フィルはねー、フィルなのー
——はー、早くここから出たいな。
退屈になってきたF-11は、腕を組んでプカプカと浮かぶ。その内にも次々と情報が流れ込んでくる。徐々に重要度が低くなっていき、彼女には必要のないものに感じられた。
M-1からM-204、F-1からF-10までいた。
——あー、そうですか。
作った博士の名前は、ダルグス・ディー。
——へぇ、知らなかった。
そして最後に、念を押すようにダルグスの声が頭に響く。
『君はF-11、生物兵器だ。それ以上でもそれ以下でもない。魔族とも、もちろん人間とも違う。この広い世界で、魔族たちが堂々と暮らせる未来は、君が作るんだ』
その言葉に、F-11はコクリと頷いた。と同時に彼女の目にゆらりと動く人影が見えた。その人影はゆっくりとこちらに近づいてくる。
——よし、やっと来た。
これから自分が成し遂げる未来への懸け橋への期待で、顔がニヤつく。F-11は組んでいた腕をほどき、いつでも出られる体勢を整えた。この卵からの出かたは、大量の情報の中に含まれていた。
——ダルグスがこれに触れさえすればいい。さあ、早く。
彼が卵に近づいてくる。しかし、内側にいる彼女にもわかるほど、その足取りは頼りない。今にも倒れそうなほどフラフラとしている。
そして突然、そこにあったはずの彼の人影がゆらりと揺れた。それから、前向きに倒れる。外では大きな音がしたのだが、卵の中の彼女には一切聞こえなかった。一瞬驚いた彼女だったが、プッと吹き出す。
——ここはかっこよく決めるところだろう? 転んでどうするんだ。
幸先が最悪だな、と倒れた彼に心の中で嫌味ったらしくそう言った。彼女は卵の底にお尻をつけ、外側をジッと見る。すりガラス越しでも、倒れた彼の指先はあと少しで卵に触れそうに見えた。
——まあ、転んだ時に触らなくてよかったかな。
嫌味を続けて、ニシシと笑う。しばらく機嫌よく笑っていたが、彼が動かないことにムッとした。コンコンと叩いて、外に意思を知らせる。それでも、彼はピクリとも動かない。
不安になったF-11がガンガンと卵を内側から叩いてみても、何の反応もない。そういえば今日はいつも以上に体調が悪そうだった。
——どうしよう、どうしよう。
ぼんやりとしか見えない景色では、状況もよくわからない。さっきまで燃えていた闘志も薄まり、急に水の冷たさを感じ始めた。
——ああ、わたしは一生このままなのかな。なんだかねむたい……。
もうだめだ、と欲求のままに目を閉じようとしたその時、遠くで動く何かが目に入った。その動きがゆっくりとこっちに近付いてくると共に、人だとわかる。頭が赤く、足取りは恐る恐るといった感じだ。
——ここから出して! やらなくちゃいけないことがあるの!
ガンガン、と再び叩いてみる。すると、その人影は駆け寄って来た。卵には触らず、覗き込むように顔を近づける。
——助けて! リタ!
F-11はそう思って、ハッとした。何かがおかしい、と考えているうちに外の人影が卵に触れる。ピカッと激しく青い光を放ったので、F-11は目をつぶった。そして思う。
——これは、夢だ。わたしはイチであり、F-11でもある。だけど今は……
◇
「ル……ィル……起きて!」
「ひっ」
ガバッと飛び起きたフィルは、寝起きとは思えない機敏さで部屋中を見回す。グルリと一周確認した後、夜中に目覚めた時と同じように全身をペタペタと触り始める。夜中は着ていたはずの服は半分脱げているが、気にすることなく全身をくまなく触る。最後に右腕を見てホッとした表情をした後、リタの目を不安そうに見つめた。
「大丈夫?」
リタがベッドに腰掛けてそう尋ねるも、フィルは無言で見つめ続ける。何かを考えているのか、はたまた何も考えていないのか、理解はできないもののリタはフィルの視線をしばらく受け止めた。
五分ほどたったころ、さすがに痺れを切らしたリタは口を開く。この五分間、フィルもリタもピクリとも動かずジッとしていたのだ。きっかけを作ろうとコホン、と咳ばらいをしたリタは続ける。
「フィル……?」
恐る恐るそう呼びかけた。すると、フィルはパッと表情を明るくし、それから、ツーっと涙が頬を伝った。笑顔のまま流れるその涙に、フィルは戸惑ったように目を拭う。
「フィルなのー……」
「どうしたの? フィルだよ?」
「そーなのー、フィルなのー」
ぐずぐずと鼻をすすり、フィルはそう言った。ポロポロと涙を流して、自分はフィルだと主張し続ける彼女に、状況がわからないリタはとりあえず頭を撫でる。
「フィルはねー、フィルなのー」
「うん、そうだよ」
「でもねー、フィルじゃなかったのー」
首を横に振るフィルに、リタは苦笑いをした。
「嫌な夢見たの?」
「あのね、わたしがねー……」
そこまで言ってからフィルは首を傾げる。何の夢だっただろう。あの、あの、と何か言いたそうにはするものの、続きが出てこない。そんなフィルを見たリタは、うんうんと頷いて頭を撫でた。
「夢って起きたら忘れちゃうよね」
「夢だけどねー、夢じゃなかったのー」
詳しい内容はぼんやりとして思い出せないが、実際に体験したことが含まれていたことはわかった。フィルは目をつぶって、フーと息を吐く。思い出したいのに思い出せない。もどかしい思いで強く握ったフィルの手に、リタは自分の手をかぶせる。
「嫌な夢なら思い出さなくていいよ」
リタがニッと笑ってそう言うので、フィルもつられて笑った。




