6話 桜子ですけど、私の中の会津人の血が騒ぐのです
大日本帝国臣民の諸君ごきげんよう。
私こと藤宮桜子内親王が陛下の名代として、臣民の皆様にご挨拶を申し上げます。
帝国の興隆は、諸君等の双肩に掛かっているのであります。
田で畑で森で海で川で鉱山で工場で会社で工事現場で病院で商店で、そして軍隊で。その他、全ての職場を含め、日々汗水垂らして働く諸君等、臣民一人一人の帝国に対する義務の履行と貢献に、私こと藤宮は感謝の念を禁じ得ません。
『きょうもいちにち、おしごとおつかれさまでした。あしたもがんばってください!』
『藤宮桜子内親王からのメッセージをお伝えしました。時刻はまもなく午後七時になります。こちらはJ-AK、日本放送協会東京第一放送です』
死にたい……
うん。順調にピエロの役を演じている桜子です。
国威発揚には、人身御供が必要ということですね……
あ、ちなみに、お父様は津軽に単身赴任中であります。
9月の途中までは、お母様と私も弘前に行ってたのですけど、冬の津軽は寒そうですので、冬が来る前に東京に逃げ帰ってきました!
津軽は見渡す限り辺り一面が、りんごの果樹園だと思っていたのですけど、そんなことありませんでした。
果樹園はチラホラとあるにはあるのですがね。もっと拡大したのは戦後だったみたいですね。
あと、ズーズー弁は、なにを喋っているのか殆ど聞き取れませんでした!
方言、恐るべし……
それで、史実では、8月に発生したはずの相沢事件でしたが、この世界線での永田鉄山の暗殺は、どうやら防げたみたいですね。
まだ、完全には油断できないのが、この時代の怖いところではありますが、とりあえずは一安心といったところでしょうか?
それに、鉄っあん生存ルートだと、二・二六事件が起こるのか? これが完全に不透明になってしまいました。
この時代においては、それだけ永田鉄山という人物に影響力があったということなのでしょう。
なんといいますか、hoiのバニラじゃなくて、まるで1935年スタートのMODをプレイしている気分だよ。
ちなみに、相沢中佐は台湾に左遷されました。まあ、もともと台湾に赴任する予定だったみたいですがね。その赴任した直後に、事故に遭ってお亡くなりになりました。
外地では、何が起きるか分からないのが怖いですよね……
話がそれた。
それで、今日はといいますと、東京府下の市井にお邪魔しております。
なにをしているのかって?
まあ、ぶっちゃけ散歩みたいなモノですかね?
たまには、羽を伸ばさないとストレスでおかしくなりそうですし、戦前の東京の街並みも趣があって中々良い気分転換になるのですよ。
お付きの侍女と護衛も一緒なので、完全な自由とはいかないのが難点ではありますが。
こればかりは転生先が転生先なので、もう諦めました。
「藤宮様、待ってください」
「臣民の生活を見て回るのも皇族の務めだよ」
「そんなこと言って、藤宮様は駄菓子屋に行きたいだけですよね?」
なぜ分かった?
「庶民の食生活を見て回るのも……」
「はいはい。また妃殿下に怒られても知りませんよ」
だがしかし! 駄菓子が私を誘惑するのです!
つまり、アイアム無罪。
これにて、Q.E.D。
「お母様には、くるみゆべしでも買って帰ったら、すぐに機嫌が直るはずだよ」
「その、くるみゆべしとやらは、何処で売っているのですか?」
「えーと、銀座とか日本橋の和菓子屋?」
「妃殿下は会津のくるみゆべしをご所望だと思いますよ?」
まあ、お母様は会津が所縁ですし、それもさもありなんでしょうか?
でも、お母様の生まれは会津じゃなくて、イギリスなんだけどね!
会津訛りよりも、キングスイングリッシュバリバリの帰国子女でんがな。
「長州屋で売ってないかな?」
長州討つべし! 慈悲はない!
でも、実際には、戊辰戦争で会津は負けて長州を討てないから、和菓子にして食って憂さを晴らすために、長州屋って名前にしたのかな?
詳しくは知らん。けど、あながち的外れでもない気がしますね。
『極寒の下北の地に追いやられた、この恨みはらさでおくべきか!』
こんな感じですかね? 会津人の粘着性怖いです……
まあ、スケープゴートのようにされて、幕府にも見捨てられたのだから、会津には同情の余地が多分にあるとは思いますが。
全部、薩長の芋と一橋慶喜が悪いんや!
「長州屋は羊羹や葛餅のはずでしたが?」
なぬっ!?
会津では長州屋のくるみゆべしが有名なはずなのに、日本橋の長州屋では売ってないですと?
同じ名前だし、同じ系列じゃなかったの?
抜かった……
「……酢昆布が私を待っている~♪」
もっとも、長州屋とか長門屋とかなんて、探せば日本全国に腐るほど在りそうな屋号だけどね。
「あ、逃げた。藤宮様、待ってください!」
あ、くるみゆべしは備後屋にありましたので、ちゃんと買って帰りました!