2話 秩父宮ですが、最近娘の様子がおかしいです
私の娘が病から回復したと思ったら、どこかおかしい。
未来予知とか超能力とか前世の記憶やら、狐憑きの類いなのかも知れん……
ああっ! 私の可愛い桜子さんが……
どうしてこうなった?
1935年7月 東京 三宅坂 陸軍省
「軍務局長、お久しぶりです」
「これは殿下、むさ苦しい所へようこそ。来月からは弘前の第31連隊で大隊長でしたかな?」
「はい。第3大隊です」
「殿下は陸大でも優秀な成績を修められた。このまま行けば、将来は元帥宮殿下の後を継げるでしょう」
「私などまだまだ少佐風情ですので、日々精進、研鑽の毎日であります」
「己を高める鍛錬は必要ですな。それで本日は如何なる用向きで? 小官と殿下でプライベートな話という訳でもありますまい」
「はい。私は閣下と敵対している皇道派と呼ばれている連中と仲が良いですから、突然訪ねてきた私を閣下が警戒して構えるのは理解致します」
「小官が殿下に助言出来るとすれば、過激な思想を持つ輩とは距離を置いたほうが殿下の名声に傷が付かないと申し上げることでしょうか? もっとも、この場に於いては蛇足なのかも知れませんが」
「いえ、閣下のご助言痛み入ります」
「ふむ。続けて下さい」
「その、言い難いのですが……」
「不都合な話ですか?」
「いえ、不都合というよりも、突拍子もないといいますか些か荒唐無稽な話なものですから、どう切り出したら良いのかと」
「ふむ? 荒唐無稽ですか…… それでも構いませんよ」
「では、お言葉に甘えまして」
「拝聴しましょう」
「実は私の娘が、永田鉄山を失えば帝国の未来が危ういと申しまして」
「藤宮様が?」
「はい」
「藤宮様が小官の事をご存知とは意外ですな」
「はい」
「小官をのぉ」
「それだけ閣下の力量を高く買っているのでしょう」
「それは光栄ですね。しかし、内親王殿下はまだ御年……」
「5歳ですね……」
「ふーむ……」
「私も小娘の戯言と一蹴出来れば良かったのですが、何分にも娘があまりにも必死な形相で話すものでして。またその話す内容も一笑に付したかったのですが、捨て置くには真実味がありすぎまして……」
「それが小官の暗殺計画でしたか?」
「それもですが、青年将校によるクーデターの可能性や、華北での軍事衝突から国民党と支那大陸で泥沼の戦争の可能性。イギリスやアメリカ等の列強からの経済制裁による締め付けから、事態を打開しようとして日英や日米が戦争に至る可能性とかです」
「うむむ…… どれも無いとは一概には言い切れないのが…… 特にクーデターは未遂の前科があるしのぉ」
「はい。相沢中佐には特に気を付けろと娘が言ってましたので、信頼できる腕利きの憲兵を閣下の護衛に付けさせて頂きます」
「相沢中佐とな? ヤツならば先日直談判に来おったので説得して追い返したのだが」
「納得していないかも知れません」
「目が血走って半分常軌を逸しておる感じであったが、なるほど。ヤツならば凶行に及びかねぬか」
「それと私の知己の青年将校とかも暴走する可能性があります」
「事此処に至っては、もはや小手先だけの改革では厳しいという事か……」
「陸軍内部の大掃除が必要なのかも知れません」
「そのようだな」
「クーデターを起こされたり、軍令を無視した現地部隊が暴走して勝手に戦端を開かれるよりはマシかと」
「関東軍の二番煎じか」
「はい」
「ところで、殿下は宗旨替えをしたと受け取ってよろしいのですかな?」
「そう受け取って頂いて結構です」
「そうか……」
「ええ、そうです……」
い、言えない。桜子さんに、
『このままではクーデターが起こるぞ~』
『永田鉄山を死なせるな~』
『支那との戦争は泥沼になるぞ~』
『満州や朝鮮に投資するよりも東北や北海道に投資しろ~』
『もっと基礎工業力を育てろ~』
『黒部や只見にダムを造って発電して電力を確保するぞ~』
『八郎潟や中海や有明海を干拓して水田を増やせ~』
『棄民のように国民を移民させるよりも北海道を開墾させろ~』
『内地にはまだまだ耕作可能地はあるぞ~』
『冷害に強い稲を大至急開発して普及させろ~』
『国民を飢えさせるな~』
『飢えさせたら革命が起こるぞ~』
『ナチスドイツは危険だぞ~』
『アメリカも危険だぞ~』
『ソ連も危険だぞ~』
『支那人と朝鮮人も危険だぞ~』
『国粋主義者は危険だぞ~』
『共産主義者も危険だぞ~』
『アジア主義者も危険だぞ~』
『帝国陸海軍人も危険だぞ~』
『利権を貪る財閥も危険だぞ~』
『組織を肥大化させたがる官僚機構も危険だぞ~』
『無知蒙昧な国民も危険だぞ~』
『それを焚き付けて煽るマスメディアも危険だぞ~』
『竹槍では機関銃には勝てないぞ~』
『精神論では銃弾は避けれないぞ~』
『これからの時代は航空機だぞ~』
『制空権がないと悲惨の一言だぞ~』
『戦艦よりも空母の時代だぞ~』
『でも戦艦も少しは必要だぞ~』
『潜水艦で通商破壊も大事だぞ~』
『船団護衛はもっと大事だぞ~』
『レーダーやソナーが無いと敵を発見するのが遅れるぞ~』
『これからの時代は電子技術が重要だぞ~』
『もっと技術者が必要だぞ~』
『軍の近代化は喫緊の課題だぞ~』
『それにはやっぱ工業力が必要だぞ~』
『工業力を付けるには国力が必要だぞ~』
『国力を上げるにはお金が必要だぞ~』
『大日本帝国にはお金が無いぞ~』
『貧乏国家は辛いぞ~』
『ついでに桜子ちゃんのお小遣いも重要だぞ~』
いや? 最後の言葉は完全に公私混同してますよね?
こんな言葉を、夜な夜な呪詛の様に懇々と聞かされて根負けしただなんて、言えるわけがない。
しかしあれは、懇々というよりも、むしろ、根々とか恨々の気がしないでもない。
しかも性質が悪いことに、言ってる内容は殆どの場合が正鵠を得てるのだから文句の付けようがない。
だが、あちらを立てればこちらが立たずの施策が多いのが問題だ。
それに我が帝国は貧乏だしな。先立つものが無ければ絵に描いた餅でしかないではないか。
一体全体この無理難題をどないせいちゅうのじゃ!
ああっ! 私の可愛い桜子さんは何処へ行ってしまったのだろう……
どうしてこうなった?