きょーは帰るのー
「ごちそうさまでした」
店の扉を開けてくれた女将は手を振ると、すぐに店内へと戻って行く。扉についた鈴がチリンと鳴って、店内の暖かさから二人は締め出された。
「さっきより寒い気がするー」
「お店の中が暖かかったからね」
「うー、早く帰ろー」
フィルはブルッと体を震わせると、リタが両手に持っていた荷物を片方受け取る。それから空いたほうの手を掴む。リタの手はほんのり温かく、フィルは繋ぐ手にギュッと力を込めた。
「駄目だよ、手袋買うんでしょ?」
「えー、今度でいーでしょー」
「すぐ寒くなるかもしれないよ?」
リタはそう言ったが、そんなはずがないことはわかっていた。今日は朝降った雨のせいで気温がぐっと下がっているだけで、明日からはまた少し気温が上がる。それでも、フィルの気持ちが変わる前に買っておきたかったのだ。しかし、フィルは頷かない。
「きょーは帰るのー」
「えぇ、どうして……」
「どーしても!」
リタとフィルの背後で扉が開き、別の客が出てきた。わーわー、と言い合っている二人を見て、その客は微笑ましくなって小さく笑う。それに恥ずかしくなった二人は、手を繋いだまま少し俯いて店前を離れた。
「このまま行こうよ。そんなに離れてないよ?」
「知ってるけどー」
そう答えたフィルは、繋いだ手に力を入れてリタの手をムニムニとする。リタの指先はすでに冷たくなり始めており、フィルの手の甲にはその冷たさが伝わってきていた。フィルは一旦手を離すと、リタの指先だけを掴んだ。
「リタの手もー冷たいし、きょーは帰ろー?」
指先から付け根に向かって揉み、血行を良くする。くすぐったそうに笑ったリタを見て、フィルはもう一度それを行った。耐えきれなくなったリタが手をつなぐと、フィルはブンブンと腕を振って嬉しそうに笑う。
「わかった、じゃあまた今度来よう」
「そーしよー!」
「そうと決まったら……早く帰ろう?」
そう言うと、リタは肩をすくめた。一度温まった体は、冷たい空気にさらされるとすぐに冷めてしまう。リタはくしゃみをすると、ズズッと鼻をすすって笑った。
「か、風邪引く前に帰ろー!」
「そんなに急がなくても大丈夫だよ」
フィルがぐいぐいと手を引くので、リタは慌てて追いかける。リタの言葉にフィルは少し歩を緩めるも、なおも少し早足だ。指先が冷えるくらいはいつものことなのに、と思いながらも、心配してくれるフィルの隣を同じく早足で歩いた。
しかし、その元気も長くは続かない。森の中に入ったフィルは、ハァと息をついて足を止めた。右手の荷物を持ち直すと、リタを見てへにゃっと情けない顔で笑う。
「ちょっと疲れちゃったー」
「うん、私も。だからもうちょっとゆっくり歩こう?」
「んー」
こくん、と頷いたフィルはさっきよりもずいぶんスピードを落として歩き始めた。速さの代わりに、ブンブンと腕を振る。
「帰ったらクッキー食べよっかなー」
「さっきシチュー食べたばっかりでしょ」
「えー、でもクッキーは甘いしー」
意味のわからないフィルの答えに、リタは笑った。フィルの振る腕に加勢し、その勢いを増す。ブンッと目線近くまで繋いだ手をあげ、それから二人の間に落とす。しばらくのあいだ何度か無言でそれを繰り返し、リタがポツリと呟いた。
「……これ、疲れない?」
「そー? 楽しーよー?」
「うん、フィルが楽しいならいいや」
リタが諦めたようにそう返したのを聞いて、フィルは再び始める。ブンブンと振られると、風に触れて徐々に指先が冷たくなった。しかし楽しそうにしているフィルは気付いていないようだ。リタはそっと指先をフィルの手の甲から離し、フィルの腕を振る勢いに身を任せた。
「……疲れたねー」
フィルがボソッとそう呟いたのは、森の出口が目の前に見えてきた時だった。楽しげに振っていた腕ピタリと止め、同時に足も止める。
「明日、腕痛くなるよ」
「えー、やだー。先に言ってよー」
「さっき言ったじゃん」
クスクス笑うリタに、フィルは唇を尖らせて手を繋ぎ直した。リタがわざと離していた指先に手の甲が触れ、驚いたフィルは勢いよくリタの顔を見る。
「なんでリタの手は冷たいんだろーねー」
「さあ、なんでだろうねぇ」
「これ持ってー」
フィルは持っていた荷物をリタに手渡した。もともと自分で持つつもりだったリタは特に疑問を持つことなく受け取り、両手に荷物を持つ。しかし、フィルは首を横に振った。
「片手で持ってー」
「う、うん」
言われた通りに荷物を片手に移すと、フィルは満足そうに頷いて手を差し出す。リタは差し出されたその手のひらの上に、自分の手を乗せた。すると、そのリタの手の上にフィルはもう一方の手を乗せる。フィルの手にリタの手がサンドされている形だ。
「何してるの?」
「あったまらないかなー、と思ってー」
フィルはそう言うと、リタの手を揉む。それから指先を手のひらで包み、口元に近付けてハァと息を吹きかけた。
「ちょ、何してるの!」
「さっきリタもこーしてたよねー?」
何がいけないの、とフィルはリタの顔を見て首を傾げる。しかし、リタは掴まれていた手を引いて荷物を両手に持った。そのまま慌てて歩き出す。歩幅が大きく早足なので、フィルは不思議そうな顔でその少し後ろを駆け足でついて行った。
「ねー、なんでダメなのー」
「あれは、自分の手にやって」
「わかんないー」
ペタペタとついて歩くフィルは、なんでなんで、とリタの周りをうろちょろして繰り返し聞く。リタはプイッとフィルに顔を背けるも、あまりにしつこいのでため息をついた。そのため息に、フィルはしゅんとしてリタの隣に立った。
「あのね……」
そう言うとリタは立ち止まる。落ち込んでいるフィルは一歩先に行ってしまい、立ち止まったリタを振り返った。
「さ、さっきの、私にはいいけどクレアさんとかにしないでね」
リタはそれだけ言って、再び歩き出した。言われた内容を頭の中で理解しているフィルは、固まっている。リタが離れてから、ハッとして追いかけた。タタタと走って、リタの腕に抱きつく。
「わかったー! リタにしかしないー!」
「危ないってば」
「ん、荷物もつー!」
「いや、もう目の前だから大丈夫」
リタに断られたフィルはギュッと腕に抱きついたかと思うと、すぐに離れた。それから、一人で走り出す。
「早く家に着いたほーが勝ちねー!」
「え、ちょっ」
「よーい、どーんっ!」
振り返ってそう言ったのは、もうほとんど家の前で、両手に荷物のリタに勝ち目はなかった。それでも、リタはとりあえずフィルの背中を追う。フィルは後ろ歩きでリタを応援しながら、家の扉にタッチした。




