リタを落としまーす!
真っ白な雲から太陽が見え隠れするよく晴れた日。リタがクローゼットに服を仕舞いに行っている間に、さっきまでソファでうとうとしていたはずのフィルがいなくなった。一瞬どきりとしたリタだったが、すぐに窓の外から物音してそこにいるフィルに気がついた。
「……ねぇ、何してるの?」
窓を開け、そう声をかける。外の倉庫に半身を突っ込んでいたフィルはその声に気付き、頰をこすって窓に近寄った。
「ねー、地面掘るやつってないー?」
「えっと、あったかな?」
手招きをするフィルに、少し待って、と言い残してリタは窓を閉じる。窓の向こうでは早く早くと急かすフィルが、何やら楽しそうに飛び跳ねている。リタは苦笑いで家を出ると、倉庫を見て眉間にしわを寄せているフィルの頭を撫でた。
「急にいなくなるからびっくりした」
「あー、もしかして泣いたー?」
わしゃわしゃと髪を乱されたフィルはそう言って笑う。首だけ振り返って後ろに立つリタを見ると、そのままその額にペチンと手のひらをぶつけられた。
「泣かないから」
「えー、泣いてよー!」
「だってすぐ見つけたし」
そう言いながら、リタは倉庫の中に一歩踏み入れる。埃っぽいその中は、この間整理したはずなのにまたごちゃごちゃに散らかっている。いらないものを無計画に詰め込む癖のあるリタは、小さく咳をして倉庫を中を漁りはじめた。そんな彼女の背後で、フィルは引き続き訴える。
「じゃーもっと見つかりにくいところに隠れるー!」
「そんなとこある?」
「……あるー、と思うー」
自信なさげにそう答えたフィルは、そのままリタの隣に立った。倉庫を覗き込み、それからバレないように横目で彼女を見る。リタはそんなフィルのことは気にもとめず、あっちもない、こっちにもない、と倉庫の中で目を光らせていた。
「ねー」
「ん?」
何に使うかも謎なフィルの探し物に集中し始めたリタは、彼女の言葉に適当に返事をする。その言葉を聞いたフィルは、にやりと笑ってリタの後ろに立った。それからそろりそろりと、できる限り足音を立てないように後ろ向きに歩く。抜き足差し足、リタが見えなくなったら走ってどこかに隠れてやろう。そんな思惑はうまくいかなかった。
「見つけ——」
「ぉわっ」
後ろ歩きのせいでそこにある木の根に気付かなかったフィルは、そう声を上げて尻餅をつく。慌てて口を覆うも、すでに遅い。ちょうど振り返っていたリタの丸い目がフィルを捉え、彼女は誤魔化し笑いをすることしかできなかった。
「えっと、大丈夫?」
「んー、ちょっとつまずいちゃったー」
「気をつけてね」
パタパタとお尻についた砂を払い、フィルは立ち上がる。近寄って手を差し出すリタに、彼女は照れ笑いで引き上げられた。そのまま、転んだ恥ずかしさを隠すようにリタに抱きつく。
「痛かったー」
「うん、気をつけてね」
そう言って頭を撫でながら、地面に放り投げていたシャベルを拾い上げた。長い間使われていなかったせいで錆びついたそれは、埃をかぶっているのも相まってやけに汚い。リタがフィルに見えるようにそれを振ると、彼女は抱きついていた腕をほどいて目を輝かせた。
「おー、あったー!」
「こんなの何に使うの?」
シャベルを使ってすることなんて、地面を掘ることくらいしかない。しかし、フィルがそんなことをするとは思えなかった。リタの問いに、シャベルに足をかけて掘るフリをしていたフィルはニッと笑う。
「リタを落としまーす!」
そう言ったフィルは嬉々として胸を張った。あまりに堂々としているのでリタは思わず頷いて、それから首をかしげる。
「落とす?」
こくん、と頷いたフィルはシャベルを引きずり、歩き始めた。シャベルの先が地面に触れて線が引かれていく。リタは倉庫の扉を閉めると、慌ててそのあとを追った。
「あの、落とすって何するの?」
「まー見ててよー」
「う、うん、いいけど……」
不安げなリタをよそに、フィルは腕まくりをする。それからシャベルを握ると、地面に突き立てた。
「……かたいねー?」
地面に少しだけ刺さったシャベルの先に、フィルは悔しそうにそう言う。それもそうだ、彼女が掘ろうとしたそこは玄関の真ん前。そんなに柔らかい砂地では困る。困ったようにシャベルを持ち上げたフィルに、リタは苦笑いを浮かべた。
「落とし穴が作りたかったの?」
「そー」
フィルがどれだけ深い穴を掘るつもりだったのかはわからない。彼女のことだ、きっとつまずく程度堀ったところで飽きるだろう。それに、掘るところを見せられて落ちるほどリタも馬鹿ではない。何から何までよくわからないフィルの行動に、リタは大きくため息をついた。
「落ちたら怪我するでしょ」
どうして突然そんなことを思いついたのか、とかツッコミたいことを飲み込んで、リタはそう言う。それからフィルの手からシャベルを取り上げた。
「……ごめんなさーい」
「いや、落ちてないからいいんだけどね」
しょんぼりしたフィルの頰をつまみ、そう言って笑う。倉庫の中を触ったせいで汚くなっていた指先が、フィルの白い頰を汚した。やっちゃった、とリタが服の袖で頰を拭おうとした時、その腕をフィルが掴む。
「リタに怪我させたかったわけじゃないんだよー?」
「わかってるよ」
「ちょっと驚かせたかっただけなのー」
そう言ったフィルは少しだけ俯いた。その表情があまりに悲しそうなので、リタは頭を撫でようとする。しかし、汚れた手で撫でるのははばかられ、伸ばした手を引っ込めた。それに気付いたフィルがリタを見る。何か言いたげにジッと見つめられ、リタは首を傾げた。
「ん、どうしたの?」
「……わたしが悪いことしよーとしたからー?」
ズズッと鼻をすすったフィルの眉が下がる。より一層悲しげな表情になった彼女に、リタの頭にたくさんのクエスチョンマークが浮かんだ。そんなリタに、フィルが続ける。
「……もー撫でてくれないー?」
「あ、これはそうじゃなくて」
慌ててそう返したリタは、手のひらをフィルに向けた。
「ほら、汚れてるからね」
リタの汚れた手を見たフィルの顔がパッと明るくなって、それから赤くなる。急いで頰を隠したフィルに、リタはにっこりと笑った。
「手洗いたいから帰ろう」
「……んー」
玄関にシャベルを立てかけ、二人は家に戻った。




