10.使徒と番人
首を巡らせれば。
―――――外套を目深に被った、複数の人影が見えた。
満ちるのは、不穏さ。外套で、顔を見せてないって時点で、後ろ暗い感が強いわよね。しかも。
彼らが身にまとった黒地の外套。そこに白く染め抜かれた紋様を見て、私は顔をしかめた。
「…使徒?」
世界には数多の宗教が存在する。中でも、ひときわ異端の教団があった。
それは、天魔を信仰する―――――天魔の使徒を自称する集団。
信仰って言ったら、聞こえはいいかもしれないわ。ただし、実態は、天魔が残した知恵と遺物を自分たちのものにして、研究を深め、切り売りしているの。
繰り返すけど、この大陸で、天魔の研究は禁忌よ。理由は一つ。卓越した知識は、危険極まるから。
それを手にするには、人間はあまりに未熟。
手に余るそれを、でも、強大さゆえに惹かれてしまう気持ちも分かるわ。
ある意味、魅了された犠牲者と言えなくもない彼らは、代々、天魔の魂をつけ狙っているって話。ゆえに。
天魔の守護を宣言しているベルシュゼッツ公国では、掃討の対象。
そのせいかしらね。ベルシュゼッツで暮らした期間が長い私も、使徒には嫌な感じを覚える。
…そんな彼らが、なんで、ベルシュゼッツの首都にいるのかしら。
ん、でも状況から考えるに、テツさま、使徒たちと対峙している最中に、私を拾いに走ってくださったわけ? …申し訳なさすぎて、穴に埋まって永住したい気分になる。
動揺しすぎて逆に表情が固まってしまった。視線だけが、おろおろ泳ぐ。
その、目に。
(…あら?)
使徒たちの背後、うずくまった人影が映った。
うそ、あんなところに、ヒト? 血の気が引いた身体が、中途半端に固まる。
途中で何か変って気づいたから。人間、に見えたけど。…違う?
違和感に、よくよく、目を凝らす。
そのひとは、両腕を、鎖でがんじがらめにされて、壁につながれてた。うつむき、深くうなだれた顔は、長い黒髪に隠され、見えない。全体的に薄汚れた印象なのは、そのひとがボロをまとっているせいだろうか。ただし、ボロ布の合間から見える手足は。
(マリオネット…?)
関節付近が明らかに球体で、骨に見えるけど、骨じゃない。なのに、なんでかしら。
ボロ布に覆われた肉体は、女性のものと分かる。
ゴーレム? 人造人間? それとも、本当にただのお人形? 彼女から、かすかな生気を感じるのが、なんだか不吉だ。
私の視線に気づいてるだろうけど、それには答えず、ゼンさまが面白そうに口を開く。
「いや、ベッカー先生のお客さんだからね、丁重にもてなしたいなと思って」
使徒が、客? 首都に招き入れたの、ベッカー先生なの?
公国への裏切り行為と取られても、文句は言えないわよ、それ。先生が、そこまでする理由が分からないわ。
ベッカー先生って使徒、じゃないわよね? 彼のイメージって、使徒とはそぐわないもの。
ゼンさまの声には、戸惑いや怒りは見えない。
楽しそうとしか感じられなかった。けど、この方が表に出す感情は、あまりあてにならないのよね。彼の真意を知るのは、さっさと諦める。
代わりに私は、テツさまの様子を伺った。
…え、私を見てる? あ、こめかみ? 傷跡でも残ってるのかしら。でもテツさまがなおしてくださったのなら、間違いはないと思うのだけど。その時。
―――――私が飛び込んできた穴から、複数の影が飛び降りてくるのが見えた。続いて、ヴィルフリートさまの声。
「無事か、ミア・ヘルリッヒ!」
私を見て叫んだ直後、
「兄上っ?」
テツさまに気付いた。弟君を一瞥されたテツさまに、動揺は…見られない。いつも通り、何も感じていらっしゃらない様子。
代わりみたいに、ゼンさまが紺碧の目を見張った。
「ヴィルくん来てたのか。さっきすごい音がしてたけど、あの子が暴れてたの?」
察しがいいですね。と言いますか、もしかして。
ヴィルフリートさまって、常からあんな感じなんですか。
答えない私から、紺碧の視線が離れる。横目にすれば、ゼンさまの瞳が、ちょっと離れた床に向いてた。なにかしら。
そこには、箒が落ちてた。内心、叫ぶ。見るな。刹那、ゼンさまの目が私を映した。
「一緒だった感じ?」
私が応じる寸前、
「兄上、こいつらは、ミア・ヘルリッヒを攻撃しました!」
一緒に飛び込み、今はヴィルフリートさまを取り囲んでいる傭兵崩れらしい男たちを、大きく腕を横に振るって示す。
びっくりしたのは、私の方だ。
あんな人数に狙われてたの、さっき? 他人事みたいに思う。よく無事だったわね、私。
でもちょっと、状況についていけなくって、表情を消す。
うん、情報を整理する時間が欲しいわ。もちろん、ヴィルフリートさまがそんな余裕をくださるわけがなく、
「よって、アイゼンシュタットの敵とみなし、こいつらに報復します」
片手をあげて、明るく宣言なさった。
刹那。
ぞわり。背中が震えた。だって。
いきなり、周囲の温度が氷点下になった心地がしたんだもの。うわ、寒っ!
思わずテツさまを見上げた。なんだか、原因はテツさまみたいな気がしたのよね。
どうしてかしら。失礼な反応だったわ。反省する間にも、悪寒が止まらない。
テツさまは、弟君を見てらっしゃる。いえ、正確には。
ヴィルフリートさまを取り囲む、見覚えがない男たちを。
表情は、しずか。いつも以上に。とても、…とても。なのに。
なぜかしら。
――――――異様に、不吉。
思うと同時に、テツさまの響きの良い声がヴィルさまに向けられた。
「生かして捕らえろ」
命令に慣れた口調。
「始末は俺に譲れ」
―――――『始末』が何か、想像が向かないように私は全力で努力。
是と応じるヴィルフリートさまのノリは相変わらず。
それが合図だったみたいに、ヴィルフリートさまを中心に、大乱闘が始まった。
だけど、彼の動きは、危なげない。見てても安心って言うか…小さい頃見た玄人の傭兵に負けず劣らずなのよね。華がある。…それは、いい、けど。
アイゼンシュタット家の教育ってどうなっているのかしら。
「…アイゼンシュタット?」
呟きは、使徒のもの。彼らは、目を見交わした。
天秤の紋様を染め抜いた外套が、動きに合わせて揺れる。
「ではそちらは、イェッツェル、か」
ゼンさまを示し、別の使徒が言った。まあ、そうよね。
国内外問わず、アイゼンシュタットとイェッツェルは組み合わせで呼ばれることが多い。その理由は、
「『まとも』な方だな」
今、使徒が言ったとおりの理由から。彼らが何と比較して言ったのかって? それは。
他の五大公家と比較した上での発言よ。
そうね。アイゼンシュタットとイェッツェルは確かに、『まとも』だわ。少なくとも言葉は通じるし、無茶はしない。道理も弁えて行動なさる。
何もかもを破壊する勢いで行動する他の三家と比べれば、格段に『マシ』よ。
でも、そこは、…ねえ。
比較する対象が、もともと一般的じゃないって前提を忘れちゃいけないわ。
「あは」
ゼンさまが、親し気に微笑んだ。
「残念だけど、『まとも』だろうと『狂って』いようと、五大公家はしょせん皆、」
私の頭上、テツさまとゼンさまの視線が交わされる。
「異形に過ぎないよ?」
私、つい、きゅっと口をへの字にしてしまう。どうしてかしら。
私が知る五大公家の方って、なんだか、ほとんど全員、こういう劣等感みたいなものをたまに口になさる。言葉のナイフで何度も自身を斬りつけて、痛みをずっと覚えていようとしてるみたいな。その痛みを。
楔に、…してるみたいな。奇妙な不安定さが、あるの。
「その異形は天魔の番人だろう」
使徒のひとりが言った。リーダーかな。堂々としてる。
テツさまとゼンさまを前に、臆した様子はない。ある意味、すごい。身の程知らずとも思うけど。
「なぜ邪魔をしようとする。我らの元には、天魔がいるのに」
私は思わず、顔を隠した彼らの姿を見渡した。
いるの? 天魔が? この時代に? …使徒たちの元で? ―――――危険すぎる。
使徒たちの言葉を、鵜呑みにもできないけど。
だってそれが本当なら、もう国を挙げて動いているはずよね? そんな話、聞かないもの。使徒は、どういうつもりでそんなことを言うのかしら。言葉で示した相手は、本当に、天魔なの? そもそも。
天魔って、判断する基準ってなんなのかしら?
テツさまとゼンさまは無反応。構わず、使徒は続ける。
「お前たちは我らの元を訪れ、あの方に膝を折るべきではないのか」
無言で、彼らを見遣るテツさまとゼンさま。
相変わらず、外見は麗しいのだけれど、…どうしてかしら。
物騒な怪物が、牙をむいて威嚇を始めた空気が、私の胃を重くする。寒さも増してくるし!
やがて、ゼンさまが穏やかに微笑んだ。
「だってさ、テツ」
「そうか」
どこか、律儀な態度で頷くテツさま。
一面で、相手の意見をくみ取ろうとしている態度なんだけど。
直後に、知ったことじゃないって一蹴しようとしてる雰囲気が、ひしひし迫ってくる。
あ、これはダメね。
すみません、皆さん怖いし、そろそろ私、一人で立てます。逃がしてください。
居心地の悪さに身動ぐ。だけど、気づいた様子もなく、テツさまは仰った。
「だが、期待に応える義理はない。―――――這いつくばれ」
たった、一言。それだけで、強力な魔法が発動。
込められた魔力の範囲内から逃れるべく、外套姿の男たちが四方へ散る。一瞬で彼らが取った距離は、見事の一言。一般的に考えられる効果範囲からは、完全に抜け出てた。ただ、問題が一つ。
テツ・アイゼンシュタットは一般の枠を突き抜けている。
目に見えた結果は、容赦なかった。
突如、体重を優に超える重しを真上から落とされた、そんな不自然な態勢で、外套姿の男たちは床に叩き伏せられてる。
聴こえた音からして、骨や内臓が潰れているかもしれない。
いっきに、苦悶の声が満ちる。離れた場所から聞こえるヴィルフリートさまの戦闘の打撃音の方が、まだ健全だわ。これはもう、一方的すぎる。
思わず、身体が強張った。刹那、骨が砕ける音が止んだ。
振るわれた、おそらくは、重力系の魔法が威力を弱めたんだろう。直後、ゼンさまが不思議そうに言う。
「なんで潰さないんだい?」
そこらに落ちている石を踏んで歩かないのが奇妙だねって言いたげ。
すぐ、何に気付いたのか、私を見た。
このきれいな目には、私もそこらの石と同じに映ってるのかしら。踏みつぶしてもいいって、…思ってるのかしら。
ゼンさまは目を細める。苦笑。
「もしかして、怖い? 表情だけじゃ、わかりにくいんだよね、ミアちゃんて」
優し気に気遣ってる風、だけど。私、少し落ち込んでしまう。
だって、足手まといとか邪魔してるとか、そういうのは嫌なのよ。どう答えるのが正解なのかしら。
悩んだ一瞬。
「素晴らしい!」
歓喜に満ちた声が上がった。え、この声って。
胡乱な目で、顔を上げれば、
「これが、大公家の力! …なんと、絶対的!!」
ベッカー先生だ。他の外套の男たちと同じように這いつくばった格好で、興奮気味。
どこにいるのかと思えば、そっちに混ざってたの?
「なぜ止めるのです? ぜひもっと、蹂躙してください! これでは使徒を招き入れた意味がないっ」
「うるさいですよ、ベッカー先生」
ゼンさまが、羽虫でも追い払うように言った。直後、握り潰されたカエルみたいな声を上げてベッカー先生が顔面を地面に埋める。
「下手なこと言うと声帯潰しちゃうな…どうしようか」
しまった、と棒読みでゼンさま。私を見て、言い訳するみたいに続ける。
「ごめんね、ミアちゃん。見苦しいもの見せて。苦しんでるのを見ると気の毒になって、思うだけで、僕は一瞬で命を奪っちゃうからね、情報を聞き出したい場合はテツに任せてるんだけど」
ゼンさまはテツさまを一瞥。
「…うぅん、テツ、アレはもう始末しちゃってもよくないかい」
やっぱりここでも、ベッカー先生への評価がひどい。テツさまは、淡々。ベッカー先生の異様な熱気も、ゼンさまの嫌悪感も、どうでもよさそうに、
「シルヴィアを置いて来た意味を考えろ。アレを殺さないためだろう」
そうなの、だから、シルヴィアさまがいらっしゃらないのね。
確かに、あの方を今のベッカー先生の目にさらすのは、ちょっと我慢できない。
でも、ちょっと待って。
「…ベッカー先生って…」
使徒を招き入れたのよね? その割に、さっきの言葉。ゼンさまが朗らかに告げた。
「あれはね、大公家の力に魅せられた奴隷かな。いるんだよね、たまにああいう…」
変態が。
濁して消えた言葉が聴こえた気になる。
―――――出会った時からろくでもないやつって、言ったのは、ヴィルフリートさまだったわね。
ろくでもないって、ああ、こういう意味なの…。
「でも首都に、使徒をわざと招き入れるって」
つまりは、大公家の力を見たいがゆえに、使徒を誘い込んだってことよね。
やりすぎ。私欲もいいところ。笑えない行動だ。公の場で裁かれたって、文句は言えない。ゼンさまの反応は、と言えば、ある意味、寛容だった。
「いや、その程度はいい刺激だよ。情報も掴めるしね? ただ」
鎖につながれたまま、ピクリとも動かない人形みたいな、生きてるみたいな相手を、ゼンさまは一瞥。
「あれはいただけないな…もともと学院の地下にいた可能性があるけど。どうなんです、ベッカー先生―――――いや、ベッカー」
ゼンさまの声から、やさしい穏やかさが消える。絶対者のそれになった。
たちまち、はい、はい、嬉しそうに声を上げるベッカー先生。先生やってる時の知的な雰囲気が、今は皆無。
「いやぁ、地下の片づけと整頓をしていましたらね、奥から出てきたんですよ。これ」
動けないまま、意識を鎖につながれた相手に向けて、ベッカー先生。
「誰が行ったのかは知りませんが、使徒たちにとってはいい餌だと狂喜した次第で」
「愚か者」
ゼンさまがばっさり。
「真っ先に、騎士団へ連絡を入れるべきだ」
あの、壁に繋がれた人形みたいな存在って、そんなに危険なの? 私はそちらを、改めて見つめる。
でもベッカー先生、地下の片づけと整頓って…ある意味、お宝の山の地下から何も持ち出さず整理整頓してたってことよね? さっき私が潜んでた小部屋といい…変態じゃなければ、まっとうなのに。
地下の主って噂は、その行動からきてるのかしら。
「今回ばかりは、罰を受けろ、ベッカー」
投げ捨てるようでいて、テツさまの命令は容赦ない。
対するベッカー先生から、恍惚とした気配を感じる。引いた。
直後。
テツさまとゼンさまが、厳しい顔で振り向いた。え、ヴィルフリートさまの方で何かあったの? ―――――思うなり。
ふわり、身体が浮いた感覚があった。目を見開く。遅れて、
「兄上、そちらに…!」
ヴィルフリートさまの声。
すぐ、私は状況を把握。私は胴体を誰かに担がれて、攫われた。みぞおち付近に相手の肩が刺さって、一瞬、ぐえってなる。
こういう状況、私はよく経験してきた。
旦那様に連れられて各地を渡り歩いてた時期、金持ちの娘と見られて、誘拐された回数は両手でも足りないもの。似た状況、似た相手、で何度も繰り返したならバカだけど、世界は広いわ。
いろんな状況があって、いろんな相手がいた。
真っ先に私をさらう理由は、人質にして、相手を動けなくさせるため。
「放しなさい!」
つい、私は拳を振り上げた。暴れに暴れたら、ちょっと不自然な態勢だ、相手が私を取り落としてくれるかもしれない。人質になるわけにはいかなかった。
そのせいで旦那様も、よく危険な目に―――――――思いさした、刹那。
「…奪ったな?」
テツさまが、呟く。淡々と。
十分な距離を稼いだって思ったのか、私を担いでた相手が振り返った。おかげでバランスを崩しかけた私は、拳を下ろし損ねる。
私を攫った相手が、不敵に何かを言いさした。
「この女が惜しいなら、」
その言葉に重ねて、テツさまの声。
「返してもらう」
次いで、ゆらり、大気がひしゃげたような衝撃が鼻先で弾けた。恫喝の声が止まる。
バカね、頭の回転と行動の素早い人間を相手取るなら、それより早く動かないと、脅し文句すら聞いてもらえないのは当然よ?
そういう人間は、問題が大きくなる前に潰すんだから。
続いて不快そうに、テツさま。
「縮め」
―――――ギュルッ!
鋼鉄の綱が、高速で巻き取られたみたいな音がするなり。
私は、落ちた。床に。慌てて受け身だけ取る。何が起こったのか、すぐには理解できない。
分かることと言えば、―――――私を拘束してた相手が、いきなり消えたってことくらい。
攫われた経験は多いけど、こんなのははじめてだ。
とにかく、ぱっと起き上がる。真っ先に、テツさまの無事を確認。
―――――良かった。無事。
すとん、その場で腰を落とした。
とたん、私の指先に、何かが当たる。見下ろせば、赤黒い―――――ビー玉? があった。
さっきもあったのかしら、これ。どこかで見た気がするけど…。
「触らないほうがいいよ、ミアちゃん」
ゼンさまの制止に、嫌な予感がした。つまみ上げようとした手を止める。
「それ、人体が凝縮したものだから。小さくなっても、質量は変わらないんだ、重いよ」
え。なんですか、それ。人体? これがつまり、さっき、私をさらった相手ってこと?
背中に冷や汗が浮いた。
「そこまで小さく折りたたまれたらさ、痛いだろうね。えぐい魔法選んだね、テツ」
テツさまは無言。私は心なし、そのビー玉から距離を取る。
とたん。すぐ、耳元で。…呼吸音。
読んでくださってありがとうございました~。
あ、誤字脱字報告ありがとうございます、助かります。