで移動した私の足元まで亀裂が走ったんだから、…とんでもない。にしたって。
―――――非常識ね。
異常事態に、私の頭は逆に冷静になる。
周囲で、戸惑いの悲鳴と怒号が重なった。晴れた休日の公園だもの。
気候も良い季節ともなれば、人出は多い。そんな中で、魔法での強力な攻撃を実行するなんて。しかもこれ、周囲の被害なんて、考えてない。
さっき、石黒の騎士さまが驚いたのも無理はないわ。
私が、座っていたベンチまで吹っ飛んでいる様まで他人事みたいに眺めてるのは、別に余裕があるからじゃない。逆ね。だって。
「…そうか、氷月が残ったのだったな」
テツさまの囁きが、耳って言うより、むしろ身体を通して伝わる。
それも仕方ないわよね―――――今、私、膝を落としたテツさまの腕の中にいるのだものね。
お互いの身体のつくりがなんだか全然違うことはよくわかりましたから、離れません?
とは思うけど、状況が危険なのも察してるから、押しやることなんかできない。対面、膝立ち状態で、むしろくっついているほかない。テツ様に対し、無礼極まる。後で土下座ね。
この間、地下で腕にしがみついた後、落ちた先の部屋の隅っこで丸く土下座をやってのけたら、ゼンさまに指さして笑われたっけ。
困惑したテツさまが同じように返そうとしたのに参ったのは、もういい思い出にしておいたほうが精神の安定上好ましいと思うの。
「その通りです。…どうやら、失態をやらかしたようですね、アイツ」
騎士さまの声が、近い。苦々しい雰囲気ね。で、どこにいるかしら。
確かめようにも、顔がテツさまの胸に固定されて動かせない。横は向いているんだけど。
あけましておめでとうございます。読んでくださった方ありがとうございました~。